高得点作品掲載所     向こう側さん 著作  | トップへ戻る | 


紳士

 私は呆然としていた。
 こんな事があるはずがない。脳の一部が凝り固まってしまったかのように機能しない。背筋に冷たい汗が一筋流れる。手がガクガクと震えマウスを上手く握る事が出来ない。
 私はもう一度、祈るような思いを抱きながら右手の人差し指を振り下ろした。
「どこ触ってるのよ、バカ」
 パソコンのディスプレイには年端もいかない美少女が描かれている。上半身を露わにし、頬を赤く染めている。画面の右上には興奮度0%とあり、無慈悲な勧告を私に告げていた。彼女の体の何処かをクリックし、興奮度を100%にする事がこのゲームの目的らしい。
 私の名誉の為に言っておくが、何も性的欲求を満たす為にこのゲームを買ったわけじゃない。機械に疎い私は部下の山田に音楽のコピーを頼んでいたのだ。それが今日、返ってきたので寝る前にジャズを一曲、聴こうではないか、とCDをパソコンに入れたところ、このような画面が表示されたわけだ。
 しかし、そんな事で焦る私ではない。すぐさまゲームの趣旨を理解した私は腕を捲り、やってやろうではないか、と呟いた。女性を楽しませるのが、紳士の務めなのだ。
 幸いにして、ディスプレイ上には上半身しか映っていない。ならば自然と選択肢は一つに絞られてくる。
 私はカーソルを彼女の胸部に当て、クリックをした。
「どこ触ってるのよ、バカ」
 怒られたのである。
 もう一度言おう、怒られたのである。四十も半ばを過ぎ、妻も娘もおり、会社では受付の若い子から「あの人、ダンディーね」と憧れの眼差しを受ける私が怒られたのである。二次元とはいえ、私の人生の半分も生きていないだろう少女に。
 私は暫しの間、呆然とせざるを得なかった。頭の中では何故か若き日の妻との思い出が走馬灯のように駆け巡っていた。もう駄目じゃない、と私の口についている食べ残しを取ってくれる妻。それが今では……。
 いや、そんな事はどうでも良い。今は目の前に立ちはだかる問題を冷静に処理しなければいけない。
 いつまでも落ち込んではいられない。何故なら私は紳士だからだ。紳士は女性を楽しませる事に至上の喜びを見出す生き物なのだ。
 私は何かの間違いだと信じ、もう一度同じ個所をクリックした。
「どこ触ってるのよ、バカ」
 怒られた。
 これが私が呆然という極めて稀な状態に陥った経緯である。
 これは少し考える必要がある、何せもう三回も同じ過ちを繰り返しているのだ。私は息を吐き、背もたれにもたれ掛かった。
 ディスプレイを子細に観察する。
 そこで私は気付くのだ。
 女性の胸は一つではない、という事に。
 こんな当たり前の事に気が付かないなんて、それほど最初の失敗により私の精神状態が正常では無かった、という事だろう。
 今まで執拗に右ばかり攻めていた私の非礼を画面内の彼女に詫びた。紳士はいつでも礼儀を重んじる。
 それでは失礼する。
 私は左の胸にカーソルを当て、クリックした。
「どこ触ってるのよ、バカ」
 怒られた。
 何故なんだ! と叫びそうになるのを必死で堪える。これは、もう、何か、プログラム? のミスとかなんかじゃないのか、そういう不可抗力的なやつなんじゃないのか!
 そう誰かに問いただしたくてもここは自分の部屋だ。しかも残業のせいでもう十二時を回っている。騒がしくすると、また妻に怒られてしまう。
 落ちつけ、落ちつくのだ、私は自分に言い聞かす。紳士はいつだって冷静でいなければならない。
 もしこれがプログラマー? のミスなのだとしたら胸部の反応と、他の部位の反応とが入れ替わっているのではないか。例えば、頭部もクリックする事は出来る。もし、私の仮説が正しければ、彼女にとって頭部こそが胸部なのだ。
 そうに違いない。
 私は頭部をクリックした。
「どこ触ってるのよ、バカ」
 怒られた。
 頭を叩いて怒られる、これが当然の事だと気づくまでに数秒の時間を要した。
 こうなってくると事態は深刻である。何せ今日、私はもう何度も怒られているのだ。大人になって何度も怒られるなんて事はそうあるものではない。
 私はとっておきの葉巻を吸い、心を落ちつかせた。何か見落としている事があるはずだ。
 画面の右上の興奮度というところに目が行く。もちろん、今でも0%だ。
 そうだったのか、私は唐突に悟る。
 全く興奮していない女性の胸部にいきなり触れ、喜んでもらおうなんてそんな勝手な話は無い。まずはそう、脇からだ。
 私は再三の無礼を彼女に詫びた。彼女は心なしか「やっと気付いたのね」と微笑んでくれているように思えた。
 私はほっそりとしている脇を優しくクリックした。
「どこ触ってるのよ、バカ」
 ふふ、とつい苦笑が漏れる。
 分かってたよ! 嫌な予感してたよ! クリックして「どこ……」って聞こえた時点でもう駄目だな、と思ったよ! もうどうすりゃ良いんだよ! もうこれも山田のせいだよ、全くあいつはもう、だから山田なんだよ!
 涙を拭い、深呼吸をする。すると、私の心の中に今までに無かった感情が生まれている事に気付く。
 怒られるのも悪くないかもしれない。
 気付いた時にはがむしゃらに彼女の体をクリックしていた。
 目。
「どこ触ってるのよ、バカ」
 口。
「どこ触ってるのよ、バカ」
 お腹。
「どこ触ってるのよ、バカ」
 何だ! 何なんだこの感覚は! 怒られる事によって満ちていくこの気持ちは! 私はこんな素晴らしいものを知らずに今までの人生を歩んできたのか! ありがとう名も無き二次元の美少女よ。そしてありがとう山田よ!
 はは、もっと、もっとだ、もっと私を罵っておくれ。ほら、ほら、もっと汚らしい言葉で、もっと私を蔑んでおくれ。もっと、もっと――、

