高得点作品掲載所     夢見祥文さん 著作  | トップへ戻る | 


君に別れを

 僕は彼女に恋していた。
 いつの頃からだったのかは覚えてない。彼女の体に欲情していたわけでもない。もちろん、一本一本がまるで小川の流れの ようにさらさらとして、肩まで伸びていた黒髪は綺麗だったし、パッチリと透き通って覗き込まれたら全て見透かされてるような気分になる黒い瞳も、宝石か何 かと見間違うくらいに魅力的だったけれど、何と言うか……そう、憧れていたんだと思う。
 ただ、純粋に好きだった。一緒にいれればそれで構わなかった。他に仲間がいるとはいえ、部活動で一緒にだべっていられれば、それだけでも十分だった。
 だけど、学校生活にはどうしても終わりが来てしまう。高校受験に打ち込まなきゃいけないはずが、どうしても彼女のことが頭から離れなくて、気がついたらケータイの待ち受けも彼女の画像になっていた。それを動力に勉強もした。彼女との将来のためと思って勉強した。
 志望校は別々だった。滑り止めさえかすりもしない。学年二百五十人の中で、二百番も差がついているのだからしょうがないかもしれない。だったら僕がレベルを落として彼女の行く高校を志望したかったけれど、それはきっと両親に猛反対されて終わってしまうだろう。
 卒業したら、もう接点はほとんど無い。
 僕は彼女――有島瑞穂と別れたくないばかりに、告白した。

「ごめん。ウチ、格好いい人は好きになれない」

 卒業式を間近に控えたその日、僕は初めて失恋した。


「宗也ぁー、お前、告ったんだって?」
 ふられた翌日も、僕はいつも通り登校した。眼鏡の奥にやるせない気持ちを閉じ込めて。後三日だけポーカーフェイスで過ごせば、もう彼女と会うことも無いだろう。だったら、残り少ない中学校生活をクラスメイトと過ごそうと思ったのだ。
 黒板の横に張られた「後三日」と言う文字にどことなく寂しいような気持ちを覚えながら、机につっぷして朝のホームルームが始まるのを待っていると、つんつん、と背中を指で指され、耳元で問われた。
「……で、何で知ってる」
 僕は、ずり落ちそうになった眼鏡を戻し、わざわざ僕の机までやってきた親友に訊ねた。男に耳元で話しかけられても嬉しくないので身を引こうとすると、首に手を回され動けなくなる。
 彼女が言いふらしたのだろうか。そんなわけはないと思いながらも、第三者が昨日のことを知っている事実がある。疑いたくなくとも、考えてしまうのだ。
「そりゃよぉ、お前が不自然に女の子を呼び出すなんて、初めて見たからさ。……で、どうだった?」
 何だ。推測か。
「ふられた」
 ぶすっと言うと、親友――相沢幸弘は「へー」とにたにた笑いを浮かべて僕の頭部を解放した。
「宗也でもふられることってあるんだな。お前は女に言い寄られるタイプだと思ってたぜ」
「初恋だったんだ。ほっといてくれ」
 言うと、僕はまた机につっぷした。幸弘は僕の机の端に腰を下ろすと、そっぽを向きながら――けど僕に確実に聞こえるように言った。
「昨日さ。俺、瑞穂に告られたんだ」
 ……なんだって?
「お前、昨日ふられたのってその――」
 僕は立ち上がると、幸弘の学ランの下に覗くYシャツの首元を掴み上げた。筋肉質な上、百八十もある巨漢なだけあって、幸弘は顔色を変えることはなかったものの、僕の剣幕に押されたのか両手をひじから上げて、おどけた顔で降参とばかりのポーズをとった。
「で、OKしたのか」
 冷淡に問うと、幸弘は首元を押さえられた状態で頷いた。
「お、おう……」
「そうか」
 僕は幸弘のYシャツを放すと、どさっ、と体を椅子に収め、表情を隠すために机に顔をうずめた。
「宗也、ごめん。悪かった」
 幸弘の謝罪も、もうどうでも良かった。
「いいよ。幸せにしてやってくれ」
 僕は片手を上げてひらひら振りながらそれだけ言うと、苦しい気持ちを胸から出さないように心がけて一日を過ごした。
 もう、何も考えたくなかった。


