高得点作品掲載所     ガタックさん 著作  | トップへ戻る | 


サマータイムブルース

 強く抱き寄せられて、海雪(みゆき)は小さく声を上げた。
 背中にまわされた二本の腕が、海雪の身体をきつくきつく縛り付ける。苦しさに喘いだが、不思議な安心感に包まれ、逃げ出そうとは思わなかった。
 白いシャツ越しに感じる、男の逞しい胸板と熱い体温。頬を当てただけで激しい鼓動が伝わってくる。耳を当ててじっとその速さを聞いていると、自分の心臓もそれに同調するかのようだ。
 ずっと……このままこうしていたい……
 身も心も、何もかもすべてこの人に預けて、悠久の時間の中で漂っていたい。
 けれど、この人は誰だろう──今更ながらそんな疑問が湧き上がってきて、海雪は胸に寄せていた顔を上げた。
「直登……」
 柔らかく微笑んだその表情は、昔と何一つ変わりない。実際よりも幼く見える顔立ちはよくからかいの的になっていたが、少年の無邪気さと青年の勇猛さを同居させた眼差しに見つめられると、それだけで身体が熱くしびれたようだ。
 よく見ると、直登は高校の夏服を着ていた。白の半袖開襟シャツに黒の学生服ズボン。顔も変わりないのではなく、高校生当時そのものなのだ。
 海雪の知る直登は、高校生のまま時を止めている。
 それに引き換え自分は──
 夏制服は夏制服でも、若さとはかけ離れた市役所の事務制服。地味なチェックのベストとタイトスカートといういでたち。足元も履き古したローファーではなくヒールのあるパンプスだ。
 二十四歳、社会人五年目。現実の自分がここにいる。
 海雪が我に返ったのも束の間──直登の顔がゆっくりと近づいてきた。
「ちょ、ちょっと待って直登……あ、あの、私、あの、婚約者が」
 きつく抱きしめられているので、少し暴れたくらいではびくともしない。もとより、海雪の抵抗は本気ではなかった。
 頭では婚約者がいる身だとわかっていても、心が抵抗できない。近づく唇にその先を期待してしまう。
 全部忘れて、流されてしまえ──自分の中の悪魔が囁く。もう抗えない。
 直登の腕の中で、海雪は瞳を閉じた。

 ゴンッ、と鈍い音。続けて後頭部に激痛が走る。
 何事かと驚いたが、目を開ける前に海雪は気づいた。また寝ぼけてベッドから落ちたな、と。案の定、重いまぶたを開けてみると、身体はタオルケットごと床に落ちていた。
 後頭部をさすりながらのろのろと身体を起こし、そしてまたベッドに寝転がった。今日は日曜日。薄目で見た時計の針はまだ七時だ。もう一眠りできる。
 目覚める直前まで見ていた夢のつづきをもう一度……と思ったが、そう簡単には夢の世界に旅立てそうにない。それどころか後頭部のズキズキとした痛みが見ていた夢の名残まで消してしまいそうだ。
(直登とキス、直登とキス、直登とキス……)
 懸命に夢の映像を思い出そうとするが、まぶたを貫く朝日のまぶしさに夢幻の世界は段々と薄れ遠のいてしまう。
 徐々に高度を上げる真夏の太陽は、カーテン越しでもその暑苦しさを主張してくる。一度目覚めてしまうと薄いタオルケットですら暑く感じて、海雪はそれを乱暴に蹴飛ばした。
 夢路は辿れずとも、せめてもう一眠り──だが無慈悲なお天道様はそれを許してはくれなさそうだ。
 あまりの暑さに耐えかねて、海雪は仏頂面で身体を起こした。栗色のショートボブが汗で頬に張り付いている。
「ああっ、もうっ!」
 羽根枕を壁に投げつけたのは、何も暑さのせいだけではない。
 今日もまた直登の夢を見てしまった。高校時代の彼氏・高居直登。
 別れてもう七年、高校を卒業してからは全く会っていない。なのに結婚が近づいた今になって、たびたび夢に出てきては海雪を悩ませているのだ。
 高校二年の秋、直登とは仲間同士で遊ぶうちに自然と付き合いだした。その始まりは曖昧で、多分「好き」という言葉すら交わしていなかったと思う。けれども、お互いの気持ちはわかっていたつもりだったし、少なくとも海雪は直登と一緒にいられるだけで幸せだった。
 二人でいる時間が本当に楽しくて、このままずっと一緒なんだと純粋に信じていたのに──
 高三の夏、ある出来事をきっかけに二人の間に微妙な空気が漂うようになり、休みが明けた秋、直登から別れを切り出された。予感はしていたけれど、実際に 別れを突きつけられてみると思いの外ショックが強く、今もトラウマとなって残っている。夏が来るたび、あの時のことを思い出しては一人ブルーになって沈む 夜を幾度となく繰り返してきた。
 あれから七年。海雪は短大を出て、今は公務員として市役所勤めをしている。いくつかの出会いと別れの後、良縁に恵まれて優しい結婚相手に巡り会えた。結婚式を三ヶ月後に控え、今はその準備に追われる毎日だ。
 婚約者のことはもちろん愛しているし、直登のこともとうに吹っ切ったつもりだった。
 それなのに──このところ直登が夢に現れては、海雪の心をめちゃめちゃにかき乱していく。心の奥底に残る想いの燃えさしを見つけてあざ笑うかのように、夢の中の直登は海雪に背徳的な行為を繰り返すのだ。
「……っんとに、もうっ!」
 ベッドの上に座り、ぐしゃぐしゃと髪の毛をかき回してみるものの、苛立ちが消えるわけではない。
 夢の中で、直登に抱きしめられて心臓まで掴まれた──そんな気がした。今思い出しても、胸が騒いで熱いため息が漏れる。
 吹っ切ったはずなのに、未練がましく直登を想っている自分に気がついて、海雪は夢から目覚めるたびに愕然となる。
(全部悠一が悪いんだ)
 そうやって婚約者の悠一のせいにしておけば、少しは気が晴れる。
 海雪はおもむろに立ち上がると、寝汗でべたついた身体を流そうと、バスルームへ向かった。
 このところ、悠一と些細なことでケンカすることが多い。
 今日だって、ジュエリーショップに結婚指輪を見に行こうと約束していたのに、昨日の夜になってドタキャンされてしまった。
『もういいよ! 私一人で行ってくるから!』
 電話口で謝っている悠一の言い訳を遮り、携帯電話に捨て台詞を吐いて無造作に切ってしまった。
 どうしても片付けなければならない仕事が入ったからで、そういう急な呼び出しがある彼の仕事については海雪もある程度は許容している。それも含めてプロポーズを受けたのだ。
 そう、彼のすべてを受け入れてプロポーズを受けた──はずなのに。
 心にできた小さな黒い染みが、結婚式が迫るにつれて徐々に広がっているような気がする。じわじわとした重みを感じながら、それは次第に身体さえ蝕んでいくかのようだ。
 自分以上に多忙な悠一の分まで、雑多な結婚式の準備を引き受けているからかもしれない。
 正直、結婚式の準備がこんなに大変なものだとは思わなかった。披露宴の会場を決めるところから始まって、招待客のリスト作成や衣装合わせ、引出物を選んだり、新婚旅行の手配もある。新居のことも考えなければならない。
 残り三ヶ月となり、海雪は自分の仕事も抱えながらこれらの準備をほぼ一手に引き受けて、パンク寸前なのは確かだった。
 だからなのか、様々なものに対して抱いている漠然とした不安が、海雪の心に重くのしかかり始めている。そしてそれは結婚への迷いとなって海雪を苛むのだ。
(本当に、これでいいんだろうか……)
 薄暗いバスルームでぬるいシャワーを頭からかぶりながら、もう何度目かわからない自問を海雪は繰り返した。
 悠一に特別な不満があるわけでも落ち度があるわけでもない。強いて言えば彼が脱いだ服をその場に放置して片付けないところだろうか。
 けれどそのくらいの不満は悠一だって海雪に対して持っているだろうし、何よりも年上である彼の包容力に惹かれたのだ。
 悠一は何も悪くない。それはわかっているのに──
(本当に、このまま結婚してもいいのかな……もしかしたら)
 単なる『マリッジブルー』で片付けてしまうには、夢見が悪すぎる。
 直登を思い出すたびに、海雪は考えてしまう。
 もし──直登と別れてなかったら?
 直登とあのまま付き合っていたら、今の私はどうしてる?
 過去は変えられないとわかっていても、どうしても考えずにはいられない。考えるだけムダとわかっていても、今の自分は妄執に囚われているのかもしれない。
 どれだけシャワーを浴びても、迷いは洗い流せそうにない。海雪はバスルームを出て、服を着た。
 廊下の窓から覗く青空は、腹が立つほど澄み渡って雲ひとつ見当たらない。肌を焦がすような日光が燦々と降り注ぎ、青々と茂った木々の葉に乱反射して緑色が眩しいくらいだ。
(そういやあの時も……こんな晴れて暑い日だったっけ)
 夏休みに入る直前、遠くの空にむくむくと立ち上る入道雲を眺め、高校生活最後の夏を満喫しようと心弾ませていたあの日を思い出す。
 海雪の口から、自然とため息が漏れ出ていた。
 外のうだるような暑さを思い浮かべたからだけでなく、忘れたい思い出までもが脳裏をよぎったからだ。

