高得点作品掲載所     かりゆし.com 改め巻上つむじさん 著作  | トップへ戻る | 


アリストテレスのハイスクール☆対話篇

「金城くん、人生というのは平凡に生きることが大切だとは思わないかね?」
 あまりにも突然な問いに、僕は困惑する。
「考えても見て欲しい。人より劣ったことしか出来ない人間は間違いなく辛酸を舐めることになるだろうが、人より優れていてもそれは表裏一体、いやさして変わらないとさえ言えるのではないだろうか。辛酸の代わりに苦悩があり、貧困の代わりに不安がある。無能な者にも有能な者にも、世界は等しく厳しいのだと私は思う。噛み砕いて言うならば、天才には天才なりの、凡人には理解出来ない悩みがある、ということだね。もしくは、隣の畑は良く見えるものだ、とでも言おうか。分かるだろう?」
 そんなことは考えたこともなかったが、言われてみればなるほど、そうなのかもしれない。
 視点が違えば、見えている世界も違うのだから。
「つまり重要なのは平凡さ、中庸であることだよ、金城くん。いいかね、特別であることはそれだけで有害だ。自分にも、他人にも。優秀であれ劣等であれ、人と違って良いことなど一つもない。皆無であり、絶無だ。私も恥ずかしながら、身を持ってそれを感じている。また、かの哲学者アリストテレスも『理性的に生きるためには中庸こそが大事である』と、人生観について説いているしね」
 満足げにうんうん頷きながらそこまで言って「まぁ、そんなわけで」と、まるで夕食の献立でも告げるように続けるのだった。
「私と付き合ってはくれまいかね、金城勇紀くん?」

『アリストテレスのハイスクール☆対話篇』

 一日目/月並、あるいは異変

 僕は退屈を嫌いながら、退屈以外を恐れている。日々が平凡であることを不満だと言いながらも、それが崩れることには底知れない恐怖を感じてしまう。
 もちろん僕だけがそうであるわけではなく、むしろ学校という閉塞された世界に身をおいていれば、こうした矛盾する葛藤を覚えることはごくごく当たり前のことなのかもしれないが。
 ともあれ、そんな平凡で退屈な高校生活も二年目に入って二ヶ月が経つ。些細であれ陳腐であれ、何かしらの刺激を求めるのは悪いことではないだろう。
「素晴らしい光景だなぁ、勇紀」
「あぁ、そうだな……」
 そんなわけで昼休み前の四時限目、僕は友人である桐生翔太と共に、五人組で行われている女子四百メートル走を見守っていた。男子の方が先に行われたのは不幸中の幸いといったところで、お陰様でゆっくりと女子体操服鑑賞会が出来る。誰それの胸が大きいだとか、あいつの尻の形は安産型だとか語る翔太の目はいつにも増して輝いていた。
 友人ながら、翔太は中々の器量だと判断する。かなりの痩せ型で長身、そして整った顔立ち、加えて赤黒く焼けた肌と肩まで伸びた長髪が特徴的な、人懐っこい好青年だと言っても過剰な表現は含まれていないだろう。その横顔を見るたびに僕は些かの劣等感を感じてしまうのだが、それでも全く歪んだところのない性格には好感を禁じ得ない。こんな回りくどい言い方をしなくても、翔太は誇るべき友人なのだが、それを素直に表現するのは少し照れ臭い年頃なのだ。
 一年のときに、席が後ろ前だった(桐生と金城、同じか行で近い)時の縁で、お互い高校生活で初めて話した相手でもある。それからずっと、親しい友人として付き合ってきた。
 そんな翔太に、ただ一つだけ不満があるとすれば。
「翔太、私ぶっちぎりの一位! ジュースおごれよっ!」
 圧倒的速さで四百メートルを完走した七瀬沙綾が、息一つ切らさずに走ってきた。元気な声を上げ、翔太に後ろから抱きつく。フラワーリボンでまとめてある茶色のポニーテールが、僕の目の前で大きく揺れた。
「馬鹿、専門職なんだから当然だろ。むしろ俺はさーやが一位じゃなかったら体罰を課すつもりだった、ていうか汗臭ぇ! ファブリーズをもってこい!」
「臭くて何が悪い!」
「開き直ってんじゃねぇ!」
 鬱陶しそうに、しかしどこか楽しげに七瀬を振りほどこうとする翔太。
 不満――それは七瀬と翔太の、この関係だ。お互いが陸上部の選手という間柄から始まった、彼氏彼女の関係。
 このシチュエーションを見る度に、僕の胸の奥ではどろどろした感情が発露し、はっきりとした汚泥が目に見えるようになる。普段は隠している、隠せているはずの、僕の中の汚れた部分。善意やら好意やらとは程遠い、不純かつ悪徳な葛藤。
 およそ一ヶ月前だろうか、突然翔太は僕に言った。
『俺、七瀬と付き合うことになったんだ』
 視界が急速に萎んでいく感覚を、今でも僕は覚えている。表面上は『お似合いじゃないか』と言って茶を濁す態度を取り、心の中では嫉妬の炎が渦巻いていた。
 考えてみれば、遅かれ早かれそうなっていたのだろうとは思う。一年間を同じ部活で、同じクラスで過ごした七瀬と翔太。そんな二人が惹かれあっていたところで、何の意外性も違和感もないのだから。
 やがて翔太が七瀬のことを、親しい女友達が使う愛称である『さーや』で呼ぶようになり、七瀬は翔太を呼び捨てにしだした。今では周りのクラスメイトも認める、仲睦まじいカップルである。
 僕は思い出す。グラウンドで汗を流す七瀬を、初めて見たその時。僕が七瀬に魅入られた、その瞬間を――、
「金城くん、どったの? ぼーっとしちゃって」
 気付けば目の前に、七瀬の顔があった。僕の顔を覗き込むようにして目を丸くしている。こんな心地よい馴れ馴れしさが、彼女のパーソナリティ。僕は動揺しつつも、なんとか言葉を紡いだ。
「あ、いや、なんでもない」
 翔太はそれを見て「さーや、勇紀は有栖川を見てたんだよ。愛しい愛しい有栖川ちゃんをな」と、嘯いた。
 グラウンドを見ると、確かに有栖川は一生懸命(のように見える)に走っている。脳髄は全力で翔太の言葉を否定していたが、この場を収めるには丁度良い話題かと思い、とりあえず乗っておくことにした。
「そうそう、有栖川を見てたんだ。転ばないか心配で」
「嘘吐きえろーす! 一点減点っ!」
 びしぃ、という効果音が出たかどうか。僕は七瀬にチョップを喰らっていた。
「本当は有栖川ちゃんの胸を見ていたんだろう? そうなんだろう? 彼女だからってそんな目で女の子を見ちゃいけませんなぁ」
「や、そんなことは」
「ちくしょー! これでも脱いだら標準よりちょい下ぐらいはあるんだぞー!」
「まぁまぁ、落ち着けさーや。俺はお前の胸なんて、さして見てないぜ? 見て残念な思いをするよりは見ないほうが……」
「ふざけんなー!」
 今度は翔太が右のフックを喰らっていた。翔太はお返しとばかりに、七瀬の頭を乱暴に撫でる。そんなことを、普通にやってのける。羨ましいというか妬ましいというか……、どうにも、やりきれない。見せ付けられてるってのは、僕でなくてもいい気分はしないだろう。とは言えこの二人はこれが素なのだから、僕に文句を言う筋合いはないが。
「おーよしよし、来世では大きくなるといいなー」
「ぐぬぬぬ」
「牛乳一日三本だ!」
「牛乳嫌いー」
「いいのかな、そんなことを言って。勇紀は牛乳が嫌いな奴を見ると激怒するほどのミルクフェチだぞ?」
 僕の地味さを鑑みてくれたのか、そんなことを言う翔太。もちろん僕にはそんなトンデモ設定はない。というか、そんな器の小さい人間にはなりたくない。
 七瀬は、憂いを帯びた表情で僕を見る。
「金城くん、ごめんなさい……。牛乳嫌いで、ごめんなさい……。ていうかもう、乳牛さんにごめんなさい……」
「い、いやいや! それはただの冗談で……」
「勇紀、いつも牛乳嫌いにそうしてるみたいに、思いっきりぶん殴ってやったらどうだ?」
「ひぃっ!」
「なぁ翔太、お前は僕に恨みでもあるのか……?」
「皆、楽しそうだね。でも授業時間、そろそろ終わりだよ?」
 唐突に、背後から声が聞こえた。振り向くと、額に汗を浮かべた有栖川が立っている。どうやら四百メートル走を終えたらしい。
 その姿に気付いた七瀬は「照諏ちゃん、お疲れっ!」と労いの言葉をかけ、翔太は笑顔を浮かべながら軽い挨拶をした。有栖川も、それに笑顔で応える。
「はぁ……」
 唯一、僕だけがため息を漏らした。
 
 ◇

「金城くん、四時限目の時、君はため息をついていたね? いけないなぁ、いけないいけない。実に悪いことだ。ため息一度につき幸せが一つ逃げるという言い伝えを、君は知らないのかな?」
 放課後、教室に僕達以外には誰もいなくなったのを見計らい、有栖川はいつものように僕に声を掛けてきた。四時限目とはかけ離れた口調で。
 有栖川照諏。発音すると大昔の哲学者のような名前を持つこの女子生徒は、僕の彼女だったりする。告白されたのは、二ヶ月前のことだ。ただ彼女といっても、世間一般でイメージされるカップル像とは程遠い関係にあると言ってまず間違いない。
 第一に、僕が恋人同士だと認めていない。ただしこれに関しては、有栖川が普段から執拗に僕へ話しかけることによって周囲へのアピールを行っているので、今では僕一人が否定してもただの照れ隠しとしか受け取ってもらえないのだが。
 第二に、有栖川は異常者だ。まともな恋愛観を持ち合わせているとは思えない。一般人の感性からは、三光年ほどの隔たりがあると断言出来る。
 有栖川の異常性を語るのならば、彼女の二面性を論じる必要があるだろう。彼女は普段『平凡な一女子高生』を演じており、その試みは見事に成功している。試験では平均点を取り、言葉遣いは女子高生らしく、結構な数の友人がいて、四百メートル走では平均的なタイムを記録する、優しくていい人。そんな恐ろしいまでに普通の女子高生を、見事に有栖川は演じ切っている。
 どうして、わざわざそんなことをするのか? 目的は、ただ一つ――『普通に見られること』。有栖川の人生は、全てそのためにあると言っても過言ではないのだ。理由は分からないが、とにかく有栖川はそのことに執着する。思えばそれは一年の頃から徹底していて、当時別々のクラスでありながら、僕は『強い個性はないけど、いい人そうだな』と、話したことがないにも関わらず丸っきり普通の印象を抱いていた。
 そんな有栖川は、過去にこんなことを友人から言われたらしい。
『どうして、彼氏を作らないのですか?』と。その友人は、容姿端麗な有栖川が彼氏の一人も作らないのは普通ではないと思い、一回恋愛をしてみろと薦めたのだとか。そうすれば世界が変わる、とも。
 そしてその矛先になったのが、同じく普通に人生を謳歌していた僕だったと言うわけだ。
 どうして僕だったのか。おそらく、確たる理由はないのだろう。目に留まったから、普通の人間だと思ったから、相手をするのが楽そうだから。そんな益体もない、些細な裁定基準なのだと思う。
 周囲から普通に見られるためだけに、特に親しくもない男子生徒に告白をし、形だけの恋人関係を強要している。実に身勝手。実に理解不能。全てはただ『普通に見られる』ために。
 そんなことを平気でするような人間を、異常と言わずして何と言おう。有栖川は世間から正常に見られるために様々な努力をしている、れっきとした異常者なのだ。
「もしそれが本当なら、僕はお前と出会ってからかなりの幸せを逃している気がするな……」
「何? それは心外だなぁ、金城くん。私は君の前でため息なんて、ついたことがないよ? それは自信を持って言える。だって私は、君と居るだけで幸せだからね」
 微塵も真剣味を帯びていない口調で、有栖川は言った。初めの頃は、この態度に僕も随分と悩まされたものだが……今ではかなり耐性が付いた。有栖川が言うことなど、ほとんどが戯言に過ぎない。
 しかし、確かに――横で見ているだけならば、客観的に判断をするならば、有栖川は美人に分類される人間だろう。艶がある髪は薄い茶色のセミロングで、これは茶髪と黒髪の割合がほぼ半々な我が将来の母校たる私立白川学園において、平均的な色だと思ってそうしているらしい。間を取って、というやつだ。しかし、それはあくまで普通ではなく平均であって、むしろ第三色目のニューカラーとして注目されていることに本人は気付いていないのだろうか?
 そして七瀬に言われるまでもなく、その胸部には控えめでない二つの丘がそびえ立っている。
「おや? おやおやおやおや? どうしたんだい、金城くん? 君はもしかして今、私のおっぱいを見つめていたのではなかろうね?」
 僕の目線に気付いたらしく、鬼の首でも取ったかのように言う有栖川。軽く、いや、かなり屈辱的である。
「七瀬に言われたんだよ。お前が胸大きい、みたいな話。それで少し気になった……って、なんだその薄ら笑いは」
「はっはぁーん、いや何、君の思考回路は分かりやすいと思ってね。ずばり私の推理では、今日の四百メートル走だ。私の走行を見て、その揺れるおっぱいを見て、君は計らずも欲情してしまったというわけだろう?」
「してねぇよ」
「何々、照れなくてもいいよ、金城くん。君ぐらいの年頃ならば、そんな汚れた欲望を女性に対して抱いてしまうのは当然のことだ。でもまぁ、それを君に大して許すのはもうちょっと先にしておこうかな、物事には段階があるからね。私と君は清い男女交際をしている身だ、キスもしていない内からそんなことをしてしまうのは、些か道徳に反する」
「だから、欲情してないって。ていうか有栖川、僕は君と付き合っているつもりはないんだけどな……。告白は受けたけど、返事はまだだし」
「未だ心七瀬さんに有り、ということかい? 未練だねぇ」
「うぐ……」
 的確な有栖川の指摘に、思わず口ごもる。
 未練。未練と言われると、確かにそうだ。反論の余地もない。七瀬はもう翔太の彼女であり、二人は円満と言えるほどの関係を気付いている。そこに、僕の入る余地はないだろう。あったとしても、今日のように彼氏の友達として、あくまで友達として――その程度の付き合いでしかない。翔太と七瀬が付き合うまでは、僕は七瀬とほとんど話したこともなかったのだから。
「まぁ、僕のことはいいさ。いいってことにしとこう。ところで有栖川、話しかけてきたってことは、何か用があるんじゃないのか?」
「はぁぁぁあぁ……」
 有栖川は一つ幸せを逃した。しかも、おそらく相当大きな幸せだろう。
「た、ため息をついたな? まだ宣言してから十分も経ってないのに……」
「あぁ、失敬失敬。こいつは大失敬だな、うん。でも金城くん、その言い草はいくら海のように、言ってみれば土渕海峡のように心が広い私でも、憤慨を覚えるほどの失礼な発言だったと思うのだが、どうかな?」
「僕としては、お前の心の広さがどれくらいかが気になるな。土渕海峡ってどこだよ?」
「さぁね、良くわからないよ。確かギネスで認定されている、最も狭い海じゃなかったかな?」
「世界レベルで狭いじゃねーか!」
「あぁもう、うるさいなぁ。とにかく、先ほどの君の発言は不躾だったよ。正当なる謝罪を、心のこもった謝罪を要求したいと思う。罪状は彼女傷付け罪で、求刑は愛情大さじ一杯だ」
 心なしか怒りが見えるような口調で、有栖川は言った。いつも飄々としているこいつにしてみれば、少々珍しいことである。
 この展開は――何がどうなっているのか良くわからないが、どうやら僕は謝らなければいけないらしい。そんな変なこと、言ったか……?
「謝るのは別にいいんだけどさ、なんで君は怒ってるんだよ?」
「ふむ。それも分からないとは、金城くんは素敵なまでに私のことを考えてくれていないらしいね、悲しいなぁ。女の幸せは愛するより愛されることだって、どこかで何かで一度でもいい、聞いたことや見たことがないのかい?」
「あのさ……、本当にわかんないんだよ。頼むから君が怒っている理由を教えてくれ」
「何か用事がなければ、私は金城くんに話しかけちゃいけないのかい? いつもはそんなこと言わないのに、今日はいきなり『何か用があるんじゃないのか?』と来たものだ。裏を返せば『用事がないんだったら、話しかけてくるな』とも取れるような口調だったよ、言った本人は気付いてないのかもしれないがね」
「あ……」
「怒っているのは、不機嫌なのは、むしろ金城くんのほうだろう? 何かあったのかい?」
 いつになく真摯な口調で言われて、自らの失態を反芻する、その直前。
 どたん、と。何かが床に打ち付けられるような音が、聞こえてきた。慌てて周りを見るが、この教室から発せられたものではない。となると、隣の教室だろうか。
「……有栖川、何の音だと思う?」
「忌憚なき意見を私が発するとすれば、おそらく今のは人が倒れた音じゃないかな? あるいは、机か。しかもあの音量からすると、かなり強い力で、倒れたというよりは叩きつけられたという感じを受けたね」
 言ってから、有栖川は携帯型のスタンガンをバッグから取り出した。
 ……スタンガン?
「おい、有栖川。なんだよそれ」
「知らないのかい? これはスタンガンと言ってね、対人用で相手に電気ショックを与える器具だ。もっとも、これは狭義であって、広義では非殺傷性個人携行兵器全体を指すのだけれどね。面倒だから優しい私はそこには突っ込まないことにして、スタンガンで良いよ。それで、何か?」
「君がウィキペディアを愛読してるのは分かったけど、どうしてそんなものを持ってるんだよ?」
「乙女の護身用道具という奴だね。欲しいのかい?」
「……いや、遠慮しておく」
 なんかもう、こいつの言うこと成すことに一々反論してたら日が暮れそうな気がする。触らぬ神に祟りなし、構わぬ有栖川に害悪なしだ。
 ともあれ、大体の思考は一致していた。目配せをし、同時に僕達の所属する教室――二年C組を飛び出す。
「僕はD組を見てくる」
「ふむ、では私はB組ということか。それが終わったらA組。合理的だねぇ、私が金城くんの良いところをあげるとするならば、冷静な判断力とそれを実行に移せる行動力だよ。将来は案外、人を引っ張るような立場じゃないかな?」
「……いいとこ、中間管理職だろ」
 そんな軽口を叩いてから、物音を立てないようにして移動を開始した。
 C組とD組の間には屋上へと続く階段、そしてトイレがあるので普通の教室間よりも距離が遠くなっている。
 一歩、二歩。慎重に教室との距離を詰めていく。
 と、そこで。
 神経を過敏にしていた所為か、不意に何か、言いようもない感じを覚えた。それは恐らく、予感。平凡で普通で退屈な僕の高校生活が崩壊するような、予感だった。この先に行ってはいけないという感覚。ここでやめておけという、何かからの示唆。そんなものが、脳内を駆け巡っていた。
 そんな漠然とした不安を抱きながらも、僕は無事にD組へとたどり着いた。ドアが閉まっていることに胸を撫で下ろす。
 見つからないようにして聞き耳を立てていると、不意に大きな音が聞こえた。
「――んだよ、あぁ!?」
 暴力的な声。しかし、聞いたことがあるような――いや、間違いなく聞いたことがある。恐る恐る、四角いガラス張りの部分から、覗き込むようにして中を見ると――僕から見ると遠く、教壇の前に翔太がいた。そして、七瀬がその足元に倒れている。
 翔太が、地面に這いつくばる七瀬を蹴った。その華奢な身体が、近くにあった机の足にぶつかる。
 続けて、翔太が七瀬の肩を掴んで無理やり立たせる。そして、その頬を叩いた。
「……はぁ?」
 その光景を直視して、僕の口からは思わず間抜けが声が出た。思考が混乱する。
 七瀬沙綾と桐生翔太。二人は僕と同じクラスで、自他共に認める良い恋人関係で、翔太は僕の友人で、七瀬は僕の憧れの人で。それで、だから、どうしてだ? どうして翔太が、七瀬を蹴る? 先刻僕と有栖川が聞いた音だって、間違いなく七瀬と翔太の喧嘩、いや、翔太が七瀬に行った暴力行為によるものだろう。
 そう、暴力だ。こんなものは、一方的な暴力でしかない。少なくとも、僕からはそうとしか見えない。でも、何故だ? 理由がわからない。痴話喧嘩? だとしても、翔太はこんなことをするような男だったのか? だって七瀬と翔太は自他共に認めるお似合いの恋人同士で僕の友人が翔太で憧れの人が七瀬で二人は同じクラスで陸上部で――再び、翔太が七瀬を殴った。
 ……やめさせなければ。ぐちゃぐちゃになった脳内を、一つの目標に向けて整理する。そうだ、理由なんて関係ない。何をしてでも、やめさせなければ。
 唾を飲み込み、覚悟を決める。ゆっくりとドアを開けようとして――後ろから、肩を掴まれた。驚き、振り返ると、そこには有栖川が立っていた。既に半分のクラスを調べ終え、ここまで戻ってきたのだろう。射るような視線で、僕を見ている。
「もう一度言おう、金城くん。君は冷静な判断が出来るし、常に最善の方策を取れる人間だ。私、有栖川照諏はそれを信用し信託し、信頼している。だから、今から君がしようとしている馬鹿なことを、やめてはくれないか?」
 呟くように、教室の中にその声が聞こえないようにして、有栖川はあくまで平常のままにそう言うのだった。しかし今の僕には、それが緩慢な対応としか思えなかった。
「馬鹿なこと? 七瀬が翔太に虐待を受けているのを止めることが、どうして馬鹿なことになる?」
「落ち着いてくれ、金城くん。分かる、分かるさ、君の気持ちは。混乱、困惑、驚愕、焦燥……もちろん私にだって分かる。それを全部承知の上で、やめろと言っているんだ」
 冷静、冷淡な声。僕はそれに、はっきりとした苛立ちを覚えた。
「理由を聞かせろ、有栖川。どうして君が僕を止めているのか、さっぱり分からない」
「考えてもみなよ、君の脳みそは飾りかい? そうじゃないなら、考えるべきだ。ここで君が出て行っても、何にもならない。君はいつも言っていただろう、視点が変われば見える世界も変わるんだ。君はあたかも七瀬さんが被害者で、桐生くんが悪いように決め付けているが、私達の目から見えているものだけが真実かい? 違うかもしれないだろう?」
「だからって……!」
「だからこそだよ、金城くん。これは当人達の問題なんだ、私達が出る幕じゃない。君は桐生くんに嫌われたくはないだろう? 七瀬さんにだって、そうであるはずだ。ここで君がしゃしゃり出て行くということは、少なからずそうなる可能性を孕んでいる。打算的かもしれないがね、君達三人の関係をこれからも維持していこうと思うのならば、やめておいたほうが賢明だ」
 気が付くと、未だ僕の肩にかけられたままの有栖川の手にこもる力が、先ほどよりも強くなっている。有栖川は有栖川で、僕のことを考えてくれているのだろう。その上で、論理的に僕を諭しているのだ。戯言、虚言が発言の大半を占める有栖川が。
「……どうしてだよ、有栖川。なんで、そんなに必死なんだ……?」
「私は金城くんのことなら、なんでも必死だと自称しているがね――まぁ、包み隠さずに言うならば、厄介ごとに首を突っ込みそうになっている君を見て、流石に黙って見てはいられなかった、といった感じかな」
 少しだけ恥ずかしそうに、だがしっかりと僕の目を見て、そんなことを言う有栖川。おそらく戯言ではなく、戯弄しているのでもない。
 僕は、こんな真剣な様子の有栖川を見たことがなかった。
「君って、どうしてこんな時にだけ真面目になるかな……」
「真面目な状況だからだよ、金城くん。それで、私の言ってることを理解してくれたのかな?」
 確認するように、詰問するように、今度は強い口調で有栖川は言った。
 まるで。まるでこんなの、僕のことを気遣っているみたいじゃないか。限りなく、有栖川照諏には似つかわしくない。
 これで僕が有栖川に本気で好かれている、などと自惚れるつもりは毛頭ないが――それでも、こいつがこんなに近くに感じられたことは今までなかった。
「……あぁ、分かった。全面的な理解を完了した。この場は、矛を収める」
 僕の言葉を一語一語、噛み締めるようにして聞いた後、有栖川は「ふぅ」と安堵の息をついた。そして、笑顔を見せながら僕に言う。
「良かった、分かってくれて」
 ただし、と僕は心の中で付け加える。
 もしこの後もこんなことが起こったり、七瀬に相談を受けたりしたら、僕は自ら首を突っ込む。彼女なら本当に困った時、一人で抱え込まないで周りに相談するだろう。その相手が僕である可能性は低いと思うが、それでもだ。
 明日にでも、機会を見計らって彼女の友人にでも聞いてみよう。何か聞いてないか、と。それで駄目なら、本人に聞いてみるまでだ。
 とは言え、この場は有栖川の忠告に従うことにする。
「とりあえず、ごめん、有栖川。さっきも今も、間違っているのは僕だった。邪険に扱ったことも、軽率な行動に出ようとしたことも謝る。それと――」
「それと?」
「ありがとう、有栖川。心配してくれて」
 言ってから逃げ出したいような羞恥を覚えたが、済んでしまったことだ、仕方がない。
 有栖川を見ると、予想通りニヤケ顔で僕を値踏みするように見ている。まぁ、もう慣れたけど。
「ふふ、世話が焼ける奴だなぁ、金城くんは」
「……君に世話になったのはこれが初めてだと思うんだが。むしろ有栖川って、世話焼き百八十度回転系だろ。迷惑かける専門職みたいな」 
 特に、クラスメイトの面前での恋人ごっこを強制されたのはつい最近のことだ。それがどんなものだったかというと、有栖川が『はい、あーん』して僕が『お返しに、あーん』するという、心安らぐ昼休みを木っ端微塵にする恐ろしい作戦だった。でも、有栖川が作ってきてくれた弁当は美味しかった。あいつ、料理の才能があるのかな。そんなことを思っていたら、後でコンビニに同じ具材の弁当が売られていたことで、僕の心は再び粉々に砕け散った。
 僕の皮肉を意にも介さず、当の迷惑人間(我ながら、酷い言い草だ)は言った。
「それはともかくとして、早くこの場所から離れたほうがいいのではないかね? 見つかったら困るだろう?」
「あぁ、それもそうだな……」
 本音を言えば、もうちょっと事の顛末を見守りたい気分ではあったが、見ればまた逆上してしまうかもしれない。だから、ここは即撤退が一番だ。バッグを取りに行って、さっさと帰ろう。
 そう思ってC組に戻ろうとした僕の背中に、有栖川の声が再び飛んできた。
「そうそう、もしどうしても気になるのであれば、小枝子に相談してみてはどうだい? 彼女は頼れるし、誰かに話してみることで気晴らしになるかもしれない。きっと、いつもの場所にいるんじゃないかな? では、私はもうちょっとやりたいことがあるから。ばいばい、金城くん」

