高得点作品掲載所     北野卵さん 著作  | トップへ戻る | 


武士二人

 兵吾――「武士の意地」

 坂砂(さかさご)城の筆頭家老、寒川新三(さむかわしんぞう)の下屋敷は、城下の外れにあった。もとは別荘として造られた屋敷で、東西南を田地に囲まれ、北に大きな山の控える、風雅な屋敷であった。
 その日の早朝のことである。
  その下屋敷の庭に、浪人者が五十名ほども集まり、おのおの刀を抜きはなっている異様な光景が見られた。これから斬り合う、というわけではない。浪人たちの 前には台座に据えられた兜が三つ置かれ、彼らはその兜に向かって刀を構えているのである。それを、遠くから三人の武士が監督していた。浪人たちの薄汚れた 格好とは違い、きちんと裃をつけた、役人体の男たちである。
 兜割りであった。
 兜割りとは、元は試し斬りの一種である。
 試し 斬りは刀で実際に物を斬り、刀の良し悪しを見抜くために行われる。斬られるものといて最もよく用いられるのは巻藁(まきわら)であるが、ときには竹、木 板、罪人の死体といったものも用いられた。兜もまた、その一つである。ところが、いかな名刀を使おうと、鉄製の兜を割るのは、尋常の腕では叶わない。下手 な人間が挑んだら、刀が跳ね返されるのはまだよいほうで、刀のほうが真っ二つに折れることもしばしばだった。そのため、いつしか兜割りは試し斬りと云うよ りも、遣い手の腕を試すものへと変わっていったのである。
 その兜割りに、浪人たちが挑んでいた。
「セイッ!」「エイッ!」
 それぞれ気合いを放ち、兜に刀を振り落とす。しかし、ある者は一寸ばかり食い込んだところで止まり、ある者は弾かれ、ある者は衝撃で腕が痺れて刀を落とす、といった具合で、なかなか成功する者がいなかった。
 重苦しい空気が流れる中、突如として、
「おお!」
 という、どよめきが走った。
 どよめきの中心に、一人の浪人がいた。浪人の前の兜は、すでに二つが真っ二つに割れていた。
 だが、どよめきが起こった原因は、それだけではない。苦もなく兜を両断した浪人が、十七、八くらいの少年だったのである。
 少年は周囲のざわめきに露ほどの関心も払わず、最後の兜に向かっていた。その手には、刃渡り二尺二寸ほどの、塗料でもつけているのか、それとも特別な鉱石を打ったものなのか、赤い刀身の大刀が握られていた。
  鼠色の着流しに、三尺帯を結び、雪駄を履いている。背丈は、五尺三、四寸といったところだろう。雪国の出か、肌が白い。その上、眉が薄く、眉間から鼻、口 までの筋が整っているので、女のような容貌であった。額には、何故か不機嫌そうに深い皺が刻まれていて、それが辛うじて、少年が女と見まがわれることを防 いでいた。
 少年に、赤い刀、それに加えて女貌である。注目されるのも当然だった。浪人たちだけではなく、監督役の三人の武士たちですら、少年を凝視している。
 注視の中、少年は赤刀を大上段に構えた。たちまち、まるで敵と相対しているかのような、凍りつくような殺気が立ちこめた。ただ道場で修練を積んだ人間の放てる気ではない。明らかに、この少年が人を斬ったことがあることを周囲の人間は悟り、はたと沈黙が降りた。
 刹那――少年の躯が動き、赤い閃きが兜に振り落とされた。
 果たして、兜は薪(まき)のように二つに割られた。
 少年は刀を検めた。赤い刀身は曲がるどころか、傷一つついていないようだった。
 またも大きなどよめきが起こった。その中を、監督役の武士たちが横切っていく。武士は少年の元へやって来ると、割られた三つの兜を一つ一つ確かめた。
「確かに、仕おわせたようですな」
 武士の一人が満足そうに云った。
「名は?」
 額に皺を刻んだまま、少年は少々甲高い声で答えた。
「連兵吾(つらひょうご)と申します」
 