「うるさくて眠れなかったんだけど、今日、晩ご飯抜きね」
 翌朝、妻に怒られた。
 テヘッ。
 紳士は茶目っ気も忘れない。 
●作者コメント
 良いタイトルが浮かびませんでした。

 あと、DEENを聴きながら書きました。


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●感想
へげぞさんの意見
 かなり面白かったです。
 笑わせてもらいました。


和己さんの意見
 あはは、単純に面白かったです。
 ところで、よもや実体験ではないでしょうね?
 バイオハ○ードかりたら下にときメ○が入っていたから、バイオ無視してときメ○をコンプリートしたり!
 あくまでも例え話ですよ?

 妻より娘に冷たい視線をなげられなくて安心しました。


アカネザキさんの意見
 お世辞抜きにして凄く読みやすかったです。

 作品の感想とズレてしまうかもしれませんが、何処を押せば興奮度ゲージがあがるんだろうと作品を読み終わった後も気になって仕方がないです。

 完成度が凄く高く読み易かったので次の作品も期待して、待っています!

 駄文ですが失礼します。


柊野さんの意見
 それにしても。

> 「どこ触ってるのよ、バカ」

 延々と繰り替えされるこの台詞(というかもはや効果音ですね(笑))が露骨に出している機械感と、
 画面の前で仰け反る紳士さんの異様なほどの人間さが見事な対照になっていると思います。


工事中さんの意見
 面白かったです。自称紳士のテンパリ具合と後半のイっちゃった感(注:褒め言葉です)が楽しかったです。
 楽しませていただきました。ありがとうございます。

 題名なんですが、個人的には『紳士マゾに目覚める』といった作品のように感じたので
 『覚醒』とかもあるかなぁと考えました。
 まぁ、地味なんですが、サンプル例としてお受け取り下さい。