 ◇
 
 僕のクラスの委員長であり、成績優秀にして教師からの信頼も厚い女子生徒。にも関わらず自分のことを『僕』と呼び、非公認の『なんでも相談部』を一人でやっている変人。何より、有栖川をそそのかし僕への告白まで誘導した、僕達二人にとっては縁深い人物。もちろん有栖川の本来の性格は、僕よりもずっと熟知している。
 そんな高宮小枝子、放課後は常に一階の第二講義室に引きこもり、相談者を待っている。実はそこそこ需要があるらしく、僕以外にも常連の利用者がいるらしい。学校がカウンセラーを雇わないのは彼女がいるからだ、という噂も真実味を帯びてきたところだ。
 僕が講義室の扉を開けた瞬間、机の上に足を組んで座っていた高宮は、いつものように朗らかな笑顔で言い放った。
「ようこそ、勇紀。今日は良い天気で、絶好の相談日和ですね」
 ちなみに、本日この日はどしゃ降りの雨である。
「高宮、お前の中で『良い天気』ってなんだよ……?」
「あはは、細かいですねぇ、勇紀。いいじゃないですか、室内で相談するには良い天気っていうことで」
「じゃあ、晴れの日だと相談日和じゃないのか?」
「心が暖かくなってきますよねぇ、お日様が照っていると。そんな日は凄く、相談日和です」
 お前の頭の中はいつも快晴で羨ましい限りだ。当然そんなことは口に出さず、僕は高宮の真向かいの机に腰掛けた。
 幼児体系と言ったら本人は怒るだろうか、高宮は小柄だ。僕と同じぐらいの身長がある、女子としてはかなり高身長の七瀬はともかくとして、平均的な体格を所有している有栖川と比べても、かなり小さいように見える。
 顔を見ても年齢より幼く見えるような童顔で『可愛い』というよりは『お人形さんみたいで、可愛らしい』といった感じ。髪型が左右でまとめたおだんごというのも、それに拍車をかけているだろう。いつも真っ白な手袋をはめている理由は、なんでも結構な潔癖症だかららしく、スペアが何双かあるらしい。正直言って、制服のブレザーはあまり似合っていない。
 だが、今は高宮をゆっくりと観察しているほど、心に余裕があるわけではない。僕は前置きなしに、本題を口にした。
「高宮、七瀬のことで相談がある」
「……いつになく、真剣な口調ですね」
「真面目な状況だからな」
 有栖川の台詞を引用してから、僕は先ほど見た事実を出来るだけ客観的に説明した。
 その間、ずっと高宮は目を逸らすことも欠伸をすることもなく、頷きながら聞いていた。この辺りは、まさに聞き上手の高宮小枝子である。
 そして聞き終わった瞬間、高宮は「ほむほむ」と漫画のキャラクターみたいな声を出した後、僕に言った。
「ちょっと、心を落ち着けましょうか。勇紀、焦っても良いことはありませんよ? 冷たい飲み物でもいかがですか?」
「いや、そんな気遣いは……」
 僕の言葉を無視して立ち上がり、冷蔵庫からペットボトルを取り出す高宮。
 講義室とは名ばかりで、今では高宮の私物と化したこの部屋は、生活感に溢れている。冷蔵庫や掃除機に始まり、ノートパソコンやエアコンといった贅沢品、果ては上級生から貰ったのだろう修学旅行のお土産としては定番であるペナントや木刀、マグネットすら壁に貼り付けてある始末だ。一体どんな層の生徒が相談しに来ているんだろうか……?
 高宮は元々教材が置かれていただろう棚からガラスのコップを二つ手に取り、そこにオレンジジュースを注いでいく。
「どうぞ。全体の三分の一が何と! 果汁ですよ」
「なんかその言い方、すげぇフルーティな感じがするな……」
「これぞ巧みな話術ですよ、貴方も訓練すればこの程度のことは出来るようになります」
「何をどう訓練するんだ、それは」
 突っ込みをいれながらも、コップを口に運ぶ。口内に甘ったるい液体が流し込まれ、麻痺するような感覚が舌を襲う。今更ながらにコーヒーを注文しておくべきだったなと後悔した。あまり甘いものは得意じゃない。
 僕が再びコップを置くのを見計らって、高宮は言った。
「さてさて、勇紀。貴方は真実が欲しいのですか?」
 質問の意味がわからなかったので、次の言葉を引き出すために頷いて肯定を示しておく。すると高宮は、有栖川ばりの饒舌を披露してくれた。
「なるほど、そうですか。しかし勇紀、貴方が求める真実とはどのようなものですか? 真実とは大抵、その人が望むようなものではありません。『実は、○○だったんだ』という言葉に、あまり良いイメージはないでしょう? そういうことですよ。例えば――そうですね、Aという論とBという論があるとしましょう。Aが一点の曇りもない正確無比な事実であったとしても、それが自分にとって都合が悪いものならば、そう簡単に人はそれを受け入れられない。けれど、虚偽を交えた心地よく響くBが目の前に現れると、Aという本当の事実なんてどうでもよくなって、たとえ紛い物であってもBの方を受け入れてしまうものなんです」
「……そりゃ、確かにそうかもな。人間誰だって、究極的には自分が良ければ良いんだし」
「今貴方が直面しているのは、もしかしてそういう問題かもしれません」
 悩ましいことですがね、と高宮は付け加えた。僕の顔色を伺うようにして、次の言葉を紡ぐ。
「もう一度言いますよ、勇紀。貴方は、本当に真実が欲しいのですか?」
 あるいは、紛い物でも良いのか。高宮は、そう言いたげな顔をしていた。
 この場合、真実とは七瀬と翔太の本当の関係。そして紛い物とは、七瀬と翔太の表面上の恋人関係、プラスそれに引っ付いているような、僕と七瀬の友人関係。そういう、ことだろうか。
 有栖川も言っていた。僕があの二人に関わることは、友情を瓦解させる可能性を孕んでいる、と。
「僕は、別に勇紀がBを取ることには反対しません。むしろ、その方がいいと思っています。これは我が親愛なる友人、有栖川照諏と貴方の関係を重視したいからなのですが」
「なんだよそりゃ」
「いえ、他意はありません。ただ、いつまでもさーやのことを追いかけているのも限度があるのではないかな、と失礼ながらも思ったもので」
「……女々しいって、未練だって――高宮も、そう思うのか?」
 有栖川と、同じように。
 この気持ちは未練であり、抱くことに何の意味もない感情だと、高宮もまた、そう言うのだろうか。
「違います」
 やけにはっきりと、断言する高宮。
「さーやよりも、勇紀には優先すべき女性がいる。それだけですよ?」
「……有栖川のことか? あいつはなんていうか、掴み所がないんだよ。好かれてるのか嫌われてるのか、話してても全然分からない」
「ははっ、照諏は勇紀のことが大好きですよ。この前、僕にそう言ってましたし」
 素直にその言葉を受け取ってしまう辺り、高宮も冴えているのか鈍いのかいまいち分からない。
 僕には有栖川が、心底どうでも良さそうに『実は私、金城くんのことが大好きなんだ』と言いながらそこら辺でギャグ漫画を読んで大笑いしつつ、僕とは全く関係のないことに思慮を巡らせている光景がありありと浮かぶ。理論的で賢明ながらも、そういういい加減なところも持ち合わせているのが有栖川だ。
「いえね、『普通に見られるために』どうすれば良いかをずっと私に相談し続けていた照諏が、ようやく勇紀という最高の伴侶とめぐり合えたのです。普通かつ幸せなカップルライフをエンジョイしてもらいたいんですよねぇ、僕は」
「何度も言うけどさ……、僕は認めてないぞ」
 まぁ、今日は有栖川に世話になったし、あいつが僕のことを何とも思っていないわけではないということは分かったけれど。それでも、僕が有栖川に純粋な好意を抱けているかは別の問題だ。
「でも、こっちから見てるとお似合いですよ?」
「お似合いに見えるように、有栖川が頑張ってるっていう話だろ、それ。っていうかさ、どうして高宮は有栖川に、僕のことを勧めたんだよ?」
 その問いを発した瞬間、何故か高宮は大きく顔をしかめた。
 まるで、踏み込まれてはならない領域に侵入されてしまったとでも言わんかのように。苦虫を踏み潰したような表情で、僕を見ていた。
 高宮のこんな顔は――見たことがない。余程答えたくない質問なのだろうか? こんな些細なことが?
「……まぁ、言いたくないならその話はいいや。とりあえず、簡潔にアドバイスだけでも頼めないか? 僕は、七瀬に対してどうすればいい? 翔太に対して、どうすればいいんだ?」
 それならば話を進めたいと思い、半ば強引に話題を本筋へと戻した僕に対して、高宮はすぐにいつもの態度に戻り、
「言ったでしょう、痛みを伴うAを探し求めるのか、自分にとって心地よいBを信奉し続けるか、どちらかですよ」
「で、高宮はBのほうが良いと思ってるんだな?」
「はい。そっちのが、安定しているでしょう? 知ってますよ、勇紀は平凡で退屈な日常をこそ良しとする、そうでなければ良しと出来ないような人間です。それを考えると――日常を壊さずにいたほうが、勇紀にとって良いのではないですか?」
 高宮は白い指先をこちらに向け、言う。良く分かっていると、思わず賞賛の拍手を送りたいような気分だった。
「もちろん僕個人の意見としては、照諏をもっと見てやって欲しい、という友愛の精神も含まれていますが……決めるのは貴方です。まぁ、一つだけ助言をするならば――もしAを選ぶんだったら、できるだけ行動は早いほうが良いでしょうね。一番先に、さーやの悩みを聞いた人になれるかもしれない。それもまた、勇紀の恋路にとっては都合が良いことでしょう?」
「…………」
 考えつつもふと窓の外を見ると、辺りはもう暗くなり始めていた。掛け時計は午後六時半を示している。どうやら有栖川との長ったらしい会話をしたり、七瀬と翔太とのいざこざを見ていたりする内に相当遅い時間になってしまっていたらしい。
 部活動に勤しむ生徒の姿も少なくなってきた。白川学園はそこそこ有名な私立校ということもあって、部が終わる時間も早いのだ。学校自体の戸締りも、七時には済んでしまう。僕はあまり高宮の下校時間を遅らせるのも迷惑だと思い、
「サンキュ、高宮。考えてみるよ」
 とだけ言って、講義室を後にした。
 結局その日、僕はAもBも選べなかった。