  僕――高坂宗也と、親友の相沢幸弘、それに有島瑞穂の三人に共通する点はこれと言って無く、ただ部活が一緒だっただけだ。とは言っても、その部活も全員真 面目にやる気は無かった。僕と幸弘など人数が足りないから、と言うことで美術部の創部に名前を貸してあげたら、どういうわけか毎回出席させられる羽目に なっているだけだ。
 第一、あれだけ「美術部創立に力を貸してください!」とか言っていた瑞穂だって、実際のところ、週一で放課後だらだら出来る 場所が欲しかったに過ぎない。絵を描く技術はもちろん、下手したら絵の具の混ぜ方も知らないのかもしれない。顧問の先生も僕達三人に指導する気は無かった ようで、他の部員に熱心に絵の描き方や彫刻の仕方などを教えていた。
 僕と幸弘は小学校時代からの親友で、互いを認め合った仲だ。だけど同じ競技で争うなんてナンセンスだ、と幸弘が言うので、僕はテニス部、幸弘は剣道部へと入部した。
 幸弘は僕を恨んでいた。きっとそうだ。
  僕は、中学に入って身長が伸びるとやたらもてた。容姿はそれほど整っているとは思えないし、どちらかと言うと女の子っぽいくらいに線が細い体つきも好き じゃない。だけどそんなコンプレックスを知ってか知らずか、僕はよく告白された。テニスコートにまでギャラリーがついてきて、やたらうっとうしかった時も あった。
 逆に幸弘はどうだっただろうか。剣道部はテニス部ほどオープンでない上、成績は真ん中あたりをうろうろ。すごいスピードで身長も伸びた けれど、同時にごつい体躯を形成してした。僕は男らしくてすごく格好いいなと思っていたのだけれど、幸弘は逆にコンプレックスに思っていたらしい。サル顔 と馬鹿にされて、女の子にはもてなかった。
 だから、だろうか。幸弘は二年生に上がるころには、ろくに口を聞いてくれなくなった。そんな折に美術部創立の頭数集めで瑞穂に声をかけられた。名前だけ、と言うからサインをしたのだが、創部が認められると、瑞穂に美術室へ連行された。
「メンバーはこれだけ。規定の五人はギリギリだけど、全員二年生だからウチが卒業するまでは大丈夫」
 自分のことしか考えてないのか、と突っ込みを入れたのは僕じゃなかった。当時すでに百七十五はあったサル顔の幸弘だった。幸弘は僕を見ると「よう」と片手を上げた。
「お、おう」
 やけに友好的な態度にびっくりしながらも、僕は答えた。
 それから、三人の奇妙な関係は今まで続いていた。僕のことを嫌っていたはずの幸弘は、小学校のころと同じように親友へ戻った。
  どういうわけか、週一の美術部の活動日はテニス部も剣道部も休みだった。放課後の二時間も三時間も無駄にしたくなかったので、そのまま帰宅しようとすると どこからか電波でも受信しているのか、校門を出るまでに瑞穂は僕に追いつき、首根っこを引っつかんで美術室へ連行するのだった。
「時間の無駄づかいだ、とか思わないのか。絵を描くわけでも無いなら、さっさと家に帰って好きなことに時間を使えばいい」
 僕がそう言うと、
「難しい理屈はどーでもいいの。ウチは学校にいたんだから」
 と切り替えされてしまった。
「何でだよ。帰りたくない理由でもあるのか」
「そーじゃない。んー、何ていうのかな。ほら、せーしゅんの一ページも無駄にしたくないっていうか」
 彼女はそう言って屈託無く笑った。
「何だよそれ」
 そうは言うものの、僕も何もしないでだらだら過ごすその時間が好きだった。だから僕も彼女に笑い返せたし、理不尽に僕の時間を奪う彼女のことを嫌いになれなかった。


