ライトノベル作法研究所
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ジョリーロジャーは自由を歌う

REDさん著作

プロローグ

「うっわ~、海だよ。青くて緑だよ。すごくて広いね、疾風」
 小学生の志島夕凪(しじま ゆうなぎ)は、両手をいっぱいに伸ばすと、のんびりした調子で隣にいる少年に声をかけた。
「あのなあ、ひろいね~じゃなくてよ、なんにもねーだろーが!」
 疾風は意味もなく波を蹴り飛ばしていた足を止めると、狐のように細い目をさらに細めて、短い髪をがしゃがしゃとかきまわした。
 夕凪は首をかしげる。なにもないってことはない。
「海があるよ」
 真っ白い砂浜がどこまでも広がっている。波打ち際の透明な海水が足下をくすぐり、そこから遠くエメラルドを溶かした色が続く。
 海と空の曖昧な境界線をすぎると、あとは突き抜けそうな青一色が天を染め抜いていた。
 熱帯の海と空は鮮やかすぎで、見ているとくらくらしてきそうだ。
「そうじゃねーよっ! アメリカいくってからさ、こう胸をバーンっと全開にした金髪のねーちゃんが、ゆっさゆっさしながら砂浜歩いてるって、夢と希望にふくらませながらやってきたんだぞ、なのになんだよ、砂、海、空、それしかねーじゃんかよ!」
「なにをふくらませてるのさ疾風。それに、ここアメリカじゃなくてメキシコだし。とにかくさ、海も空もきれいだからいいじゃない。日本じゃ見られない海の生き物だっていっぱいなんだよ。すごいんだよ、とうさんが写真いっぱい撮ってきてくれるよ」
 夕凪は瞳をきらきら輝かせて力説した。
 しかし疾風はげんなり顔で盛大に息を吐く。
「それのナニが楽しいんだつーの。おまえのオヤジも、ここに来るなり海に潜っちゃ、わけのわかんねー写真とってばっかだし。さっきもなんだ、ウシが海にいたとかいって大喜びしてたろ。また海潜ってるし、ありゃなんだよ」
「うーん、牛じゃなくてウミウシだよ。背楯目ジンガサヒトエガイ属の、たぶん未記載種だって言ってたよ。あ、未記載種っていうのはね、学名が記載されてない種のことなんだ。よく新種とかいうけど、あれは間違えで、未記載種が記載されると新種になるんだ」
「まて、夕凪ちゃん、たのむから日本語でしゃべってくれなさい」
「うーん? ジンガサヒトエイガイっていうのはね、背中に陣笠をかぶっているみたいな、かわった形のウミウシのなかまで……」
「ごめん、オレが悪かった、もういい」
 疾風はそう言うと、んが~っと妙な声をあげて短い髪をかきむしった。
 詳しく説明したつもりだったけど、なにがわるかったのだろう。夕凪は首をかしげた。
 そしてまた海を眺める。
 日本からはるか地球の反対側にあるメキシコのさらに端っこ。
 こんなところまでやってきたのは、夕凪の父が「たまには遊びにいくか」と言い出したからだ。
 夕凪の父は海洋生物学者という、堅苦しいのか夢追い人なのか、よく判らない仕事をしている。仕事半分趣味半分という言い方があるが、夕凪の父はその境界線がおそろしくあいまいだ。
 年がら年中、仕事だか趣味だかに没頭し、夕凪はなかば放置状態。この旅行も、そんな罪悪感から言い出したに違いない。
 だが、いざ現地についてみれば、巨大な水中用ハウジングを付けたカメラを抱えて海に潜り、撮った写真を見ては子供のように喜んでいる。
 なんとも呆れたものだが、そんな父が夕凪は嫌いではなかった。
 疾風は隣に住んでいる友達だ。性格は夕凪と正反対だが、なぜか気があって、小さなころからいつも一緒にいる。今回の旅行には夕凪の父が誘ったのだが、どうも疾風はお気に召さなかったらしい。
 仏頂面で口を尖らせている。
 しかたなく声をかけようとしたところで、疾風がぼそりと口をひらいた。
「やな風がふいてるぜ」
「なにかへんなにおいでもするの?」
 夕凪はくんくんと鼻をうごかすが、熱気をおびた潮の香りがするだけだ。
「ちげ~って。なんつうの、こう普通じゃないってか、気色わりい淀みつーか、あんだろ、そんなの」
「ごめん、疾風のいってること、ぜんぜんわかんないよ」
 夕凪がそう言うと、疾風は腕を組んでむ~っとうなった。
 疾風はときおり意味のわからないことを言う。風が濁ってるとか、騒いでいるとか。でも天気を当てるのは得意だった。理由はわからないけど、とにかく凄い。夕凪のなかではそれで十分だった。
「嵐のにおい、とはちょっとちげーんだよな」
「うん? そういえば、何日か前まで海が荒れてたって聞いたよ。ハリケーンだっけ?」
「だから、そーいうんじゃなくってさ」
 さっぱり意味がわからない。夕凪は首をかしげると、波打ち際をぱしゃぱしゃと音をたてて歩きだした。
 ふと、その行く先に奇妙なものが見えた。
 白い布と、キラキラ輝く銀色。目をこらして見たそれは、
「ひとが倒れてるよ!」
 夕凪は真っ白い砂を蹴散らした。
 疾風が「おい、ちょっと待てよ!」と声を飛ばしてついてくる。
 息を切らせて駆けつけた波打ち際で、女の子がうつぶせに倒れて波に洗われていた。夕凪と同じくらいの歳だ。
 銀糸のように鮮やかな髪がべったりはりついて、白いワンピースはずぶ濡れだった。砂のついた横顔はあまりにもきれいで、人というより水の精霊とか、そんなものが頭にうかぶ。
「おい、なんだってんだよ!」
 息を切らせて駆けつけた疾風の息が、そのまま止まった。たっぷり十秒は時間をおいてからぷは~っと息を吐きだす。
「すげえきれい……じゃねえ、生きてんのかよ」
「ううん、わかんないよ」
 夕凪はおそるおそる手を伸ばして、小さな肩をゆすった。
「ねえ、だいじょうぶ? どこから来たの? どこか痛い? ねえ」
「ん……」
 女の子の淡い色をしたくちびるが動いた。
「うおっ、うごいた! うごいたぞ!」
 疾風が大げさに感動する。夕凪もほっと息をついた。触れた肌があまりに冷たいので、もしかしたら死んでしまっているかと思ったのだ。
 女の子は白い砂に弱々しく手をつき、ごろりと仰向けになった。
 濡れた服が体にしっとり張りつき、なにもかも透けて見えた。夕凪は思わず顔を赤くして、視線を泳がせる。後ろから疾風のおおお~と妙に興奮した声が聞こえた。
「やっぱり、生きてる……」
 少女の声は水晶を響かせるような澄んでいて、なのに感情の色がなかった。おまけに何を言っているのかわからない。夕凪は、「ふえ?」と間抜けな声で返す。
「……どこ」
「な、なにが?」
「ここ、どこ」
「えと、メキシコのはしっこの無人島だって、とうさんがいってたよ。北がメキシコ湾で、南がカリブ海だったかな」
「そう、外の世界でも、終わりにできないんだ」
 少女はかすかに笑う。夕凪と疾風は顔を見合わせた。意味がわからない。
 少女に目を戻すと、その瞳が夕凪を見つめていた。夕凪の心臓が大きく跳ね上がる。音が聞こえるんじゃないかと思って、あわてて胸を押さえた、
 少女の瞳は不思議な色をしていたのだ。
 青よりもずっと深くて遠い、最果ての世界を思わせる、菫色。
 疾風が息を飲む音が聞こえた。このとき、夕凪も、疾風も、この少女に魅せられていたのだ。
 だが、つづく言葉は二人を困惑させた。少女はこう言ったのだ。
「どうせ長く生きられない。それも……悪くないわ」
 子供とは思えない、どこかふっきれた笑みをうかべて。


 第一章 深く青き海のむこう

 一 美汐のいた景色

 不思議な少女との出会いから五年の歳月が過ぎた。
 非日常的な出会いは、日常を激変させて……なんて思っていたのだが、そんなものは物語のなかだけらしい。現実はもっと普通で、もっと静かで、だけど夕凪は、おおむねそれに満足していた。
 ただまあ、なんというか。
「美汐(みしお)、僕の部屋でなにやってるのかな」
 夕凪は寝ボケた目をベッドの脇へやった。
 所狭しと積み上げられた海洋生物学の和書洋書に挟まれるように、少女がペタンと座り込んでいる。ふんわり振り返った。
 踊る銀色の長い髪が、カーテン越しの朝日を浴びて輝いた。無防備に光を通すワイシャツのシルエットは細くきれいで、裾からすらりと伸びる足は白く柔らかそうだ。
「あ、おはよ~ナギ。いまね、くーさんにごはんをあげてたんだよ」
「くーさん? いや、そうじゃなくてなんで僕の部屋に」
「くーさんはフレンチエンゼルだよ。フレンチエンゼルだからくーさん、わかりやすいでしょ」
 美汐はフリーズドライされたオキアミをつまんで、部屋に置かれた大型水槽をペタペタ触った。黒いボディに黄色い模様が入った大きな魚が、なにやら嬉しそうにくるくる踊る。
 五年前に出逢った少女は、海岸に打ち上げられるまでの記憶がなかった。すくなくとも、当人はそういっている。あれやこれやの末に少女は夕凪の家に引き取られ、父が付けた名前が美汐だった。
 夕凪と美汐、どれだけ海が好きなんだと呆れ半分で父に聞いたことがあるが、二時間にわたって海が好きな理論的帰結とやらを聞かされた。ウンザリした。
 それはともかく。
「なあ美汐、僕の部屋にいる理由について聞くのは諦めよう。だけど、フレンチエンゼルがどうしてくーさんになるのか、僕にもわかるように説明してくれるかな」
「うん、フレンチエンゼルだから」
 美汐は、ほわほわっと笑顔を浮かべる。もはや会話になっていない。
「それよりね、くーさんがおっしゃっておりました。もうエビは飽きた。今宵はアサリのむき身にいたすがよいぞ。美汐は、はは~わかりましたでございます。と答えておいたけど、いいかな? いいよね。ナギも今夜はアサリのスパゲティ?」
「はいはい、帰りに買っておくよ。同じ餌ばっかりで悪かったって、僕のかわりに謝っておいてくれ。それより、美汐もそろそろ着替えて学校へいく準備ね」
「は~い」
「って、ここで脱ぐんじゃありません!」
「ふにゅ?」
 なめらかな胸のラインをむき出した手を止めると、美汐は残念そうにペタペタ部屋を出て行く。
 夕凪は額に手をあて盛大なため息をついた。
 五年前に出逢った不思議な少女はすっかり成長して、不思議少女になっていたのだ。
 
 ペダルを蹴ると自転車のタイヤがなめらかに回り始める。
 道は広々と緩やかな曲線を描き、車道の向こうは鮮やかな海が輝く。夏を前にした、どこか生き生きとした風が頬をなでた。
「ナギ、気持ちいいね~、海が語りかけてくるよ。命が歌う季節だよって」
 夕凪の背から楽しげな声が聞こえる。振り返ると、荷台に立った美汐が夕凪の肩に手をおき、海を見つめていた。菫色の瞳にほんのり海色が混ざって、どこか遠い世界に誘われる錯覚を覚える。
 ひときわ強い風が吹いて、美汐は瞳を閉じた。長い髪が銀糸でもまき散らしたように踊る。
 きれいだった、心臓が高鳴る。早まる鼓動をごまかすように、夕凪は口を開いた。
「今年の夏は暑くなるかな」
「うん、ツバメが賑やかだよ。虫たちが野に山にあふれてる。たくさんの恋をしよう、たくさんの子供たちを育てよう、だけどいい巣を作るのはたいへんだ」
 一羽のツバメが波を背景になめらかな曲線を描いた。美汐の手が楽しげに追う。
「なら今年は山にでも遊びに行こうか。ああ、そういえば、父さんが夏休みに三人でメキシコに行こうってチケット予約してたな。美汐は日本に来てから、あっちに行ったことないよね。久しぶりに見る向こうの海も楽しみじゃないか」
「……きっと、むこうの海は、美汐を歓迎してくれないよ」
「え? なに?」
「な~んで~も、な~い」
 美汐は海に向かって叫ぶと、いきなり抱きつくように頬を寄せてきた。夕凪の心臓が跳ね上がり、自転車が大きく車道にふくれる。
「な、な、なにするんだ、いきなり!」
「ナギはさ、美汐のいうこと、真面目に聞いてくれるし、へんに思わないよね。美汐だけじゃなくて、疾風の話も。どうしてかな?」
「どうしてって、別に疑うような理由もないだろ」
 美汐が言いたいのは、不思議な力のことだろう。美汐は生き物の声が聞こえるらしく、いつも道ばたの犬や空ゆく鳥、それに水槽の魚の声を聞かせてくれる。
 疾風は小さなときから風を読んだり天気を当てるのが得意だった。大人たちは天気予報でも見ているのだと相手にしないか、気味悪がるかのどちらかだった。
 夕凪はどちらの反応も理解できなかった。疾風の予想は天気予報より当たるし、素直に凄いことだと思っている。
 親しいひとを疑うとか警戒するといった感覚が夕凪には欠けているのかもしれない。そして、それを直すことが疾風や美汐を信用しないことだというなら、そんなものは必要ない。
 つらつら考えていると、美汐が静かに、歌うように、さびしげな声を聞かせた。
「あなたを畏れ敬いましょう、それが私の利益になるならば。あなたは邪悪なる敵です、私の不利益になるならば。それが、自分と違うなにかと出会ったとき、ひとが見せる反応なのです」
「美汐は、ときどき難しいことを言うね。なんだかわからないけど、どっちも僕には縁がなさそうだよ」
「うん、だから疾風もナギのことが大好きなんだよ」
「さりげに怖いこと言わないでくれ!」
 と、背後から軽薄なエンジン音が追いついてくる。スクーターが軽く追い越し、甲高いブレーキ音を立てて自転車に合わせてきた。
 ハーフヘルメットをかぶった狐目の男が、大げさに手を振る。
「やっほ~、美汐ちゃ~ん、今日の美汐ちゃんは歴史に残るかわいさだね~。いやいや、むしろ歴史に残すべきだね、てことで今日は美汐ちゃん記念日だから愛の告白。愛してるよ~」
「あ、疾風だ、おっはよ~、今日も軽いね~」
「いやいや、そこは明るいね~の間違いっしょ、マドモワゼル」
「むしろ今日もバカっぽいの間違えだと思うけどね」
「おお、夕凪ちゃん、いたのか」
「疾風は、僕がカボチャの馬車を牽く馬にでも見えるのか」
「悪りい悪りい、俺の目は細すぎて美少女しか見えないのよ。いまは美汐ちゃんだけが俺の視線を独り占め。あいらびゅー」
「疾風、昨日クラスの女子にもそんなこと言ってなかった? ていうか、いったい何人声かけてるのさ」
「はっはぁ、夕凪ちゃんは食ったパンの枚数をいちいち数えているのかね」
「どんな悪役のセリフだそれは」
「男は少しくらい悪いほうがモテるのさ。それに、俺はそんな無差別じゃないぜ。愛を語る相手だって、ちゃんと分類してんだからな。具体的には『愛を語るのは男の義務だ』から始まって、『いちおう愛を語っておこう』『愛を語らずばなるまい』で、さらに上位の『世界を敵に回しても愛を語る』『愛を語るためなら神をも滅ぼす』まで全十段階な。もちろん美汐ちゃんは最上位ランクさあ」
「わあい、ありがと疾風」
「そこは喜ぶところじゃありません、美汐」
 無邪気に笑う美汐に、夕凪は投げやりに答える。
「ま、そんな朝の挨拶も終わったところで俺は行くぜ! 世界の美少女が呼んでいる~。俺の愛を待っている~。俺のぴゅあぴゅあハートが今日も歌う~」
 得体のしれない歌を残して、疾風は軽い音とともに遠くへ走っていく。
「あいかわらずというか、バカが年々加速度的にパワーアップしていくな、疾風は」
「でも、楽しいよ」
「たのしいのか?」
「うん、とっても、とっても、とっても!」
 美汐は弾む声で、腕をぶんぶんふりまわした。
「ならいいか」
 夕凪はペダルを踏む足に力をこめた。自転車がグンと加速して風を切る。
 そのとき、夕凪の視界に小さな女の子の姿が入った。肩を大きく出した白いワンピースに、つばのついた帽子。肌がすごく白くて、風に舞う髪が、
 ――銀色だった。
「美汐?」
「なあに、ナギ? もしかしてケセランパサラン見つけた?」
 美汐が不思議そうに頬を寄せてきた。夕凪は答えに詰まる。
 美汐が意味不明だからではない。女の子は、出逢った頃の美汐にそっくりだったのだ。ふりかえってみたが、朝日に照らされた歩道が白みおびて、どこまでも続いているだけだ。人の姿はない。
「見間違え……かな? まあいいか」
 夕凪は自転車を走らせ学校へと急いだ。

 放課後。
「せいやぁ」
 どこか間の抜けた声を残して、美汐は校舎玄関からジャンプした。
 髪を銀色の尻尾のように踊らせ、スカートを盛大にはためかせて着地。「とわわ」っと、バランスを崩しつつ、花壇の間を跳ねるように歩いていく。
「ナギー、花がいっぱいだよ、きれいだよ、少し水が欲しいからどうにかしてくださいとざわめいております」
「おりますじゃなくて」
 夕凪は額を抑えた。
 美汐の盛大なサービスに、男子生徒の視線が食らいついていた。それはもう、ウサギを前にした肉食獣じみた目で。ただでさえ目立つというのに、なにをやっているのやら。
「あ、ツユリさんだ、やっほ~、お散歩?」
 美汐が飛び跳ねて手をふると、校庭から年上の女生徒が小さく手を振りかえした。夕凪のひとつ年上で、二年生の北条ツユリだ。
 ツユリは夕凪の家からほど近い道場の娘で、文武両道才色兼備、いわゆる完璧超人というやつだ。夕凪たちにとっては姉みたいな存在で、頼りになると同時に頭が上がらない。
 ツユリは端正な顔に穏やかな笑みを浮かべると、楚々とした足取りでこちらに向かってきた。部活の途中だったのか胴着姿のままだが、長い黒髪とよく似合っている。
「夕凪くん、美汐さん、あいかわらず仲が良さそうで羨ましいわ。ねえ、ちょっと聞きたいのだけれど、ここに疾風くんが来なかったかしら」
 そう言って、しとやかな仕草で頬に手をそえる。
「疾風? あのバカなにかやらかしたんですか?」
「そうねえ、なにかよねえ。ふふ、ふふふふふふふふ」
「あ、あの……ツユリさん、笑い声が平坦で怖いんですけど」
 おまけに背後にはドス黒い気配が渦巻いている。それでいて穏やかな笑顔のままというのがさらに怖い。なにをやったのだ、あいつは。
「疾風くんねえ、よりにもよってウチの剣道部の女子にあれこれ愛を囁きまくったのよ。それを一年生のひとりが本気にしちゃって、いろいろ面倒なことに、ね」
「はあ、それはまた」命知らずな、という言葉を飲み込む。
「おまけにね、なぜかこのわたしが疾風くんと付き合ってるなんて困った噂が流れているのよ。ほんと、地獄に堕ちてケルベロスに食われてしまえばいいのに。それでね、後輩から恨まれるわ、三角関係の修羅場とか噂されるわ」
「そ、それはまた災難ですね」
「そうなのよねえ、これ以上複雑になるのもいやでしょう。だから考えたのよ、元凶を消しちゃおうかなって」
 ツユリはころころと笑う。「消す」あたりの語気に本気を感じたのは、夕凪の気のせいだろうか。
「ねえねえ、ツユリさんは疾風さがしてるんだよね?」
 美汐は口を挟むと、なにやら考え込むように首をふりふり空を見上げた。それから地面に視線を落とす。いや、地面というより植え込みの根元あたりか。
 視線を追って夕凪は吹きだした。
 疾風が植え込みに潜りこんで小動物のようにガクガクブルブル。こちらに向かって激しく手でサインらしきものを送ってくる。
 美汐がうんうんと大げさに頷く。
「疾風はインカの謎を解きにマチュピチュまで散歩にいっております。現在ラブコール以外は通じにくい状態になっておりますので、ご用の方は好き好き大好き疾風くんと三回繰り返してください。って言ってるよ」
 美汐は植え込みを指さした。ツユリのくちびるがすぅっとつり上がる。
「へえ、そうなの。好き好き大好き疾風くん、好き好き大好き疾風くん、好き好き大好き疾風くん、これで思い残すことは無いかしら」
「た、ただいま疾風は留守に……」
 疾風のセリフが終わる前に、ツユリは木刀を一閃。植え込みがまっぷたつに断ち切られた。飛び散る枝葉に紛れて、顔面蒼白な疾風が飛び出す。
 疾風はあろう事か夕凪の背に回り込み、がつりと両腕を抱え込む。
「ちょ、疾風、なんのつもりっ」
「夕凪ちゃん。俺を守るために盾になってくれんだな。ああ、なんて熱い友情だろうな。いや、俺としちゃこの際、愛に昇華しても構わないぜ、ジュテ~ム」
「疾風、今すぐ一人で死んでくれ」
「そ~ん~な~、俺と夕凪ちゃんの深くてねっとりした友情はどこにいったんだぉ~。守ってくれたっていいじゃんかぁ」
「そんな腐れた友情に殉じてたまるか、放せ疾風!」
「夕凪くん」
 ツユリが木刀を上段に構えた。
「な、なんでしょう、ツユリさん」
「先に謝っておくわ、ごめんなさいね」
 ツユリは艶然と微笑んだ。

「うう、ひどいめにあった」
 夕凪は夕映え色に染まった屋上で、膝に手をついて荒く息をついた。
「すっごく、たのしかったね、ナギ!」
「いいや、僕は本気で命の危険を感じました」
 疾風はきっと今ごろ遠い世界へ旅立っているに違いない。
「うーん、そう? 美汐は楽しいよ」
 美汐はフェンスに指を絡めて、心地よさそうに目を細めている。
 ここからは海がよく見える。砕ける波頭が暗い青に白を添え、その合間をゆったりと漁船が渡っていく。海風が強くて、美汐の頬に銀糸がいくつもまとわりついていた。
「ここは素敵なところだよ。美汐はずっとずっとひとりきりだったけど、ここにはナギがいて、疾風がいて、ツユリさんがいて、みんな、みんな大好き。だから、ここは美汐にとっても大切なの」
「それはまた……あれ?」
 いま、ずっと一人だったと言わなかったか。美汐は夕凪の家に来る前の記憶がないはず。
「美汐、もしかして昔のこと思い出したのか?」
 美汐は答えない。空に向かって両手を広げると、大切なものを刻むように歩いていく。
「いまの美汐にはね、夢があるんだよ。とっても素敵で、とっても小さな夢」
「……それはどんな夢なんだ?」
「うん、大好きなひとに告白すること。あなたのことがとてもとても好きです、美汐の特別なひとになってくれませんか」
 深く遠い菫色の瞳が夕凪を写した。
 夕凪の息が一瞬止まる。
 これはあれだろうか、もしかして遠回しな告白? だとしたら嬉しい、非常に嬉しい、もちろんだ! と大きな声で答えてやろう。いやまて、ここでそんな話をするということは、違う人なのか? いやしかし。
 夕凪の中でぐるぐると思考がループする。
 美汐は花開くような笑みを浮かべると、空を見上げた。
「でも、夢はかなわないの。夢は夢だからきれいなんだ、きっと」
「そ、そんなことないだろ」
「あるよ、美汐はもうすぐ死んじゃうから」
 一瞬意味が掴めなかった。
「美汐、それは言っていい種類の冗談じゃないよ」
「これ見えるかな」
 美汐は傾いた陽が創る自分の影を指さした。唐突な話運びに怪訝な顔をしながらも、夕凪は美汐の影に視線を落とした。ただの影のはずなのに、どこか奇妙な。
 目を凝らして、夕凪はうめいた。思わず一歩さがる。
「なんだ、これ」
「地球のはんたいならもっと時間あるかなって思ったけど、みつかっちゃった。あ、ごめんね、気持ち悪いよね。美汐はね、そういう側にいるんだよ」
「そうじゃない!」
 夕凪は美汐の手を掴んで引き寄せた。足下の影で何かが蠢く。無数の長虫が折り重なり、はい回り、夕凪を威嚇するように音を立てる。
 この世のものじゃない。なんで美汐がこんなものを影に潜ませているのかわからない。おぞましさに全身が粟立つ。だが、そんなことは問題じゃない。
「ナギ?」
「ちゃんと話すんだ。一人で抱え込むな、僕はここにいる。美汐が困っているなら、僕が手を貸す。僕の力じゃどうにもならなくても、なにかしたいんだ」
 菫色の瞳が揺れた。迷うように長いまつげが伏せ、そして夕凪を見つめる。
 きれいなひとみが今までにないほど近くにあった。ゆらゆらと波のようにゆらぎ、やがてゆっくりと閉じる。吐息が頬をくすぐり、唐突に、
 くちびるに柔らかで甘い感触がおしあてられた。
 優しく、それでいてむさぼるように求め、やがて熱い息を残して離れる。
 夕凪の意識は真っ白にはじけていた。
 いま、美汐とキス……。
 いや、そうじゃなく! 我を取り戻し、そして気づいた。美汐の姿がない。
 おそろしく嫌な予感にとらわれ、見つけた。屋上フェンスの外側、狭い張りに立つ美汐を。
「美汐!」
「美汐にはね、役目があったんだ」
「こっちに戻ってくるんだ、美汐!」
「世界を作り替えること。ナギも、疾風も、ツユリさんも、この世界も、なにもかも壊して作り替えること。でも、ぜんぶ嫌になって、美汐は投げ出したの」
「話はあとでいい、美汐!」
「だから『私』は、美汐の心を縛り直そうとしているんだ。はじめからわかっていたけど、もうちょっとだけ時間が欲しかったかな。夏休み、もうすぐだったのに」
 美汐は小さく舌を出して首をかしげて見せた。愛らしく、楽しげに。
「ナギ、美汐に五年分の思い出をありがと。普通の女の子になれた気がして、すごく、すごく楽しかった。だから、絶対にこの世界を壊させたりしない。ナギのこと、美汐がきっと守ってみせるよ。でも――」
「待って、美汐、なんの話かわからないよ、ちゃんと話してくれ、頼むから」
「美汐のこと、忘れていいよ」
 美汐は飛んだ。翼を広げた海鳥のように、両手いっぱいに風を受け止めて。
 落ちる、落ちる、その行く手に巨大な闇色がうねった。漆黒の顎が開き、粘液をしたたらせた口腔が広がる。
 菫色の瞳からひとしずくの輝きを残して、美汐は飲まれた。

 ◇ 二 深淵にひそむもの
 
 ざんっと船首が波をかきわけた。
 あれから二ヶ月、夏休みを迎えた夕凪はカリブの洋上にあった。
熱帯の海といえば鮮やかなオーシャングリーンを思い浮かべるが、沖合の海は底が見えない黒々した青色で、表面に波頭が涼やかな白を添えている。
 乗っているフェリーは大勢の人でにぎわっていた。甲板を小さな子供たちがはしゃぎ声で駆け回り、船首ではカップルが両手を広げるお約束に興じている。髪の色は金やら赤やら黒やら賑やかで、国際色豊かなのはカリブの海ならではだろうか。
 ふと、夕凪の上を影が通り抜けた。メモをとっていた手を止め見上げると、真っ青な空に海鳥が白い翼を広げている。潮風に乗ってふらふらと気持ちよさそうだ。
「風が変わるぜ」
 横から疾風の声が聞こえた。海鳥が翼の角度を変え、吹き上げる風に乗って上昇していく。
「あいかわらず冴えてるわね、疾風くんの役に立たない特技は」
 上品な声に毒を乗せるのはツユリだ。
 ツバの広い帽子をかぶり、水色のスリムなワンピースを風にはためかせている。手にはハイビスカスやブーゲンビリアなど、鮮やかな熱帯の花束を抱えていた。
 夕凪、疾風、ツユリの三人は、メキシコ南部のカリブ海を訪れていた。もともとは美汐と夕凪の父、そして夕凪の三人でくるはずだった旅行だが、美汐がいなくなり、父も行くのをとりやめてしまったのだ。
 宙に浮いたチケットを、せっかくだからと疾風やツユリに渡したのは、きっと夕凪の気をまぎらわそうという父の配慮だろう。
 だが、夕凪に傷心旅行のつもりはない。美汐を探す手がかりを見つけるために来たのだ。美汐は消えた。けして死んだわけではない。ならば、どこかにいるはずだ。
 すくなくとも夕凪はそう考えている。
 夕凪はデッキに腰を落とすと、ツユリに曖昧な笑みを送った。
「疾風の特技はけっこう役にたちますよ、天気予報だってできるんですから」
「あら、天気予報なら携帯でいつでもわかるじゃない。こっちのほうが便利よ。疾風くんと違って素直だし、女の子を口説いたりしないし、いやらしくないし」
 ツユリの視線が冷ややかに下へと落ちた。
 疾風がデッキにはいつくばり、風に遊ぶツユリのスカートを覗いていた。
「なにか言い遺すことはないかしら。特別に一〇文字までなら聞いてあげるわ」
「シロにレースだったぜ」
 疾風の歯が男前に輝いた。
 ツユリの靴先が甲高い音を立てて空を切る。疾風は、「はいやあっ!」っと器用にエビぞって打撃をかわすと、ごろごろと回転して離脱。すっくと立ち上がると、
「褐色の肌のお嬢さ~ん。俺とひと夏のあま~い経験などいかが~」
 スキップ混じりに地元民らしい女性へ声をかける。日本語じゃ通じないだろうに。
 ツユリは額に指をあてて息を吐いた。
「まるでゴキブリなみの逃げ足ね。それにしても、幼なじみが消えたっていうのに、相変わらずというか、軽さに磨きがかかっているわね」
「あれはあれで落ち込んでるんですよ。疾風は美汐しか見ていなかったですからね」
 夕凪が言うと、ツユリは腕を組んで空を見上げた。それから首をかしげ、世界の神秘に挑むような表情で夕凪の顔を覗き込む。
「全校の女子に声をかけまくっていた男がなんですって?」
「だれでも構わず好きだって言っていれば、本当に好きなひとにも、照れずに好きだって言えるじゃないですか」
「呆れた、呆れたわ。バカにも制限速度ってものがあるわよ。しかもはた迷惑な」
 ツユリはいらだたしげに爪を噛む。夕凪は苦笑した。
「まあ、バカですよね。でも、結局なにも言えなかった僕と、どっちがバカなのかなあって」
「それで、バカの片割れの夕凪くんは、なにをしているのかしら?」
 ツユリは夕凪が手にしたメモを覗き込んだ。そこにはカリブ海からメキシコ湾にかけての地図と、大量の矢印が書き込んである。
「このあたりの海流ですよ。美汐と出逢った場所がメキシコ東端の小島で、海流とハリケーンの方向から、美汐がどこから来たか予測できないかなって」
「まだ諦めてないのね」
「美汐は、僕たちを守るって言ってました。意味はわからないけど、守ると言うからにはどこかにいるはずでしょう。絶対に見つけ出して、一緒に家に帰るって決めてますから」
「そう、なら、これはいらないわね」
 ツユリは手にした花束を風に放った。鮮やかな花弁が熱帯の空を彩り、やがて海へと還っていく。
「それにしても、よくこんなに細かく海流を調べたわね」
「海洋生物学と海流は切っても切れませんからね。うちには資料が山盛りなんでなんとか。まあ、場所が場所だけにスペイン語の資料が多くて、ちょっと読むのに苦労しましたけど」
「夕凪くん、スペイン語が読めるの?」
「かろうじてくらいは。英語とラテン語は得意なんですけど」
「ラテン語って、なんでそんなもの読めるのよ」
「なに言ってるんですか、生物の学名はみんなラテン語なんですから基礎中の基礎ですよ」
「夕凪くん、いちおう聞くけど、期末テストの成績はどうだったのかしら?」
「英語と生物以外は赤点スレスレでしたよ。あやうく補習で旅行が潰れるとこでした。化学とか数学とか、数字や記号ばっかり並べて、あれは嫌がらせですかね。専門の洋書読む方が楽ですよ。専門用語を押さえておけば、だいたい意味がわかりますから」
「あきれた専門バカね」
「それはうちの父さんだけで十分です」
「これ以上ないほどの似たもの親子よ、あなたたち。まあいいわ。それより、美汐さんがどこから来たかわかったの?」
「それが、妙なんですよね。大雑把な位置は割り出したんですけど」
 メキシコ湾の南側に円を描いた。
「そこ、海しかないわよ」
「そうなんですよ、調べても小島ひとつなくて、これって」
 言いかけたとき、船体の下から金属がきしむ音が聞こえた。同時にズズンと軽い振動が伝わる。
 他の乗客がざわついた。
「なんですかね? まさか潜水艦でもぶつかったとか?」
 どこかの古典海洋小説でもあるまいし。と思いつつ、夕凪は立ち上がってデッキから海を見下ろした。そこに見えたものにとまどい、目をこする。
 巨大な、それこそいま乗っているフェリーにも匹敵する太さの黒い影が見えたのだ。長さは想像もできない。そして、すぐ海中にとけ込むように消えてしまった。
 魚群だろうか? 何万という魚が群れると、黒く蠢く怪物のように見えたりする。
「どうかして、夕凪くん」
「いや、たぶん見間違いだと思いますけど……」
 そう口にしたとたん、真下から突き抜けるような衝撃が襲った。夕凪は手すりにつかまって揺れにたえる。ツユリがきゃっと、妙に女の子っぽい声をあげて膝をついた。
 金属のこすれる不気味な音が、振動をともなって響いてくる。飛び交う悲鳴や怒声、客たちが甲板にはいつくばり、あるいは手すりにしがみついて揺れに耐える。
「ちょっと、なによこれ、ほんとにノーチラス号が衝突したんじゃないでしょうね!」
「ネモ艦長はとっくに故人ですよっ!」
 夕凪が叫んだとたん、またしてもズンっと突き上げる衝撃。船上で悲鳴が交錯。そして、景色がゆっくりと上がっていく。いや、船体が海面から持ち上がっているのだ。ゆるり、ゆるりと何かの背に乗り上げたように。ふいに訪れる浮遊感。
「いや~! 落ちるのは嫌いなのよ――っ!」
 ツユリ先輩の口から場違いな悲鳴がほとばしる。
 叩きつけられる衝撃、巨大な水柱がそそりたった。豪雨のように降り注ぐ海水。全身を容赦なく洗い流され、夕凪たちは手すりにしがみついて耐える。
 ツユリ先輩のワンピースが、じっとりと水を吸って肌の色をうかべていた。細い指が真っ白になるくらい手すりを握りしめている。
 完全無欠かと思っていたが、怖いものはあるらしい。夕凪は腕を伸ばそうとして、だがさらなる異常にバランスを崩した。
 船体がぎしぎしと音をたてて傾いていく。立ってはいられないほどに。ツユリの指が、手すりからずるりと離れた。
 落ちていく。まるでストップモーションのように不自然な緩慢さで。ツユリの体が甲板に叩きつけられた。真っ白な顔で、それでも反射の域で受け身をとったのだろう。なんとか傾いた甲板に張り付くようにとどまった。
 だがさらなる衝撃が突き抜けた。あっさりと体をはがされ、ツユリの体が落下していく。
 夕凪は考えるより先に手すりを離していた。
 口から雄叫びがほとばしる。甲板を一気にかけ降り、ぐんと手を伸ばした。指先に触れる柔らかな感触。さらに甲板を蹴り、腕を引いてツユリの体を抱え込む。
 だが目の前に金属の手すりが迫る。その向こうは黒々とした海。甲板に爪をたて、がりがりと指先を削って勢いを殺すが止まらない。激突、手すりが脇腹に食い込み、意識に火花が散った。目と鼻の先を波がしぶく。
 ツユリがうめきながら身をおこした。
「か、借りをつくってしまったわね。わたしとしたことが、とんだ失態だわ」
「ぐ……もしかしてツユリさん輩、高いところが怖いんですか?」
「ちがうわ!」激しく即答。「嫌いなの。けして怖いわけじゃないわ。この違いは決定的よ」
 どこが違うのだろう。素朴な疑問がわきあがるが、突っ込んではいけないような気がする。
「それより、いったいなにがおきたんですか」
あたりは混沌の極みだった。いろいろなものがバラバラと海に落ちていく。疾風の姿も見えない。無事だといいが。
 ――夕凪。
 そのとき聞こえたかすかな声に夕凪の体が震えた。胸が痛いほどに甘やかに、渇きが止まらないほど求めていた声が忍び寄る。
 夕凪は海を見て慄然とする。闇色だった。陽光を浴びても照り返しひとつなく、どこまでも黒々と色のない景色が広がる。
「あれ、なによ……」
 ツユリの声がふるえた。ぬるりと、巨大な何かが海面を割って浮上したのだ。それは船にも匹敵する太さで、想像がつなかいほど長く、うねうねと暗い海面をうごめく。
 ぬらりとした表面から海水がしたたりおち、やがて闇に沈んでいく。その動きはあまりにも生き物じみていながら、そう考えることに生理的嫌悪感を覚える。
 そして、そして――
「うそ……どうして」
 ツユリが見つめる先、漆黒の海に、立っていたのだ。
 長い銀の髪が風に舞い散り、菫色の瞳が夕凪をみつめる。あまりにも美しく、あの日のままに愛らしく、ただ純粋な笑顔を浮かべて。
 いまだ記憶に残る、やわらかく淡いくちびるがひらいた。
 ――夕凪、待っていた。
 そっと伸びるほそい手指。夕凪は魅入られたように腕を伸ばした。だが、体は前に進まない。ツユリが足を掴んでいた。なにかを必死に叫んでいる。だがそれでも。
「美汐……美汐っ、美汐っ!」
 夕凪は狂おしく叫ぶ。
 美汐の笑みが暗く歪んだ。狂いかけた夕凪の理性がわずかな違和感を覚える。そして、
 ――だめっ! ナギ!
 もうひとつの声が夕凪を止めた。夕凪の腕を小さな白い手が幻想のように掴んでいる。これはなんだ、これは美汐の手だ。
 暗い海に立つ美汐が呪いの言葉を吐いた。あれは誰だ、美汐の姿をして、だが決定的に違う、あの女は。
 なにもかも混沌としていく。
 そして、漆黒の海が割れた。巨大で生き物めいたものがうねり、顎が開いて粘液をしたたらせた。船をひと飲みにする暗い口腔が迫り。
 すべてが闇に墜ちた。