 二日目/崩壊、あるいは欠落

「やっ、金城くん。おっはよっ!」
 翌朝のこと。
 通学路を一人で歩いていると、突然後ろから声を掛けられた。
 声のテンションから、おそらく七瀬だろうと判断する。まさか、こんなに早く遭遇してしまうとは。昨日の件の所為で、どんな顔をして話せばいいか分からない。間違っても嫌われるのは避けたいが――そう思いつつ振り返ると『普通』モードの有栖川がにこやかな顔で立っていた。
「……なんだよ有栖川、今日は早いんだな」
「うんっ! 金城くんと一緒に来ようと思って、早く来たんだ。ていうか、私のことは照諏って呼んで欲しいって昨日言ったのに、もう忘れちゃったの?」
 言われてない。全然、決して、間違っても言われてない。
 周りの視線が、僕達に集まる。微笑ましく見守るようなもの、妬みが露骨に伺えるもの、純粋に鬱陶しそうなものと様々だったが、とにかく、注目されていた。
 目線を気にしながらも、僕は小声で、有栖川の耳元に呟く。
「おい、有栖川。あんまりべたべたすると、かえって目立つぞ? いいのか?」
「ひぁぁん……耳は駄目ぇ……」
「悶えんな、普通に気持ち悪いから」
 冷静に対応すると、有栖川は誰にも聞こえないような小さな音で「ちっ」と舌打ちをしてから、同じく小声で僕に言った。
「金城くん、これぐらいはやらなければカップルとして認めてはもらえないよ?」
「僕は認めて欲しくないんだけどな……」
「ふっ、ここで私が金城くんの手を腰に持ってくれば、君と私が相当に仲の良い、バカップルというかむしろバカだということを周りにアピールするなど容易いことさ。そろそろ、認めてしまったらどうだい?」
「お前なぁ……」
 有栖川の相変わらず人を食っているような言動に呆れていると、
「お二人さん、朝から仲が良いですなぁ。何の話? ひょっとして昨夜はお楽しみですか、やほー!」
 背後から、今度こそ七瀬の声が聞こえてきた。最近のトレンドは人の背中に向かって呼びかけることなのだろうか。驚愕と動揺をなんとか抑えこみ、有栖川と同時に振り返る。
「よ、よぉ、七瀬」
「おはよう、沙綾ちゃん。今日も相変わらず、元気そうだね」
 笑顔で答える有栖川。おそらく脳内では『今日も相変わらず、頭が悪そうだね』と、思いっきり馬鹿にしているのだろう。
 有栖川は、あまり七瀬のことを良く言わない。なんでも、声が五月蝿いのとやたらと馴れ馴れしいのが気に障るのだとか。僕の女性のタイプとしては元気なほうが好みなので(饒舌、ではない。間違っても)、正直言ってその言い草にはあまりいい気はしないが、まぁ、個人の好き嫌いは僕の関与するところではないだろう。
「おはようっ! あれ、そういえば照諏ちゃん、今日マッハじゃない?」
「うん、マッハなんだー。でも真っ裸じゃないよ!」
「あははははははははは!」
 ポニーテールが激しく揺れる。馬鹿受けだった。解説しておくと、七瀬が言うところの『マッハ』というのは学校に来るのが早いという意味である。
「……遅い場合は、何て言うんだ?」
「遅刻かなっ?」
 と、七瀬。
「遅刻だよねぇ」
 と、有栖川。これぞ、まさしく異口同音。もはや何も言うまい。
 ……それにしても、七瀬は至って平常だ。いつもと全く変わらない、無邪気な笑顔と元気な声。昨日、あんなことがあったのにも関わらず。
 やはり、当人達の間では既に解決済みなのだろうか。だとしたら、変に割り込まなくて本当に良かった。有栖川には、後で礼を言っておかなければ。
「でも沙綾ちゃんこそ、いっつも早いよね。朝、得意なんだっけ?」
「んー、っていうか、家が近いのだ。自転車があれば三分で着くし」
「そうなんだぁ。私の家はすっごく遠いから、羨ましいよ。今日なんて、後ちょっとで金城くんと一緒の電車に乗れなくなるところだったんだ」
 それを聞いて「あっははー」と、無邪気な笑い声をあげる七瀬。言うまでもないことだが、僕が有栖川と一緒になったのはつい一分前である。
 ――いやしかし、こうしてみると、有栖川の切り替えは完璧だ。普段の饒舌家な側面の片鱗も見せていない、至って普通の女子高生である。僕としては、これが有栖川の全てだと思っていたかったところだ。
 そんな二人に相応しい、朝のガールズトークが目の前で展開されていた。
「照諏ちゃん、朝の占い何位だった?」
「朝はちょっと時間がなくって……」
「もしかして、お弁当とか作ってきたりしたの?」
「えっと、うん。実はそうなんだよー」
 頬を赤らめて、そんなことを言う有栖川。コンビニ弁当を買ってくるために早起きしたらしい。これで有栖川が早く学校に来た謎が解けた。……あれ、おかしいな。見事な名探偵ぶりだったのに、全然嬉しくない。
「でも、金城くんは牛乳だけで生きていけるって、翔太が言ってたよ?」
「金城くんは熱心な搾乳家だから……」
「きゃっ」
 両手で顔を覆う七瀬。彼女の脳内では、僕がとんでもない変態プレイを有栖川に要求しているに違いない。有栖川の胸が大きいことが、こんなにも災いすることになろうとは。
 しかし、うーん……。僕のキャラクターが、どんどんおかしな方向になってきたような気がする。今のところはバカップルの片棒、そしてミルクフェチの搾乳家にして、将来は中間管理職か。
「牛でも管理してろよって感じだな……」
「ふぇ、金城くん何か言った?」
「いや、なんにも。ただの独り言。それよりなんだろうな、あれ」
 僕に言われて、二人は前方を向く。別にその場しのぎで嘘をついたわけではなく、本当にちょっとした騒ぎが起きていたのだ。
 三人で話しているうち、僕達は気付かぬ間に生徒玄関前にまで到着していたのだが、目の前では大量の生徒が人だかりを形成していた。お陰で学校に入れない、などと呑気な考えを出来るほど穏やかな状況には見えない。扇動するような大声や、時には悲鳴すら聞こえてくるのだから。
 なんだ――? 何となく、胸騒ぎがする。何かが起こっているような、何かが起きてしまっているような。否、何かと言えば、何かしらの事態は起こっている。それは、この生徒達の反応を見るに明らかだ。
 問題は、それがどの程度の出来事か。
「ちょっと、見てくる」
 宣言し、人ごみの中に入っていく。あまりの人の多さに身じろぎするが、頭によぎった不安、あるいは好奇心のようなもののほうが強い。僕は「ちょっと通してください!」と、柄にもなく大声を出しながら、前へ前へと進んでいく。
 ようやく、雑踏の中を抜けた。視界がクリアになるが、特別なものが目に入ってきたわけではない。
 真正面にいる、見知らぬ女子生徒を見る。顔は恐怖に引きつり、口からは今にも嗚咽が漏れてきそうだった。その視線は、足元に注がれている。僕も釣られて、足元を見た。
 
 桐生翔太が飛び降り死体になっていた。
 
 その死体は頭部からおびただしい量の出血をしていておそらく頭からぶつかったのではないだろうか眼球は飛び出ていて首は折れ曲がり腕はあらぬ方向に曲がっていて上半身を中心として人体はこうも無惨なことになれるのかと僕は想起したのだがそんなことはともかくとして僕は翔太に駆け寄ろうか駆け寄るまいか悩んだ末に嫌悪感が先に募ってしまい止めておいてふと死体の周りを見ると翔太の携帯がばらばらになって地面に散乱しているけど僕は別に気に留めず虚空を眺めてぼーっとしていると後ろから七瀬の叫び声が聞こえてきて隣を見ると驚くほど冷たい眼差しでグロテスクな惨状を凝視する有栖川がいて――暗転。

 端書き/いつかどこかで交わした言葉

「恋というのは案外甘美なものだね。私はこの通り、まともな恋愛をしたことなどないが……付き合う内、それが分かってきた気がするよ」
「へぇ。貴女にしてはなんだか、素直な感想ですね」
「私は多分、本当に彼のことが好きなんだろうね。気軽にお喋りが出来る相手がいるっていうのが凄くありがたいのかな。自分で言うのもなんだけど、私はこんなだから――彼と話すのが、楽しくてしょうがないんだよ」
「……友達としての好きと、愛するという意味での好きは違いますよ?」
「分かってる、分かってるさ。でも今の時点では、好きであることに変わりはないよ。っていうか、君が言うかね」
「矛盾した状態であるのは僕も分かっていますよ、だからと言ってやめるつもりもありませんが」
「お互い、苦労するね。君にも何か転機が訪れることを、祈っているよ」