 役人たちに名を告げると、兵吾は屋敷の端に建てられた道場へと通された。板敷きで、作りが悪いのか、採光のよくない、暗い道場だった。兜割りの前にもここに集まっていたので、またここに戻ってきたことになる。
 兵吾が道場に入ると、一人の少女が出迎えた。
「早かったな」
 黒い着流しを纏った、漠とした貌の少女であった。本人の弁では、歳は十六ということだったが、娘らしさはどこにも見あたらず、髪は肩まででざっくりと斬られ、腰には刀を一本差している。兵吾の家臣、長尾伊月であった。
「上手くいったようで、良かった」
 ああ、と兵吾は答えた。相変わらず不機嫌そうだったが、額の皺が若干弛んでいるのに、伊月は気づいていた。機嫌のいい証である。
「次は鎧でも割るのか?」
「沙汰あるまで待機、だそうだ」
 兵吾がそう告げてやると、伊月は「面倒だな」と呟いた。
「今日のうちに、さっさと終わらせるわけにはいかないのか?」
 率直な物云いに、兵吾は思わず苦笑した。
「大事な家臣選びだ。そうもいくまい」
 坂砂城下に、家中新規召し抱えの触れが出たのは、三日前のことであった。
 太平の世の中である。戦時中ならいざ知らず、平和な世になっては、刀を振り回すしか能のない武士など無用の長物である。どこの国も、自国の武士を喰わせることに汲々としていて、新たに家臣を望むことなど滅多にない。
  そこにこの触れである。しかも、選考は武辺のみによって行われ、周旋状や縁故が必要ないというのだから、浪人たちが殺到するのも無理ないことだった。兵吾 もまた、その一人であった。そして、殺到した浪人者が集められたのが、この寒川新三の下屋敷であり、第一の試しとして行われたのが兜割りだったのである。
 半刻もすると、兜割りもあらかた終わったようで、浪人たちが続々とやって来た。兜を割れなかったものは屋敷を出されたようだが、それでもまだ道場にいる浪人者は十人を超えていた。
「かなり減ったな」
 と伊月が道場を見渡した。
 いや、と兵吾が云った。
「これでも多いほうだろう」
「そうか? 兜を三つ割るだけじゃないか?」
「兜なんて、そう割れるものじゃない」
 伊月の軽い言葉に、兵吾はうなるように云った。実は、兵吾も実際にやるまでは、あまり自信がなかったのである。
 当たり前のことであるが、兜は鉄で出来ている。それも、戦場で槍、刀、矢を防ぐために、ことに堅く作られているのである。それを同じ鉄で作られた刀で両断するのだから、その難しさは巻藁の比ではない。達人が名刀を握ったとしても、失敗することがあるのである。
 そう兵吾が話してやったが、伊月は「そうか」と判ったふうな返事をするだけだった。それでいて、たとえ兜が三段重ねにしてあっても、あっさりと両断しかねない娘であった。
「しかし、難しいという割には、けっこう残っている」
「兜が粗悪だった」
  兵吾たちの前に据えられたのは、いかにも鉄が薄く、錆の浮いた、とても戦で使えないような兜ばかりだったのである。しかも、それを一刀で斬らなくてよかっ た。何回も刀を振るっていいのである。それどころか、刃を兜の上に置き、峰に足をのせて踏み割っていた者もいた。それなりの心得があり、刀一本を無駄にす る覚悟があれば、さきの試しを突破するのは訳もないのである。
「兜が余っていたのか? 変な家だな、ここは」
「…………」
 黙していながらも、内心は兵吾も伊月と同じだった。粗悪なものとはいえ、本来なら武士の身を守るはずの兜が、三つも並んで割られている光景は、どことなく陰惨なものを感じさせた。
 昼になると、兜割りのときに居た、役人体の武士が入ってきた。武士は浪人たちの腕を褒め、ねぎらうと、明日からが本試しだと云った。
「明日は木剣にて試合をして頂く。これにて、残った十二名を六名に絞る。そして、その六名の中から、明後日の試しにて、召し抱える者を決める」
「ちとよろしいか」
 と声が上がった。顎に髭を生やした壮年の浪人であった。
「明日は木剣での試合とのことですが、明後日の試しは何をするのですかな?」
 武士の返答はにべもなかった。
「それは某(それがし)の口からは云えぬ」
「それは何故?」
「それも云えぬ。どうしても知りたければ、明日の試合に勝ち、明後日、ご自分で確かめればよろしい」
 はねつけるような口調だった。
「他には?」
 と武士は見回したが、兵吾を始め、浪人たちは何も云わなかった。何を云ったところで、肝心なことを話さないであろうことは明白だった。
「けっこう」
 と武士は頷いた。
「なお、云い忘れていたが、明日、明後日の試しが終わるまで、そこもとたちには、この道場に留まって頂く。庭を少し歩く程度ならよいが、屋敷を出ることは罷りならない」
「どういうことだ」「そんなこと、聞いてないぞ」
 浪人たちの間に、動揺が起こった。軟禁を告げられたようなものである。兵吾の額の皺も、ますます深くなった。
 武士はあえてそれを無視したように、
「さきの規則、ゆめゆめ忘れぬように」
 と云うと、浪人たちの不平不満の一切に背を向けて、出て行ってしまった。
 武士のあまりの振る舞いに、浪人たちの何人かは気色ばみ、立ち上がろうとする者もいたが、武士を追いかける者はとうとう現れなかった。誰もが勝手なことをして武士の不興を買い、それが仕官の妨げになることを恐れていたのである。
 ――それに、禁足と云っても三日のことだ。
  そう兵吾は思った。どういった事情があるのか判らないが、それくらいなら従っても害はない。寺社仏閣と同様、武家にも常人には理解しがたい様々なしきたり がある。いちいちそれに反感を持っていては、とても仕官など出来ない。伊月などは、「宿代が浮いた」と云って喜んでいた。
 やがて、昼餉の膳が運ばれてきて、浪人たちの間に流れていた不穏な空気も、自然と和やかになった。扶持のない浪人にとって、何もしないで飯にありつけると云うのは、それだけで嬉しいことだった。
 女中が膳を運んできて、兵吾の前に並べたとき、隣で騒ぎがあった。隣の浪人の前に膳を運んできた女中が手元を狂わせ、浪人の着物に汁がはねたのである。浪人は怒りやすいたちだったらしく、女中に掴みかからんばかりに怒鳴ったのだが、それが兵吾の癇に障った。
「うるさいので黙って頂けないか」
 と兵吾が声をかけると、浪人は歯をむき出しにして睨んできた。すり切れた着流しを来た、三十過ぎほどの男だった。長年、浪人生活を続けているのか、武士というより町の破落戸に近いような風貌、言葉遣いだった。
「あァ? 文句あんのかよ!」
「ある。うるさいから黙れ、と云った」
 あまりに率直な物云いである。それを女貌でいかにも不機嫌そうに額に皺を刻んで云うものだから、妙に迫力がある。
 男は一瞬たじろいだようだった。だが、兵吾がまだ少年だと見ると、再び怒りを露わにして、
「……小僧、口の利き方に気をつけろよ」
「敬意を払って欲しいのなら、それなりの振る舞いをすべきだ」
「いっぱしの口を利くんじゃねェ! そういうのはな、その女貌が少しはマシになってから叩きな」
 女貌、という単語を聞いた瞬間であった。
「――なるほど」
 静かに、囁くように兵吾が呟いた。それを聞くや否や、隣でもくもくと食べ続けていた伊月が兵吾の膳を纏め、自分のものと合わせて道場の端に運んでいく。
 兵吾は立ち上がると、おもむろに赤刀を抜きはなった。
 その瞬間、あたりが騒然となった。飯の世話をしていた女中たちは悲鳴を上げて逃げ、近くにいた浪人たちも巻き添えを恐れて離れていく。
 残されたのは蒼白になった男と、額の皺をますます深くした兵吾だけである。男に怒鳴られていた女中は真っ先に逃げていた。
「どうした? 抜かれよ」
「抜けって……おまえ、斬り合いを始めるつもりか!」
「無論。言葉で判らぬのなら、剣にて正否を問うは武士の必定」
 兵吾は赤刀を青眼に構えた。その眼からは、紛れもない殺気が放射されている。
 男は腰に大小二本の刀を差している。しかし、抜かなかった。いや、抜けなかったのである。赤い刀を見て、兵吾がたやすく兜を割っている光景が思い出されていた。抜けば、即座に斬り殺される。
 そのまま数秒が過ぎようとしたとき、パンパンと手を叩く音とともに、浪人の一人が二人の間に割って入った。
「ここまでやればもう十分でござろう。ささ、双方退かれよ」
 そう云って、浪人は男と兵吾に笑いかける。さきほど武士に質問していた、壮年の髭の浪人だった。
 浪人は男に向き直ると、
「お主も頭が冷えたであろう。裏に井戸があった。どうだ? ここで騒ぐより、早く汚れを洗ってくるべきだと思うがの?」
「そ、そうだな」
 男は救われたように頷き、逃げるように道場を出て行った。
「他人の果たし合いに割って入るとは、感心しませんな」
 兵吾が浪人を睨んだ。その眼光を、浪人は平然と受けて見せた。
「儂とて、誰が誰と斬り合おうが、いっこうに構わん」
 だが、あれを見よ、と浪人は膳に盛られた昼餉を指さした。
「豆腐のみそ汁に茄子の和え物、何より白米! お主らが斬り合うと、そこに血が飛び散ってしまうのでな。儂はそんなものを口にするのはご免蒙る。お主とて、他人にそんなものを馳走して無用な恨みを買いたくはあるまい?」
「……なるほど。これは失礼しました」
 まるで噺家のような剽軽な言葉に、さすがの兵吾も苦笑して刀を納めるしかなかった。
 兵吾が刀を納めると、伊月が膳を持って戻ってきた。そのまま、何事もなかったかのように、兵吾の前に置く。
「血から守っていたのか。出来た妻女だの」
 伊月の淡々とした様子を見て、浪人が感心したように云った。だが、伊月に睨まれて、首をすくめた。
「家内ではありません。家臣です」
 苦笑しながら、兵吾が訂正した。
「家内ならば、こんなところに連れては来ません」
  武家において、家の奥と表は厳格に別けられている。奥向きに関することは一切を妻女がとりしきり、夫は口を出せない。しかし、その代わりに、表向きに関す ることは亭主が全てを管理し、妻女は決してそれに関与できなかったのである。従って、夫婦揃って外出などあろうはずもなく、ましてや、いくら浪人とはい え、こうした仕官の場に連れて来られるはずもなかった。
「それもそうですな」
 浪人はどことなく寂しげに笑った。と同時に、どかっと兵吾の隣に――さきの男が座っていた場所に腰を下ろし、倒れた椀や皿を直して箸をつつきだしながら、
「儂は石矢浩介と申す」
 と名乗った。どうやら、居座るつもりらしい。
 兵吾と伊月が名乗ると、
「しかし、兜割りのときもそうだったが、凄い腕だの」
 と白米を口に運びながら云った。
「儂がお主ぐらいの頃は、刀のほうに振られておったわい。若者は軟弱になったとよく聞くが、お主を見てると年寄りのほうが弱くなった気がする」
  と石矢は嘆息して見せた。表情の豊かな男であった。丸貌に肥満気味の丸い躯で、顎に生えた髭もどこか愛嬌がある。浪人にしては垢擦れのないきれいな身形を していて、どこか憎めない。鬢(びん)に白いものが混じっていることから、四十は超え、五十の坂にさしかかっているところだと思われるが、声に張りがある ので若く見えるようだった。
「だが、剣の腕と比して、人間のほうはまだ練れていないようだの」
 そう、石矢は兵吾に意地悪く笑った。
「お主ほどの腕だ。それに若い。これまでに幾度か仕官の道はあったはずだ。だが、それを今日のような刃傷沙汰でことごとく潰してきた――そうでないかの?」
 兵吾は貌を赤くした。図星であった。今日ものことも、石矢が仲裁に入らなければ、兵吾が屋敷を追い出されていたのは間違いなかった。
「そこの嬢ちゃんも似たようなものだろ?」
 伊月はそっぽを向いた。
 もったいないの、と石矢は笑った。
「少し堪(こら)えればよいことは、お主たちも判っておろう。その少しが重要なのだがの」
「確かに、さきのことは私の過ちでした」
 と兵吾が云った。
「ですが、武士の意地というものがある」
 それ、それがいかんのだ、と石矢は手をパタパタさせた。
「武士の意地などと云うがの、そんなものに拘っていると、いつか身を崩すぞ。全くもって視野が狭い。一度、町人の真似事をしてみなされ。まこと、生きるということは、多彩な芸を必要とすることに気づかされるものよ」
「石矢どのはしばらく町に?」
「おう。主家が潰れ、浪人して以来、油問屋の手代をやっておった。初めは武家の癖が抜けなくて苦労したものだ」
「なら、どうしてこんなところに来たんだ。ずっと油を売っていればいいじゃないか」
 そう伊月が云った。
 とたんに、石矢の貌が渋くなった。
「潰 れたんだよ、その油屋も。隣の火の不始末が原因での。町をまるごと覆うような火事で、ひとたまりもなかった。町人というのは、ああいうときは素早いものだ の。あっという間に逃げおった。しかし、儂は鈍かった。火事の中、倅(せがれ)と娘と一緒に、必死で帳簿を探しておった。帳簿を見つけたはいいが、そのせ いで倅と娘を死なせてしもうた」
 一時はこのまま隠居を決め込もうとしたが、と石矢は云った。
「あいにく、妻は病身。薬代も安いものでは ない。そこで、昔とった杵柄ということで、袴などは売ってしまったが、残してあった着流しやら大小やらを引っ張って来、さして望みもない仕官話にすがって いる、というわけだ。――最後の最後で、儂には芸が足りんかった、というわけだの」
「…………」
「お主らも、下らん意地に拘るのはやめなされ。今にして思えば、火事の中、必死に帳簿を捜していた儂には、やはり武士としての意地があったようだ。武士として、火事くらいで逃げられるものか――そういった下らぬ意地が、倅と娘を死なせたのだの」
 兵吾は黙って白米を噛んでいたが、やがて飲み下すと神妙な貌になった。
「しかし、それでは、石矢どのもまた、武士の意地に拘っておられるように見えます」
「……どういうことだの?」
「長く町人をしていたのなら、どうして最後まで町人にならなかったのです? 妻女のために稼がなければならない。だが、その手段として石矢どのは主取りを選んだ。そこに、石矢どのの武士の意地があるように、私には思われます」
 石矢はしげしげと兵吾の貌を伺った。いたく真貌であった。隣の伊月も同じである。自分は間違ったことをしていない、という確信に満ちていた。
 ふと石矢が笑った。
「いかん、いかんのう、お主らは。血生臭いわりに、霊山の清流のように純粋だ」
 とさらに石矢は笑った。声がもれるような、大きな笑いであった。
「儂がどうしてこんな話をしたのか、判っておるのか?」
 兵吾と伊月はきょとんと貌を見合わせた。
「忠告をし、身の上話をすることで、明日の試合で儂を相手にしたとき、手を出しにくくするために決まっておるだろ」
「は……?」
 石矢は兵吾に振り向いた。
「どうだ? 儂に同情していただろ?」
 兵吾は答えなかった。これまた、見事に図星だったのである。
 また一頻り笑うと、石矢は立ち上がった。
「まともにやって勝てるわけないからの。そういうときは、こうした搦め手を遣うものだ。覚えておかれよ」
 そう云って、石矢は立ち去っていった。軽々とした後ろ姿だった。後には、呆気にとられた兵吾と伊月が残された。

 
 明くる日になると、朝から木剣での試合があった。一刻ずつ二名が呼ばれ、庭で試合をするのである。勝ったものはまた道場に戻って来、負けたものは屋敷を出された。
 兵吾はそうそうに試合を終わらせ、道場に戻っていた。
 することもないので、道場の隅で本を広げ、伊月に文字を教えていると、ふいに声をかけられた。
 見ると、昨日怒鳴って兵吾に刀を向けられた男が立っていた。
「何か?」
 ゆらりと兵吾が立ち上がると、男が慌てて、
「昨日の続きをしようってんじゃねえよ」
 と云った。
「あの髭の親爺を捜してるんだ。どこに居るか知らねえか? 俺の相手なんだが、呼ばれてるのに来ねえんだよ」
「道場にいないのか?」
「ああ。後、半刻ほどで試合だから、このままだと俺の不戦勝になっちまう」
 それはそれで構わねえんだが、昨日世話になったから忍びなくてな、と男は頭を掻いた。一日経って気も落ち着いたのか、さっぱりとした態度だった。
「事情は判った。石矢どのは私たちが捜しておこう。貴公は試合場に戻られよ」
 兵吾はそう云って、伊月を伴って外に出た。依然として、屋敷から出るのは禁じられている。ならば、道場にいないのなら、屋敷のどこかにいるはずだった。
「あの爺(じじい)を捜すのか」
 伊月は渋るように云った。からかわれたのが気にくわないようであった。
 逆に、兵吾は石矢に親しみを感じていた。自身、融通の利かないたちであることを自覚しているので、石矢の柳のようにしなやかな話しぶりは聞いていて心地よかった。
「歳の功というものだろう。私たちに足りないものだ。事実、昨日の仲裁ぶりは見事だったじゃないか」
「口の上手いやつは信用できないぞ」
 そうこうしながら、二人して屋敷内を捜したのだが、石矢の姿はなかった。人に問うてもみたが、判ったのは今朝早く石矢が道場を抜け出し、以来戻っていないらしい、ということだけであった。
 藁にもすがる思いで、屋敷の家人たちの住む長屋も尋ねたが、そこにも石矢の姿はなかった。
 いよいよ、兵吾の額の皺も深くなった。
「よもや、外に出たのか」
「しかし、出られるようには見えないが」
 伊月が顎をなでながら、屋敷にめぐらされた塀を眺めた。
 屋敷の門という門は、全て警護の武士に塞がれていた。出るとしたら、塀を上るしかない。
  塀の丈は九尺ほどである。何かを伝(つた)えば上れないこともないが、伝えそうなものがなかった。こうした武家屋敷には、景観のため、庭のそこここに松や 梅などが植わっているものだが、それらが一切ないのである。さらに、塀の上には忍び返しまでついていて、外からの侵入はむろんのこと、中からも出ることは 叶わないようであった。
 そろそろ中天にかかろうという日を受けて、白々と光りそびえる塀を見渡しながら、兵吾はふと牢獄に捕らわれているような感覚に襲われた。四方を自然に囲まれ、人の往来がないということも、その感を強くした。
 二人して途方に暮れていると、
「もし――」
 と声がかけられた。
 そこには一人の女中が立っていた。品のいい言葉の響きから、武家の娘であるようだった。歳は、二十を少し超えたぐらいだろうと思われた。
「石矢さまを捜しておられるというのは、あなたがたですか?」
「そうですが」
「ああ、よかった」
 と女は胸に手をあてた。
「あの方なら、今朝早くにお屋敷を出られましたよ」
「まことですか?」
 兵吾の眼が見開かれた。伊月が隣で顎に手を添えている。
「しかし、石矢どのはどこから屋敷を出られたのですか?」
「抜け道があるのでございます」
 武家屋敷は文字通り武家の屋敷である。尋常の屋敷とは違い、倉には弓槍刀が納められ、厩舎もあり、合戦に巻き込まれることを想定して造られているものも多々あった。いざというとき、主を逃すために抜け道があったとしても、不思議ではない。
「何でも、石矢さまには病身の奥方がいらっしゃり、どうしても心配なので、出来れば会いに戻りたいと仰りますので、哀れに思いまして私の独断で抜け道を案内させていただきました。ですが、大事な試合の場に来られないなんて…………」
 と女は語った。
 伊月が兵吾を見上げた。その眼は、「どう思う?」と語っていた。
 兵吾はしばし宙を睨んでいたが、やがて女に向き直った。
「私たちも、そこに案内して頂けますか?」
「はい」
 と女は頷いた。その眼が、かすかに光ったようであった。