 ■■■
 荒れ狂う風雨に一隻の帆船が弄ばれていた。
 二本マストの帆はすべて畳まれ、だが容赦ない暴風に押し倒されて海水をかぶる。ちいさな船体は、いつ巨大な波に消え失せても不思議はない。
 船倉には、十数人の男女が固まっていた。わずかな灯りに金色の髪がにぶく光り、白い肌は血を失って青みを帯びている。
 若者も、年寄りも、男も、女もいる。一様に震え、身を固くし、ただ祈りを捧げる。いや、身に降りかかった不条理を嘆いているのだろうか。
(これは、夢?)
 夕凪は茫洋とした意識のなかで、ぼんやりそんなことを考えた。
 現代とは思えない光景、古めかしい服装のひとびと、それをどこか遠くから俯瞰しているような感覚だった。
(これは『私』の記憶よ)
 甘やかで、なのに感情を抑えた声が囁く。
 ちいさな美汐がいた。壊れてしまいそうなほどきゃしゃな、五年前に出逢った頃のままに愛らしい美汐が。いや違うのか、この女の子は、道ですれ違ったあのときの?
(きみは、美汐じゃないのか?)
(そう、わたしは美汐じゃないよ)
 小さな美汐は寂しげに言うと、船の一角を指さした。
 その先に少女がいた。妖精めいた顔立ちは美汐とそっくりで、だけど腰まで届く髪は金色で、瞳は北国の海にも似た青色をしている。
(彼女の名前はユニス)
 ユニスと呼ばれた少女は青ざめたくちびるを震わせ、船倉の男女に視線を向けた。彼らはひたすら祈りを口にし、いやそれだけじゃない。暗い瞳をユニスむけ、こう言った。
「魔女」と。
 ユニスは口の端を歪める。
「そう、結局はそうなのね。神なんかいない。神を口にする人間は醜くて、自分勝手な詐欺師ばかり。わかっていたわ、わかっていたはずなのに、どうして私はこんなにも絶望しているの」
 声は美汐と同じだった。だが、自嘲にまみれた口調は似ても似つかない。
(彼女は小さな頃から人や生き物たちと心を通わせる力を持っていたの)
(それは、美汐と同じってこと?)
(同じものだから。違ったのは、彼女の近くにいたのが夕凪じゃなくて、新教徒の一派だったこと。彼らはユニスを聖女と祭り上げて、自分たちの信仰を広めるのに利用したの。でも、新教徒を弾圧する国教会からは魔女の烙印を押された。居場所を失った彼女と新教徒は新天地を目指して航海に出たのよ)
(聖女と魔女、ひどいな。自分たちの都合で勝手にレッテル張ってるだけじゃないか)
(そうね、そして最後は、共に旅に出た新教徒たちにまで魔女と呼ばれたわ。この絶望的な嵐は彼女が招いたものだと決めつけられて)
 その言葉に合わせたように、船がひときわ大きく揺れた。巨大な波に押し上げられ、ふっと宙に浮く。ついで急激に落下、船内を絶叫が交錯する。
 激しい衝撃、木材がきしむ不吉な音がそこらじゅうで鳴り、外からセミが羽を震わせるような気味の悪い音が連続した。マストを支えている索具が弾け飛んでいるのだ。
 つづけて巨木が裂ける音、そして天井が吹き飛ぶ。
 人の胴体ほどの太さがあるマストが船倉に飛び込み、暴れ、打ち砕く。猛烈な雨と荒れ狂う海水が容赦なく流れ込み、ひとびとを洗い流し、絶望に叩きのめした。
 ユニスは呆然と目の前の光景を見つめていた。どす黒い空から雨と風が打ちつけ、裂けた船体からは荒れ狂う灰色の海がのぞく。
(なにもかも絶望の色に見えた。体が氷みたいに冷えて、このまま死んでしまうのだろうと思っていた。そんなとき、彼女は出逢ってしまったの)
 ふと、雨が弱まった。
 空から一筋の光りが降り注ぐ。
 なんのまえぶれもなく海はなぎ、穏やかな風が船を優しく導いていく。
 水に濡れたユニスの髪がほつれて輝いた、それはまばゆい純金から色を失い、やがて鮮やかな銀へと変わっていく。瞳は北海の海の色ではなく、遙か青より遠い最果ての菫色。
 その姿は、美汐そのものだった。
(これは、どうなっているんだ)
(あれを見て)
 行く手の空に、巨大な何かがあった。螺旋にも似たねじくれた形をして、はるか高く雲を突き抜け、その高みを見ることはできない。表面は硬そうなのに奇妙に脈動している。
 巨大な存在の真下、穏やかな海面に陸地が浮かんでいた。
 さっきまで海だけが広がっていたのに、それは唐突で、なのに当然そこにあったように存在している。海岸には椰子が穏やかにゆれ、真っ白い海岸は輝くように美しい。
(それは、彼女が夢見た新天地だったの。彼女は理解したわ。あの島は自分が望んだから与えられたのだと。真実の神から)
(神って、あの巨大なもののことか?)
(少なくとも彼女はそう考えた。そして、これがすべてがはじまり)
(この光景を見せているのは君なのか? これは美汐に関係しているんだろう。僕はどうすればいい、どうやったら美汐を連れて帰ることができるんだ。知ってるなら教えてくれないか)
(ないわ)
(ないって、どういう意味だ?)
(美汐を連れて帰る方法はないの。あるのはユニスの願いを叶えるか、美汐の願いを叶えるか、ふたつにひとつだけ)
(美汐の願いって、それは)
(ユニスは世界を作り替えることを望んだ。たとえ何千万何億の人が死のうとも。でも美汐が望んだのはこの世界を守ること。夕凪や疾風やツユリがいるから。それには代償が必要だけど。そう――)
 美汐の命が。
 そう聞こえた瞬間、意識が混沌に飲まれた。

 ◇ 二 マトロタージュ

 ごぼりと、深い水底から浮かぶような感覚。
 真っ暗な景色がしだいに白みをおび、やがてうっすらと目がひらいた。黒ずんだ木の天井、それが最初に目に入ったものだった。
 ここはどこだろう。ぼんやりとそんなことを考える。なにか鼻をつく異臭が漂っていた。男の体臭を極限まで濃縮し、腐った有機物と潮を混ぜたような、全力で拒絶したい種類の臭いだ。そして波がくだける音。ぎしぎしと木材が軋む。
 そのとき、ひょいっと幼い顔がおおい被さった。
 明るい空色の瞳がくるくると動き、にっか~っと笑う。きれいに並んだ歯は犬歯が一本抜けて、小さな歯が生えかけていた。
「やっと目がさめたんだな。よかった~っ」
「ぐっ……」弾むような高い声がずきんと響く。
 少年はあちゃ~っと渋い顔をすると、潮に焼けた亜麻色のくせっ毛をわしゃわしゃかき回す。
「ごめんよ、あんちゃん。おいらすぐに声がでっかくなるって、いっつも言われてんだ」
 少年は覆い被さった体をどけると、腕を組んでうんうんとうなる。整ったきれいな顔立ちをしているが、薄汚れたシャツと汗じみた顔、そして子供っぽさが台なしにしている。いや、それよりも、少年が話しているのは、
「英語……だよね?」
 混沌とする思考から、そんな言葉をひねりだした。海に落ちたのは覚えていた。そのあとどうなったかわからない。
 カリブ海はスペインを中心にイギリス、フランス、オランダの勢力が入り乱れた歴史があって、公用語はいろいろだ。英語ならジャマイカあたり、あるいはアメリカの船に救助されたのかもしれない。
 そんなことを考えたが、少年は違う意味に受けとったらしい。不満そうに頬をふくらませた。
「ひでえよ。おいらの英語はなまってるってよく言われるけどさ、両親はれっきとしたイングランド出身なんだぜ」
「ごめん、そういう意味じゃないんだ。ここがどこだかわからなかったから」
「そっか、なあんだ。おいらはやとりちが得意でさあ。この船はイングランドの商船だよ。あんちゃんは海で漂流しているとこを運悪く拾われたんだ。ところでさ、あんちゃんはインディオかい? それとも東洋人? あ、聞いてばっかじゃダメだよな。こっちから名乗らないと。おいらはクリス、今年十二歳になったんだ。いまは臨時であんちゃんの世話がかりな」
 クリスは簡単に機嫌をなおすと、にか~っと笑った。たしかクリスというのは、クリストファーを省略したニックネームのはずだ。夕凪はひと懐っこい少年に笑みをかえした。
「僕は夕凪、日本……東洋から来たんだ」
 そういうと、クリスはユ、ユウ? とむつかしそうに口をとがらせた。
「ナギでいいよ。それと、僕をみていてくれたなら、お礼を言わないとね。ありがとう」
「よ、よせやい。照れるじゃんか。それにしても東洋人かあ。このあたりはイングランド、スペイン、フランス、ネーデルラント、北欧、インディオ、アフリカ系なんでもござれだけどさ、東洋人はめずらしいよな~」
 興味津々のクリス。
「そう? むしろこの船のほうが珍しいんじゃないか。ていうか、なにこれ、映画のセットじゃないよね?」
 夕凪はゆっくりと身をおこすと、あらためて自分のいる場所を見渡した。
 なんとも奇妙な場所だった。床も壁もなにもかも黒ずんだシミだらけの木造で、天井はかなり低い。夕凪の身長は百七十センチだが、立ちあがったら頭がつきそうだ。
 広さはそれなりだが、汚れたシャツを着た男たちがぎっしりひしめいて窮屈このうえない。しかも清潔ってなに? 食えるの? といった粗末な外見で、異臭まで漂ってる。おまけに木箱やらが無雑作におかれ、ひどくいごこちが悪そうだ。夕凪は、そんな室内の隅に転がされていた。
 なんだか難民船みたいだ。いや、それより。
「この船、もしかして傾いてないか? 沈みかけてるわけじゃないよな」
 三半規管が狂っているのでなければ、床はボーリングのピンが倒れそうなくらい水平を失っている。
 クリスはきょとんと首をかしげてから、ふふんと自慢げに鼻をならした。
「にいちゃん、船に慣れてないだろ。船ってのはさ、帆に風を受けてはしるだろ。だから風下に傾くのさ」
「帆に風?」なんの話だ。
「そうだよ。後ろから風が来てる日はいいんだけどさ、きょうみたいに横風だと、座りがわるくて困るんだよね。ま、わかんないことがあったら、おいらがいろいろ教えてやるから、どんっと聞いておくれよ」
 クリスは胸をどんっと叩いて、げほげほとむせかえる。
 夕凪は額を揉むように押さえた。どうにも話が通じていない気がする。
「ちょっと待った、まさか帆船なのか? 観光用の? それとも練習船? 日本丸?」
「なにいってんのさ、にいちゃん」
 クリスは首をかしげる。夕凪はあたりにひしめく男たちに目をやった。観光客には見えない。というか、こんな観光客がいたらイヤだ。
 そこでハっとした。
「クリス、ほかに救助されたひとは! 目が細くて死にたくなるほど怪しい男と、長い黒髪の美人をしらないか!」
「し、知らないよ、拾われたのはにいちゃんだけだって聞いたよ」
「そ、そうか」
 夕凪は肩を落とした。疾風やツユリ先輩はどうなったのだろう。船が沈んだのでなければ、そのまま乗っているのかもしれないが。
 それと、あれはなんだったのか。幻覚でないなら、怪物と、美汐が……。
「なんだい、にいちゃんの友達も漂流したのかい?」
 クリスが大きな空色の瞳で夕凪の顔を覗き込んだ。ぽんぽんと肩を叩く。
「そりゃ心配かもしれないけどさ、むしろ運が良かったと思うよ。だって、こんなガレオン船に拾われたら、人生おしまいじゃん。おいらたちみたいにさ」
 そういって、けたけたと笑ってみせた。夕凪はクリスの言葉にひっかかりを覚えた。
「あのさ、いま凄く時代錯誤なこと言わなかった? たしかガレオン船とか」
「なんだ、ガレオン船も知らないのかい?」
 呆然とつぶやく夕凪に、クリスは腕をくんで聞き返した。
「いや、知らないってワケじゃないんだけど……」
 詳しいくはないが、子供のころにメキシコで観光用のガレオン船を見たことがあるのだ。たしか大航海時代に使われていた船だったはず。
「まさか、ね。いやいや、だけど。うーん、ねえクリス、念のために聞きたいんだけど、いまはキリスト紀元何年かな、なんて」
「うえ? えーと、だれかいま何年かしらないかい!」
 クリスは薄暗い船内に声をとばした。「一六六六年だろうが、ボンクラ!」
 野太い声が飛んで、クリスは首をすくめた。
「だってさ」
 夕凪はもういちどあたりを見渡した。ひしめく垢だらけの男達たち。油染みた木造の船内はひどく古めかしくて、薄暗いというのに灯りひとつない。
 現代につながるようなものは、なにもなかった。
「十七世紀のカリブ海。たしか旅行のパンフに書かれていた」
 カリブの海賊、その黄金時代だ。

「ナギにいちゃん、ちっとは落ちついたかい?」
 クリスはひとなつっこい笑顔をうかべてマグカップを差しだした。いつのまにかナギにいちゃんと呼ばれている。
「ありがとう、クリス。喉がカラカラだったんだ」
 夕凪はなんとか笑顔をうかべると、受け取ったマグカップに口をつけた。うっと息がつまる。なんだか少し腐ったような臭いがする。とても飲む気にはなれないが、喉はヒリつくほど渇いている。それにニコニコみつめるクリスの手前もある。
 夕凪はいっきに飲み干すと、大きく息をついてカップを返した。
「いわゆるタイムスリップというやつかな。小説で読んだことはあっても、まさか自分が経験するハメになるとは思っていなかったよ」
「なんだいそれ?」
 クリスが不思議そうな顔で尋ねる。
「時間を超えて旅することだよ。僕は二一世紀の人間なんだけど、それがどういうひょうしか、この十七世紀にやってきたってことなんだ」
「へえ、そうなんだ、ふうん、なるほどねえ」
 クリスは相づちを打ってみせるが、目はナンノコトカワカリマセンと語っている。それはそうか。それにしても、なぜこうなったのか。
「美汐が呼んだの……か? それしか思い当たらないよな」
 あのときたしかに見たのだ。闇色の海に立つ美汐の姿を。いや、あれは美汐にそっくりだが、別人だ。夢で見た小さな美汐がいっていた、ユニス……なのか?
 ああややこしい。それに理由がサッパリわからない。なにもかも、あの海と同じ闇のなかだ。
「ナギにいちゃんさ、仲間が心配なのはわかるけど、いまはゆっくり休んだほうがいいぜ。じき地獄になるからさ」
「地獄? 穏やかじゃないな。まさか奴隷にされて強制労働てワケじゃないだろ」
 疲れた顔で冗談めかして言うと、クリスはあからさまに同情の視線で息をはく。
「奴隷ならよかったんだけどさ。ここに放り込まれたってことはさ、ナギにいちゃんも水夫としてこきつかわれんだよ」
「水夫ってなに? いや、ちょっと待った、僕はコンビニのバイトくらいしかやったことないんだけど」
「コンビニ? ナギにいちゃんは、わっかんないこと言うなあ。水夫っていったら船の仕事するに決まってんじゃん」
「船の仕事? いや、漂流しているところを助けられたんだから、手伝いくらいはもちろんするけど、僕はシロウトだよ、船のことなんかサッパリだ」
 いままでごく当たり前の高校生として暮らしてきたのだ。帆船なんか写真で見るくらいで、実物に乗ったことすらない。それが水夫と言われても途方に暮れる。
 だがクリスは笑い混じりのため息をついた。
「そんなの、このくそったれな船の連中が気にするわけないじゃん」
 そのとき、カンカン カンカン カンカン カンカンっと鐘の音が響いた。
「うえ、もう八点鐘だ」
 クリスは心底嫌そうな、むしろ泣きそうな顔をする。
「クリス、八点鐘ってなんだい?」
「さっき鐘が八回なったろ? あれは三十分にいっかい、数を増やしながら鳴るのさ。八回なったら四時間。地獄よりもきっつい仕事場への交代時間を知らせるいや~な音なんだ」
 クリスはぶるるっと身をふるわせた。
「いったい、どれだけひどい仕事をしているんだ?」
「うーん、おいらたちがやるのはロープで帆を動かす仕事なんだけどね。ナギ兄ちゃんも近いうちやらされるから、覚悟しときなよ。ここじゃおいらたちは家畜と同じだからね、ぶったおれるまで働かなきゃなんないんだ」
 クリスのぼやきに、近くにいた男が「ばっかやろ、家畜ならもっと丁寧に扱われんだろ」と苦々しく口をはさんだ。誰かが「違いねえ」と答える。
 夕凪の胸に不安がわきあがる。とんでもないところに拾われたのではないか。
 そのとき、ぎいっとひどい軋み音がして、船室の壁から光がさした。扉になっていたらしい。黒っぽい上衣を着たヒゲ面の男が、手にした古めかしい小銃でガツンと床を叩いた。
「このクソムシどもが、さっさと持ち場にいきやがれ! テメエらにゃ一秒だってムダな時間はねえんだからな!」
 いやみな怒声に、船室にいた男たちは重々しく立ちあがると、足をひきずって扉へ向かう。クリスもあとにつづいた。
「おい、奥の東洋人! テメエもだ! この船にゃガキを遊ばせとく場所なんかねえんだからな」
 その声に、クリスがおずおずと口をはさんだ。
「あの、旦那。ナギにい……、あのひとはまだ海から拾われたばっかで。奴隷でも一週間はやすませるって……」
「てめえらが奴隷並の待遇うけられると思ってやがんのか、ああっ!」
 クリスの言葉が終わらないうちに蹴りが飛んだ。クリスの細い脇腹にどかりと食い込み、小柄な体が軽々と吹き飛ぶ。木箱に激突し、クリスはカハっと息を吐いてうめき声をあげた。
「クリス!」
 夕凪は床を蹴ってクリスのもとに駆けつける。床に倒れた小さな体に腕を回し、そっと抱きあげた。
 クリスはうっと声をあげ、うっすらを目をあけた。意識はあるようだ。夕凪はほっと息をつく。そして振り返り、ヒゲ面の男をにらみつけた。
 なんてことをするんだ。大の男が、こんな子供に一方的な暴力をふるうなんて。時代が変わったって、卑劣なことに変わりはないはずだ。
 その視線に、ヒゲ面の男が不快そうに口元をゆがめる。
「ほう、家畜の分際で人間様に反抗する気かあ」
「こんな子供に暴力をふるうヤツが」
 人間のフリをするな、便所にでも帰って汚物にたかってろ!
 と父の研究仲間に教わった暴言ぶちまけそうになったとき、ぐっと腕をつかまれた。クリスだ。
「ナギにいちゃん、だめ……だって。士官に逆らったら殺されても、文句いえないんだぜ。法律で、ちゃんと決められてるんだって」
「そんな、むちゃくちゃな法があってたまるか!」
「それが、あたりまえなんだって。なあに、おいら殴られたり蹴られたりはなれてるからさ」
 そういって夕凪の腕から抜け出すと、「ほらっ」と、軽く飛び跳ねてみせた。顔がひきつっている。
「じゃ、旦那、そんなわけで、すぐ仕事場にいきますんで」
 クリスは夕凪の手をひいて扉へと向かった。ヒゲ面の男はにやにやとこちらを眺めている。屈服させたことに満足しているのだろうか。その陰湿な態度に腹がたったが、それ以上に自分が情けなかった。こんな小さな子供に守られて、自分はクリスになにもしてやれない。
「ごめんな、それと、ありがとう。クリス」
 クリスは振り返ると鼻のしたをこすり、照れたように、欠けた歯でにかっと笑った。
「なあに、ナギにいちゃんは、おいらの後輩だからな。面倒見るのはあったりまえじゃん」
「そうか、それじゃあセンパイ、ありがとうな」
 夕凪はやわらかい笑みを返した。

 扉の外にでると、熱帯のカラっとした風が吹き抜けた。
 目に痛い青空を背景に、ぱんっと真っ白い帆が何枚もふくらんでいた。
 圧倒的な光景だった。驚くほど太いマストが三本もそそりたち、それぞれに二、三枚の帆がつけられている。船とマストのあいだには数え切れないほどのロープが張り巡らされ、優美なシルエットを描いていた。
 ここに来て船が傾いていた理由もわかった。張られた帆が、横合いからの風をうけとめ、船を横に押しているのだ。
 それと、もうひとつ気づいたことがある。
「帆船って、横から風をうけても前に進むんだな」
 よくよく考えれば、後ろからの風でないと進めない船なんか使い物にならない。だが、こうして目にしないと実感できないこともある。
 それは新鮮な驚きで、だが同時に、
「こんな状況でなけりゃ、もっと楽しめたのにな。気分がどん底まで墜ちていきそうだよ」
「ナギにい、ボヤいてると余計キツくなるぜ。いちおう説明しとくけど、船の前とうしろが一段たかくなってるよね。あれが前甲板と後甲板。で、このへこんだ真ん中が中甲板なんだ。おいらたちの持ち場は、この中甲板にあるマストな」
 クリスはおおきく手をふりまわして船のあちこちを指さした。さきほどの仕打ちなど忘れたような明るさだ。
 夕凪はクリスの説明にうなずくと、ぐるりと見わたした。床が海水でじっとりしめって、なんとも居心地が悪い。おまけに黒々とした大砲が置かれ、不気味な圧迫感がある。
 船の後ろには装飾された豪華な楼閣があった。映画で見た覚えがある。たしか船長室や士官室になっているはずだ。
 クリスは慣れた足取りで傾いた甲板をすすむと、三本のマストを指さした。
「マストは前からフォア、メイン、ミズンっていうんだ。おいらたちの受け持ちはミズンマストだから、いちばん後ろのマストってわけさ。で、くそったれな船長の命令で、ロープを引っ張って帆桁(ヤード)をうごかすんだよ」
 クリスは「くそったれ」の部分だけ声をひそめると、いらずらっぽく歯の抜けた笑顔をうかべた。
 そこにドスの効いた声がとぶ。
「このブタどもが! ぶひぶひいっとらんで、さっさと部署につけ! ミスしやがったら海に叩きとしてやるから、覚悟しておけ!」
 船尾にある楼閣の上で男が怒鳴っていた。でっぷりと肉がついて、むしろ自身のほうがよほどブタらしい。
「あれがこの船を仕切ってるケロッグ船長だよ。この船の士官はみんな最低だけどさ、あれは中でもとびっきりなんだ。神様がブタとまちがえて地上に送ったって、みんなそういってるよ」
 クリスはそういうと、太くごわごわしたロープを握るようにうながした。
 そして、夕凪はこの日、思い知った。
 帆船は優雅で美しい、だがそれを動かすのは地獄だと。ロープにかかる力も、それを引くのに必要な力も普通ではない。
 クリスに聞いた話では、このガレオン船は三百トン近い重さがあるという。その動力は風であり、マストの帆には三百トンを動かす風圧がかかっている。
 それを人力で引くのだ、並大抵ではない。
 絶え間なく飛ぶ船長の怒声。それにあわせて帆桁から伸びる動索(ロープ)を三、四人の水夫が力を合わせて引く。
 滑車を通しているとはいえ、異常な重さが体をひきずる。荒いロープが手の平に食い込み、情け容赦なく皮を削り、血が滲んだ。
 そして平然とふるわれる暴力。少しでも力を抜けば、見張りの士官が即座に銃のグリップを叩き込んでくる。骨がきしむような打撃、そして少しでも反抗的な目をすれば、それだけでもう一発叩き込まれる。
 そこかしこで水夫たちのうめき声があがった。士官たちの嘲笑。なかには、ただ殴るのが楽しくてやっている。そんな士官もいた。
 手を滑らせ転んだ夕凪を三人がかりで蹴りつけた士官たちがそうだった。順番に蹴りを叩き込み、誰が一番大きな声を出させるかで賭けをしていたのだ。
 そんな理不尽に水夫は文句ひとついう権利もない。クリスやほかの水夫たちが言っていたとおり、ここでは士官は人間、水夫は家畜以下なのだ。そして、夕凪もそのひとりだと、いくつもの打撲が思い知らせた。
 やがて陽が落ち、あたりがすっかり暗くなった頃、
 カンカン、カンカン、カンカン、カンカン。
 八点鐘が鳴った。夕凪は鐘の音がひとつふたつと増えるのが、これほど待ち遠しいと思えたことはない。これに比べたら学校の終業チャイムの楽しさだって、せいぜいあめ玉一個ぶんくらいの価値しかないだろう。たぶん。
 夕凪は疲れ果て、死者の群れのようになった水夫たちと、のろのろと船倉に向かった。
 だが足が言うことをきかない、もつれるように中甲板に倒れ込んだ。
「なんで、こんなことに、なってんだろうなあ」
 美汐を探しに来たはずなのに、なんの因果で十七世紀のガレオン船で水夫をやって、しかもこんな理不尽な扱いを受けるハメになったのだ。これじゃ美汐を連れて帰るどころではない。
 ――ないわ。
 ふと、小さな美汐の声が蘇る。美汐を連れて帰る方法はないのか。いや、そんなはずはない。なにがあっても美汐を連れて帰る。そして、何も言えなかった自分の想いを伝えよう。
 だが、どうすればいいのだろう。この時代にやってきたことに意味があるのだろうか。あるにしても、この船に乗っている限りどうにもならない気がする。
 大きくため息をついたとき、となりにクリスがべたりと座りこんだ。
 ケホケホと苦しそうな咳を繰り返し、ほうっと息をつく。
「クリス、体の具合が悪いのか? 辛そうな咳してたけど」
 かすれる声をかけると、クリスはにいっと欠けた歯をむきだし、にししっと照れたように笑う。
「心配ないって、たいしたことないから。それよりだいじょうぶってのは、おいらのセリフだぜ。おもってたより頑丈じゃん。おいらが最初に仕事したときは、気ぃうしなっちまったんだぜ」
「これでも年上だからね、これくらい余裕だって。いや、うそ、ほんとはもう限界。体力尽き果てたうえに蹴られた体が痛くて最悪だよ」
 夕凪は仰向けのまま空を見上げた。星々が雲のような濃密さで天空を縦断していた。
 あまりも近い天の星は、美しさ超えて怖くさえある。いまにも降り注いできそうな、あるいは空そのものが落ちてきそうな錯覚を覚えた。
 星はこれほど輝いているのに、なぜこの海は理不尽に満ちているのだろう。
 ふと気になって、夕凪はクリスにたずねてみた。
「クリスは、なんでこんな船に乗ってるんだ?」
「こんなひょろっこい体なのに、かい?」
 クリスは星空に腕をのばした。他の水夫と比較するまでもない。女の子のようにきゃしゃだった。クリスは腕をもどすと、「おいら、強制徴募なんだ」と言葉をつづけた。
「強制、なんだって?」
「軍艦や商船は、入植地の街から水夫をむりやり集めていいことになってんだよ。それが強制徴募さ。おいらたちは水夫狩りって呼んでるけどね」
「むちゃくちゃだな。それじゃ誘拐と同じじゃないか」
「なにいってんだい。ほんとに誘拐されて水夫にされる子供だっているんだぜ。おいらは鶏の餌みたいな賃金もらえるだけマシさあ。って、いってもムナしくなっちゃうな」
 クリスはシシシと笑った。
「それにしても、ナギにいちゃんは、ほんと世間知らずだよなあ。もしかして裕福な商人のぼっちゃんだったのかい? そういや着ている服も上等だもんな」
「上等? 自慢じゃないけど、上等な服なんて七五三くらいしか……」
 夕凪はいいかけてやめた。いま着ているのは量販店で買った茶色のズボンと白いシャツだ。服にかける金があるなら本か海水魚の飼育用品に金をつぎ込むタチなので、ついぞ高級な服など買った覚えはない。おまけにずいぶん薄汚れている。
 だが、クリスの服は、ほとんどボロ布だ。それに比べれば上等なシロモノに違いない。安物だと言ってもイヤミになるだけだろう。
「まあ、似たようなものかな。商人じゃなくて学者だけどさ」
「ふうん、それでナギにいちゃんも物知りなんだ。でさ、話を戻すと、うちのとうちゃんは漁師をやってんだけど、そこに水夫狩りがやってきて、とうちゃんを連れて行こうとしたんだよ。うちにはちっこい弟や妹が三人もいてさ、とうちゃんつれていかれたら食ってけないんだ、だから……」
「もしかして、自分から身代わりになったのか?」
「ま、そうゆうことさ」
 クリスはしししと、歯の間を通す音をならした。
 こんな子供が、家族を守るために自分を犠牲にしたのか。ここは不条理が大手をふって歩いている。だけど、それでも、まっすぐな人間はいるのだ。
「クリスは、すごいな」
 クリスはしばらく黙っていると、ぷぷっと吹きだす。
「ナギにいちゃんは大げさだなあ」
「いや、クリスはすごい、本当にそう思う」
「へへっ、みそっかすのおいらにそんなこと言ったの、ナギにいちゃんがはじめてだぜ。へんだよな、年上なのにえらぶらないし」
「だって、クリスのほうが先輩なんだろう」
「だから照れるじゃんかって。それより、ナギにいちゃん、さっきから星ばっか見てるけどさ、好きなのかい?」
「特別に好きってわけじゃないけど、ここから見る星はきれいだなって。そうだ」
 夕凪はボロボロの体を引きずり起こした。体中がギシギシ痛んで悲鳴をあげる。少しばかり顔をしかめ、舷側から暗い海を見下ろすと、クリスを手招きした。
「クリス、まだ立ち上がるくらいの体力はあるか?」
「うん? まあそれくらいはね」
 そういってヨタヨタと起き上がると、夕凪の横に並んだ。同じように海を見下ろし、そして息を飲む。
 海が光っていたのだ。
 ガレオン船が海をかきわけるたび、仄かな輝きが生まれ、曳き波が光りの航跡を描いて、それはまるで月の光を暗い海に溶かし込むような、神秘的な光景だった。
「おいら夜の海って怖くてさ、いままで見ようなんて思わなかったんだ。こんなにすっげえなんて知らなかったよ」
「あれは夜光虫っていうんだ。正しくは渦鞭毛藻って、藻類と動物プランクトンの中間生物だね。こいつの面白いところは、れっきとした植物の仲間なのに光合成をしないところなんだ。分類学でも扱いに困ってさ、植物と動物の両方で……って、クリス?」
 クリスの目は焦点を失っていた。
「はう? そーなんだ、へえ、すごいや」
「どうして、僕が話をすると、みんなそうやって不思議そうな顔するんだろうな。こんなに面白いのに」
「ナギにいちゃん、それ本気かい?」
「えっと、なにが? とにかくさ、わかりやすく言うと、夜光虫っていう小さい生き物が、船にぶつかったショックで光っているんだ。ひとつひとつは小さいけれど、無数にあつまれば、あんなきれいな光景になるんだよ」
「ふへ~、それならわかりやすいや。でもさ、その夜光虫って、なんでわざわざ光るんだい? 灯りがなくちゃまわりが見えないとか?」
「実はよくわかってないんだ。意味もなく光ってるって説もあるよ」
「ふーん、もしかしたら、おいらたちはここにいるぞ~って教えてるのかもしんないよ。だってさ、人間だって生きているうちに光りたいって思うだろ。じっさいは地味に生きるのがせいいっぱいだけどさ、あの虫たちはきっと、自分はここにいるぞ! って目いっぱい光って教えてるんだよ、きっとさ」
 クリスは欠けた歯を見せて笑う。それからちょっと照れたように下をむくと、おずおず切り出した。
「なあ、ナギにいちゃん。おいらとマトロにならないかい」
「マトロ? ごめん、聞いたことがないんだ」
 唐突な話題にとまどっていると、クリスはちょっと自慢げに表情を輝かせた。
「ほんとうはマトロタージュっていって、バッカニアの言葉さ」
「えーと、たびたび悪いんだけど、バッカニアってなに?」
「ナギにいちゃんって、物知りなのに世間知らずだよなあ。バッカニアっていったら、カリブを荒らし回る海賊に決まってんじゃん。片手にピストル、片手にカットラス、スペインの輸送船から銀をぶんどり、自由と正義のために戦う男たちなんだぜ」
「輸送船からブン取るのに正義なのか?」
「あったりまえじゃん。でさ、バッカニアはみんな仲間の結束が強いんだけど、マトロを組んだふたりは、とくべつな信頼で結ばれるんだ。二人はいつも一緒に行動して、楽しいことも、つらいことも、なにもかも分かち合うんだぜ。持ちものもふたりで一緒に使うんだって。おいらにゃ持ち物なんかないけどさ」
 にゃははと笑うと、クリスは真剣で、そして不安そうな声になった。
「ナギにいちゃん、もしかしていやかい」
「クリスの相棒なら光栄の至りだな」
 夕凪は即答した。クリスは「て、照れるじゃんか」と顔を赤くする。
「なら、今日からおいらたちはマトロだぜ。喜びも悲しみも」
「僕たちふたりで分かち合おう」
 夕凪とクリスは拳をかるく突きあわせた。
 その日、夕凪はこの場所にきてはじめての友を得た。年下の、ひょろっと小さくて。だが、それは何よりも嬉しいことで。酷い現実のなかに生まれた確かな暖かさだった。

 ◇ 三 兆し
 
 小汚い木の皿に載っていたのは、薄っぺらく、そのくせ革のようにかたいパンだった。しかもところどころ腐って変色し、うねうねと白いウジが伸びちぢみしている。
 こんな食事が一週間もつづいている。何度見ても吐き気をもよおす光景だ。
 だがクリスは「こんなんでも食わないと体がもたないぜ」と、こともなげに口にほうりこむ。顔はあきらかに嫌がっていたが。
 夕凪は目をつむって、ウジつきのパンを口に押しこんだ。味など確認したくないが、ぷちぷちつぶれる感触と、どろりと流れる体液がイヤでも口にひろがる。
「それにしても……」
 臭い水でまるごと飲み下し、夕凪はなんとはなしにつぶやく。
 腐っているのはともかく――いや、ともかくで済ませたくはないが、それは百歩ゆずって――こんな偏った食事で、ほんとうに体が持つのだろうか。毎日のように堅いパンとカピカピのチーズがひとかけ。たまに異臭のするオートミールが出る程度だ。
 と、部屋のすみで、誰かがふたりの士官に運ばれていく光景が目にはいった。手と足を掴まれ、ひどく乱暴な扱いだ。運ばれる男は陽に焼けているはずの肌が真っ白で、口から血を流していた。
「なあクリス、あのひとは病気なのか?」
 たずねると、クリスはもごもごうごかしていた口の中身をごきゅっとのみくだし、ふうと息をついた。
「あれは壊血病だよナギにいちゃん」
「ずいぶんつらそうだけど、だいじょうぶかな」
「大丈夫もへったくれもあるか。ありゃ海に捨てんだよ」
 答えたのは近くにいた水夫だった。目がぎょろっとした、半ばはげ上がった男だ。夕凪はぎょっとした。病人を捨てる?
「じょ、冗談……だろ?」
 夕凪の言葉に誰も応えない。夕凪は立ちあがった。なにか考えたわけじゃない。衝動で扉に駆け、中甲板に飛び出す。
 熱い風が横合いから吹き抜けていく。夕凪は照りつける日差しを手をかざして遮った。そして、見たのだ。ふたりの士官が勢いをつけ、男を海に放り捨てるのを。
「やめろ――っ!」
 叫んで腕を伸ばす。だがなんの意味もなかった。海に白い水しぶきがあがり、弱々しく水面から突き出された腕が、やがて波間に消えていった。
 残るのはただ波を割った航跡のみ。
「うそだろ」
 ひどい時代だと思っていた。非道がまかりとおる時代だと理解したつもりだった。それでも、これはなんだ。こんなことが許されていいのか。
 夕凪は握りしめた拳をふるわせる。
「ナギにいちゃん」
 ためらいがちなクリスの声が聞こえた。
「あれも、あたりまえなのか」
「ここじゃ働けない水夫はゴミといっしょなんだ。だから海に捨てられちまうのさ。おいらたちも、いつああなるかわかんないんだぜ」
 クリスが答えると、あとについてきたはげ上がった男がケッと、吐き出した。
「そういうこった。奴隷のがまだマシだぜ。奴隷は売り買いできる立派な資産だからな。死んだら損する。傷つけても価値が下がる。だけどな、オレ達は拷問したって価値はかわらねえ。死んだって後払いの賃金払わなくていいだけだ。だから年期があけるまでに半分が死ぬ、水夫ってのはそういうもんだ」
夕凪は拳が白くなるほど握りしめた。
「そんなこと、許されるわけない。許されていいわけないだろ」
 この船は優雅に帆をまとう牢獄だ。水夫はその牢獄に繋がれた囚人に等しい。だが、ここにいる水夫たちが何をやったというのだ。なにひとつ罪を犯したわけじゃない。ただ水夫として狩り集められただけだ。
「ナギにいちゃ……ケホっ」
 クリスの咳き込む声にふりかえった。ちいさな手の平に、うっすらと血がにじんでいた。はげ上がった男が哀れむような目をクリスに向けている。
 夕凪はかすれた声を絞り出した。
「まさかクリスも壊血病なのか?」
「し、心配ないって、おいらはまだ軽いからさ」
 クリスは腕を頭の後ろにまわして、にははと笑う。欠けた歯から空気がもれた。
「だめだ」
「ナギにいちゃん?」
「心配くらいさせろクリス。なんとかなおす方法ないのか?」
「船乗りの病気だから、陸で暮らしてりゃ、そのうち治っちまうみたいだけどさ……や、やだなナギにいちゃん。そんな真剣な顔しなくったって、年期があければ、ぱあっとなおっちまうって」
「年期って、あとどれくらいなんだ?」
「二年、かな」
 夕凪は病気についてはシロウトだ。壊血病の症状がどれくらいで末期になるかわからない。だが、二年も持つのか? とても、そうは思えない。
「みんなが助かる方法、ないのか」
「あるぜ」
 はげ上がった男の声に、夕凪ははじけるように振り向いた。
「どんな方法が!」
「反乱起こすんだよ。つーてもな、こっちにゃ武器もねえ。失敗すりゃクサリにつながれて、陸についたら縛り首だ。ま、おりゃゴメンだな」
 はげ上がった男は首に手をやって、うえっと舌を見せた。
「あとはバッカニアが襲ってくるのを神様に祈るこった」
「バッカニアって海賊だろ。そんなのに襲われたら、僕たちだって無事じゃすまないんじゃ」
「なにいってんだい、ナギにいちゃん。バッカニアは自由に生きる海の男なんだぜ。非道なんかするわきゃないじゃん。ジャマイカの規約をしらないのかい」
 クリスは剣をもったフリをすると、空色の瞳をきらきら輝かせて腕を高く掲げた。
「バッカニアは常に勇気をもって強者と戦い、慈悲をもって弱者に手をさしのべよ。それがバッカニアの正義なり~。ってさ、バッカニアは陸の法律なんか丸めて鼻かむくらいにしか思ってないけどさ、自由と正義と仲間を守る掟は絶対なんだ。かっこいいよな」
 はげ上がった男が苦笑する。
「ガキの寝言はともかくよ、バッカニアは俺たちみてえな水夫あがりが多いんだよ。クソ士官どもに痛いめみせられた仲間だからな、水夫にゃ手をださねえ。仲間にだって入れてくれる。ほんとに、襲ってこねえかな。こんな牢獄で死ぬくれえなら、バッカニアになったほうがマシだぜ」
 はげ上がった男は、もういちどケッと吐き出した。
 海賊か……。夕凪の頭にあるのは、アトラクションや物語のかっこいい姿と、凶悪で容赦ない犯罪者集団という両極端なイメージだ。
 実物など想像しようもないが、この船に乗り続けるくらいなら、海賊になったほうがマシ、という気持ちはわからなくもない。
 夕凪にしても、こんな船にいつまでも乗っているわけにはいかない。
 美汐を連れて帰るのだ。夕凪はそのためにカリブまでやってきた。いや、もうそれだけではない。マトロタージュとなったクリスのことだって守りたい。
 そのためには、この船の士官たちをどうにかするしかない。手っ取り早いのは反乱だろうが水夫たちの協力を得られなければ話にならないし、リスクが高すぎる。
 かといってバッカニアの襲撃を待っていてもラチがあかない。
 なにか方法はないのか。
――自分はここにいるぞ! って目いっぱい光って教えてるんだよ、きっとさ。
ふと、クリスの言葉が思い浮かんだ。
 もしかしたら、いや、手はある。
「夜光虫だ。ここにいるって教えればいいんだ」
 夕凪の言葉に、はげ上がった男とクリスが「はあ?」と奇妙な顔をした。夕凪は頭の中でぐるぐると漂う考えを、ゆっくりと形にしていく。
「そう、こっちから目印を送ればいい。たとえば木箱を使う。あとは空き瓶、それに……」
「ちょ、ちょっとナギにいちゃん、なに言ってんのさ。わかるように教えておくれよ」
「なあクリス、この船は近いうちに陸に立ち寄ったりしないかな」
「ええと? 水の補給でときどき航路の島に寄るみたいだけど」
「ならいける。あと、レバーは手にはいるかな」
「そんなもん、おいらたちの口に入るわけないじゃん。船じゃブタとか鶏も飼ってるけど、手ぇつけたら縛り首もんだよ。まあ、せいぜいネズミのレバーくらいかな」
「それだ、ネズミを捕まえよう!」
「ナギにいちゃん、いくら腹減ってるからって、そこまで墜ちちゃいけないと思うな、おいら」
「食べないよ、っていうか僕をどんな目で見てるんだ。それと、ちょっと頼みがあるのだけど。えーと」
 夕凪ははげ上がった男に言おうとして困った。そういえば名前を聞いていない。
 男は苦笑した。
「バーナードだ。で、頼みってのはなんだよ」
「それは……」

 薄暗い船倉で男たちが息をひそめていた。
 夕凪はその中心であぐらをかく。となりにはクリスがちょこんと座る。
 正面に座る、はげ上がったバーナードが低くうなった。
「反乱を起こすってのか」
 夕凪がうなずくと、ざわめきが広がる。
「だけどよ、どうやって。武器もねえんだぜ。そのうえ、失敗したら縛り首だ」
「だいじょうぶ。僕たちはリスクを負わないで反乱を起こすんだ。そのためにバッカニアを利用する」
「いみわかんないよ、ナギにいちゃん」
 クリスが不満そうにくちびるを尖らせた。
 夕凪は表情を引き締めると、
「正直に言えば、運頼みの確率を少しあげるくらいのものだけど」
 そう前置きして考えを説明していった。どよめきが起こり、やがて静まる。バーナードにぃっと口元をゆるめた。
「やってみるだけならタダだな」
 同意する声が広がっていく。面白そうだ。このまま死ぬよりマシだ。そんな声がひそやかに飛んだ。
「ガキ、名前はなんつったか」
「夕凪だよ」
「ユ、ユウ?」
 夕凪は苦笑する。
「ナギでいいよ」
「そうか、ナギ。少しばかり気に入ったぜ」
 バーナードはそういって、夕凪の背を力任せに叩いた。むせる夕凪を、他の水夫がバンバンと遠慮なく叩いていく。最後にクリスがにかーっと笑い、パンっと手を打ち合わせた。
 ◇ 四 バッカニア! バッカニア! バッカニア!