 それから/未解決、あるいは解決

 僕が最も恐れているのは、日常の崩壊だ。いつまでも変わらない、平穏で平凡な生活を送ることを僕は至上の目的としていると言っても過言ではない。その中で退屈を感じることがあったとしても、安定した日々が続いていくのであれば、それだって別に苦ではない。もっとも、これらは全て過去形で表されるべきではあるけれど。
 実際に、ことは起こってしまったのだから。
 翔太が死んだのが、一週間前の木曜日。あの日から今日に至るまで、七瀬は一度も学校に来ていない(とは言え、流石にその週は休校になったのだが)。恋人が死んだというショック、しかもそれが自殺だったのであれば、家に引き篭もってしまうのも無理はないと思う。もしかしたら、翔太の葬儀やら通夜やらに出ていたのかもしれないが。
 そう、自殺。あの日の午後七時半頃、翔太は学校に誰もいなくなったのを確認してから、屋上からの飛び降り自殺を敢行した――と、されている。彼のブログに死ぬ直前、遺書のような文章が書かれてあったこと、そして七瀬の携帯に対して同じようにメールが入っていたことでそれはほとんど確定事項としてみなされることとなった。まぁ、警察としては殺人の可能性も考えているのかもしれないが、学校側がひたすらに自殺であるという主張を貫いている以上、捜査をするにも一筋縄ではいかないのだろう。
 謝罪のメールにもブログにも『七瀬に対してどうして暴力的な行為をしてしまったのか』といった内容の後悔が綴られており、僕は悪い意味で納得してしまった。
 おそらく、翔太は七瀬への愛情が強すぎるが故に、暴力を振るったのだろうと推測する。どんな理由があったのかは分からないが、行き過ぎた愛情が七瀬を縛り付け、縛り付けられた七瀬は反発し、それに対して翔太も手をあげてしまった。具体的なことは想像するしかないのだが、大方のあらすじはこんなところではないだろうか。
 ともあれ、事件性なし。自殺。そう発表されるとすぐに、ニュースでは『市内の高校二年生自殺! 何が彼の心を蝕んだのか?』というテロップが踊ったが、今では全く話題に上らなくなった。
 学年の生徒達は皆悲しみに明け暮れ、しばらくの間はクラスにも重い空気が漂っていたが、今ではそんな雰囲気もほとんど雲散霧消、皆戻るべき平和な日常へと回帰したように思える。本日も、異常なし。
「はぁ……」
 なんだかな。人一人が死んだところで、大方の人間の生活には何も影響を及ぼさないというのは分かってはいたけれど、それが実感できると途端に虚しい気分になる。
 しかし、僕はそんな大多数の人間とは違い、多大な影響を受けた内の一人だった。
 今のように授業をサボることが多くなったのは、その一例と言えるだろう。現在僕がいるのは、屋上前の階段。屋上は飛び降り自殺があったことで立ち入り禁止となっているので、ここは案外穴場なのだ。教師達は、通る必要がないから通らない。
 そんな場所の、はずなのだが。僕の真向かいには、校内においては珍しい髪の色をした、客観的に見れば可愛らしい女子生徒――有栖川がいた。仁王立ちをして、腕を組んでいる。
「つまらないなぁ、つまらないつまらない。全く、ここまで日常が揺らいでいるのに、どうして君はそんなにも虚無的なんだい?」
 全然理解できない、という風に首を傾げながらに問う有栖川。流石にその発言は無神経ではないかと思ったが、こいつを相手にそんなことを言っても無意味だと考え直し、僕はいつものように応対することにした。
「あのな、有栖川……。僕だって、ちょっとは傷付いてるっていうか、心に穴が開いてる状態なんだよ。僕にとって、翔太は唯一の――親友だって、そんな風に言える存在だったんだからさ」
「ふぅん。ありきたりかつ無味乾燥、使い古された台詞だけど、君が悲しんでも桐生くんは戻ってこないんだよ?」
 確かに定番の台詞ではあったが、有栖川が言うと何となく皮肉っぽく聞こえるのは僕が穿ちすぎなのだろうか。
 とは言え有栖川の言い分ももっともで、翔太の死を悼むことに意味はないし、授業をサボることにだって、もちろん意味はない。そんなことは自分でも分かっているが、実際問題、丸っきりやる気が出ないのだ。この無気力状態は早急に改善したいところだが、それも難しいように思える。
「でもさ、今更僕にどうしろって言うんだよ? 何の目的もなしにただ動けって言われたって、どうしようもないじゃないか」
「例えば、こんなのはどうかな――『七瀬沙綾に告白する』」
「却下」
「おぉ、それは重畳だね。私はてっきりそうするものだと思ってたから、お目当ての女がフリーになった瞬間捨てられる遊ばれた女の心境だったよ」
「どんだけ僕は鬼畜なんだ……。っていうか、そんなこそ泥みたいな真似出来るかよ」
 成功するとは考えにくいし、それに彼女は今、一人になりたい心境だろう。例えどんなことがあったとしても、あの二人は愛し合っていたと、僕はそう思う。それは、この一週間七瀬が取った行動にも表れている。翔太がいない学校に、翔太がいない生活に、意味なんてない。そんな風に、彼女は思っているんじゃないだろうか?
 何にしろ、今のところ僕が七瀬にしてやれることはない。翔太の代わりになることなど、僕にはできないのだから。
 ……それにしても、この気分はなんだろう。七瀬に対して、以前ほどの執着が消えているのがはっきりと感じられる。告白なんて、絶対にしてはいけないことだとすら思えた。未練だと言うのなら、未練を断ち切ったような……?
「まぁ、七瀬はそっとしといてやるのが一番だって。で、今度は僕から質問させてもらっていいか?」
「私に答えられる範囲なら、なんでも答えさせてもらおう。親愛なる金城くんのためだ、私の舌と口で役に立てるなら、これほど嬉しいことはないね」
「……言葉尻を捉えるようで悪いんだけどさ、君はあたかも現在『日常が揺らいでいる』みたいなこと言ったけど、既に日常は揺らぎ終わって、今じゃ通常営業してないか? 少なくとも、僕にはそう見える」
「ふむ。ずばり結論を言ってしまえば、金城くん、そうではない。そうではないんだよ」
 その目を鋭く輝かせて、僕を見る有栖川。君の意見を全否定し、考えを覆してあげよう――そう言わんばかりの、眼光だった。
「知っているかい? この学校――白川学園の歴史は古くてね、長い間使われていない場所だって多いんだよ。そんなところだと当然管理も杜撰になるものだよね。金城くんの家にも、同じような事例はないかい? ひょっとしたらそこには包丁を携えた、露出狂の変態おじさんが潜んでいるかもしれないよ?」
 突然の話題変換、ではないのだろう。せめてシロアリとかゴキブリとか言ってくれ、とは口に出さず、僕は黙って有栖川の口上を聞くことにした。
「つまりね、君の背後には『立ち入り禁止』と書かれた札が下がったドアがあるわけだが、それは禁止であって不可能ではないのだよ。私が聞いた話によれば、そこにかけられるべき鍵は、数年前に紛失している」
 言ってから、有栖川は普通に、なんでもないことのように、屋上のドアを開けた。ぎぃぃ、という音と共に風がこちらへ向かって吹きつけてくる。
 有栖川は屋上へと侵入し、ドアの外からこちらへ向けて手招いている。校則違反のお誘いだった。少しだけ迷った末、僕はその誘いを仕方なく受理する。
「全く……君って、結構大胆だよな」
「ふふん、青春に不良行為は付き物だからね。大丈夫、担任の先生には保健室に行ったということにしてあるよ」
「いや、別にお前の心配はしてないけどさ。っていうか、マスターキーとかってあるんじゃないのか?」
「さぁね。未だに警察の検分が続いているのかもしれないし……でも、ここはずっと前から立ち入り禁止になっているから、鍵をかけるまでもなく、誰も入ることはないと判断されたんじゃないかな?」
「え、そうなのか?」
 それは、初耳だった。普段は立ち寄ることがないからか、気にも留めなかった事実である。
「と言っても、前者の方が可能性は高いかな。今週に入ってからも、たまーに警察は来てるしね。私はされなかったが、桐生くんの友人として君は多少の事情聴取は受けたのではないかな?」
「あぁ、それは……」
 思い出したくもない出来事だ。テレビで良く『自殺するような人じゃなかったのに』、『明るくて優しい、いい人でした』などと言ったありふれたコメントを残している様子を見かけるが、自分で答えてみてびっくりした。僕も、そんな言葉しか出てこないのである。七瀬との喧嘩については一切触れないで、ひたすらに無難な言葉の繰り返し。無意識の内に、巻き込まれたくないという気持ちが働いたのだろうか? 何にしても、自分の薄情さに愛想が尽きてしまった。
 頭を何度か振り、スイッチを切り替える。そんな過去に思いを馳せるのは、無意味だ。
「……でもさ、なんで立ち入り禁止になってたんだよ?」
「あれを見て欲しい」
 有栖川が指差した先には、フェンスがあった。別に何の変哲もない、僕の身長より少し低いぐらいの、緑色のフェンス。特別おかしなところは見当たらない。
「あれが、どうかしたのか?」
 素直に疑問を口にすると、有栖川は哀れみの目で僕を見てきた。馬鹿にされてるとしか思えない。
 やがて有栖川は何かを諦めたようにため息をついた後(ところで、幸せ云々というのはどうなったのだろうか?)、僕から目を離し前に向けて歩いていく。そして再びこちらを一瞥した後、フェンスの最上部を掴み、そのまま自分の身体を持ち上げた。
 その姿勢を見て、僕はようやく気付く。
「……誰でも、簡単に自殺できるってことか?」
「童話の世界で眠りこけているウサギぐらい気付くのが遅いよ、金城くん。まぁ、そういうことだね。私の身長でもこんな風に出来るんだから、ましてや桐生くんなんかは簡単に飛び降りることができるだろう。実際、ここにあるフェンスのいずれかから桐生くんの指紋が検出されたらしいしね。そして更に重要なのは」
 そこで一呼吸置いてから、至極厳粛な口調で、有栖川は告げた。
「誰でも、桐生くんを落とすことは可能だったということだ」
「…………」
「これは桐生くんの体格を省みた思考なのだがね。彼は金城くんも知っての通り、かなりの痩せ型だ。陸上部だからかな、筋肉は多少付いているが、速さを追求するために脂肪はほとんど捨て去ってしまったような印象を受ける。ひょっとしたら私よりも軽いのではないかな? そんな桐生くんだったら、フェンスの最上部に胸辺りを持ち上げてしまえば――後は、梃子の原理で落とせるとは、思わないかね?」
 ほとんど翔太が『殺された』と断定するような口調で言う、有栖川。それに対して、僕は多少の不快感、あるいは憤りのようなものを覚える。取り乱したり、怒ったりはしないが――これは、不愉快だ。
「有栖川、邪推し過ぎだ。翔太は自殺したんだよ。その原因を、僕達は見てただろう?」
「確かに、それを否定し得るだけの根拠を私は持ち合わせていない。しかし、君がそれを立証できるだけの根拠もまた、ないだろう?」
「……ある」
「ほう?」
 面白い、言ってみせろとでも言わんばかりに、有栖川は眉を持ち上げた。
 僕は、虚勢を張る。まさに虚勢だった。ただ有栖川の言っていることを否定したくて、強がっているに過ぎない。
「警察が自殺だって、そう言ってるんだ。君のような素人の意見より、よっぽど信憑性があるさ」
「自殺だとは言いながらも、警察は検死の結果を基に、現在犯人を割り出している最中だとしたら? 犯人の目星がついたら、すぐにでも逮捕に動こうとしているのだとしたら?」
「だったら、学校だ。学校も、自殺だって……」
「ははははははは! 勘弁してくれよ金城くん、君は私の腹筋を割れさせるつもりかい? 学校、学校ねぇ……。一番殺人事件であって欲しくないサイドからの証言を鵜呑みにするなんて、君は正気とは思えないな。警察だって、学校側に半ば自殺だという発表を強制させられたようなものだと思うけどねぇ」
「――じゃあ、お前は何が言いたいんだよ、有栖川!」
 流石に、激昂する。有栖川を相手にこんな態度を取っても意味がないことを知りながら、感情を露にしてしまった。案の定と言うべきか、有栖川は僕の興奮を受け流すように涼しげな表情を作り、
「私が言いたいことは、ただ一つだよ。君には探偵役をやってもらいたいんだ、金城くん」
「はぁ?」
 予想外の一言に、僕は困惑する。
 探偵役? 今、こいつはそう言ったのか?
「止してくれよ、有栖川。僕は別に、翔太が自殺であることを疑ってるわけじゃない。犯人がいると思ってるんなら、探偵をするとしたら君のほうだろ?」
「何を言ってるんだ、私は傍観者だよ? ただの記録係に過ぎない。物語に関わろうなんて、全然これっぽっちも思っちゃいないさ」
 それにね、と有栖川は前置きをして、僕に言った。
「君はもう既に、疑念を抱いている。誰でも殺せた、なんてことを知ってしまったこの時から、君の心には拭いきれない疑心が住み着いているはずなんだよ。金城くんは確か、人間だよね?」
「それは人間にしちゃいけない質問だろ……」
「いや別に、金城くんが猿でも鳥でもこの場合は構わないんだ。高等動物であればなんでもいい。とにかく、君は人間である以上、好奇心を持っているはずなんだよ。だから、分からないことがあれば首を突っ込みたくなる、真実を解明したくなる、それが当然の営みだ。一週間前と同じようにね」
 当然であるかはともかくとして、有栖川が言っていることは正しい。口ではああ言ったものの、今となっては僕は翔太が他殺ではないかと考えてしまっているのだから。
 もし、他殺であったのなら。僕はその犯人を許すことは出来ない。翔太の命と七瀬の幸せと僕の日常を奪ったそいつは、絶対に許せない。
 何にせよ、もやもやとしたわだかまりのある一週間だった。目標を定めて、それに向かって行動できないことが煩わしかった。やることがなかったと言い換えてもいい。翔太のように話せる友人も、七瀬のように恋焦がれる人も、僕の視界からは消えてしまったのだから。目的があるんだったら、示されるんだったら――それに向かって、直進すればいい。
 それに、高宮が言ったことを僕は思い出していた。往々にして真実や現実は痛みを伴うものかもしれず、虚偽や虚構は心地よく響くもの。今の状況が、それに当てはまるとしたら――。
「って、有栖川。だったらなんだよ、君は自分が人間、ましてや高等動物ですらないとでも言いたいのか?」
「うーん、多少の誇張表現が入っているけど、おおむね正しいかな――私は少なくとも、普通ではない」
 それが当然だとでも言わんばかりの、誇らしさすら感じられる態度できっぱりと宣言された。
 周囲から普通に見られることを望む、有栖川照諏。しかしその性格、性分は丸っきり普通とはかけ離れている。二人きりで話しているとそれが克明に伝わってくる辺り、相当のものだ。
 僕が向ける不躾な視線を受け止めながら、有栖川はにやりと笑う。
「ふふっ、そんな目で見ないでくれよ、私と君は似た者同士だろう?」
「似てるってだけで、僕とお前とじゃ大違いだけどな」
「その通り。段々私の言いたいことが分かるようになってきたよね、金城くんは。心が通じ合ってきた証拠かもしれないな。まぁ、私は自分に関係のないことには全く何の感情も抱けない、人間の出来損ないみたいなもんだということさ」
「そんな言い方は、自分を悪し様に扱いすぎだと思うけど。それに、今回の事件に関しては興味があるみたいじゃないか。それこそ、人並みに」
「友人、それに恋人が気にしているから、私も気にしているに過ぎないよ。金城くんにはさっさと自己解決してすっきりしてもらいたいからね。でないと、私の学校生活が面白くないだろう? あぁそうそう、すっきりと言えばどうだい、人も居ないしここは一発野外プレイ、いわゆる――」
 放送禁止級のワードが飛び出てくる気配を敏感に感じ取り、僕は有栖川の口を塞いだ。
「んむー! むぬふー!」
「有栖川、頼むから僕の抱いている女性への憧れを崩さないでくれ……!」
 睨みながら言いつけて、口を覆う手を離した。
 僕だって、純粋な思春期真っ盛りの中学生よろしく、女の子は綺麗な生き物だと盲目的に信じているわけじゃない。それでも、有栖川にかかると本当に僕の女性に対するイメージが二回転半ぐらいしてしまいそうなので、それだけは断固阻止だ。
 当の有栖川はというと非難がこもった目でこちらを見ている。
「お堅い男だなぁ、金城くんは。ちょっとしたアメリカンジョークじゃないか、もう。心配しなくても、まずはキスからだって前も言ったじゃないか」
「だったら、紛らわしいことを言わないでくれ……」
「それでえーっと、話はなんだっけ? 湯煙温泉街連続殺人事件、消えた死体の謎についてだっけ?」
「この間のサスペンスだろ、それ。ほら、お前の心はいつでも砂漠状態だっていう話だよ」 
「あぁ、そうそう。実感できちゃったんだよねぇ、桐生くんの死体を見たとき。あそこまで心が動かないとは自分でもびっくりだったよ。きっと私は自分の従兄弟とかお爺さんが死んでも、足し算引き算で『日本の人口が一億強分の一減った』ぐらいにしか思わないんじゃないかなぁ」
「……ん、じゃあ父さんや母さんはどうなんだ?」
「養ってくれているから、無関係ではないだろう?」
「…………」
 思わず、絶句する。これがただのはったり、こけおどしのアピールだったなら僕は構わず会話を続けるのだろうが、僕は既にそれが本当なのだと分かっている。翔太の死体を見る有栖川を、一瞬だけでも見てしまった僕には。昨日まで普通に話していた人間が死んでいることだって、有栖川にとっては興味を惹かれる出来事ではないのだ。
「でもね、金城くん。もし君が死んでしまったなら、私は身体中の水分が全部消し飛ぶぐらいに号泣すると思うよ? 君と私は非常に馬が合う、最高のカップルだと自称しているからね。試しに明日、死んだフリでもしてみるかい? 本気で驚き慌てふためく世界の終わり顔の有栖川さんが見れるかもしれない」
「それはマジで光栄だな。世界の終わり顔には興味が尽きないけど……ま、遠慮しとくよ」
「どうしてだい? 何か用事でも?」
「――探偵ごっこを、少々」

 ◇

 有栖川と単純な雑談とは言いがたい会話をしてから数時間が経った、放課後。
 いくらそれが親しい友人であったとは言え、死体を見て卒倒するような人物を探偵役にしてもいいものだろうか、という疑念を抱きつつ、僕は頭の中で情報を整理していた。
 大事なのは頭を落ち着かせることだ。どうにも最近、自分でも感情がコントロール出来なくなることが多い気がする。少しは冷静さを保つ努力をしなくては。
 七瀬と翔太とのいざこざ。死体が見つかった時の状況。警察から発表された『自殺』の二文字と死亡推定時刻。翔太が残した遺言代わりのブログとメール。屋上で交わした有栖川との会話。
 整理していく中で最も気にかかったのは、やはり有栖川が言ったところの『誰でも、桐生くんを落とすことは可能だったということだ』という一言だ。
 落とすこと、それ自体は可能だったとしよう。試しようがない以上、それまで疑ってしまうと先に進まない。
 しかし、どうして屋上から落とさなければならなかったのか。その理由が問題だ。ただ殺すだけなら、別に屋上から落とす必要はないのだから。
 考えた末に、僕は一つの結論を出した。犯人側の思考に立って考えてみると『自殺に見せかけるために落とした』、そんな説が有力ではないだろうか。だからこそ、僕は犯人の思惑に乗せられて、今まで自殺だと思っていたのだ、とも。
 例えば、頭。翔太が頭部に致命傷を負ってしまい死に至ったとしても、それが打撲によるものであれば、死因は飛び降りと変わらない。つまり犯人は、翔太を殺した後で屋上から突き落とし、自殺に偽装した――こんなところで、どうだろうか。じっくりと考えれば粗が出てきそうだし、実際の手段とは異なっているかもしれないが、それでも一先ずの指針とするには充分に思えた。
 と言うか、別に杜撰な推理でも構わない。僕が究明しなくてはいけないのは、どうやって殺したか、その手段じゃないのだから。あくまでも、誰が殺したかだ。理論的ではなくとも犯人さえ分かれば、それで翔太の仇討ちを果たしたことにはなるし、七瀬だって罪悪感から開放される。
 そう、罪悪感だ。七瀬は今、自分の所為で翔太が自殺したと思っているかもしれない。それは彼女が向き合わなければいけないことだが、もし殺されたのだとしたら、話は全く変わってくる。
 翔太のために、そして七瀬のために。犯人がいたとしたら、それを突き止めるのは僕の使命であるような気がする。もしかしたら有栖川は、僕のことを気遣ってこの役目を回してくれたのかもしれない。だとしたら、有栖川には感謝しなくては。改善するのが難しいと思われた僕の無気力状態に、特効薬をくれたのだから。
「最近、有栖川には世話になってばっかりだな……」
 図らずも、独り言が漏れる。そういえばこの一週間、有栖川はほとんど僕に話しかけてこなかった。まともに話したのは、本当に久しぶりのことだと言える。そのことを考えると、中々立ち上がらない僕を見かねて、あいつなりのやり方で渇を入れに来たとも思えた。
 どうしてこんなにも、僕を気にかけるのだろうか。かりそめの恋人、形だけの彼氏ではなかったのか? ただ周りから普通に見られるためだけの、隠れ蓑……じゃ、ないのか? もし有栖川がそうではなく、本当に僕のことを好いていてくれるのであれば、僕だって……。
 有栖川。有栖川照諏。考えれば考えるほど、あいつは分からない。いや、わからないからこその、有栖川なんだろうけど。
 ともかく、今は自称彼女のことを考えるよりも、やることがある。
 出来るなら、やりたくはなかった。けれど放課後まで悩んだ末に、実行に移すことを決めた行為が。
 覚悟を決めて、僕は扉を開けた。
「ようこそ、勇紀。今日は良い天気で、絶好の相談日和ですね」
 一週間前と変わらない朗らかな笑顔で、高宮小枝子は言った。
 高宮と話すのは、やはり久しぶりだったりする。しかもこちらは有栖川と違い、一つとして言葉を交わしていない。しかしそれが特別なことかというとそうでもなく、高宮は静かなる支配者といった感じで、普段からあまり喋る方ではないのだ。教室の中で僕と喋ったことなんて、両手両足の指を使えば数えてしまえるんじゃないだろうか? 一年生の頃、まだ高宮に七瀬のことで相談をする前はクラスも違う赤の他人だったし。
 ただ、黙ってクラスにいるだけでも存在感だけはある。喋っていても空気のような僕としては、それはある種の才能ではないかとすら思えるところだ。
 それはさておき、今は世間話をしているような状況じゃない。僕もまた一週間前と同じように、前置きなしで本題を口にした。
「高宮、相談がある」
「僕としては久方ぶりの勇紀の来訪なので、久闊を叙す暇ぐらいは貰いたいんですが……急ぎの用事なんですか?」
「急がなきゃいけないって程じゃないけど、急ぎたい話ではあるかな」
 警察の手が入る前に、僕としても真実を解明しておきたいから――とは、間違っても口には出さない。
「では仕方ありませんね、回りましょう。どうぞ座ってください、勇紀」
 急がば回れ、ということだろう。高宮は微笑んで僕へコップを差し出し、今度はアップルジュースを注いでくれた。
 前回の教訓からそれにはあえて口を付けず、僕は高宮に問いかけた。
「一週間前に殺された翔太のことなんだけどさ、いいかな?」
「…………?」
「どうしたんだよ高宮、とぼけた顔して。ほら、僕もあいつとは親しかったからさ――出来る限りのことは知っておきたいんだよ。だから……」
「何を言ってるんですか、勇紀?」
 途端、今までは優しい顔を向けていた高宮が厳しい顔付きになる。
 それとなく、全く何でもないことのように発した言葉だったのだが、流石は聞き上手の高宮小枝子。一瞬で気付かれてしまった。感服させてもらうことにしよう。
 しかし僕にだって、有栖川から盗んだはぐらかしと戯言のスキルがある。感服したと言えども、まだまだ屈服するわけにはいかない。
「何を言ってるかって……日本語?」
「とぼけないでください、貴方は今こう口にしましたね――『殺された翔太』と。どういうことですか?」
「ん、そんなこと言ったっけ?」
「言いました。確かに、この耳が聞きました」
「あぁ、そうか。悪い、『死んだ翔太』の間違いだ、気にしないでくれ」
「どうして、わざわざ『殺された』と言ったんですか?」
 なおも食い下がる高宮。なんだろう、これはもしかして、脈があるのかもしれない。
 僕としては、あってほしくはなかった脈なんだけど。
「……逆に聞くけどさ、どうしてそんなにそこにこだわるんだ? 僕は少し言い間違えただけだって。他意はない」
「嘘、ですね。嘘に決まっています。嘘でしょう?」
 僕を睨みつけるようにして、呟く高宮。射抜かれるどころか、穿られるような視線だった。高宮ってこんな目、出来たんだな。
「どうして、そんなことを問うんだ?」
「勇紀は翔太の死を最も悲しんでいた内の一人です。そんな勇紀が、ものの弾みでそんなことを言うはずがない。だからこそ、そこにははっきりとした意図がある。そうではないですか?」
 それを聞いてから、僕は「……ふぅ」と、大げさに肩を持ち上げて嘆息し、
「仕方ない、高宮には適わないな。じゃあ、正直に言おう」
 ただし、包み隠さずにではないけど。言葉には出さずにそう付け加えて、僕はやや間隔を空けてもったいぶるようにしてから、高宮に言った。
「僕は翔太が殺されたと思っている」
 一瞬、世界が止まったように感じられた。冷凍された沈黙とでも形容すべき空気が、室内に流れる。
 僕が有栖川に同じことを言われた時も、同じ種類の空気が流れたような気がする。もっとも、僕の場合はすぐに勢いだけで反論したけど。しかし高宮は僕と違い、それでも冷静そのものの口調で応対する。
「……その、根拠は?」
「根拠っていうか、可能性の話かな。高宮はこの学校の屋上に入ったこと、あるか?」
「いえ、ないですけど……」
「緑色のフェンスがあるんだけどさ、一回見てみればいい。結構驚くと思うぜ? 大体――そうだな、頭を除いた僕の身長と同じぐらいの高さしかないんだよ」
「……勇紀、一体何が言いたいんですか?」
 察しが悪い僕とは違って分かっているだろうに、あえて聞いているのか、そんなことを言う高宮。
 僕はそれに付き合い、もったいぶってから、いかにも衝撃の事実であるように言った。
「翔太を落とすことは、誰でも可能だったってことさ」
「そして落としたのが僕だって、そう言いたいんですね?」
 冷たい目線で、僕を見る高宮。
 思わず、舌打ちをする。機先を制された気分だった。この口ぶりからすると、徹底的にこちらを論破するだけの自信と覚悟がある、ということだろうか。
 僕は気を引き締めつつも、とぼけた口調で、
「いやいや、まさか。僕が高宮を疑うわけないだろ? 誰が落としたって話じゃなくて、誰かが落としたかもしれないっていう可能性があるっていうことを言いたかったんだよ」
「……さっきまでの言動、僕を疑ってるとしか思えないんですよ。何か、根拠でもあるんですか?」
 ほとんど僕の発言を無視して、恨み言を呟くようにして問いかける高宮。
 激昂、しているのだろうか? 感情の変化が掴みにくいが、もしかしたら、高宮は怒っているのかもしれない。
 この怒りの発信源は、どこなのか。彼女の中の、何がそうさせているのか。犯人扱いされたことによる純粋な悪感情、もしくは翔太の死を掘り返す無礼さに対する不快感、そのどちらかだったらいい。それなら、単純に僕が悪いのだから。しかし、犯人であることを糾弾されるという恐れからくるものだとしたら、その可能性があるのだったら――容赦するわけにはいかない。
 僕は一旦息を吸い込み、心を落ち着かせる。組み上げた論理を、披露する時が来た。
「君は怪しすぎる、高宮小枝子」
「だから、根拠を――」
「例えば、そこにある木刀。あれで翔太を殺してから落としても、死因は変わらない。自殺に見せかけることが、できるだろ?」
「はっ、何を言い出すかと思えば……。木刀なんて、剣道部なら誰でも持ってるじゃないですか」
「違うな。翔太が死んだのは七時半頃――部活に所属する生徒が全員帰っていたことは、確認済みなんだよ。付け加えれば、戸締りだって最後に学校を出た先生が電気の付いてるクラスの点検をしただけだ。つまりお前が翔太を殺した後、電気を消して先生が帰るまで待っていた――そんな仮説も立てられる」
 適当な嘘をついてみた。実際、そんな確認を取ったわけじゃない。まぁでも、多分そんなところだろうと思う。正確には部活を休んだ生徒もいるから、確かなことは言えないが……。
 高宮は僅かに思案した後、小馬鹿にするような目をこちらに向けた。
「あくまで、それは仮説でしょう? 物的証拠がない以上、立証することは不可能です」
「確かに。でもそれはこっちにも言えるんだよ、高宮――そちらが僕の仮説を否定する、物的証拠があるのか?」
「……それは、ないですけど」
「だったら、こっちの質問に答えることで嫌疑を晴らす努力をしてみてもいいんじゃないか? そうだな、その明らかに不自然な白い手袋を付けている理由を説明するとか」
「……潔癖症なんだと、前も言ったじゃないですか。自分の手で何かに触るのが嫌なんですよ」
「翔太の死体にも?」
「なっ……」
「仮説の続きだ、高宮。君は木刀で翔太を殺す、あるいは気絶させた。そして巡回する先生が学校から立ち去ったのを見てから、その死体を屋上から落とした――手袋をしていた故、指紋はついていない」
「……穴ぼこがありますよ、勇紀」
 勝ち誇ったように、笑みを浮かべる高宮。この話が始まってから初めて見る、笑顔だった。
「第一に、どこで僕は翔太を殺したんですか? あぁ、気絶でしたっけ? どちらでもいいです、とにかく殺した後は隠れていると言っても、翔太が一人になることがあったと思いますか? あの日貴方が言ったことですよ、さーやと翔太が喧嘩してたってことはね。学校から出た時、二人が一緒だったことはさーやが証言しています。第二に、どうやって屋上まで運んだんですか? 落とすことは可能でも、運ぶのは僕の体格では難しい。いや、不可能です。その二点について、貴方の仮説には矛盾が生じている」 
「翔太を運び出す必要はない」
「……はぁ?」
「仮説の補足をさせてもらう。七瀬と翔太が学校から出た後、君は翔太をメールで呼び出した。屋上か、あるいは屋上前の階段辺りに。『大事な話がある』とでも言えば、あいつだったらすぐにでも来るだろうさ」
「そんなことをした証拠――」
「を、自分で消したんだろ? 高宮」
 追い詰めるように、あるいは問い詰めるように――高宮に近づいて、僕は言った。
「翔太の携帯は、ばらばらに壊れていた。思えばあれが、不自然過ぎたんだよ。直接地面に叩きつけなきゃ、ああはならないんじゃないか? いや、そうでなくても自殺だって言うなら、ポケットか鞄にでも入れておくさ、普通。君が、屋上から落とした――違うか?」
「……だったら、翔太の携帯から送られたメールは! ブログは! あれはなんだって言うんですか? あれこそ、彼が自殺だっていう証拠じゃないですか!」
「携帯が勝手に動くって言うのか? あれだって、君が偽造してないという証拠はどこにもない」
「い、いい加減に――」
「じゃあ、聞こう。高宮、君はあの日の午後七時半、何をしてたんだ?」
 長い、長い沈黙があって。
 やがて高宮は顔を青くし、恐れおののくようにして一言、ぽつりと呟いた。
「僕は、さーやと一緒に居ました」