 抜け道は、涸れ井戸の中にあった。縄梯子をおろし、井戸の底に降りると、幅一間、高さ八尺ほどの道が造られていた。
 案内の女を先頭に、伊月、兵吾の順で三人はその道を歩いていた。陽光など入るすべもないので、道はひどく暗く、女の持つ燭台の明かりのみが頼りであったが、それも小さく、全てが影のようにしか見えなかった。
 兵吾はかすかにぬかるむ足下を見ながら、ふと尋ねた。
「慣れておられるようですが、この道はよく使われるのですか?」
「いえ」
 女は静かに否定した。
「あくまで大事のときに使う道ですので、私も滅多に使いません。近頃では、石矢さまが使って以来です」
 前を歩いていた伊月が、身じろぎしたようだった。こちらを振り向いたのだろう。
 兵吾は頷く仕草をしてやった。眼には見えないが、つい最近、この道を使った人間がいることは、足元のぬかるみの感覚で判った。石矢一人ではない。少なくとも、十人は超えるだろう。
 光が見えた。出口である。女の話では、この道は屋敷の北の山に出ると云う。
 さきに女が出て、兵吾たちを手招きした。伊月が出ようとしたとき、ぴたりと立ち止まった。
「血の臭いがするな」
 女の表情が凍った。
 その瞬間――伊月と兵吾は抜刀しながら光の中に飛び出していた。と同時に、左右の茂みから編み笠を被った男が三人、刀を手に襲いかかってくる。
 胸元にのびてきた刀を跳ね上げ、兵吾は男の一人に相対した。
 男は、
「うぬッ!」
 とうめくと、八双に構えた。奇襲に失敗したのは初めてなのだろう。その構えには焦りがあった。
 兵吾は赤刀を青眼に構え、氷のような殺気を男に浴びせる。背後で伊月がすでに一人を斬り、三人目に向かっている気配があった。
 それに焦って男が動こうとした瞬間に、兵吾はすでに間合いに入っていた。男が構えた刀を振り落とさんとしたときには、赤刀が一筋の疾風と化し、男の躯を存分に斬っていた。
 男が倒れた後も、兵吾は構えを崩さなかった。しげみの奥に、まだ一人残っていることに気づいていたのである。
 だが、その一人は姿を表さなかった。ただ一言、
「仕掛けの妙、確かに見させてもらった」
 と声がした後、すっと気配が消えた。退いたようであった。
 追おうとすると、しげみの中に人が倒れているのが見えた。
 石矢であった。手に大刀を握り、眼を見開いて仰向けに倒れている。その胸には、黒々とした穴が一つ、穿たれていた。
 心の蔵をひと突き。即死である。
 兵吾は刀を納め、石矢の眼を閉じてやった。
 背後を振り返ると、伊月が逃げようとした女に刀を突きつけていた。あっという間に二人を斬り捨てた伊月に睨まれ、女の貌は恐怖に引きつっている。
 その女の前に、兵吾はゆっくりと立ちはだかり、冷眼を浴びせた。
「さて、事情を説明して頂こうか」
 
  女の話によると、事の起こりは三年前、名君と名高かった坂砂(さかさご)城城主、有間荘成(ありましょうじょう)が三十七の早さで病死し、跡をわずか十四 歳の子息、有間貞資(ていし)が継いだことだと云う。この若き主君には、英邁にして温厚な父とは似ても似つかぬ性癖があった。
 貞資は血を見るのが何よりも好きだったのである。それも、武士と武士が斬り合い、死戦の末に血を流して倒れる姿を見るのが、一等好みであった。そのため、貞資は何かと理由をつけては家臣同士を自分の前で斬り合わせたと云う。
  当然のことながら、貞資の振る舞いは家臣の激しい反発を招いた。だが、貞資は逆らうものには容赦なく切腹を申しつけることでそれを抑えた。わずか十四歳と はいえ、一城の主である。その命令には誰も逆らえなかった。その結果、父祖代から仕えていた坂砂城の家臣は、あるものは去り、あるものは切腹させられ、潮 が干くように城からいなくなった。
 このままでは、有間千石の屋台骨が残らずなくなってしまう。いや、それどころか、貞資の所行が崇国国主の耳にでも入れば、すぐさま家が取り潰されるのは間違いない。
 そこで一計を案じたのが、筆頭家老、寒川新三であった。寒川は巷に溢れる浪人に眼をつけた。どうにかして浪人を集め、その者たちに真剣試合をさせることによって、貞資を満足させようとしたのである。
 そのために造られたのが、あの新規召し抱えのお触れであった。仕官を餌に浪人を集め、兜割り、木剣の試合にて選りすぐり、三日目の真剣試合において、壮絶な斬り合いを見せて城主を楽しませるのである。
「なるほど。私たちは闘犬扱い、というわけか」
 兵吾が自嘲するように宙を睨んだ。
 浪人たちに禁足を命じたのは、屋敷から逃亡され、貞資の所行を暴露されるのを防ぐためであった。あの屋敷はまさしく闘犬を飼う檻だったのである。そして、一度檻に入れられた犬は、二度と外に出ることはなかった。
「だが、真剣試合といっても、勝者がいるはずだ。それも殺すのか? やっとの思いで勝利を手にし、満身創痍の者を無惨にも」
「お家のためでございます」
 女はそれだけを云った。貌を上げようともせず、ただ頭を下げているだけであった。
「何が家のためだ!」
 伊月が吐き捨てた。いつもの漠とした貌は崩れ、明確な怒りが顕れていた。
「本当に家のためを思うなら、命をかけて主君に諫言(かんげん)すべきだ。主君に談判し、殴り、それでも駄目なら主君の首を刎ねた後、自分の腹を斬るべきだろう。お前たちはそれが出来なかっただけじゃないか。我が身大事の臆病者が!」
「それだけではない」
 兵吾はさきほど斬った三人を思い出していた。それは、兜割りのときに居た、監督役の武士であった。
「家だけのことを考えるのなら、何も知らぬ石矢どのや我らを襲うわけがない。――貴様らも楽しんでいたな。人殺しを」
「…………」
 女は応えなかった。だが、その身を震わせているだけだった。その震えが、兵吾の言葉を認めていた。
「城主どころか、家中揃って下衆(げす)か。救いようがないな」
 伊月が吐き捨てた。それから、兵吾に向き直る。
「これからどうする? このまま出て行くか?」
 跪き震え続けている女を、兵吾は冷たく見下ろした。
「まずは道場に居る浪人たちに事情を説明し、屋敷から出させる。この女を連れて行けば、みな納得するだろう。さきに一人を逃したため、恐らく備えがあるだろうが、伊月、お前が先頭に立って突破しろ」
「貴方はどうする?」
 兵吾は無惨に殺された石矢を思った。石矢の話は、本当だったのである。いや、兵吾の気を逸らすため、というのも、あるいは本当だったかもしれない。
 だが、石矢は最後でそれを撤回した。
 石矢の武士の意地がそうさせたのである。敵わぬと云いながらも、お互い真っさらな心で、兵吾と相対することを望んだのであった。
 ――弔い、などは思うまい。ただ、私もまた、私の武士を見せなければならない。
 そういう強い想念が、兵吾を満たしていた。
 兵吾の様子から、伊月は委細を察知したようであった。しかし何も云わず、ただ黙したまま、おのが主を見守っていた。


 そして三日目である。
 坂砂(さかさご)城筆頭家老、寒川新三は有間家臣団きっての切れ者と噂されていた。五尺七寸の肥満した巨躯に、五十を過ぎ、人生の辛酸でなめされたような皺と紙魚(しみ)にまみれた貌の乗っている姿は、まさにその噂に相応しい威厳があった。
 その寒川が、何かに耐えるようにぐっとうつむいていた。
  下屋敷の広縁である。眼前には芝生の庭が広がり、今、その芝生の五間四方が切り取られ、白砂が敷かれている。白砂の左右には床几(しょうぎ)がいくつも置 かれ、そこに坂砂城の重臣たちが座り、不安そうに寒川を見詰めていた。いや、正確には、寒川の隣に座っている人物を見詰めていたのである。
 そこにいたのは、わずか十七歳の彼らの主、有間貞資であった。眼の垂れ下がった、愚鈍そうな貌付きであった。後を継いだときは、その鈍そうな貌を見て、家臣一同、これならば執政の邪魔にはなるまい、と安心したのが遠い昔のことのように思える。
 いったい、誰がその異常性を予見できただろうか。貞資の血を好む性癖を認めたとき、家臣の誰もが凍り付いたものだった。
 ――だが、その性癖さえ満たせば、ただの少年ではないか。
  寒川だけはそう思っていた。寒川に云わせれば、浪人などいくらいても何の益もない、害虫のようなものである。奉公する主を持たなければ、商人のように利を 生まない。町人のように定住することもせず、ふらふらと流れ渡り、ときには刃傷沙汰を起こす。そんな連中を使い捨てて主の慰めになるのなら、安いものであ る。満足して大人しくなった主を頂き、城下のことは自分たち重臣が執政する――それで上手くいっていたのである。
 だが、それが崩れようとしていた。
 貞資は眼を輝かせ、白砂を食い入るように見詰めていた。そこで、この少年の大好きな、壮絶な死戦が演じられるはずなのである。
「のう、寒川。まだか?」
「……は。しばらく」
 応えながらも、寒川は内心絶望していた。昨夜のうちに、戦わせるはずだった浪人たちがこちらの意図を察知し、全て脱走してしまったのである。
 ――害虫どもが小賢しくやりおって!
 昨夜から何度もそんな怒りにかられていたのだが、浪人がいなくなったことは覆せない。討手をさしむけたが、予測されていたらしく、ことごとく斬られてしまった。
「寒川! まだなのか?」
 貞資が再び催促した。眼がわずかに血走っている。浪人たちがこの屋敷で行われていることを叫べば、有間家はおしまいである。だが、今は遠くのことよりも目先のことである。貞資をこれ以上待たせることは出来なかった。
 ――こうなった以上、家臣の誰かが斬り合うしかない。
 寒川が悲壮な決意をしたとき、庭に何者かがゆっくり現れた。
 それは、額に皺を作った少年であった。

