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窓硝子

 窓硝子とはとても興味深いものなのです。
 彼らはいろいろな表情を見せてくれます。何しろそれは十枚十色、さらに日や、時間帯によってそれぞれ異なるものですから、もう見るたびに楽しくって、楽しくって。
 とくに我らが三年一組の教室における窓硝子は格別です。群を抜いています。抜きん出ております。
 彼はお喋りで、そしてすごく物知り。少しキザな所がありますが、ときおり見せる照れるような仕種が、乙女心を鷲掴みです。
 もし、世界一尊敬できる(愛せるでも可)ガラス選手権があったら、私は迷わず彼を推薦しようと思う次第にございます。

「それはそれは光栄だね」
 と窓硝子さんは言いました。
 立春を向かえ、寒空ながら教室にはポカポカと温かい陽気が立ち込めます。それに彼の発する、ちょこれいとのように甘く、とろけそうな声。
 その効果もあいまって、私は今、すごく眠い状態にありました。
「でもね、世界にはまだまだ素敵で、もっと君に似合う硝子があるものなんだよ」
 私は目覚ましも兼ねて、ブルンブルンと頭を振りました。
「そんなことは無いですよ窓硝子さん。私はあなた以上の硝子をいままで見たことが無い。それにこれからも有り得ない。たった十五年の年月ではございますれど、そう断言できるのです」
 硝子の奥にはさえずる小鳥と、まだ開花していない桜が覗いていました。
 彼は少し、照れているようです。こういうときの彼は、透明さが増すのです。
 でもしかし、透き通る硝子ほど、綺麗なものはございません。
「あら。さっそく照れていらっしゃるのね。かわいらしい」
 小鳥の景色が薄く曇りました。
「硝子をからかうものではないよ。うん。それでは今日は、西欧の国の硝子の話をしてあげよう」
 そうして、窓硝子さんは遠い空を映しました。
 本日は晴天なり。私はうっとりと、彼を見ました。
「これは少し昔の話なんだけれどもね。そうだなあ、十七世紀から十八世紀ぐらいの事だったかな。その西欧の国には、一人の芸術家がいたんだ」
 私は頷きました。彼はけっして早口になることはありません。聞き手に配慮を配る、良いお喋り硝子でした。
「名前を、アナトールといってね、彼はお世辞にも、よく稼ぐ芸術家とは言えなかった。それでも彼は一生懸命絵を書き続けてね。そんな彼を、好む人は多かった。つまりね、恋人がいたんだ。エーブという」
「あら。素敵ですね」
「うん。エーブは硝子屋の一人娘だった。両思いでね。優しく美しいエーブにアナトールは夢中だったし、夢に真面目で正義感のあるアナトールにエーブは少なからず好意を抱いていた。それである日、ついにアナトールは、彼女にプロポーズをしたんだ。でもね」
「え、どうしたのですか」
「硝子屋の主人は、その技術こそ折り紙付きなものの、性格には少し難があった。なにより、頑固でね。娘のボーイフレンドを快く思うはずもない。初めは即答だったらしい」
「どのように」
「も ちろん、NOだ。しかしそれでも諦められなかったアナトールは毎日のように交渉に出向いた。半年の間、ずっと。するとね、ようやく硝子屋の主人は言ったん だ。『そこまでいうなら考えてやらなくもない。お前は芸術家らしいではないか。俺が満足するような作品を作ることができれば、娘をくれてやる』」
「よかったじゃないですか」
「いや、そうそう上手くいくものでは無い。その後より、アナトールが作った作品は、全てが全て、罵声を浴びせられ、硝子屋の主人の手によって焼き捨てられた。それもそのはず。相手は元が腕の立つ硝子職人。売れない芸術家が彼をうならすことなど、不可能に近かったんだ」
「そんな」
「アナトールも諦める事を知らなかった。いくらアイディアが尽きようとも、何か手を動かし、脳髄から作品を搾り出した。しかし来る日も来る日も、硝子屋が首肯することはなく、ついに彼は自暴自棄に陥ってしまったんだ」
「あぁ……」
「酒に潰れ、暴れ、自分の作品を引き裂いた。自殺も考えた。それほどにショックだったんだ。プライドはもうズタズタさ。しかし、死ぬことは無かった。エーブがいたからだ。
 エーブは、身も心もやつれきった彼を、それでも応援した。そして時にはアイディアも提供し、協力した。結婚は遠退く一方だったが、二人の絆はどんどん深まった。そしてある日、エーブは一つの案を思い付いた。
 それをアナトールに話すと、彼は眼を輝かせた。それしかない。と、硬く口を引き結んだ」
「ど、どうなるのでしょうか」
「数ヶ月後、硝子屋へアナトールがやってきた。久々の来店に、主人は少し驚いたが、しかし険しい表情を作ると、今度は何だと尋ねた。
 自信作だとアナトールが渡したのは、綺麗な花が描かれた硝子の靴だった」
「まあ」
「この頃はまだ、硝子に絵を描く方法がメジャーではなかった。しかしアナトールは独学と努力だけで、これを可能にしたんだ。全てはエーブのアイディアと、支えのお陰だった。二人の絆に、硝子屋は心を打たれた。二人の結婚は、ようやく認められた」
 私はいつの間にか、眠気が覚めていることに気付きました。
 いつも、彼のお話には、何か引き込まれるようなものがあります。
「ハッピーエンドですね」
「まあ、一応はね」
 それは、艶っぽいこの声に起因しているのやもしれませんでした。
 しかし、
「でも後日談があって、実はその硝子の靴は壊れてしまうんだよ。強度が、足りなかったのさ。彼らの情熱を受け止めるだけの」
 窓硝子さんの曇りが増しました。
「それでもこれがきっかけで、硝子絵の技術は大きく進歩するんだけれど」
 どうしたのでしょうか。窓硝子さんの声もまた、少し曇りを帯びている気がするのです。
「……もしかして、結婚を解消されたのでしょうか」
「いや、違うよ。結婚はしたさ。それにアナトールは自信を取り戻し、アクティブな創作活動を続ける。硝子絵の技術にヒントを得た主人はその腕を西欧各国に知らしめた」
 ではなぜ、憂え声色。
 私は心配になりました。
 小鳥達はもう既に、どこかへ飛んで行ってしまいました。窓硝子さんが映すのは、彩りの無い桜の木のみです。
 彼は言いました。
「硝子はね。とても、とても綺麗なんだ。自分でいうのはへんだけれども」
 どこか自嘲気味な口調。決して、小さい声ではないものの、何か、不安そうな。
 私は、彼の声を拾うように頷きました。
「だけどね、僕らは、」
 −−キーン、コーン、カーン、コーン。
 チャイムが鳴りました。
 私は驚きました。
 そういえば授業中だったのです。寝耳に水でした。
「窓硝子さんの話を聴いていると、時間の流れをとても速く感じます。もう今日の授業は全部終わってしまいました」
 私が言うと、
「うん。また明日だね。明日は何の話をしようか」
 と、彼は普段の甘い声で尋ねるのでした。
 私は何がいいか考えます。
「明日は…… そうだ。窓硝子さんが生まれた時の話をしてください」
「え。いいけれども、それはまた、どうして」
 さきほどの憂えは気のせいだと思いました。彼の声はとても、魅力に溢れていました。
 だから、私は言うのです。普段の調子で、愛を、込めて。
「だって窓硝子さんが好きなんだもの。好きな貴方の生い立ちを、知りたいのはおかしいでしょうか」
 窓硝子さんは透き通りました。
 もう夕方です。空は紅色を帯びています。
「綺麗な夕焼けですね」
「……うん。そうだね」