 自宅から一歩外に踏み出した瞬間に、海雪は後悔した。やっぱりやめておけばよかったと。
 お気に入りのノースリーブワンピースからはみだした肌に、日焼け止めをこれでもかと塗りたくってきたのに、肌を焼くどころか突き刺すような強烈な直射日 光を前にしては外出を尻込みしたくなるのも当然のことだろう。ましてや数ヵ月後に結婚式を控えて、できるだけ色白を保ちたいのに。
 けれど母に見送られて出かけた手前、すぐに回れ右するわけにもいかない。日傘を差し、門を出て道路に出ると、アスファルトから立ち上る熱気がゆらゆらと揺れるようだった。
 閑静な住宅街からバスに乗って、市街地に向かう。冷房がきいた車内は快適で、日曜ということもあって乗降客も少なく、混雑する平日よりも随分と早く着いたような気がする。
 駅前のバスターミナルに着くと、バスを降りた海雪はジュエリーショップのあるデパートに向かった。
 デパートの入り口で足を止めたが、逡巡するかのように動かない。やがて動き出したその足はデパートを素通りし、その向こうの違うバス停へと向かった。
 はたと足を止めた起点の停留所には既にバスが止まっていた。別の住宅街行きだ。バスの側面にいくつか並んだ経由地の中に、海雪が通っていた高校の名前がある。
 今度は躊躇うことなく、そのバスに乗り込んでいた。
 空いた座席に腰掛けるとすぐにエンジンがかかり、バスは滑らかに発車した。見慣れたような、それでいて七年の月日を感じさせる街の変化を眺めながら、海雪は窓に頭を持たれて休日の小旅行気分を味わっていた。
 同じ市内にありながら、駅の反対側にある母校へは卒業以来足を運んだことがない。学校祭に行くチャンスは何度かあったものの、所用で機会を逃してしまうこと数回、ついに行かなくなってしまった。恩師も別の学校に転勤となり、今は母校にはいない。
 二十分ほどかかったところで、高台へ向かう坂を上り、頂上の交差点を右に曲がってしばらく行った場所に母校はある。学校の校門横にある停留所をただ一人 降りると、バスは排気ガスだけを残して行ってしまった。何となく置き去りにされたような気がして、海雪は日傘を差すことも忘れてバスが見えなくなるまでそ の場に立ち尽くしていた。
 校門の前に立ち、前庭と三階建ての校舎を眺める。休日とあって、人影は一つも見当たらない。だが遠くの体育館から部活動らしき掛け声が微かに聞こえてくる。
 大した特色があるわけでもない、ごくごく普通の公立高校である。壁の色は真新しい白に塗り直されていたが、校舎の形はそのままだ。夏服のセーラー服に身を包み、若さにまかせてこの門を駆け抜けていったあの頃が鮮明に蘇るようだ。
 甘酸っぱさ半分、ほろ苦さ半分。
 真っ青な空と真っ白な校舎の鮮烈なコントラストに目を細めながら、年月を重ねてこそ味わえる妙味を噛み締める。
 くすぐったいような、締め付けられるような、そんな胸のざわつきを覚えて海雪はわずかに喘いだ。息苦しさから天を仰ぐと、ギラギラとした太陽と目が合いそうになって、眩しさに目を閉じた。
 暗転した世界が、一瞬歪んだように思えた──
 すぐに目を開ける。めまいを起こしたかと頭を振ったが、それほどのふらつきは感じられない。そういえば日傘を差すのを忘れていた。この暑さで熱中症になりかけているのかもしれない。
 そう思って海雪は手に持っていた日傘を持ち上げた──はずだったが、手にしていたのは紺色のスクールバッグだった。
「あ、あれ?」
 見覚えのあるバッグ。海雪が高校時代に使っていたのと同じものだ。というよりまさに海雪のもの。横にぶら下がっている薄汚れた猫のマスコットがその証だ。
「なんで……って、ええっ」
 下を向いて自分の服装を見た海雪はさらに驚いた。
 ワンピースを着ていたはずなのに、いつの間にか夏服のセーラー服に変わっている。ご丁寧に白のハイソックスとくたびれたローファーまで履いて、すっかり「なんちゃって女子高生」になっている。
(いくらなんでも二十四でこれはキツイでしょ……)
 海雪の頭は混乱して、的外れな心配をしている。
 そんなことを案じている場合ではないと、海雪は辺りを見回した。
 目の前に広がるのは高校の前庭で、その向こうに三階建ての校舎。だが、校舎の壁の白がさっきよりもくすんで見える。
 空は相変わらず青くて雲一つ見当たらないが、何となく周囲の空気がさっきとは違った感じがした。
「海雪! どうしたの? そんなとこでぼけっと突っ立って。遅刻しちゃうよ!」
 背後から急に声をかけられて、海雪は飛び上がらんばかりに驚いた。振り返ると、見知った顔がそこにあった。
「……さ、佐緒里?」
 高校時代の親友・佐緒里だ。今でも付き合いがあって度々会う機会はあるが、目の前に立つ佐緒里は幾分若く見える。大きな瞳とゆるいウェーブのかかった長い髪がチャームポイントで、男子の人気を集めていたことを思い出す。
 彼女もまたセーラー服だ。自分が知らないところで一風変わった同窓会でも企画されていたのだろうか?
 いや、そうではない──海雪は気付きはじめていた。
 目の前に立つ佐緒里は高校時代の彼女そのものだ。つい先日会った彼女とは髪の長さが全然違う。背後にそびえ立つ母校も、前庭にある樹木の大きさがさっきより微妙に低い。それに加えて自分のこの格好……
 海雪はおもむろにスクールバッグの中に手を突っ込んだ。記憶が正しければ、ここのポケットの中にあるはずだ。
「あった!」
 取り出したのは、持ち手のついた小さな手鏡。丸い鏡面に自分の顔を映す。
(やっぱり……)
 想像通りの顔が、そこにあった。
 この間栗色に染めたばかりのショートボブではなく、真っ黒な髪を二つに分けてまとめただけのシンプルな髪形。
 疲れとストレスでボロボロになりながらそれをファンデーションで必死に隠した肌ではなく、テニス部の練習で健康的に日焼けした張りのある肌。
 己を見つめる二つの瞳だけは変わっていないと信じたい。
 鏡の中の海雪は少し驚いていたが、高校時代の自分そのものであることは間違いなかった。
 海雪はさらにバッグを漁った。中に入っている教科書は三年生のものだ。ノートの表紙にも「VC 長岡海雪」と書いてある。
 タイムスリップ──そんな言葉が海雪の脳裏をよぎった。夢にしては何もかもがハッキリしすぎている。とりあえずのお約束として頬をつねってみたが、この夢のような世界は何一つ変わらなかった。
 どういう理屈かはまったくわからないが、二十四歳の中身だけが高三の夏に戻って来ているらしい。もしかして……
 ふと思い立ち、海雪は焦ったように佐緒里の肩を掴んで揺すった。
「ね、ねえ……今日って何月何日?」
 あまりの剣幕に驚いたのか、佐緒里は顔を引きつらせながらも答えてくれた。
「七月十八日……明日で学校終わりでしょ? 夏休みが待ち遠しくて頭おかしくなった?」
 明日は終業式──ということは、まさか……
(今日は……あの日?)
 茫然自失として立ち尽くす海雪を、佐緒里は本気で心配し始めたようだ。
「海雪、大丈夫? 顔色悪いよ?」
 そう言って顔をのぞき込む彼女に、海雪は我を取り戻し、笑顔を作って見せた。
「……ううん、なんでもない。中入ろ!」
 佐緒里の手を取り、海雪は引っ張るように校門をくぐった。
 