「連兵吾(つらひょうご)、最後の試しに挑むべく参上いたしました」
 白砂の上に立つと、兵吾はそう述べて、広縁に座る二人を睨んだ。貞資は満足そうに何度も頷き、寒川は驚愕に眼を見開いている。
「その方、一人か?」
 ようやく、寒川がそれだけを云った。
「そのようです」
「他は?」
「私の与り知らぬことです」
「何故、来た?」
「来てまずかったことでも?」
 淡々と応えたものである。しかし、その眼は平然としていなかった。兵吾の眼の奥には、赤い炎が渦巻いていた。それが兵吾の怒りを如実に表している。ただ最後の試しを受けに来たことでないのは、誰の眼にも明らかだった。
 貞資が焦れて叫んだ。
「何をしているんだ。早く始めよ!」
「しかし、一人では……」
「村瀬を出せばよかろう。最後の一人はいつもあやつが斬っておるだろうが」
 これまでの所行を隠そうともしない貞資の言葉に、兵吾の皺はより深まった。
「承知しました」
 いたしかたない、というように、寒川は頷いた。村瀬は家中きっての遣い手である。貞資の言葉は軽率だったが、村瀬が斬ってしまえばよいのである。
 やがて、瓜のような長い貌をした痩身の男が、兵吾の前に現れた。三十にも満たない、若い男である。だが、体躯には数々の人を斬ってきたと思しき、黒い影が佩(は)かれていた。
「また会ったな」
 村瀬はにたりと笑った。昨日、しげみで兵吾に「仕掛けの妙、確かに見させてもらった」と浴びせた男に相違なかった。
「石矢どのを殺ったのは貴様か?」
「名など知らぬ。ただ昨日、老いぼれを一人、あの世に送ってはやったがな。それが今日は若造……忙しいことだ」
「では、第三の試しの始め――」
「必要ない!」
 寒川の言葉を遮り、兵吾は抜刀した。同時に、村瀬も刀を抜く。
 兵吾は青眼に、村瀬は八双に構えた。三間半の距離を置き、二人から夥しい殺気が放射される。
 二人は円を描きながら、隙を伺い、じりじりと間合いを詰めた。そして、その距離が二間になんなんとしようとしたとき、村瀬の動きがぴたりと止まった。すると、まるで壁にぶつかったかのように、兵吾の動きも止まった。
 村瀬はまたにたりと笑って見せた。兵吾の剣を読んだと告げているのである。
 一足一刀の間境(まざかい)というものがある。一足に踏み込み、相手を斬ることのできる間合いのことである。逆に云えば、その間境を超えなければ、相手を斬ることは叶わない。
 人間がもっとも無防備になるのは、動こうとするそのときである。今まさに動かんとしたとき、人の躯は一瞬の硬直を見せる。その妙を極めたのが、兵吾の技であった。
 すなわち、己の間境を厳粛に取り決め、相手がまさにそこを超えようとしたその刹那に、兵吾の剣は疾風の速さを以て放たれる。それを避ける術はない。
 相手の仕掛けを受ける後の剣と見せてその先を取る――それが兵吾の剣であった。
 たった一度の兵吾の戦闘を見ただけで、村瀬はそれを読んだと告げたのである。
 凄まじい腕と云えた。だが、その剣の腕で、試合に疲れ果て、疲労困憊した浪人たちを塵のように斬り捨てているのである。
 ――このような輩に、私の剣が読まれるとは!
 兵吾の怒気が増した。感情の炎のゆらめきが、全身から上り立つようだった。
 その様子を見て、寒川を始め、列席した家臣の中で、多少なりとも剣の心得のある者は、村瀬が勝った、と思った。兵吾の怒りを、動揺と取ったのである。怒りに心が乱れた者に、村瀬が負けるはずはなかった。
 対峙したまま、二人は動かなかった。焦れて先に動いたほうが負けるのである。村瀬はしゃくしゃくと、兵吾は怒りを燃やしながら、じっと時を待った。
 やがて、一陣の風が吹き抜けたとき、村瀬と兵吾は同時に動いた。
 村瀬の刀が、八双から凄まじい突きとなって兵吾を襲った。石矢の心の蔵を正確に刺し貫いた、魔の刺突である。
 兵吾の刀がそれを払おうと動いた瞬間、村瀬の貌には喜悦が走った。
 突如として、刀が引かれた。払おうとした刀をすかされ、兵吾の躯がわずかに前へ崩れる。そこを狙うように、村瀬の半身は、すでに次の動作の準備に入っていた。
 二段突きである。これこそ、村瀬の必殺の技であった。
 兵吾が左右に飛び、無理にそれをかわそうとすれば、あるいはその命はなかったかもしれない。
 だが、兵吾はそれを選ばなかった。その必殺の二発目が放たれようとしたとき、崩れた姿勢のまま、爆発的な速さで向かってくる刀に突っ込んだのである。
 間合いを外され、村瀬の刀は兵吾の肩を擦過しただけだった。と同時に、兵吾の肩が村瀬の胸を打つ。よろめいた村瀬が見たのは、炎眼を極め、赤刀を下段に構えた兵吾であった。
 火の出るような逆袈裟斬りが放たれ、村瀬の胸から血煙が吹き出した。
 村瀬は二、三歩よろめくと、そこで力尽きて倒れた。
「…………」
 押し潰すような沈黙が、あたりを覆った。寒川も家臣団も、いつもは手を叩いて喜ぶ貞資ですら、言葉を忘れたように黙っていた。誰も、村瀬が負けるとは思っていなかったのである。
 兵吾は血振りをすると、ゆっくり寒川と貞資の座る広縁に歩き出した。眼は憤怒に染まり、手には赤刀を下げたままである。
「ま、待て! それ以上進むことは罷りならん」
「…………」
 慌てて飛び出してきた家臣の一人を、兵吾は無言で斬り捨てた。
「――なっ!」
 あまりの振る舞いに、左右の家臣たちが一斉に立ち上がった。だが、抜刀し、兵吾の前に立ち塞がろうとする者は、一人もいなかった。それが出来る人物を、坂砂城はすでに無くしていた。
 やがて、兵吾は寒川と貞資の前に立った。
 貞資は魂を抜かれたように兵吾を眺めている。
 寒川が唸るように云った。
「何が望みだ?」
「望みはない。ただ、私と殺された浪人の意地、それを見て頂くために参上した」
 云うや否や、赤刀が翻り、寒川の首を刎ねた。
 寒川の首は宙を舞い、貞資の膝に落ちる。
「ヒッ、イ……っ!」
 声にならぬ叫びを上げながら、貞資は寒川の首を振り落とし、何とか兵吾から逃げようと後ろへいざった。闘犬を楽しんでいた少年が、犬自身に襲われて初めて、その残虐さを理解し、囚われたようであった。
 だが、何もかもが遅かった。兵吾は広縁に上がり、貞資を見下ろした。
「た、助けて」
 応えは、赤刀を以てなされた。
 



 伊月――「奉公人として」

「うーん……」
 三ッ巻と巾着を前にして、漠とした貌のまま長尾伊月(ながおいづき)は唸っていた。背丈五尺そこそこの、十五、六歳ほどの少女である。髪は肩あたりでざっくりと斬られ、娘らしい小袖ではなく、黒の着流しを着込み、長刀一本を腰に差し、胡座をかいでいる。
 町外れの、廃寺の方丈である。そこに伊月は、彼女の主である連兵吾(つらひょうご)とともに居座っていた。
 一昨日までは町の宿場に泊まっていたのである。事は、一昨日の夕刻に起こった。
 主人の兵吾が外出から戻って来て、額の皺を深めながら、開口一番に、
「下緒(さげお)というのも安くないものだな」
 と云ったのである。
 下緒とは、鞘に通し、刀が帯から落ちないように巻き付ける紐のことである。だいたい六尺から八尺の長さで、刀や鞘などと比べると軽視されがちだが、刀を敵に奪われることを防ぎ、袖を絞る襷(たすき)代わりにもなるで、兵吾や伊月は重宝していた。
 兵吾のものは平革製だったのだが、つい先日、大刀の紐が擦り切れてしまったのである。そこで購いに出かけたのだが、有り金が足りなかったという。
 ふと伊月の背を冷たいものが走った。
「……兵吾。俺たちの手持ちの金、いくらだ?」
「覚えてないな」
 あっさりと云ってのけたものである。
 見てみるか、と兵吾は懐から三ッ巻と巾着を取り出し、伊月に放り投げた。その中身を検めた瞬間、伊月の眉がはねた。二つとも、中はほぼ空っぽだったのである。
 かくして二人は即座に宿場を引き払い、金のかからない廃寺に身を寄せたのであった。
「うーん」
 伊月は再び唸ったが、いくら唸ろうと金は増えない。
 十文銭が三つに、一文銭が二つ。宿代どころか、飯もろくに買えない。かけ蕎麦(そば)を二人で食べたらそれで文無しである。
 しかし、こういったことは初めてではなかった。
  伊月と兵吾は旅をしている。当てもない、流浪の旅である。一応、彼女の主人である兵吾の仕官という目的はあるものの、この太平の世に剣術しか能のない少年 を召し抱えようとする家はそうそうなく、また上手く行きそうになっても当の兵吾が騒ぎを起こすので、自然と町から町を流れる生活となってしまった。
  しかしこの旅人たちは、伊月にしろ、兵吾にしろ、金銭感覚というものに著しく欠けていたのである。とくに兵吾はひどかった。能無しと云っていい。金貨銀貨 をただの板きれとでも思っているのか、乞食にでも出くわすと、ポンと放り投げてしまう。見ず知らずの人間にも平気で金を貸し、催促もしない。だが、伊月も また、兵吾に、
「武士たるもの、浅ましく金に執着できるものか」
 と説明されると、それもそうか、と頷く娘である。そんな二人が旅をして いるのだから困窮しないわけがない。そして、金に困って初めて金の価値を知り、呻吟しながらもどうにか旅費を稼ぎ出し、旅をしている途中でその苦しみを二 人してケロリと忘れる、そんな生活を送っていたのであった。
 だが、これまでの生活の反省はともかく、現に今は金がないのである。まずはそれを何とかしなければならない。伊月の脳裏には、朝早く人足仕事に出かけた兵吾の姿が思い出された。
 鼠色の着流しに、色白の整った顔、わざとらしく作られた額の皺はいつも通りだったが、腰には脇差一本のみしか差されてなかった。下緒がないため、大刀は置いていくしかないのである。
「二本ないと落ち着かないな」
 と少し寂しげに出かけた主の貌を思い出しながら、
 ――俺が何とかしなくては。
 伊月は決意を固めて寺を出たのであった。
 

 一昨日まで伊月たちの泊まっていた町は、高良(たから)の町という。崇国の外れにある町だが、西に大川を持ち、南方を海に臨んでいるため、港町として栄えていた。
 その高良の町に、伊月は出ていた。内職を捜すためである。兵吾の人足仕事だけでは、実入りはたかがしれている。これまでも、金に困ったときは傘張りや籠作りなどでしのいでいたのである。
 人の殷賑にあふれる目抜き通りを職人町目指して歩いていると、
「伊月ちゃん?」
 と声がかけられた。
 見ると、伊月と同い年くらいと思しき少女が走り寄ってくる。伊月たちが一昨日まで泊まっていた宿場の女中、なつであった。少々喋りすぎだが、明るい、世話好きの娘で、兵吾も伊月も世話になったものだった。
 なつは伊月の前に立つと、大きく息をはいた。
「やっと追いついた。伊月ちゃん、足が速いんだもん」
「何か用か?」
「そうそう。連さまいない?」
「兵吾なら仕事に出かけたが」
「そんなぁ……」
 なつはすがるように伊月を見た。
「ねえ、どうにかならない? 相談したいことがあるのよ」
「相談?」
「そうなの」
 なつはくりくりとした眼を輝かせ、矢継ぎ早に語り始めた。
 相談というのは、なつの従兄弟のことらしかった。従兄弟は武家で、名を東平太(あずまへいた)といい、両親を早くに亡くし、二十二の若さであるが、東家二十石の主であった。役職は船廻組(ふなまわりぐみ)で、月に一度、高良の町に着く船の積荷の警護が仕事である。
 その平太が仕事のため高良の町を訪れていて、なつは幾度か会いに行ったのだが、様子がおかしいと云う。
「暗い貌をしてね、切腹させられるかもしれない、って云うのよ」
 なつはそう語った。
 初めはなつも本気にしなかった。平太には気の弱いところがあり、仕事で何か失敗をしていまい、大げさに怯えているだけだろう、と思ったのである。
 ところが、二度、三度訪れてもずっと怯えているので、これは尋常ではないと思い、歳の近い兵吾に相談しようとしたと云う。
「ねえ、お願いできない?」
「…………」
 伊月は腕を組んだ。何となく、東平太という人間が気にくわないのである。
 ――従姉妹とはいえ、町娘に、切腹させられるかもしれない、と語るとはどういう了見だ。黙って腹を斬ればいいじゃないか。
 出来れば、主をそんな人物で煩わしたくないのである。
 だが、なつには世話になっている。廃寺のことを教えてくれたのも、なつなのである。無碍にするのは躊躇われた。
「よし」
 と伊月は頷いた。
「俺が会おう」