 ◇

 初めて女の子の家に行く時は、きっと物凄く胸がドキドキして苦しいんだろうなぁ、そんなことを考えていたのは確か中学生の頃だが、実際に体験するのがこんな状況だとは、人生とは分からないものだ。
 僕は本日、朝から七瀬の家にお邪魔することにした。住所と家の特徴は昨日高宮と熱烈な討論をした後、担任の先生から聞いておいたので、表札を見るまでもなく間違いはありえない。学校をサボってしまったのは申し訳ないが(主に有栖川とかに)、これは不可抗力と言うやつだろう。
 正直言って、高宮が発したあの言葉は予想外だった。突拍子もない嘘だとしても、あまりにも考えがなさすぎる。だってそんなの、七瀬に否定されたらそれでおしまいじゃないか。高宮らしくもない凡ミス――だろうか?
 いや、凡ミスというのなら僕の話に耳を傾けてしまったこと自体がそうか。あんな証拠も何もない、ただの机上の空論に。ミステリー小説の中では探偵が完璧な論理と物的な証拠を用意するものだが、現実はそうじゃない。相手は人間だ。だからこそ、あんな仮定に仮定を重ねた暴論でも、高宮は動揺した。携帯握り締めて飛び降りる奴だっているかもしれないというのに。
 しかし昨日の反応。あれを見る限り、やはり高宮はかなり怪しいように思える。もしも自殺だと盲目的に信じていたのなら、あんな対応はしない。僕なんて相手にしないで、さっさと追い払うだろう。だから、あの発言の真偽を確かめるために、ここまで来たわけだ。
「さて、行きますか……」
 自分に気合を入れて、玄関のチャイムを鳴らす。
 一回。二回。三回。四回。
 留守かなと思い、出直そうかと振り返った時、
「はいはい、誰ですかー?」
「僕です」
「みぎゃー!」
 ユニークな鳴き声をあげて、一度は姿を現したパジャマ姿の七瀬が再び家に戻っていってしまった。なんとなく、頭の中に帰巣というキーワードが思い浮かぶような行動である。
「どどどっ、どうして金城くんが!? ちょ、ちょっと待ってて! ぱぱっとドレスアップしてくるから!」
「いや、お構いなく」
「そこで待っててねー!」
 僕の意見を無視し、扉の向こうから聞こえる声が途切れた。代わりに家の中からは何かが倒れるような音と少女の悲鳴が交互に聞こえてきて、なんだか漫画みたいだなぁという感想を抱きつつ、先ほどの七瀬の姿を思い出す。
 普段はポニーテールにしている髪は思いっきり無造作になっていて、服の前は着崩れしているという表現では足りないほどはだけていて――目の下には、大きな隈が出来ていた。
 やはり七瀬は、病んでいる。翔太の死によって、心を患っている。それは解消されなければいけないし、解消してあげたいと思う。今の七瀬の姿を見れば、誰もがそう思うだろう。
 やがて扉は開き、中からは青いキャミソールとゆったりしたジーンズを身につけた七瀬が現れた。その姿に心動かされそうになるも、やはり以前ほどの熱がないことに気付く。なんだろう、本当に七瀬を好きな気持ちが薄れているような……。僕はいつから、こんな調子になってしまったのだろうか。
「さ、入って入って。お母さんもお父さんもお仕事中だから、くつろいでいいよ。今は居間に誰もいません、なんちてー!」
「お邪魔、します……」
 常時最高潮の七瀬のテンションが、いつにも増して高いような気がする。無理をしているようにしか思えないほどの、痛々しいほどの陽気さだった。
 七瀬の家は特に変わったところはない、普通の一軒家だった。とは言えやはり女の子がいる家庭だからか、僕や翔太の家よりは片付いているし、内装も整っている印象を受ける。
「もー、びっくりしたやん。どうしてアポなしですのん? アホでっかほんまー」
 なおも明るい口調で謎の関西弁を操りつつ、七瀬はカーペットが敷かれた床に座る。椅子とテーブルがあるのに、どうしてそこなんだろうという突っ込みを脳内で完遂し、僕も少し離れた床に腰掛けた。
「そいで、金城くん。どうしたの? 私に何か用事でも?」
 七瀬は屈託のない笑顔を見せる。何を問いかけるにも躊躇われるような、そんな空気が漂っていた。
 考える。ひたすらに、考える。どう言えばいいものか、どの言い方が一番適切なのか。
 しかしどんな言葉を並び立てたところで、どれが適切かなんてのは分からなかった。いや、どんな言葉も等しく、七瀬にとっては最悪なのだと思う。
「ごめん、七瀬。翔太のことについて、一つだけ尋ねたいことがあるんだ。イエス、ノーって言うだけでいい。答えてくれないか?」
 僕の言葉を聞いた瞬間、七瀬の顔が急激に曇る。
 今までの陽気さに隠れていた陰の部分が、一気に顔を見せてきたような印象。ただひたすらに、負の感情が表情に巻きついている。その豹変具合に少し戸惑ったが、それでも七瀬は、
「……うん、いいよ」
 と、沈んだ声で一応の同意を示してくれた。おそらく警察からマスコミから、昼と言わず夜と言わず質問を浴びせられたのだろう。飽き飽きしている、あるいは消耗しきっている――そんな様子が、感じられた。
 しかし、こちらが聞きたいことは一つ。高宮が犯人かどうかを決定的に左右する例の証言。その真偽を確かめるだけだ。これでもし答えがイエスなら、僕はもう一度推理のやり直しだ。しかしそれはそれで、高宮が犯人と疑わずに済むのだから悪くはない。
 僕は一瞬躊躇しながらも、なんとか言葉を紡いだ。
「七瀬。君は八日前の午後七時半、高宮と一緒にいたのか?」
「八日前って、例の事件があった日、だよね……?」
「そうそう、その日だよ」
 翔太が殺された、あるいは死んだ、その時間帯。七瀬は、いや高宮は、何をしていたのか――?
 明確な答えが、僕の前に示された。
「えっと、うん。駅前で遊んでたけど……何で知ってるの?」
「……あ、あぁ、いや。ただちょっと、高宮からそういう風に聞いたんだ」
「ふーん。もう、改まって言うからびっくりしちゃったよー。警察の人みたいに変なこと聞いてくるのかと思っちった」
 舌を出して、無邪気に微笑む七瀬。しかし僕の心境としては、複雑なところだった。
 これで、高宮が犯人だということはありえない。とは言っても、あの状況で他に怪しい人物なんて、そう簡単には見付けらないだろう。
 まず、凶器を所持してなければいけないのだ。手刀で人間を気絶させられるような拳法家は白川学園にはいないし、絞殺その他別の殺し方だとしたら、その痕跡は確実に残る。加えてあの日、僕が帰る時点で他の生徒の姿はほとんど見えなかった。
 凶器、凶器……スタンガンだったら、気絶させることができるだろうか? その条件なら、当てはまる、当てはまってしまう人間が一人、いる。いや、違う。そんなことはありえない、あるはずがない。
『では、私はもうちょっとやりたいことがあるから。ばいばい、金城くん』――なんだ、これは? 有栖川の放った一言が、克明に思い出される。
「金城くん、顔色悪いよ? 大丈夫?」
「ちょっと、ね……。気にしなくていいよ」
「うーむ。あ、そういえば新しい紅茶があるんだー。持ってきてあげるね!」
 どうやら相当おかしげな顔をしていたらしく、七瀬は優しい言葉をかけてくれた。マグカップを持って、キッチンへと駆けて行く。まさか、自分が心配される側になってしまうとは……。心配しなきゃいけないのは、むしろこっちなのにな。
 もう翔太の話が出てくることはないテレビのニュースを何の気なしに見ていると、七瀬の声が後ろから聞こえた。
「金城くん」
 振り向く暇すら、なかった。
 鈍器で殴られたような衝撃が頭を襲う。背後から唐突に仕掛けられた一撃に反応できるはずもなく、避けることも防御することも適わなかった。
 しかし意識はある。頭がぐらぐらするが――ごつん。再び、鈍器かどうかは分からないが、とにかく何かしら硬いものでの一撃が頭に加えられた。
 続けて、右肩に。そして、左肩に。
 意識が朦朧とする。何だ、何が起こっているんだ? 分からない。なんにしろ、これは人間が受けていい行為じゃないと思うのだが、どうだろうか。
 身体が動かない。視界がやけに低いということは、どうやら僕は倒れてしまったようだ。でも、それだけ。それだけが分かり、他は何も分からない。
 あぁ、本格的にもう駄目だ。頭の中が空白で、目の前には走馬灯だろうか、やたらと胸の大きい僕の彼女がいる。
 優しい顔で、僕を見ていた。
 