(これはきっと神様の思し召し……私は試されているのかもしれない)
 海雪はそう思わずにはいられなかった。玄関で靴を履き替えるのさえもどかしくて、片方のかかとを踏んだまま階段を駆け上がっていた。
 結婚に迷い、過去に迷い、思うがままに足を向けたこの母校で、七年前のあの夏──しかもこの日に戻ることが出来るなんて。
(神様は直登とやり直す機会を与えてくれたのかも)
 自然と階段を登る足が軽くなる。プリーツスカートの裾を翻しながら廊下を駆け抜け、通りすがりの教師の叱責を風に流して、海雪は三年C組の教室に飛び込んだ。
「うわっ!」
 突然目の前に現れた白いシャツにぶつかりそうになって、急ブレーキをかける。荒い息を飲み込んで、シャツの上に乗っかっている顔を見上げた。
「あ……」
「海雪おはよ。そんなに急いでどうしたの」
 懐かしくて、それでいてどこか聞き慣れた声。
「直登……」
 彼が、目の前に立っていた。
 今朝の夢に出てきた姿そのままだ。白の開襟シャツに黒の学生ズボン。サッカー部で日焼けした顔に部活を引退してから伸ばし始めた髪。柔らかく微笑んだその表情まで同じだ。
(ああ、ホントに戻ってきたんだ……)
 七年前にタイムスリップしたことをしみじみと実感し、胸に熱いものがこみ上げる。直登にあったら話したいことがたくさんあったはずなのに、そのすべてが喉の奥で詰まって出てこない。
(何か言わなきゃ……)
 そう思って口を開こうとした瞬間。
「海雪おはよ! あんたが遅刻ギリギリなんて珍しいわね」
 後ろから声をかけられて、海雪はまた言葉を飲み込んだ。振り返るとそこには友人の千賀子がいて、その向こうからは海雪を追いかけて息も絶え絶えになった 佐緒里がやってくるのも見えた。あたふたしているうちに直登は横をすり抜けてトイレに行ってしまい、もはや話すどころではなくなってしまった。
 でも、まだ今日は始まったばかり。自分の考えが間違ってなければ、夕方まで焦ることはないはず──
 海雪は懐かしい親友たちとの奇妙な再会を素直に喜ぶことにした。自分を取り巻く輪の中には今も付き合いのある友人もいれば、もう音信不通になってしまっ た友人もいる。懐かしさに浸りながらも七年の年月を感じる会話に、海雪はなるべく浮かないよう皆の話に相槌を打つことに専念した。
 急にガラガラッと戸を開ける音がして、背の高い人物が入ってきた。微妙に寝癖の残る黒髪。ネクタイをきちっと締めて、ピンストライプのワイシャツがなぜか少しまぶしい。
 その顔を見て海雪の胸がわずかに疼いた。
「ホームルーム始めるぞー」
 担任の北山だった。確かこの時で二十代半ばだったと思うが、まじまじと見つめると少し疲れたような細面の中にもにじみ出る若さがある。端正ながら陰を感じさせる風貌が女子の人気を集めていたことを思い出した。
 生徒たちは皆のろのろと自分の席に着く。海雪も記憶を頼りに自分の席に着いた。窓際の、直登の二つ前の席だ。
 青空を流れる雲をぼんやりと見つめながら、海雪はホームルームが早く終わるよう祈った。
 簡単な事務連絡だけであっという間に終わったが、北山が教室を出て行くのと同時に別の教師が入ってきた。一時間目はどうやら古文らしい。
 この日に戻ってきたからには、少しでも直登と話をしておきたかったけれど……
(今日をやり直すことができたら──)
 何一つ理解できない古文の授業を右から左に受け流しながら、海雪は漠然と思った。
 今日これから起こるはずの出来事が、自分と直登のターニングポイント──七年間、海雪はずっとそう思い続けてきた。それは後悔とも呼べるものかもしれない。
(今日をやり直すことができたら──未来が変わるのかな?)
 過去をやり直すということは、そういうことなのだ。もしかしたら今の自分は消失し、全く別の、直登との幸せな生活が待つ未来が広がるのかもしれない。
(それでも──)
 海雪は見てみたかった。
 もし──あの時、直登を突き放してなかったら?
 直登とあのまま付き合っていたら、今の私はどうしてる?
 人生に迷ったときには必ず自問していた。その答えが得られるかもしれないチャンスなのだ。
(よし)
 海雪は覚悟を決めた。
 難しいことをうだうだと考えていても始まらない。思うままに動いてみよう。

 七年ぶりに肌で感じる高校生活は、空気からして違うような気がした。
 教室の開け放たれた窓から流れ込む風は爽やかで、多少暑くは感じるけれども心地よいくらいだ。市役所のガンガンに冷えたクーラーの風よりはずっといい。湿気を含んだ風に運ばれる夏の香りを胸いっぱいに吸い込むと、胸のスカーフが震えるように揺れた。
 授業の内容はほとんど忘れてしまってただ聞き流しているだけだが、この教室で机の前に座り、シャープペンを握ってノートをとる──というただそれだけの行為がひどく新鮮に感じられる。職場でパソコンに向かい続ける毎日とは大違いだ。
 休み時間ともなれば友達が集まり、他愛もない話に花を咲かせる。いずれも気心の知れた同い年の友達ばかり、職場のように先輩を気にして敬語を使うこともなければ、大口を開けて笑おうが気にすることはない。
 少し離れたところには直登たち男子のグループがいて、そちらはそちらでくだらない話で盛り上がっているようだ。
 直登と、互いの視線を気にしながら教室では距離を置いて接している──そんなくすぐったい関係に思わず忍び笑いがこぼれてしまう。
「海雪、何一人で笑ってんのよ」
「えっ、何でもないよ」
 横にいた佐緒里につつかれて、慌てて頬を押さえる。
「高居くんといいことでもあったの?」
「何でもないってば」
 海雪が直登と付き合っていることはクラス全員が知るところではあるが、学校の中で堂々と馴れ合えるほど海雪の神経は太くなかった──少なくとも七年前は。
 集団だったら楽しく冗談だって言い合えたのに、一対一になると途端に周りの目を意識してしまって、視線すら合わせるのが難しい。
 今だったら──もう少しうまく付き合えると思うんだけど。
 佐緒里がまだ何か言いたそうにニヤニヤしていたので、海雪は話題を変えることにした。
「ね、夏休みどうするの?」
「何言ってんの、海雪。受験勉強に決まってるじゃん」
 輪の中の一人、ぽっちゃりめで色白な千賀子が呆れたように答えた。
「塾で夏期講習三昧の夏だよ。海雪も行くんでしょ?」
 そう言われれば確かに。
 部活動を引退した高三の夏は、大学受験に向けた戦争の始まりの時期でもある。遊びにうつつを抜かしている場合ではないのだ。かく言う海雪も七年前は夏期講習に明け暮れ、受験勉強に没頭した夏だった。
「あたしなんかこの間の模試の結果悪くて、親にバイトやめろって言われちゃってさ」
 そう愚痴るのは幸乃だ。ショートカットでボーイッシュな彼女はそういうわりにあっけらかんと笑っている。佐緒里も深刻そうな顔で口を開いた。
「うちだってすべり止め受けさせる余裕ないから、落ちたら就職ってプレッシャーすごいの。やんなっちゃうよねー」
 受験への不安を口々に募らせる友人たち。だが海雪は彼女たちの行く末を知っている。
 千賀子は国立大に合格し、今はメーカー勤務で華々しいキャリア生活を送っている。幸乃は結局大学受験をあきらめ、専門学校を卒業して美容師になった。佐 緒里は無事現役合格をして今は銀行で窓口に座っている。彼女たちがこの頃に抱いていた夢と仔細は異なるかもしれないが、それでも彼女たちは七年後の今を精 一杯生きている。
 海雪にだって、夢はあった。
 教師になること──教育学部に、直登と同じ大学に進学したい。
 そう思って一生懸命に勉強してきた。けれど、訪れた秋に別れを告げられて、ショックで何も手につかなくなってしまった。当然のごとく受験に失敗し、滑り止めに受けていた近場の短大に行く羽目となってしまったわけだ。
 何が何でも教師を目指すなら教職課程を取るという手もあったのだが、直登と別れてしまったことで将来のことなどどうでもよくなっていた。流されるままに 怠惰な短大生活を送って、卒業後は親に勧められるままに市役所の臨時職員となり、そして本職員として採用され今に至っている。
 七年後が、夢が叶わなかった未来が不幸だとは思わないけど──
(未来が変われば、夢も叶うのかな?)
 失恋し、努力することをやめ、楽なほうに流れ流された結果今の自分がある。たくさんの後悔とあきらめを積み重ねた未来は「精一杯生きている」とは言い難いものかもしれない。
 今日ここで未来を変えれば、一生懸命に努力して受験に失敗しなければ、もしかしたら後悔もあきらめもすることのない、素晴らしい人生に変わるかもしれないのだ。
(そうだよ──直登と別れずに済み、さらには夢も叶えた文句なしの未来じゃない)
 未来を変えることに躊躇がないと言えば嘘になる。時折悠一の優しい笑顔が脳裏をよぎるのがその証拠だ。
 だが七年前に戻ってきて、人生最大の後悔をやり直せるチャンスが目の前に迫っているのだ。何もしないわけにはいかない。
(今日この日に戻ってきたのには、ちゃんと意味があるんだよ……)
「とはいっても、やっぱり遊びたいよねー。高校最後の夏だし」
 物思いに沈んでいた海雪は、幸乃のハスキーボイスで我に返った。
「海雪は直登くんとどっか行くの?」
「えっ? あ、いや、あの……」
 佐緒里に急に話を振られて慌てふためく。
「まさか二人で泊りがけの旅行?」
「そそそんなわけないでしょ!」
「何ムキになってんのよ。もうキスぐらいしたんでしょ? そしたら次は……ねぇ」
 海雪以外の三人が顔を見合わせ、意味深に笑う。七年前の当時はいったいどうやって答えていたのだろう。
 離れた場所の直登にチラと視線をやったが、彼はこちらに背を向けて顔を見ることはできなかった。
 海雪は頬を歪めて苦笑いのような表情を作るので精一杯だった。当時もきっとそうしていたと思うけれど、その苦笑に込められたニュアンスは、七年前とは全く正反対のものに違いない。
 