−−だけどね、僕らは、

 硝子は、消耗品なんだ。アナトールとエーブが作った靴も、壊れてしまったら誰も直そうとしない。あたらしい硝子が代わりに作られ、また壊れる。
 僕は君のことが好きだけれども、そして君は僕のことを好きなのだろうけれども、僕は消耗品で、君は人間なんだ。
 君達は歩む。
 さらに君は、あと数日で高校生になる。
 そのころには桜も咲き誇り、小鳥はさえずって君を讃える。
 僕も一緒に着いて行きたいけれども、その術はない。僕には、歩く足が無い。僕は、三年一組の窓硝子なんだ。
 嫌だと言ってくれるかい?
 僕と離れたくないと、泣いてくれるかい?
 僕は泣いているんだよ。君のいない場所で。
 ねえ。

 僕は君が好きなんだ。




おわり


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●感想
ただのすけさんの感想
 初めまして。ただのすけです。

 淡い幻想的な、そして切ないお話でした。堪能いたしました。
 幼いころに読んだ童話のような、ふしぎな空気が心に流れ込んできました。とても心地よい読後感です。


> つまりね、恋人がいたんだ。エーブという」
 「あら。素敵ですね」
 「うん。エーブは硝子屋の一人娘だった。両思いでね。優しく美しいエーブにアナトールは夢中だったし、夢に真面目で正義感のあるアナトールにエーブは少なからず好意を抱いていた。

 ここなんですけど、最初にエーブという恋人がいた、とあってから、アナトールにエーブは少なからず好意を抱いていた、というのはちょっとヘンかと。ここは、恋人ではなく想い人ぐらいが適切だと思います。もしくはエーブの気持ちを、より恋人同士らしいものにするとか。

 このくらいしか思いつきません。それに、取り上げた箇所もその実そのままで構わないような気がしています。

 次回作も期待しています。それでは、失礼いたします。


坂本春三さんの感想
 初めましてこんばんは

 評価ありがとうございましたm(_ _)m
 とてもとても励みになりましたので僕も評価を

 テーマが硝子ということで
 全体的に硝子のもろさというか今にも壊れてしまいそうな繊細さが表現されていました
 その辺りに力量を感じます 凄く羨ましいです;