 船は島の近くに碇を降ろしていた。水を補給するための停泊だ。
 椰子の生えた美しい海岸が広がっているが、水くみにかり出された水夫以外は船に取り残されている。いまはそのほうが都合がよいのだが。
「ナギにいちゃん、こんなんでいいのかい?」
 クリスは『採集器』をぶら下げてみせた。ラム酒の空き瓶に、ロープをほどいたヒモをかけたもので、中には新鮮なレバーが入っている。もちろん船で捕まえたネズミのものだ。
「うん上出来だ。クリスは器用だな。あとは海の底に沈めるだけなんだけど、見張りはだいじょうぶかな?」
「し~んぱいないって。どうせやる気ないから。ラム酒かっくらってんの見たから、じき居眠りしちゃうぜ、きっと」
「呆れた職務怠慢に感謝だな」
 言いつつ、ビンをするすると海に降ろしていく。あとは待つだけだ。
 そして、その日の夜。
 船倉の隅に集まった水夫たちの真ん中で、夕凪とクリスは海水の入ったラム酒の空き瓶を並べた。ほうっと、低い息が流れる。
 ビンが輝いていたのだ。いや、ビンの中を小さな生き物が泳ぎ回り、ときおり青白く光るラインを描いていく。
「ウミボタルだよ。肉食性の小型甲殻類で浅い海に住んでいるんだ。ウミボタルはルシフェリンとルシフェラーゼの酸化反応で発光するんだけど、これの効率が凄いんだ。知ってるかい、蛍光灯の発光効率は」
「ナギにいちゃんさ……」
 なぜかクリスは呆れ声だ。おかしい、これ以上ないほど面白い話なのに、どうしてこんな反応をするのだろう。不条理だ。
 いや、まあ、いまは計画の話か。
「とにかく、ビンに海水を半分、空気を半分いれて栓をしておけば、何日かは光ってくれるはずなんだ。板のほうはどうかな?」
「おうよ、食料の空き箱をこっそりバラしておいたぜ。にしても、いい匂いすんな。中身はこりゃ燻製肉だったみてえだな。ちくしょー、士官どもだけいいモン食いやがってよう」
 などと言うバーナードに促されて、数人の水夫が抱えた板きれを床においた。
「これだけの大きさと数があれば十分だよ。あとはメッセージを刻み込んで、ウミホタル入りのビンをくくりつけて流すだけだ」
「だけどよ、こんなんでうまくいくのか?」
「そう言われると困るけど。正直に言えば運次第だよ」
 夕凪は天井を仰いだ。
 作戦はものすごく単純なものだ。板きれに船名や日付、目的地、そして、いちばん重要なこと。襲撃にあわせて水夫が反乱を起こす約束を書き込んで海に流すのだ。ウミホタルは夜間用の標識ブイみたいなものだ。
 そう、こちらからバッカニアを呼び寄せるのだ。小型船を使った小規模なバッカニアでも、内応があるなら乗ってみようと思うかも知れない。たしかに運次第ではあるのだが、
「バッカニアだって獲物を探してるんだろ。漂流物には目を光らせているはずだし、光ってればなおのこと気にするはずだよ。ちょうどいまは月がほとんどないから、夜の海ならウミホタルの光でも十分に見えるはずだしね」
 以前、海に関する本で、夜の海ではタバコの火が何キロメートルも離れた場所から見える、といった話を読んだことがある。本当かどうかわからないが、暗い夜の海を実際に目にすると、あながちウソとも思えない。
「あとはバッカニアがいるかどうかが問題かな。海といっても広いしね」
「そいつは、あんまり問題ねえだろ」バーナードが腕を組んで自信ありげに答える。「船ってのは、自由気ままに航海してるわけじゃねえ。潮の流れや風向き、補給拠点、荒れる海域かどうかを考えて、一番安全で早いルートを選ぶんだ。こいつを航路っていってな、かなりの船が同じ航路を使う。バッカニアだってそこを狙うに決まってんだろ」
「なら、さっそく見張りの隙を見て海に流そう。僕らの自由を取り戻すんだ!」 
 夕凪の言葉に、男たちが声をひそめて、おお! と腕を上げた。
 それから数日、誰もがこの作業に熱中した。もしかしたら、ある種の現時逃避に近い感情だったかもしれない。だが、それを願うくらいに船の生活は最悪だったのだ。
 しかし五日たち、七日たち、十日をすぎても、バッカニアはあらわれなかった。数日前に船が少し離れたところを併走しているのを見つけたが、掲げているのはイングランドの旗だった。
 バッカニアだとしても同じイングランドの船は襲わないという。期待に高揚した気分は落胆へと変わり、けだるだが蔓延していく。
 カンカン、カンカン、カンカン、カンカン。今日も八点鐘が鳴る。
 夕凪は重い足をひきずりながら、持ち場へ向かった。と、中甲板のまんなかに人だかりができている。メインマストを中心に水夫たちがぐるりと環をつくっていた。
 交代時間のはずなのに? 不思議に思って水夫たちの隙間からなかを覗き込むと、見慣れた姿がある。夕凪は思わず声をあげた。
「クリスじゃないか? あんなとこでなにをしているんだ?」
 クリスは士官に呼ばれて、ひと足先に甲板へ出ていたはずだ。それが水夫たちが遠巻きに見守るなか、甲板に座り込んでロープをいじくっている。泣きそうな顔に見えるのは気のせいではないだろう。
 クリスのまえに、でっぷり太った三角帽の男、ケロッグ船長が偉そうに腕を組んで立っていた。にやにやと嫌らしい顔でクリスを見下ろしている。
 嫌な感じがする。前に出ようとして、がつりと肩を掴まれた。
 振り返ると、はげ上がったぎょろ目の水夫、バーナードが夕凪にゆっくりと首をふった。
「やめときな。ありゃ『九尾の猫』をつくらされてんだ。余計な口出しすると、おめえも巻き込まれるぞ」
「九尾の猫?」意味がわからずオウム返しすると、バーナードは苦虫を噛みつぶすような顔で答える。
「……ロープをほどいて九本のヒモにする。その先っぽを強く縛って丸めると、即席の九本鞭になるんだよ。こいつで叩かれると、背中の皮がひっぺがされる。あのケロッグ船長は、そいつをわざわざ自分でつくらせやがんだ。ゲス野郎が」
 一瞬、バーナードが言っている意味がわからなかった。それから、ぎょっとして聞き返す。
「鞭で打つっていうのか? クリスを? どうして」
「あのガキは、ケロッグ船長のところにラム酒をもってけって命令されたんだよ。ブタ野郎は酒で景気つけて指揮しやがるからな。で、そいつをこぼしちまった」
 夕凪は続く言葉を待った。ひと呼吸、ふた呼吸、だがなにもない。つまり、たったそれだけの理由なのだ。酒をこぼした。それだけで、あんな子供を鞭打ちするというのか。
「ふざけているのか! どこまで腐ってるんだ、クリスはまだ子供だぞ、それを!」
「だから、余計なことすんじゃねえってんだよっ」
 バーナードが夕凪の首根っこを押さえ、声にドスをきかせた。
「だけどっ!」
「騒動を起こせば、ほかの水夫までバツをくらいかねねえんだよ。それに、むち打ちは十二発以上やっちゃならねえってイングランドの規則もある。死にゃしねえよ……」
 バーナードは最後の言葉を口のなかで濁した。
 だが聞こえた。たぶんな、と。それはつまり、むち打ちで死んだ水夫を見たことがあるって意味じゃないのか。なら、ただでさえ体が小さなクリスは……。
 夕凪はくっと唇を噛みしめる。そうこうしている間にクリスはメインマストを抱くような格好で縛り付けられていた。その足がかすかに震えているのに気づいて、夕凪の心臓が締め付けられる。
 見守ることしかできないのか。くやしさを噛みしめる夕凪の目前で、鞭が高々とあがり、しなった。空気を甲高く切り裂き、クリスの背がはじける。
「くきゃあああ――っ!」
 女の子のように高い悲鳴。シャツの背がさけ、じっとりと血がにじんだ。たった一発でクリスはぐったりと肩を落とし、大きく息をくりかえす。
 それをにやにや楽しげにながめるケロッグ船長、そして周りで銃を手にした士官たちが「一回」と大きく声を揃えた。それも笑いを含んだ声で。
 見せ物だ。こいつらにとって、痛みに悲鳴をあげるクリスは、船上の退屈をまぎらわす娯楽でしかないのだ。
 なんてやつらだ。ほんとうに、クリスと同じイングランド人なのか。
 怒りに震えるうちにも、鞭は無情にふるわれていく。「二回」「三回」「四回」鞭が鳴るほど士官たちの声は大きく楽しげになる。そして、クリスの悲鳴は、反対にどんどんと小さく消え入りそうになっていく。
 ひゅんっと、またしても空気が切り裂かれる。そして「五回」とはやし立てるような声。
 クリスは力を失い、ぐったりと縛られたロープにぶら下がった。
「いいかげんにしろっ!」
 それが自分の声だ、と気づいたときは、少しだけ驚いた。だが止まらない。もはや我慢の限界だったのだ。
「そんな子供を鞭打ってなにが楽しいんだ! それが大の大人のやることか! 恥ずかしいとか、みっともないって感情は海に捨ててきたのか!」
 夕凪はバーナードを振りはらい、甲板を蹴って、クリスとケロッグ船長の間に割り込んだ。後ろからバーナードの怒声が聞こえるが、知ったことではない。
 膨れあがった腹をゆらすケロッグ船長に怒りの視線を叩きつける。
 ケロッグ船長は「ほほうっ」っと興味深げに脂肪のついた頬をゆらすと、ことさらイヤミったらしく口をひらいた。
「飼育小屋の豚が、この私に命令するとは、たいしたものだ」
 その声と同時に、まわりにいた士官たちが銃口を一斉に夕凪へ向けた。こいつらは水夫を撃つくらいなんとも思っていない。船長の命令があればあっさり夕凪を撃ち殺すだろう。だけど怯むわけにはいかない。
「そんなんじゃない。でもやりすぎだろっ。酒をこぼしただけじゃないか、こんな酷い仕打ちをする必要があるのか! どうかしているぞ!」
「ほうほう、これは勇気のあるブタもいたものだ。拍手をくれてやろう」
 ケロッグ船長が嗜虐的な笑みを浮かべると、まわりの士官たちが銃をおろし、ばらばらと拍手を鳴らした。
 まちがっても誉められているとは思えない。むしろ気分が悪くなってくる。
「さて、私としても、これほどの勇気にたいして、温情を示さないわけにはいかんだろうな。そうだ、そうしよう。むち打ち刑は十一回。残り六回をおまえが受けるなら、その小ブタは解放してやろうじゃないか」
 ケロッグ船長は鞭をクリスに向けると、たるんだ腹を小刻みにゆらした。
 柱にくくりつけられたクリスが、かすれる声をもらした。
「ナギにい……、やめて、おくれよ。おいらが、わるいんだから。ナギにいちゃんまで、痛い目みること、ないって」
「違うだろ、そんなはずない」
「え?」
「クリスは何も悪くない。だからそんなこというな」
 穏やかに声をかけると、夕凪はクリスを守るように覆いかぶさった。ケロッグ船長に背を向ける。
「ほんとうに解放してくれるんだろうな」
「ああ、もちろんだとも。私はジェントルマンだからなあ。約束は守るとも!」
 声と同時、鞭が空気を切り裂いた。バラバラと弾けるような連続音。九本に別れた猫のしっぽが背に食い込んだ。皮膚を食い破られる激痛、夕凪はぐうっと悲鳴を押し殺し、肩をふるわせて耐えた。
 たった一発で体中が壊れそうな痛みが駆け抜ける。こんなものを、クリスは小さな体でうけていたのか。
 腕のなかのクリスは、涙で顔をぐちゃぐちゃにして、「ナギにい……ナギにい……」と、ただそれだけを繰り返していた。
「いいんだ、クリス」
 そう声をかけた瞬間、肩に鞭が食い込んだ。激痛に息を飲む。バラバラとたたみかける九本の鞭が、あやうくクリスの顔に叩きつけられそうになる。
「おおっと、そこから動いちゃいかんぞ。逃げたとみなすからなあ」
 ケロッグ船長は笑いをこらえるように声をふるわせた。いまのは狙ってやったのだ。どこまで腐った男なのか。夕凪はクリスを守るために背筋を伸ばした。
 そこに容赦なく鞭が叩きこまれる。意識がもっていかれそうな激痛、士官たちが「八回」と声をあわせた。
 つぎつぎと叩き込まれる鞭、背の皮がはじけ、飛び散った血が床をぬらし、脚が震えた。そして最後の、十一発目の鞭が弾け、士官たちが声をあわせた。
「十回」
「なっ!」夕凪は振り返った。ケロッグ船長はぶよぶした頬をゆらして、にたにたと笑っている。夕凪は理解した。約束を守るつもりなどなかったのだ、この男は。
「なにをしている、あと一回だぞ。それ、むこうをむけ」
 夕凪は悔しさに歯をくいしばった。とたんに背で弾ける鞭、肉がいやな音をたて、もはや痛みなのか、しびれなのか、それさえもよくわからない。足ががくがくと震え、夕凪はその場で膝をついた。
 追い打ちをかける士官たちの「十回」の声。
「おやおや、あと一回だというのに降参か。残りはその子豚に代わってもらってはどうかね」
 ケロッグ船長はげひゃははと、下品に笑う。夕凪はよろめきながら立ちあがった。クリスに覆い被さり、無言で意志を示す。
「もう、もうやめておくれよ。なんでここまでするんだよ、ナギにいちゃんは関係ないだろ」
「……クリスは、僕を裏切る気か」
「な、なにいってんだよ、ナギにいちゃん?」
「僕たちはマトロなんだろ。楽しいことも、つらいことも、分かち合うって誓ったじゃないか。それを一方的に破るのは裏切りじゃないのか」
 クリスは瞳を大きく開いた。涙があふれ、ぼろぼろとこぼれ落ちる。鼻水まじりの声でクリスは答えた。
「ナギにいちゃんバカだよ。もう半分こえちまってるじゃんか。わかちあってないじゃんかよう」
「悪い、数学は苦手なんだ。それに、僕はよくばりだから分け前は多くほしい――」
 言葉が終わるのを待たず鞭が空気を切り裂いた。衝撃に夕凪はぐうっと声をもらす。
「ナギにいちゃん!」クリスの悲鳴に、「十回」という士官の声が重なる。
「ゲス野郎が!」
 唐突に声がとんだ。音が絶え、その場が静まりかえる。
 声はまわりを取り囲む水夫から聞こえたのだ。
「なにか言ったか」
 ケロッグ船長はお気に入りの遊びを邪魔された子供のように、不機嫌まるだしで甲板を鞭うった。鋭い音が幾重にも響く。士官たちが一斉に銃を構える。
 危険な空気が漂った。水夫たちは怒りに顔をゆがめ、殺意さえこもった視線を向ける。
「死にやがれブタ野郎!」
 また声が飛んだ。ケロッグ船長はきぃっといきり立つと、腰のベルトにはさんだ指揮刀を引き抜き、ぐるぐると振りまわす。
「いま言ったやつ! 前にで――」
 ケロッグ船長の言葉を、ドンっと空気を揺るがす連続音がかき消した。ついでプロペラのように唸る不気味な音。回転する細長いものが何十と飛来し、複雑に張り巡らされた索具を引きちぎり、風をはらむ帆を切り裂く。
 なにが起こったのかわからない。夕凪の目の前で支えを無くした帆桁が風に暴れ、切られた索具が首を絶たれた蛇のようにのたうち暴れる。推進力を失った船がゆっくりと減速していく。
「至近距離から双頭弾の砲撃! 左舷にガレオン船一隻! マストに赤の交戦旗、黒にドクロの旗! 識別はネーデルラント旗、さっきまでイングランドの旗を掲げていたのに!」
 フォアマストの見張り台(フォアトップ)から声が飛んだ。
 バッカニアだ! 水夫の誰かが叫んだ。その声が連鎖的に広がっていく。
 バッカニア! バッカニア! バッカニアッ!
 叫びはやがて歓喜となって爆発した。夕凪たちが流した板のおかげかわからない。だけど、たしかに来たのだ。カリブの海を荒らし回るバッカニアが。
「ぐうう偽装旗か、だが、なぜこうも接近されるまで気がつかなかった!」
 ケロッグ船長がいらだたしげに叫ぶ。
「悪趣味なショーに目が集まっていたからだろ!」
 夕凪は吐き捨てた。自業自得もいいところだ。
「帆を張り替えろ! 風上に回れ! 砲撃の準備だ!」
「だめです! 間に合いません!」
 ケロッグ船長の命令に、見張りの悲鳴が飛ぶ。
 ごごぉぉぉん、と重い音、そして船体がぐらぐらと揺れた。甲板の木材がきしみ、悲鳴をあげる。
 バッカニアのガレオン船が接舷したのだ。夕凪はその光景に圧倒された。船尾に巨大な楼閣を備えた帆船が、きしみをあげて寄り添っている。
 マストのてっぺんには、風を受けた真っ黒い旗。染め抜かれているのは白い骸骨、そして歯にくわえた真紅の薔薇。海賊旗(ジョリーロジャー)だ。
 野蛮な雄叫びがほとばしった。
 つぎつぎと放たれるフックつきロープ。色とりどりの布を頭にまいた海賊が軽々と乗り移ってきた。炸裂するピストルの音、ふきあがる白煙。応戦する商船の士官たち。カットラスがきらめき、金属音が響く。
 夕凪はあたりを見渡した。近くにカットラスが転がっている。拾い上げるとずしりと金属の重さが腕にかかる。背に打たれた鞭の跡が焼けたように痛んだ。
 歯を食いしばり、クリスのもとに駆け寄る。
「クリス、いま助ける、すこしだけ我慢してくれ」
 クリスをくくりつけているロープにカットラスの刃をすべりこませ、ぎりぎりと切り裂いていく。やがてロープが重い音をたてて落ち、クリスはずるりとへたりこんだ。
「痛くないか、クリス」
「ナギにい……おいら、ナギにいとマトロで、よかったよ。教会になんか行ったことないけどさ、いまはナギにいちゃんと会わせてくれたこと、神様に感謝しても、いいや」
 クリスはへへっと力なく笑った。夕凪は小さな体を抱きかかえた。ひどく軽い。がりがりに痩せた背中は、シャツが裂け、血がにじんでいた。
 ひどいことをする。ケロッグ船長も、士官たちも腐っている。やつらをこのままにしておくわけにはいかない。
 まわりを見渡すと、激しい戦闘の影で水夫たちが様子をうかがっている。そうじゃない、自分たちには約束があったはずだ。
 夕凪はクリスを床にそっと下ろすと、カットラスを天高く掲げた。鮮やかな空に、ぎらりと陽光をはじいて輝く。硝煙の混ざった空気を胸いっぱい吸い込み、夕凪は叫んだ。
「みんな、なにをやっているんだ、いまこの状況を作ったのは神の気まぐれか、つまらない偶然か! 違うだろ、僕たちが、僕たちの手でつかみ取ったチャンスだ! 他人に任せてどうする、戦おうバッカニアと共に!」
 夕凪の声が、銃声を、剣戟を突き抜け水夫たちを駆け抜ける。
 頭のはげ上がったバーナードが拳をふりあげた。
「そうだ、ガキに言わせてる場合じゃねえぞ! くそったれどもに一発ぶち込んでやろうぜ!」
 野太い声に、いくつもの声が重なっていく。数人の水夫が銃を構えた士官に飛びかかり、組み伏せ殴りかかった。
「打ち合わせどうりにやるんだ。まずは商船の武器を奪ってくれ!」
 夕凪はあたりを見渡した。乱戦の中、ケロッグ船長の姿が消えている。
「僕は船長を捜す! あとは頼んだよ、バーナードさん!」
「まかせておけ、ナギ! こいつらをイヤってほどひーひー言わせてやるぜ!」
 バーナードは楽しげに声をはりあげる。
 夕凪はカットラスをひっさげ船尾の建物(船尾楼というらしい)に飛び込んだ。狭い通路を抜け、船長室の扉を開ける。
「この、この豚がぁぁぁっ!」
 とたんに鳴り響く銃声、夕凪が横っ飛びに転がると、扉の表面が弾けた。
 ケロッグは豪華な装飾のほどこされた船長室で、いまいましげにツバを吐いた。手にした銃を投げ捨てると、指揮刀を引き抜いて構える。
「この、この、この、醜い家畜共が、上流階級たる私に逆らうのか、ありえん、ありえんぞっ」
「哀れだな、本気で僕らを家畜だと思っているだろう。だから反逆されるんだ。人の痛みを、ほんの少しでも理解できれば、こんなことにはならないのに」
 夕凪はカットラスを構えた。
 剣は子供のころツユリにしごかれた経験がある。自慢じゃないが、道場では入門したての生徒に負けるくらい弱かった。それでも、目の前にいる運動不足まる出しの男ならいい勝負ができそうだ。
 とはいえ、
「もっと真面目に練習しておけばよかったかなっ」
 夕凪は絨毯が敷かれた床を蹴り、一気に距離を詰める。
 力任せに振り下ろしたカットラスが指揮刀と打ち合い、火花が散った。二度、三度、乱暴に振るわれる鋼が窓越しの海を背景にぶつかりあう。
 ケロッグ船長は荒く息をついて下がった。脂肪まみれの腹が震える。
「くそう、上流階級たる私が、家畜のクソなんかにやられるかあっ」
 ケロッグは指揮刀を夕凪に投げつけた。意表を突かれた夕凪はバランスを崩して膝をつく。
ケロッグはその隙に壁際に駆け寄り、飾ってあった銃をひっつかむ。
「くっ!」
 夕凪は歯を噛みしめる。勝利を確信したケロッグの頬が不気味に緩み、うじ虫めいた指が引き金を絞る。
 乾いた音、銃口からはき出される炎と白煙。すべてがゆっくりと感じる。
 そのとき、化鳥のごとき影が飛翔した。
 銀光がひらめき、甲高い音が響く。船長と夕凪のあいだで赤々とした火花が散った。銃弾がはじけ飛び、壁に穴を穿って煙を噴く。
「無粋だわ。剣を使った決闘に銃を引っ張り出すなんて、無粋の極みよ。夕凪くん、遠慮はいらないわ、やっておしまいなさい」
 凜とした声に押され、夕凪はケロッグに肩から体当たりをかました。
 ぶよりとした感触、もつれあうように床を転がる。背中に火が付いたような痛みが走るが、それもどこか遠く感じる。
 夕凪はケロッグ船長に馬乗りになると、カットラスを振り上げた。
 ケロッグ船長の瞳に怯えが走り、顔中に汗が噴き出す。ひいっと情けない悲鳴がもれた。
「や、やめろ、そうだ! 金をやるぞ、八レアル銀貨十枚、いや十五枚。家畜の身分ではおがめない額だぞ。そ、それで不満なら、士官にしてやろう。家畜小屋から出て自由になれるぞ、どうだ」
 夕凪は暗い瞳でケロッグ船長を見下ろす。
「おまえは、いままでどれだけ水夫たちを虐待してきた。どれだけの水夫を生きたまま海に捨ててきた。クリスを、あんな子供をどうして鞭で打てる」
 カットラスの柄を握る手に力をこめた。この男は死んだ方がいい。いま、この手で殺してやろう。夕凪のなかに暗く血色の感情が満ちていく。
 ――ナギ、空がすっごく青いよ。
 甘やかな声に夕凪の手が震えた。
 ゆっくりと顔をあげた。
 開け放たれた窓の風に、銀の髪が舞い散っていた。子供のような仕草で窓枠に手をやり、鮮やかな空と海に身を乗り出している。
 それはあまりにも美しい幻想だった。かすれるように曖昧な姿で、現実ではないとひと目でわかる。夕凪が求め続けた美汐の幻。
 その顔を見たかった。でも、いまは振り返って欲しくない。殺意に駆られている自分を見られたくなかったのだ。
 大きく息を吐きだした。どろどろと渦巻いていたものが空気に溶けていく。夕凪はケロッグ船長の首筋にカットラスの刃を押し当てた。
「降伏するんだ。もちろん、士官たちも」
「わ、わかった、こ、降伏、する」
 ケロッグ船長は脂汗にまみれながらそう答えた。
 夕凪は顔をあげた。もう美汐の姿はない。白日夢だったのか、夕凪の想いが生み出した幻想だったのか。
「美汐、ありがとう」
 夕凪は虚空へ言葉を投げた。
「しばらく見ない間に、ずいぶん男らしくなったわね。お姉さんとしては、ちょっぴり複雑な気分かしら」
 カツカツと床を踏みしめたのは、すらりとした黒い長身だった。
 漆黒の髪がつややかに腰まで伸び、黒いズボンに黒いコート姿は、絵に描いたような海賊船長のそれ。手には緩やかに反りの入った長刀を下げている。
 海賊船長が付き従っている部下になにやら指示を出した。
「あ、あの」
 夕凪はどう反応していいのかわからず、おずおずと口を開いた。
「ツユリさん?」
「あらやだ、いまさら何言ってるのかしら、この子は」
 海賊船長の姿をしたツユリは口元に手をあて、艶然と微笑んだ。
「どうやら、外の騒ぎも収まったみたいね。船長を降伏させたおかげで手間が省けたわ。お手柄ね、夕凪くん」
 いつのまにか銃声や剣の音が消えていた。変わって水夫たちの声が轟く。
 自由だ! と。
「そうだ、自由だ!」「くそったれな士官どもに幸あれ!」「いやっほう!」
 甲板を駆け回る足音が響き、数人の水夫が脱いだシャツを振り回して船長室に飛び込んできた。夕凪のまわりを取り囲む。バーナードの姿もあった。
「おめえ、すげえじゃねえか!」
 バーナードが禿頭に手をやって、それから夕凪の肩を荒っぽく叩いた。
 それを皮切りにごつい腕がいくつも伸びて、夕凪の髪といい体といい、べたべたと触ってもみくちゃにしていく。背中の傷がひどく痛かったが、そんなことはどうでもよかった。
 いまさら実感したのだ。自分たちはやったのだと。
 同時に気力が蒸気のように揮発して、夕凪は床に崩れ落ちた。
 不思議なくらいの満足感と安心感に包まれて。

 幕間 二

 出逢った頃の美汐は色々なものを珍しがっていた。
 テレビを見ては驚き、街並みを見ては驚き、高層ビルを見てはもっと驚き、なのに笑顔はひとつもなかった。瞳はいつも冷ややかで、だからちょっとでも心を動かしてみたい。そんなふうに思っていたのだ。
「それ、なに」
 美汐は冷ややかな瞳で、夕凪と疾風が広げた布きれをみつめていた。真っ黒い布地に不格好に切り貼りされた白い布が、ドクロの形に縫いつけられている。
「か、海賊旗だよ、美汐にプレゼント……なんだけど、これでホントにいいのか、疾風」
「たりめえだろ~。女にかけちゃ百戦レンマの疾風様が言うんだぜ、戦艦大和に乗ったつもりでドンと構えてろっての」
「沈んだんじゃないの、それ。ていうかさ、海賊の出てくるマンガ読んで影響されただけだろ」
「昼休みにクラスの女どもが、かわいーとか、なんとか言ってたんだ、間違いねえって」
 疾風は細い目をさらに細めると、自信満々胸を張った。ぜんぜん信用できない。
 美汐は菫色の瞳を旗に、それから疾風と夕凪へと移した。
「これ、なんの意味があるの?」
「こいつは自由の象徴なんだぜ。自由に大海原をかけて、自由に愛を語るのさ~。愛してるよ~って」
 疾風は美汐にハートを散らしてみせるが、ものの見事に素通りしていく。ちょっとかわいそうだったが、まるでメゲないのが疾風の凄さだ。夕凪だったら一週間は立ち直れない。
 美汐は不思議そうに首をかしげた。
「自由? 自由なんて許されるの?」
「へんなこと聞くね、美汐は。あたりまえじゃないか。それとも、美汐は自由じゃいけないの?」
 夕凪が言うと、美汐はアッサリとうなずいた。
「そんなこと、許されてないから」
「ああ~なんてこったいセニョリ~タ。だから俺の愛を受け入れることができなかったんだな。だけどもう大丈夫だぜ。とらわれの姫はこの疾風様がカゴから出して、あつ~い愛で守ってやるからさ」
「疾風のたわごとはともかくさ、誰も美汐が自由にするの邪魔したりしないよ。もしダメっていう人がいるなら、僕と疾風が守ってあげるよ」
「そういうこった、セニョリ~タ。俺様の命に賭けてもなあ」
 ニカっと笑ってみせる夕凪と疾風に、美汐は菫色の瞳をわずかに揺らせた。とまどうように視線を落とし、
「……うん」
 と小さくうなずいた。

 なんで、こんな昔の夢を見ているのだろう。
 漂う感覚の中で、夕凪は漠然とそんなことを思った。
 そういえば、あのときからだったように思う。美汐が生き物の声を聞かせてくれるようになったのは。まるで、命に関わる秘密をこっそり打ち明けるように。
 それを「うわぁ、すごいね!」と単純に喜んでみせた夕凪に、美汐があきれ顔だったのはどうしてだろう。
 昔の美汐は、どうしてあんなにも寂しげだったのだろう。前に夢で見たユニス、彼女と美汐はどんな関係なんだろうか。そして、小さな頃の美汐と同じ姿をした少女。
「美汐……」
「なあに、ナギ」
 虚空につぶやくと、返事が聞こえた。
「……ちょっと待ったぁ!」
 大声で叫ぶと、「わひゃぁ」と奇妙な声が聞こえて、美汐がペタリと座り込んだ。美汐がいた。夢でみた小さな姿ではない。正真正銘、高校生の美汐だ。ご丁寧に制服まで着ている。
「ふわあ、びっくりしたよ。あれれ? そうだった」
 美汐は夕凪を見上げると、ポンと手をうつ。
 いそいそと立ち上がると、頬を膨らませて背を向けた。そのまますたすた歩いていく。
「ちょ、美汐、どこにいくんだ! なんで思い出したみたいにむくれてるんだよ!」
「むくれてないもん!」
「じゃなにさ」
「怒ってるんだもん!」
「なんで怒ってるのさ」
「美汐のこと忘れてっていったのに、ナギが来るから!」
「忘れるなんてムリに決まってるだろ、数学のテストで満点取るより難しいよ」
「それって絶望的?」
 美汐は振り返ると、くちびるに指を当てて真剣に問いかけてきた。
「真顔で言われると、へこむんだけど。いや、そうじゃなくて、これ夢じゃないのか?」
「うーん、美汐の夢は心の夢だから、きっとおとぎ話の魔法使いなんだ。夕凪と美汐は赤い糸でつながってるのね。おっけい?」
「おっけいじゃなくて、赤い糸の意味わかってる? えーとつまり、僕と美汐の心が繋がっているのかな。どうして?」
 尋ねると、美汐の白い頬がほんのりと赤くなった。両手を添え、はう、あう、と妙な含み笑いで体をくねらす。なんの民族舞踊だ、これは。
「ど、どうして、そういうこと聞くかな。ナギは女の子に恥ずかしいこと言わせると興奮するのかな、それって羞恥プレイっていうんだよね」
「いらない情報の発信源は疾風か。それはもういいから、とにかく僕に事情を教えてくれ。美汐はこっちの世界にいるのか?」
「うん、いるよ」
「ここに来る前に、小さな美汐に会ったけど、彼女はなに?」
「ちっちゃい美汐? 知らない、なあにそれ?」
 美汐は小首をかしげた。どういうことだ、いったいあの女の子は何者だ。
「それじゃ、ユニスっていうのは」
 美汐の表情が曇った。
「ナギは、もし世界が滅びるか、美汐がいなくなるか、どっちか選べっていわれたら、どうするかな?」
「いきなり何の話だ? そんなのすぐ答えが出るわけないだろ」
「そうだよね、ナギは悩むよね。でも、きっと疾風は悩まないよ」
 ズキリと胸が痛んだ。それは疾風のことが好きという意味だろうか。
「疾風が好きなのは、片手で数えられちゃうくらいの人だけ。ほかはみんな嫌い、大嫌い、ユニスとおんなじ。ううん、ユニスには好きなひともいなかったよ。ユニスを好きでいてくれるひとがいなかったから。でも疾風のことが大好きなひとはいるんだ。疾風はそれがわかんないの。ねえ、ナギ」
 美汐は淡い笑顔を浮かべると、幻想の中をくるりと回ってみせた。銀の髪が光に溶ける。
「もうナギは来ちゃいました。帰ってくださいはダメだよね?」
「あたりまえだろ。帰る方法だってわからないし、帰るときは美汐も一緒じゃなきゃダメだ」
「……美汐はお願いがあるのです。美汐は自由でいたいから、それが美汐がずっとずっと欲しかったものだから、ナギに美汐のお願いを叶えてほしいのです」
「そんなの、いくらでも」
 そう答えた夕凪の脳裏に、小さな美汐の姿をした女の子の言葉がよぎった。
 ――ユニスの願いを叶えるか、美汐の願いを叶えるか、ふたつにひとつだけ。
 必要なものは……いや、まさか。
「ナギ、美汐を探して。それから、連れてってほしいの」
「どこへ連れて行けばいいんだ」
 美汐は少しだけ寂しげな、だけど幸せそうな笑顔を夕凪にむけた。そして、こう言ったのだ。
 神様のところ。


 第二章 眠り姫

 ◇ 一 漂流船

 スペイン海軍の船長は、フォアマストの見張り台で渋い顔をしていた。
 マラカイボの沖合は内陸への風が吹き、逆風に強いスループ船(縦帆を張った高速船)といえども足が進まない。
 いや、渋い顔をしていたのは、それが理由ではない。マラカイボの総督におおせつかった任務が、あまりにもバカバカしいものだったのだ。
 いわく、幽霊船の捜査である。
 最初にそれを知らせたのは漁師だった。誰も乗っていない船が漂流している。そんな話だった。
 そんなバカな。見間違えではないのか。だれもがそう思っていた。だが、商船からも同じような報告があいつぎ、さすがに無視もできなくなってしまったのだ。
 まあ幽霊船というより漂流船だが、街にあふれる噂はすっかり前者となっていた。
 と、望遠鏡に小さな船影が入った。帆をたたみ、ただ波間に揺れている。
「あれか、甲板員はボートの準備! 操舵手、船を寄せるぞ! スターボード一〇!」
 船長が声を飛ばすと、中甲板の操舵手が大きな棒状の舵柄(ティラー)を傾けた。船がゆっくりと右へと進路をかえる。

 ボートは船長と五人の船員を乗せて『幽霊船』の横についた。それは小さなスループで、外観は幽霊船とは遠い真新しいものだった。
「誰かいないか!」
 ボートから声をかけるが返事はない。甲板に人影がないのは確認していたが、こうして近寄っても気配さえ感じられなかった。
 船長が指示をすると、つぎつぎとフックつきロープが放たれる。船長は慣れた手つきでロープをたぐり、舷側へと乗り込んだ。
 木の香りが漂う船体は新品同様の美しさだった。嵐で船員を失ったものと思っていたが、そんなようすもない。いや、それよりも釈然としない違和感があるのだ。
「なんだ、この船は?」
 口にしてみると、ますます違和感がつのってくる。船員がいない段階でじゅうぶんにありえないのだが、それとは違う、なにか。
「船長、中もカラですぜ。ネズミいっぴきいやしません!」
 甲板から階段を覗き込んだ船員が、大きな声をあげた。
 小型スループの構造は単純だ。甲板の下は仕切りのない船倉になっていて、船員が隠れひそむような場所はない。
 ほんとうに誰も乗っていないのか? 船員はどこに消えたというのだ。
 船長は階段の下を覗きこんだ。薄暗い船倉に採光窓からカリブの強い陽が差し込み、幾重にも光の帯をつくっている。
 ほんとうに誰もいない。中はカラッポだ。
 そこで船長は違和感の正体に気づく。むしろいままで気づかなかったほうがおかしかったのだ。この船には船員だけでなく、なにもない。
 積み荷も、水ダルも、食料も。それどころか食器のひとつもありはしない。人が生活していた形跡がまったくない、完全にカラッポな船なのだ。
 これが意味することは、ただひとつ。船員は『いなくなった』のではない。『はじめからいなかった』のだ。
 誰も乗っていない船が海を渡れるはずがない。だが、この船はここにいる。
 船員たちがひそひそと声をかわしている。同じことに気づいたに違いない。船長はつばを飲み込み、かすれる声をあげた。
「とにかく、もうすこし調べてみよう。船長室になにかあるかもしれない」
 スループの船長室は船尾にある。ひどく小さなものだが、この種の船では個室というだけで特権だ。
 船長たちは誰もいない船内で、見えざるなにかを恐れるようにゆっくりと歩をすすめた。船長室の真新しい扉が、奇妙に重々しく見える。
 船員のひとりがこわごわと取っ手を握り、ゆっくりと開いた。
「う、うひああぁぁぁっ!」
 中をのぞいた船員がどすんと腰を落とし、手足をばたつかせてあとずさった。
 船長も中のものを見てうめく。誰かが神の名を口にするのが聞こえた。
 棺が置かれていたのだ。真っ黒く、表面に白い十字架が描かれた無機質な棺が。
 別の場所で見たのなら、こうも驚くことはなかったろう。だが、不自然きわまりない漂流船の中で見つけるものとしては、最悪だった。いまが夜でないのは唯一の救いだ。
「誰か、開けてみろ」
「じょ、冗談じゃありやせんぜ」
 船員たちはぶるぶる顔をふってあとずさった。もっともな反応だが、かといって任務を放り出すわけにもいかない。強く促すと船員たちは腰が引けながらもフタをゆっくり開けていく。
 ごとりと重い音がひびいた。
 どよめきがおこる。船長もまた、収められた遺体に感嘆の声をあげた。
 ほんとうに遺体なのか。それは、鮮やかな銀色の髪をした少女だった。肌はシミひとつなくまっ白で、息づいているようにつややかだ。ぎっしりと詰め込まれた色とりどりの熱帯の花に横たわり、少女は妖精めいて美しい。
「本当に遺体なのか?」
 白いドレスにつつまれた胸は、かすかにさえも動いていない。誘われるように指を伸ばした。白磁のごとき肌に触れるその直前、全身がひきつり、船長は弾かれたように床を転がった。
 雷にでも打たれたような衝撃が体を貫いたのだ。
「せ、船長!」
「ぐっ、大丈夫だ、問題ない」
 慌てて伸ばされた船員の手を痺れる腕で払った。
「この遺体は、なんだ……」
 いや、待て。船長は眉根をきつく寄せた。
 この船について最初の通報があったのは、三日前ではなかったか。いったいいつから漂流しているのかわからないが、最低でも三日は洋上にあったことになる。
 この熱帯の海で、なぜ少女の遺体はこれほどの美しさを保っているのだ。そして、なぜ少女を彩る花々は、たったいま摘んだように瑞々しいのだ。
 船長の頬をいやな汗が流れ落ちた。この船はなんだ。この少女はなんだ。
 この海でなにが起こっているのだ。
 疑問は果てなく湧き上がる。だが、答えるものはなかった。