 なつの話では、港には水夫のための宿が幾つもあり、船廻組の人間はそこに専用の宿を持っていて、平太もそこに泊まっていると云う。
 宿といっても、実態は長屋のようなものだった。岸壁の上に立ち、昼下がりの陽に照らされた海がよく望まれる。だが、見晴らしの代償もそれなりにあるようで、宿の壁や床板は潮風にやられていて、歩くとひどくきしんだ。
  伊月がおとなうと、平太は眼を丸くして出てきた。背の低い、肥満した男である。青年と云うべき歳のはずだが、ぽかんと開けられた口を初めとする貌立ちに は、まだ少年の面影が強く残っていた。にもかかわらず、躯中にくたびれた感が漂っていて、あまり眠れないのか、眼の下には隈が出来ていた。
 伊月が事情を話すと、平太は、
「はあ」
 と判ったような判らなかったような返事をして、伊月を招き入れた。
 五畳ほどの部屋である。そこで平太と伊月は対面したのだが、平太はちらちらと伏し眼がちに伊月を覗うだけで、いっこうに話を始めようとしなかった。
 やっと喋ったと思えば、出たのは、
「なつに云われて来た、って本当ですか?」
 と云う言葉だった。
「本当だ」
「でも、あなたのような娘さんが帯刀してるなんて珍しいし、どうも信じられなくて」
 話ながらも、眼は上下左右に落ちつかなげに動いていた。疑り深いと云うより、小心なだけのようである。
「誰がお前など騙すものか」
 伊月は腕を組み、平太を睨みつけた。
「なつが心配しているんだ。さっさと訳を話せ」
「なつには心配をかけて申し訳ないと思っています。思っていますけど……信用できないんですよ」
「俺のことは信用しなくていい。お前の信用などいらん。だが、俺は兵吾の代理として来たのだ。その兵吾の家臣として他言はしないと誓う」
「いや、それでも……」
 と平太は首をひねった。
「某は軽輩ですが、国では派閥も色々ありますから。連兵吾どのと云いましたか? あなたのような娘さんを家臣にしてる武士なんて……。そうだ。あなたもその男に騙されているんじゃないですか? 本当はその男、武士じゃなくて女衒(ぜげん)かなにか――」
 突如として、平太の眼前を何かが擦過した。短く、黒い細い糸のようなものが、数本はらりと落ちる。それが己の睫毛であり、刀で斬られたのだと理解したとき、平太はようやく伊月が己の首根に刀を突きつけていることを知った。
 伊月は相変わらず漠とした表情のまま、しかし冷ややかに告げた。
「これ以上、俺の主の讒言を吐いて死ぬか、話を進めるか、どちらかを選べ」
 
 それに気づいたのは、二月ほど前だと云う。
  崇国では、財源確保のため、塩は専売制となっている。つまり、国が生産と販売を独占しているのである。遠く、太爾(たじ)の山から塩を取り、船に積んで、 この高良の町まで運び、そこから川路や陸路を使って崇国中に運搬するのである。平太が船廻として警護する船も、この塩船であった。夕刻に塩の運搬がひとま ず切り上がり、次の日の早朝に始まるまでの間の夜間を守るのである。
 高良の町に入る船の数は優に二十を数える。しかし、高良の町を担当する船廻 組の人間は、たった十人しかいないと云う。一人で二隻を守らなければならない計算で、これではまともな警備など出来るわけがない。平太たちに出来るのは、 怪しい人物を見かけたら声を上げることぐらいである。
 つまり、船廻組と云っても、その実態は出世の見込みのない家柄の人間が集まる、ただの閑職なのである。
 これでは仕事の士気が上がるわけがない。よって、船廻の仕事は、警護とは名ばかりの、見回りもせずただ船の前に立っているだけ、というのが暗黙のうちに決められていた。
 平太もまた、その暗黙の掟に従い、勤めを果たした気分でいたのだが、ある日、勘定方に勤める友人からとんでもないことを知らされた。
 平太の担当していた船に積まれている塩の量が、一年以上も前から、高良の町の記録と、運搬された後の記録とで数字が合わない、というのである。つまり、高良の町で船が停泊している間、何者かに積荷を抜かれていたのである。
「これが露見すれば、某は間違いなく切腹です」
 そう云って、平太は震えた。貌が茄子のように青くなっている。今は勘定方の友人が見て見ぬふりをしてくれているが、それもいつまで保つかは判らない。いつかは露見するのである。
 伊月はいささかげんなりとして云った。
「自分の怠慢が原因じゃないか。さっさと腹を斬ったらどうだ」
「し、しかし、積荷が抜かれていたのは某の担当していた船だけなのですよ。計ったように某の担当ばかり狙われるとは作為を感じないわけには……」
「犯人は身内にいる、と云うのか?」
「はい」
 と平太は頷いた。
  平太の話では、犯人がどうどうと陸地から船に近づいたのなら、さすがに平太たち船廻も気づく。ならば、積荷を抜いた人間は、海から小舟で塩船に取り付き、 塩を抜いたに違いないと云う。さらには、毎月のように平太の担当の船ばかり狙うには、平太がどの船の担当なのか、予め知っていなければならない。
 そう考えると、何よりも怪しいのは組頭の板東源助だと云う。組頭自身は警護に出ないし、当然のことながら平太の担当も知っているし、簡単に小舟に差配できる立場にある。さらには、閑職の組頭にしては、金の回りが異常によいのだと云う。
 ほう、と伊月は頷いた。
「なら、そいつが犯人だろ」
「某もそう思うのです」
 平太がぐいっと身を乗り出した。
「だのに、某一人が死ななければならない、と云うのは、道理に合わないと思っていたのです」
「それで悩んでいたのか?」
「あ、はい。まあ……」
「ふむ」
 伊月は天井を睨んだ。平太の云うことも一理ある。己ならどうするかを考えていた。
 よし、こうしよう、と伊月は平太を見た。
「このままでは、お前一人が死に、国に奸賊が残ることになる。奉公人としては、このような事態を見過ごしてはいけない」
 はい、と平太が頷く。
「よって、お前は今すぐ組頭の許へ行って、組頭を斬って来い。その後で切腹するんだ」
「……やはり、切腹、ですか?」
「うん? 上司を斬るんだ、切腹は当たり前だろ」
 しかし、事情が事情だ、東の家は残されるのではないか、と云ってやったが、平太の貌は青いままだった。
 その様子に、伊月の貌に軽侮の色がさした。
「ひょっとして、お前、切腹が怖いのか?」
「…………」
「悩んでいたのも、板東云々ではなく、ただ腹を斬るのが怖かっただけなのか?」
「…………」
「何を怖がる必要がある? 腹を斬ったって死ぬだけじゃないか」
「そう云われても……」
 平太は俯き、しきりに頭を振っている。武家であることが不思議なくらいの、根っからの小心者なのであった。
 これの相手をしているのが兵吾ならば、
「では、介錯を仕る」
 と云ってむりやり腹を斬らせるだろう。
 だが、伊月は兵吾ほど世話焼きではない。突き詰めれば、主である兵吾以外が死のうが生きようが知ったことではないのである。
 ――なつには悪いが、そろそろ引き上げるか。
 そう思ったときであった。伊月はふと、あることに気づいた。
 積荷の塩を抜いたということは、国の専売に逆らうこと、つまりは国主に弓を引く行為である。つまり、大事件なのだ。これを上手く纏めれば、崇国から報奨が出るのではないか。
 いつしか、伊月の脳裏には寂しげに出かけた主の姿が浮かんでいた。その姿を胸に刻みながら、
 ――やってみるか。
 と伊月は決意していた。
 
 
「――でありまして、なにとぞお取り調べのほどを……」
 そう云って、平太は畳にこすりつけるように頭を下げた。隣で伊月がこくこく頷いている。
 町目付、佐座刀理(さざとうり)の屋敷の一室である。
  町目付は、町人たちの犯罪しか取り扱えない町奉行と異なり、国士や浪人といった武士の犯罪を取り扱う。崇国では、増加する国士同士の賄賂や、浪人の刃傷沙 汰などを受けて、国内の町々にこの町目付を置いたのであった。そこに、伊月が平太を連れて訪れ、船廻組組頭、板東源助の怪しさを訴え、調べるよう願ったの である。
「そう云われてもな」
 刀理は困ったように頬杖をついた。三十ほどの男で、紺の裃をつけているが、城下の育ちなのか、伊月や平太とは違い、垢抜けた風貌だった。
「板東が塩を抜いたと云う話、それはまことなのか?」
「はっ。間違いないかと」
 平太はまだ頭をつけている。町目付は百石以上の中級、上級国士の役なので、小心者の平太はなるべく貌を合わせたくないらしかった。
「では、その証は?」
「証、と申しますと?」
「証拠だ。板東が塩を抜いた証を見せよ、と云っておるのだ。そもそも、そなたの話では、まことに塩が抜かれたのかすらも判らんではないか」
 正論である。平太は記録の齟齬を話さなかったのである。そんなことを話せば、板東の取り調べの前に平太の首が飛ぶ。しかし、何とかして先に板東を捕まえさせ、国賊排除に協力したと云う功を残す以外、平太の生きる道はないのである。
 言葉に詰まった平太の代わりに、伊月が応えた。
「だが、板東の暮らしが派手になったのは確かなはずだ」
 刀理はじろとこの自若した娘を見た。この男装の娘が首根を掴むようにして平太を連れて来たのだが、見方によってはこの娘のほうが板東以上に怪しい。
 しかし、刀理は何でもないかのように、そのとおりだ、と頷いて見せた。
「板東のこの町での所行は、小人目付から報告を受けている。派手に金を使っているようだ」
「なら、調べてもおかしくはない」
 叩けばいくらでも埃が出る身である。要は口実さえあればよいのだ。
 だが、刀理はゆっくりと首を振った。
「そなたの云うことはもっともだ。もっともだが、その程度では、板東は調べられん」
「何故だ?」
 刀理の貌に苦いものがさした。
「あやつ、目付に多大な贈り物をしておるようでな。前々から、板東には便宜を図るように、と上から云われておるのだ」
 目付とは、町目付の上司である。そこに賄賂を送ることで、板東は自分への取り調べを防いでいると云う。これでは、町目付としの職務がまったく働いていないことになるが、刀理としても、上司の命令には逆らえないのだろう。
「そこで、だ」
 だが、刀理はただ目付の云いなりになることで満足していないらしかった。口元に笑みを浮かべると、平太に、近こうよれ、と手招きした。
 平太がいざり寄ると、刀理はその耳もとで話したが、声は伊月にも聞こえるほどだった。あるいは、聞かせていたのかもしれない。
「なあ、東。おなた、板東を調べて参れ。配下の小人目付どもは役に立たなくてな。貴公のような男を頼りたいのだ」
「し、しかし、某はそのようなことに不慣れなものでして……」
「駄目か?」
「板東さまは某の上司。もしことが露見すれば、某もただでは済まなく……」
「平太」
 と刀理は下の名で呼んだ。
「そなた、私に隠していることがあるだろ?」
「は――?」
 平太の脳裏に、自身の切腹している光景が浮かんだ。
「滅相もございません!」
 と平太は頭を何度も畳にこすりつけたが、刀理は穏やかな笑みを浮かべているだけだった。塩を抜かれたのは平太の警護していた船だろうと、刀理はすでに察していたのである。
「東よ。私は無理強いはせん。だが、板東の悪行の証拠を、しかと私の眼に入れたならば、必ず板東を獄につなぐと約束しよう。これでどうだ?」
 そう云って、刀理は伊月に笑いかけた。その眼には、若くして町の武士を取り締まる役人の、犀利だが狡猾な光が宿っていた。