 直登が大好きだった。
 ただ一緒にいて、二人で笑いあえるだけで幸せだった。それ以上のことは何も望まなかった。ずっとずっと、一緒だって信じてたのに……
 何であんなことをしてしまったんだろう。
 七年前の今日──誰もいなくなった教室。空の水色と夕焼けのオレンジ色が滲んだ窓、長く伸びた自分と直登、二つの影。
 その影が、突然一つに重なった。
 直登に抱きしめられたのだ。
 頬に触れたシャツの感触と、少し汗ばんだ彼の匂いで、直登の腕の中にいることに気づいたくらいだ。
 驚いて顔を上げると、直登の真剣な眼差しがそこにあった。その眼光は何かを物語るかのように揺れていたが、その時の海雪に彼の心情を汲み取る余裕などどこにもなかった。あまりにも鋭いその視線に射すくめられて、恐怖のほうが先立ってしまったのだ。
 だから──直登の顔が迫ってきて、海雪はとっさに彼を突き放してしまった。
『──いやっ!』
 突き出した腕の分だけ開いた距離──それが、そのまま二人の心の距離になってしまうなんて。
 直登が大好きだった──はずなのに。
 キスしたくなかったわけではない。むしろ周囲からそういう話題を出されるたび、付き合って半年以上も経ちながらまだキスもしてないことに焦りすら感じていた。
 だからといって、軽いノリで済まされる二人でもなかった。友達の延長のように始まった二人だったから、そういう雰囲気になることを意識的に避けていた部 分もあったかもしれない。お互いにタイミングを計りながら、周囲からの無言のプレッシャーを感じながら、あの頃の海雪と直登の間にはどこか張り詰めた空気 があった。
 直登はその空気に耐えられなくなったのかもしれない。だから、あんな唐突に迫ってきたのだ──と、今ならそう思える。
 大好きだったとは言いながら、その時まで直登に抱いていたのは恋愛感情ではなかったのかもしれない。
 学校では皆と一緒になって騒いで、直登の部活がない日は一緒に帰って、ファストフードを食べながら何時間でも話し込んだ──そんな性別を超えた親友のような関係を「恋人同士」とうそぶいていたのだ。
 それでもよかった。背伸びなんて、周囲の目なんて気にしたくなかった。
 一線を越えることによって、楽しかった直登との関係が壊れてしまう──それが何より怖かったのだ。
 後に残ったのは気まずい雰囲気と、ほろ苦い後悔だけ。
 自分にとって、どれだけ直登が大切な存在だったのか──失って痛いほどそれを知った。
 すべては七年前の今日、ふとした弾みで起こってしまった一つの間違いから始まったのだ。だからその間違いを正せば、未来はあるべき本当の姿へと修正されるはず。
 今日の夕方、直登とキスできれば──きっと未来は変わるのだ。