 そして僕は卒業式の四日前、美術部の送別会で彼女に告白した。初恋だった。好かれることはあっても好きになることは今まで無かったし、恋愛感情と言うもの自体が良くわからなかった。
 ふられた時はショックだった。でも、感情をコントロールするのは慣れたものだったので、僕は「そうか」とだけ言って彼女に背を向けた。彼女は何も言わなかった。
  僕はてっきり、彼女が恋愛そのものをしたくないのだろうと思っていた。「格好いい人は好きになれない」って言う言葉の意味もいまいちわからなかった。もし 僕がその「格好いい」に入っているのだとしたら逆に断る理由がわからないし、他に好きな人がいるのならそう言うはずだ。
 だから、その翌日、幸弘と瑞穂が付き合い始めたと聞いたときは気が狂いそうになった。無表情と言う鉄仮面で、何とか切り抜けられたのも奇跡じゃないかと思う。
 何で幸弘なんだよ。成績は圧倒的に僕の方が上だ。告白された回数だって僕の方が圧倒的に多い。僕を選んでくれれば僕は命を懸けて君を守るのに――!
 親友をそういう風に思う自分が、ひどく醜く思えた。だけど、どうしてもその気持ちは消えなかった。
 僕は幸弘より、上だ。
  僕は幸弘の行く高校も、瑞穂の行く学校も知っていた。学校は違えど、二人とも地元の学校だった。僕だけ、遠くの名門高校へ行くことになっていた。家から通 うと、通学に二時間もかかる。八時半に間に合うように行くには、六時半には家を出なくてはならなくて、少々厳しい。それに、往復四時間、一日の六分の一も 電車に乗っているのは時間の無駄だと言って、両親は下宿先を探してくれていた。僕は瑞穂といたかったから、その申し出を断ってきたのだけれど、今はすぐに でもこの町を出たかった。
 未練ごと、この町に置き去りにして、僕は遠くに飛んで行きたかった。遠くの学校を志望して良かったと本気で思った。


 残り二日。僕にとっては苦痛だった。
 幸弘も瑞穂も、クラスは違った。だけど、学年ごとに階層が分かれているから、同学年の生徒とはクラスが違っても顔を合わすことが多くなる。
 幸い、瑞穂とはほとんど会わなかった。もしかすると瑞穂の方が僕を避けてくれていたのかもしれない。会ったらどんな顔をすれば良いのか、僕にはわからなかった。いくら成績が良くったって、わからないことはたくさんあった。
  問題は幸弘だった。僕は出来るだけ教室から出ないようにしていたが、幸弘の剣道部仲間がいるとかで、僕のクラスまで遊びに来ることが多かったのだ。僕は意 図的に幸弘を見ないようにした。目が合ったら逸らした。しゃべりかけてこようとしたら徹底して冷たい態度で対処した。もう、親友なんかじゃなかった。
 卒業前の授業なんて、ほとんどが生徒と先生の雑談か、最後の思い出をしゃべるとかそんな感じだった。だからボーっとしてても、眠ってても何も言われない。
 もうどうでも良かった。何が青春だ。ちくしょう。
 放課後、教室を出ようとすると、背中から声をかけられた。
「た、高坂君っ!」
 振り返ると、小柄な少女がおどおどしながら話しかけてきていた。えーっと、確かテニス部の……。
「何? なんか用?」
 ぶっきらぼうに返す。周囲の男子の目線に殺気がこもっているが、気にしてられない。一刻も早く学校から去りたかった。
「今日、テニス部の送別会で……集合場所、教えてなかったからって、部長が……」
 ああ、そういうことか。
「で、どこだって」
「来てくれるの?」
 目を輝かせて少女は言う。僕はふぅ、と溜息をついてから答えた。
「どうせ行かないと全員のラケット手入れとかだろ」