 刀理の屋敷を出ると、すでに夕刻だった。
「腹の立つ男だった」
 と伊月は呟いた。
「何が約束だよ。畜生」
 平太は力なく肩を落とした。
 刀理の意図は明白である。つまり、板東は目障りだが、自分は動けない。そこで、平太や伊月のような、板東に意趣のあるものを焚きつけて、勝手に調べさせようと云うのである。失敗しても、平太や伊月はともかく、刀理の腹は全く痛まない。
「だが、証拠さえ集めればよいのだ」
「どうやって集めるんですか?」
「……ぬう」
 伊月は腕を組んだ。刀を振り回すことは得意なのだが、目付の真似事などしたことがない。かといって、兵吾のように板東を斬りにいくわけにはいかない。それでは何も解決しないのである。
 そのとき、
「おう、東じゃないか」
 と声がかかった。
 五十ほどの、手足のひょろ長い男である。潮風にもまれた赤い貌に、意地の悪い笑みを刻んで、平太を眺めている。
「板東さま」
 と平太は頭を下げた。
 ほう、と伊月が男を見る。これが板東源助らしい。
「町目付に何か用だったのか?」
「は、はあ。少し」
「へえ。どんな用だ? 俺に教えろよ」
「それは……」
 平太はひたすらに頭を下げ、板東がにたにた笑いながらそれを見ている。
 ――なるほど。平太ばかり狙われるわけだ。
 完全に舐められているのである。平太の船ばかり狙ったのも、塩が抜かれていることが露見したとき、それを盾にとり、平太一人が怠けていたことに仕立て、自分への追求をかわそうというのだろう。板東にとって、平太はただの玩具なのである。
「まあ、いい。明日、遅れるなよ」
 一頻りからかうと、板東は去って行った。その背には、町目付など少しも恐れていない傲慢さがあった。
「これは次もやるな、あいつ」
「どうするんですか!? 船は明日、着くんですよ。このままでは某は……」
「明日か――」
 まず考えられるのは、明日、塩が抜かれる現場を、伊月と平太とで押さえることである。しかし、板東が自ら手を下すとは考えにくい。捕まったとしても、金で雇われた下っ端であろう。シラを切られたらそれまでである。
 ――やはり、板東自身を押さえないと駄目か。
 そこまで考えたとき、伊月はふとあるとを思いついた。
「塩はどんな物に入れて運ばれて来るんだ?」
「樽ですけど。四斗樽につめられたものが、船で運ばれて来ます」
「ということは、塩泥棒はその樽ごと盗むわけか」
 伊月は、この娘にしては珍しく、口に笑みを佩いた。
「お前、字はかけるか?」
「……? 書けますが?」
「なら、手紙を書いて呼び出せ」
「板東さまをですか? でも呼び出したって――」
「違う」
 伊月は背後の刀理の屋敷を見やった。
「町目付を呼び出すんだ」
 
 
 翌日の夜のことである。
  高良の町の港には、二十隻もの千石船がならんでいた。船はそれぞれ流されないように艫綱(ともづな)で陸と繋がれ、その隣に、いくつもの篝火と一緒に、船 廻組が十人、槍を持って警護のために立っている。ほとんどがただ立っているだけだが、ただ一人、平太だけは神経を尖らせて周囲を見渡していた。
  しかし、その平太の苦労をあざ笑うかのように、四艘の小舟が音も立てずに千石船に近づいていた。篝火の明かりも、ここまでは照らさない。海は墨を流し込ま れたように黒く染まり、小舟もそれに同化していて、たとえ平太がどれだけ眼を凝らそうと、その姿を見ることは出来ないに相違なかった。
 小舟は二艘ずつに別れ、千石船の脇に着くや、鉤(かぎ)を括りつけた縄を舷側(げんそく)に投げ入れた。その縄を伝って、男たちが千石船に侵入していく。
 実は、彼らは高良の町の水夫であった。板東に金で雇われ、塩抜きに手を染めていたのである。常日頃から高良の町の港を船で走り、荷の卸上げをする彼らにとって、闇の中で音も立てずに船に取り付き、荷を抜くのは造作もないことであった。
 男たちは船倉から塩樽を担ぎ出すと、下ろしておいた縄梯子を伝って、次々と小舟に運びこんでいく。
 やがて、四艘の小舟が塩樽で満ちた。わずか四半刻の間のことである。
 男たちは縄を回収し、小舟を出した。
 小舟は滑るように海を走り、やがて西の大川にさしかかるや、そこから狭い水路に入った。その先に、屋敷がある。板東がひそかに作らせた屋敷であった。小舟はその屋敷を目指して水路を走っていく。
 
 その板東の屋敷である。
 眼の前に並べられた塩樽の数々を肴に、板東は一人、酒を飲んでいた。他に人はいない。下男下女というものは、秘密を守れない人間であると、板東は固く信じていた。
 信じられるのは金だけである。だからこそ、板東は目付に送る賄賂や、協力する水夫たちに支払う金を惜しまなかった。裏切りなどありえない。抜かりはないのである。
 ――そして、その金が明日やって来る。
  明日は、板東の塩を求めて、商人たちがやって来るのである。専売である国の塩は、税が上乗せしてある分、高値である。ところが、板東の塩にはそれがないの だから、商人たちは眼の色を変えて板東のもとに集ってきた。板東はただ、塩を船から商人に流すだけで巨万の富を得られるのである。
「ククっ」
 眼前につまれる山吹色の山を思いながら、板東は酒の味に酔っていた。
 組頭という地位にはあったものの、所詮は閑職である。野心に燃える若者や、他の組頭からどのように思われているか、板東はよく知っている。
  若い頃はそれでもまだ、反発の心が残っていた。船廻組に配属されたとき、回りの視線に耐えながら、いつか見返してやると武芸に職務にと励んだものである。 しかし、いくら刀が振り回せようと、仕事をこなそうと、板東の立場は変わらなかった。物頭、組頭と進んだものの、船廻組から抜けることはない。勘定方のよ うな花形や、家老、中老、大目付といった重要職は、ただ家柄のみで選ばれていた。
 ――忠義だの、武勇だのでは、人の価値は変わらないのだ。
 変えるには金しかなかった。金さえあれば、家柄に対抗できる。目付が板東に手を出せないのがその証である。いずれは、家老にも対抗できよう。
「こうして金を手に入れたんだ。俺は勝った。勝ったのだ!」
 酒の勢いに任せて板東がそう叫んだとき、
「何に勝ったのか知らないが、よかったじゃないか」
 と声がかけられた。
 板東の表情が固まった。泡を食ったように左右を見渡し、障子という障子を開け放つが、どこにも人の姿はない。
「どこだ! 出てこい!」
 板東が叫ぶと、
「判った。ちょっと待て」
 そう声がして、樽の一つが動いた。そして、下からぽんと蓋が飛び上がるや、そこから娘が一人出てきたのである。黒い着流しを纏い、腰に一本の長刀を差している。
 伊月である。予め、樽の中に潜んでいたのであった。
「お前の悪事、きちんと見たぞ、板東」
「き、貴様!」
 板東は怒りに伊月を睨んだが、やがて思いとどまると、ゆうゆうと腕を組んで見せた。
「何を見た、と云うんだ?」
「組頭、板東が塩を盗んでいるところだ」
「それを町目付に云うか? ふん! 怪しい娘の云うことなど、誰が信じるものか。立場をわきまえるんだな」
 しかし、伊月は動じなかった。
「なら、見たのが俺だけじゃなかったらいいんだな?」
 あっさり云ってのけるや、手当たり次第に塩樽を開け始めたのである。やがて、樽の一つから、猿轡を噛まされ、手足を縛られた男が転がり出された。紺の裃をつけ、白目を剥いている。気絶しているようだった。
「――なっ!」
 今度こそ、板東の貌は凍り付いた。
 転がり出てきた男は、町目付の佐座刀理だったのである。
 
 口を開けて動かなくなった板東を尻目に、伊月は刀理に近づき、猿轡を外し、縄をほどいていく。
 平太に手紙で呼び出させたところを捕まえ、気絶させ、縛って樽に詰め込んでおいたのである。そして、取りやすいよう樽山の手前にその樽を置き、自身も隣の樽の中に入って、こうして板東の許に運ばせたのであった。
 ――実に上手くいった。
  と本人はいたく満足していた。いくら手前に置いたとはいえ、伊月たちの樽を都合よく水夫たちが運んでくれなくて置いてけぼりをくったり、樽を重ねられて出 られなくなってはもともこもないのだが、この娘はそんなことを考えない。実際に上手くいったからいいではないか、と思っている。
「ほら、起きろ。仕事だ」
 伊月は刀理の頬をはたいた。一撃では起きなかったので、二回、三回とはたいてゆく。
「うぅ……」
 ようやく刀理が眼をさましたときには、頬は赤く腫れ上がっていた。
「私は……。ここはいったい……?」
「仕事の時間だ」
 刀理の混乱はお構いなしに、伊月は刀理の首根を掴んだまま塩樽、それから板東へと、むりやり視線を転じさせる。
「ほら、よく見ろ」
「あぁ……」
 まだ混乱しているのか、刀理は頷くような、ふらつくような応えを返すだけだった。だが、だんだんと意識がはっきりしてくると、
「おおっ!」
 と眼を見張った。
「どうだ? 誰が塩泥棒か判ったか?」
「うむ! しかとこの眼で見た!」
 その言葉が板東の終わりだった。町目付に直接見られたとあっては、言い逃れはできない。
「小娘がァ!」
 叫ぶや、板東が抜刀した。赤い貌がさらに赤くなり、血走った眼で伊月を睨みつける。
「貴様だけは許さん。許さんぞ!」
「塩泥棒に許されることなどないが?」
「黙れ! あまり儂を舐めるなよ。こうなったら、そこの町目付ともども斬り捨ててくれる!」
 板東の様相に、刀理が腰を引かせた。
「おい! 味方はいるのか?」
「いるわけがないだろ」
 伊月は蔑みの眼を刀理にくれてやった。
「板東の悪行を見たら、お前が獄に繋ぐのではなかったのか?」
「私は剣はからきしなんだ!」
 堂々たる叫びであった。屋敷で見せた犀利な眼など、どこにもない。これでは、罪を犯した板東のほうが武士らしい。平太と云い、刀理と云い、人間、刃物が間近に迫ると本性が出るものらしい。
 ――これだから、口の上手いやつは駄目なんだ。
 仕方がない、と伊月は板東に向かっていった。
「どうするんだ!?」
「こうするのだ」
 云うやいなや、伊月は抜刀し、八双に構えた。刀の切っ先を相手の額につけ、腰を弓のように引く、独特の八双である。
 それがあまりにも自然になされたので、板東はとっさに反応できなかった。慌てて青眼に構えるころには、伊月は三間の距離を詰めていた。
 伊月の躯がぶれた。
 キン、と澄んだ音がしたかと思うと、何かが宙を舞い、刀理の足下に刺さった。それは、板東の刀の刃であった。伊月によって斬られたのである。
「なっ――!」
 板東は絶句して、飛んでいった己の刃を見ていた。
 流派によっては、『刀割り』という技がある。特別な刀を用い、相手の刀を砕く秘伝の技である。だが、伊月がしたのはそんな面倒なことではなかった。
 伊月の主である兵吾の剣は、疾風の速さを誇っている。伊月の剣は、その兵吾をして、雷速と云わしめたほどであった。
 伊月は己の剣の速さに任せて、一撃目で板東の刀を叩いて腹を起こし、二撃目でそこを断ち斬ったのである。つまり、ただの力技であったが、天才にしか出来ぬ所行でもあった。
「…………」
 刀理は刺さった刃を、板東はほぼ柄だけになった己の刀を見て、呆然としている。何が起こったのか、未だ信じられないのである。
 伊月は刀を納めると、こともなげに云った。
「では、帰ろうか」