 六時間目も終わる頃になると、窓から差し込む日差しが肌を刺すように暑かった。
 中庭の木々から蝉時雨が耳に痛いほど響いてくる。こんなふうに夏を満喫するのは久しぶりだなと、海雪は机に頬杖をつきながら思った。
 今日の授業はこれで終わり。いよいよ放課後──決戦の時が始まる。
 とはいえ、朝から今まで直登とはうまくやってこれたつもりだ。つかず離れずの微妙な距離を保ちながら、友達を交えてちゃんと会話もできたし、お昼も一緒に食べられた。
 七年前の記憶が徐々に戻り、すっかり周囲に馴染んで考え方や感情まで七年前に戻ったかのようだ。
 時間が緩やかに流れているような、至福のひと時。
 今日という日がこのままずっと続けばいいのに──そんなふうにさえ思ってしまう。
 ホームルームが終わり、級友たちは席を立ち各々帰路に着き始めた。
「海雪」
 直登に声をかけられて、海雪は振り返った。
「今日何か用事ある?」
「ううん、ないけど……」
「じゃ、一緒に帰ろうか」
 こんな展開だったかな、と思いながらも腰を上げたその時だった。
「高居先輩いますか」
 低い声に戸口を見ると、丸坊主の下級生らしき男子がドアから顔を覗かせていた。サッカー部の後輩のようだ。駆け寄った直登に何事か話している。
 しばらくして、直登がこちらを振り返った。
「悪い、海雪。ちょっと部室行ってくるから、教室で待ってて」
 そう言って、直登は後輩とともに教室を出て行ってしまった。引退したとはいえ元主将、後輩にとってはまだまだ頼れる存在なのだろう。
 海雪は苦笑しながらもまた席に着いて、周囲にいた友人と話をしながら待つことにした。
 だが──いつまでたっても直登が戻ってこない。
 教室に残っていた友人たちも一人減り二人減り、気がつけば残されたのは海雪一人になっていた。
 誰もいなくなった教室をゆっくりと見回す。徐々に傾いていく夕日とともに長くなる影を見つめて、海雪は息をついた。
 急に寂しさが募ってくる。教室に、いや七年前のこの時間に一人取り残されたようだ。
 高校生活は確かに楽しいけれど──七年後の現実が少しだけ恋しくなる。
 未来が変われば、二十四歳の自分の記憶は消えてしまうのだろうか。このまま新しい人生を送ることになるのだろうか。その時──悠一は?
 海雪は未練を断ち切るように立ち上がり、窓の外を向いた。
 見下ろした中庭の花壇では、ヒマワリや百合などの夏の花々が色とりどりに咲き誇っていた。目にも美しい花々と濃い緑の鮮やかな色が目を突き刺すようだ。
(いいや──私はやり直すんだ。生まれ変わるんだ)
 ここまできて何もしないで終わらせるなんてことはしたくない。きっとこのタイムスリップには意味があるのだ。
「おわっ」
 後ろから急に声がして、海雪は飛び上がらんばかりに驚いた。
「ぎゃっ」
 慌てて振り返ると、担任の北山が同じように驚いた顔で戸口に立っていた。
「せ、先生?」
「長岡か。ビックリした……」
 ビックリしたのは海雪も同じだ。動悸の激しい胸を手で抑えると、小さな痛みが走った。
 北山は背が高く、教室の入り口に頭をぶつけそうだなといつも気にしていたことを思い出す。気持ち頭を軽く下げながら、彼は教室に入ってきた。
「先生どうしたの?」
「ああ、掲示物張り替えとくの忘れてな」
 北山は教室の後ろの掲示板に向かった。画鋲を抜きさししながらプリントを張り替える様子を、海雪は椅子に腰掛けて見つめていた。
 考えてみれば、この当時の北山と七年後の海雪はちょうど同い年ぐらいになる。生徒とは違う、ワイシャツにネクタイ姿の北山の後姿を眺めていると、ふとどうしても尋ねたくなってしまった。
「ね、先生」
「なんだ?」
 北山が振り返った。この頃で教師になってまだ三、四年目くらいのはず。先生というより兄もしくは先輩といった雰囲気だ。
「先生って今彼女いるの?」
「いるよ……って答えたいところだけどな、只今絶賛募集中だ」
「ふーん……でも前にはいたんでしょ?」
「まあ……そりゃあな。って、なんでこんな話してるんだろうな」
 照れくさくなったのか、北山はまた後ろを向いて掲示物を直し始めた。その背中に追い討ちをかけるように、海雪は質問を続ける。
「もし……もしだよ。過去に戻れたら……その人とやり直したいと思う?」
 北山が動きを止めた。
 何か触れてはいけないものに触れてしまったのだろうか──海雪が不安に駆られ始めたその時。
「……昔の彼女に未練が全くないって言ったら、嘘になるかもな。やり直せるチャンスがあるなら──って思うときもあるよ」
 北山は振り返りもせずに、しかしながら落ち着いた声でそう言った。
「大人になれば……誰しも一つや二つはやり直したい過去ってもんがあるんじゃないのか」
 北山にもそういう想いがあることを知って「自分だけじゃなかった」と安堵した反面、海雪の胸中には例えようのない複雑な感情も渦巻いていた。ピンストライプシャツの背中を見つめるその表情がわずかに曇る。
 そんな心の機微を感じ取ったのか、北山がこちらを向いた。
「でも──過去があるから今の自分がいるんだ」
 そう語った彼の表情は、澄み渡った青空のように晴れ晴れとしていた。
「あーすればよかった、こーすればよかったって、後になってから思うけどな。それが正しい選択だったかなんて、もっともっと時間が経たないとわからないだろ?」
 微笑みながら海雪を見つめるその瞳は、深く思い悩む生徒に対する教師としての思いやりに満ちあふれていた。その微笑が少し眩しく感じて、思わず目を細めてしまう。
「確かに今は一人だけど、不幸だなんて思わないよ。振り返ってばかりじゃ前には進めない。しっかり胸張って前向いて進んでりゃ、幸せはいつの間にか後ろについてきてるものさ、きっと」
 北山はそう言うと、つかつかと戸口に向かってしまった。心なしか頬が赤いように見えたので、柄にもないことを言ってしまった照れ隠しのポーズだったのかもしれない。背中越しに「早く帰れよ」という言葉を海雪にかけて、彼は足早に去って行った。
 励ましてくれた担任に「ありがとう」の一言でも言いたかったのに──言葉がなかなか出てこなかった。
 胸が熱くなって、疼くような痛みさえ感じる。深呼吸しようと大きく息を吸い込むと、中庭で咲き誇る百合の花の香りが鼻腔の奥をつんと刺激した。