 テニス部の送別会はいたって普通に終わった。後輩達にプレゼントを手渡され、ジュースやお菓子で小さなパーティ。最後に後輩達から「頑張ってください」との言葉と花束を受け取り、解散。
 僕は感慨も何も無く、プレゼントやらを鞄に放り込むと解散したはずなのに雑談を始める部活仲間を尻目に、昇降口へ向かった。
「あ、あのっ!」
 靴を履き替えていると、声がかかった。見ると、放課後すぐに僕を呼び止めたあの子だった。
「まだ何かあるのか」
「高坂君って、――高校だよ、ね」
「そうだけど」
「私も、同じだから。……あの、来年もよろしく、ね」
 上履きを下駄箱に放り込んで、「おう」と片手を上げて適当にあしらうと、僕は校舎を出た。
 すぐに、すたすたすたっとテンポの良い音が聞こえてきて、気がつくと、僕の隣に彼女はきていた。しばらくの間、無言で帰路を歩く。
「お前――こっちだっけ」
「お前、じゃなくて、美咲。私も、こっちだよ」
「ふーん。ミサキって、苗字? 名前?」
「な、名前。山上美咲」
「山上美咲、ねえ」
 僕が、そんな名前だったかなと反復すると、美咲は悲しそうな表情で問いかけてきた。
「あの……もしかして、覚えてもらって、なかった、とか」
「ああ、ごめん。人の名前覚えるの苦手なんだ」
 毎年クラス替えがあったら覚える間もなくクラスメイトが入れ替わっている印象さえある。一応、同じ部活だったから顔くらいは覚えていたけれど、名前までは覚えていなかった。特に話した記憶もないし。
 十字路に出ると、美咲は「それじゃあ、私、こっちだから。……ま、またねっ!」と言って手を振りながら僕と正反対の方向へ走っていった。後ろ向いて走ってたら転ぶぞ、と言おうとしたら、見事なまでに電柱に激突した。
「大丈夫か」
 思わず駆け寄って手を差し伸べたら、風呂上りの僕よりも真っ赤な顔をして、
「だ、だ、だ、だ、大丈夫です!」
 と言って今度はわき目も振らずに走っていった。


 家に帰ると、ケータイにメールが届いていた。
 メールは幸弘からだった。「瑞穂と別れることにした」と言う旨を少しだけ期待して、僕はメールを開いた。待ち受けは依然、瑞穂の笑顔のままだった。吹っ切れているはずなかった。
 幸弘からのメールは絵文字も無い。堅苦しくもないけど、面白くもなかった。だけど、今日ばっかりは絵文字や何やら、余分な物がなくって良かったような気がした。絵文字で「あははーゴメンゴメン」と言う文面だったら、僕は殴りこみに行っている。
『瑞穂に聞いたよ。ごめん』
 謝るくらいなら聞くな。
『あいつさ、小学校のころ付き合ってた人がいたんだって。勉強も出来てスポーツも出来て、格好良くてしょうがなかったらしいんだ』
 だからどうした。
『それで、付き合ってくれって言われた時はすごい嬉しくて、瑞穂も付き合うことにしたんだって』
 何の関係があるんだよ。
『だけど、そいつ、瑞穂だけじゃなくって、他の子にも手出してたんだ。お前ならそういうことないと思うけど、やっぱり格好いい人は好きになれないんだって……』
 …………。
 何を偉そうに。
 僕は電源のボタンを長押しした。メールが消え、待ち受け画面になる。瑞穂の楽しそうな笑い顔が、僕を笑っているような気がした。
 僕は電源が切れるのも待てず、ケータイを両手で掴むと、本来折りたためる向きと逆に折った。俗に言う逆パカ。
 バキッと呆気ない音がした。もう、待ち受け画面も消えていた。僕はそのケータイを自室の窓から放り投げた。ガシャンと言う音がした。窓の外は道路だから、きっとボロボロだろう。もうどうだっていいさ。僕はそのままベッドに入ると、死んだように眠った。
 早くこの町を離れたい。


 卒業式前日。僕は風邪と言う名目で休んだ。
 母さんに頭痛がする、と言ったら学校に欠席の電話を入れてくれた。僕はもう、何も考えたくなかった。両親は会社に出かけて行った。昼過ぎまで寝ていたけれど、さすがに眠り続けられなくなって起きだした。
 特にやることもないのでぼーっとしていた。ほんの三日で、世界そのものがどこか遠くへ行ってしまったようだった。
 もう何でも良かった。
 これがゲームだったら、と思った。恋愛ゲームだったら。即座にリセットボタンを押しているだろう。もしくはゲーム中止して押入れに放り込むか売りに行っているか。
 そんなことを考えていると、ピンポーンとインターホンがなった。
「はい」
「あ、あの、高坂君……じゃない、宗也君のお見舞いに……」
 美咲だった。「ちょっと待ってろ」と言ってパジャマから私服に着替え、玄関を開ける。
「何の用だよ」
「だから、お見舞い」
 制服の美咲は右手に下げたバスケットを持ち上げた。
「お見舞いって……」
 いいよ、そんな。と言おうとしたが、昨日から何も食べていない僕のお腹は素直だった。ぐう、となる。
「はいっ」
 美咲は僕にバスケットを押し付けるように渡すと、「バスケットは、明日返してね」と言って身を翻した。
 僕はそれを持ったまましばらく立ちすくんでいたが、不意に馬鹿らしくなって開きっぱなしのドアを閉めて、リビングでバスケットを開いた。
 中身はサンドイッチだった。トマトサンド、タマゴサンド、ハムサンド……。
 正直言うと、美味しかった。全部食べ終わって、やっと現実に戻ってきたような気がした。何となく時計に目をやると四時前だった。昨日の昼飯が一時時くらいだったから、実に二十七時間ぶりの食事だ。そりゃ美味しいわけだ。
 ……四時前?
 学校が終わるのは三時。我が家と学校は徒歩二十分の距離で、僕がこれを受け取ってから食べ切るまでに三十分はかかっている。
「あいつ、学校に持っていってたのか」
 ってことは、これは――。
「あいつの、昼飯……」
 すごく申し訳なく思った。