 あれから、板東は捕らえられ、平太も取り調べは受けたものの、切腹は免れた。刀理も目付たちに送られた賄賂の書類を押さえて上司の弱みを握ったようで、伊月から受けた仕打ちを問題にしないほど機嫌がよかった。
 そして、伊月が期待していた報奨の話が出たのは、板東の刀を斬った四日後の話であった。
 町目付の刀理の屋敷に行くと、そこには、はるばると中央からやって来た、崇国の中老、三濃(みの)帯刀(たてわき)が待っていた。
 何でも、板東のみならず、崇国の港のいたるところで同じようなことが横行していたことが判り、板東をはじめ、犯人たちが隠していた金の総額は五万両にも及んだと云う。伊月は計らずとも、それを見つける手助けをしたことになったのである。
「そなたの働きは東より聞いておる。何でも願うがよい」
 三濃は機嫌よく云った。六十ほどの、好々爺と云う言葉がよく似合う男だった。
 伊月の眼が光った。このときのために、わざわざ骨を折ったのである。
「何でもいいのか?」
「おお、遠慮せずに申すが云い。何せ、そなたは崇国五万両の恩人じゃ。たいていのことは叶えてやろうぞ」
「では、言葉に甘えて――」
 そして、伊月は願いを告げた。
 

 その日、兵吾は疲れた躯を引きずって廃寺の方丈に帰ってきた。
  人足仕事は重労働である。ひたすら穴を掘らされ、石を担がされ、走り回らせられるのだから、いくら剣術で鍛えた兵吾といえども、容易にはこなせない。しか も、性格が災いして率先して仕事を引き受けてしまうので、終わるころにはくたくたになっていたのである。これで給金が十日で一両にも満たないのだから、さ しもの兵吾も嫌気がさしていた。
 部屋に入ると、伊月が端座して待っていた。いつもの漠とした貌であったが、どことなく機嫌がよさそうだった。
「これを見てくれ」
 そう云った伊月の手には、八尺ほどの紐が一本だけ握られていた。刀の下緒である。それも、絹の紐に金糸があしらわれた上等な代物であった。
 兵吾は眼を丸くした。
「どうしたんだ、これは?」
「もらったのだ」
 そう胸を張ると、伊月は下緒を兵吾に渡してやった。
「これでも大刀も使えるぞ」
「伊月、でかしたぞ!」
 兵吾は額の皺をのばさんばかりに相好を崩すと、すぐにいそいそと大刀を取り、下緒を結び始めた。人足仕事の苦労など吹き飛んだようである。
 そんな主の姿を見ながら、伊月は何度も満足そうに頷いたことであった。


この作品が気に入っていただけましたら『高得点作品掲載所・人気投票』にて、投票と一言感想をお願いします。
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●感想
AQUAさんの意見
 こんにちは。作品拝読しました。
 自分がこの点数をつけるのは、初めてです。
 あまりの完成度の高さに、衝撃を受けております。

 とりあえず、機械的に見つけた誤字などを少し。
(前半のみです。後半は夢中になってしまったので未チェック)

>浪人の前の兜は、すでに二つが真っ二つに割れていた。

 二個の兜で成功したということでしょうが、流れ的にちょっと分かりにくかったです。
 一個、また一個と斬り進んで行くシーンがあると分かりやすいかもしれません。

>殺到した浪人者が集められたのが、この寒川新三の中屋敷であり、

 あまり武士用語が分からないのですが、冒頭では『下屋敷』となっていたような……。

>「少し堪(こら)えればよいことは、お主たちも判っておろう。その少しが重要なのだの」

 やや語尾に違和感が。
 『重要なのだがの』『なのじゃがの』あたりではどうでしょう。

>自身、融通の利かないたちであることを自覚いているので

 『自覚して』でしょうか。

> 兵吾はかすかにぬかるむ足下を身ながら、

 『見ながら』ですかね。

 その他、手前ごときが文章に突っ込めるような隙は見つかりません。
 お見事でございます。おみそれしました。うーん、良い表現が見つかりません。へへー、と土下座したい気分です。

 ストーリーについて。
 前述のとおり、難しい言葉は分からない人間ですが、とにかく楽しめました。
 テレビの時代劇は好きなのですが、小説はまったく読まず……という人でもウェルカムなこのエンターテイメント性!
 魅力的なキャラあり、謎あり、オチあり、緊張感と迫力のある戦闘シーンなど、シリアスな中にコミカルさが出ていてもう完璧です。
 この二人の旅がもっと見たいと本気で思いました。
 
 しいて言うなら……無理に搾り出すような形になりますが、前半で石矢どのが一人連れ出された理由のあたりで、もう少し解説が欲しかったです。
 奥様の病気という理由が本当だった(町人になろうという意思が芽生えた)のか、それとも怪しい女の言うことだしそれは嘘で、一人三日目の試合の真相を察したため連れ出されたのか、なんて考えてしまいました。
 また、後半ではやはり塩樽が“偶然”選ばれたという説明ですかね。
 単に一番手前の樽をすりかえたから、とされていても良かったような。

 しかし、小説って本当に素晴らしいですねっ。
 夏祭りから逃げてきた自分を褒めつつ、失礼いたします。


へべれけさんの意見
 こんにちは、へべれけです。
 御作を拝読しましたので、拙いですが感想なぞお受け取り下さい。

 やあ〜面白かったw
 正直、細かいこと抜きにしてそれだけでバイバイしたいくらいなんですが、それではあんまりなので駄文をつらつらと重ねたいと思いますww

■タイトル:武士二人
 一見「おや?」となりますね。気になります。
 そして蓋を開けてみれば二部構成、というよりも連作形式ですか。これは一粒で二度美味しいパターンですなw
 と、考えれば「武士二人」という短編集に各々「武士の意地」、「奉公人として」というタイトルが収まっているのですね。いやいや得した。

■文章・作法
 分かりやすいというのが一番ですかねー。
 時代小説ならではの用語や語彙などもありますが、まあラ研としても許容の範囲でしょう。
 尺貫法のイメージというのはどうしても難解ですが、雰囲気として読み飛ばしました(コラ)
 あとは好みの問題ですけど、文末にもうすこし工夫が欲しいかな?(〜〜た。〜〜である。の重なりが多い)

■雑感
 二部構成ですが各々が独立して完結しておりますので、純粋に二作読んだ感じですね。
 それをして読了させるのですから素晴らしいの一言。

 「武士の意地」
 シグルイ(違)
 殿様がキワモノというのは、まあ残酷モノの王道ですよね。
 兵吾よりも石矢に目がいくのは作為的なものなのでしょうかww
 また赤い差し料というのも、ヒロイズムを充分に理解したアイテムですな、かっこいいです。食い詰め浪人の兵吾がどうしてそんな特殊な刀を持つに至ったかというのが想像をかき立てられますね。

 結末が文字通りバスッと斬って終わってますが、個人的には残心の部分が欲しかったですね、エピローグ的な。もしかすると蛇足になりかねませんが、伊月との会話でフェードアウトみたいな。


 「奉公人として」
 一作目の硬派なイメージから一転、こちらはすこしコメディタッチですね。そのコントラストがまた心地よいです。
 しかしながら、すこしファンタジーになりすぎましたかね。色々とご都合主義が見え隠れw まあそれも味といってしまえばそれまでなんですが。
 こちらのエンディングは伏線も回収され巧く纏まっており、非常に爽やかな読後感を得ました。


■総評
 満腹ですww
 正直好きずきの分かれる部類の作品でしょう。しかし本作のレベルの高さは実際に読了した者しか分からないと思います。
 なので読了した一読者として加点させてもらいますw
 良作ありがとうございました。
 ではでは。


カルバノさんの意見
 初めましてこんばんは。カルバノと申します。
 御作を拝読いたしましたので、批評・感想をば。


 企画物を書き進めながら気分転換に読み始めましたら、止まらなくなりました。
 夢中になって読んでいたので誤字とか文章的な違和感とか、全部すっ飛ばしてます。なので、ほとんど普通の感想になるかと。


 武士の意地

 石矢のとっつぁあああああん!
 最近、気に入ったキャラほどよく死んでしまう気がいたします。

 まあそれはおいといて、描写にすごい力が入っていると思います。場面場面頭の中でイメージがしっかり湧き、決闘に際しても「構えた」だけではなくしっかりと「八双」「青眼」などの具体性を持たせていたので、本当に時代劇を見ているような印象を受けました。
 この話は個人的にオイオイな結末になりますが、兵呉の性格を考えれば妥当でしょうか。

 仮にも一家の当主とかぶった切るわけですから、絶対に下手人として追われる羽目になると思うんですが、その辺どうでしょうかね。

 へべれけさんの指摘にもありますが、尺貫法はライトノベル表記では(一尺は約三三センチ)と書いてしまってもいいとおもいます。多分、この程度でこの作品のリアリティは壊れません。
 二尺二寸てどれくらい? と思われるよりも、何となくでも想像できた方がきっともっと映えます。


 奉公人として

 俺っ娘ですね分かります。
 無駄に萌えな話は捨て置きまして、個人的にこちらのお話の方が好みです。
 塩樽を運び出させる部分で伊月のやれば何とかなるで何とかなっちゃうのがあれですが、彼女だと「ああこれでいいんだよなぁ」と思えるから不思議です。
 ようはご都合主義でも見せ方次第。キャラの魅力次第なのでしょうね。最大の理由は短編であると言う事だと思いますが……

 潔く腹を切れと迫る伊月に、ならば介錯仕ろうとやっぱりハラキリ肯定の兵呉の主従コンビが笑えます。笑っていいのかどうか分かりませんが。

 最後のオチは欲に飲まれていない性格からして金子ではなかろうと予測が付きましたが、それでもやっぱりぐっと来るものがありましたね。
 これは長編で読みたい……


 短いですが以上になります。ありがとうございました。


競作企画(嘘)さんの意見
 競作企画(嘘)が感想返しにやってきました。ということで玖乃宮くんを呼びましょう。

 どうも、玖乃宮です。拝読いたしました。
「炎」のリベンジってことは「炎」と比べてもよろしいのでしょうか?
 ダメ? でもそちらにも中のひとが感想してたので、
 比べるほうで感想します。
 かなりうろ覚えな部分もありますがあしからず。

【雑感】
 前作にくらべて、ライトノベルを体現したような軽さでとても読みやすかったです。
 最近時代向けの語彙について勉強し出したので、「炎」のときには分からなかった表現などもスラスラ理解できましたが、これは私の読解力が上がっただけで、他のひとはどうなんだろうと思ったり。

【構成】
  短編2連作というか、お得な(?)2本セットですね。これはつながりがあればなおよし、という感じ。せっかく同時に読ませるのですから、無関係な二本とい うのがちょっと残念でした。どちらも悪くなかったですが、伊月さんのお話だけでも十分まとまっていたので「むしろ前半いらなくね?」と思ったり。