 しばらくして直登は戻ってきた。
「待たせてゴメン。引継ぎがうまくいってなかったみたいでさ、結局オレが全部やることになっちゃって」
「大丈夫だよ」
 夕陽を背負った逆光の中で、海雪は笑顔を見せた。
 空が茜色に染まり、教室の中に眩しいほどの西日が差し込んで同時に色濃い影をも作り出している。どこか郷愁を誘うこの光景をもう少しだけ味わっていたかった。
「きれいだね」
「え? 何が?」
「夕陽が」
「暑いだけだろ」
 そう言いながら、直登は窓際に立つ海雪に並んだ。夕陽を浴びて、浅黒い肌が赤く染められていた。
 静まり返った教室の中で、遠くから部活動に精を出す生徒たちの声が微かに響いてくる。
 西日で暖められた空気で身体は汗ばんでいたが、時折吹き込む風が淀んだ暑さを吹流してくれてとても心地よかった。
 汗で頬に張り付いた髪の毛をかき上げ、窓の外を眺める。横顔に直登の視線を痛いほど感じた。
「なんか今日の海雪、いつもと違う感じがする」
「えっ、そ、そう?」
「なんか大人っぽい」
「……それってあんまり褒め言葉じゃないよ」
 七年前はどんな会話を交わしていたのだろうか。もう思い出せないが、その後はとりとめのない話で場を濁した。だが話は自然と明後日から始まる夏休みのことへと移っていく。
「受験勉強進んでる?」
「この間部活引退したばかりだからなぁ。やっと軌道に乗り始めたくらい。海雪は? 夏期講習行くんだろ?」
「うん……」
 その努力も水の泡となることを知っているので、歯切れの悪い答えしか返せない。
 しばらくの沈黙の後、直登が口を開いた。
「夏休み……どこかに遊びに行こうか」
 海雪はビックリして直登の顔を見た。昼間佐緒里から冗談で言われたことが本当になりそうだったからだ。
「いや、あいつらがうるさくてさ。高校最後の夏休みなんだから、一泊旅行でもしてこいって……まったく人の気も知らないでよ」
 直登の言う「あいつら」とはいつもつるんでいた友人たちのことだろう。
 海雪が佐緒里や幸乃たちからけしかけられていたのと同じく、直登も下卑た悪友たちからいわゆる「ひと夏の経験」をそそのかされていたのである。
 当の本人たちは経験どころかキスもまだ、手をつなぐのがやっとという珍しいカップルだったのに、周りはそんな事情を露とも知らなかったわけだ。
 直登は苦笑いを浮かべていたが、実際友人たちに囲まれてそんな話が出たときにはいたたまれない気持ちだったのだろう。
「私は……それでもいいよ」
 それは、十七歳ではなく二十四歳の海雪の呟きだった。直登の辛さを思えばこそ、少しでも彼の気持ちを楽にしてあげたかった。
「えっ?」
 だがその声は、海雪には非難めいて聞こえた。
 こちらをまじまじと見つめる直登の顔に、戸惑いの色が浮かんでいるのがありありと見てとれる。自分がそんなことを言うはずがない──といぶかしんでいるのかもしれない。
 海雪は背筋が寒くなる思いがした。
「……う、うそうそっ! 今の忘れて!」
 慌てて顔の前で手を振る。愛想笑いを浮かべながら必死に弁解するが、こちらを見つめる直登の目には憐れみの色すら浮かぶようだ。思いつめたように眉根を寄せ、口を真一文字に結んでいる。それがまた海雪を焦らせた。
「ゴメン、冗談だよ! 勉強も忙しくなるし、そんなことやってる場合じゃないよね! 私ったら何言ってるんだろ、もう……」
 言葉を失って、動揺を隠そうと目を伏せた、その時だった。
「……海雪!」
 次の瞬間、海雪は直登の腕の中にいた。
 きつく抱きしめられて、胸に耳を当て激しい鼓動の音を聞いている。直登の動きをある程度予想していたはずなのに、実際に抱きしめられると頬が紅潮し胸が高鳴るのをどうにも抑えられない。
 冷静を取り戻せる心の余裕がまだあることだけが、七年前と違う点だ。
 焦り、衝動、混乱、驚き──直登の中で様々な感情が渦を巻いていることを肌で感じられる。
「直登……」
 腕の中で顔を上げると、思ったとおりの険しくさえある彼の目がこちらを見下ろしていた。わかっていても、胸がドキリとする。
 そう、わかっている──この後、直登の顔が近づいてきて……急に怖くなって突き飛ばしてしまったのだ。でも今なら、直登がこの時に抱えていた苦悩や焦燥感が理解できる。
 今は怖いことなんて何もない。もし何か一つ怖いことがあるとすれば、それは未来が変わるその瞬間をこの目で見ることだけだ。
(今の私は、あの時とは違う)
 海雪はゆっくりと目を閉じた。直登が息を呑むのがわかる。
 時間がとても長く感じた。直登の腕の中にいながら、真っ暗闇の中に一人取り残されたような孤独感だ。
『振り返ってばかりじゃ前には進めない』
 不意に、先ほどの北山の言葉が脳裏にじんじんと響き渡った。耳を塞ぎたかったが、腕は動かせないし塞いだところでどうにもならない。
『過去があるから、今の自分があるんだ』
 その言葉に、打ちのめされた。
(そうだ──私は私なんだ)
 悠一の笑顔が、まぶたの裏に浮かび上がって焼きついたように消えない。
 面影を消すように目を開けると──海雪は直登の胸に手を当て、ゆっくりと身体を離した。
「……海雪?」
 今まさにキスしようとしていた直登は、驚きと困惑が入り混じった複雑な表情でこちらを見ている。拒絶されたと思ったのか、あの時を思い出させる表情だ。
 だが海雪は微笑を浮かべて、優しく彼を見つめていた。
「直登……大好きだよ」
 そう呟くと、吹き抜ける風のように素早く、彼の頬に唇を寄せた。
 直登は大きく目を見開いて、唇の跡を抑えるように頬に手を当てていた。その顔は茹で上がったように真っ赤で、まさか海雪のほうからキスされるとは夢にも思っていなかった様子だ。
 海雪は一度息をつくと、寂しげに笑って見せた。
「ごめん直登……私は直登の知ってる私じゃないんだ」
「えっ」
「未来に帰らなきゃ……だからここでお別れだよ」
 言ってることの意味がわからない──とでも言いたげな直登の顔。キスの驚きとはまた別の驚きで、海雪の顔を穴が開くほど見つめている。
 その視線を避けるように、海雪は目を伏せた。
「七年間……いろんなものをあきらめて、いろんなことに流されて……いっぱい後悔したよ。今日という日をやり直せたらって、直登とずっとうまく続いてたらって何度も考えた」
 何かうまくいかないことがあるたびに、その理由を今日という日になすりつけていた──こんなはずじゃなかった、と。
 ずっと後ろ向きに生きてきた自分に、引け目すら感じていた。
「けど……過去があるから、今の自分がいるんだよね。後悔したことだってあきらめたことだって、きっと私が私であるために必要なものだったんだよ」
「海雪……何を言って……」
「神様は私に、やり直す機会じゃなくて、過去と決別する機会を与えてくれたんだ──だから今の自分を、目の前の幸せをもっと大事にしなくちゃね。小さな失敗がたくさんあったとしても、歳を取って人生を振り返ったときに『幸せだった』って思えるように……」
 海雪は精一杯微笑んで見せた。もしかしたら泣き笑いみたいな変な顔になっていたかも知れない。
 それでも直登をまっすぐに見つめて、わけのわからない告白に当惑しきる彼の顔を目にしっかりと焼き付けた。
「さよなら、直登」
 海雪は一歩踏み出すと、静かに直登の脇を通り抜けた。教室を横切る足は次第に早くなり、戸口を出る頃には軽く走り出していた。
「海雪、待って!」
 直登の声を背中に聞きながら、海雪は廊下を力いっぱい駆け抜けた。風よりも早く、追いすがる未練を断ち切るように。
 階段を駆け下り、玄関を飛び出す。視界がぼやけて前がよく見えないが、校門のある方向に向かってとにかく走った。
 零れ落ちる涙が、風にさらわれていく。涙をぬぐう時間さえも惜しいような気がして、ただひたすらに足を前に進める。立ち止まりたくなかった。何も考えたくなかった。
 行く先に人影が見えたが、かまわずにその脇をすり抜けた。
「長岡!」
 ひどく懐かしく感じる声が、海雪を引き止める。足を止め振り返ると、たった今脇をすり抜けたその人物──北山がこちらを向いて驚きの表情を見せていた。
「先生……」
「ど、どうした……その顔」
 生徒が泣きながら走っていれば、驚いて引き止めたくもなるだろう。
 だが海雪はその質問には答えなかった。代わりにとびきりの笑顔を浮かべて、軽く手を上げた。
「先生、ありがと!」
 北山に送る言葉は、別れではなく感謝の言葉のほうがきっとふさわしい。
 海雪はまた走り出した。後ろで北山が何か言っていたが、もう振り返らなかった。
 一歩、また一歩と校門へ近づいていく。そして身体が門をくぐった瞬間──猛烈なめまいが襲ってきて、視界がぐにゃりと歪んだ。思わず目を閉じると、一瞬の闇の中で世界がぐるぐると回っていた。過去から未来へ、世界が再構築される──その音を聞いたような気すらした。
 しっかりと地に足が着いている。そのことを確認してゆっくりと目を開けると……
 海雪は学校の前に立っていた。
 手には日傘を持ち、服はノースリーブのワンピース。時間も夕暮れ時ではなく、太陽がその威厳を目いっぱい誇るお昼時。タイムスリップする前と全く同じ状況である。
 つまりは、現代に戻ってきたのだ。
 海雪は立ち尽くして泣いていた。頬を伝い、零れ落ちる涙はアスファルトに滴り落ちて、跡も残さずすぐに蒸発する。
 いったい何時から泣いていたのか──
 あちらの時間では半日ほどでも、こちらの時間にしてはほんの一瞬の出来事。
 もしかしたら、あれはタイムスリップなどではなく、この気が狂いそうな暑さが引き起こした白昼夢だったのかもしれない。
 それでも、この瞳から流れ落ちる涙が、時を越えた直登との邂逅の証だと海雪は信じたかった。

 疲れきって帰宅すると、玄関に我が家のものではない男物の靴が一足並んでいた。
「海雪、悠一さんがいらっしゃってるわよ」
 出迎えてくれた母にそう言われてリビングに向かうと、悠一がピンストライプのシャツに包まれた身体を少しだけ縮こませてソファに鎮座していた。
 こちらに気づくなり、悠一はすくっと立ち上がった。背が高い彼は海雪を見下ろしていたが、顔の前で手を合わせたかと思うとこちらを拝み倒すように頭を深々と下げた。
「海雪……ゴメン!」
 何のことなのか、一瞬わからなかった。昨日の出来事なのに、もう何年も経ったような錯覚に陥っている。
 ドタキャンを食らわされたことなのだと気づいても、もう怒る気はなかった。それどころか悠一に対する愛情がふつふつと沸いてきて、胸が暖かい。
 黙って彼を眺めていると、何も言わない海雪に不気味なものを感じたのか、恐る恐る顔を上げてきた。
 女生徒に人気のあった端正な細面は、七年の月日を感じさせる風貌に変わっている。あの頃の若さあふれる容姿も良かったけれど、海雪は今のこの顔のほうが好きだ。
 きっと中身は変わってない。いつだって自分を元気づけ、優しく包んでくれる。
 過去にとらわれてばかりいたから、すっかり見失っていた。夢が実現していなくても、直登と結ばれていなくても、今の自分は幸せなのだ。叶わなかった未来を追い求めるより、これから悠一と二人で幸せな未来を築いていくことのほうが大事──と、今はしみじみ思う。
 海雪は自然と微笑んでいた。変わらなかった七年後の未来は、こんなにも優しく自分を迎えてくれたのだ。
 その笑顔を見て、悠一もまたホッとしたように顔をほころばせた。放課後の教室で海雪を励ましてくれたあの時の表情と同じだ。
「……先生、ありがと」
 悠一──七年前、海雪の担任教師であった北山悠一は、自らを先生と呼んだ海雪を不思議そうに眺めた。かつての教え子が恋人に変わった三年前以来、そんな呼び方はされたことがない。
 だが悠一も何かを感じたのだろう。
「何か昔に戻ったみたいだな」
 そう言ってはにかんだ顔もまた七年前と変わらない。
 悠一は少しだけ教師の顔に戻って、教え子を見つめる瞳で海雪に微笑んだ。
「おかえり……長岡」
 風鈴が揺れる音に窓の外を眺めると、夏の青空はいつの間にか暮色に染まっていた。