冗さんの意見
 ……なんだこれ。
 面白かったです。
 ところで、どうでもいい情報ですが私はおっさんフェチです。
 おっさんキャラの良しあしにはちょっとこだわっているつもりです。しかしこれはいいおっさんですね。
 いろいろダメなとこが最高です。部下の前ではかっこいいとこ見せてるのに妻からは無残な扱われよう……そしてこんなくだらないもんに一生懸命になっちゃうむなしさ。萌えます。
 個人的な趣味の話はこれくらいにいたしまして、あえて難を探すならやはり、タイトルですね。普通すぎてもったいないです。


tanisiさんの意見
 こんにちは、tanisiです。
 感想書かせていただきます。

 面白かったです。主人公のキャラがよく書けていましたし……。
 美少女、よかったです。プログラムのくせに、台詞一つのくせに、ですw

>会社では受付の若い子から「あの人、ダンディーね」と憧れの眼差しを受ける私が怒られたのである。

 これは、主人公の思いこみってことでいいんですよねw
 なんとなく気になったもので。

 読みやすくてまとまった文章でよかったです。
 しかし、掌篇でここまであっさりしたオチで、面白いとは……。
 何か、とても勉強になりました。


ミナ・コレステロールさんの意見
 「なに書いてるのよ、バカ」

 こんばんは。
 ミナ・コレステロールです。

>とっておきの葉巻を吸い
 こんなダンディーなおじさまなのに……

>怒られたのである。
 この語感がツボに入りました。

>だから山田なんだよ!
 そうですよね。

>何なんだこの感覚は!
 作者さまの壮絶な実体験が、コレステロールまみれの目に浮かぶようです。

 冷静に考えるのなら、こんなしょうもない内容なのに、笑いっぱなしでした。
 おもしろかったです。


雨月さんの意見
 初めまして、雨月と申します。

 高得点に期待して読み始めました。
 なかなか面白かったです。しかしやはり少々くどすぎました。加減を調節するのは、難しいですね。
 他には特に悪い点もないように感じられました。ライトノベルらしい、主人公の壊れっぷりと申しますか……。
次回作にも期待させていただきます。お励みくださいませ。

 ではでは^^


聖☆おじいさんの意見
 お早うございます、聖☆おじいさんと申します。はじめまして。
 拝読いたしましたので、感想を。
 それでは、早速。

※先入観を極力避けるため、他の感想人の皆様のご感想は未読です。重複箇所などの取捨選択のほど、よろしくお願い致します。


 一読して、まず素直に「上手い」と思いました。
 そして、それはすぐに「面白い」へと転じました。
 まず起承転結ですが、大変興味深い構成でしたね。
 主人公の気持ちの移り変わりによってはっきりと区別され、こういう起承転結もあるんだなあ、
 と勉強になりました。
 掌編のコメディとしては、相当のレベルなのではないでしょうか。

 次に、主人公。文章を読んでいくうちに彼の人となりが理解できます。
 紳士を気取りつつも、どこか抜けている彼が私は好きです(笑)。
 徐々にキャラ崩壊していく彼が面白く、
 「もっと壊れればいいのに…」とか最低なコト思ってました。


TOMさんの意見
 こんばんは、TOMと申します。

 面白かったです。高評価に釣られて来て良かった。
 地盤がしっかりとしているので、しょうもない話のハズなのに笑えました。紳士のキャラもこの文章で確立しているものさることながら、ヒロイン、と言っていいのか悩ましいですが、名も無き二次元美少女が台詞一個なのにキャラ立ちしている辺り愕然としました。自分なんか短編ですらキャラ立ちさせられないというのに……。

 友人から借りた美少女ゲー(全年齢対応)の選択肢を妹と一緒にああだこうだと、選びつつ、何度となく主人公を死に追いやったのを思い出しました。自分には向いて無かった……苦い思い出です。
 選択肢でも代わりになるであろうところを、フラッシュゲーを彷彿させる簡単で単純なモノになっているからこそ、ヒロイン? にキャラを感じられたんだと思います。

 にしても紳士……眠れないほどうるさいって。ワンフレーズしかない美少女相手にナニをして――野暮でしたね。


目々さんの意見
 笑いました。大層笑わせていただきました。
 近頃にしては珍しく新しい可能性のような何かを感じます。
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