 ◇ 

 突然、視界が開けた。
 白い、殺風景な部屋。どうやら僕はここで、寝ていたらしい。自分の身体に感覚があることを確認し、上半身を起こす。その際頭と肩に激痛が走ったが、何とか悲鳴を飲み込み、辺りを見渡す。
 おそらく朝なのだろう、部屋には心地よい日差しが差し込んでいた。なるほど、この状況は、
「夢オチか」
「そんなわけがないだろう、戯け者の金城くん」
 生きていることを実感した僕がお約束のボケをかますと、容赦のない突っ込みが返ってきた。
 もちろん声の主は、有栖川照諏大先生である。いつも通りの制服姿だ。部屋には他に、誰も居ない。
「有栖川、父さんと母さんは?」
「今はお医者さんから話を聞いている最中だと思うよ。三十分ぐらいで戻ってくるんじゃないかな」 
「へぇ。じゃあ、えーっと、三十分で状況の解説を頼む」
「金城くんが七瀬さんの家にのこのこ入っていって、椅子で頭やら肩やらを強打されて気絶。暴走七瀬さんは私がスタンガンを駆使して止めましたが、君は情けなくも病院送り。丸一日寝てましたとさ」
「……簡潔な説明、痛み入るよ」
 頭と肩に巻かれた包帯を触ってみて、僕自身もなんとなく思い出した。なるほど、僕は恋焦がれていた人に病院送りにされたのか……。
「ひっでぇな、それ」
「全く、私が君のことをストーキングしていなければ、どうなっていたか……。感謝してほしいものだね」
「いつからだ、そのストーキングってのは」
「翔太くんが殺されてからかな」
 つまり、一週間前からか。熱心なファンがついて嬉しい限りだ。
「てか、やっぱり他殺か」
「あぁそうか、金城くんはその辺りも全然知らないんだったね。テレビをつければ分かるようなことだが……いいか、私が説明しておこう。何から知りたい?」
「……犯人は、七瀬なのか? 僕を襲ったってことは」
 今思えば、最初から七瀬にも怪しいところが一つ、あったのだ。
 遺書のメールが来ているにも関わらず、翔太の死体が発見された朝、あんなにも明るく話しかけてきたこと。あれは――明るく振舞うことによって、不自然さをなくそうとしていたために生じた、不自然だった。
 言い訳がましいが、それには気付いていた。気付いていながらも七瀬を疑うことをしなかったのは、なんというか、そう思いたくなかったからだろう。七瀬が犯人であるはずがないと、信じていたからだろう。その結果がこれなのだから、僕も報われない。
「いや、小枝子も共犯だ」
「…………」
 流石に、予想外だった。想定の範囲外。そうか、そういう可能性だってあるものな。
 それなら、高宮の取った態度やアリバイの説明だってつく。要するに、二人で僕に嘘を付いたと――そういうことか。
 いや、僕は気付くべきだったのだ。あそこで追い詰められた様子の高宮が、どうして七瀬の名前を出したか。二人の間に、何らかの繋がりがあると見るのが、自然じゃないか。
「でも、なんで翔太を殺したんだ? やっぱり、あの喧嘩が原因か?」
「君の言うとおりだ。なんだっけな、デートの約束を反故にされたから、という理由で生じたくだらない口喧嘩だったらしいよ。それがエスカレートして、あんなことになってしまったらしい。いや、くだらないというのは失礼だね。本人達は真剣だっただろうから」
 本人達にしてみれば。それは本当に、死活問題のようなものだったのだろう。特に、あの二人の仲の良さを考えれば。
「とにかく、あのいざこざは金城くんが去ってからも長い時間続いていた。確か、七時ちょっと前だったかな――とある事故が起こってしまってね」
「事故?」
「うん。七瀬さんが、桐生くんを突き飛ばしちゃったんだよ、あの教室で。そして運が悪いことに、桐生くんの頭が机の角に直撃しちゃってね」
「……もしかして、それが死因だって言うんじゃないだろうな?」
「死因、じゃないよ。でも、死の原因と書いて死因なんだから、ある意味では死因かな?」
 回りくどい言い回しはやはり有栖川といったところで、僕は質問をしたり相槌を打つのを放棄し、聞き手に回ることにした。少なくとも有栖川が喋っている内は、突っ込まないでおくのがこいつと話す時のテクニックだ。そうしないと、いきなりあちらこちらに話が脱線してしまう。
「まぁ結論を述べると、桐生くんは気絶してしまったんだよ。七瀬さんは人を気絶させる天才かもしれないな――おっと、これは冗談だよ。気にしないでくれたまえ。七瀬さんはぐったりした桐生くんを見て、『死んだ』と思ってしまったらしい。殺してしまった、とね」
「これだけは突っ込ませてもらう、有栖川。どうしてお前がそのことを知ってるんだ? そこまでニュースでやるわけじゃないだろ?」
「見ていたからに決まっているだろう」
「…………」
 つまりこいつは、僕を引き止めておきながら自分は見ていたということか。『やりたいことがある』――よく言ったものだ。
 どこで撤退したのかは分からないが、有栖川のことだ。上手くやったのだろう。
「本当はどうなるかを最後まで見届けて、金城くんをからかうネタに使うつもりだったんだけどね。ほら、雨降って地固まるって言うし、あの後仲直りした二人はとても少年誌では表現できないようなことをやっちゃうと思ってたんだけど、事態が予想外の方向に行っちゃって。まぁいいや、話を進めよう。そんな七瀬さんが途方に暮れている時に、小枝子が通りかかった。君から七瀬さんの話を聞いた、高宮小枝子だ」
 と、ここで閑話休題。そう言って、有栖川は話題の転換をした。結局、どうなっても話が脱線し交錯し混乱する運命にあるらしい。有栖川が楽しそうに喋る時は、大体こうなってしまう。
「七瀬さんと小枝子は親友だった、というのは知っているかい?」
「いや、初耳だ」
「だろうね。小枝子はそれを、特に君には隠していたようだから」
「なんでだよ? どうして、そんな必要が……」
「君が、七瀬さんのことを好いていると知っていたからだよ。小枝子が君の相談に親身に乗っていた理由は他でもない、七瀬さんのためだ。悪い虫がつかないように、見張っていたんだよ。小枝子と七瀬さんは小学校からの付き合いでね――桐生くんと付き合う時だって、小枝子は猛反対したんだ。私も小枝子とは相談し合う仲だからね、その辺りの事情は今でも覚えている」
「……なるほど」
 高宮は、僕のことなんか見ちゃいなかったのか。高宮と過ごした時間は、彼女にとっては何の意味もなかったのか。僕だってあんなことをしたからお互い様といったところなのだろうが、それでもやはり、虚しい。そう思った。
「そんな小枝子は、七瀬さんに提案する。『自殺したことにしよう』と。そこからは流れ作業だよ、二人で桐生くんを持って、屋上に運ぶ。携帯電話で遺書めいたメールやブログを書く。誰も校内にいなくなったことを確認してから、桐生くんと携帯電話を落とす。落とした後は窓からでも校舎を出ればいい。大それたトリックも明確な殺意もないが、スムーズに犯行は行われただろうね。人間必死になれば、何かと頭は回るものだし」
 だがしかし、問題が起こった――と、有栖川は付け加えた。そう、僕が盤面に登場したお陰で、事態はおかしなことになる。
 高宮は僕に追い詰められ、咄嗟に嘘を吐いた。そして、おそらく高宮はあの後、七瀬に僕のことを連絡したのだろう。『勇紀が感づいているかもしれない』、と。だから、焦った七瀬は僕のことを殺そうとした。口封じしようとした。あの病んでいる雰囲気は――人を殺した故の、殺そうとしている故の、ものだったのだ。
 ここまでが、この度翔太の命を奪い、僕の命を奪いかけた事件の全貌、か。聞いてみれば達成感も何もない、ただ後味の悪さだけが残っていた。
「質問はあるかい? 金城くん」
 確認の意味でだろう、有栖川は僕に向かって問いかけた。
「じゃあ、一つ。高宮は、翔太が気絶してたってこと、分かってたのかな?」
「さぁね。けど小枝子は、桐生くんを殺しても不思議ではないほどに、七瀬さんを愛していたよ」
「愛って……」
「同性だからって、否定するのかい? それはいくらなんでも小枝子に失礼だろう。彼女の七瀬さんへの愛は、掛け値なしの本物だったと私は判断している」
「……そういえば、その七瀬と高宮は今どうしてるんだよ?」
「もちろん、警察のお世話になっている」
「なっ……」
「取調べの時に七瀬さんが全部喋ってしまったようでね。小枝子も同じ扱いを受けていることだろう。だからこそ学校はお休み、私はここに来れるというわけだね」
「そう、か……」
 気持ちが沈んでいくのを、感じる。結局僕は、日常を自分から壊してしまったのだ。高宮と七瀬を、今の境遇にまで追い込んだ。
 どうして、Bを受け入れることができなかったんだろうか。いいじゃないか、虚偽に染められた世界でも。翔太がいなくなったとしても、まだ僕には有栖川が、高宮が、七瀬がいた。どうしてA――真実なんてものを追い求めて、こんなところまで来てしまったのか。僕がやったことは、一体何だったのだろうか?
「何でだよ、有栖川。何で、僕にあんなことを言ったんだ……?」
「あんなこと?」
「『探偵役をやってもらいたい』――君が言いさえしなければ、僕は満足出来てたんだ。あのままいけば、七瀬だっていつかは学校に来れるようになったかもしれない。僕の日常は続いてたのに……」
「嘘だね、君はそんなことを思ってやいなかったさ。あんな日々で、君が満足出来ていたはずがない。それに七瀬さんと小枝子は、どっちみち警察に捕まっていた。時間の問題だったんだよ。それで、君は良かったのかい? いきなり七瀬さんと小枝子が犯罪者として糾弾されて、納得出来たのか?」
「それは……」
「出来ないだろう。出来ないからこそ、君は自らの手で真実を暴こうとしたんだよ。私に言われたのだって、きっかけに過ぎない。何かの転機さえあれば、君はそうしていたさ。……金城くん。君はもっと誇るべきだ」
「誇る?」
「その手で、桐生くんの仇を討っただろう? 充分誇れると、私は思うけどね」
 そんなことを言われても、まるで昂然とした気分にはなれなかった。実際問題、七瀬や高宮、そして翔太はいないのだから。もう、あの日あった日常には手が届かないのだから。
 ベッドの上に、透明な液体がこぼれる。それはおそらく涙と呼ばれるもので、僕の悲しみを、あるいはもっと激しい感情を表していた。
「有栖川、僕は……どうすればいいんだ?」
「どうすればいいも何も、もう全ては終わったんだよ。これからは、ただ元あった場所に戻るだけだ。違うかね?」
「でも、もうないんだ。僕が望んでいた日々は、もうありえないんだよ……」
「君が望むのは、どんな日常なんだい?」
 問われて、僕は考える。
 変わらない、変わらなかった僕の世界。翔太がいて、七瀬がいて、高宮がいて。――有栖川が、いて。
「そうだよ。まだ私がいる」
 僕の考えていることを推し量ったかのように、有栖川は言った。
 不敵に笑う、その顔。何考えてるか掴み所がない、饒舌家で、嘘吐きな、いつもの有栖川の笑顔があった。
 今になって、ようやく気付く。七瀬に対して、僕がある種の吹っ切れた気持ちを抱いていた理由。そして、その意味を。
「……有栖川」
「なんだい? 金城くん」
「遅くなって悪い、すっげぇ好きだ」
「は?」
 有栖川は戸惑いの表情を浮かべていたが、やがて僕を馬鹿にするような表情になり、他の病室の迷惑も顧みずに哄笑をあげた。
「はははははは! ど、どうしたんだい金城くん? ぷっ、くく、なんだよそれ――あっはははは!」
「……もう二度と言わない」
「あぁごめんごめん、拗ねないでくれよ金城くん。だって君がいきなり『すっげぇ好きだ』って、何かの冗談かと思うだろう? 私でなくてもさ」
「お前な、僕がどれだけ羞恥心を抑えて……」
 僕の言葉を遮り、有栖川は僕の唇に自らの唇を重ねてきた。
 柔らかい感触が、脳に伝達される。それを感じるぐらいしか、僕にはできなかった。
 その口付けにはきっと深い意味があって、けれど有栖川のことだからすぐに忘れてしまうんじゃないかとは思いつつも、とにかく――それは、ファーストキスだった。
「では、清廉なる小川のようなお付き合いをするとしようか。金城勇紀くん」
 口を離して、変わらない調子で言う有栖川。
 その時ようやく僕は、実感した。有栖川のことが、好きなのだと。

 了
  
作者コメント
 語り部は男だけど主人公は女の子です! だから少女小説でもあるんです! と主張してみる誰かさんです、こんにちは。どう考えても無理があります、本当にありがとうございました。
 そういえばアリストテレスはプラトンとかとは違い、対話篇を残していないそうです。だからなんだっていう話なんですが。それ以前に、これ対話篇じゃないですごめんなさい。あと、奇面組とも関係ないです、多分。
 本作品を読んでくださった方、そして企画運営様にこのような場を設けてもらったこと、感謝です。それではお祭り、盛り上がっていきましょう。


この作品が気に入っていただけましたら『高得点作品掲載所・人気投票』にて、投票と一言感想をお願いします。
こちらのメールフォームから、作品の批評も募集しております。

●感想
三月 椋さんの意見
 読了致しました。
 やや読み辛かった作品でしたが、ヒロインのキャラクターとそれに感化されつつある勇紀の地の文を考えれば、それも致し方ないことですね。むしろ雰囲気が出ていて良かったと思います。
 つまるところ、面白かったです。とても面白かった、ですが……何かが足りないというか、どこか消化不良感があったのも事実です。一読しただけではその原因が何なのかイマイチ分かりかねたのですが、何回かパラパラと読み返して気付けたような気がします。

 ミステリものではありましたが、ヒロインのキャラクターがぶっ飛んでいたため、どちらかというとこれは掛け合いを見るべきラノベなんだなと認識させて頂きました。
 容疑者と面と向かって問い詰めたり、その犯人が意外とあっさりブレてしまったり(高校生でしかも突発的な犯行なら仕方ないことですが)、ミステリ要素が比較的あっさりしていたことも理由であると思います。共犯、という線は全く浮かばなかったので、ちょっと自分の頭の悪さを呪いたくなりましたが。

 気になったことですが、有栖川は七瀬達の犯行をどこまで見ていたんでしょう?
 「予想外の方向に行っちゃって」とぼかしていましたが、いくら有栖川と言えど、人が死のうとしている場面でそれを見過ごすとも思えません。彼氏を気絶させ、「自殺したということにしよう」と七瀬達が話し合ったところまで見ていたのなら、さすがに止めると思うのですが。二対一だからと言って躊躇したとも思えません。
 おそらく文章を見るに、紗江子が現れたことを話す辺りで有栖川のセリフが何だか推測っぽいもの(「犯行は行われただろうね」など)に変わっているので、この辺りで『撤退』したのだとは思うのですが、ちょっと分かり辛かったです。
 ……彼女なら有り得そうな気がしますが、実は有栖川は一部始終を見ていて、最終的に七瀬と紗江子を勇紀の日常から排除して彼の日常を独占するつもりだったとか、そんなパターンが脳裏を過ぎりました。
 フリも何もないので確証はありませんが、それはそれでゾッとするスリルのある展開になったかもしれません。

 そして。
 前述しましたが、この作品で最も重点が置かれるべきはミステリ要素と言うより、まさしく有栖川という一人のキャラクターであったように思います。
 有栖川は、有り体に言うならクーデレキャラですが――いや、この有栖川という少女の遠大なキャラ性を『クーデレ』の一言で括るのもどうかとは思ったのですが――個人的な感想を述べさせて頂くならば、デレが足りない。
 前述した消化不良感の一番の要因がこれであったように思います。彼女はいつも勇紀を奇妙な言動で煙に巻くばかりで、作中でも勇紀の視点から「本当に彼女は俺が好きなのか?」と問い掛けるような文章が出てきます。読者にしてもまさにその通りで、彼女の本心が中々見えてこない。もちろん、そこが掴み所の無い彼女の魅力の一つになっているのもまた事実だと思います。
 ただ幕間での紗江子との会話から主人公への想いの一端が垣間見えるのですが、それを除けば最後の最後までずっとこの調子で、『勇紀を愛しているんだ』という一面が中々見えません。「本当に好きなんだよな?うーん……」そんな感じで、どこかもやもやを抱えっぱなしです。
 「私がいるじゃないか」と最後に言い切るくらいですから、好きなのは間違いない。ベタではありますが、最後の主人公の告白にやや戸惑ってみせたり、それが彼女のキャラにそぐわないと言うならば、頬をやや赤らめさせる(或いは『なっているように勇紀には見えた』)とか、それくらいはしても良かったと思います。終盤まで溜めに溜めて最後の最後にカタルシスを味あわせたり、ギャップを持ってくるのは大事だと思う、というのが私の個人的見解です。
 彼女はあまりにもブレが無さすぎると言いますか。偏屈で奇妙な少女が一瞬見せるブレ……そこに萌えだったり魅力を見出したり出来たと思うのです。

 普通なら半分くらいの枚数で終わる物語が、クセのあるキャラクターのおかげで膨れ上がっている感じですね。お腹いっぱいです、ごちそうさまでした。
 それでは失礼致します。


うめさんの意見
※この感想はネタバレを含みます

 どうも、こんにちは。
 拝読しましたので、感想をと思います。

 これはきっと、ミステリというよりは捻じ曲がった恋愛系のお話だという判断をするのは私だけでしょうか……?
 物凄く面白かったしボリュームがあって良かったのですが、良い意味でミステリっぽくはないかなぁと思いました。
 何故かと言えば、焦点があくまで日常の崩壊に帰結するからです。事件が起こったことよりも、あくまで事件を通じて日常が壊れたことについて重点を置いている、そんな気がしました。深いですね。

 それにしても、有栖川は良いキャラクターでした。どう見ても確信犯にしか見えません、彼女。
 二人の現場をどこまで見ていたか、あえて明言はされていないのですが、ぼかして言っているだけで最後まで見ていたのではないでしょうか? 最後まで見ていた上で、金城の日常を独占するために(三人排除)見逃したとしか思えません。それぐらいはやりそうな雰囲気があります。
 だから、私の解釈では真犯人は有栖川じゃないか、とすら思えます。犯人の二人を即逮捕に導いたのも言ってしまえば有栖川なわけですし。
 七瀬のことを良く言っていないというのも作中で触れていますし、嫉妬もしていたのかなぁと。静かなるヤンデレって言えばいいんでしょうか。

 実を言えば、私は犯人が有栖川だと思って読み進めていました。スタンガンもあったし、用事があるみたいな発言してたしで……。でも実際、後から考えてみれば七瀬が下校時まで翔太と一緒にいたのはほとんど確定しているし、遺言後の明るさなども考えれば七瀬が犯行に絡んでいるのは明確なんですよね……、ミステリを読んだことがほとんどない私でした。しかし犯人が途中で分かると興ざめですし、読者としては良かったのかな? 感想人としては微妙ですけど。

 しかしなんとも、悲劇的なお話でした。もし金城が高宮に相談しなければ、殺人は起きなかったのに……と思うと、金城も不幸な気がしてきます。
 そんなこんなで、非常に感情移入もできましたし、面白いお話でした。総合的に見て点数は――点とさせていただきます。企画参加、お疲れ様でした。


王子さんの意見
 どうも、王子です。

※ネタばれするかも
 
 はじめ読んだときに、
「あれ? 七瀬は前日に遺言をもらったはずなのに、何で学校で死んでいるのを見て驚いてるの? 普通恋人から遺言なんてもらったら、すぐに探しに行くよね? 何で知らないの? 馬鹿なの? なんだ、作者はこの程度か。感想で指摘してやろ」
 
 とか考えていたんですが、まさかこんなことに……

 というわけで、だまされたというよりは粗探ししながら読んでいたせいで、真相にたどり着くのが早かったということです。

 しかし、相当いやらしい読み方をしなければミステリーファン以外は気づきにくいですし、普段からミステリーを読まない参加者の多いこの企画では優れていると思いました。

 ただ、ちょっと物足りなかったかな。人物の設定ももう少し掘り下げないとわかりにくい。
 あまり参考になりませんね。とにかくよかったです。
 では。


さばかんさんの意見
 読ませて頂きました。

 いやぁ、面白かったです!
 登場するキャラも全員個性的で、それぞれが作品の中で躍動しているのが伝わってきましたし、とても魅力的に書かれているな、と感じました。

 読む限り、ライトノベル風味なミステリという印象を受けました。
 が、普段あまりミステリは読まないので、個人的にはこれがちょうど良い塩梅だったと思っています。
(これが今回の企画の意図に沿うかどうかはさておいて)


(※以下ネタバレあり)

 トリックというか犯行の手段と、その謎解きについてですが。
 有栖川が屋上で主人公にこれは他殺の可能性云々の話をし終えた段階で、犯人の指紋の有無に全然触れておらず、かつ登場人物として手袋嵌めた人間が直前で出てきたので、「あぁそのあたり関係してくるんだな」とすんなりリードされてしまいましたw
 その後の主人公と高宮のやりとりも、「あぁそれ俺も思った!」という指摘の応酬でしたし、結局ラストも当たらずとも遠からず、な感じでしたので、ホント私にちょうど良い塩梅のミステリ分だったな、と思います。
逆に言えば、普段ミステリを良く読む人には物足りないと感じるかと。

 登場人物については、私より前に書き込んでいる別の方が指摘されているのとほぼ同じ事を私も思いました。
 真犯人(というかもう一人の共犯者?)、有栖川@ヤンデレさんじゃないか、とw
 後は主人公についてですが、気になった点が。
 序盤、学校で七瀬が暴力受けている場面に遭遇して、それを止めに入ろうとしたのを有栖川に制されて説得(?)を受けて引き下がった時の台詞。

>「とりあえず、ごめん、有栖川。さっきも今も、間違っているのは僕だった。邪険に扱ったことも、軽率な行動に出ようとしたことも謝る。それと――」

 これは物分かり良過ぎではないかな、と思いました。
 主人公は自分の片想いの相手に振るわれる暴行を止めようと介入しようとして、それを止められているわけですが、あのタイミングで、そんなに全面的に自分の行為に非があったと認められるものでしょうか?その説得受けている間、現在進行形で七瀬は暴行受けてましたよね?扉の向こうで。
 私個人の感想になりますが、あの場面の主人公の取ろうとした行動(=暴行の場面へ飛び込む)はベストではないにしろ、全面的に謝らなければならないような事でもなかったと思います。なので少なくとも高校生なら、納得いかず、それでも渋々引き下がる・・・くらいかな、と。というか暴行受けてる人放ったらかしで「他人の事情」で片付けて帰宅するのはどうなんだろう。普通、なんか自分が介入する以外で止める方策とか考えないでしょうか?
 主人公と有栖川の間に絶対的な信頼関係があったならまだしも、あの時点での関係であれだけ完璧に説得しきれてしまう有栖川さんの人間力がパネェっすwと感じました。

 そういう意味で、全ての糸を引いていたのは有栖川さんという結論で、この作品は彼女による、彼女のための、彼女になるお話だったのではないかという結論に達しました。

 いや、ホント面白かったです。


玖乃さんの意見
 玖乃です。
 「アリストテレスのハイスクール☆対話編」
 感想です。

■読みながら思ったこと

>「はぁぁぁあぁ……」
 有栖川は一つ幸せを逃した。しかも、おそらく相当大きな幸せだろう。
 いきなり、良く分からないような。

>言ってから、有栖川は携帯型のスタンガンをバッグから取り出した。
>……スタンガン?