 僕達は中学を卒業した。
 前日に休んだと言っても、卒業式の隊列や席順を前日にどたばたと変更するはずも無く、決められた通り一人一人壇上に上がっては卒業証書をもらう。
 ああ、これで終わりだ。もうこの町にいなくてすむ。
「宗也ぁ、昨日のメール見たか?」
 式が終わり、卒業生達は涙ぐんだり、笑いあったりと各々自由に行動し始める。親御さんに頼んで写真を撮ってもらったり、友人達と最後の語らいをしたり、二次会の誘いに駆け回ったりとしている中、幸弘が声をかけてきた。
「ごめん、見てない」
「そっか。いやまあ、元気そうで良かった」
 元気だって……?
 思わず絞め殺してやりたい気持ちになったが、それを抑える。眼鏡越しにはわからないくらいに――でもしっかりと瞳に嫉妬の炎を燃やした。
「用はそれだけ?」
「あ、ああ。まあ、そうなんだけどよ」
 幸弘は頭をぼりぼりとかいた。
「俺さ、好きな子がいて」
 急に何を言い出すのかと思ったが、どうにも真面目な話のようだったので、聞いてやることにした。本当は一秒も顔を見ていたくなかったけれど。
「一年の終わりに、告白したんだ」
「へー」
 投げやりに相槌をいれてやる。幸弘はそれでもしゃべり続けた。
「そしたらその子、お前のことが好きだからって。それで俺、しばらくお前のこと勝手に毛嫌いしてたんだ。本っ当、すまん!」
「別に」
 幸弘は頭を下げた。僕の胸の辺りの高さに幸弘の頭があった。
 一瞬、ひざで蹴り上げてやろうかと思った。だからどうした? 別に僕がその子に「好いてくれ」って頼んだわけじゃない。
 ……同じじゃないか。
 幸弘だって、瑞穂にそう頼んだわけじゃない。恋愛なんてそんな物だ。どうした、僕らしくない。達観した振りが出来ないなら最初からするな。何がリセットだ。リセットしたら全部消えちゃうんだ。三人で培ってきた友情も、三年間、中学校生活で出来た思い出も、みんなみんな。
 ポーカーフェイスを崩すな。せめて眼鏡で隠しきれる程度にとどめろ……。
 僕も顔を伏せた。
「僕こそ、ごめん……」
 呟くようにそう言った。直後、こないだまで聞くことを楽しみにしていた声が聞こえた。
「幸弘ぉー、宗也ぁー。写真撮ろー! 美術部だべり組記念ー!」
 瑞穂が呼んでいた。その隣には美咲がもじもじと両手を胸の前で組んだり放したりしている。
「おぅ、ちょっと待ってろ。宗也、写真くらい付き合ってくれよ。な?」
 どういうわけか、胸の内に巣食っていたもやもやとした嫉妬感情は消えていた。いや、完全に消えたわけじゃない。瑞穂が幸弘と腕を組んだりキスしたりしているのを想像してしまうと、ぶん殴りたくなる。
 だけど、その嫉妬よりも今は友情が上に行った。しばらく会えないんだ。それに、最後まで笑って、学校にもお別れしたい。
「当たり前だ。僕達は親友だろ?」
 幸弘はにっと笑った。
「そう言えば……美咲はどうしてここに?」
 僕が瑞穂に訊くと、瑞穂はきょとんとした後、
「え? 写真撮る人がいないとウチらの誰か一人写れないじゃん。馬鹿?」
 すっとぼけた解答をくれた。
「いや、そうじゃなくって。何で美咲が瑞穂と一緒にいるんだよ」
「あ、その……。私も、美術部員、なんですけど……」
 瑞穂の代わりに美咲が答えた。
「…………」
 そうだっけ。ああ、そう言えばいたようないなかったような。
「宗也、あんったさぁ」
 瑞穂は頭に手をやってから、「部員くらい覚えときなさい!」と怒声をくれた。
「宗也、俺の名前わかるか?」
 真面目な表情で幸弘が訊ねてきた。「親友の名前くらい覚えてるよ」と答えたら、今度は瑞穂に「ウチは? ウチは?」と訊かれた。
 僕は、四日ぶりに幸弘と瑞穂と、三人で笑った。部活だって一週間に一度なのに、たった四日間がずいぶん長く感じられた。
 美咲はそんな僕達を、カシャと写真に収めていた。