【ストーリー】
 カルカッタ。ああ、インドじゃなくて軽かった。
 重厚さでは「炎」の方が訴えるものはあったのでそちらに軍配です。でも、まあ、ここラ研だし。軽い面白さ、それも一理あるなと伊月っぽくまとめてみました。

【あとは……】
  すごく勉強されているし、お上手だと思いますが、どうも「炎」とカブる。ストーリーはもちろん違うのですが、うーん、とくに戦闘シーンがかなりデジャブし たように感じたのはいただけませんでした。よくない……とは言えないんですけど、どうなんだろう。これ一本なら全然いいと思うのですが。
 なんかひねり出した程度の小言ですので、蹴飛ばしといてください。

【点数】
 すみません。「炎」と比べると個人的にこれはそこまで高得点ではないです。完成度は素晴らしいです。ざっくりたとえると、家でつくったうな丼と店で食べるうな重くらいには差があるように感じました。上手いんだけど、普通でした。
 これもだめですね。大した分析もしていないのにこんなエラそうなこと言っちゃ……蹴飛ばして捨てといてください。

 では、これで。失礼します。

 以上、競作企画(嘘)でした。夏休み企画がんばってくださいね。


高嶺さんの意見
 上にも下にも実力派、何でこんなタイミングで投稿してしまったんだ……場違いだぜ俺!と申し訳なくなってる高嶺です。

 なんと言いますか完成度が純粋に高い作品ですね。いつもどこかに問題点がある自分からすると、なるほど上手な作品とはこういうものか。と読み終わった後に感心してしまいました。
 というわけで申し訳ないですが文章系統に関する指摘はできそうにありません。
 樽に紛れる部分の「ここはどうなってるの?飛ばして良いの?」という箇所も伊月の性格上という封じ方で納めてますしね。

 なので個人的に、ラノベ的に考えると、ですが、何かあと一つ欲しい気がしました。例えばもう少し読む側の心情を煽っても良いんじゃないか……みたいな。どうも綺麗にまとまり過ぎている感があるような気がして。
石矢が御作の中で印象に残るのはその辺りにある気がします。性格、置かれた状況共に好意を持てる石矢氏が歪んだ性癖のために殺されてしまう。と言うところにわずかですが理不尽、怒りを感じたからこそ結末にうなづけると言う様に。
 と言うところでしょうか。もちろん心情の煽り以外の「武器」でも全く構わないのですが。

 総じて。間違いのない良作でした。時代考察等も含めて見習いたいところの多いです。良い刺激になりました。


聖☆おじいさんさんの意見
 こんばんは。夜分遅くに失礼します。
 拝読させていただきましたので、感想を置いて行きます。
 では、早速。

 ……と、思ったのですが、既に寄せられている素晴らしい感想の数々。
 なにか自分如きが言えるかどうか心配ですが、無理やり抽出して書こうと思います。
 ただの「感想」になってしまうかと思いますが、ご了承下さい。

 一読した感想としましては、やはり物凄く完成度の高い作品だなぁ、というものです。
 キャラ良し、戦闘良し、展開良し。
 ただ、個人的に思ったのは、物語が動き出すのが少し遅いかな、と思います。
 なんと言いますか、起承転結で言うならば「承」が長く、少し冗長かな、と感じました。
 しかし、キャラクターの魅力も相まって、そこまで退屈(ごめんなさい!)とは思いませんでした。
 う〜ん、これくらいでしょうか^^
 総じて、自分では手の届かないレベルにある作品でした。

 それでは、切腹しろーと迫る兵吾、隣でコクコク頷いている伊月を想像しつつ、
 これにて失礼させていただきます。


南里さんの意見
 はじめまして感想を残していきます。

 面白さ、構成、時代風景、完成度は高いですね。
 ただ自分がこの内容の本を読みたいと思った時に、ラノベからは探しません。

 サイトがサイトなので、それを加味した点数とさせてもらいました。
 内容のつっこみは一点。石矢の死ぬタイミングが疑問です。
 主の倒錯欲求を満たすにおいては、はやくに手をかけすぎでは?
 
 以上です。


少佐さんの意見
 始めまして。そして御馳走様でした。
 拝読させていただきまして、感想の方を残しておこうかと思います。

 とは言うものの、私程度が指摘すべき部分など一切見当たりませんでしたので、本当にただの感想となってしまいますが、ご了承を。

 もう言いつくされた感がぷんぷんしますが、大変素晴らしい作品だったと思います。戦闘シーンはどは、最近戦闘シーンが書けなくて困っていた私にとって、良い刺激となりました。本当にありがとうございます。
 展開もまた面白い。石矢の爺さんが死んで、うおおおおお貞資この野郎とか思ってたら、もうスカッとしましたね。彼みたいな頭イカれてるキャラクターは私的に大好きなので、断罪されたことが逆にうれしいのです。

 この二部構成にて、前半後半をもっと長くして、二話構成の一つの長編として読んでみたい。そんな気がしました。

 気の利かない感想ばかりで申し訳なく思いますが、色々と私の力の限界です。
 次回作を楽しみにしつつ、では。


ヒトデ大石さんの意見
 拝読いたしました。感想を書かせていただきます。

 個人的には兵吾――「武士の意地」の方が好きですね。
 村瀬との戦いにおける描写も素晴らしかったし、固唾を飲んで読みました。
 石矢もいい感じの死にっぷりですよ。
 最後はなんか詰まっていたものが、一気に流れたというか、すっとした気分になりました。

 伊月――「奉公人として」も良かったですね。
 ただ伊月の武士らしい一面よりは、東のダメ人間っぷりが、坂東の悪人っぷりの書かれ方が秀逸で、それが伊月の凛としたキャラクターを際立たせていたと思います。
 最後の褒美なんかも、欲が無い感じでスッキリしました。

 全体を通して剣を振るう描写は秀逸だと思います。
 剣術の知識が深いか、もしくは剣道などの経験者では無いでしょうか?
 そうでなければ、あの描写は難しいと思います。

 全体的に痛快な作品でしたが、もし続編を書くなら、今度は二人が同時に活躍するような活劇を期待したいです。
 今回は個々の活躍劇みたいになってしまったのだけが残念です。

 これからも頑張ってください。


飛車丸さんの意見
 この、これっ、これわっ……。池波正太郎や柴田錬三郎の匂いがするっ! いやまあそれは言い過ぎではありますが。
 てことで傍の茂みから轟と唸りつつ飛び出してきました、飛車丸です。辛口さん……でいけるかなあ……。

 さてさてともあれ、まず初めに感じたのが、これは非常にラノベらしからぬ作品だなあ、ということでした。
 主役の二人、そのどちらかにでも『幼さ』があれば、あるいは筋書きにサムライチャンプルーほどの『荒唐無稽さ』があれば、もう少しラノベらしさが出るのでしょうけれど、これでは登場人物が若いだけの時代劇なんですよね。
 文章も、多少なりこなれているとはいえ、やはりそこかしこから古めかしさが匂い立つため、いかんともし難いものがあります。
 作品そのものは非常に楽しく読めましたが、じゃあこれをラノベで読むのかと言われると、少しばかり厳しい。
 ちなみに、前述した『幼さ』『荒唐無稽さ』を併せ持った時代劇ラノベに、『陰陽の京』がありますので、未読でしたら一度目を通してみるといいかも知れませんね。

 文章
 時折語尾に引っ掛かりを覚えるのと、少々誤字があることを除けば、時代劇の雰囲気をしっかり醸し出す非常に良く出来た文章である、と思います。
 あと、どうせ振り仮名を入れるなら、巻藁や薪などより讒言などの難読漢字に入れた方が良かったのではないでしょうか。まあ、割とどうでもいいことではありますが。

 キャラ
 確かに良く描かれてはいるのですが、もう少々捻りが欲しかった気がします。
特に兵吾の章では、あれだけ多く家臣がいるわけですから、家中郎党が揃って悪人であるよりも、心を痛めながらも主家であるからという理由で忠実に従う者や、恐怖や人質によって従えさせられている者などがいても良かったのではないかと。
 短編におさめるための措置だったのかも知れませんが、その辺りの広がりの無さが少々気がかりでした。

 設定
 あくまで日本と言わず、それでも日本のように思わせ、しかし崇国という別の呼び方をしながら、やはり日本である可能性は否定しない。これは実に巧妙でした。
 また、恐らくはかなり深い部分まで設定されているであろうキャラ造詣にも関わらず、それを表に出さずしっかりと自制して作品を仕上げているのも好印象ですね。
 ただ、設定の殆どが時代劇然とした時代考証に頼りすぎなため、少々物足りないという感もありました。もう少しばかり、独自性があっても良いのではないかと。

 構成
 前編は起承転結の転のラストで終わっているようで、少しばかり尻切れトンボの感が。
 後編は冒頭から結末までしっかりとまとまっていて、非常に良い出来ではあったのですが、全てが期待通り過ぎるのが惜しいかなと。
 それは高望み過ぎだろうと自分でも思うのですが、飽きさせない文章と構成であるだけに、残念といえば残念でした。

 まいふぇいばりっと
・実に魅力的なでぶっちょが多い
・なんと自然な俺っ娘であることか
・> ――弔い、などは思うまい。ただ、私もまた、私の武士を見せなければならない。
 思えば、感想にこれを書くのが酷く久し振りな気がします。


 最後に
 +20かはたまた+30か――と悩みましたが、些かラノベと食い違っている点と、今後の伸び代を考えて+10点で。
 このままこの作品が洗練されていけば、ラノベ版水戸黄門のような勧善懲悪になりそうで、個人的にはとても楽しみだったりします。


ケンボウさんの意見
 お久しぶりでございます。ケンボウです。

 遅ればせながら、拝読させていただきましたので、感想を残していこうかと思います。

 非常に面白かったです。相変わらずの高い文章力と世界観、構成力で、勉強させていただきました。三人称が上手くかける方というのは、素直に尊敬いたします。

 特に、伊月の方の話は、伊月のキャラも立っていたし、痛快だし、非常に良かったです。

 まあ、ほめてばかりでもなんなので……

 やはり、ライトノベルとしては読めませんでした。色々と工夫されていらっしゃるのは好感がもてましたが、ライトノベル感を感じることは残念ながらできなかっ た、というのが率直な意見です。こういう路線をどこまでも突き進むのであれば素晴らしいことですし、もっとこの良さを磨いていただきたいと素直に思うので すが、やはり、ライトノベルを目指すのであれば、どこかで発想の転換は必要であると思います。世界観、キャラクター、戦闘、ストーリー展開……やはり、ど こかにライトノベル要素がなければ……とは思うのです。
 今の北野様の作品は、確かに面白いし、魅力的です。ですが、それはたとえばアニメ好きの自 分が、テレビを見ていて「あ、水戸黄門面白い」というものと同じ感覚です。ですので、たとえば「アニメ」の中でどの作品が面白いか、というその時の作品枠 の中に、残念ながら御作は入ってこない、ということになります……わかりにくくてすいません。
 それじゃあ、水戸黄門をそのままアニメにしたら面白 いのかというと、そんなこともないわけで、やはり、アニメ的解釈が必要になってくる……。それじゃあ、どうしろと言われると、非常に困ります。困ります が、あえて言うならば「時代劇的リアリティ」と「ライトノベル的リアリティ」の違いを考えてみるべきではないかなあ、と。まあ、自分の作品はよくリアリ ティが無いと評されるので、思いっきり自分の実力を棚に上げております(汗

 すいません、未熟者が出過ぎたことを言いました。取捨選択していただければ幸いです。

 とまあれ、良作を読ませていただきまして、ありがとうございました。
 次回作も期待しております。がんばってください。

 それでは、乱筆失礼いたしました。

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