 未熟者の評価ですがよければ参考にしてください
 返す返すですが 評価をありがとうございました。


krsさんの感想
 はじめまして、krsです。
 作品、読ませていただきました。

 5行読んだあたりで「森見先生の影響が云々〜と感想に書こう」と考えていたら、メッセージでご友人に先回りされてしまいました。

 硝子が十枚十色とか、喋るとか、発想がユニークで読んでいて楽しかったです。
 背景の描写が効果的に使われていて感嘆しました。

 だ誉めるだけも芸がないと思い、あら捜しなどしてみましたが(スミマセン)、特に挙げるべき箇所は見当たりませんでした。

 全体として、良く言えば優しい仕上がり、悪く言えば地味、と感じられたので、最終的に評価は+20点とさせていただきました。

 次回作、大いに期待しています。


donpoさんの感想
 拙作では感想ありがとうございます。
 硝子との対話という、不思議な雰囲気が良く、冒頭から引き込まれました。また、文章もしっかりしていて、特に問題も無かったと思います。最後の硝子のモノローグも、良い感じに切なさを演出できていると思いました。
 しかし、やはり私も全体的に地味だという印象を持ってしまいました。こういう話は、普段進んで読んだりはしないので、そのせいかもしれません。

 それでは。


赤福さんの感想
 はじめまして、赤福と申します。
 作品を拝読しましたので、感想を書かせていただきます。

 会話の語り口調がすごく素敵でした。
 もうしばらく窓硝子さんのお話をきいていたかったほどです。
 窓硝子さんの見た目が素敵な老紳士だったらたぶん、私は惚れているとおもいます(笑)

 ただ、語り部である女生徒にあまりにもリアリティがなさすぎて、少し入り込めなかったところがありました。場所が普通の学校の教室であるから特に。
 これが完全に童話の世界を舞台にした話で、語り部の少女が窓際で作業する針子のお嬢さんだったりなんかしたら、もっとすっと入り込めたような……(個人的な好みの問題ですね、きっと。すみません……)


ツヴァイさんの感想
 こんにちは、ツヴァイです。感想をさせていただきます。

 窓硝子。着眼点は素晴らしいかと。
 そして語り口もなかなかよろしくて、つい読み入ってしまいました。
 欠点らしい欠点も特になく、強いて言うならば硝子と彼女の関係を、もう少し深く描写できたかな、と。
 しかし、特に問題はありません。現状で作品として完結していると思われます。
 この次の作品にも、もちろん期待しています。がんばってください。


水草さんの感想
 初めまして、水草と申します。
 こういうちょっと不思議なお話は大好物で、冒頭をちらっと見てすぐに「読みたい!」と思えました。女生徒の妙に堅苦しい性格も、こういう物語だからこそのいい味が出ているかと。
 うむむ、欠点を探して読み返したものの、特にこれと言って目立つものは見つからず。
 ただ、物語とは関係ないのですが、最初の方にあった「ときどき」という意味の副詞は『ときより』ではなくて『ときおり(時折)』ではないでしょうか?
 ともかく、読めて「いいなぁ」と思える作品でした。
 森見さんの作品は読んだことがないので、これを期にちょっと手を出してみようかな。でも彼女、人気があるから古本屋ではほとんど見ないんですよね……ははは。
 それでは、次回作、期待しております。


葉月さんの感想
 こんにちは。
 拙作にご感想をいただいたので、お礼も兼ねて拝読させていただきました。

 まず、感じたことは、文章が綺麗だなという所です。丁寧な筆運びで、とても読みやすかったです。
 窓硝子の語り、といった、一風変わったスタンスも斬新で良かったです。

 ただ、個人的にですが、女性とと窓ガラスの、教室での位置関係をはっきりさせて欲しかったです。一番後ろの席で、カーテンに隠れながらの密会……のような。完全に個人の趣味です。すみません。

 全体的に柔らかい感じの作品で、面白かったです。
 次回作も期待しています。
 それでは。


まうまうさんの感想
 はじめまして。まうまうです。以後お見知りおきを。

 …まいりましたね、どうも。
 こういう作品を読むと、私は無条件に喜んでしまう人間なのです。
 それは、アンデルセンの『絵のない絵本』をはじめて読んだときのような、懐かしさだったですよ。

 思うに、地味さやリアリティの無さとして指摘されている部分が、うまい具合にファンタジックな世界観の「浮力」として働いているような気がします。
 そのふわふわした世界観の入り口に、
>窓硝子とはとても興味深いものなのです。
 という、日常に疑問を投げかけるような一文があることで、
 この作品は、「幻想への招待」を綺麗に描いていると思います。

 あんまりお気に入りなので指摘するような部分は見当たりませんが、
 あえて注意を申すとすれば、
 こういった作品は、毛嫌いする人はとことん毛嫌いして批判しますので、
 そういったとき、気にしないようにしてくださいね。


一言コメント
 ・なんとなく、雰囲気が好き

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