この作品が気に入っていただけましたら『高得点作品掲載所・人気投票』にて、投票と一言感想をお願いします。
こちらのメールフォームから、作品の批評も募集しております。

●感想
MIDOさんの意見
 MIDOです。うーん、わたしは普通にラノベのノリで読めちゃいました。ありきたりかも知れないけど、いい話でしたね。

 最初はマリッジブ ルーが続いて「あらら」と思っていましたけど、中盤のタイムスリップから人生観的なことが入ってきて「なるほど〜」と感心していました。考え方とか感じ 方、そういったところが素直に伝わってきてよかったと思います。最後のオチも、途中から予想できていましたが、順当なところでよかったですね。

 最初は頑張れヒロインというところでしたが、途中から考えが変わって、例の事件の瞬間。結局キスしないで別れちゃって、むしろ相手が可哀想だなって思ってしまったり(笑) その彼は今どこでなにをしているんでしょうね……(妄想中)

 真新しいところはありませんが、全体的にまとまっていてしっとりしていていい作品でした。個人的には「サマータイムブルース」よりZONEの「シークレット・ベース」な雰囲気でした(笑)
 コメントは以上です。


いさおMk2さんの意見
 さまたいむぶるーす♪さーまたいむぶるーす♪
 企画参加お疲れ様でした。いさおMk2と申します。
 拝読致しましたので、感想など書かせて頂きます。

 冒頭のマリッジブルーっぷりが、実にリアルでしたw
 ついついX年前を思い出し、軽く物思いに耽ってしまいました。

 ……まあ、小生はキレられる側だったのですが。どうして引き出物ごときであんなに喧嘩したのだろう?

 それはともかく。
 有りがちなタイムスリップモノの様でいて、実は白昼夢かもしれないファジーな展開は良かったです。
 ややテンプレ感というか、お約束感もありましたが、上手な展開と綺麗な文章で最後まで一気に読んでしまいました。
 最後の、直登との会話は、トム・ハンクス主演の名作『BIG』のクライマックスを彷彿とさせる、実に良いシーンでした(映画では、言われる側でしたが)
 おっさんの心を掴んで離さない、実に卑怯なお話ですw

 ただ、残念な事に、先生と話す段階でオチがなんとなく見えてしまいました。まあ、それでも楽しめたので大した問題では無いのかもしれませんが。

 今にして思えば輝いていた(と思う)あの頃を思い出させてくれた、というポイントを加味して、この点数を付けさせていただきます。

 楽しい物語をありがとうございました。
 乱文、ご容赦を。
 お互い、祭を楽しみましょう。


天笠恭介さんの意見
 こんにちは。天笠恭介と申します。
 御作を拝読させて頂きましたので、批評・感想をさせて頂きたく思います。
 以下本文

 先生、教え子になんて事を……(手を出した的な意味で)
 これだけだとこの話が誤解される事必至ですね。いいお話ですよ?


 さて、こんな願望は誰でも抱いた事はあるでしょうね。むしろ体験するだけでも体験したいものです。今一度、あの日あの時あの場所へ。
 自分はあまりオチを意識しないで読む性質なので、王道テンプレでも読めるんですよね。ただし、面白く読めているとき限定ですが。変に粗探しし始めたら自分的に危険信号です。

 最初はこういう感覚の経験が無いせいで、「あー婚約者精神的に浮気されて悲惨だなー」って思ってたんですが、そういう話じゃありませんでした。
 うーん人の心は複雑怪奇で難しいです。

 しかし、直登どうなった直登。誰か奴の足取り知らんのか。
 後は何があって恩師と見合ったのかですねー。卒業しちゃえば関係ないとは言いますが、世間的に……いや別にいいのかな? 卒業直後でもないし。

 昼も先生よ――自重します。

 失礼しました。駄文すみません。
 ではこれにて。


みすたンさんの意見
 ども、みすたンです。

 こういうのもありだよねって、なんか大人っぽくてよかったです。ラストはやっぱりそうか、と途中で少し読めてましたけど、まぁそれはそれでいいのかなぁ、と。
 あとはちょっと「何でタイムスリッブしたのか」っていう部分があったのはありました。まぁ不思議感あるのもありっちゃありだろうと思うんで気にしないでください。
 あと直登が今どうしてるかとか、結婚式に直登を含めたクラスメイトを呼んでやろうかとか、そういうのがオチに付いてたら面白かったかなーとちょこっと思いました。

 全体的にはよくまとまってる作品だったと思います。

 ではでは。


三十路乃 生子さんの意見
 マリッジブルーって何です海産物、三十路乃 生子です。

 おー。
 王道は嫌いですがこういった作品は好みだったので面白かったです。
 話としてもまとまっていましたし、在り来たりな内容でしたが丁寧で最後の過去を振り切るシーンは説教臭くなくて好感触です。

 以下、細かい印象。

・(直登とキス、直登とキス、直登とキス……)
 怖ええぇぇぇ!

・疲れとストレスでボロボロになりながらそれをファンデーションで必死に隠した肌
 な、何故だろう、心から共感してしまった……。

・高校生活は確かに楽しいけれど──七年後の現実が少しだけ恋しくなる。
 良い表現でした。

・(いいや──私はやり直すんだ。生まれ変わるんだ)
 この時点で決意しているのが私には唐突でした。序盤であれだけ迷っていたのに決心した理由が分かりませんでしたので。

・ひどく懐かしく感じる声が、海雪を引き止める。
 くっ!
 引っかかってはいたんです!気にもなったんです!わざわざ二回も出す意味何てあるのかなぁとか、漠然と思っていました。
 しかし、オチがそれだと気付けなかった。畜生めぃ!
 皆さんは気がついているらしい分、不覚を取った気分です。ミステリーファンとして情け無い。

 それではエメラルド(マリッジが分からないので)ブルーの作品をありがとうございました。
 あ。ちなみにBGMはポルノでした。ユーミンにしておけばと少し後悔。


秋のオオカミさんの意見
 読後まず思ったことは、「この作品好きだなあ」でした。
 柔らかい雰囲気や内容がツボにはまりました。情景をスッとイメージできる描写も良かったです。うう、褒めてばっかりになってしまう……。
 
 他の方もおっしゃってますが、直登がどうなったのか知りたいですねー。でも現在に登場させたらなんか複雑な心境になりそうな……「あー、どうなったんだろうなあ」と思わせてくれるこの終わり方もありなのかなあと思いました。

 こういう先生が担任だったら……個人的に教師に対してはいい思い出がないので(暗っ)海雪がうらやましい。幸せになってほしいと素直に思えます。

 それでは、失礼します。


のり たまごさんの意見
 こんにちは。読ませていただきました。

 サマータイムブルースは好きですが、マイ・レボリューションはもっと好きです。みさとー
 
 結婚式の準備と子供が病気になって喧嘩をするカップルは多いですなー。
 僕も招待状の宛名書きをミスって、サル以下だとののしられたことがありますw 誰って、妹に!
 今 思い出しても腹立たしい出来事ですが、お目出度いことなので不問にいたしました。あと教会で挙式したので神父さんが我が家へ電話してきたことがありまし た。ドイツ人だったので、カタコトの日本語。イタ電だと思い、「おととい来い!」と返事をし、妹にブレーンバスターをキメられたのは内緒ですw

 と、胸が痛くなるようなお話でしたが(どこがー)、ヒロインの心模様がきゅんきゅんきて、「いい恋しろよ」と自分に言いたくなる力作だったと思います。
 ありがとうございました!