 ◇ 二 きまぐれな女王様とその一行

 木の天井が目に入った。意識が混沌とする。どうみても現代の風景ではない。だが薄汚れた商船ともすこし違った。
 また、妙な夢をみたな。
 夕凪は身を起こすと軽く頭をふる。現実と夢の境界があいまいになっている。いや、十七世紀のカリブ海にいるいまこそが、夢みたいなものか。
 それにしてもなにがどうなっているのだろう。そう、ツユリがいたのだ。ここは、あの海賊船の中だろうか。
 畳三枚にも満たない小さな部屋だった。堅くごわごわしたベッドは二段になっているのか、頭上に低い天井がある。部屋の奥には木枠の窓があり、澄み渡った海と空が広がっていた。
 自分の体に目をやると、上半身は裸で包帯が丁寧に巻かれている。不思議と背中の傷はあまり痛まない。手当してもらったのだろうか。
「もしかしてツユリさん、かな?」
 口にしたとたん、ベッドの上からガタガタと大きな音がした。
「ナ、ナギにい? お、おきたのかい?」
 クリスの声だ。よかった。夕凪は大きく息をついた。無事だったこともそうだが、大切な相棒が近くにいてくれたことが嬉しかったのだ。
「いま目がさめたところだ。ところでクリス、ここはどこかな?」
「あ、うん、例の船だよ。ナギにいの知り合いなんだろ、すっげえよなあ。せっかくだから、おいらも乗せてもらったんだ。頼み込んで部屋も同じにしてもらったんだぜ。な、なにせおいらとナギにいは、マ、マ、マトロだから、さ」
「クリス、だいじょうぶか? 声がヘンだぞ。もしかして鞭で打たれた傷が痛むのか、それなら薬をもらえるよう頼んでくるよ、ちょっと待ってて」
「ち、ちがうよ、ナギにい! そうじゃなくて、服もらったんだけどさ、き、着かたが、ぜんぜん、わかんないんだ」
「着る方法がわからない服だって?」夕凪は首をかしげた。どこかの坊ちゃんが着るようなものか? だめだ、まるで想像できない。
「とにかく、いま上にいくから待っててくれ、手伝ってやるよ」
「ふえっ? ちょ、ちょわあっ!」
「遠慮するなって、僕たちは相棒だろ」
 夕凪は軽く笑いながら、木製はしごに手をかけた。ひょいっと上のベッドをのぞきこんで、硬直した。
 クリスは妙にサッパリしていた。クセのある亜麻色の髪は櫛が入ってきれいなウェーブを描き、垢じみていた顔も本来の整った形がよくわかる。
 服は着ていなかった。腕にピンクのドレスを抱え、ほんのり上気した肌に包帯が丁寧にまかれていた。片方だけむきだしになった胸はうっすら隆起して、先端にはピンク色の突起が、つんとせいいっぱいの自己主張をしてる。
 夕凪は額に手をあて、しばし考え込む。
 とりあえず視線を落とした。ぺたんと座り込んだ脚のあいだはつるりと曲線を描き、あるべきものがなかった。
「お、おんなの、子?」
 ひきつった笑みを浮かべた。
 クリスの頬がみるみる赤く染まる。
「ナ、ナギにいの、ばかばかばかばか! うすらばかあっ!」
「わわ、まって、ちょっと、クリス!」
 クリスはドレスをぶんぶんと振りまわし、夕凪にばっさばっさと叩きつける。
 慌ててほそっこい腕を捕まえ押し倒したところで、ぎいっと分厚い木の扉が開いた。
「夕凪くん、具合はどうかしら?」
 落ち着いた声で黒い船長服姿がすべりこんでくる。シンと沈黙が落ちた。
「いや、ちょっと、これは、ツユリさん」
「大丈夫よ夕凪くん。あとでちゃんと事情を聞くわ。でも、」
 ツユリはすらりと腰の長刀を鞘走らせた。
「とりあえず斬るわね」

 熱を含んだ風が白い帆をパンっとふくらませていた。
 三本マストはイングランド商船よりさらに高く、帆の数も何枚か多い。緑に塗られた船尾楼は芸術的な装飾が施され、巨大な船尾灯が三つもそそり立っている。
 なんというか、恐ろしく豪華な船だ。
 中甲板には上半身はだかの男たちが大勢出て、調子っぱずれな歌を口ずさみながら、操船作業にあたっていた。イングランド商船とは雰囲気がぜんぜん違う。熱気に溢れ、みな楽しそうだ。
 前をゆくツユリが黒髪を風にのせて振り返った。
「だいたい事情は飲み込めたわ。どうやらわたしと夕凪くんでは、時差があるみたいね。わたしがこっちに来たのは一年前なのよ」
「ということは、ツユリさんはいま十八歳ってことですか?」
「何が言いたいのかしら?」
 すらりと引き抜いた白刃が夕凪の喉もとで鋭く光る。一年の間に、やけに気が短くなられているようで。
「い、いや、深い意味はないです。ツユリさんがここに来てから何があったんですか? この船、ツユリさんが船長なんでしょう」
「そうよ、改めて歓迎するわ。海賊船《きまぐれな女王様》号へようこそ」
 すごくストレートな船名だ。
「なにか言ったかしら?」
「いえ、どうやって手に入れたのかなって」
 その言葉に、ツユリは視線を落とした。「いろいろあったのよ」そう言ったツユリの頬を黒髪が撫でて影を作る。
「わたしも、夕凪くんと同じで商船に拾われたのよ。そこまではよかったのだけど、船長がわたしを強引に自分のモノにしようとしたの」
 夕凪の胸を嫌な感覚が締め付けた。不条理な世界、不条理な船の掟。それはツユリにとっても例外ではなかったのだ。夕凪は唇を噛みしめた。
「しかたないわよね。どんな低劣な生き物でも男なんだから、わたしに魅力を感じるのは大自然の摂理みたいなものよ」
「しかたなくなんてないでしょう、そんな言い方しないでくださいよ」
「いいえ、誰だって自然の摂理には逆らえないわ。だから、わたしみたいな天性の強者が支配者になるのが当然の姿なのよ」
「そう、当然……ってあの、なんの話?」
「ねえ夕凪くん、人類未満の原始生命体が、絶対強者であるわたしに言い寄るなんて神に挑む不遜だって思わない? 思うわよね。だ・か・ら、手足の関節をひとつ残らず外してやったのよ。浜に打ち上げられたカツオノエボシみたいに無様で楽しかったわ」
「なんでそんな触手がやたら長いクラゲみたいにっ!」
「そうしたら、他の船員たちが騒ぎだしたのよ。海の男のくせに、細かいことを気にするなんて最低よね。面倒だから片っ端から黙らせてあげたんだけど、それを見た水夫がわたしに続けって反乱をおこしちゃって」
「なんですか、その無敵超人な傍若無人ぶりは! 僕の苦労の立場は!」
「それでアッサリ船を乗っ取ったはいいけれど、どうしよう、そうだ海賊をしよう、そうしましょうってノリで決まったのよ。で、船長も選挙でわたしになったってわけ」
「京都に行くみたいなノリで海賊しないでくださいよ! 仮にも現代人なんですからっ!」
「夕凪くんは堅いわね。いいじゃない自由気ままで。それに海賊は国籍も肌の色も過去の経歴もな~んにも気にしないのが決まりだから、いろいろと都合がいいのよ」
「そんなものですか?」
「そんなものよ。ところで夕凪くん、さっきから空気が重いのだけれど、どうにかしてくれないかしら。夕凪くんが責任とってくれないと困るわ」
 ツユリは、軽く息をついて夕凪の隣に視線をやった。
 クリスがくちびるを尖らせ、ツーンとあっちを向いている。じつは、さっきから気がついてはいたのだが、どう接していいやら困っていたのだ。
「あのさ、クリス。っていうか」
 夕凪は考え込む。クリスクリスと呼んでいたけど、それはニックネームなわけで、女の子ならば名前は。
「クリスティナ?」
「な、なんだよいきなり、そんなふうに呼ばれると照れるじゃんか」
 クリスはちょっとだけ表情をゆるめると、ちらちら夕凪に視線を送る。
「やっぱりそうなのか。じつはさ、ずっと男性名のクリストファーだと思っていたんだよ」
「はうっ?」
「だから、裸を見ちゃったのは悪かったと思うんだけど、女の子なんて思ってなかったんだ、まるっきり、これっぽっちも」
「こ、これっぽっちも?」なぜかクリスの声がうわずる。
「うん、それにさ、僕は子供の体に興味をもったりしてないから、別にへんな目で見たわけじゃないんだ、だから」
「こ、子供っ」クリスが涙目でこちらを向いた。
「ナギにぃの……」
「え?」
「ナギにぃの、うすらバカぁぁぁぁ!」
 クリスは歯の欠けた口をあんぐり開いた。
「だぁぁぁぁぁぁ、あだ、あだ、クリスっ、噛みつかないで、腕がぁぁぁっ」
「夕凪くんって、ほんとうにバカよね」
 ツユリが、やれやれと首を振る。
「僕が悪いんですかっ」
「当たり前じゃない」「決まってんじゃんかっ!」
 二人の声が重なった。不条理だ。
「それじゃ、痴話喧嘩も済んだところで、状況をまとめておきましょうか」
「なんの痴話喧嘩ですか!」
「その前に、これを飲んでおいてね」
 ツユリは赤い液体が入ったビンを差し出した。
 それを見たクリスが、ぎょっとした顔で後ずさる。
「どうしたんだ、クリス」
「な、なんでもないよナギにい。おいらちょっと用事おもいだしたからさ、船室に戻ってるよ」
「クリスちゃんも、また飲んでおきなさいね、壊血病の薬なんだから」
 ツユリは穏やかな笑みを浮かべた。クリスは悪魔に魅入られたように顔色を失うと、ペタリと座り込む。
 なんだ、この大げさな反応は。それにしても、
「壊血病って、薬があるんですか?」
「あるわよ、現代の知識ってやつね。壊血病はビタミンCの欠乏が原因なのよ。人間の体はビタミンCを作れないでしょ。なのにビタミンCが多い生野菜や柑橘は保存が利かないのよね。だから船乗りが壊血病にかかるのよ。このジュースはこのあたりに生えているアセロラを絞ったものよ。ビタミンCはレモンの三十倍、たっぷり飲んでおきなさい」
「それじゃ、遠慮なく」
 鮮やかな液体が満たされたビンに口をつけ、一気に――
「ぶっはぁぁぁぁぁっ!」
 夕凪は赤い霧を吹いて転げ回った。
「酸っぱいぃ、いや舌が、喉が痛いぃっ、目が、目から液体がほとばしるぅぅぅっ」
「あわわ、おいら、やっぱり船室に」
「だめって言ったでしょう、クリスちゃん」
 地獄さえも凍るツユリの声に、クリスは泣きそうな顔でマグカップを手にした。

「うう、酷い目にあった。あれは人間の飲み物ですか、ほんとに」
「しかたないでしょ、現代の改良種じゃなくて野生のアセロラなんだから。ともかく、夕凪くんは、いまが何年で、ここがどこだか分かっているかしら?」
「一六六六年のカリブ海ですか。いまごろ日本は暴れん坊将軍の時代ですよね」
「四代将軍家綱よ。日本史教師が絶望して自殺したくなるから、テストの答案では手加減してあげなさいね。世界史では第二次英蘭戦争の真っ最中ね。イングランドとネーデルラントが戦争をやっていて、わたしたちはネーデルラントの私掠船をやってるのよ」
「しりゃくせん?」聞いたことがない言葉だ。
「公認の海賊よ。敵国の船を自由に襲って構わないって免状をもらった船のこと」
「そんなのアリなんですか? めちゃくちゃですよ」
「なに言ってるの、この時代は王侯貴族をスポンサーにした私掠船だっているのよ。略奪品から配当金がスポンサーに支払われるんだから、王様だって海賊の元締めみたいなものよ。わたしたちは、それを利用して堂々と海賊ができるんだけど。そんなことより、大事なのは歴史の流れがわたしの知る世界史と同じだってこと」
「ここは異世界とかパラレルワールドじゃなく、正真正銘、過去の時代だってことですか?」
「そういうことね。わたしはこの時代に来てから、海賊家業のかたわら、タイムスリップの原因を探っていたの。美汐さんが絡んでいると当たりはつけたけど、それでも手がかりはサッパリだったわ」
「だった、ですか」
「そう、ここ最近になって、いきなり妙な噂が流れ出したのよ。幽霊船の眠り姫ってね」
「その話、おいらも聞いたことあるよ」
 泣きそうな顔でマグカップをちびちび舐めていたクリスが、やっとわかる話が出てきたと身を乗り出した。
「マラカイボでみつかった幽霊船に、銀色の髪をした、すっごいきれいな眠り姫がいたってんだろ、港から上がってきた船員がそんな話してたんだ」
「銀色って、まさか美汐のことじゃ」
 ――美汐をさがして。その言葉が蘇る。
「可能性はあるわね。マラカイボの教会に運び込まれたらしいけど、こんな噂があるのよ。眠り姫は世界を司る塔への鍵だ。塔へと至った者は、あらゆる望みが叶うだろうってね」
「塔、塔のように見える巨大な生き物……それに、噂が流れたタイミング」
「まるで夕凪くんを待っていたみたいよね」
「な、なあナギにい」
 クリスがおずおずと口を出した。
「その眠り姫って、ナギにいの知り合いなのかい?」
「わからないけど、そうだといいな。とても、大切なひとだからね」
「そ、そうなんだ、へえ、えっと、なんか、おいら……」
 クリスは青い瞳を甲板に落とすと、口の中で言葉を噛みつぶした。
「どうした、クリス。なにかあるなら遠慮なく言ってくれよ」
「な、なんでもないよ!  ほんとにナギにぃは、ナギにぃなんだから!」
「僕って一体……。それよりさ、クリスは家に帰らなくていいのか? 家族が待っているだろ」
 そういうと、クリスは弾かれたように立ち上がった。
「そ、そりゃ家族は大切だけどさ。ナ、ナギにぃは、おいらを捨てる気なのか、お姫様がいるから、おいらなんかいらないのか、そうなのかい?」
「ちょ、ちょっと待った、なんでそうなる? しかも思いっきり人聞き悪いしっ」
「お、おいらとナギにぃは、マトロタージュなんだぜ、ずっとずっと一緒につらいことも、嬉しいことも分かち合うって誓ったじゃんか!」
 ずいっと青い目が迫った。どう答えればいいのだ。クリスは大切な家族のところへ帰らなくていいのか? なにがなんだか、サッパリわからない。
 と、ツユリが小さく咳払いした。
「あなたたち、マトロタージュって言ったわよね。意味知っているのかしら?」
「相棒のことじゃないんですか?」
 夕凪が答えると、クリスがこくこくとうなずく。ツユリはなぜか肩を震わせる。
「そうね、魂で結ばれた仲間ってことなんだけれど……やだ、おなか痛い、腹筋ついたらどうしてくれるのかしらこの子たち。二人とも、アレみてごらんなさい」
 ツユリは甲板の一角を指さした。男がふたり、不自然なくらい仲良さげに作業している。ときおり肩を抱いたりするのはなんだろうか。
「あのね、マトロタージュっていうのは、身も心もふか~く結びついた男同士のことを言うのよ、わかるかしら? わかるわよね」
「アノ、ナンテ言いました?」
「体も、心もよ。いい? マトロタージュになるっていうのは『ぼくたち結婚します』っていうのと同じようなものなのよ、男同士だけど……ぷっ」
 ツユリはこらえきれず吹き出すと、太いマストをバンバン叩いた。
 夕凪は音を鳴らしてクリスに顔を向けた。クリスはぶんぶん首をふる。
「お、おいら、そんなの知らなかったよ。身も、心もって、うえ、あの、ど、ど、ど、どうしよう。おいらの体、ナギにいのもの?」
「待ったっ! その言い方は、いろいろマズいぞクリス!」
「あら大丈夫よ、教会法では十二歳で結婚できるんだから。いっそお嫁さんにしちゃったら? そうね、船上結婚式をしましょうか。ドレスを用意して、船をリボンで飾って、いい思い出になるわよ」
「ひとで遊ばないでくださいよ、ツユリさん!」
「ツァーリ船長!」
 唐突にフォアマストの見張り台から声が飛んだ。ツユリは憮然と腰に手をあてる。
「あのね、その呼び方やめてくれないかしら! ロシア皇帝じゃないんだから。それで、どうしたのかしら!」
「南から来た船が旗で合図送ってきたんでさ、マラカイボが襲撃されてるそうで!」

 ◇ 三 マラカイボに吹く風

 マラカイボはカリブ海南岸、ベネズエラ湾と、そこにつながるマラカイボ湖を繋ぐ狭い水道にある。湾と湖がヒョウタンのような形で繋がり、くびれた所に街があるとイメージすれば近いだろうか。
 ここはカリブ海沿岸でも有数の港であり、スペインにとっても重要な植民地だ。当然のように何百という武装した兵が駐留し、港内には石組みの砲台も設置されていた。
 だが、そのすべてが、もろくも崩れていた。
 夕凪はツユリに手渡された望遠鏡をのぞいて息をのんだ。
 砲台は巨大なハンマーで殴られたように粉砕され、海にはいくつもの死体が浮かんでいる。鮮やかなエメラルドの海が濁っているのは血のせいか。
 狭い水道にはスペインの旗をつけたマストが沈みかけていた。かわって遊弋するのは、白地にアイリスのフランス旗と赤い交戦旗をなびかせた七隻のスループ船だ。
 ときおり思い出したように砲声が鳴り、盛大な白煙がふきあがる。
「まだ戦闘中なんでしょうか」
「景気づけに撃っているだけね。それにしても、フランスの海賊なんて、わたしとしたことが迂闊だったわ。まさかこの時期なんて」
 ツユリは端正な顔を歪めて爪を噛む。
「知ってるんですか? ツユリさん」
「以前、図書館で読んだ本に書いてあったのよ。一六六六年、スペインの植民都市マラカイボは海賊に攻略されたの。街は略奪と暴行の嵐が吹き荒れ、住民が隠した銀貨十万枚の財宝もごっそり奪われたそうよ。七隻七百人の海賊を束ねた指揮官は、悪名高きジャン=ダビット・ノー、通称フランソワ・ロロノワ」
「ロロノワって、あのロロノワかい!」
 舷側から身を乗り出していたクリスが叫んだ。
「そんなに有名なのか?」
「ナギにい、世間知らずもたいがいにしたほうがいいよ。ロロノワっていったら、いま一番有名なバッカニアじゃんか。っていっても、悪名のほうだけどさ。逆らうヤツは皆殺し、従うヤツは拷問してから皆殺し、ロロノワの船が通ったあとは海の色が赤くなるってさ」
 クリスはカットラスを握ったフリをして、ぶんぶん振り回してみせる。
「普通の海賊はそんなに血を好まないものだけれど、ロロノワは正反対なのよ。本人はもちろん、部下も血と残虐に酔いしれているわ。もっとも、派手に金をバラまくから、フランス領トルトゥーガ島じゃ英雄だそうだけれど」
 ツユリは皮肉っぽく笑う。
 夕凪はうなった。最悪のタイミングだ。マラカイボには美汐がいるかもしれないのに、よりにもよって、なぜいま襲撃があるのか。いや、
「偶然にしては出来すぎじゃないか」
「どういうこと? 夕凪くん」
「塔へと至ったものは、あらゆる望みが叶う。例の噂が目的ってことはないですか?」
 夕凪の言葉に、ツユリはしばし考え込む。
「歴史が少しばかり変わってしまうけれど、可能性はあるわね。なら目当ては眠り姫ってことかしら。まいったわ、手がかりを奪われるわけにはいかないのに」
「七隻あいてじゃ、戦っても勝ち目はないでしょうし」
「あら、面白いことを言うわね、夕凪くん」
 ツユリはころころ笑ってみせたが、なぜか目がちっとも笑ってない。むしろ怖い。夕凪の背に冷や汗が滲む。これは恐怖に触れた動物の本能というやつか、なにか触れてはならないものに触れてしまったような気がする。
「このわたしが指揮する《きまぐれな女王様》号が、七隻ばかりの烏合の衆相手に勝てないですって。悪い冗談もたいがいにしておかないと、お姉さんちょっぴり怖いわよ」
「そ、そーですよねえ。いや、僕としたことがっ。じゃあ、美汐のことは」
「それは、ムリよ」
「どうしてですか?」
「海賊船は乗組員全員のものなのよ。船長は指揮官であっても特権階級じゃないの。自分の都合で船員を危険にさらすことはできないわ」
 ツユリはくちびるを噛んだ。表情には苦渋が滲んでいる。ほんとうは黙って見ていたくなどないのだろう。ツユリは小さなときから美汐を可愛がってくれていたのだから。
 だが、立場を超えることはできない。ツユリは船長だ。船員たちを守る義務がある。いや、ちょっとまて、そんな義務のない人間がいるじゃないか。
「僕が行きます」
「なんですって?」
「僕はこの船の海賊じゃない。僕ひとりで行くなら迷惑はかからないでしょう」
「ちょ、ちょっと待った! おいらも行くよ!」
 クリスが夕凪の前に飛び出した。明るい青色の瞳が夕凪を見据える。
「クリス、あそこには七百人の海賊がいるんだ。いくらなんでも女の子を連れてはいけない」
「おいらたちはマト……あ、相棒だろう。おいらたちは誓ったじゃないか。つらいことも、嬉しいことも分かち合うって。それとも、ナギにぃは、おいらを裏切るのかい」
 それはかつて夕凪自身がクリスに向けた言葉だ。
クリスの瞳がゆらぎなく夕凪を見つめる。あいまいなごまかしなんか通用しない。いや、それは違う。そうじゃないんだ。夕凪はゆっくり息を吐いた。
「僕らは相棒だよ、クリス」
「うん、おいらたちは相棒だ、ナギにぃ!」
 花開くように笑ったクリスの顔は、すこしだけ女の子に見えた。
「ちょっと待ちなさい、美汐さんを探しに行くのはいいけど、そのあとどうするつもりかしら。この船につれてくるつもり? フランスのバッカニアの目当てが美汐さんなら、黙って見逃してくれるわけないわ。こちらがリスクを負うのは同じよ、利益もないのに勝手を許すわけにはいかないわ」
「それは……あらゆる願いが叶う塔への道が開ける、それはダメなんですか」
「あるかないか分からない塔の話じゃ、いくらなんでも弱いわよ。だからフランスのバッカニアも街の略奪をやっているのでしょう」
 夕凪は言葉につまる。美汐の件は海賊たちには無関係だ。なんの見返りもなく匿ってもらうのは都合が良すぎるだろう。
 だが、逆に言えば利益さえあれば危険も厭わないのが海賊稼業じゃないのか。
 フランスのバッカニアを敵に回すだけの理由――利益があれば、美汐をかくまうくらいはついでで済むはずだ。それは金目のものか、だがそんなものがどこに……いや、たしか。
「ツユリさん、銀貨ってどれくらいの価値があるんですか?」
「いきなり何かしら? そう言われても種類もたくさんあるのよ。人気があるのはスペインの八レアル銀貨ね。この時代は純度も高くて銀含有率が九七パーセント、重量二七グラムだから、高品質で知られた天保一分銀が三枚ぶんくらい、一両小判の七五パーセントかしら」
「……僕の歴史アレルギーをいじくると楽しいですか、楽しいんですよね」
「それは被害妄想じゃないかしら、被害妄想よね。まあ、ものすごく大雑把だけれど、一枚五万円くらいと思っておけばいいわ」
「五万円、なら十枚で五十万円……ケロッグ船長、けっこうセコイな」
 さらに指を折って数える。百枚で五百万円、千枚で五千万円、一万枚で五億……夕凪はツバを飲み込んだ。
「ツユリさん、さっき住民が隠した銀貨って言ってましたよね」
「言ったわよ、海賊の襲撃があったとき、住民は街外れの森に銀貨十万枚を隠したのよ……ねえ夕凪くん、まさかと思うけれど」
「五十億円ぶんの銀貨、先にかっさらうってダメですか」
 ツユリはしばし沈黙。やがてゆっくり口を開いた。
「あなた、海賊に向いているわ」
 それからしばらくして。
 ツユリが指揮する銀貨横取り部隊は先に上陸をはたし、夕凪とクリスは美汐探索の準備を整えていた。
 準備といっても護身用のロングナイフを一本持っていくだけだ。海賊あいてに戦ったらアッサリ負ける自信がある。重装備は重いだけだ。
 準備を終えて《きまぐれな女王様》号のボートに向かうと、見覚えのある男たちが待っていた。そのひとり、半ばはげ上がった男が豪快に夕凪の背を叩く。
「ようナギ、今度はフランスのバッカニアどもに殴り込みだってな。おまえさん、やっぱり最高だぜ」
「バーナードさん! こっちの船に乗っていたのか」
「おうよ、せっかくだからな、俺もバッカニアの仲間入りだぜ。このボートにいる連中もな。どいつこもいつも、ナギを送り届けてやるって名乗り出た大馬鹿どもだ」
 ボートのこぎ手たちが一斉に腕の筋肉を叩いてみせた。
「ありがとう、頼りにしてるよ。あ、そうだ、ケロッグ船長たちはどうなったんだ」
「ヤツなら今頃、南の孤島でゆっくり静養中だぜ。助けが来るまで、腹の脂肪をたっぷり絞りゃ、ちったあ人間らしくなるってもんだろ」
 男たちの笑い声がボートを揺らした。まあ、それくらいなら、自業自得か。
「さて、そんじゃあいくぜ!」
 バーナードが合図すると、ボートが船から滑りおりて海を割った。海水がしずくとなって跳ね上がり、その向こうに遠く白壁の建物が並んで見える。美汐が待っているかもしれない、マラカイボの街がそこにあった。

 ボートはマラカイボからすこし外れた海岸に乗り上げた。
 砂浜の向こうはすぐに森、いや、むしろジャングルだ。うっそうと茂る熱帯の木々の合間を、青や黄色も鮮やかなオウムが高い声をあげて飛び交っている。
 クリスは元気よく飛び降りると、軽快に白砂を踏んでかけまわった。
「はやく行こうぜ、ナギにぃ! 眠り姫を捜しにいくんだろ」
「そうだけど、クリスはこの蒸し暑いのに元気だね、僕はじめじめしたのは苦手だよ」
「ナギにぃがだらしないだって。ほんと、おいらがついてないとダメだよね」
「ガキに言われたい放題だな、ナギ」
 バーナードが豪快に笑う。
「ま、しっかりやれよ、合流予定地で待ってるからな」
「頼むよ、もし僕らが行かなかったら」
「そういうつまんねえ話はナシだ。ちゃんと来やがれ、このボケが」
 バーナードはそう残すと、仲間たちとボートをこぎ出した。
 夕凪とクリスは草が踏みしめられた道を辿り、やがてマラカイボの城壁に辿り着いた。幸いというか、大砲であちこちの石壁が崩れて入り込む場所には困らない。
 あたりを警戒しつつ壁を抜けると、白壁と木材を組み合わせた欧風の街並みが広がっていた。二階建ての建物がくっつくほどに建ち並び、大きく切り取った窓と赤茶けた瓦屋根が美しく調和している。
「ナギにぃ、ナギにぃ! すっげえ。スペインなんてもう終わった国だって聞いてたけどさ、やっぱ金持ちなんだなあ、あんな立派な屋敷がいっぱいだぜ。おいらも一度でいいから住んでみたいよなあ」
 クリスが興奮気味にはね回る。
 そのときだ、激しい破裂音が鳴り響いた。
 クリスが頭を抱えてしゃがみこむ。近くの民家の戸が内側から蹴り飛ばされ、住民らしい男が転がりだした。真っ赤な血が石の道にじっとり広がる。男はピクリとも動かない。
 クリスが大きく口をあけ、体を震わせた。
 だめだ、クリス!
 夕凪は反射的にクリスにとびつき、口を押さえて物陰に引きずり込む。同時に壊れた戸から男たちがぞろぞろと出てきた。
 頭に色とりどりの布をまき、上半身は半裸、腰にはサッシュベルトを締めている。海賊だ。愉快そうに笑い、腕には略奪品らしきツボや袋を抱えている。どれも血にまみれていた。
 クリスはうぐうぐと押さえた口の中でうめいた。こくこくと頷く。
 静かに手を放すと、ぜーはーと大げさに息をした。
「ナギにぃ、息が止まって死ぬかと思ったじゃんかよう」
「悪い、見つかって実際に死ぬよりマシだと思ったんだ」
 と、どこかで悲鳴があがった。遠くで煙がたちのぼり、ついで炎が空を舐めるように踊る。
「やりたい放題だな」
「おいらの憧れたバッカニアって、こんなんじゃないよ」
「そうだな、こいつらは海賊の風上にもおけない。《きまぐれな女王様》号の海賊たちとは種類が違うんだ」
 吐き捨てるように言うと、夕凪はクリスの手をとった。建物の影から影へと抜けていく。ひどいありさまだった、そこらじゅうに死体が転がり、銃声が景気づけのように鳴り響き、悲鳴が色を添える。
「ナギにぃ、西にでっかい教会がみえるよ」
「たしか眠り姫は教会に運び込まれたって話だよな、とりあえず行ってみるか」
 建物の隙間を抜けて先へ行こうと思った、そのとき。甲高い悲鳴が目の前を横切った。クリスよりすこし年上くらいの少女が、長い髪をヒゲ面の男に掴まれ引きずられていったのだ。男は下品な目で少女を舐めまわし、笑い混じりに歩いていく。
 少女の運命は想像するまでもない。想像しないほうがいい。海賊に襲撃された街でたった一人を助けたところで自己満足にしかならないし、夕凪のやるべきことは他にある。美汐を探すことだ。美汐と見知らぬ少女の運命、天秤にかければ答えはすぐ出る。
「はずなんだけどなあ、やっぱり計算苦手だな。僕は救いようのないバカだよ」
「なにいってんだい、こういうことで賢いナギにぃなんか、おいらの相棒じゃないぜ」
 クリスはどこから引っ張り出したのか、腕ほどの太さがある棒を放ってよこした。
 目線で合図を送る。一呼吸、二呼吸、一斉に飛びかかった。なにが起こったのか男が理解する前に、夕凪とクリスの棍棒が男をしたたかにうちのめす。
 男はよろけて石畳に崩れ落ちた。
「はやく、いまのうちに逃げて!」
 夕凪が鋭く叫ぶと、少女は怯えた瞳であたりを見渡し、やがて短くスペイン語でなにかを告げて駆けていった。たぶん礼だと思うが、いまひとつ自信はない。
 ついで、こんどこそ本当になんだか分からない言葉で怒声が浴びせられた。倒れた男がフラフラと起き上がり、夕凪とクリスを指さしていた。
「げ、まだ気絶してなかったのか」
「ナギにぃ、あいつなにいってるか分かるかい?」
「ごめん、フランス語はサッパリなんだ。だけど不思議と想像がつくんだよな」
「おいらもだ、やっぱナギにぃとは気があうぜ」
「ってことで、逃げるぞ!」
 夕凪とクリスは石畳を蹴りつけて走った。それはもう脱兎という言葉を超えて、シッポに火がついた馬のように。
 だが、男の怒声に応じて何人もの海賊が建物から飛び出してくる。
 横合いから海賊がひとり飛びかかってきた。クリスの肩にごつい腕がつかみかかる。寸前、夕凪はクリスの手を掴んでダンスよろしく半回転させた。着地したクリスはしゃがみ込むと海賊に足をひっかける。
 勢い余った海賊はつんのめって顔面から壁に突撃、ずるずると崩れおちた。
「おいらたち、やっぱり最高の相棒だぜ、ナギにい!」
「そんなの確認するまでもないだろ! とにかく逃げろ!」
 背後から十数人の海賊が押し寄せる。
「ナ、ナギにい! なんだか知らないけど、みんなすっごく怒ってるみたいだ!」
「きっとスペイン料理が口に合わなかったんだよ、なにせフランス人だからさ!」
 夕凪とクリスは通りを駆け、建物の隙間をすり抜け、だが、正面に立ちはだかる壁をみつめて呆然とした。
「行き止まりか……」
「ナギにぃ、おいらナギにぃと一緒なら怖くなんかないよ」
 クリスの声が震えている。油染みた体を派手な布で飾った海賊たちが、じりじりと詰め寄った。どうする、クリスと協力して屋根に逃げるか。
 逃げ道を探っていたそのとき、あまりにも場の空気をぶち壊す声が聞こえた。
「熟女が呼ぶ」
 海賊たちが唐突な声の出所を探してあたりを見渡した。
「幼女が呼ぶ」
 海賊のひとりが、屋根の上を指さした。輝かしい日輪を背に雄々しく影が落ちている。
「愛をくれよとオレを呼ぶ」
 影は、「とうっ」とかけ声を残して飛翔した。
 空中をネコのしなやかさで回転、土煙を巻き上げ地に降り立つ。
 真っ赤に燃えるバンダナが頭に巻き付けられていた。真紅のサッシュベルトに二丁のピストルをはさみ、裸の上半身はギリシャ彫刻もかくやという美麗なる筋肉に彩られている。
「美熟女から美幼女まで、世界の女を見境いなく守る愛の戦士、風間疾風ここに見参」
「し、疾風?」
 夕凪はほうけた声をあげた。だが疾風は夕凪には見向きもせずクリスの手を取り、うやうやしく頭を下げてみせる。
「麗しい美少女が危機とくりゃ、南極の真ん中からでも即参上、マドモワゼ~る」
「ちょっと待った! よくクリスが女の子だって、じゃなくて、そのバカっぷり、疾風なんだろ! その格好いや、それも違って! なんでそんなに年上なんだ!」
「おんやあ、夕凪ちゃんいたのか。わりいわりい、オレの目は細すぎて、美少女しか目にはいらねえんだわ。三年半ぶりかあ? なっつかしーよな。つか、夕凪ちゃん、変わらな過ぎじゃね?」
 疾風はバカ笑いをあげて夕凪の肩を叩いた。
 三年半だって?
「ナ、ナギにぃ、このひと、ナギにぃの知り合い、なんだよね?」
 あまりのことに硬直したクリスが、軋みそうな音をたてて夕凪に顔を向けた。ああ、気持ちはわかるぞ、クリス。
「――っ!」
 そのとき、同じく固まっていた海賊のひとりが疾風に詰め寄った。だが――
 豪腕一閃、疾風の拳が海賊の顎に食い込み、歯を飛び散らせて振り抜かれた。海賊の体がきれいに一回転、すでに意識を断ち切られていたのか、なんの抵抗もなく石畳に叩きつけられる。ピクリともしない。
「うっせーんだよ、幼なじみと感動の再会やってんだからよ、ちっとは遠慮しろっての」
 疾風は首を軽く鳴らす。海賊たちは疾風へにじり寄ると激しく怒声を飛ばし、仲間同士で目線を交わして剣を引き抜いた。
 凶悪な金属が陽光に輝き、輝きが一斉に襲いかかる。
 その光景は、もはや悪夢だった。
 海賊たちが二、三人まとめて空を飛んだ。疾風は襲いかかる剣を花園でスキップする乙女のように、しかも鼻歌まじりでかわし、拳やヒジの一撃で地面に沈める。
 十数人を片付けるのに、三分とかからなかった。
 なんだこれ。本当に疾風なのか。
「つ、つ、つ、つえぇぇ、すっげえ、すっげえよ、ナギにぃの知り合い!」
 クリスが青い瞳をキラキラ輝かせた。確かに強い、というか反則ものだ。
 疾風はフフンと鼻を鳴らす。
「美少女の熱~い瞳に見つめられりゃ、勇気百倍力千倍、俺は君のために無敵になれるのさ~愛してるよ~」
「ああ、やっぱり疾風だ、情けない方面で間違いなく」
「すっごい強いけど、すっごいバカだ」
 クリスは濁った目で疾風をながめた。
 三年とはんぶん年上となり、十九歳になった疾風は、驚くほど成長して、中身はサッパリかわっていなかった。

「っなわけでよ、こっちに来てから海賊やってたわけよ。いや~、言葉覚えるのに苦労したぜ。ま、そんな俺様も、いまやフランス語と英語と日本語を操る、国際派超美青年。この俺の魅力に女という女が潤んだ瞳でジュテームってなもんだぜ」
 何が楽しいのか、疾風は大笑いして夕凪の肩を叩いた。それから膝をついてクリスに笑いかける。
「ハニーも俺に惚れるのはいつでもオッケーだぜ。俺様はいつでもどこでも、何人でも受け入れ準備万端だからなあ」
 白い歯が輝いた。
 クリスは頬をひきつらせると、ささっと夕凪の背に隠れる。
「お、おいらナギにぃのものだから、だ、だめなんだ、ごめんよ」
「土下座して頼むから、妙な言い方しないでくれ、クリス」
「そうか、夕凪ちゃんもついに目覚めたか。しかも男装美少女とはマニアックだぜ、俺はおまえを見直した、いや惚れちまったかもな」
 疾風は夕凪の肩に手をおき、熱く見つめる。
「疾風……その、僕は……とりあえず逃げたほうがいいと思うな」
 いつのまにか、新手の海賊たちが銃を手にぞろぞろ駆けつけてくる。
「愛のひとときを邪魔するたあ、なんて無粋な連中だろうなぁ」
 いいつつ疾風は一目散に駆け出す。夕凪とクリスも後につづいた。
「なあ、疾風は美汐を探しに来たのか!」
「おうよ、夕凪ちゃんも例の噂を聞いたんだろ、黙っちゃいられねえよなあ。ってことで、こっちに来な!」
 疾風は細い通りを抜け、崩れた建物の影に潜んで海賊たちをやりすごし、やがて大きな教会の前で足を止めた。三本の尖塔が優美なラインを描き、白壁と屋根の赤が美しくコントラストしている。
 門の回りには見張りらしい海賊が十数人、銃を手にたむろっていた。
「裏に回って屋根から入るぜ。おっと、その前にこれ持っとけ」
「銃? こんなの使い方知らないよ」
 疾風が手渡したのは、精緻な彫金が施されたピストルだった。木製のグリップには金細工と宝石が輝いている。とても海賊が持ち歩くものには見えない。
「貴族の船を襲ったときに分捕ったんだよ。マッチロックじゃねえから、使い方は簡単だぜ。弾は一発きりだけどな」
 そういって疾風は同じ銃をサッシュベルトから引き抜いた。
「こいつは二丁組みになってんだよ。一丁は夕凪ちゃんにプレゼントだ。熟成してうまみたっぷりな俺たちの友情の証だぜ」
「……ありがとう、大切にするよ」
 夕凪はひやりとする銃身を撫でると、ベルトに差し挟んだ。
 