 いきなりすぎる!

>高宮のこんな顔は――見たことがない。余程答えたくない質問なのだろうか? こんな些細なことが?
 いや、どう考えても長所がないことに閉口したんじゃない?

>「……まぁ、言いたくないならその話はいいや。とりあえず、簡潔にアドバイスだけでも頼めないか? 僕は、七瀬に対してどうすればいい? 翔太に対して、どうすればいいんだ?」
 最初からひとに聞くのもどうかと・・・

>翔太が頭部に致命傷を負ってしまい死に至ったとしても、それが打撲によるものであれば、死因は飛び降りと変わらない。
 ほんと?

>「いや、紗江子も共犯だ」
 誰やねん!?

>そんな七瀬さんが途方に暮れている時に、紗江子が通りかかった。君から七瀬さんの話を聞いた、高宮小枝子だ。
 だから紗江子って誰やねんって……(笑)。

 ■雑感

 うーん、申し訳ないですが、ミステリ風味、としか読めませんでした。
 別に、自分もミステリなんて書けないので、それは悪くもなんともないと思いますけど……。棚上げですみません。
 七瀬と桐生のケンカあたりで、猟奇かな、と変な期待をしたのですけど、
 イキナリの事件、イキナリの容疑者直撃、そのへんはよりよい見せ方を再考する必要があるかもしれません。
 アリストテレスと謳うわりには、哲学的でもないような気がしますし、それが事件にむすびつくわけでもなかったので、
 残念な気持ちのほうが大きかったです。
 ところどころのダジャレ的な会話も、あまり褒められる精度ではなかったように感じました、
 それに、おそらく後半は焦って書かれたのでしょうか、登場人物の名前が統一されていないところを見ると作者さまの集中力が切れてしまったのかな、とも思ってしまいました。

 なにはともあれ、読ませていただきましたので感想を残した次第であります。
 企画お疲れ様でした^^


稲葉時雄さんの意見
 こんにちは、稲葉時雄です。
※この感想にはネタバレが含まれています。


 軽妙なやりとりでキャラクターも立っており、おもしろ……あれ。二回三回読んでると当初は違和感を覚えるだけだった有栖川の台詞が利己的にしか見えなく……というか、コイツ黒幕……うん、それも含めて面白かったです。


>「もう一度言おう、金城くん。君は冷静な判断が出来るし、常に最善の方策を取れる人間だ。私、有栖川照諏はそれを信用し信託し、信頼している。だから、今から君がしようとしている馬鹿なことを、やめてはくれないか?」
 この台詞を日常会話で使う諸々の比喩を取り払って字義通りそのまま解釈すると、「常に」ってことは今この瞬間にとろうとしている方策も最善ってことですよね。それを最善であるが故に止めるってことは……。

>そうそう、もしどうしても気になるのであれば、紗江子に相談してみてはどうだい?
 あなた小枝子と七瀬の関係知ってて言ってますよね?

 加えて言うならば。これは私自身も正しいと確証までは持てないのですが。有栖川は高宮が沙綾が好きだと言いました。しかし、高宮自身は「矛盾した状態であるのは僕も分かっていますよ」と言っています。果たして沙綾についた悪い虫を払っている状態は矛盾なのでしょうか。この物語の中で矛盾がありうるとすればその一番は、愛する人に別の人間と付き合うことを勧めること、ではないかとも思うのですよ。まぁ、一種の解釈なんですがね。


 というわけで、有栖川は黒だとおもいましたので、その仮定で話を進めます。

 で、一つ思うのは出てきたキャラが被害者探偵役除くと全員共犯ないしは教唆者というのはいかがなものかな、と。犯人当てでなく、動機当てもしくは犯行方法当てとかならばまだ良いと思いますが、犯人当てで「全員犯人でした」は少しアンフェアかな、と。あと一人ぐらい登場人物増やした方が良いと思います。あるいは有栖川の教唆を示す描写を解決編の最後に載せてそちらを真犯人としたミステリにするか、ですね。

 ところで、地の文と金城くんの台詞と一カ所を除き「小枝子」で有栖川が名前を呼ぶときは一カ所を除いて「紗江子」なのは意味があるんでしょうか。それともただの誤字ですかね? 某かの意味があるのでしょうか。
 金城くんの指してる人間と有栖川が指してる人間が違うのか。あるいはそれ以外か。


 以上、未解決の謎なのか深読みしてドツボにはまってるのかよくわかりませんが、色々考えさせられ楽しませてもらいました。

(以下10/15追記)
 前回の感想でまだ違和感がぬぐい去れなかったので、再度読み直しましたので追記します。

 「紗江子」はどうも愛称ですかね。高宮から有栖川が名前呼び捨てでなく「貴女」なのに対応してるんでしょうか。
 で、注目すべきは事件の前後で高宮から水瀬の呼びかけが「紗綾」から「さーや」に変わっています。実際、水瀬と高宮はただの相談相手で親友ではなかったのでしょう。
 同様に、桐生も「翔太」と呼び捨てにされている点も気になります。通常、見知らぬ人なら名字で呼びますし、桐生も相談に行っていたと考えるのが妥当でしょう。

 次に、有栖川が告白したのが二ヶ月前。水瀬と桐生がつきあい始めたのが一ヶ月前。告白から金城が水瀬を諦めるまで一ヶ月のラグがあるんですね。

 さて、有栖川は暴力行為の原因を「デートの約束を反故にされたから」と言っていましたが、果たしてそうでしょうか。何故、四時間目に仲良さそうに話していて、放課後にデートの約束の話が出てくるのでしょうか。
 それ以外の理由、あるいは恒常的に暴力を振るっていたと見るのが妥当じゃないでしょうか。

 そしてなにより。有栖川は金城くんが殴られたとき「優しい顔で、僕を見ていた」とあります。恋人が殴られるとき笑顔でいる人間がいるでしょうか。さらに七瀬は「金城くん」と声をあげていますが、果たして後ろから殴る人間が声を掛けるのでしょうか。

 もう一つ加えるというならば。有栖川の話通りならば携帯を壊す必然性がまったくありません。


 つまりはこの有栖川の解決編は都合の良い虚偽、Bなのですね。

 ここから先は妄想になりますが。
 有栖川が金城に告白するが、金城は水瀬が好き。高宮は有栖川のために水瀬に桐生を当てる。桐生が暴行癖があることを知っていて。
 まだ未練がましい金城を見かねて、桐生が水瀬に暴力を振るっている場面を見せる。その後、桐生を殺す。これは誰でも構いません。水瀬でも、高宮でも、そして有栖川でも。

 さて。例えばですが、例えばの話。一緒にいたと証言した相手が、虚偽の罪を自白した場合、自分もまた疑われます。別の罪を疑われた状態で、自分の家で暴行事件が起きた場合、この暴行事件の疑いもかかります。
 うがった見方をすると、水瀬は純粋な被害者と見ることもできます。


水さんの意見
 こんにちは、水と申す者です。拝読させていただいたので感想を残させていただきます。

 とりあえず、有栖川真犯人説、他の方が仰るように私も読んでいてその様に感じました。というより、そうでないのならこのお話は矛盾だらけになってしまいますね。
 破綻無く進むストーリー、目につく突起の無い文体など、さらさら読める面白い作品でした。多分狙ってのことだと思いますが、上で挙げたような作中では語られない真相、他の解釈の余地を示唆する手法もミステリとしての謎、読者に推理する余地を残した、エンターテイメント性の高い意識を感じます。
 
 ただ、です。作中において主人公が「翔太の死=自殺である」と確信するに至る理由がちょっと……弱いというか納得しかねるな、と。
 少なくともその時点ではただ「有栖川にそう言われたから」とだけ理由付けされていて、まだ携帯電話のことや事件発覚当日の七瀬の態度などに気づいてはいない様子です。
 で、あれば主人公が認めるところの変人である有栖川の一言で、主人公が「そうだ」と確信するというのは、ちょっと矛盾しているように感じます。少なくとも怪しい部分は何も無く、有栖川が他殺という考えに至る理由すら明確な根拠は何一つ示されていないのですから。

 目に見える矛盾点はそのくらいでしょうか。それ以外に感じる矛盾は、「有栖川犯人説」に当てはめると全てがピッタリ型にはまりますし。作中で語られるとおり、大したトリックも無いミステリですが随所に散りばめられた「確信的な矛盾点」がほどよいスパイスとなり楽しく読める作品でした。
 言い換えればこの作品を楽しめるかはその矛盾点に気づけるかにかかっているわけでして……それに気づかない人にとっては、ただの単調な事件記録か、あるいは気づいていてもその先を読み解こうとしない人にとっては矛盾だらけのミステリーという烙印がおされる可能性を孕む、冒険的な一冊だったと思います。
 少なくともそのような事態を回避するために、「ニセの真相であっても一応は読者が納得できるものを用意する」ということにもう少し気を配ってもいいんじゃないかと思いました。もっとも、あまり納得し易くしすぎると、今度は裏に仕込ませた真相に気づいてもらえないわけで、その辺りはさじ加減の難しい部分なのですが……。今回のこの作品は、ちょっと露骨過ぎたかな、と。

 
 最後に、ちょいと私なりに推理したこの事件の真相を以下に記しますので「ちげーよバーカ」という場合は読み飛ばしていただいてかまいません。

■真犯 有栖川 照諏
--動機 主人公を独占したいというゆがんだ愛情? そのためには主人公と一緒にいる時間の多い親友の翔太、及び主人公が想いを寄せる沙綾が邪魔だった。
--補足 今回の犯行には関わっていない(全て高宮の独断だった)可能性も考えられるが、主人公に探偵役をするよう誘導するなど行動が確信犯的なのでその可能性は低い。

□共犯 高宮 小枝子(紗江子?)
--動機 同性愛者であることが示唆されている。途中に含まれる会話内容からも、本当は有栖川に想いを寄せていて自分を犠牲に彼女の望みをかなえた自爆テロ犯。

□共犯 七瀬 沙綾
--動機 明確な動機は無し。突発的に翔太を死なせてしまった(と勘違いした)ため、高宮と共謀し偽装自殺に加担。自宅で主人公を襲ったのは高宮からの指示? ある意味で巻き込まれた被害者でもある。


夜月さんの意見
 ※この感想はネタバレを含みます。

 おそらく初めまして。夜月と申します。読ませていただきましたので、悪文極まりないですが、感想を残させていただきます。

 と、その前に、自分は本作をミステリではなく、ミステリの皮を被ったキャラクター小説として読んだことを予め記しておきます。

 さて、貴作をキャラクター小説として見た場合、評価すべき点はすなわち構成です。有栖川の事件介入を明らかに匂わせながらそれを明言しないことで、芥川龍之介の「藪の中」に似た神秘性――むやむや故の魅力――が感じられました。
 はたしてあの特異なキャラクター有栖川は黒なのか、それとも灰色なだけなのか、それが有栖川のキャラクター性を強めております。楽しませてもらいました。

 ただケチをつけるとするならば、読者にミステリを期待させてしまった点です。

 この効果を発揮するにはミステリを展開する必要がありますので、当然読者はミステリの部分にも期待してしまいます。ですが、そのミステリ部分がミステリとして成立するかどうか疑わしいほど軽いものでしたので、ミステリ好きな私としては非常に残念でした。ですから私としてはミステリ部分にも工夫があれば嬉しかったです。

 以上で感想を終えさせていただきます。悪文極まりないですが、少しでも参考になれば幸いです。では。


みすたンさんの意見
 ども、みすたンです。
 ネタバレを含みます。これから読まれる方は僕の感想を飛ばすことをオススメします。

●冒頭、勇紀が翔太と沙綾への嫉妬を感じていることが書かれる箇所があるわけですが、どうも解せませんでした。ムカつくのは分かるけど、なんていうか、こういうときってもっと冷めた感じにならないかなぁ。必要以上に嫉妬しているようで、共感ができなかったですね。

●名前の表記に揺れが見られました。恐らく他の方も書かれるとは思うのですが、「沙江子」と「高宮小枝子」と、同一人物、ですよね?フルネームの時は後者の表記なのに、名前のみの時は前者の表記、気になりました。
 それが気になりながら読んでいると、半ばでサエコが沙綾のことを呼ぶ際に、「さーや」と「沙綾」と呼び方が変わる部分がありました。呼び方もキャラの個性付けや、キャラとキャラの距離感を表す重要な部分だと思うので、特にこの作品のように言葉遊びを武器とするミステリだと、表記の揺れって言うのは、結構致命的かな、と思います。

●「そんな高宮小枝子、放課後は常に一階の第二講義室に引きこもり」
 のところが、ちょっとテンポが悪い気がしました。「そんな高宮小枝子は、放課後になると常に〜」というのが、自然かな?と。
 あと、翔太が死んでいるのを見つけたシーンで「飛び降り死体」という言葉が出てきますが、こちらも違和感があります。印象としては、「飛び降りをしている死体」みたいな感じを受けるので、単純に「桐生翔太の死体があった」くらいの表現でもよかったのかな、と。ググってみたところでは「飛び降り自殺死体」という書き方もありましたが、正確な書き方はちょっと調べられませんでした。
 それと、屋上の柵の高さを説明する際に勇紀が「頭を除いた僕の身長」という表現を使っているんですが、これって、「僕の肩くらいの高さ」って言った方が分かりやすいんじゃないかなーと思いました。本文の書き方は不自然な印象受けました。

●文章面で色々指摘点を挙げてきたのですが、全体としては言葉遊びを楽しんで書いてるなーという感じて、個人的には好みでした。最近流行りのパターン?
 特に、「その死体は頭部からおびただしい〜」から始まる勇紀の混乱する思考の描写は、見事にその印象が伝わってきて、これは優秀だと思いました。

●会話の掛け合いが好み。テンポよく交わされる会話は大好きです。ただ、それだけに序盤で「もしそれが本当なら、僕はお前と出会ってから〜」というセリフが、前のセリフから大分間が空いてしまっていて、忘れた頃に出てきたもので、このテンポの悪さはもったいなかったかな、と思いました。会話の途中で地の文を入れる、ってことは、読者にとってはそこで時が止まるわけじゃなく、無言の時が流れるので、そういう意味合いで。
あ、そうそう。「金城くんは熱心な搾乳家だから……」は吹きましたw

●総評、ライトノベル的ミステリとしては相当優秀だと思いました。個人的には好みです。西尾維新の「不気味で素朴な囲われた世界」だっけ、あれ思い出しました。ただ、この手の書き方だと、やっぱり表現には普通以上に気を払わなきゃいけないのかな、と思います。
 ラストに出てきた「すっげぇ好きだ」はもうツボりましたね。悶えました。転げましたw

 ではでは!