 しばらく四人で談笑し、それから帰路についた。校門を出てすぐに幸弘と瑞穂と別れ、美咲と二人で歩く。
 僕はタイミングを見計らって、鞄から昨日のバスケットを取り出した。
「これ、ありがとう。昨日昼飯大丈夫だった?」
 美咲は一瞬硬直して「それは、あの……」バスケットを受け取ると顔を真っ赤にし「え、えと。大丈夫……」顔を伏せた。
「美味かったよ」
 僕もそれだけ言った。
 しばらく、沈黙が支配した。何だか耐えられなくなって、適当な話題を振る。
「そういや、美術部だったんだよな。俺達、邪魔じゃなかった?」
「い、いいえ。元々、創部も私が提案したから」
「そうなの? 何だ。てっきり瑞穂が提案したのかと」
「瑞穂には手伝ってもらってたの」
「なるほど。それで瑞穂が俺とか幸弘を誘ったのか」
「あ、いいえ。幸弘君は私が……」
「え?」
 話が見えない。こんなおどおどした調子で幸弘を誘ったって言うのは信じられない。
「いやあの、瑞穂が、ふったなら責任取りなさい、って……」
 ふった……? 僕の脳内をいくつかの会話が甦る。あの堅物幸弘が三年間でそう何人にも告白するはずが無いし、好きな人がいるんだったら瑞穂と付き合うとも言い出さないだろう。それはやっぱり――。
  ああ、やっぱりそう言うことか。第一、昨日の時点で気づくべきだったんだ。我が家の住所だって、美咲は知らなかったはずだ。だとしたら、やっぱり瑞穂に訊 いたと考えるのが妥当だろう。それに、瑞穂は自意識過剰と笑うかもしれないけど好きでもない奴のお見舞いになんてわざわざ来ないだろう。それもただの風邪 で。
 きっと知ってたんだ。僕が瑞穂に告白したことも、瑞穂と幸弘が付き合うことにしたのも。
 気がつくと、昨日の十字路に出ていた。
「それじゃあ、宗也君、四月からもよろしくね」
 挨拶して、去ろうとする美咲の腕を、僕はがしっと掴んだ。
「これやる。卒業記念」
 学ランの第二ボタンをぶちっと取って美咲の手に握らせた。
 掴んだ手を放し、「それじゃまた四月」と言って僕は片手を上げる。呆然とボタンを見つめている美咲に背を向けて、僕は歩き出した。
 さて、帰ったらケータイを買い換えて、待ち受け用の写真を撮らせてもらわなきゃな。いや、それは高校生になってからでもいいか。
 そんなことを考えながら見上げると、道路脇に植えられた桜が見事に咲き誇っていた。
 それはまるで、中学校と、このくだらない泥沼から卒業した僕達を祝福しているようだった。


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●感想
一言コメント
 ・面白かったよ 泣いた(TBT)
 ・温かい物語をありがとうございます。読んでいて気持ちよかったです。
 ・おめでとう。
 ・ラストが綺麗にまとまっていて好きでした。
  あと、人物の容姿、性格などがうまく文章になっていてすばらしかったです。
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