「ナギにぃ、だれもいやしないよ」
 二階の窓から軽快に飛び降りたクリスは、部屋から廊下をうかがってそう言った。部屋は倉庫代わりに使われているのか、木箱や棚が詰め込まれている。クリスが降り立った床からホコリが舞い上がってチラチラと光を放った。
「わかった、いま行くからちょっと、おわわ、ぐべっ」
「ナギにぃ、なにやってんのさ」
 着地に失敗して床にへばりついた夕凪に、クリスは額に手をあてため息をつく。
 その隣に疾風が軽やかに着地した。なんだろう、この差は。
「この奥に祭壇があるはずだ、いくぜ」
「疾風、ずいぶん詳しいな」
「あのな夕凪ちゃん、海賊は情報が命なんだぜ。スペインの財宝船がいつ出航したとか、そんな情報だって海賊仲間じゃ、あっちゅうまに広まんだよ。これくらいあったりまえだっての」
「なんだか、すごいな疾風は」
 悔しいけどカッコイイ、そう思ってしまった。三年半の時間、たったそれだけの差なのに、はるか遠くへ行ってしまったような気がする。
「ふふん、夕凪ちゃんよ。俺に惚れると火傷するぜ。俺は港という港に愛をふりまく愛の使徒だかんなぁ。悲しいかな一人だけに愛をそそぐわけにゃいかんのよ」
「そのバカを直せばもっといいのにな」
「はっは~ん、こいつは俺の生き様だぜ」
 疾風は己の胸にくいっと親指をつきつけた。ああ、もっとマシな信念を主張すればカッコイイのに。なんて残念な。
 白い漆喰が塗られた廊下を進むと、青く十字が意匠された扉が現れた。そっと押すと軽く軋んで開いた。天井の高い部屋だった。天窓から淡い日差しが降り注ぎ、正面の祭壇でキリスト像が両腕を広げて慈愛をふりまいていた。
 静かだ。冷ややかで重い空気が漂っている。床には長椅子がいくつも並び、中央の通路の先には、真っ黒な棺が置かれていた。
「ナギにぃ、なんか気味悪くないかい?」
 クリスが夕凪の袖をきゅっと掴んだ。
 疾風が大股で棺に歩み寄っていく。夕凪とクリスもあとに続く。
「こいつか、そいじゃあ、ご対面~といくかあ」
 疾風は棺の蓋をつかみ、ふんっ! と力を込める。隆々たる筋肉が弾け、棺が重い音をたてて開いた。
 夕凪は息を飲んだ。
「美汐……」
 銀色の髪が淡い光に輝いていた。白い肌が薄暗い窓明かりに映え、熱帯の花々に横たわった体はフリルたっぷりのドレスに包まれている。ほんのり浮かんだ笑顔はちいさなくちびるの淡い桃に彩られ、幼い顔立ちをどこか艶やかに見せていた。
 きれいだ。どんな海よりも透き通って、淡雪よりもはかなくて。いつも側にいたときは、こんなふうに思ったことはない。だけど、いまは断言できる。美汐は世界でいちばんきれいだ。
「……ほんとのお姫様みたいじゃんか。おいらと、違ってさ」
 クリスの声が寂しげだった。見れば、自分のボロボロなシャツを掴んで美汐を見つめている。その表情はどこか大人びて、夕凪の知らない種類のものだった。
「クリス、どうかしたのか?」
「あう? な、なんでもないよナギにぃ。そ、それよりさ、眠り姫ってことは寝てんだろ。どうやったら起きのさ?」
「そいつは決まってんじゃね~の?」
 疾風は自分を抱きしめてクネクネ腰を振る。
「眠り姫ときたら、王子様のあつ~いキッスでお目覚めってなあ。こいつは万国共通の決まりだぜ。てことで、夕凪ちゃん、いっちょいったれや」
「人前でそんなこと出来るか!」「そんのダメに決まってんじゃんか!」
 なぜかクリスと声が揃った。
「なんでクリスまで?」
「あう、えと、な、な、なんでもないよ! ナギにぃのバカぁ!」
 なぜバカ? 女の子は謎だらけだ。
「とりあえず、この縁起でもねえ棺から出してやっちゃどうだ。いくらなんでも姫君にゃ似あわねえだろ」
「そ、そうだな」
 夕凪は鮮やかな花をかきわけ、そっと背に腕を回した。
 美汐の体はあの日のままに柔らかく、だけどひどく軽かった。愛おしさがこみあげる。
「なんともねえのか、夕凪ちゃんよ」
「なんともって? ちょっと見た感じだけど美汐の体はべつにおかしくないぞ」
「美汐ちゃんじゃなくてよ、夕凪ちゃんのことだって。あー、なんつうの、予想してたとはいえ、現実ってのはつれえよな」
「疾風?」
「俺じゃなくてよ、夕凪ちゃんが眠り姫に選ばれた王子様ってこったよ」
 疾風はサッシュベルトから銃を引き抜き、夕凪の頭におしつけた。金属の冷たい感触が頭皮を削る。
 なんだこれは? 疾風が、自分に銃をつきつけている? どうして? なんの意味が?
「疾風、冗談にしちゃ、やり過ぎじゃないか」
「いままで眠り姫に触れることができたヤツは、だあれもいないんだわ。俺も含めてな。なのに、夕凪ちゃんは抱き上げてもお咎めなしだ。こいつは不公平だよな。てことで、夕凪ちゃんは俺様の敵に決定。いや、悲しいねえ」
 疾風は、軽薄にため息をつくと、額をペシペシと叩く。
「ナ、ナギにぃ、このひと、味方だったんじゃないのかい」
「友達だよ、大切な、すごく大切な。疾風、なんで」
「俺はさ、ユニスちゃんの願いを叶えることにしたのよ。わかる?」
「まて、どういうことだ。美汐を助けるために来たんじゃないのか!」
「もちろん美汐ちゃんは助けるぜ、俺の命に代えてもな」
「疾風、なにか事情があるんだろ。それなら僕が!」
「実は俺、悪の魔王に洗脳されちゃってさ、イヤイヤこんなことやってんの。たすけて、夕凪ちゃん! なんてオチだと笑えるよな。でもま、なんつうの。俺って、わりと昔から夕凪ちゃんのこと嫌いだったんだわ。す~ぐおいしいとこだけ持ってくしな。放課後の屋上とかさ」
 ――夕凪は口を押さえた。屋上で美汐にキスをされた、あのとき。
「見て、いたのか、疾風」
「まあねえ、ツユリねえちゃんから逃げるのは得意だからな。おっと、いまは俺のほうがひとつ年上か。こいつは妙な気分だぜ」
 その言葉に違和感を覚えた。いま、ひとつ年上と言わなかったか?
 現代でツユリは十七歳だった。いまの疾風が十九歳ならふたつ年上だ。
 疾風の計算間違えか、そうじゃない。
「疾風、知っているんだな。ツユリさんがこの時代に来ていて、いま十八歳だってことを。いや、それだけじゃないな」
 夕凪がこちらに来たのと合わせたように起きた幽霊船の眠り姫騒動。そして疾風はユニスのことも知っていた。
「幽霊船の噂や、願いが叶う塔の噂を広めたのは、疾風か」
「おんやあ、カンがいいじゃねえの。ご名答~、名探偵夕凪ちゃんには、ご褒美に俺様の熱~いキッスをプレゼントだ。ついでいうと、ロロノワをけしかけたのも俺ね、ちょいと別件で人手が必要でさ。いや、こっちの件でも便利だったけどな」
 疾風はそう言うと、片手を振って合図する。入り口から数人の海賊が躍り出た。
 凶悪な面構えで銃口を夕凪に向ける。
「どうして、こんなことを、疾風!」
「ユニスちゃんの願いを叶えるにゃ、美汐ちゃんが必要でさ。ところが、ご当人は心の中に引きこもって眠り姫ときたもんだ。目をさますにゃ王子様が必要だろ。たぶんそいつは夕凪ちゃんだろうって思ってさ、わざわざ幽霊船まで用意して噂を広めたわけよ。ノコノコやってきてくれてありがとよ。これから美汐ちゃん専用目覚まし時計として役立ってもらうぜ」
「疾風、おまえっ!」
「おおっと、動かないでくれよ。殺すわけにゃいかねえけど、死ななきゃどうなっても構わねえのよ。あ~面倒くせえから、手足の腱を切って動けなくして――ぬがぁぁぁぁっ!」
 疾風が素っ頓狂な叫びをあげた。その腕に噛みついていたのだ。クリスが。
「にゃぎにゅいに、へだふな!」
 夕凪は間髪いれず姿勢を下げ、疾風の足にケリを叩き込む。もんどりうって床にくずれた疾風が、頭をしたたか打ち付けてのたうちまわった。
「逃げるぞ、クリス!」
 夕凪は棺の美汐を抱きかかえた。海賊たちが銃を向けるが、明らかな迷いが走る。撃てば疾風や美汐に当たるかもしれない。そしておそらく、夕凪を殺すなと命令されているのだ。
 夕凪は全速力で突進、肩から体当たりをかました。海賊の群れがバランスを崩す。そこへクリスがジャンプ、海賊の顔をケリつけ乗り越える。床に倒れた海賊を夕凪がトドメとばかりに踏みつけた。
「――っ!」
 疾風が意味の分からない言葉で叫びをあげる。
 構っている暇はない。海賊の群れを突破、教会の外に飛びだした。だがクリスと駆け足ポーズで足踏み。
 整然と区画された通りのあちらからも、こちらからも凶悪な面構えの海賊が溢れてくる。
「ナ、ナギにぃ、どうすんだい!」
「ええと、どうする、どうする、こっちだ!」
 夕凪は美汐を抱え直すと、低い建物の連なりに一直線。壁の直前で腰を落とした。クリスがその背に足をかけ跳躍。小さな体が軽々と屋根に降り立った。
「ナギにぃ!」
 クリスが屋根から手を伸ばす。夕凪が美汐の体を持ち上げると、クリスが顔を真っ赤にして引きずり上げる。ついで夕凪も手を借りて屋根に登った。
 海賊たちが意味不明な怒声をあびせかけてくる。
「引きずり下ろせとか、ぶっ殺せとか言ってる気がするな」
「おいらは刻んでやれとか、吊してやれっって言ってる気がするよ!」
「フランス語って、思ったより簡単かもしれないな!」
 夕凪とクリスは赤茶けた瓦屋根をけたたましく鳴らしながら駆ける。夕凪の胸に美汐のあどけない顔が頬を寄せていた。渡してたまるか。もう手放さない。イヤだといっても側にいてやる。またどこかへ消えようとしたら、
「首輪つけてでも逃がさないからな、美汐! 一応いっておくけど僕はノーマルだ!」
「ナギにぃ、なに言ってんのさ!」
「僕の時代のクリスにはちょっぴり早すぎる風習の話だっ!」
 クリスと足を揃え、屋根と屋根の間を飛び越える。
「ナギにぃ! なんか上がってくるよ!」
 見れば海賊がハシゴを引っ張り出し、あちらの屋根から、こちらの屋根からはい上がってくる。まるでゴキブリの群れだ。
 目の前の屋根に海賊が半身を乗り出した。カットラスを振り上げる。
「んにゃろぉ!」クリスがカットラスを蹴りつける。怯んだ隙に、夕凪は屋根から突き出たハシゴを蹴り飛ばした。海賊が青い顔でバランスを取り、やがてハシゴもろとも地面に叩きつけられた。「ぐへぇっ」と声が聞こえる。
「いまの声はフランス語でも意味がわかったな」
「おいらもだ。もうトルトゥーガでフランスのバッカニアやれるかもしんないよ」
「そのときは僕もつきあうけど、今は仲間にしてもらえそうもないな」
 べつの屋根に登った海賊たちが、ギラついた目でカットラスを振り上げている。
「とにかく走れ!」
 迫り来る海賊の群れ、熱帯の陽光にきらめく金属、意味不明な怒声。
 その中を夕凪とクリスは駆け抜ける。ドレス姿の美汐を抱えて逃げるさまは、映画に出てくる駆け落ちのシーンみたいだ。などと場違いな想像が浮かんだ。
「と、とおぉっ!」
 夕凪は足をとめた。かけた瓦がからからと足下から落ちて、はるか下の水面でしずくををはねあげた。屋根の連なりは唐突に終わりをつげ、下は波が砕ける崖になっている。
「ナギにぃ、行き止まりだぜ!」
 押し寄せる海賊が足を止めた。カットラスを構え、夕凪とクリスにじわりと押し寄せる。獣の体臭が漂い、口々に罵声らしきものを飛ばしてくる。
「しかたがないな、クリス」
「ま、そうだねナギにい」
「それじゃ」「いくぜナギにぃ」
 夕凪とクリスは海賊に背をむけると、いっきに跳躍した。
 体が浮遊し、ついで風を切って落下する。
 衝撃、水が盛大に跳ね上がった。いや、夕凪たちは海に落ちたわけじゃない。足下はしっかり木板に支えられていた。
「てめぇら、こんなド派手な合流するなんざ聞いてねえぞ!」
 バーナードがダミ声を張り上げる。
「悪い、でも臨機応変って言葉があるんだよ」
「ナギにぃはむつかしいこというな。いきあたりばったりじゃないのかい」
 夕凪とクリスはバーナードのボートに乗っていた。
 バーナードはこの崖下にボートを隠し、夕凪たちは外回りで合流することになっていた。そこへダイレクトに飛び降りたわけだ。ちょっと予定が変わってしまったが、結果良ければ天下太平。
「よっしゃ、女王様のところへ帰るぜ! てめえらしっかり漕げや!」
 男たちが声をはりあげ、一斉にオールを動かした。ボートがなめらかに滑り出し、屋根の上で海賊の群れが腕を振り上げ怒声を飛ばす。
「へっへ~ん、悔しかったら、にひゃあ」
 銃声が鳴り響き、クリスの鼻先を羽音がつきぬけて海面を弾く。
「ボケ、いらねえ挑発すんじゃねえ!」
 バーナードの怒鳴り声がトドメを刺した。



 ◇ 四 マラカイポ沖の戦い

「よっ、ロロノワのおっさん、ご機嫌いかが~」
 白いアーチを抜けた疾風は、庭園で座り込む男に声をかけた。男はいくぶん肉付きのよい長身で、そのわりに頬はやせていて神経質な印象を受ける。年齢は二十代後半、マラカイボを制圧した海賊集団の頭目、フランソワ・ロロノワだ。
 ロロノワは軽く疾風に視線を向けると、
「ゲイルか、なんの用だ。オレはいま偉い貴族様の歓待で忙しい」
 そういって巨大な肉塊を突き刺した棒を回した。この男は、マラカイボ総督の壮麗な庭のど真ん中で、野蛮にもたき火を起こし肉を焼いていたのだ。
 少し離れた白いテーブルには、五十代のスペイン人男性がついている。この屋敷の持ち主、マラカイボの提督だ。顔は血の気を失い、脂汗が絶え間なく落ちている。
「お貴族様は、あんま楽しくなさそうだぜ、接客マナーがなってないじゃねえの」
「オレが生まれたのはクソにまみれた腐ったドブだからな。そんなシャレたもん知らん。ところでゲイル、おまえに殴られて一人死んだヤツがいると聞いた」
「あーそう、運がねえな。んで、そいつがどうかしたっての?」
 疾風は興味さなげに耳をほじる。ロロノワの狡猾な目が細くなり、なんの前触れもなくベルトの銃を引き抜いた。躊躇なく引き金を絞る。発火機構が唸り、銃口が破裂音と白煙をまきちらした。
 疾風は顔色ひとつ変えず首を軽く傾ける。耳障りな音をたてて弾丸が頬をかすめた。
 ロロノワは煙の残った銃をベルトに戻した。
「どうもしない。死んじまうマヌケが悪い」
「そんでロロノワさんよ、じつは眠り姫をかっさらわれちまったんだけど、手勢貸してくんね。できれば三、四隻くらい、相手がちいとばかり面倒でさ」
「あとにしろ、肉が焼けた」
 ロロノワはナイフを取り出すと、串刺しされた丸焼きのほほ肉を削り落とした。白い歯がずらりと剥きだしになり、油が落ちて炎が弾ける。
 清国から輸入された白磁の皿に肉をのせると、総督の前に乱暴に叩き置いた。
「食え」
「お、お、おまえはなんだ、ほんとうに人間なのか、ど、ど、どうしてこんなっ」
 血の混じった汁がにじむ肉を前に、総督は引きつった声を絞りだす。
「なんだ、貧民の作ったもんは食えねえってのか」
「材料が悪いんじゃねーの、ちょ~っと筋っぽそうだぜ」
 疾風がカラカラ笑うと、ロロノワはふむ、と考え込む。
「総督殿の秘書官を丸焼きにしてみたが、やはり男はだめか。なら総督殿の孫娘を――」
「や、やめろっ! やめてくれ、隠した銀貨の場所は教えただろう、これ以上なにが欲しい! 教会の黄金像か、美術品の隠し場所か、なんでも教える、もうやめてくれ、頼む!」
 総督は涙にまみれた顔でロロノワの袖にしがみつく。
 だがロロノワは失望をあらわにした。
「そう簡単にしゃべられては、拷問を楽しめないではないか」
「あ、あうが、お、おまえは――っ」
 総督は言葉を失って崩れ落ちた。
「でさ、話は戻るんだけどロロノワさんよ。船をちいっとばかり」
「ダメだ」
「うわ、つれねえなあ、俺とあんたの仲じゃん」
「マラカイボの住人が隠した銀貨を集めるのが先だ。眠り姫は、あとから取り戻す」
 と、そのとき、庭園の入り口に海賊がひとり飛び込んできた。
「やられましたぜロロノワさん! 街の隠し財産、誰かにごっそり持ってれちまったみてえで! ひで?」
 海賊は自分の額に生えたナイフに手をやった。意味が理解できないうちに白目をむき、その場に崩れ落ちる。
 ロロノワはナイフを放った手を軽く振る。
「ムカつく報告をするな、バカが」
「いんやぁ、やってくれるねえツユリねえちゃん」
 疾風は口笛を吹いた。ロロノワが鋭く視線を向ける。
「知り合いか」
「船、貸してくれるよな」
 疾風は楽しげに口元を歪めた。

*   *   *
 
「首尾は上々のようね、夕凪くん」
 マラカイポ沖に停泊する《きまぐれな女王様》へと戻った夕凪たちは、そんなツユリの言葉に迎えられた。
「トラブルだらけでしたけどね。走るのも飽きたんで、しばらくカメ生活に励みます」
「あきれたナマケモノね。人生なんかトラブルの合間に平穏があるくらいでちょうどいいのに。それにしても、この眠り姫さん」
 ツユリは夕凪が背負った美汐の寝顔を覗きこむ。
「こっちは大騒ぎだっていうのに、なんだか幸せそうな顔をしているわね。美汐さんらしくていいけれど、なんだか悔しいわ。目が覚めたら、とっておきのお説教とお菓子を出してあげないと。ところで、いつ起きるのかしら」
「それがサッパリ。塔へつれていってほしいって、夢で美汐の声を聞いたことがあるんですけど」
「塔ね、あらゆる願いが叶うという塔、行ってみたいところだけど、場所がわからなくてはお手上げね」
「大雑把でよければ、わかりますよ」
 夕凪はズボンのポケットからメモ帳を引っ張り出した。潮にまみれて薄汚れているが、カリブ海の地図に書き込まれた矢印と予想位置は見て取れる。
「それって、美汐さんが、どこから来たか予想した海図よね。なるほど、美汐さんがきた場所こそが、塔の場所ってわけ。面白いわ」
「ところで、ツユリさんの首尾はどうだったんですか?」
「あら夕凪くん、その質問はありえないわ。ありえないのよ。決まっているじゃない」
 ころころと笑うツユリの後ろに、箱が山と積まれていた。強い日差しを浴びた銀色が無数に輝く。
 海賊たちが大笑いしながらザックザックと銀貨を掘り返しては投げていた。
「見てのとおりよ、八レアル銀貨十万枚。これだけあればキュラソー島にいって、ウィレムスタッドの街を丸ごと借り切って豪遊できるわよ」
 背後で「おお――っ!」と歓声があがる。
「でも、その前にひと仕事ね、そろそろ来る頃よ」
「ツァーリ船長! マラカイボの港から船が来やす! 三隻、いや四隻! 白地にアイリスはフランスの旗、赤の交戦旗! ロロノワの船団に間違いねえです!」
 ミズンマストの見張り台から声が飛んだ。
「楽しくなってきたわね! さあ、わたしのかわいい海賊たち! 宴の前の余興よ、フランス人バッカニアたちとたっぷり遊んであげなさい!」
「おお――っ!」「野郎どもにツァーリ船長の鞭をくれてやれ!」
 甲板を海賊たちが駆け回り、景気のよい声が飛び交う。
 マストに登った海賊たちが帆を下ろし、風をうけた船が軋みをたてて走りはじめた。
「ジョリーロジャーを掲げなさい! やつらに自分たちの未来を教えてやるのよ!」
 ツユリの命令を聞いた海賊たちがメインマストにするする登り、青い空へ真っ黒な旗をかかげる。風をうけてはためくのは黒にドクロの意匠、口にはバラを一輪くわえていた。
「ああ、いいわ、これがないと気分が盛り上がらないのよね。それと夕凪くん」
 ツユリは夕凪に向き直った。
「向こうは足の速いスループよ、じきに追いついてくるわ。美汐さんを部屋に寝かせてあげなさい」
「わかりました、行ってきます」
「あ、おいらも行くよ!」
 駆け出そうとするクリスの首根っこをツユリがひっつかんだ。ぐへぇっと声がもれる。
「な、なにすんだよ、船長さん!」
「あなたはここにいなさい。いいかしら、いいわよね」
 有無をいわせぬ眼光に、クリスは「はうう」と情けない声をあげて座り込んだ。

 夕凪は割り当てられた小部屋のベッドに美汐を寝かせた。
「ほんとうに眠り姫だな」
 おとぎ話よりもずっと綺麗だけど。そんな言葉を心の中で付け加える。
 真っ白でなめらかな肌も、少しまるっこくて子供っぽさがある顔立ちも、淡い色のちいさなくちびるも……あのときのままだ。
 夕凪は美汐の頬をそっと撫でた。柔らかくて、それなのに滑るような手触りだ。
「美汐、どうして疾風は僕たちの敵になったんだろうな……」
 ――美汐のせいだよ……。
 かすかに聞こえた声に、夕凪は弾かれたようにあたりを見渡した。誰もいない。そして、ベッドの美汐はあいかわらず眠り続けている。
 ―ナギ、疾風が来るよ。疾風はかなしいで一杯なのに、もう迷わないんだ。だから、強いよ。
「美汐、美汐なのか、もっとちゃんと話してくれ!」
 夕凪は美汐のくちびるに耳を寄せる。だが、もうかすかな息さえも聞こえてこない。
 だが、確かに美汐の声を聞いたのだ。
 夕凪は拳を握りしめて駆けだした。狭い通路を抜け、船尾楼の扉を開けて階段を駆け上る。楼閣の上で指揮するツユリをみつけると、夕凪は叫んだ。
「ツユリさん、疾風が来ます! たぶんフランスの海賊といっしょに!」
「疾風くんが?」
 ツユリは怪訝な顔をする。それからゆっくりと頷いた。
「そう、彼もここに来ていたのね。フランスのバッカニアと一緒なら敵かしら」
「ほかの海賊は銀貨が目当てでしょうけど、疾風は美汐を奪うのが目的です。断言してもいい」
「そう、強引な子は嫌われるのに、ダメよね疾風くんは。悪い子は海に沈めてから引っ張り上げて、たっぷり調教してあげましょう。それで終わりよ」
 お仕置き、か。疾風は子供のころ、悪ふざけが過ぎてはツユリに仕置きされていた。そうだ、それで昔に戻れればいいんだ。疾風。
「ツァーリ船長! そろそろ食いつかれそうですぜ!」
 船尾方向を見ると、先行する二隻のスループ船が岸近くを滑るように帆走してくる。もうフランス海賊たちの顔がはっきり見て取れる。
 いきりたち、激しく怒声を叩きつけてくる。クリスが手をかざして「うわぁ、すっごい怒ってるよナギにぃ」と、声を上げる。「やっぱさ、銀貨とられて機嫌わるいのかな」
「ちっちゃい男たちよね。クリスちゃんは、ああいう男は選んじゃだめよ。たかが銀貨十万枚くらい、女に貢いだと思って笑って済ませるくらいじゃないと」
 五十億円も貢いで逃げられたら、たいがいの男は怒ると思う。
「なにか言ったかしら夕凪くん。それにしても敵さん、あれで小型船の利を生かしたつもりかしら」
「僕の心を読むのは置いとくとして、小型船の利ってなんですか?」
「岸近くを帆走していることよ。夕凪くんは知っているかしら。帆船っていうのはね、風上に位置したほうが圧倒的に有利なのよ」
「風上? 自信をもって断言しますけど、サッパリ意味がわかりません」
「そんな自信は魚にでも食わせてしまいなさい。とにかく帆船の戦いは風上の奪い合い、風上を取った側が勝ったも同然なの。そしていま風は陸側から吹いている。だから、敵のスループは岸近くを帆走して、風上に入られないようにしているのよ」
 なるほど、夕凪はひとつだけ理解できた。《きまぐれな女王様》は大型船だ。喫水も深い。小型のスループより岸によれば船底が海底にぶつかって座礁するかもしれないのだ。
「それじゃ、どうするんですか! 足は向こうのほうが速い。風上も向こうに取られている、手も足も出ないじゃないですか」
「どうって、こうするのよ。操舵手! ラーボート(左転舵)!」
「アイアイサー! ツァーリ船長!」
「ちょっと操舵手、ツァーリはもういいけど、せめてサーじゃなくて、マムといってくれないかしら! これでも麗しき乙女なのよ!」
「アイアイサー! 麗しき乙女のためにラーボート!」
 操舵手はツユリの抗議をアッサリ流すと、中甲板から伸びる舵柄を傾けた。《きまぐれな女王様》号がゆるりと進路を変える。
 岸に向かって。
「ちょ、ちょっとツユリさん、なにを!」
「なにって、スループ船より内側をいけば風上とれるじゃない。こんな簡単なこともわからないのかしら、やあねえ夕凪くんってば」
「そうじゃなくて! 座礁するんでしょう!」
「座礁が怖くて海賊なんかできるもんですか。敵さんはそのあたりの覚悟が足りないのよ。あんなに岸から離れて風上とったつもりなんて、お子様よねえ」
 ツユリが言ったとたん、不気味な震動がつたわってきた。ガリガリと船底を削る音が聞こえる。クリスがバランスを失って甲板に座り込んだ。
「ナ、ナギにぃ! あの船長さん、どっか壊れてるよ!」
 泣きそうな声だ。だかツユリはいっこうに気にする様子もなく、それどころか危機を楽しむように鼻歌をならしている。
 め、めちゃくちゃだ。昔から傲岸不遜な性格をしていたが、これはもうリミッターを振り切って完全に暴走している。
 そうこうしているうちに敵のスループ船が追いついて横に並んだ。さすがに《きまぐれな女王様》より岸に近寄るのは無謀と考えたのか、敵船は風下側に位置している。
 このとき、夕凪は風上が有利だという意味を理解した。
 船は風下に向かって傾く。船が傾けば、もちろん大砲が置かれた甲板だって傾く。風下に位置した敵船の大砲は筒先を空に向けてしまい、《気まぐれな女王様》の船体を狙えない。一方で《きまぐれな女王様》の大砲は下に向かって傾いているが、その筒先が向かう先は、まさに無防備にむき出された敵の船腹!
「右舷砲門、敵船の腹をえぐってブチ撒けてやりなさいっ!」
 ツユリの命令が飛ぶ。ずらりと並んだ十四門の大砲に火が投ぜられた。耳をぶち壊す砲声が幾重にも轟き、大量の白煙が吐き出される。黒々とした鉄球がほんの十数メートル先を併走するスループに襲いかかり、着弾した。
 大砲の弾はただの鉄塊だ。だがその衝撃は船腹や舷側の木材を吹き飛ばすに十分だった。激しく飛び散った破片はスループの海賊たちに襲いかかり、無数の悲鳴が飛び交い、血がしぶき、操船に失敗して風下に落ちていく。
 穴だらけにされた船腹から海水が入ったのかもしれない。
「ツァーリ船長、二隻目が内側に入り込んできまさあ!」
 見張りから声が飛んだ。
「あら、少しは骨のある船長がいるのね」
「どうするんですか、ツユリさん!」
「決まっているじゃない。操舵手、遠慮はいらないわ、ブチ当てておやりなさい!」
「アイアイサー! ラーボート、気前よくブチ当て一発!」
 《きまぐれな女王様》は陸側へ割り込むスループ船に接近、女王の船尾がスループの船首に衝突した。激しい振動が夕凪の体を甲板へ叩きつけ、クリスはごろごろ転がって目を回す。
「やっぱ、めちゃくちゃだよ! ナギにぃ!」
 クリスが頭を抱えて絶叫。
 木片を飛び散らせながら二隻は絡み合い、やがて逃げ場を失ったスループ船がさらに陸側へと船首を向けた。だが、水柱がほとばしる。
 スループ船が座礁し、激しく船体を軋ませながら傾いた。
「あら、けっこう危ない場所なのねえ。操舵手、スターボード(右転舵)、岸から離れなさい」
「アイアイサー! ツァーリ船長! 角度は操舵手の気まぐれスターボード!」
 操舵手が舵柄を傾けると、《きまぐれな女王様》は緩やかに岸を離れていった。
「い、いまさら危ないって言ってるよナギにぃ。おいらバッカニアに憧れてたけど、自信がなくなってきそうだよ」
「大丈夫だクリス、僕は海賊に詳しくないけど、こんなめちゃくちゃな船長はほかにいないって断言できるから」
 夕凪はしょげかえるクリスの髪をなでてやる。気持ちは痛いほどわかるぞ。
「ツァーリ船長! 残り二隻が追ってきやす! おんや、一方の船に黒旗がひるがえってやす、黒にドクロの旗だ!」
 それを聞いたツユリの表情が曇った。
「疾風くんね、間違いないわ」
「どうして旗だけで判るんですか?」
「ジョリーロジャーは十八世紀から使われはじめるのよ。十七世紀のいま、あの海賊旗を使っているのは、わたしたちと、疾風くん以外にありえないわ」
「疾風……どうして、おまえは」
 美汐を助けたいなら、一緒にやればいい。なのに疾風は夕凪を拒絶する。それは、美汐と夕凪がキスしたことが原因なのか。
 いや、それだけじゃないような気がする。
「なにを考えているんだ、疾風……」
 幼い日、いっしょに美汐に贈った海賊旗を掲げ、いま何を。
「操舵手、もうじき外洋へ出るわ。二隻相手の海戦はごめんだから、いちど進路を変えて振り回すわよ。離れたところを各個撃破、いいわね」
「アイアイサー!」
「総員、タッキング用意! ドジ踏むんじゃないわよ!」
 海賊たちが旺盛な声で答える。
「タッキング!」
 ツユリの声と同時に、海賊たちが一斉にロープを引いて帆を動かした。船の転舵に合わせて風を受ける方向がかわる。それに合わせて帆を動かしているのだ。
「ツァーリ船長! 追随する船も進路変更! おんや?」
 見張りが奇妙な声を出した。
「どうしたのかしら、気になることがあるなら報告なさい!」
「黒旗の船が、奇妙な方向に帆を動かしてやすぜ、あれじゃ風を捕まえらんねえんじゃ」
 見張りは怪訝そうに首をかしげる。
 おかしい。夕凪は遠く黒い海賊旗を掲げる船を見つめた。風を読むのは疾風の特技だ。そう簡単にミスをするわけがない。なにか理由が……。そのとき、遠く海を渡る鳥の群れが目に入った。
 優雅に翼を広げ、やがて一斉に風を受けて舞い上がる。
 ハっとした。これは!
「ツユリさん、風が変わります! すぐに疾風の船に合わせて!」
 ツユリは弾かれたように望遠鏡を覗き込んだ。
「帆を戻して、いますぐ! 最速でやりなさい!」
 海賊たちがロープをたぐり、帆を動かす。その瞬間、風が変わった。
 ギリギリで合わせた帆が風を受け止め、船体が軋み音をたてる。
「ナ、ナギにぃ、いまのなんだったのさ?」
 クリスが青い瞳をきょとんとさせて、首をかしげる。
「マラカイボで会った僕の友達、疾風は風や天気の変化を自在に読めるんだよ」
「……ナギにぃ、その冗談、むつかしくてわかんないんだけどさ」
「そうね、冗談なら良かったのだけれどね」
 ツユリが苦笑混じりに息を吐く。
「操舵手、あなた風が変わるのを読める男がいたらどうするかしら?」
「そりゃ、すぐに迎えにいって仕事代わってもらいまさあ」
 笑い話かなにかと思ったのか、操舵手は陽気に答えた。
「なら、そんな男が敵にいたら?」
「そりゃ、総帆を上げて風下にまっしぐら、まあ逃げるってこってさ。そんなの相手にしたら、かたっぱしから先手打たれて話になりゃしませんぜ」
「夕凪くん。わたしは疾風くんの特技をバカにしていたわ。風なんか読んでどうするのって。けど、いまこの時代、この海で、疾風くんは世界最強よ。ステキね、なんだかゾクゾクしてきそう」
 ツユリは軽く身を震わせた。整ったくちびるが悪魔的につり上がる。
「ナ、ナギにぃ、なんか怖いよ」
「き、奇遇だね、僕もだよ」
「これから操船が厳しくなるわ! 全員、イングランド艦隊を相手にしてるつもりで気を引き締めなさい!」
 おおっ! と力強い声が轟いた。
「見張りは、黒旗の船の挙動を見逃さないで! いいわね!」
 さらにツユリの指示が畳みかけるように飛ぶ。疾風の船の帆を見極め、そのうえで《きまぐれな女王様》に最適な進路を取らせる。シロウトの目から見ても容易な指揮とは思えなかった。
 だがツユリの表情はますます楽しげに冴えわたる。
「帆船は動力船と違って自由自在に動くわけにはいかないわ。風を見極めた上で先をどこまで読むかが勝負を決めるの。疾風くんは風読みは天才でも、先読みは甘いようね。さあ、捕まえてあげるわ、疾風くん!」
 大きな弧を描いて疾走する二隻の船が、ゆるやかに併走しようとしていた。ジョリーロジャーを翻すスループ船が、やや遅れて《きまぐれな女王様》と並ぶ。
 風上を勝ち取ったのは《きまぐれな女王様》だった。
 疾風のスループ船は風下に落ち、ほんの十数メートル先で風を受け波をかき分ける。船尾には小さな楼閣があり、その天辺にいた。
 欄干に足をひっかけ、堂々と腕を組み、真っ赤なバンダナを風に遊ばせる男が。
「疾風――っ!」
 夕凪の叫びに、疾風が振り向いた。不敵な笑みが浮かぶ。なんだ、この余裕は。
「どうやら勝ったわね。右舷砲門準備して!」
「いや、ツユリさん、なにか」
 言おうとして言葉がでない。なにかひっかかるのだ、あの疾風の表情、あれは子供の頃、他人の驚かせて楽しむとき、よく疾風が見せていた顔だ。
 なにを使って驚かすつもりだ。この海には何も……いや、違う!。
「ツユリさん、もう一隻の海賊船は!」
 夕凪の叫びに、ツユリの表情が凍り付いた。誰もが失念していたのだ。いや違う、疾風は自分に注目を集めて、失念させていたのだ。海賊船が二隻だったことを。
 左舷で水しぶきがあがった。いままで忘れ去られていたスループ船が併走していた。
 風上に!
 スループ船の舷側が爆煙を吐いた。八門の大砲から黒々とした鉄球が飛来、《きまぐれな女王様》の舷側を、船腹を打ちのめし、木片を散らす。
 夕凪はとっさにクリスに覆い被さった。頭上を何かがかすめていく。あちらこちらで悲鳴が上がった。
「や、やられちまったのかい、ナギにぃ!」
「わからないよ! ツユリさんは!」
 ツユリは静かに疾風の船を見つめていた。消え失せた表情が笑みに変わり、低い笑い声が漏れる。心の底から沸き立つ歓喜を押さえきれぬように。
「自分を囮にして、もう一隻を風上に回すなんて。先読みでいいように操られていたのは、わたしだったわけね。わかったわ疾風くん。あなたを心の奥で甘く見ていたわたしがバカだったのよ」
 ツユリは腰の刀を振り抜いた。
「掌帆長、アレをやるわ、ドジるんじゃないわよ!」
「まかせとけい、ツァーリ船長!」野太い声が応じる。
「操舵手! ラーボートいっぱい! 梶をぶっ壊すつもりでやりなさい!」
「アイアイサー! ツァーリ船長! ラーボート、舵柄ぶっ壊れるまで!」
 《きまぐれな女王様》が左へと急激に梶を切る。海賊たちが一斉にロープを引き、帆の角度がめまぐるしく変わる。
 併走するスループ船が目前に迫った。
「真っ正面から突っ込んじゃうよ! ナギにぃ!」
 クリスの悲鳴が飛ぶ。だが、信じられないことが起きた。《きまぐれな女王様》が急減速したのだ。いや、それも違う。
 急激に横方向を向いた《きまぐれな女王様》は、船腹に水の抵抗を受けて一気に減速。だが船首方向への推進力は失っていない。これはTVで見たレーシングカーと同じだ。いま三百トンの巨体が波を蹴立て、海上ドリフト走行をかましている。
 ありえない光景に、敵スループ船の海賊たちが呆けた顔を並べた。
「いいわ、あのマヌケ顔、ゾクゾクするわ!」
 ツユリが身を震わす。スループはそのまま《きまぐれな女王様》を追い越し、一方で《きまぐれな女王様》は敵スループの真後ろをすり抜けた。
 瞬間T字型に位置する。
「右舷砲門、撃ちなさいっ!」
 十四門の大砲が白煙を吹いた。触れそうな距離で砲弾がスループを打ちのめす。船尾楼が吹き飛び、バラバラになった木材がクジラの潮となって空を舞う。瞬時に半死となったスループ船はバランスを崩して離れていった。
「船長、船底に水が入ってやすぜ!」
「死ぬ気で手押しポンプを動かして排水なさい! すぐにケリをつけるわ!」
 ツユリが叫ぶ。《きまぐれな女王様》は進路を戻し、再び疾風のスループ船を風下に捕らえた。
「右舷砲門、準備して!」
 疾風の船を至近に捕らえる。もはや邪魔者はいない。
 はずだった。
 なのに、それは起きたのだ。
 風が、吹き抜けた。強く、激しく。疾風の味方をするように。
 強風を帆に受けた《きまぐれな女王様》の船体が激しく傾く。
「ここまで……ここまで読んでいたというの、疾風くん!」
 ツユリが叫ぶ。
 風上は確かに有利だ。だが、それは普通の風が吹いているときに限った話だったのだ。
 強すぎる風で甲板が大きく傾き、大砲の筒先がスループの船腹を通り過ぎて、海面を向いてしまっている。これでは撃てない。
 《きまぐれな女王様》は強風で大砲を封じられたのだ。
 そして、疾風のスループから砲声が轟く。
 遙か頭上、《きまぐれな女王様》の帆に向けられた大砲が火を吹き、白煙とともに細長い砲弾が撃ち出された。
 はげしく回転して飛来、女王様の索具を絶ち、帆を切り裂く。
 マストを支えていた極太のロープが何本も甲板を打ちのめして暴れ回った。
「ツァーリ船長! これじゃ操船がききやせんぜ! 袋叩きになりやすよ!」
 だがツユリは返事をしない。なにかをつぶやいている。
「ツユリさん、しっかりしてください! このままじゃ」
 夕凪は投げかけた言葉を止めた。背筋に寒気が走ったのだ。
「いい、いいわ……興奮して体中が痺れそう、疾風くん、あなた最高よ。いままでバカにしていたけれど、わたしが間違っていたわ。あなたのことを好きになってしまいそう。ううん、あなたが勝ったら、わたしのこと自由にしていいわ。だから――」
 ツユリは指揮刀を振り抜いた。
「わたしに殺されないでよね、疾風くん!」
 ツユリはマストに登った海賊たちに叫ぶ。
「すべての帆を切り落としなさい! いますぐに!」
「そ、そんなことしたら船が動かなくなるじゃんか!」
 クリスが夕凪の腕の下で叫ぶ。だが海賊たちは躊躇なく帆を切り落とした。強い風に巨大な白が舞い上がっていく。
 風を失った《きまぐれな女王様》はゆるやかに速度を落とし、同時に船の傾きが水平へと戻っていく。そう、帆を失えば推進力を失うが、同時に船を過剰に傾ける風の影響も消えるのだ。ひとかけらの正気があれば使わない手段だろうが、大砲は間違いなく疾風のスループの腹を捕らえた。
「一発残らず叩き込んであげなさい!」
 十四門の大砲が火を噴いた。漆黒の鉄球がスループに襲いかかり、船腹を木っ端微塵に吹き飛ばす。
 疾風の船はきしみをあげてよろめき、緩やかに離れていく。
「逃げた、のか?」
「接舷して斬り込んできても、人数の差で負けるわ。いい判断よ。こちらも、ギリギリだったけれど」
 ツユリは大きく息を吐いた。
「さあ、帆を張り直して、キュラソー島で修理と補給よ」
 海賊たちがあわただしく走り回る。はたしてこれからどうなるのだろう。疾風がこれで諦めるとは思えない。どこかで決着を付けることになるのだろうか。
 疾風は、それを望んでいるのか? 夕凪は?
 答えは出ない。カリブの海は、果てなく広く、ただ波を繰り返していた。