AQUAさんの意見
 こんばんは。作品拝読しました。

 面白かったですっ。キャラの勝利って感じですね!
 特にヒロインの有栖川ちゃん(下の名前読めない)……強烈キャラでした。
 まったく共感できない部分(のぞき屋)もありましたが、そんなことを吹っ飛ばしてくれるくらいの賢さ。
 そして、最後のちゅー……胸キュンです。
 願わくば、そこに『テレ』が入っていて欲しかったですが。

 主人公君は、有栖川ちゃんに好かれる理由が分からないくらい、普通の男の子でしたね。
 逆に言うと、自分に無い物を持っている相手が好き、ということなのでしょうか。
 平凡に憧れる彼女としては、本当に平凡(自分の思い通りに動く、という意味も含めて)な彼に惹かれたと。
 そう理性的に納得せざるを得ないのが、若干残念でした。
 でも、この枚数だし仕方がないのかな……。

 殺されちゃう翔太君は、あまり活躍してなかったですし、女の子三人と比べて男性陣のキャラはちょっと弱かったかなぁと思います。
 特に翔太君、暴力振るうような男だったとは……「キレるとアイツやばい」みたいな伏線があったら良かったかもしれません。
 さーやちゃんはキャラとしてはなかなか好み、高宮さんは、若干消化不良でした。
 『端書き/いつかどこかで交わした言葉』の意味を一生懸命深読みしたのですが……高宮さんのさーやちゃんへの愛が伝わらなかったので。
 そして、そこが事件の肝だと思うのですが、どちらかというと高宮さんは(僕っ娘・変態系として)有栖川ちゃんの方が好きなんですよね、なるほどです。

 さて、キャラの話ばかりしてしまいましたが、ストーリーの方も、ミステリとして楽しく読ませていただきました。
(でもこれ絶対少女小説じゃないですよー。苦笑)
 そして、全体的な完成度が高い分、小さな穴が気になってしまうような感じでした。

 例えば、有栖川ちゃんが暴力シーンの後を見ていたとしたら、やはり止めないと……自分以外はどうでもいいとしても、そこまで人間辞めちゃってるの? と思ったり。
(そもそも、暴力シーンで介入しようとする主人公を止めるというあたりも、自分にとっては共感ポイントではありませんでしたが)
 そして、さーやちゃんが一気に殺人鬼になるのも、なかなかに唐突感が。
 暴力があったとはいえ、心を病むには早すぎる気がします。
 とはいえ、冒頭からハイテンションで、ある意味『病んでる』感じもしましたが……DV受けるキャラとしては、彼の死を既に知っていたとしても笑顔を作れちゃう……うん、ハマってますね。

 一番の疑問は、思いつきで発生した殺人事件(?)を、警察がすぐに見抜けなかったことでしょうか。
 学校が捜査に難色を示したとはいえ、さーやちゃんは怪し過ぎますわ。
 主人公の追及でぐらついちゃう高宮さんも……。
 そして、有栖川ちゃん……未必の故意で、主人公を手に入れるために大事な人を削った小悪魔に見えてきますわ。

 にしても、DV目撃後に彼を操作したり、探偵をやらせたり、鈍器で殴らせる(殴られたところに駆けつける?)とか、そんなまどろっこしいことしないでも、その目的は達成できそうな気がします。
 というのも、主人公もそれに気付いちゃったら「お前がまさか裏で?」となるでしょうし、そのリスクはイインカイ? と。
 ……と思ったら、冒頭の時点で主人公君は、そんな発想ができないほど誰かに依存する人物になっていたとも予想できますね。(相談シーンあたりで既にナヨいですし)
 平凡がいいんだと刷り込まれながら、洗脳されてたって感じがします。うーん深いな。

 ということで、いろいろと推測やら妄想を膨らませつつ、楽しく読ませていただきました。
 もう少しページ数があったら、ゴチャッとなってしまったミステリ謎解き部分がスムーズになっていたのかなぁと思いつつ。
 では、少しでもご参考になれば幸いです。


龍咲烈哉さんの意見
 企画参加お疲れ様です。運営の龍咲烈哉と申します。
 作品を拝読しましたので、感想をば。

【タイトル】
 古代ギリシャが何だか一気に萌えちっくな方向へ(;−ω−)いや、面白いのですがねw
 
【人物】
 有栖川を始めとして、キャラクタが良い意味でラノベ的(口調やテンション、性格に強い個性がある)でしたね。事件がなければ、全員でにぎやかな物語が作れたと思います。個人的には、序盤のノリのままでラブコメが読みたかったw
 本作をミステリとして読んだ時に難を言うなら、フーダニットを考える余地が殆どなかったということでしょうか。探偵、探偵補佐、被害者、犯人、共犯……スケープゴートがまったく存在しないので、解決編を読んでも「あーそっかー……」と意外性が少なかった気がします。

 金城勇紀:どこか頼りないんだけど、決めるときは決める、まさにラノベの主人公らしい人間でした。突出した個性を持たないながらも、強烈なキャラクタの有栖川に負けない強さを持っていると思いました。 
 有栖川照諏:てれすちゃんでいいのかな? 特盛り(何  行動と思考が特異的ですね、世間一般の探偵像とは少し違いますし、第一探偵役は金城に譲っています。普通に徹する、という面白い設定が後半にあまり生かされていなかったのがやや残念。物語がシリアスモードになっていたので難しいところではあると思いましたが。正直、別の結末、別の作品で活躍させたいキャラクターだったなと思います。これを感想で述べるのはどうかと思いますが、ラ研のチャットに登場する某方が性格や言動のモデルなんじゃないかなあ、とふとそんなことを思いました。
 桐生翔太:要するにナイスガイ。その実、彼女である七瀬に暴力を振るっており、金城がそれを目撃したその日に死んでしまうというインパクト抜群の退場だったにも関わらず、後半になるとあまり印象に残らなかった気がするなあ……なんでだろう。
 七瀬沙綾:翔太の彼女。標準よりちょい下らしい(だから何 アクションがいちいち可愛すぎますw 後半の展開はまさか、でした。この子もラブコメで愛でたかった(おい
 高宮小枝子:なんでも相談部部長のロリロリ僕っ子。潔癖症で手袋装用。七瀬のことが好きだったという驚きの秘密で、事件に関わっていました。名前が小枝子なのか沙江子なのかでブレがありましたね。もう少し意外性が合った方が良かったかも。
 
【文章】
 問題なくすらすらと読めます。会話のテンポとセンテンスの練り込みも良く、淀みないと思いました。

【構成・ストーリー】
 タイトルから、襲い掛かってくるであろう哲学用語に及び腰になりながら読みましたが、恐れていた事態にはならずにほっとしています。
 作風は学園ミステリ。てっきりラブコメなのかなと思っていましたが、さすがに秋企画仕様でした。まさか翔太が殺されるとは、最初の段階では予想も出来ませんでした。
 翔太が七瀬を殴っているシーンは衝撃的でした。それまでの仲睦まじい様子が一変しているのは物語の予定調和に一石を投じる良い展開だったと思います。さすがにその後の展開は予想できませんでしたが。本格ミステリというより、登場人物の心理を抉るサスペンスとして読んだ方がしっくりくるような気もしました。
 有栖川が全ての鍵を握っていた(情報を持っていた)のは良いのですが、それが表に出てこなかったのはもったいないなあと思います。いずれにしろ、前半とは打って変わって悲劇的なお話でした。
 本作の終わり方には賛否両論あると思います。わりとあっさり全てが明らかになってしまうので、肩透かしを食らったように感じる人もいるかと。 

【総評】
 ラノベ要素を積極的に取り入れた、上質のサスペンスだったと思います。トリック自体は本格ミステリを読みなれた人間にとってはやや物足りなかった印象もありますが、それ以外の面で十分に楽しめました。何度もいいますが作者様、彼らを起用してラブコm(ry


mayaさんの意見
 こんにちは、mayaです。秋企画にご参加いただき、ありがとうございます。

 どの作品を読むのかについては、完全にランダムで選んでいます。運営スタッフで取り決めはしておらず、そのため、ひとつの作品にスタッフの感想が重なることもあるかもしれません。その旨、ご了承くださいorz

 作者コメントに「奇面組」とあったのでつい反応しちゃいましたw それだけで作者さんの年代が分かるというものです。で、気になったのが、なぜ、このタイトルにしたのかなということです。この作者さんのことですから、タイトルに奇抜性を求めたということは十分に考えられますが、もしかしたら、ミステリにさほど注力するつもりがなかったんじゃないかとも邪推する次第です。

 それでは、以下、リアルタイムで読んでいてツッコミを入れたところから指摘させていただきます――


>「ていうか汗臭ぇ! ファブリーズをもってこい!」
→ちょw サブヒロインが腋臭w

>そしてその矛先になったのが、同じく普通に人生を謳歌していた僕だったと言うわけだ。
>有栖川が言うことなど、ほとんどが戯言に過ぎない。

→何というか、米澤穂信さんの<小市民>シリーズ(創元社推理文庫)と、入間人間さんの『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』(電撃文庫)を掛け合わせたような設定だと感じました。

>私は金城くんのことなら、なんでも必死だと自称しているがね
→ここらへんのシーンには、どこか違和感がありました。キャラクターの言動が論理的でいるようで、情動的でもあり、冷静でいるようで、混乱もしている――そんな矛盾した心象ばかりが前面に出てきて、読んでいてすっきりとせず、どうにも落ち着かなく感じたわけです。その理由については後述します。

>そんな高宮小枝子
→何という、ストーリー的に都合のいいキャラクターw

>高宮は小柄だ。幼児体系と言ったら、本人は怒るだろうか。
→この作者さんは本当にロリが好きだなw(ここらへんである程度、作者さんが誰なのか、分かったつもりです)

>「高宮、七瀬のことで相談がある」
>これは当人達の問題なんだ、私達が出る幕じゃない。

→ここらへんで、やっと、さっきの違和感が何なのか気づきました。当人たちの問題だから出る幕ではないと理解しているはずなのに、わざわざ第三者を介して、その問題に立ち入ろうとする――この部分に違和感をいだいたのだと思います。

>「しかし勇紀、貴方が求める真実とはどのようなものですか?」
→どうでもいいことではありますが、この学校、有栖川さんといい、こんな女性しかいないんでしょうかw

>二日目/崩壊、あるいは欠落
→何というネタバレのサブタイトルw うーん、あくまで個人的には、タイトルでストーリーの流れを示すのは、驚きが削がれるので好きではありません……

>……それにしても、七瀬は至って平常だ。
→「蹴った」や「叩いた」方はともかく、「殴った」ときの跡はなかったのかな。

>桐生翔太が飛び降り死体になっていた。
→死体を見た瞬間に、なぜ、「飛び降り」だと思ったのでしょうか。
→金城くんの心象は別として、一般論を記します――小中高校は法律によって高く建てられることを禁じられています。その一方で、「飛び降り」というのは、八階ほどの高さがなければ成功確率がぐんと減ると言われており、現実的に考えれば、桐生くんの凄惨な死体は「飛び降り」だとは考えづらいのが現状です。

>「何を言ってるんだ、私は傍観者だよ? ただの記録係に過ぎない。物語に関わろうなんて、全然これっぽっちも思っちゃいないさ」
→こんなふうに主人公をたきつけているんだから、十分に関わっているじゃないかw

>例えば、頭。
→この作品、別にリアリティのある推理モノを目指しているわけではないのだから、事件のことをぺらぺらとしゃべる警察関係のボインなおねーさんをひとりぐらい出してもいいんじゃないかと思います。死因、犯行時刻、事件現場があくまで金城くんたちの推測でしかないため、どうしても刑事事件を解明するには、情報が不確定になりがちです。

>戸締りだって最後に学校を出た先生が電気の付いてるクラスの点検をしただけだ。
→そういえば、この学校って防犯カメラついてないという設定なんですか?

>「仮説の続きだ、高宮。君は木刀で翔太を殺す、あるいは気絶させた」
→ここらへんは高宮さんの動揺から推測しているわけですが、全部、憶測であって、明確な証拠はないんですよね。そこらへんに高校生探偵の限界があると思います。

>「まぁ結論を述べると、桐生くんは気絶してしまったんだよ」
>「七瀬さんはぐったりした桐生くんを見て、『死んだ』と思ってしまったらしい」

→心音を確かめもしなかったのか……
→ここらへんの発言の怪しさが、水さんの指摘している有栖川さん犯人説を後押しします。どう考えても、ここで語られている犯行のストーリーは稚拙すぎます。

>「二人で桐生くんを持って、屋上に運ぶ」
→恋人の七瀬さんはともかく、学生服に高宮さんの指紋や髪の毛などがつきまくっていたら、警察だっていくらなんでもふつーに疑うと思うのだけど……


 次に気になった点について二つだけ述べます――

 ◆どこかで見たことのあるものばかりで構成された作品に映ります

 作者さんが意図的にそうしているのか、それとも違うのか、いずれにしても、キャラクターの言動、その性格、あるいはストーリーラインも含め、どこかで読んだことのあるものばかりでした。そういう意味では、作品に驚きがなかったと指摘できます。

 ◆犯人が確定できないという意味では、ミステリとしてはアンフェアな作品です

 基本的な推理ラインは水さんの指摘で間違っていないと思います。わたしも有栖川さんが一番あやしいと感じます。そもそも、単に「飛び降り」をしただけじゃ、描写されたような凄惨な死体はできあがりません。彼女が語った犯行ストーリーも稚拙です。別のストーリーが裏にあるのか、もしくは誰かが意図的に死体をさらに壊したと考える方が妥当だと思います。
 ただし、有栖川さんの犯行動機は想像できますが、その根拠が見つかりません。ミステリとしての5W1Hにからんだ明確なトリックが存在しないのです。そういう意味では、本作はとてもズルいし、ミステリとしてはアンフェアです。
 あと、水さんの推理の中でひとつだけ抜けているのは、犯人が金城くんであるかもしれないという可能性です(その理由は、彼が桐生くんの死体を一目見て、「飛び降り」だと断定した点から端を発します。地に倒れている凄惨な死体――撲殺を疑わなかったのはなぜなのでしょうか)。そもそも、本作は金城くんの一人称ですから、「信用ならざる語り手」を想定することもでき、いくらでも叙述的な偽装は可能です。
 いずれにしても、作者さんも、本作をきっちりとしたミステリとしてみなしていないことは明白で、それはタイトルが如実に表しています――『アリストテレスのハイスクール☆対話篇』w ちょw なんぞ、このラブコメ感あふれたタイトルw つまり、これはやっぱり反則かなー、と。

 ―――――

 評点は―点となります(感想期間中のため非表示です)。「実はすごく悩みました。色々と考えさせられたという点では、とても面白かったです。けど、ミステリとして考えると、どうしても明確な根拠がどこにもなく、あくまで読者の想像に任せてしまっており、それが作者さんの意図したものなのか、そうでないのか、分かりづらい上にタイトルもコメディ調で判断材料にしづらい……つまり、とても不安定な作品だと感じたため、この点数にしました」といったところです。

 ミステリを書く上で最も大切なのは、動機と証拠です。本作では、動機は明示的にされていますが、証拠がどうしても不十分で、片手落ちだと思います。その上、ツッコミでも記しましたが、キャラクターなどが既存の作品のものに似ており、全体的に消化不良な読後感が残りました。

 全体的に描写は分かりやすく、ストーリーラインも安定はしていたので、もしかしたら、不慣れなミステリというジャンルに足を引っ張られたのかなと邪推します。繰り返しますが、ミステリで大事なのは証拠であり、それをいかに森の中に埋もれさせるかといったこに注力していけば、この作者さんはもともと筆力があるだけにすぐに良作に至ると思います。

 参考になりましたら幸いですorz


三十路乃 生子さんの意見
 どうも、三十路乃 生子です。

 お、お待たせしました(え、待ってない? そうですか……orz
 もう恐らく見ていないでしょうが、折角読ませて貰いましたので感想を残させて頂きますorz
 さて、私は基本的にダメ感想人です(あえて残すのは嫌がらせじゃないですよw)取捨選択の方をよろしくお願いします。全て捨ててもOKですので。

(以下、重大なネタバレを含む)

 『雑感』
 衝撃的な気持ち悪さのする一種独特なお話というのが素直な感想です。

 個人的にはミステリでも少女小説でもなく完全なホラーでした。
 一番きつかったのは有栖川。彼女以外もかなり不気味でしたが、彼女は唯一異常と断言できるレベルだったと思います。
 そして気持ち悪いと評したのは、全員がもれなく裏を隠し持っていて誰一人として真実を語らないため、主人公には湾曲した形でしか伝わってこないお話の進め方です。なのでひたすら不気味です。
 そしてその歪が事件の根底にありすごく気持ち悪かった上に、矛盾が変なセリフ回しで潰されているのが画面越しの観客である私には薄気味悪く思えて、終盤付近は読み進めるも辛かったです(あ、これ大絶賛ですからw)。

 個人的に素晴らしかったのが一人称にして、有栖川をあの様なセリフ回しに特化させた事です。
 情報がほぼ一方からしか入らず、その一番の情報源が一番異常だったので、読んでいて情報が安定せずに実態がいつまでたっても掴めずに久々に酔いました(混濁して読み進められなくなる意味です)。
 そのため終始、彼女に目線が行ってしまいその上で最後に彼女にとってハッピーエンドになったのが特に恐怖でした。

 ええ、つまるところ本作はとても怖かったです。

 それで二読しようにも読む気が起きず、他の方はどう考えているのだろうと思い感想を見て納得。
真犯人だとは私も思っていたのですが、てっきり情報操作で陥れた程度を考えていましたので、根本から全て彼女中心にあったという点にはかなり驚かされました。
 その上でいろいろとスッキリしたのですが、直後に鬱が襲ってきまして非常に困っておりますww

 あと難点を挙げるとそもそも回答BとAは性質が異なるので、序盤からミステリを思って有栖川に目がいくとどっちつかずに終わる可能性があります。そうなった場合、推測のまま終わると不満が残ると思います。まぁ、私は裏でやっているのだろうなぁ。程度で深くは読んでいなかったので全てを計算していたという事実に衝撃はありましたけど(代わりに読んでいてホラーに感じた不思議です)。
 ですが私は他の方とは多少感じ方が異なった様なので参考にはしない方が良いですよww(ホラーって何だって話ですからw

 正直、読み進めたくないので二読はしませんが(もうお腹いっぱいですw)、水さんと稲葉さんの感想でほぼ納得がいきましたのでそちらに一票ずつお願いします。
 ええ、もう限界かと。
 久々に一人称の恐怖を味わいました。プロの作品でも未だ二、三回しか味わった事のないこの鬱になる衝撃を残す作品、素晴らしいと思います。

 もう完全にただの感想に成り下がっておりますが、そういうのも良いでしょう。
 それでは吐き気(私的に言えば恐らく最大級の賛辞)のする作品を有難うございましたorz

 それにしても、あ、甘い作品が読みたい……MIDOさんやのりたまごさんの様な甘い小説は、もう、ないのだろうか(既に読んでしまった人)…orz
 おっと、そうでした。つむじ様、あらためて高得点入り、おめでとうございます!orz(空元気ww)
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