兵藤晴佳さんの意見
 拝読いたしました。
 
 爽やかなSF青春小説です。
 切ないですねえ。高校時代をもう一回、という気持ち。
 正直もう、プロットなんかどうだっていい、という気がしました。
 高校時代の日常が活写されている。それで充分です。

 それにしても。
 ええ時代だったなあ、と思えるのは世の中悪くなってるってことで……
 そこまで考えてしまったペシミストの私です。


AQUAさんの意見
 こんばんは。作品拝読しました。
 いやー、完成度の高い大人のSF恋愛、楽しませていただきました。
 文章面も、ストーリー運びも、ツッコミどころがほとんど無いです……隅々お手本にしたいです。

 確かに展開そのものは王道という感じもありますが、王道ウェルカムです!
 同級生とも甘酸っぱい恋愛して、先生もだなんて、一粒で二度美味しい高校生活。
 本当に、羨ましい主人公サンです。
 過去をやり直せたら……というテーマも、ラブも、夢がたっぷり詰まっていました。

 しいて何かご意見さしあげるなら、直登君のキスを拒むシーンに繋がる、先生との会話ですかね。
 直登君とやり直したいという気持ちが揺らぐには、ほんのちょっと弱かったような……。
 例えば、短大時代や職場での新たな出会い、楽しかったエピソード、そして婚約者さんのイイトコロなど、走馬灯のように現れて「これが消えちゃってもいいの?」的な自問自答シーンがあったりすると、うんうんと頷けたかもです。

 ともかく、シリアスでハートフルな王道ラブストーリー、楽しませていただきました。
 ご馳走様でしたっ!


チベットさんの意見
 こんにちは。
 まずは書いときましょう。これは「ファンタジー」です。
 すみません、感想に意見につっこむと荒れるもとになるので控えなきゃいけないのですが、前二人の方が「SF作品」として評価していたので。評価にクレームしたいわけではなく、ここからあとにくる評価には補正しときたいと思ったので。
 「時をかける少女」のおかげで「タイムリープ」ものはSFと思われがちですけど
 それは科学的な法則やアイテムがあっての話で、これはそういうところなく人智を超えた存在や現象による「タイムリープ」もしくは「リアルな幻想」にいけば「ファンタジー」の部類になるんですけどね。

 まよったというより評価が二つになりました。
 ラストを上手くまとめて面白かったのと、
 作者さんのこれからの創作スタイルを考えると厳しい意見をいったほうがいいのではないかと感じるところもあって複雑なところにいます。

 まず厳しいところをいえば、いわゆるこれって「リセット願望」なんですよ。
 あらゆるところでこういった物語をみる機会はおおいです。「世にも奇妙な物語」でもあったし、覚えているとこ ろでは山下智久・長澤まさみ、主演の「プロポーズ大作戦」、読売テレビで放送していた「リセット」などなど、だから駄目だというわけではないんですけど、 もうこれだけでアイデア勝負するには評価できない話です。 上のドラマでもただ過去にもどってやりなおそうとするだけでなく一工夫をいれています。
 オチもSFではないために「夢オチ」ともとれるのでこれも微妙ですね。
 そのあたりをわかって息休め的なところで作られていたのなら問題ないんですけど、知らずにつくられ作者さんのもてる精一杯だとしたら魅力させるアイデアを引き出すのは辛い作業になると思います。

 文章はきれいでした。イメージしやすかったです。過去をひきずる心理描写は共感するところまで感じました。婚約者が先生だったいうのもわかりそうなのに、上手く伏せていたおかげでラストでサプライズでした。
 演出などで上手いと思える部分があった作品だけにストーリーの基礎部分のアイデアに踏んばりみたいなものが欲しいと感じました。


佐伯涼太さんの意見
 おおお、これは綺麗な話だ。

 タイムスリップ(?)ネタは数多くありますし、結果、未来を変えることを拒む、というのはよくあるパターンですが、王道と言えば王道ですね。
 これだけでは王道、の一頃で片付けられてしまう所ですが。実は婚約者が、その過去に登場していたという要素を加え、奥の深い物語に仕立て上げています。ううん、これは上手い。

 文章はとても上手いですし、雰囲気もたっぷり出せています。

 ちょっとツッコミどころが少なすぎて、あまり言う言葉が見つからないのですが。
 敢えて言うなら、やはり題材が真新しい物ではなかった、ということくらいでしょうか。

 それと、
>「もし……もしだよ。過去に戻れたら……その人とやり直したいと思う?」
 これって、完全に引き留めて貰おうとしていますよね。もちろん、主人公の複雑な心理というものもあるとは思いますが、この時点では過去の恋人寄りになっている印象だったので、若干の違和感。
 そして主人公が迷いを振り切る、現実を受け入れようとする方向に傾くシーンと言えば、ここくらいです。
 もう少し、こういうシーンを増やして、タメを作っても良かったんじゃないかな、とも思いました。が、これは主観的な部分なのでスルー推奨です。

 うーん、やはり、ツッコミどころが少ないです^^;
 とても綺麗に纏まっている、良作でした。ありがとうございました。

 以上です。お疲れ様でした。夏祭り、まだまだ楽しんでいきましょう!


江口猫さんの意見
 こんにちは、祭り最終日に拝読させてもらいました。

・ストーリー
 マリッジブルーかと思ったら、過去にタイムスリップ。
 これはタイムスリップというよりは、精神時間旅行という意味のタイムリープのほうが自然かと思います。
 しかも、少しは疑っていますが、ごく自然に受け入れているのが気になりました。

 そして、
> 今日の夕方、直登とキスできれば──きっと未来は変わるのだ。

 と気合は入っていたのに、急に諦める理由は、そういうことでしたか。
 その言葉で、今の幸せを思い出すわけですが、葛藤がなかったのが残念だったです。

 もっと直登と悠一の間で、どっちにしたらいいんだろうという悩みを見たかったです。今の婚約相手の言葉で我に変えるというのもいいですが、呆気ないというのが本音です。

 しかも、

> 「未来に帰らなきゃ……だからここでお別れだよ」

 これは唐突だなと思いました。どうやって過去に来たのか混乱していたのに、元に戻る方法を知っていたということになるので。

 そして、オチは実は悠一とは担任の先生でした。
 いったい、七年間の間に何があったんだ?
 失恋の弱みにつけこんで、先生と付き合ったのだとしたら、悠一は最低の人間です。
 ラストのオチに驚くよりも、そちらのほうが疑問に思いました。

・構成
 現代、タイムリープ、現代という構成はよかったです。
 喧嘩、仲直りがうまく使われていましたが、仲直りが呆気なく解決しています。
 ただ、タイムリープのときに何か小さな事件があったほうが多少は面白くなっていたと思いますが、48枚にそんなことを求めるのは野暮なことだと思います。

・テーマ
 喧嘩、仲直りが入っていたのはわかりましたが、もう一つは何でしょうか。
 一世一代の勝負なのかと思いました。(結婚って生涯一度あるかないかですし)

・総評
 王道中の王道でしたが、それなりに楽しめました。
 ストーリーも構成も申し分ないだけに、二人の間で揺れ動く主人公を見たかったです。
 それさえあれば、30点だったのに。とても惜しいです。

 現代に戻ってきて、昔を懐かしむというよりは、婚約相手と直登を比べてどう思ったのか、そして、先生が教え子と結婚することに戸惑いはなかったのか。(普通 は戸惑うはずです。悠一が何歳か知りませんが、年齢によっては両親も反対するでしょうし。ちなみに、公立の先生は40代が多いので、年の差でひと悶着あっ たのではないかと想像したりしましたが)

 いろいろと書きましたが、取捨選択はお願いします。
 それでは、さまーたいむぶるーす、さまーたいむぶるーす(歌詞はここしか知りません。「My Revolution」か「真夏のサンタクロース」か「sincerly」だったら全部歌えるんですがマニアック曲ですいません)


ひすいさんの意見
 どうも、ひすいと申します。
 「サマータイムブルース」拝読致しました。以下、感想です。

 確かにライトノベルとは若干違った印象はありましたね。でも文章も卓越していて、すらすらと読むことができました。
 タイムスリップ(?)したあたりで一瞬「おっ?」と思いましたが、それ以後は若干ありきたり寄りなストーリーが展開されて、終盤「これで終わっちゃうのかな〜」と思っていたところで実は婚約者は先生だった! なるほどな〜、と思いました。面白かったですよ〜。

 ただやっぱり、いまいち新しい感じがないのがちょっと残念です。特にタイムスリップ中。読んでいるあいだはなんだか真っ暗なメイン・ストリートを歩いている ような気分でした。たしかに先は見えないのだけれど、脇にある小道にそれることはせずにただ一直線に歩いている感じ。意味わかんないですね、はい。
 安定していてまとまっている。ただもうひとつ、隠し味がほしかった。そんな感じでしょうか。

 ではでは、今後も頑張ってくださいね。

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