 ◇ 五 美汐とユニス

 教室を夕日が照らしていた。
 机や椅子のパイプが細長い影を絡み合わせ、夕映え色に複雑なラインと描いている。
 窓際の席に美汐が座っていた。開け放たれた窓から風が吹きこみ、オレンジ色に輝く髪が幾本かの銀糸を遊ばせる。
 もういまさら驚かない。これは美汐と一緒に見ている夢だ。
「でも、なんで教室なんだ、美汐」
「ナギ、知ってた? 教室の窓からちょっぴりだけ海が見えるんだよ。ときどき海がキラって光るのは真珠貝が空の青さを海とまちがえて水面にぽっかり浮かんでくるからなのです。美汐はね、毎日毎日毎日、ず~っと島から海を見ていて、そんなことばっかり考えてたんだ。それでね、最後は海の青に溶けてみたいって思って」
 美汐が振り返った。菫色の瞳が夕凪を見つめる。
「崖から海に身をなげたんだ」
 そう口にした美汐の笑顔は、あどけなくて、なのに寂しげにくちびるが震えて、放っておくには愛おし過ぎた。
「ねえ、ナギは、美汐のことが嫌いになった?」
「ならないよ、僕が数学で満点とったらわからないけど」
「でも、美汐はナギがイヤな話をいっぱいするよ。ナギはお家に帰ってフレンチエンゼルのクーさんに、美汐はしょうゆみたいな女の子でした。今日の晩ご飯のアサリは佃煮になってしまいましたが、お許しください。って言いたくなるよ。でも、そうなったら美汐は寂しくて楽になれるかな」
「楽になんてしてあげないから、安心しろ」
「うわ、ナギはいじわるさんだ」
「自分勝手な子には、いじわるしてもいいんだよ」
 夕凪は優しく笑ってみせた。美汐がなにを話そうとしているか知らない。だけど、それが何であろうと夕凪は受け止める。そう決めていたのだ。
 美汐は菫色の瞳をゆらめかせ、「うん」とうなずいた。浮かべた笑顔の端に、小さな滴が輝く。
 そして、美汐は語りはじめた。
「むかしむかし、ユニスという名前の女の子がおりました。ユニスは不思議な力をもっていたので、みんなは自分たちの仲間になってくださいといったのです。でも、偉いひとたちは言いました。おまえは魔女だ。ユニスたちはみんなで海へ逃げて、そこで神様に出会ったのです」
 それは、小さな美汐が見せた夢の光景とおなじものだ。
 やはり美汐と関係しているのか。
「神様はユニスに教えてくれました。あなたの願いをなんでも叶えてあげましょう。でも、わたしはたくさんの命が欲しいのです。言葉とちがうのに、ユニスはわかったのです。きっと鳥さんや魚さんたちの声が聞こえるのとおんなじです」
「ちょっと待て、つまり、その神は生け贄を差し出せといったのか」
「ユニスは喜びました。だってすぐ近くにいたからです。ユニスが嫌い、大嫌いなひとたちが」
 夕凪はうめいた。自分の制服のシャツを強く握りしめる。
 それはつまり、あの船に乗っていた人々を生け贄に差し出したということか。
 おそらく、引き替えに得たのが、夢で見た島なのだろう。ユニスはそれを喜ぶという。夕凪には想像できない心理だ。あるいは、それは夕凪が平穏すぎる人生を送ってきたせいなのかもしれないが。
「でも、どうして神様は生け贄を欲しがるんだ」
「きっと神様はさびしい神様なんだよ。さびしい神様はずっとずっと昔、もっともっと遠くからやってきて、自分がさびしいってわかんなくなるくらいひとりだったんだよ。あんまりさびしすぎて、友達ってどうつくるのでしょう? わかりませんから、命をたくさん集めましょうなんだ」
「さびしい神様、か」
「うん、ユニスといっしょだよ。ユニスはさびしい神様の、たったひとりのおともだち。髪が銀色でおめめが紫なのは、さびしい神様がさびしくないようにくれた色」
 美汐は自分の長い髪を両手でつまみあげた。銀がさらりと流れる。
 まて、それが神様の友達の印なら、美汐は……。
「でもね、やっぱり神様はさびしかったんだ。ユニスは神様のちかくでないと、長く生きられない体になってしまったのです。ちいさな島から出られなくなったユニスはおもいました。きらいな人間たちが自由なのに、自分が小さな島にいるのはヘンだ。そうだ、神様の場所をもっと広くしよう。きらい、大嫌いな世界と人間たちを消して、神様の故郷とおんなじにしてあげよう。でも、そのためにはたくさんのたくさんの命と、ながいながい時間が必要でした」
 美汐は床に描かれた机のシルエットをなぞるようにステップを踏む。
 ふわりとスカートが舞い上がって、きれいな足が夕映えに輝く。
「ユニスは願ったよ。ずっとずっと長い命をください。神様はいいました。それにはとくべつな命が必要だ。ユニスは答えます。ならば私の命をあげましょう。こうしてユニスは、死ぬたび神様に命をあげて、小さな子供に生まれ変わることになったのです」
 ちいさな、子供の姿に、生まれ変わる。
「それが、美汐なのか」
「美汐はユニスだよ。でも美汐はいまここにいる美汐だけ。ユニスの名前じゃない、特別でたいせつな、美汐だけの名前なんだ」
 ねえ、ナギ。
 美汐は寂しげに微笑む。
「ユニスは何度も何度も生まれ変わりながら、神様が故郷からつれてきた海の怪物をつかって、いっぱいのひとの命を集めたんだ。美汐はユニスだよ。ひどい子だよ。しょうゆみたいだよね。くーさんに言ってきていいよ」
「あいにく、あのフレンチエンゼルは美汐びいきで、僕の言葉は聞いてくれないんだ。実は僕らは仲が悪いんだよ。それにさ、そんなに酷い子が――」
 夕凪は美汐の手をとった。そっと引き寄せると、なんの抵抗もなく美汐の体が夕凪の胸におさまる。
「なんで泣いてるのさ」
 美汐の菫色の瞳から、いくつもいくつも、尽きることなくしずくが落ちて、夕凪のシャツを濡らしていく。美汐は涙でぐしゃぐしゃになった声で、「ナギ」と声を絞り出した。
「なんだい、美汐」
「ひとは五年もしたら考えが変わるよ」
「そうだな」
「五十年もしたら別のひとだよ」
「そんなもんだろう」
「三百年すぎたら知らないひとだよ」
「想像もつかないな」
「ナギ、美汐はもうやだよ、ひとの命なんかほしくないよ。でも、あの島にいたらユニスに縛られるんだよ。だから、だから崖から海に飛び降りたんだよ!」
 嵐の海に飛び込んで、何度も何度も死んでは生まれ変わって、気が遠くなるほどの絶望の果てに、美汐は夕凪と疾風に出会った。
 涙の混じった声で美汐は語った。
 それは三百五十年の孤独の果てに得た、幸せだったと。
「ユニスが望んだ世界に生きられるのはね、神様と仲良しになれる、ほんとうにほんとうに、ちょっとのひとだけなんだ。ユニスは神様がつくった、神様と仲良しになれるひとだけの世界を作ろうとしてるんだ。でも美汐はいやだよ、ナギや疾風やツユリさんのいない世界なんかいらないよ」
 美汐は涙を拭って、夕凪を見上げた。
「美汐がなげだしちゃえば、世界を変えることなんかできないんだ。でもユニスは諦めてくれなかったよ。美汐を見つけ出して、美汐の心を縛りあげて、世界を変えようとしたんだ。だから、美汐は心を閉ざしたの」
「それが、いまの眠り姫ってわけか。ほんとうにお姫様みたいだな」
「あう、なんだか恥ずかしいよう」
 美汐は頬に手をあてて、体をくねらす。
「でも、美汐がナギに糸をつないじゃったせいで、ナギは美汐をおこす王子様になってしまいました。だからユニスは疾風におねがいして、ナギを捕まえようとしているんだ。みんなみんな美汐がゴメンナサイでした。ほんとうは、空の星がおっこって世界が痛くなるまで美汐だけで眠っていればよかったんだ。ずっとずっと、誰もいなくなるまで」
「それで美汐は寂しくないのか」
「寂しくないよ、ずっとひとりだったから」
「本当の本当に寂しくないのか」
「ないよ」
「嘘つきは嫌いになるかもしれないぞ」
「……いよ」
「うん」
「ほんとはさびしいよ、ナギ!」
 美汐のきれいな顔が、くしゃりとゆがむ。
「さびしくてさびしくて、美汐はウサギさんだ。もうひとりはヤダよ! ナギといっしょにいたいよ! だから、だからほんとはいけないのに、美汐はナギに糸をつないだんだ。美汐はダメダメな女の子だよ!」
「うん、美汐はさびしがりでダメダメだ。だから僕がここにいる。ずっとずっと美汐といっしょだ。美汐がイヤだって言っても、ずっと一緒にいる」
 夕凪は美汐の背に腕を回して優しく抱きしめた。
「ねえ、ナギ」
 美汐は泣き疲れた子供のような声で囁く。
「なんだ、美汐」
「美汐のお願い覚えてる?」
「神様のところへ連れて行くってやつか?」
「うん、美汐はユニスに、命をあつめるのはナシにしてください。それはとても痛くて悲しいです。ってお願いしようと思ったんだ。でも、ユニスがやめてもきっとダメだよ。さびしい神様はすごくさびしいから、べつの人を探してきちゃうんだ。だからね」
 ゆらめく菫色の瞳が夕凪を見上げた。吸い込まれそうな色だ。そうなったら幸せかもしれない。
 美汐はわずかにためらい、そして言った。
「さびしい神様に教えてあげるの。さびしくならない方法。さびしい神様は神様なのに、すっごく簡単なことがわからないんだ。だから、美汐が教えてあげるの」
「神様のところに、連れて行けばいいんだな」
「うん、そこで美汐の目をさます王子様になってください」
 美汐はちょっと恥ずかしそうに頬を染める。
 そのとき、夕凪はようやくわかったのだ。
 ちいさな美汐の姿をした女の子が言ったことが。
 ――必要なものは、美汐の命。
 神様に教えるというのが、どういう意味かわからない。ただ、美汐はそのために命を捧げようとしている。生まれ変わるためじゃなく、神様になにかを教えるために。それは美汐が本当の意味で命を落とすことを意味しているに違いない。
 そしてたぶん、疾風はそれを防ぐためにユニスの願いを叶えようとしているのだ。
 美汐がユニスに縛られて本心と違うことをやらされようと、美汐の願いが踏みにじられようと、少なくとも美汐は生き続ける。
 そのせいで美汐に嫌われようとも、疾風は美汐が生きることを望んだのだ。
 バカがつくほどまっすぐで、どうしようもないほど愚かで、尊敬にすら値する。
 だけど、夕凪は疾風の選択を否定しよう。
 美汐の願いは大切なひとが住む世界を守ることだ。
 たとえ美汐がそのために命を落とそうとも、それが美汐の願いなのだ。
 そして、夕凪は美汐を絶対にひとりにはしない。なにがあろうと、絶対に。
 だから笑顔で答えられた。
「僕は美汐の願いを叶えるよ」

*   *   *
 
「お~お~、なんか空気が悪いねえ」
 疾風はスループの舷側に寄りかかってニヤニヤと船上を眺めた。
 青い空の下、波を切って走るスループ船は爽快そのものだが、甲板にたむろする海賊たちはすっかりご機嫌ナナメ。どいつもこいつも黙りこくって、なんとも不景気な顔――実際に不景気なのか――をしている。
「まるで他人ごとのようね、シップウ」
 笑いかけたところで、冷ややかな声が聞こえた。
 銀色の髪が鮮やかに舞っていた。質素な白い長衣をまとい、なお白い肌を陽光にさらした少女がいた。
 いや、実際にそこにいるわけではない。少女の体は甲板から浮き上がり、ほのかな輝きに包まれている。幻影だ。しかも疾風のほかには見えない。
「よう、ユニスちゃん、相変わらずかわいいねえ。思わず何度目かの愛を語りたくなっちまうとこだけど、そんな愛想のない顔してると、せっかくの愛らしさが台無しだぜえ」
「そ、そんなこと、あなたに言われたくないわ」
 ユニスは強い口調で返すが、頬を染めて視線を落とす。恐ろしく純情というか、男慣れしていないにもホドがある。どんな生活してきたのやら。
「それにてもまっ、海賊どもにゃ同情するな。せっかくマラカイボを落としたのに、一番のお宝をかっさらわれて、おまけに戦力を削られたもんだから早々に退散するハメになっちまった。そりゃ泣きたくもなるわな」
「ほんとうに他人ごとね」
「ヒトゴトだしなあ。俺の宝は銀貨じゃなくて愛なのよね」
「そうね、あなたが見ているのはたったひとりですものね。でも、大切なお姫様も取り逃がしたのではなくて」
「取り戻すさ、手段を選ぶつもりもねえしな。目的のために手段を選ぶようなやつは、じつは目的がたいして大切じゃねえのよ。夕凪ちゃんみたいにさあ」
「ねえ、あなた、どうしてそこまで、あの娘にこだわるの」
「ああ? そいつは嫉妬ってやつか、まいったね、罪な色男でごめんよユニスちゃん」
「はぐらかさないで。ただ聞きたいのよ、悪い?」
「悪かねえけど、なんつうかな、俺は世界から浮いちまってんのよ。どこにも居場所がなくて、ふわりふわりはぐれ雲。同類なんだよ、おかしな力を持って生まれちまったな。夕凪も、ツユリねえちゃんも、結局は別の種類の人間だ。俺には美汐ちゃんしかいねえのよ。悲しいかな」
「……あの娘は私よ」
「あん?」
「あの娘と私、なにが違うというの」
 ユニスはくちびるを噛みしめた。菫色の瞳が疾風を見つめてゆらぐ。
「私には、私を利用しようとする人間か、私を敵とする人間しかいなかったわ。なのに、なぜ私の生まれ変わりであるあの娘にはいるの、私が求めても求めても得られなかったものが」
「美汐ちゃんは、そういうこと言わないぜ、きっと」
「――っ!」
 ユニスは疾風を鋭く睨みつけると、青い空に溶けゆくように消え去った。
 からかい過ぎたか、ちっとばかりかわいそうなことしたな。
「だけどま、女の子に血なまぐさいシーンを見せるのは、俺の趣味じゃねえのよ」
 そう空に投げかけたとき、「ゲイル、こっちへ来い」と恐ろしく不機嫌な男の声が飛んだ。フランソワ・ロロノワだ。神経質な顔つきが、今日はいっそう冴えわたっている。
 疾風はにぃっと皮肉な笑みを浮かべた。
「そろそろだと思ってたぜ、ロロノワのおっさん」
「おまえの失敗で銀の奪回に失敗し、おまけに船を三隻失った。だが覚悟はできているようだな。ならば拷問の方法は選ばせてやろう。生きたまま皮を剥がすのがいいか、手足を刻んでネズミに食わせてやるのがいいか、今すぐ選べ」
「そうさな、どっちかっていうと」
 疾風は、かったるげにロロノワへ歩み寄ると、横殴りに右腕を振り抜いた。凶暴に輝くナイフを握りしめて。
 その腕がピタリと止まる。ロロノワが疾風の腕をつかみ取っていた。引き離そうとするが、ピクリとも動かない。とんだバカ力だ。
「なんのつもりだ、ゲイル」
「ボケるにゃ早いんじゃねえの? 決闘のつもりだって」
「そいつは挑んでから斬りかかるものだ」
「かぁ~、おっさん役人かよ。細けえ手続きなんざ気にすんなって、よっ!」
 左手に魔法のようにナイフを取り出し、鋭く斬りつける。ロロノワは強く甲板を踏んで下がった。
 疾風はナイフを手のひらでもてあそぶと、取り巻く海賊たちに叫ぶ。
「てめえらっ! このロロノワは、十万枚の銀貨をまんまと持ってかれたマヌケ野郎だ。俺はここに宣言するぜ、こいつに指揮を執る資格はねえ! トルトゥーガの兄弟の盟約に従って、こいつに指揮権を賭けた決闘を挑む! てめえらは決闘を認めるか!」
 どよめきが起こった。やがていきり立った声が広がり、腕を振り上げ声を飛ばした「認めるぞ!」と。どいつもこいつも銀貨を横取りされた怒りの矛先を探していたのだ。そして、血に飢えている。
「ありがとう、ありがとう! みなさん異議なしだとよ」
 疾風は軽薄に両腕を広げてみせる。ロロノワは暗い瞳でサーベルを引き抜いた。
「拾ってやった恩を忘れ、船団を乗っ取るつもりか」
「人聞き悪いなロロノワのおっさん。つもりじゃなくてよ、最初っから乗っ取る予定だったに決まってんじゃねーの」
 笑い声を飛ばし、疾風は姿勢を下げて斬り込んだ。両手のナイフをロロノワの鼻先で交錯させる。飛び散る火花。ロロノワがサーベルで疾風のナイフを弾いた。
 間髪入れず脳天から叩き込まれるサーベルの一撃、疾風は上体を反らして轟音をたてる刃をかわす。そのままバック転、鮮やかに着地した。
 だが、はらりと、頭に巻き付けていたバンダナが断ち切られて風に持ち去られる。疾風は軽やかに腕を振り抜いてバンダナを手にした。サッシュベルトに押し込む。
「ひっでえことすんなあ。こいつはユニスちゃんにもらったんだぜ。女の子のプレゼントを粗末に扱うたあ、おっさん女にモテねえだろ」
「娼館の女なら捨てるほどたかってくる」
「やだやだ、ロロノワのおっさんは愛ってもんを知らないのね」
 疾風はサッシュベルトに押し込んだ手をわずかに動かし、ピストルを抜きはなった。引き金を絞る。破裂音、白煙がはき出され、鉛玉が突き抜ける。だが、甲高い音が響いた。ロロノワのサーベルに変形した鉛玉が張り付いている。
「それで意表をついたつもりか、ゲイル」
「おいおい銃弾を受け止めるか普通? 冗談は変態的な拷問趣味だけにしとけよな」
 疾風の減らず口をロロノワの投げナイフが封じた。疾風は軽く上体をひねってかわし、甲板を駆け抜ける。さらに数本の投げナイフが疾風に襲いかかるが、間抜けな音をたてて甲板に突き刺さるのみ。
 疾風はそのまま前甲板へと駆け上がり、宙へ飛び上がった。
「ぬうっ!」
 ロロノワがうめいて腕をかざす。疾風の背に重なる太陽に目を潰されたのだ。
 だが、それでもロロノワはサーベルを突きだした。疾風の体が刃に向かって一直線に飛び込む。串刺しになるその直前、疾風は口元に皮肉な笑みを浮かべた。
 風が、吹き抜けた。
 疾風の体が唐突に軌道を変え、刃をかすめてロロノワに体ごと突撃。
 ロロノワの口から低い苦鳴が漏れる。
「きさま……」
「なんだ、嬉しくて愛でも語りたくなったか? 大好きだろ、刃物で刻まれんのがよっ」
 ロロノワの肩にはナイフがザックリ突き立っていた。疾風は容赦なく抉る。「ぐうっ!」と押し殺した声。
「おんやあ、他人を刻むのは大好きでも、自分が刻まれんのはお気に召さない? ワガママだね。おっさん子供のころママンに言われたろ、好き嫌いはだめよ~ってさあ」
「ゲイル、おまえは殺す。全身の皮を剥いで、生きたまま心臓を抉り取って喰らってやる」
「これから死ぬやつのセリフじゃねーっての。アホかおっさん」
 疾風はロロノワの首を掴むと、そのまま舷側に頭を叩きつけた。がはっ! と息を吐きだし、ロロノワの目が焦点をうしなう。
 勢いに任せてロロノワの上半身を引きずり上げ、生ゴミでも捨てるように、落とした。白い波頭が行き交う海へと。
「呪われるがいいゲイル! おまえの行く手に地獄あれ!」
 血を吐く叫びを残し、ロロノワは高く水柱をあげ波に消えゆく。
「お魚さ~ん、ごはんだぜ。ロロノワのおっさんみたいに好き嫌いせず、残さず食えよ~」
 はっは~んと軽快に笑うと、疾風は居並ぶ海賊たちに向き直った。
「ってわけだ。てめえら、俺についてくりゃいい思いさせてやるぜ。十万枚の銀貨は取り戻す。それだけじゃねえ。あらゆる願いが叶う塔だ。金も、女も、地位も、テメエらの欲望をかたっぱしから満たしてくれる場所へ、俺がつれていってやるぜ!」
 しばしの沈黙、そして海賊たちの歓声がスループ船に轟いた。
 疾風は口の端を歪めて笑う。それは、ロロノワ以上に海賊たちを道具としか思っていない、そういう男の笑みだった。

  第三章 どうかみんなの願いが叶うように

 ◇ 一 暗き海
 
 疾風やフランス海賊たちとの戦いが終わってから、《きまぐれな女王様》号はキュラソー島へ向かった。そこで修復と補給を行い、いま、あらゆる願いを叶えるという島、美汐が待つ地へと向かっている。目的地は夢で美汐がおしえてくれた位置と、夕凪がメモした地図から割り出した。
 いくぶん曖昧ではあったが、ツユリが修正を加えたうえで無事に出航。それから幾日も過ぎ去り、目的地まであとすこし。
 夕凪は白く波頭が砕ける海を眺めていた。
 風はが地よく吹きわたり、空は鮮やかな青に染まっている。じりじりと照りつける熱帯の日差しもどこか心地いい。
 遠く海面で潮が激しく吹き上がった。
「おっ、クジラだ! 斜めに潮が吹き上がっているってことはマッコウクジラかな。深海の狩りから戻ってきてひと息ついたところか……」
「夕凪くん、ほんと好きね、あなた」
 ツユリの呆れ声が聞こえた。相変わらず真っ黒い海賊船長のファッションに身を固め、今日は三角帽までかぶっている。そのうちフックつきの義手でも付けるんじゃなかろうか。それはともかく。
「僕だっていつもいつも海の生き物を探しているわけじゃないですよ。たまたまです、たまたま」
「そうかしら、昨日もその前も、そのまた前も、ヒマさえあればペリーがどうとか」
「褐色ペリカンです! ペリカンのなかじゃ一番小さいですけど、群れで飛ぶ姿はそりゃ優雅なんですから。あれがいるってことはきっと陸地が近いんですね、たしか行動範囲はそれほど広くないはずですし。っていうか、ペリーってどこのバンドのヒトですか」
「アメリカのアーチストよ。ペリーは黒船で来日して船上ライブコンサートを開催したの。日本ロック史に残るイベントだわ。とりあえず夕凪くん、もし元の時代に戻る方法が見つかったら、そのときは日本史教師をすこしは労ってあげなさい。なんだか哀れになってきたわ」
「は、はあ」
 意味がよくわからないが、夕凪は曖昧に返事をする。日本史教師はともかくとして、夕凪は帰るつもりが無かった。自分は美汐のそばにいる。そう決めていたのだ。
「どうかして?」
「あ、いや、それより、ツユリさんはやっぱり元の時代に帰りたいですか?」
「わたし? そうね、どうでもいいかしら」
「どうでもって、興味もないんですか?」
「うーん、そうね。夕凪くん、わたしって控えめに言っても天才なのよ」
「……どのあたりを控えているか、僕にもわかるように解説してほしいですね」
「剣術を学べば神童、勉強も本気を出せば簡単にトップ、たいていのことはすぐに身につくのよ。航海術や船の指揮も、三ヶ月でひと通り覚えたわ。はっきり言うと、世の中が簡単すぎて面白くないのよね。それに剣術なんか、学んだって実際に使えるわけじゃなし。家は堅苦しくて面倒くさいし。でもここは違うわ」
 ツユリは輝く瞳で海に手を伸ばした。
「自分の力を存分に使って生きることができる。息がつまるような決まりごともないわ。不潔で不便で不条理だけど、わたしはむしろ、こっちのほうが生きやすいのよ」
「そんなもんですかね」
「そんなものよ。三国志の曹操だって、きっと治世の能臣より乱世の奸雄のほうが面白かったに違いないわ」
「僕はできるだけ平凡で波のない人生がいいですよ。公務員なんか理想ですね」
 夕凪はため息をついた。
 と、マストの影から「ナ、ナ、ナギにい……」と、クリスの声が聞こえた。なにやら顔だけだして、ちらちらとこちらを見る。
 それを見つけたツユリが楽しげに歩み寄る。
「やっと来たのねクリスちゃん。ほら、早くいらっしゃい」
「ちょ、ちょっと待って、おいらにも心の準備が、ふあああっ!」
 腕を引っ張られ、とっとと、つま先で出てきたクリスは、クリスじゃなかった。
 いや、クリスなのは確かだが、服装がいつものボロボロシャツじゃなく、ピンク色のドレスだったのだ。
 白いフリルやレースがふんだん使われ、大きなリボンが胸元を飾っている。驚くほど女の子らしくて、きれいな金色の髪とよく似合っていた。
「や、おいら、船長さんがむりやりさ。へ、へんだろ、にあわないよな」
「そんなことないわよ。とっても可愛いらしいわ。あらやだ、夕凪くんが思わずイケナイ悪戯しちゃかもしれないわね」
「そ、そうなのか、ナギにぃは、おいらにイケナイことするのかい?」
 クリスが身を乗り出して真剣な瞳で聞いてくる。なにをどう答えろというのだ。
「イケナイことは海にでも放り込むとして、似合ってるよ、かわいいじゃないかクリス」
「そ、そうなのか、本当か、ナギにぃ!」
 クリスの少し子供っぽい顔が、ぱぁっと輝いた。なんだか夕凪まで楽しくなってくる。夕凪は親指を突き出して、褒め言葉を追加した。
「ああ、子供らしくて可愛らしいよ」
「こ、こど……」
「どうしたクリス? もしかしてドレスのおなかがキツイのか? すっごく細いけど締めすぎじゃないのか」
「ナギにぃの……」
「うん?」
「ナギにぃの、うすらバカあぁっ!」
「んぐはぁぁぁぁっ」
 夕凪はかわいらしい赤い靴にスネを蹴り飛ばされ、甲板を片足で飛び跳ねた。なぜだ、不条理だ、褒めただけなのに。
「夕凪くん、ほんとバカね」
 ツユリが額に手をあてて首をふった。なぜ数学で0点とったときみたいな反応なのだ。
「やっぱり不条理だ」
 そのとき、ツユリが指を軽く弾いた。それに合わせて操舵手が飛びだす。バイオリンを手にしている。
「景気よくやりなさい、操舵手」
「アイアイサー、ツァーリ船長。操舵手のきまぐれ演奏会、景気よく!」
 カリブの陽光に負けない、アップテンポな旋律が海風を渡った。
 それに誘われて、ラム酒のマグカップを手にした海賊たちがぞろぞろ集まってくる。陽気でへたくそな歌が飛び出し、腕を組んで踊りはじめる。
 夕凪はクリスに手を差しだした。
「お手をどうぞ、お姫様。ダンスなんか知らないけど」
「お、お姫様? し、しかたないなあ、おいらが教えてやるよ。収穫祭の踊りだけどさ!」
 あっさり機嫌をなおしたクリスが、夕凪の手をとってステップを踏んだ。素朴だけど喜びに溢れた、そんなダンスだ。
 くるりくるりと、旋律に合わせて景色がめぐる。海と、空と、海賊たちと、この船は自由で、楽しくて、だから思うのだ。クリスや《きまぐれな女王様》の海賊たちがいるこの世界を。父やみんながいる夕凪たちの世界を。
 壊してはいけないのだ。
「なあ、ナギにい」
 クリスが明るく大きな瞳で夕凪をみつめた。
「おいらだってさ、そのうち成長して、いろんなトコがでっかくなるんだぞ!」
「あの、なんの話かな、クリス」
「えっと、だから、おいらだって、もしかしたら眠り姫みたいに……」
「おい、クリス! 今度はオレと踊れ!」
 顔を赤くしたバーナードが、はげ上がった頭を突きだした。
「おわ、酒くさ! おっちゃん、酔っぱらってんだろ!」
「おお、酔っぱらいはいいぞ~、だから踊れ!」
 バーナードは強引にクリスの手を取ると、ガハハハとバカ笑いをあげてドカドカ甲板を踏みならした。ステップを踏んでいるつもりらしい。
「ナ、ナギにぃ、助けておくれよ~」
 情けない声が響く。夕凪は苦笑して、船尾楼へと向かった。そこにちらりと見えたのだ。
 階段を上り、ツユリがいつも指揮をしている後部甲板へと出る。
 強い海風に銀色の髪が舞い散っていた。
 細い体は半ば透き通り、白い肌に空の青色が重なって見える。幻想のように美しく、幻想そのものの美汐が、そこにいた。
 なぜか制服姿で。
「ナギ、ツユリさんも、ナギのおともだちも、みんな楽しさでいっぱいだよ。空の鳥も歌ってるよ。今日はクジラさんのおかげで、魚がいっぱいおなかの中です。おうちで待ってる子供たちが大喜びだ。魚さんはちょっぴりかわいそうだね」
 くるりと振り返った。
 愛らしい顔が満面の笑顔で溢れる。
「美汐は、いっぱい大好きだよ」
「そうだな、美汐が大好きなら僕は嬉しいよ」
「うん!」
「美汐、踊ろうか」
 そっと手を差し出した。美汐は嬉しそうに両手を重ねる。なんの感触もなく、だけど美汐はそこにいる。
「ねえ、ナギ」
 美汐がなにか言おうとしたそのとき、唐突な夜が訪れた。
 鮮やかな青だった空は星さえも見えない漆黒に塗りつぶされ、海はタールを流したように不気味な闇色にぬめっている。
 そして、美汐の姿が、闇に飲まれるように消えた。
「美汐!」
 叫ぶが、もはやどこにも姿はない。どこへいった、いや幻影が消えただけなのか?
 そして、これは、あのときと同じではないのか。
 夕凪たちが、この時代へくる直前、フェリーが怪物に襲われたときと。
 果たして、そいつはいた。闇色の波をかき分け、どこまで続くかわからぬ長大な体をくねらせ、船をひと飲みにする巨大な口を暗黒の空へ向けた。
 咆吼というにはおぞましすぎる衝撃波がほとばしる。マストが軋み、船体が傾く。海賊たちが海に向かって怒声をあげていた。
「ナギにぃ!」
 クリスとツユリが上甲板に駆け上がってきた。
「夕凪くん、あれって、もしかしなくてもそうよね」
「もしかして欲しくないですけど、イヤになるほど記憶と一致してますよ」
「やっかいね、あいにくと怪物の相手は得意じゃないのだけれど」
 ツユリは長刀を引き抜いた。
「わたしの可愛いおまえたち! おたおたするんじゃないわよ! たとえ怪物でも、このわたしが指揮する限り恐れることはないわ。まずは」
 ツユリは甲板の海賊たちをぐるりと見渡した。みな固唾を飲んで言葉を待つ。
「総帆を張って逃げるわよ!」
「おおっ!」賛同の声が轟いた。
「ツァーリ船長! ぜ、前方から怪物が泳いできまさあ! うひゃぁぁぁどうするんすかぁ!」
「情けない声出すんじゃないわよ! 操舵手、スターボードいっぱい!」
「アイアイサー、ツァーリ船長! スターボードいっぱい、怪物こないでくれるように!」
 《きまぐれな女王様》が緩やかに右に転舵する。その鼻先で、漆黒の海を割り、怪物の頭が突き抜けた。大量の海水を流し落とし、表皮が気味悪くぬめる。
 巨大な口が粘液をしたらさせ、飛びかかった。
「操舵手、急ぎなさい!」
「アイアイサー、ツァーリ船長! でもこれ以上急げやしませんぜ!」
「気合いよ!」「アイアイサー! 気合いいっぱい!」
 操舵手がやけくそで叫んだ直後、風が強く吹き抜けた。帆がいっぱいに風をはらみ、《きまぐれな女王様》が加速する。迫り来る怪物を直前でかわし、だが闇色の顎が舷側を噛み砕いて暗い海へと持ち去った。
 船が木の葉のように揺れ、夕凪もクリスも手すりにしがみついて耐える。
 長大な怪物の胴体が船から手が届きそうな距離をうねっていく。
「よくやったわ操舵手! 左舷大砲、撃ちなさい!」
 ツユリの命令が飛んだ。大砲がバラバラに火を噴き、砲弾が怪物の胴体に食いつく。だが、あっさりと、ぬらぬらとした体に鉄球の勢いは殺され、ぼたぼたとむなしく海中に落ちていく。ダメージを与えたようには見えない。
「なんてヤツなの」ツユリが爪を噛む。
「ツァーリ船長! まえ、前みてくだせぇ!」見張りの声。
 ふいに、闇をかき分け何かが出現した。
「なんで沈没船が! 操舵手、ラーボード! 急いで」
「ラーボードいっぱい! アイアイサー、ツァーリ船長! 順番変えてみましたぁ!」
 《きまぐれな女王様》の船体が左へ転舵、だが間に合わない。衝撃が襲いかかる。
「わわわ、ナギにぃ!」クリスの体が跳ね上がり、手すりから落ちそうになる。「クリスっ!」夕凪は反射的に小さな手をひっつかんで引きずり戻した。がりがりの体がすっぽりと腕に収まる。
 船体が悲鳴をあげ、舷側の木材が飛び散り、雨のように降り注ぐ。それでも《気まぐれな女王様》は足を止めず、沈没船の脇をすり抜けた。
「ツァーリ船長! また右前方に、あや、左前方にも、あやや、たくさん障害物!」
 見張り員がなかばパニックになって叫ぶ。
「冗談じゃないわ、これじゃまともに操船できないわよ!」
「ナ、ナギにぃ、これ、船の墓場ってやつかい?」
 クリスが夕凪のシャツを掴んだ。かすかな震えが伝わってくる。
「いや違う、大丈夫だ、心配するなクリス」
 たぶん、あの怪物の獲物だ。と口には出さず付け加える。
 暗い海にいくつもの船影があった。あるものは半ば沈んで船首を海面から突き出し、あるものは船腹だけを見せ、あるものは幽霊船のように朽ちかけた帆と船体を海に浮かべている。全部で何隻あるのか、にわかに数えられない。
「せ、船長! 怪物が方向変えてきやす!」
 見張りの報告に、ツユリが爪を噛んだ。
「ナギにぃ。ナギにぃは海の生き物に詳しいんだろ。あの怪物のやっつけかたとか知らないのかい!」
「そう言われても、幻獣とか魔獣とかいったやつは僕の専門外なんだよ!」
「で、でも海にいる生き物じゃんかぁ」
「海にいたって、あんな生物学を無視していそうな――」
 言いかけて夕凪は考え込んだ。本当にそうなのか。
 たしかにあんな巨大生物は生物学的にありえない。だが、海を泳いでいるじゃないか。口でものを飲み込むじゃないか。ちゃんと、生物的なこともやっている。
 夕凪の中でごちゃごちゃに混ざり合った思考が、急激に流れを整えはじめた。
「そうか、そうなんだ」
「ナギにぃ?」
「ツユリさん、《きまぐれな女王様》を沈没船の間にすべりこませて、物音をたてなようにしてください。話すときもできるだけ小声で、帆を畳んでじっとしているんです」
 ツユリはしばし夕凪をみつめると、軽く笑みを浮かべてうなずいた。
「いい手も思い浮かばないし、あなたに任せるわ。総員、畳帆(じょうはん)に取りかかって!」
「いくぞクリス。木の棒とキャンバス、それに樽とボートを用意するんだ。バーナードさんにも声をかけて」
「わ、わかったよナギにぃ!」
 
 しばらくして。
 夕凪とクリス、バーナードはそうっと、静かにボートを海面に下ろした。中央にはタルが三つ置かれ、船体には高さ五十センチほどの風車が八本取り付けられている。十字に交差させた木材にキャンバスを張った単純なものだが、風を受けて低い唸りをあげていた。
「おいナギ。こいつは東洋のまじないか? ほんとに効くのかよ?」
 バーナードが小声で憮然と聞いてくる。
「まじないじゃなくて科学だから。ツユリさん、怪物は?」口に手をあてて囁く。
「しばらく周辺を泳ぎ回っていたけれど、海中に潜ってしまったわ。どういうこと?」
「それはあとで説明します」
「ならいくわよ」
 ツユリが手振りで合図すると、マストに登った海賊たちが一斉に帆を張りはじめた。やがて風を受けて《きまぐれな女王様》が緩やかに進みだす。
 船体が大きな音をたてて軋み、波をかき分けた。
 ツユリも、夕凪も、クリスも、海賊たちも、固唾を飲んで見守った。
 やがて、タールを流したような海がざわめいた。海水が高くはじけ飛び、巨体がうねる。
「ツァーリ船長、怪物がぁ!」
「その口を閉じないと、縫い合わせて海に沈めるわよ」
 ツユリの殺意にまみれた声に、見張り員が青い顔で口を押さえる。
 怪物の頭が海面を割った。暗い空に向かって巨大な口を開き、大気を揺るがす咆吼が夕凪たちを打ちのめす。
 波を弾けさせ、怪物は一直線に《きまぐれな女王様》に向かってくる。すでにダメージを受けすぎた女王様はムリが効かない。一撃喰らえば沈没船の仲間入りだ。
 怪物が目前に迫り、薄気味悪い表皮のしわまでがクッキリ見える。そして、巨大な顎が開いた。粘液がしたたり、襲いかかった。
 《きまぐれな女王様》にではない。なにも無い海面に向かって。いや、そこにはあったのだ。風車が唸りをあげるボートが。
 ボートを丸呑みした怪物は海中へと潜り、再び水面を割って躍り出た。そのときだ、耳をつんざく爆発音が轟いた。衝撃が海面に円を描き、怪物の口から炎と煙が吹き出す。瞬間、暗い空が白く染まった。
 怪物がのたうち、叩かれた海面が水柱をあげる。吐き気をおぼえる絶叫が海を渡った。
「す、すげえぇ。ナギにぃ。どうなってんだい?」
「怪物がどうやって僕らを捜しているか、それを考えたんだよ」
「はえ? そんなの目で見てるに決まってるじゃんか」
「それは無いよ。あの怪物が現れると海が暗くなる。視力に頼っているわけないんだ。ほかに考えられるのは、デンキウナギみたいに微弱電流を流したレーダー、クジラみたいな音のソナー、匂いを辿る。いろいろあるけど、こんな沈没船だらけのところで反射波は拾えないし、船の匂いを探るっていうのも妙な話だ」
「……へえ、すごいや、ナギにぃ」
 クリスは虚ろな声で感心した。
「要するに音を頼りにしているんじゃないか、消去法でそう思ったんだ。風車は回転すると音をたてる。その震動は水中で遠くまで届くんだよ。あの怪物は、いちばん騒音を立てているボートを狙ったわけだ。導火線に火をつけた火薬樽を積んだボートにね」
 夕凪は試作品の小さな風車をかざした。風を受けて低い音を響かせる。
「こいつはクリスにあげるよ。僕の故郷のオモチャを参考にしたんだ」
「へえ、ナギにぃの故郷か、おいらも行ってみたいな」
 クリスは風車を受け取ると、青い瞳を輝かせた。
「なごんでいるところを悪いのだけれど」
 ツユリは整った眉をひくつかせて海に目をやった。夕凪もうめく。怪物が怒りに咆吼を上げ、デタラメに暴れ回っている。巨体を叩きつけられた沈没船がまとめで数隻吹き飛んだ。
「に、逃げたほうが良さそうですね」
「総員、なるべく静かに全力で逃げるわよ!」
 《きまぐれな女王様》は、沈没船の間を縫うように進んでいく。
 どれほど帆走した頃だろうか、唐突に空が晴れ渡った。闇の気配はどこにもなく、浅い海特有のエメラルド色に輝く波が行き交う。
「おい、あれ見ろや」
 バーナードがはげ上がった頭をかいて、夕凪の背を叩いた。
 闇を抜けても沈没船がそこかしこに沈んでいる。バーナードは、その一隻を指さしていた。明るい空の下で朽ちかけたマストや船体がよく見えるが、とくにおかしいとは思えない。だが、他の海賊たちも騒ぎだした。
「わかんねえのか、旗を見ろ、双頭の鷲だぞおい。ありゃハプスブルク家の紋章なんだよ!」
「ハプスブルク家……てなんだっけ?」
「お、おまえな、ありゃスペインの銀輸送船だって言ってんだよ。わかるか、わかんねーのかよ! ポトシ銀山から掘り出した、どえらい量の銀を満載してんだよ! 船が沈みそうになるくらいな! お宝のなかのお宝、バッカニアの夢そのものだぜ!」
 どぉっと歓声があがった。だが、夕凪はピンと来ない。
「夕凪くん、あれならわかるかしら」
 ツユリが夕凪の肩に手をおいた。視線の先で一隻の船が横転している。こちらは夕凪にもわかった。全体が金属でできた、あからさまに近代的な造形。細長い砲身が数本海面から突き出している。
「アメリカの駆逐艦よ、たぶん第二次世界大戦中のね」
「どういうことですか?」
「さあ? あの怪物は時間を超えるのかもしれないわね。わたしたちが、この時代に来た理由、たぶんそんなところかしら」
 ユニスは何度も生まれ変わっては、海の怪物を使って命を集めていた。美汐はそんなことを言っていた。それは、命をこの時代へ運ぶことを意味しているのか。ならば、逆にあの怪物の力で現代に帰ることもできるのだろうか。
「ナギにぃ、ちょっと来ておくれよ!」
 クリスが船首で身を乗り出していた。
 夕凪は駆けつけ、息を飲む。ツユリとバーナードが隣に並んだ。
「おいおい、あんなアホみたいに高いシロモンが、なんでいままで誰にも見つからなかったんだよ、ありえねえだろ」
「誰にも見えなかった、のかもしれないわね。恥ずかしがり屋さんなのよ、きっと」
 目前に塔があった。ねじくれながら遙か雲を突き抜け、高みは見ることもできない。表面は固そうなのに奇妙に脈動して、どこか生き物じみて見える。
 そう、この時代に来る前、夢の中で見た塔だ。それはユニスが見いだした『出会ってはならなかったもの』であり、異貌にして異なる世界の、神だった。

*   *   *

「シップウ、もうあいつらは来ているわ」
 冷ややかな声を背に、疾風はボートから降り立った。沖に五隻の海賊船を残し、フランスのバッカニアたちが大挙して海岸へと上陸していく。
「思ったより早かったな、そういや夕凪は海流をメモってやがったっけ。かぁ、未来の海図を使えるってのは反則だぜ」
「言い訳はしなくていいわ。それより、あの娘と夕凪を押さえなさい」
「そっちこそ、世界を作り替える準備をしておきな。命が足りなきゃ、それ、少しばかり減っちまったけど、六百人ぶんはあるぜ」
 疾風は悪びれなく笑って海賊たちに腕を向ける。
「そうね、使わせてもらうわ。ところでシップウ、そのバンダナ」
「ああ、これか? 男が縫ったんだからヘタクソとか言わないでくれよ、マドモワゼル」
「なぜ捨てないの」
「あん? 俺は世界中の女の子を愛する愛の使徒だぜ。女の子がくれたもん、そう簡単に捨てられるかっての。これは俺の信念なのよ。わかる? かわいらしいユニスちゃん」
「そう」
 ユニスはくちびるを小さく動かすと、視線を落とした。
 疾風は真っ白な砂を踏みしめ、塔を見上げる。
「決着をつけるか、夕凪ちゃんよ。ま、俺が負ける要素はねぇけどな」
 疾風は海賊たちを引き連れ塔へと向かう。
 その様子を海から射る憎悪の瞳があった。
 スループ船の喫水に一本のナイフが突き立っていた。掴んでいるのは、蝋のように色を失った手だ。もはや感覚さえ残っていそうもないのに、まるで呪いでもかかったように固くナイフの束を握りしめる。
 筋肉質の腕が体を引きずりあげる。海水で皮膚がただれ、血が滲んでいた。神経質な瞳は血走り、遠く疾風の姿を捉える。
 歯が鳴った。
「ゲイル、きさまは、殺す」

 ◇ 二 ツユリの想い

「これで良しと」
 夕凪はドレス姿で眠ったままの美汐を背負うと、クリスに手伝ってもらってロープでくくりつける。背中に微妙に柔らかくて弾力のある感触が伝わって、なんともいえない気持ちになるが、そこは考えないようにして。
「いこう、美汐。神様のところにへお願いしに」
 肩口でふっくらと寝顔を浮かべる美汐に言葉をかける。
「ナギにぃ、おいらも行くぜ。もう止めないよな」
「僕たちは相棒だからな」
「わかってるじゃんか、ナギにぃ」
 クリスはにっかーと欠けた歯を見せた。
 夕凪とクリスが《きまぐれな女王様》の甲板に出ると、海賊たちがあわただしく駆け回っていた。
「ツァーリ船長、沈没船のお宝はどうするんですかい!」
「そうね、塔へは精鋭を二十人ばかり連れていくから、残りは操舵手の指示に従って船の守りとお宝の捜索、よろし?」
「アイアイサー、ツァーリ船長! お宝ハラいっぱい!」
 操舵手の声に合わせて、海賊たちが歓声をあげた。
「ツユリさん、連れて行くって、ツユリさんも塔に行くんですか?」
「あたりまえじゃない、こんな面白そうなこと放っておけるものですか。それにね、彼が来るかもしれないし」
 ツユリはそう言うと、奇妙な含み笑いをもらした。キリっとしてからにへらっと崩れ、ほんのり頬を赤く染める。
「なんだか気持ちわるいな、船長さん」
 率直すぎるクリスの口を慌てて塞ぐ。だがツユリは気分を悪くした様子もなく「さあ、行くわよ!」と海賊たちに声をかけた。
 夕凪も美汐の体を背負い直し、あとに続く。
 ボートで浜に乗り上げ、さらさらと流れる白砂に足をつける。
 島は美しかった。さまざまな花が咲き乱れ、見たこともない色鮮やかな蝶が舞う。
「美汐は、この場所で暮らしていたのか」
 背負った美汐に目をやった。触れそうな近さに寝顔がある。どこか寂しそうに見えるのは、気のせいだろうか。
「三百五十年の孤独か、僕には理解できないけど、見た目は天国みたいな場所だな」
 夕凪はそっと花に手を寄せた。一輪摘んで、美汐の髪に差してやろうと思ったのだ。だが、夕凪は飛びすさる。
 夕凪の指先で、真っ赤な熱帯の花が黒く溶けたのだ。それにつられるように、周囲の花も、葉も、真っ黒に変じてタールのように流れていく。それから生き物じみて蠢き、また色を付けて花へと戻っていく。
「うげぇ、気色わる。なんだいこれ」
「わからない。あまり想像したくないけど、この島の植物全部が、こんな生き物まがいのもので出来ているのかもしれないな」
 いや、もしかしたら島全体が、なのか。ここは見た目こそ美しいが、中身はまるっきり悪夢だ。ユニスが仲間を神にささげて欲したものは、ほんとうにこんなものだったのか。こんなものが、ユニスの求めたものなのか。
 そして、こんなものを本気で世界に広げようとしているのか。
「夕凪くん、走りなさい」
「え?」唐突なツユリの声に振り向き、理解した。尋ねるまでもない、反対側の海岸から色とりどりの布を頭にまきつけた海賊が現れたのだ。百人か、それ以上か。《きまぐれな女王様》の仲間じゃない。夕凪たちを見つけると怒声をはりあげ、砂を蹴立てて迫ってくる。
 夕凪たちも塔めがけて全力疾走。
「ナ、ナギにぃ、だいじょうぶかい、お姫様重くないかい!」
「大丈夫だ。美汐は鳥みたいに軽いよ! ってことにしてくれ、僕のプライドと美汐の名誉のためにさ!」
 塔が目前に迫る。間近に見るとますます異様だった。途方もなく巨大な白い蛇、といった印象がいちばん近いかもしれない。体は螺旋のようにねじれながら遙か高みへと伸び、トレーラーでも楽々走れそうな幅がある。表面は角質を超えて石化したように固くひび割れていた。
「走って登れそうだよ、ナギにぃ!」
「お待ちなさい!」
 ツユリが足を止めた。
 メンバーに加わっていたバーナードが焦って怒鳴る。
「どうしたってんだ、船長さんよ!」
「これ、登るの?」
 なぜかツユリの声が細い。顔から血の気が引いていた。ツユリはふっと笑うと、夕凪たちに背を向けた。怒濤のごとく迫る海賊に真っ正面から立ちふさがり、長刀を抜き放つ。
 長い黒髪が鮮やかに舞った。凛々しくも美しく。
「夕凪くん、ここはわたしたちに任せて、クリスちゃんを連れて上へ行きなさい」
「ツユリさん……もしかして高いところが怖いんじゃ」
「断じて違うわ! 高いところはわたしの美学に合わないのよ! とにかく行きなさい夕凪くん、わたしたちの心配はいらないわ。あなたは、あなたの目的を果たすのよ」
 ツユリは問答無用で夕凪をうながす。追求は禁止らしい。夕凪とクリスはうなずき合い、生き物めいた塔によじ登った。そのまま螺旋を駆け上がる。
 はるか遠くなっていく夕凪を見送り、ツユリは長刀で空を切った。鋭い音が鳴る。ようやく追いついたフランスのバッカニアたちがツユリと精鋭二十名を取り囲む。
 精鋭に加えられたバーナードがげんなりとため息をついた。
「なんで、こんな役回りするハメになっちまったんだあ」
「ボヤかないの。ヒーローを送り出すなんてカッコイイでしょ」
「あれがヒーローってガラかよ」
「そうねえ、まあいいじゃない。こんな連中、百人だろうが二百人だろうが、たいした問題じゃないわ」
「言うねえ、ツユリねえちゃん。でもま、ツユリねえちゃんが言うと、強がりじゃ済みそうもないのが怖えぇんだけどさ」
 軽薄な声が割り込んだ。海賊の群れを手で押しやり、真紅のバンダナとサッシュベルトの男が進み出る。
「あら疾風くん、待っていたわよ。ほんと、しばらく見ない間にいい男になったわね」
「ツユリねえちゃんも、あいかわらず美人だねえ。この騒ぎが終わったら、俺とカリブの海で危険な火遊びなんていかがぁ?」
「あら嬉しい。でも、もっと素敵な提案があるのよね」
 ツユリは長刀をくるくる回すと、ザッっと砂に突き立て、胸に手をあてた。
「じつはね、わたし疾風くんのこと好きになってしまったのよ。だから、わたしと勝負なさい。わたしが勝ったら疾風くんは、わたしのもの。わたしが負けたら、わたしが疾風くんのものになるわ」
「おお、熱烈ラブコール、こいつは感動だ。だけどよ、その勝負ってどっちに転んでも結果は同じじゃね?」
「あら、大違いよ。恋愛でどちらが主導権を握るかは大切なことですもの」
「そいつは確かに。でも俺は一人に縛られるわけにゃいかねえのよ。愛人でよければいつでもオッケーだぜ」
「だめよ、わたしが愛人を作るのは良くても、疾風くんはわたし一筋でないと」
「まいったねえ、こいつは性格の不一致ってやつかぁ」
「あら、このうえなく一致しているわよ。ベストカップルになれるわね、わたしたち」
 ツユリは鋭く踏み込むと、砂から引き抜いた長刀を一閃。空気を断ち切る斬撃が疾風を襲う。疾風は上体を反らして一撃を回避、砂に手をついて後方へと飛び退いた。だがツユリはさらに踏み込む。
 疾風は両手に魔法のように取り出すと、刃を交差させてツユリの一撃を受け止めた。火花が散り、刃がせめぎ合う。刃が離れた。間髪入れず疾風が斬り込んでくる。
 音速の斬撃、ツユリは皮一枚の距離でかわすと長刀でなぎ払う。
 風がうなり、火花が青空に輝き、周囲を取り囲む海賊たちは誰もが言葉を失って壮絶な戦いに魅入った。
「疾風くん、すごいわ、子供の頃とは全然違う、体が疼いて、あなたを切り刻みたくてたまらないわ! そして刻みつけた傷を、わたしがひとつひとつ舐めてあげるのよ!」
「わあお、そいつはちっとばかし興味があるねえ!」
 疾風が回転を加えた一撃を加える。ツユリは火花を散らせて受け流した。疾風の、ツユリの顔に高揚した笑みが浮かぶ。
 やがて、ツユリの口元が悪魔的につり上がった。
「疾風くん、死なないでね」
 横薙ぎの一閃、疾風は軽やかに後退。ツユリは鋭く踏み込み、刃の勢いを殺さず斬り上げる。疾風は体をひねって回避。だが刃は止まらない。
 それどころか一撃ごとに速度を増し、刃が残映となってきらめく。風を裂き、閃光を放ち、追い詰められた疾風の足が、砂に取られた。
 ツユリの体が霞んだ。神速の域に達した踏み込み、白砂が爆発、刃がただ光となって上段から疾風を切り裂く。
 いや、軽い金属音が響いた。
 疾風のナイフがツユリの長刀を横から軽く弾いたのだ。目にも止まらぬはずの斬撃を、いとも簡単に、子供の額でもつつくような気楽さで。
 軌道をはずれた長刀が砂を叩く。
「うそ、そんなの」
 ツユリの喉元に疾風のナイフが輝いていた。
「てなわけで、俺のモノになったツユリねえちゃんにご主人様の命令だ。ここで大人しく留守番ね、まいはに~」
 疾風はツユリの肩を軽く叩くと、足取りも軽く塔へと向かう。
「待って、疾風くん!」
「わりぃなツユリねえちゃん、俺は行かねえと。美汐ちゃんを助けるのは俺の役割なんでさ。夕凪じゃなく、俺のな。そこだけは、絶対に譲れねえ俺のプライドなんよ」
 振り返った疾風は、あまりにも晴れ晴れと笑っていた。そして、神の体に手をかけ、螺旋を登っていく。
「……フラれちゃった、かな」
 ツユリは空を仰いで小さくつぶやく。
 それから長刀を天に向け、片手で海賊たちへと突きつけた。
「失恋した女は、怖いわよ」

 ◇ 三 神様におしえてあげること
 
「ナギにぃ、なんだかおいら、イヤな予感がするよ!」
「さすが相棒だな、実は僕もなんだ!」
 ねじくれた螺旋を描く《神》の背を走り、夕凪とクリスは頂上を目指していた。すでにかなりの高さまで登り、メキシコ湾の鮮やかな青さが遙か遠くまで見渡せる。地球の丸さまで感じられそうだが、吹きさらしは風が強くてたまらない。
 いや、問題はそこじゃない。
 なぜか空や海がだんだんと暗くなっているのだ。
 足下から闇がぬるりと這い寄り、角質化した神の背を黒く染め上げていく。
「クリス!」「ナギにぃ!」
 声を揃えると、そろって角質の上をスライディング。美汐の重さが加わってガリガリ手の皮が削られる。だが、痛いなどと言っている余裕はない。
 二人の頭上をかすめて、粘液をしたたらせた口が突き抜けた。そのまま神の体に激突、岩のような角質を爆発させて長大な体がうねった。
 海の怪物が神の体に絡みついて這い登って来たのだ。
 夕凪とクリスは即座に立ち上がって全力で駆けだした。
「なんで海の怪物が空にいるんだ、ルールくらい守ってくれ!」
「怪物にもルールなんかあるのかい、ナギにぃ!」
「いま僕が考えた、廊下を走っちゃダメってのも付け加えたんだけどさ!」
 ちらりと背後を振り返ると、舞い散る美汐の髪にまぎれて、漆黒の巨体が角質をぶちまけながら迫ってくる。ルールをちっとも守ってくれていない。
 いや、それより、この怪物が登ってきたということは、下はどうなっているのだ。ツユリやバーナードは無事なのだろうか。
「ナギにぃ、おいらたち、ものすごく狙われてる気がするけど、気のせいかな!」
「気のせいじゃないと思うけど、僕はいたって平凡な高校生で、怪物の恨みを買うような覚えは……」
「あるよね」「あるな」声が揃った。
「いや、僕が首謀者なんて、わかるはずないだろ!」
「きっと怪物にもナギにぃの凄さがわかるんだよ!」
「そいつは光栄だ、そんなことを言ってくれるのは、きっと世界中でクリスと怪物だけだよ!」
 いや、もしかしたら、この塔にいるユニスが怪物をコントロールしているのではないか?
「美汐、美汐! 聞こえるか!」
 柔らかそうな寝顔に声をかけるが、心の声も返ってこない。この塔ではユニスに意識を奪われるかもしれない、美汐は夢でそんなことも教えてくれた。いまは反応できないのかもしれない。もしかしたら対処方法を知っているのかと思ったが。
「ナギにぃ、うえ!」
 クリスが叫ぶ。
 長大な体が頭上に躍り上がり、うねりながら急降下、暗黒の口が開く。とっさにジャンプして口腔から逃れる、だが船を飲み込む巨体が神の体にぶち当たり、うねりながら暴れ回る。巨大地震なみの揺れが夕凪とクリスを襲った。体がオモチャのように跳ね上がる。
 クリスの体が幾度か跳ねて、神の背から転げ落ちた。はるか虚空が口を開けて待ちかまえる。
「ひぃっ!」
 クリスの口から悲鳴が上がった。「クリスっ!」夕凪はとっさに飛びつき、小さな手を握りしめる。そのまま角質に夕凪の体が激突、肺から空気がたたき出された。だが手は放さない。
「ナ、ナギにぃ、ごめんよ、おいら足手まといで」
「マラカイボじゃ僕がさんざん足を引っ張ったろ。足の引っ張り合いも相棒の醍醐味だ!」
 夕凪は歯をくいしばると、クリスの体をじわりじわりと引きずりあげる。
「ナ、ナギにぃ、また、うえ、怪物」
 クリスの青い瞳が恐怖にひきつった。そこに映っていたのは、黒々とぬめる表皮、そして粘液にまみれた口だった。
「くそったれっ!」
 クリスを一気に引っ張り上げた。だが怪物の口は触れそうな距離にある。いや、怪物の動きは止まっていた。吐き気がする粘液が目の前でしたたり落ちた。
「そのあたりにしてあげなさい」
 冷ややかな、それでいて美汐にそっくりな声が怪物を止めた。
 怪物は夕凪たちから離れると、螺旋の上から歩いてくる人影の頭上で首を回し、遠雷にも似た声を轟かせた。まるでネコが甘えるように。
「ナギにぃ、どうなってるんだい、お姫様がもうひとりいるよ!」
 息を整えたクリスが目をまるくして叫んだ。
 そこにいたのだ。銀の髪を風に舞い散らし、深くて遠い菫色の瞳で夕凪たちを見下ろす少女が。美汐にそっくりな、いや、ある意味で美汐そのものである少女が。
「ユニス……」
「あなたにそう呼ばれる覚えはないわ、夕凪」
「ユニス、美汐は世界を変えることなんか望んでいない、もうこんなことはやめにしないか」
「なにを言っているの、あなた」
 ユニスは銀の髪を指で払うと、心の底から不思議そうに首をかしげた。
「それは、私が私の願いを叶えるために生み出した《私》よ。それが何を考えていようが、知ったことではないわ。私の願いが叶えば、それでいいのよ」
 夕凪は、ユニスに会うまで少しだけ期待していた。
 ユニスは美汐だ。美汐ならば、きっと話が通じるはずだと。だがユニスは答えた。美汐の考えなど知ったことではないと。
 その言葉は嫌みでも、傲慢でもなく、慄然するほど当然のことを語っているだけだと、ユニスの表情が語っていた。美汐がいっていた。三百年もすれば別人だと。そのとおりなのだ。ここにいるユニスは、数え切れない人間を生け贄として神に捧げてきた、そういう少女なのだ。
「なんか、このお姫様こわいよ、ナギにぃ」
 クリスが夕凪の袖を掴んだ。夕凪はそっと手を重ねる。
「クリス、美汐を頼む」
 そう言って、美汐をくくりつけているロープをほどいた。夕凪は美汐を腕の中に抱きしめ、柔らかな寝顔を見つめる。どこか不安げに見えるのは気のせいではないはずだ。
「美汐、大丈夫だ。僕が力づくでもなんとかする。それでもって、神様のてっぺんまで連れていってあげるよ」
 そう言葉をかけて、クリスに美汐の体を預けた。
 クリスは「あわわ」と焦って抱き留めると、美汐と夕凪に瞳をいったり来たり、それから元気にうなずいた。
「まかせとけ、おいらはナギにぃの相棒だからな」
「クリスに任せれば安心だ、最高の相棒だからね」
 夕凪はクリスに告げると、ベルトに挟んだ銃を引き抜いた。疾風にもらったものだ。銃身の彫金が陽を浴びて複雑にきらめく。
 銃口をユニスに向けた。
「そこをどいてくれ、僕らは上に行く」
「そして、神にいらぬことを吹き込むのかしら、こんな世界がそんなに大切なの?」
 ユニスは不快げに表情を歪めた。
「世界なんて大きいもの、僕にはわからないよ。だけど世界がこの島みたいなことになったら、父さんは絶望して自殺したなるに違いない。海の生き物がおかしくなったってね。クリスは立派な海賊になれないし、ツユリさんだって人生を楽しめない。それに、美汐が泣くからさ。僕は美汐に泣いてほしくないんだよ」
「……いわ」
 ユニスは歪めた口の端から声を絞りだした。
「気にいらないわ。人は欲と得で出来ているのものよ。だから国教会は私に魔女の烙印を押した。だから、あいつらは役に立たなくなった私を魔女と呼んだ。なのに、どうして、私と同じはずのその娘にはいるの、あなたやシップウが!」
 青いドレスの袖を鳴らして腕を振り抜く。
 瞬間、世界が変わった。
 空が暗い泥濘に覆われた。海が闇色に沸騰した。空の泥が生き物のように形を変えながら海へとしたたり墜ち、吐き気をもよおす異形が生まれ出でて海を穢していく。
「まさか、世界が変わるのか!」
「まだ出来上がったわけじゃないわ。これはもうすぐ生まれるはずの世界の苗床、ここに私が、私の思い描く世界を生み出していくのよ」
「この島と同じように、か。こんな気持ちの悪いものを表面だけ飾って、そんなものに何の意味があるんだ」
「私が満足できれば、それだけで十分に意味があるじゃない。さあ、その娘を渡してもらうわ。その娘は、私が未来へ繋げた変革の構造を乱しているのよ。その娘さえ矯正してしまえば、完成するわ。新しい世界が。材料の命も疾風のおかげで十分ね」
 暗く泥のような世界に、淡い光が舞った。はるか地上から、ひとつ、ふたつ、いや何十と輝きながら塔の頂点へと昇っていく。
「薄汚い人間でも、命はこうして輝くのね」
「まて、まさか、これは下にいる人間の命、なのか」
「そうよ、さっきから言っているじゃない」
「ふざけるなっ! やめろユニスっ! 下にはツユリさんや、仲間の海賊たちだっているんだ!」
「そうね、やめてあげてもいいけれど、賭けをしましょうか」
「賭け? なんの話だ!」
「あなたが彼に勝ったら、やめてあげてもいいわ。どうかしらシップウ」
「ナギにぃ、後ろだ!」
 夕凪は反射的に振り向いた。護身用のロングナイフを引き抜き、問答無用で振り抜く。
 鈍く輝く刃が、ぴたりと止まった。
 たった二本の指で、つまみ取られていたのだ。
 疾風に。
「おいおい、いきなりキケンなご挨拶だな。ま、気持ちはわかるけどな、俺と夕凪ちゃんの戦闘力はティラノサウルスとミジンコくらい違うからなあ。これくらいはご愛敬ってか」
 疾風は夕凪の額を人差し指で弾いた。たったそれだけのことなのに、夕凪の脳は衝撃にゆさぶられ、視界が何十にも重なった。「が、くはっ、なに、が」よろめいて後ずさる。
 それでも夕凪はナイフを振り抜く。
 疾風は耳をほじりながら楽々避ける。
「夕凪ちゃんさあ、ツユリねえちゃんの道場にいたころから、ホントへったくそだよなあ」
「疾風だって、あの頃は遊んでばかりいてサパッリだったろうが」
「ああ、そうね。だけど俺の場合はやる気が無かっただけでさ」
 疾風の拳が轟音をたてて夕凪の腹に突き刺さった。
「が、うっ……」
 腹にハンマーでも撃ち込まれたような衝撃、夕凪は臓物をはき出しそうな苦鳴をもらし、体をくの字に折り曲げて膝をつく。
「ツユリねえちゃんに勝てねえって思ったことは、一度もねえのよ」
「ナギにぃっ!」クリスの声が聞こえる。
「おー、黄色い声援が飛んでるぜ。ここで終わっちゃ、可憐な美少女もがっかりじゃねーの、夕凪ちゃんさあ」
 疾風は夕凪の髪を乱暴に掴むと強引に引きずりあげた。
 表情が険しくなる。
 夕凪が、抱え込んだ銃を疾風につきつけたからだ。
「いくら強くても、銃で撃たれたらタダじゃ済まないだろ、疾風」
「まー、そりゃ痛いな。だけど夕凪ちゃんよ、俺はそういう使い方してほしくて銃をやったんじゃねえんだけどな」
「本当はこうして欲しいから銃を渡したんじゃないのか。疾風だって、自分がやっていることが正しいなんて思ってないだろ。いくら生き続けるといったって、美汐の心を縛って、美汐が嫌なことをやらせて、それでいいのか」
「てめえだって正しなんて思ってねえだろ。美汐ちゃんが死んでいなくなっちまうんだぜ。それでいいわけねぇよな」
 夕凪も、疾風もそれ以上は答えない。
 静かな吐息だけが、狂った泥濘の空を満たしていく。
 そう、夕凪も自分が正しいなんて思っていなかったのだ。それは疾風も同じなのだろう。だが、ひとつだけ言える。
「疾風、おまえは間違っている」「てめえは間違ってんだよ、夕凪ちゃん」
「意見が一致したな」
「胸くそ悪いくれえに、なっ」
 疾風は風のような動作で銃を引き抜き、夕凪につきつけた。
「――っ!」
「ほんと甘いな、夕凪ちゃんは。そこで迷わず撃てっての」
「言われなくても甘さを痛感してたとこだよ、ご忠告のとおりつぎは撃つよ、迷わずに」
「いい心がけだ。んじゃひとつ、銃の決闘でケリつけるってのはどうだ」
「それは僕に好都合だよ、まともに戦っても勝てそうもないからな。いいのか」
「俺は負けるなんざ思ってねえからな」
 疾風は皮肉な笑みを浮かべると、一枚の銀貨を取り出した。軽く指で弾いて見せる。
「十歩の距離をとって、こいつが地面に落ちたら撃ち合う。それまでは銃口を上に向けておく。いいか」
「ああ、構わない」
 夕凪はフラつく体をひきずり起こし、十歩の距離をとった。
 疾風が指先でもて遊んでいた銀貨を高く放り投げる。
 泥濘と化した空を背景に、それでもなお鈍く輝きながら、銀貨はくるくると回る。
「なあ、夕凪ちゃんよ」
 疾風が銀貨の向こうで静かに口を開いた。
「なんだ、疾風」
「俺さ、おまえのそういうバカ正直なところが嫌いなんだよ。どうしようもなく大切で、テメえ自身をすり潰しても守りてえものがあるならさ」
 ――手段なんか選ぶんじゃねえよ、ボケ。
 銀貨が通り過ぎたとき、疾風の銃口はまっすぐに夕凪に向けられていた。世界が止まって見えた、鳴り響いた銃声が遠く聞こえた。銀貨が落ちる甲高い音が続いて聞こえる。
 だが、痛みは来ない。
 ガリガリに痩せた感触が胸の中にあった。
「ナギにぃ、よかった、おいら……」
 クリスが力を失って崩れ落ちた。反射的に抱き留めると、手にぬるりとした感触が伝わる。肩口が真っ赤に染まり、脈動するように血が流れた。
 夕凪の心臓が凍りつく。意識が濁流のように入り乱れた。
「クリス、どうして」それだけ絞り出すのが精一杯だった。
 なのに、クリスはそんな不甲斐ない夕凪に弱々しく笑みを向けてくるのだ。
「へへ、ズルは、ダメだよな、ナギにぃの友達、さ」
「どうして、どうしてここまでするんだ、クリス! クリスには関係ないんだ、クリスがケガをする必要なんてないだろう、どうして」
「ナギにぃ、それ、鞭打ちされたとき、おいらが言ったことだぜ……」
 夕凪は胸を突かれて顔をあげた。
 そうだ、間違えていた。クリスの気持ちに答える言葉は、ひとつしかないのだ。
「僕たちは、マトロだよな」
「へへ、ナギにぃ、わかってんじゃん……」
「まさか、ガキに邪魔されるとは思ってなかったぜ。美少女に身を挺して庇ってもらうなんざ。ほ~んといいご身分だよなあ、夕凪ちゃんてさ」
 背後から疾風の皮肉が聞こえた。夕凪は答えず、クリスを抱き上げて美汐のそばへと歩いていく、そっと下ろした。
 ふと、クリスの背に違和感を感じて指に当たったものを手にした。これは……夕凪はそれをベルトに挟む。
「クリス、少しだけ美汐と一緒に待っていてくれ」
 夕凪は立ち上がって、どこか醒めた瞳を疾風に向けた。そして付け加える。
「すぐ終わらせるから」
 疾風の口元から笑みが消えた。
「なんだそりゃ、怒りでパワーアップでもしちゃったわけ、夕凪ちゃん」
「疾風はマンガの読み過ぎだ。僕は弱いよ、疾風やツユリさんとは違う。下にいた海賊たちの誰と戦ったって勝てやしない。そんなことわかっている。だからこそだよ。僕は、自分が弱いことを知っているから疾風に勝てるんだ」
 夕凪は無造作に疾風へと歩み寄った。
 ひとつだけ夕凪に有利なことがある。疾風は夕凪を殺せない。美汐を目覚めさせるために必要だからだ。もっとも殺さなければ何をしても構わないあたり、どこまで有利か不安になるが、その隙をつく、それ以外に手はない。
 夕凪はナイフを構え、デタラメに振り回して突進した。
 疾風は僅かに警戒し、だが余裕で夕凪の攻撃を払っていく。それどころじゃない、夕凪の隙だらけの構えから刃を滑り込ませ、肉を切り裂いた。
 たちまち腕や胸を刻まれ、血が珠となって飛び散る。
 夕凪は苦痛に声をもらし、だが、真っ正面から突進、疾風の顔面にナイフを投げつけた。甲高い音をたててナイフが弾かれる。一瞬、疾風の視界を塞いで。、
「疾風――っ!」
 夕凪は体ごと飛び込み、疾風の腰にしがみつく。だが背に鈍い衝撃、ヒジを叩き込まれて地面に叩きつけられる。さらにつま先が顔面に迫った。すんでのところで転がり、立ち上がってそのまま疾風から距離を取る。
「どこへ逃げるつもりかしら」
 冷ややかな声が聞こえた。同時に真っ黒く巨大なものが横薙ぎに叩きつけられる。海の怪物が角質をぶちまけ夕凪の体をはねとばした。
 トラックにでも轢かれたような衝撃、体がバラバラになりそうな痛みに意識が飛びかけ、地に叩きつけられて意識が戻る。そのまま何度か回転してようやく止まった。
 もはや、痛いのかどうか、それさえよくわからない。
「これで終わりだな。んじゃ、気にくわねえことおびただしいけどよ、その頭をひっつかんで美汐ちゃんにキスさせてやるか。目覚めたところでユニスちゃんが精神を支配して、そんで終わりってな」
 勝利を確信した声だった。夕凪は膝をついて声を絞りだす。
「疾風、プレゼントは気に入ってくれたか」
「あん? なんだって?」
 疾風は妙な声を出して、それから気づいたように腰に手を当てた。夕凪が抱きついたドサクサに挟み込んだものを抜き取り、高く掲げてみせる。
 吹き抜ける風を受けて風車が力強く羽を回した。鳥の羽音にも似た鈍い音が大きく響く。
「あ~、夕凪ちゃんよ、こいつでガキのお守りでもしろってか?」
「疾風、知っているか。動物はひどく痛い目を見ると、普通はそれを避けるようになるんだ。ハチを咥えたカエルは、口を刺されると、もうハチを捕まえようとはしない。だけど」
 夕凪は上に目をやった。
 つられて見上げた疾風が、初めて動揺の色を見せた。思えば夕凪は疾風のこんな顔を見た覚えがない。いつもふざけていて、おちゃらけていて、それでいて余裕たっぷりだったのだ。
 海の怪物が巨大な口を開いて咆吼した。
 あらゆる物が畏れるように震動する。そして、疾風に襲いかかった。
 巨体が神の体に激突し激震が走る。長大な体が疾風を巻き込んでうねり、すり潰し、なにもかも破壊していく。
「や、やめなさい、どうして、やめて――っ! シップウが! シップウ!」
 ユニスが絶叫した。冷ややかな態度は消え去り、髪を振り乱して暴れ狂う怪物に駆け寄る。怪物が、ようやく動きを止めた。
 ゆるやかに巨体が離れていく。残されたのは砕けた角質の山と、ピクリとも動かない疾風の体だけ。
 夕凪は残りのセリフをはき出した。
「テリトリーの中だと、ひどく攻撃的になる動物もいるんだよ」
 そう、海の怪物は自分を酷い目にあわせた風車の音に襲いかかったのだ。風車を自分の縄張りに侵入する敵とみなし、本能の赴くままに、あらゆる制約を忘れるくらい怒り狂って。
 いま思えば、塔を登る夕凪とクリスを追い回したのも、クリスが風車を腰に挟んでいたからに違いない。
「シップウ、シップウ!」
 ユニスが疾風の背をゆする。その手を、大きな手が握りしめた。
「泣くんじゃ、ねえよ。俺は愛を守る、戦士なんだぜ。泣かれちゃ、立場……ねえぜ」
 疾風は震え腕をつき、体を起こした。全身が血と砂にまみれている。頭に巻き付けていた真っ赤なバンダナが、真ん中からほどけて落ちた。
 髪が揺れた。
 鈍く輝く銀色の髪が。
「疾風、その髪……どうして」
「ん、あー、これな……俺も、神様のお気に入り、らしくてよ。だから、ここだと、ちっとやそっとのことじゃ、死なねえのよ」
 夕凪は光沢のある銀の髪を血にまみれた手でなでつけた。
「しかし、やってくれたぜ、さすがに、効いた。だけどよ、まだ」
 口は、そこで止まった。疾風はおずおずと首に手を伸ばすと、なにこれ? と不思議そうに困った笑みを浮かべた。
 首にナイフが突き立っていたのだ。
 そして、さらに一本が肩に突き刺さる。
「シップウ!」「疾風!」夕凪とユニスの声が重なる。そしてさらにもう一つ。
「ゲェイルゥゥゥ――っ! キサマは、死ねぇぇ――っ!」
 膿みだらけの顔に怒りを爆発させ、目を血走らせた男が突進、疾風に体ごと激突した。
「おっさん、生きて……くそったれ、のど笛掻き切ってやりゃよかった、ぐぅっ!」
「やはり肉を刻む感触は心地いいな、とくにキサマの肉はな、ゲイルゥゥゥ」
 ロロノワは怨嗟の声をはき出し、疾風の脇腹に突き込んだナイフを抉った。疾風の口から苦悲が漏れる。だが、疾風のヒジがロロノワの顔面を捕らえた。
 ロロノワはよろけて数歩後ずさる。
「疾風、伏せろ!」
 夕凪の声にユニスが反応した。疾風をかばって地に押し倒す。間髪いれずピストルの引き金を絞った。鋭い衝撃、白煙とともに鉛玉がはじき出され、ロロノワの肩で血が咲く。
「ぐっ、く、キサマ、ゲイルの敵ではないのか」
「そんなに単純な関係じゃないんだ。残念なことにね」
 ロロノワはそのまま後ずさり、踏み外した。神の体の外縁を。血の気を失った顔がゆがみ、呪いの言葉を吐いて、ロロノワは落ちていった。はるか地上へと。
「疾風っ!」
「来るんじゃねえっ!」疾風の声が制止する。低く笑い声が聞こえた。
「さすがに、こいつはダメか。悪党の末路って、やつだな」
「終わりじゃないわシップウ、あなたも神にお願いするのよ、生まれ変われるように!」
 ユニスが疾風の腕にすがりつく。期待と、不安と、泣きそうな色がそこにあった。だが、疾風は小さく笑う。
「そいつは、ムリだ。俺は、最後に、やることがあるんだ、よ。ありえねえけど、しくじったときは、やるって、決めてた。夕凪、てめえに負けねえ、ためにな。俺の勝ちだ、絶対に」
「疾風、なに言ってるんだ、もう勝ち負けなんか、どうだっていいだろ! 手当をうけよう、ツユリさんの船に医者がいる。僕は知らなかったけど、船には外科医がつきものなんだってさ、疾風、だから!」
「ごめん、だぜ」
 疾風は吐き捨てると、ユニスの腰を抱きしめた。
「な、なに、シップウ?」
「ユニスちゃんよ、悪りい、でも勝負の約束くらいは、守らねえと、さ」
「シップウ? シップウ! やめて、どうして!」
 疾風はユニスを神の体の外縁へと引きずっていく。
「俺が、最後まで、一緒にいて、やるから、さ」
「シップウ……」
 ユニスの表情がほんの少しだけ、和らいでみえた。
 きっとそのとき、ユニスは得たのだ。本当に欲しかったものを。
 そして、二人は、高みから舞った。
「し、疾風、疾風!」
夕凪は痛む体に鞭打ち、神の体の外縁から下を見下ろした。疾風とユニスの体が小さく消えていく。
「このバカ野郎――っ!」
 声はただ泥濘の空に消える。
「なんで、こうなるんだ、バカだ、本当にバカだ。救いようのないバカだ。だけど」
 僕はそんな疾風と友達でいたかった。
 夕凪は流れ落ちる涙を拭った。ふらりと立ち上がって、クリスと美汐に歩み寄る。そのとき、螺旋の下から聞き覚えのある声が聞こえた。
「おーい、ガキども! まだ無事かっ!」
「バーナードさん、どうして?」
 バーナードは夕凪に駆け寄ると、盛大に息を切らせて膝に手をあてた。
「いや、な。下で怪物が暴れるわ、海賊どもが何人か光になって消えちまうわ、メチャクチャになってよ、んでもって、船長が俺に様子を見て来いって。人使い、荒いよな、ていうか、オレの心配はぜんぜんしてねえよな、あの船長」
 ふう、と大きく息をついた。
 夕凪は苦笑すると、クリスをそっと抱き上げ、バーナードに渡した。
「悪いんだけど、クリスを船まで連れて行って、手当してもらえないかな」
「おっと、こいつは。わかった、で、おまえさんはどうすんだ」
「船に戻ったら、僕らのことは気にせず船を出すようにツユリさんに伝えてください。たぶん、ここは危なくなるから」
「って、だからおまえは!」
「クリス」
「ナギにぃ……勝ったのかい?」
 クリスがうっすら目をあけた。青い瞳が力なくて、なのにひどく綺麗に見える。いまの空は泥みたいに薄汚れているが、きっと晴れたらこんな色になるに違いない。
「勝ったよ、クリスのおかげだ。それだけじゃないな。僕がいまここにいるのは、みんなクリスのおかげだ。クリスは僕にはもったいない最高の友達で、世界中さがしても見つからない最高の相棒だ。僕は教会に行ったことはないけど、クリスと出会えたことを神様に感謝するよ。だけど、僕はクリスを裏切る」
「なに、言ってんだい、ナギにぃ?」
「今日でマトロは解消だ。自分勝手な都合だから、怒っても恨んでもいいよ。だけどクリス」
 金色のやわらかな髪をそっと撫でた。クリスは不安げな顔で、だけど少しだけくすぐったそうにする。
「凄い海賊になってくれ。僕の時代で本になってるくらいさ」
 何か言おうとするクリスを止めて、バーナードに顔を向けた。
「行ってください、バーナードさん」
「ナギ、てめえ……いや、わかった、クリスは任せとけ。なんならヨメにやるまで面倒みてやる」
「それはいいや、ちょっと見たかったけどね、クリスの花嫁衣装」
「ナ、ギにぃ、どうしてだよ、おいら、なんか悪いこと、したのかい、なあ」
「クリスは何も悪くないよ、前にもそう言ったろ」
「ナギにぃ、おいら、おいら、ナギにぃのこと」
 クリスが手を伸ばす。だがバーナードは背を向け、「すまん、許せクリス!」と声を残して螺旋を駆け下りていく。
 クリスの声が小さくなり、やがて消えていった。
 ごめん、クリス。
 もういちど心の中で謝ると、夕凪は美汐の横に膝をついた。
 きれいな銀の髪を指でなぞり、頬を軽くつつく。柔らかかった。(にゃにするの、なぎ)とか声が聞こえそうな気がする。
「美汐、そろそろ朝だよ」
 ロマンのないセリフを口にして、夕凪はそっと美汐の背に腕を回した。ふっくらと淡い色をしたくちびるが、ほんの僅かに開いていた。
 幼いのにどこか色っぽくて、そんなくちびるに、夕凪はそっと口づけた。あのときと変わらぬ柔らかで、愛おしくて、少しだけ心が痛い。
 小さく声が聞こえる。
「王子様は、ボロボロだ」
「もうちょっとロマンチックなセリフはないのか、美汐」
「ボロボロな王子様は美汐のせいでボロボロだから、それは美汐が痛くないといけないのです。なのに美汐はダメダメだ。美汐は、疾風だってすごくすごく守りたかったよ。ナギも、疾風も、ツユリさんも、みんな大好きなのに、美汐は、ほんとに、ダメダメだよ」
「そんなダメダメな美汐を疾風は守りたかったんだ」
「うん、疾風には、あとでいっぱいあやまって、いっぱいお礼言っておくよ。それと、ナギはもう帰っていいよ」
 美汐は夕凪をそっと押しやると、立ち上がってドレスのチリを素っ気なく払った。なんだかツンケンした態度をとっているが、強がりなのは見え見えだ。五年間一緒に住んでいたのはダテや酔狂だとでも思っているのだろうか。
「それは聞けないお願いだな」
「ナギがいても、なんにも意味がないよ。きっとくーさんにご飯をあげるほうが、ありがとうございます、感謝の踊りを捧げましょうと言われるよ。美汐と一緒にいても、ごほうびはなんにも無しだ、寂しいね」
「べつにいらないし、意味なら十分あるじゃないか」
「ふへ?」
「二人なら寂しくないだろ」
 美汐は、はふぅ、と息を吐いて「ずるいよ、ナギ」と囁いた。
「僕はむかしからずるいんだよ。一緒に行こう、てっぺんの神様のところへ」
 夕凪が手を差し出すと、美汐は迷い、怖がるように、だがそれでも夕凪の手をとった。
「うん、一緒にいこう、ナギ」
 二人並んで螺旋を登る。行き着く先に待っているのは全ての終わりで、だけどなぜか怖くはなかった。きっと手の温もりがあるからだ。
 夕凪は美汐の手を優しく、そして強く握った。

*   *    *
 
「全員、さっさと撤収準備! 全速力でやりなさい! ダラダラやったら泣くわよ!」
 《きまぐれな女王様》の甲板に飛び込むなり、ツユリは叫んだ。
「ツァーリ船長、お帰りなさいやし、ですけど銀の積み込みがまだ終わってませんぜ」
「銀と命とどっちが大切なわけ、あれ見なさい!」
 ツユリが指さす先で、島が鳴動していた。
 緑織りなす森や、鮮やかな花々が色を失い、黒く溶け流れ、島の形が崩れようとしている。
「おひゃぁぁ、ありゃなんですかい!」
「呆れた、ほんとうに呆れたわ。気づいていなかったわけ? 島は溶けるわ、フランスの海賊が何人か光になって飛んでいくわ、大騒ぎになってるのよ。銀に目がくらむのもたいがいになさい」
 そこへ揺れが押し寄せる。暗く淀んだ海が大きくうねり、《きまぐれな女王様》を翻弄した。「これは、本格的にまずいわね」
「おーい、待ってくれ! おいてくのはナシだぜっ!」
 バーナードがドカドカと黒い砂浜を駆けてくる。
「だれか、ボートを出してあげなさい!」
 
「うう、助かったぜ、さすがにヤバすぎだろ、これ」
 バーナードはクリスを抱えたまま甲板に座り込んだ。
「ごめんなさいね、あなたのこと忘れてたわ」
「カンベンしてくれよ船長!」
「冗談よ、冗談。ところで夕凪くんと美汐さんは」
 ツユリは表情を厳しくする。バーナードは視線を落とした。
「船を出してくれとさ」
「そう……」
「船長、さん、ナギにぃ、助けに、いっておくれよ」
 クリスが弱々しい息から声を絞りだす。
「あなたは治療なさい、外科医を呼んであげるわ」
「ちが、ナギにぃを」
「船を出すわ、操舵手!」
「アイアイサー、ツァーリ船長! でもいいんですかい」
「船員の安全が最優先よ。それに、夕凪くんが言っているなら、そのとおりにすべきよ」
 ツユリはくちびるを噛みしめた。
 夕凪と疾風、あの二人はどうなったのだろう。
 結局、自分はなにもしてやれなかった。それが悔やまれてならない。
「ツァーリ船長、雰囲気変わりやしたね。島で何かあったんですかい」
「失恋をひとつ残して、いま弟分を見捨てているところよ」
「そいつは、つれえですな」
「碇を上げなさい、島の崩壊に巻き込まれる前に逃げるわよ!」
「イエス、アイマム! ツァーリ船長!」
 ツユリは不意を突かれ、苦笑した。
「少しは成長したってことかしら、それとも弱くなったのかしら」
 《きまぐれな女王様》は、ゆるやかに帆走をはじめた。ツユリは遠ざかる島を見つめる。
「せめて生き残りなさい、お願いだから」 

*   *   *

 どれだけ登った頃だろうか。
 泥濘と化した空に触れそうな場所に、それはあった。
 幾何学模様が溶けたように流れながら絡み合い、そのくせ放射状に何千もの針となってそそり立つ。およそ、まともな表現のしようのない、異様な物体だった。
「これが、神の頭なのか?」
「そうだよ、ユニスの願いを叶えた、さびしい神様。美汐は神様におしえてあげるんだ。だけど、あのね、ナギ、そのまえに」
 美汐は恥ずかしそうに視線を落とすと、落ち着かない様子でつま先をおねくりまわす。やがてちょっぴり不安そうな顔を上げた。
「美汐の夢を叶えてもいいかな」
「あたりまえだろ、美汐が望むならどんなことでも」
「ありがと、ナギ」美汐は溜まった息を吐き出した。「それじゃね、うんと、ちょっと近いかな、もうちょっと後ろいって」
「このくらいか?」
「うん、えとね」
 美汐は小さく喉を鳴らして整えた。
 銀の髪が強い風に乱れて輝いていた。淡い色のくちびるが愛らしかった。まあるい菫色の瞳が可憐だった。
 なにもかもが、美汐だった。
 くちびるが、恥ずかしそうに開く。
「美汐は、ナギのことがとてもとても大好きです。美汐の特別なひとになってくれませんか」
 菫色の瞳が不安げに揺れた。
 そんな美汐に、夕凪は精一杯の笑顔を送る。
「僕も美汐のことが好きだよ。出会ったときからずっと、美汐は僕にとって特別だったんだ」
「は、はずかしいよう。へへ、両思いだね」
「そうだな、両思いだ」
「夢、叶っちゃった」
「夢は叶えるものだよ」
「ナギ、ありがと」
「どういたしまして、僕のお姫様」
「美汐は、すごくすごく幸せだよ、きっと王子様のキスで目覚めた眠り姫よりも、ずっと幸せなんだ。それはとてもとても素敵で、ずっとずっと続いてほしくて、せめて王子様には幸せになってほしいのです」
「なにを?」
 言っているんだ、という言葉は口から出なかった。トテトテ駆け寄った美汐は夕凪の胸を押して、夕凪は遙かな虚空へと足を踏みはずした。
「ばいばい、ナギ」
 美汐の寂しげな笑顔と、一粒の涙。
「美汐、どうして――」
 聞こえたのは、海の怪物の咆吼。
 粘液をまとわりつかせた口腔が夕凪を飲み込み、すべてが消えた。
 残された美汐は自分の手をかざした。
 指先から黒く砂となって崩れていく。
「ナギ、美汐は外の世界で長く生きられない体なんだよ。もう時間はあんまし残ってなかったんだ。眠り姫になってたのは、それもあったんだ。ナギには、こんなの見られたくないから、これでいいんだよ。でも」
 美汐は崩れゆく手で胸を抱きしめた。
「ひとりは寂しくて怖いよ、ナギ……」
 だが振り返る。さびしい神様がいるから。美汐は両手を広げた。
「神様、神様におしえてあげるよ。さびしくならない方法。すっごくすっごく簡単なんだ。美汐も手伝ってあげるよ。帰ろう、神様が来たところへ。きっとたくさんの仲間がお迎えだ。もうちっとも寂しくないよ。ね」
 美汐は神様に微笑みかける。
 そして、世界を閃光が貫いた。
 泥濘と化した空は吹き飛び、腐り果てた海は消え去り、青く青く、どこまでも遠い青色の世界が広がる。
 螺旋を描いた神の体が角質を引きはがしながらうねった。
 昇っていく、駆け上がっていく、はるか時の向こうか、星の彼方か、異なる世界か。
 ユニスが見いだし、美汐が送った神は、数千万年の時を経て、地上から姿を消した。

 エピローグ
 
『女海賊ツァーリとクリスティナ』
 夕凪はそんなタイトルの本をベッドの脇に置いた。
 それからフリーズドライのオキアミをカンから取り出して、大型水槽にぽちゃぽちゃと放り込む。
「ほうら、食え、くーさん」
 フレンチエンゼルは大きな体をくねらせ、お気にめさない様子でオキアミをつつく。それから鷹揚な態度でそっぽを向くと、尾びれで海水をばしゃりと一発。
 フタの隙間から吹き出した海水が夕凪の顔を直撃した。
 指先で額にはりついたオキアミをつまむ。
「そうか、そういう態度をとるか。いつか焼き魚にしてやる」
 こいつは美汐がいなくなってから、すっかりご機嫌ナナメの暴君さんだ。よほど夕凪の世話が気にくわないらしい。
 夕凪は血管の浮いた顔を拭くと、ポケットからメモ帳を取りだした。中には市内の地図と、大量のバツ印が書き込まれている。
 どうしても気になる謎が残っていたのだ。それを探し回っているのだが、収穫はまるでなし。せめて夏休みが終わる前に見つかるといいのだが。学校が始まると時間が無くなってしまう。
 夕凪は玄関に降りると、夏へと続く扉を開いた。
 強い日差しが降り注ぐ。
 商店街から海岸通りへと抜け、焼け付く歩道をぶらぶらと歩く。
 護岸とテトラポッドの向こうは夏の海だ。カリブの海とは違う、だけど澄んだ波が繰り返していた。
 ふと、護岸に座る小さな女の子が目にとまった。
 真っ白なワンピースで、白い帽子をかぶっている。ちらちらと光って見えるのは髪だろうか。夕凪は、よいせと女の子の隣に腰を降ろした。
「なにしてるんだ、そんなところで」
「なにもしていないわ」
「なら僕と遊ばないか、可愛らしいお嬢さんと仲良くなりたいんだ」
「誰かみたいなこと言わないで、へんな趣味に目覚めたの?」
「いま、目覚めてもいいかなって思ってる真っ最中だ。クリスのせいかもしれないな。むこうは十二歳で結婚できるらしいし」
「ナ、ナギは、あの娘がいいの?」
「ああ、ナギって呼ぶんだ、やっぱり」
 女の子はあわてて口を押さえた。
「私は、美汐じゃ、ないわ」
「ユニスは僕をナギとは呼ばないだろ」
「美汐は、たったひとりだけ、特別な名前だから、私は美汐じゃないの。もう、この体は普通の人間とかわらないし」
「なあ、疾風がやったのか」
「神様に特別なお願いができるのは、特別な命だけ」
「そうか」
 疾風が最後にやるといっていたのは、このことだったのだ。
 自分の命を神に捧げて、美汐の生まれ変わりを望むこと。最初から最後まで、疾風の願いは美汐が生き続けることだった。それを貫き通したのだ。
 疾風の勝ちだ。一生勝てそうもない、そんな気がする。そして、
「疾風が生きてほしいって願ったのは、美汐だよ」
「美汐じゃ、ないよ。みんな、みんな、美汐のせいでたいへんだったのに、疾風だって……なのに、美汐だけ美汐になれないよ。ちっちゃいし」
「ダメダメなくせに強情だな。しょうがないからくーさんでもいじめてウサを晴らすか。生意気にもオキアミは食えないとヌカしていたから、しばらくご飯は抜きにしてやろう」
「はうう、ダ、ダメだよ、くーさんは人一倍ごはんが好きで、ごはんがないとご機嫌ナナメの頭突きさんだ。一日二回はアサリかナマのエビさんだ……あう」
「美汐、帰ろう」
 夕凪は手を差し出した。
 菫色の瞳が夕凪を見つめ、かわいらしい顔がくりゃりと涙顔にくずれた。
「美汐で、いいの?」
「僕の大切な美汐は、いまここにいるよ」
「……ナギっ!」
 白い帽子が風に舞った。
 銀色の幼い髪が夏の雪となって日差しに溶けゆく。
 ちっちゃくなって、だけど愛らしくて、夕凪が好きな美汐が、そこにいた。

作者コメント

 みなさま、お久しぶりです。
 本作はタイトルからもわかるように海洋冒険物です。ラノベとしてウケるネタではないかな~と長く放置していまして、細かいネタをよそに移植したりしていたのですが、捨てるには惜しいような気がして仕上げてみました。

 どんなもんでしょうか。
 新書に舵を切って書き直したほうがいいような気がしなくもないのですが。

 あ、本作は海洋冒険ものとはいっても、海洋モノファンの方に満足いただけるようには書かれていませんのでご容赦ください。とくに、海戦のあれこれはリアルさを無視して派手さを追求しています。

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感想

竜樹さんの意見 +30点

 拝読しました。これ、一年以上前にちょろっと仰ってた奴ですね。

 しょっぱなからですが、なぜに夕凪には()付きのルビがあって疾風にはないのでしょうか。
 一瞬、()のとこまで行って、疾風って人の名ではなかったのか、と疑問を持っちゃいました。人名ルビをつけるなら全員にやってほしいかも。つけないなら全員につけない、で。(相変わらずのお名前でw だからこそ、一発で人名か否か、性別は? とか分かりにくいんですよね)
 後、しょっぱなから小学生登場とあって、ボライソーファンの私としてはちょっとテンション下がったかも。児童文学なのだろうか、とまで予想してしまった。後、夕凪の性別が今一分からない。

 1章来ました。ああ、それで小学生。納得。でも、アイキャッチとしては不利かもしれないなあ。出会い自体はいいんだけど。
 それと夕凪が「男」になってますね。歳くったから当たり前なんですが。でもイメージが一瞬、疾風とごっちゃになりました。あう。疾風も変化している。当て馬かやられ役の悪役登場かと思ったら・・・。

 ・・・最後まで行きました。おもしろい。破綻もない。のですが。こ、これはどこに位置付けしたらいいのだろう。売りは 海賊の生活とバトルでそれに不思議少女の純情と切なさをプラス、でいいのかな。
 とりあえず、少女系でないのは確かだけど、後が判断できない・・・。ラノベ、新書。うーん、どっちにしたほうが魅力的なんだろう。これはやはりターゲット読者の感想を待つしか・・・。私じゃ畑が違いすぎる。

 ツユリ姉さんがいい味を出していました。最初はモブかと思っていた某バッカニアもナイフ一本でしがみついてた辺りでおおっっと株が上がったし。疾風も美汐も切ない一生懸命が感じられて。なのですが。うーん。
 ツユリに喰われている感じがしないでも。というか、海賊稼業に喰われてる? 一番にまにましたのは初期のケロッグ船長(つい、フランス野郎と叫びたくなったw)の船倉での水夫生活描写とツユリ姉さんでした。眠り姫や神様の謎も確かに機能してるんですけど。どういうことだ? と先を読む力となっているんですけど。
 こっちが本筋、と考えるとなんとなく、疾風が身投げするシーンと美汐が身投げするシーンがあっさりだったような。はうううう、切ないーーーっと怒涛のラストに向けて収束していっている感がないような。よけいなセリフが多すぎるような。目立つツユリ姉さんが海賊理念に立っちゃってますからねぇ。疾風、夕凪、美汐、本筋組が三人がかりでようやく立ち向っているって感じで。割合的によくわからないような気も。

 訴えたいものが絞り込めてないって感じでしょうか。
 いろいろあるんでラストに向かって焦点を絞っていけなかった。例をあげるとプロローグ。劇的に二人が少女を拾った。少女が意味深なセリフをはいた。そこだけにしぼったほうがよかったかも。

 二人の少年が同時に拾ったのに、美汐が選んだのは夕凪。
 ああ、しょっぱなから運命の恋人同士と切ない当て馬の関係! とかをクローズアップすると恋愛の側面が強くなりすぎるのか。「ふっ、雪、君を最初に見つけたのは俺だったんだぜ・・・」島の最期の最期での長セリフが蘇る。瀕死の状態で戦闘中にあそこまで話させるヤマトお約束もどうかと思うけど、でも、見せ場を重視する姿勢は立派だと思う。

 感動頂戴シーンや伏線はもう少しじっくりでも良かったのでは。逆に余分な日常は必要最小限と渾身の作のコメディ部分以外はそぎ落とす。
 ドラゴンボールだって感動シーンやってる時は敵も攻撃待ってくれるし。
 絵画と同じで写真みたいな忠実なデッサンより、崩れまくってデフォルメされまくってても訴える部分が目立つ絵の方が眼を引くし。特にラノベはそうだと思います。ほら、書道でもへたくそでも勢いある字のほうががんって眼に入るじゃないですか。

 とか、書きましたけど。いや、もう、レベル的にはもはや口出しするとこにないんですよね。後は純粋に好みの問題で。多分、本だったら文句も付けずに読んでいる。ラ研投稿作だからなんとか批評しようとスミを突っついているだけで。
 ターゲットをさっさと絞って。そのターゲットが欲しがっているような部分をクローズアップして、余計な物を削り落とす。それくらいでしょうか、この話をグレードアップできるのは。後、思いつかないです。

 後、一番重要なのはふさわしいとこを探すってことですよね。作品としての完成度が高くたって、公募では関係ありませんし。

アリスさんの意見 +10点

 こんにちは、アリスです。教習所のテス勉や引越しとかぶらなくて良かった;
 いつかのレスで海洋物を書いていると仰っていたのを目にして、ちょっと楽しみにしていました。
 ★では感想です。まずは気になった箇所を引用しながら。

>疾風のセリフが終わる前に、ツユリは木刀を一閃。

・木刀を所持している描写がなかったせいか、やや唐突でした。胴着姿とは書いてあるんですけどね;

>夕凪は美汐の手を掴んで引き寄せた。足下の影で何かが蠢く。無数の長虫が折り重なり、はい回り、夕凪を威嚇するように音を立てる。

・何故だろう、ちょっと分かりにくい; こういう非現実的な描写をする時は、もっと仔細に書いた方が良いんじゃないかと。例えば、

 夕凪は美汐の手を掴んで引き寄せた。足元の影が蠢く気配がする。そしてその闇は、溶けだすようにうねって形を変えていった。やがて無数の長虫が形成され、折り重なり、はい回り~
 とか。全く自信ないんですけどあくまで例として(汗

>ふうん、それでナギにいちゃんも物知りなんだ。

・ここまで、ナギは何か物知りと呼ばれるような情報を出してはいなかったような。見落としでしたらすみません;

>「やってみるだけならタダだな」

・気持ちの切り替えが早すぎるように感じました。先ほどまで反対していた人ですし。しかも運頼みの確率を少し上げるだけと言われているのですから、せめて「話を聞くだけならタダだな」くらいが良いかと。

>「そうだよね、ナギは悩むよね。でも、きっと疾風は悩まないよ」

 ズキリと胸が痛んだ。それは疾風のことが好きという意味だろうか。

・うーん、言いたいことはなんとなく分かるんですが、これだけで好きだと勘ぐってしまうのは飛躍しすぎかな、と思います。

>「頼むよ、もし僕らが行かなかったら」

・物凄い些細なことなのでスルーされても良いんですが、行かなかったらより、来なかったらの方が馴染みがあります。

★全体的に、綺麗にまとまっているんですが、心にずかんと来るものはなかったかな、という印象でした。

・文章
 読みやすかったです。どちらかと言うと上手い、かな。たまに同じ場面で視点移動しているところなんかがありましたが(例えば、ナギ→ツユリなど)、気になるほどではありませんでした。

・内容
 うーん、何といいますか、全体的に唐突な展開が多かったです。描写が足りないせいかな。
 例を上げると、美汐の影がおかしくなってからタイムスリップするまでの二人のやり取り。突然キスしてナギは戻ってこいとか言い出して、置いてけぼりにされました。え、今何が起こってるの? みたいな。
 他にも、その後から美汐を見つけた時とか、謎の少女(ユニス)が現れたりなど、一気に色々な内容が押し寄せてきてついていけなくなりました。美汐とユニスがどっちがどっちだか分からなくなりましたし。

 それと塔を発見するのも唐突な感じが。特に苦労もせず(戦ったりしてるんですが;)たまたま見つかった、的なノリで書かれていて、拍子抜けしてしまいました。もうちょっと紆余曲折しても良いんじゃないかな、と。地図があるとはいえ、最後の舞台ですし。

 順番が狂いましたが、冒頭について。ナギを女の子だと思っていた私は、成長した後の彼が男子だと分かりつまずいてしまいました。勘違いさせることに何か理由があるなら構わないんですが、特に理由があるようにも見受けられなかったので、混乱を避けるためにも、最初から男の子らしい口調の方が良いかなと思いました。

 後、成長した後の疾風。好みによるものかもしれないのでスルーされても良いんですが、冒頭と性格が変わりすぎていて再びつまずきました。いや、人って変わる生き物なんですけど。そうなんですけど。何か、変わりすぎ; 
 あんな女たらしの変人になるような子供には見えなかったのに。
 それから、ナギが水夫として初めて働くシーン。地の文でさーっと済ましてしまうよりは、ある程度エピソードとして描写した方が、ナギたちの苦しみがより伝わるかなと思いました。まぁ、今でも十分分かるんですけどね;

 あ、病気の水夫が捨てられた場面がありましたよね。あの時ナギは大声で叫んでいましたが、仕官たちには聞こえなかったのでしょうか。聞こえていたら、また絡んできそうなんですが。
 ナギがカトラスを手にケロッグに挑む時は、ちょっと勇ましすぎたような気もしますね。木刀で打ち合うのと真剣で斬り合うのは違いますし、もっと恐怖するのが普通のような。平凡な高校生なんですし。

それから疾風の裏切りが早かったですね; 展開的に仕方ないんですけど。でも急すぎたせいか、あまり第三者のショックは大きくなかったです。そういうのは、もしかしたら期待していなかったのかもしれませんが。
 また、ツユリが塔に残ってナギたちを先に行かせた時。ナギにはせめてもう少し躊躇ってほしかった; 現状ですとあっさり歩を進ませてしまっていて、ちょっと薄情のような感じが。信頼し合っているがゆえとかなら、そういう描写がほしいところです。

 それと、ユニスと世界のことについて話す時。ナギはクリスやツユリのことは守りたいと言っていますが、疾風のことだけは口に出さなかったのが個人的に残念でした。ナギも疾風が美汐を助けたいんだと分かっているんですし、ロロノワに襲われた時は助けたりしていたんですし、やっぱり嫌っているわけじゃないんですよね。ここは友情を見せてほしかった。

 ちなみにこの時、ナギと疾風との戦闘にユニスが手を出していたような気がしますが(違ったらすみません;)、真剣勝負に横から手助けするのはどうかなと思いました。疾風に勝ったら、という賭けもしていたんですし。
 疾風が神のお気に入りというのも、私の理解力がないだけかもしれませんが、よく分かりませんでした。どうして疾風が? と。そういう伏線もなかったですし。それとも、天気を予測出来るというあれが、神から授かった力なのでしょうか。

 疾風といえばもう一つ。彼が美汐のことを本気で好いているという伏線がほしかったです。いや、もしかしたら序盤で一番好きだぜ~みたいなアレが伏線だったのかもしれませんが、そうだとしたら、疾風が美汐を好きなんだとナギが知った時、心理描写として「あれはただ好きだと言ってたわけじゃなかったのか……」とか、補足があった方がいいです。

 後、美汐の声を聞くことが出来るのはどんな場合なんでしょうか。好きな時に聞けるようでもないみたいですし……見落としてたらごめんなさい;

 そして一番痛かったのは、美汐を助けようとするナギやツユリたちの想いに共感出来なかったことです。タイムスリップする前のシーンがよく分からなかったこともありますが、美汐との思い出というか、こんなに仲が良いんだぞ! というエピソードや描写がかなり少なく、助けようとするナギたちを応援する気分になれなかったんです。五年も一緒にいたんだというのはわかるんですが、そう言葉だけで説明されてもどうもピンとこない。私は。タイムスリップする前の日常的なやり取りも、ただのキャラクター紹介にしか見えなくて; 序盤にそういうシーンを入れると冗長になってしまうなら、途中で回想シーンを挟むとか、何か思い出を語ってほしいところです。

 しかし、全体的にはすっきり話はまとまっていて、山場も定期的にあって、だれるようなことはありませんでした。最後のバッドエンドかなと思って胸がちくりとしましたが(悪い意味ではないです)、帰ってきてくれたみたいで良かったw

・登場人物
●ナギ。結構好きでした。口調とかも好みです。クリスを庇って鞭打たれにいった時は格好良かったですね。これで彼の気持ちや行動にも感情移入出来れば完璧だったのになぁ……(汗

●クリス。女の子キャラの中で一番好きです。ナギとくっついてほしかったくらい← 子供扱いされて怒るところが彼女らしいですね。ただ、水夫としてのあんな生活を送っている時は、女の子が生きていけるの? と少し疑問に思いました。性別もバレないのかな、と。まぁ、汚れているからバレないというのもありますが。

●美汐。ごめんなさい、この子好きじゃないです; 何というんでしょう、あのほわんほわんとした感じが見ていてイライラするというか。ふにゅ? という声とか。別にあの独特な喋り方とか考えが嫌いなわけじゃないんですが、ふにゅ? の時点で無理だと思いました。でもあくまで私の感性の問題なので、こういう奴もいたんだな、程度にとどめていただいて全然結構です。

 私からは以上です。辛口のくせに見落としとかよくあるので、その場合はご容赦いただけると助かります; 今後も切磋琢磨していきましょうね。
 では失礼します。

KRCさんの意見 +20点

 感想返しに参りました。KRCです。
 色々と気になる点はありましたが、ノリと勢いと熱さ。少年漫画的な何かを感じました。ロマンと言うかなんというか。
 ワンピースと言うよりは、フルアヘッドココをリアルよりにしたみたいなテイストですね。

 良かった点。
1 先輩可愛いよ先輩。
2 海戦バトル熱いよ熱い。
3 叩き込む展開にドキドキだよ。
4 あー、もう、先輩可愛いよ、先輩!
5 疾風なんだかんだでカッコイイヨ!
6 中盤の中だるみをやっつける構成を勉強させてもらいました。
7 あー、もう、先輩と疾風をくっつけてやれよ!先輩可愛いな畜生!

 残念な点(半ば難癖、半ば要望w)
1 疾風の行動理念があまり語られていない。
 悪い海賊に拾われてからのダークエピソードやらを入れたりしながら、ダークサイドに落ちていく悲しい過程を見せつつ、夕凪ちゃんタイムスリップ前の先輩と絡めつつで恋愛関係の伏線を張りながら、ラストの先輩と夕凪ちゃんとの連戦につなげるみたいな。後、そもそものヒロインに惚れたみたいな伏線や描写を丁寧にして、友情との葛藤を描いてくれれば、最強にカッコイイ敵役になれたんじゃないかなーとか妄想。
 現状だと、雰囲気イケメンみたいな感じの、薄っぺらさを感じます。
 イケメンはイケメンなんですが……みたいなw

 後は、掌返しが早すぎたり、一気に強くなってたりと、色々とマイナスポイントが……先輩とのバトル時にも、ベルセルクでいう青春時代のガッツVSグリフィスくらいの逆転の理由付けと心理描写(恋愛関係の)とかが欲しかったです。そうすると、本編が疾風の話になっちゃいますけどw
 ……この二人が好きなので、ただの要望です。ごめんなさい。

2 ヒロインより、クリスと先輩の方が愛着が沸く点。
 舞台運び上、ヒロインを語るシーンが少なくなるんですが、だからこそ、所々登場するシーンやらで、もっと良い子ちゃんアピールをしておいたほうが良かったような。タイムスリップまではこれ以上は校数を裂くのは、冗長を避ける上で無理っぽいので、難しいでしょうけど、何とかして欲しかったですね。不思議系キャラって、丁寧にエピソードをつむいでいかないと、痛い子で終わる危険性が高いと思うんですよね。
 その為か、読後感が良いのは良いけど、なんだかな、ってなっちゃいました。ダークな雰囲気で塗り固められた物語ならそれでも良かったのかもしれませんが、本作は正統派冒険活劇特有の明るいノリがあったので。

3 後は、結構ご都合主義とも取れる唐突な展開が多かったのが、ちょっと残念。

4 ロリコンの私がイマイチ、クリスに萌えない。

5 言語覚えるのアッサリしすぎなような

 色々言いましたが、凄く面白かったです。

ダラーさんの意見 +20点

 こんばんわ、ダラーです。拝読しましたので、せっかくだから感想残します。

 プロットがきれいに纏まっていて、捨てるには惜しいという気持ちわかりましたw 
 ただ、その分、話が複雑で、理解はできるのですが、いろいろと足りていない気もしました。

 まず、そもそもの尺が足りていない気がします。宮部みゆきのブレイブストーリーなんかは、現実世界を分厚いの一冊以上近く使ってましたし(あれはあれで長すぎると思いましたがw)、全体的に本筋を追うのに終始して忙しい感じでした(ケロッグ船長のところが、妙に長かった気はしましたが)。

一番描写が不足しているなあと思ったのは、疾風が美汐をあれほどまでに想っていた理由というか過程というか。五年が経過した、だけで終わってしまって、後は愛情表現をするばかりだったので、なんでこんなにーーーって思ってました。

文章は、いい感じだったと思います。戦闘シーンが、固い描写で自分的にはあんまりな気もしましたが、これは好みの問題かと。
 誤字脱字は結構目立っていた気がします。10個以上あったかな?
 どうでもいいですが、序盤で、盛大なって形容詞をよく使っていたので、癖かな?と思ったり思わなかったり。

 ナギと疾風(ハヤテ)って、なんかそんなアニメありましたねw
 ほかの方も仰っていますが、冒頭それもあって、夕凪は完全に女でした。疾風は「し、疾風」って台詞が出てくるまでは、はやて、と読んでいました。一応のご報告。

 夕凪……読み終わってから、しばらく間をおいて感想を書いているのですが、どんなキャラだっけ?って感じです汗 良くもなく悪くもなくという感じでしょうか。プロットが複雑なだけに、思考がご都合な感はあったのかもしれません。

 美汐……「細かいネタをよそに移植」とあるように、このキャラに限らず、仮想現実のゲームの話(題名は忘れました汗)とよく似ているお話でした。それがどうこうはないのですがw で、このキャラですが、男の自分もあまり好きではなかったです。ふえ、とかは男女問わず好き嫌いが別れるものなのかなあと。使い方にもよるとは思いますが。

 疾風……こっちが主役になってましたねb んー、かっこいい悪役はいいのですが、型にはまってる感は否めませんでした。最後の、「やること」はかっこよすぎですねw でも、前述したとおり、根本的な原因というか動機の部分が薄かったので、下手すると薄っぺらいやつになってしまうのかな、と。
 風読みの才能はいいとして、異常なまでの格闘能力についてや、ユニスと組むに至った経緯などが描写されていないので、この辺は補足があった方がいいのか、なくてもいいのか、微妙なラインですか。

 クリス……健気な子。これはこれでいいキャラ出してるんですが、逆に、主人公の印象に悪影響が出ているような気がします。もう、いっそ男で良かったのかなと。バーナードが都合よくクリスを受け取りに来たのは、ちょっと、でも、仕方ないかw

 ツユリ……一年で、ちょっと海賊になじみ過ぎてるかなw彼女は完全に女海賊でした。彼女に限らないのですが、二つの時代の感覚の違いが口調や、地の文の文体にまで出ていて、ちぐはぐで統一感のない感じになってたような。ラノベなら、十七世紀っぽさは極力まで削いでもいいというか、削いだ方がいいのかな、と思います。
 ツユリの話にもどりますが、完璧超人に、やはり主人公が食われていたかな? クリスと夕凪のマトロで、ようやく勝負になるかどうか(戦闘力という意味ではなく)なのかな、と。

 ロロノアはもう可哀そうで可哀そうで。哀愁がありましたw
 ユニス……忘れてましたね汗 美汐も含めて、この辺りがたっていないのが、この作品の問題点かな? 

 長編の感想は慣れていないので、ざっとですがこの辺で。
 駄文失礼しました。それでは。

水持 剣真さんの意見 +30点

 REDさん、こんにちは。水持です。
 作品を読ませていただきました。以下、感想です。

 作品は、設定がしっかりしていて、とても面白いです。
 それに海洋生物や時代のことまで、調べ尽くしてあることが伺えます。
 正直うらやましいです。私はこういうの上手く書けませんから。

 さて、ここで読んでる内に気になったことがあります。
途中でトラックに轢かれたような等、時代背景に合わない表現があったので、そこを直せばもっと良くなると思います。

 あくまで、私 個人の意見ですので、参考にしなくても構いません。むしろ、そっちのほうがありがたいです。

 私は他人の短所を見つけるのが苦手なので、ものすごく下手な文章になってしまいましたが、キャラクターの特長が十分に活きている作品になってると思います。ただ、夕凪の心情をもっと書いててもいいと感じました。

 私はこのフィールドに立って、まだ一年ですが、REDさんの次回作を楽しみにしてます。
 なんだか、訳のわからない感じになってしまいましたが、失礼させていただきます。

水持 剣真さんの意見 +30点

 RED様 若干遅れましたが、全部読み終えたので、返しに参上つかまつりました。
 面白かったと思います。

 キャラクターも、一人一人を見ていれば及第点だと思います。特にクリスの性別については判明する直前から「もしや」と疑っていたのですが、実際そのとおり。やはりRED様は私が見込んだとおりの同党の志でした。女帝姉ちゃんどーでもえー。ロリコンバンザイ。ロリコンは正義! あ、でもオイラっ娘よりボクっ娘の方が良かったです。

 海賊時代の取材もたくさんされていて、勉強になります。
 頼もしき旧友と思っていた疾風の豹変ぶりにも度肝を抜かれました。

 ただ、夕凪、というより世界全体を憎むようなその動機がイマイチ不透明でした。

 不必要に残虐な描写もあって、正直、この作品がどういった年代層を意識しているのか、矛盾も感じました。セカイ系と海賊とがやはりどうしてもミスマッチでしたし。
 このへんのチグハグを解消すれば、もっといい作品になるのではないでしょうか?

ボギーTさんの意見 +30点

 どうも。ボギーTです。
 読ませて頂きましたので、少し感想を。
 とは言っても、相変わらずさっと読んだ上での感想なので、読解力のない部分が多々あるかと思いますが、その辺はご容赦を。

 まず単純に申し上げて、面白かったです。
 冒険モノですか、いいですねぇ。少年の夢ですね。読んでいる最中、僕の頭はずっとパイレーツオブカリビアンのテーマ曲が流れていましたよ。
 小説ではなく、久々に“物語”を読んだ気がしました。

 いや、もう文章がどうのといったレベルじゃないですね。
 いつデビューされてもおかしくないです。後は運というかタイミングだけですかね。

 で、肝心の内容ですが、まぁこれも他の方々の意見とほとんど被るので何ですが、いい意味でも悪い意味でも展開が早いな、と。
 展開が早いということはテンポがいいということで、ハリウッド映画を参考にしただけあって、飽きが来ることはなく実に読みやすい。
 しかしその反面、所々説得力が欠けるのも確か。

 序盤でいきなり美汐がいなくなる展開は、まだ話も始まってないのに、あまりに唐突過ぎて、ありゃ? とか思いましたが、

 それより何より疾風が美汐に心寄せる理由、動機が弱い。この話の最大のミソですよね。
 何で美汐のために立派な悪党まで成り上がるのか? 何故命をかけるのか? 確かに夕凪からそれとない説明はあったけど、どうせなら序盤に子供時分における三人のエピソードを入れてみたほうがより後半に向けて深みが増すのでは? プロローグのみだけでは勿体ない。
 比較するのも何ですが、大河ドラマも第一話のみ子役が主役の回があったりしますが、その印象の良し悪しで視聴者は続きを観ようかどうかの目安にもなりますので。でもどうせやるなら序盤。途中で回想とか入れても取ってつけた感がありますので。

 水夫の話、いいですね。クリスという相棒を得て。冒険心をくすぐります。面白い。
 もっとやっちゃってと。出来れば死ぬ寸前まで追い込んで! と。ストーリーもこのまま海賊王でも目指す方向へと。

 この辺りで本来の目的である美汐なんか正直どうでもよく思えてきました。
 ていうか、神とユニスとの関係、その世界観。その辺りがこの話の核なんでしょうし、作者様が訴えたいテーマでもあるのでしょうが、どうも抽象的で今ひとつ解らない。
 それより単純に海賊ライフを堪能した話にしたほうが楽しいかな。

 以下雑感。

 クリス、女の子か……。う~ん、そうか、これはラノベか。そうだった。あからさまな萌えはやはり必要か。少し現実に戻された気分。まぁしかし可愛く描けているし、これはこれでよしと。

 再会した疾風。裏切るのも早っ! ちょっとは旧交温めればいいのに。

 ロロノワ、ラスボスかと思ってました。
 せっかく恐ろしいイメージで出てきたのに、引き立て役とは……ちと勿体ない気が。

 ツユリ、このキャラが全てを喰ってますね。いい味出してます。
 ラ研アカデミー賞があれば、助演女優賞へノミネートしたいくらい魅力的でした。

 その反面、肝心な主役、ヒロインである夕凪と美汐は今ひとつ。

 美汐はほとんど眠り姫だからなんですが、問題は主人公かな。

 普通と言うわりには、実に勇気あるしっかりした考え方を持つ模範的主人公である夕凪。美汐のためならば信念は揺るがない! その精神は立派ですが、逆に感情移入しにくいキャラな気がします。ちっとは挫折しろよ、と。
 ラピュタのバズーだって、挫折して立ち直るから、皆、バズーの気持ちで冒険に加わることが出来るのであって、応援したくもなるのですよ。ある程度弱みがなければ共感は得られないかもしれません。
 脇役が光り過ぎているだけに、少し残念な気もします。

 ラスト、複数の犠牲を払った上で純愛を貫いた二人ですが、さてどれだけの読者が二人を祝福してくれるのでしょうかね? ふとそんなことを考えました。

 とまぁとりとめのないことを申し上げました。ほとんど参考にならないと思いますので、馬鹿なことを言っているな程度で思って頂ければと。
 でも本当によく書けていらっしゃる。足早な展開も、公募用の枚数制限を考えてのことでしょうから、じっくり書ける機会があれば、もっと立派な大作に生まれ変わることでしょう。

 一日も早くデビューを目指して頑張ってください。期待しております。

むむむさんの意見 +20点

 どうも、むむむです。拝読させて頂いたので、少しばかり感想を。

 いや、面白かったですね。ふと海賊をテーマにしたラノベなんてあったかなと考えましたが、宇宙海賊とか抜きのモノホンな海賊は思い浮かばない。とても新鮮なテーマでした。
 他の方が仰っているように、多少急展開が多いというか、この枚数で収めるのは勿体無く感じてしまいます。

 私は海賊の知識なんて微々たるもので、海賊といえばワンピースやパイレーツオブカリビアン程度しか思いつきませんが、そんな私にも充分楽しめました。

 気になる点といえば、ラノベっぽくはないところですかね。かと言って一般かと問われれば返答に困ります。万人に楽しめる作品とも思えないですが、海賊好きの層だけが楽しめる作品というわけでもない。うーん、どちらかの層に絞るなら決定打が足りないような気もします。

 それと、作品内で登場人物の年齢を急に跳ね上げるのは、あまり若者は好まないと思います。ただ、若者以外は気にかからないと思いますね。
 大人は登場人物を応援する傾向が強い(と思います)ですが、若者は登場人物に自身を投影する傾向が強い(と思いry)ため、成長過程をすっ飛ばす表現は好まないと思うんです。まあ私的な意見ですが。

 正直あまり批判することがありません。面白すぎて。なんて参考にならない感想なのでしょう。不甲斐なくて申し訳ないです。
 ではでは、拙い感想でしたが、どうかあなたとあなたの作品の糧となりますように。

ワタイさんの意見 +20点

 誤字の指摘を含めると感想が二枚になってしまったので、重箱の隅な指摘は割愛しました。早速全体的な感想に入っていきますね。

【タイトル】
 象徴的で良いタイトルですね。ただどうにも疾風のイメージが強いせいか、タイトルまで疾風のためのもののように思えてしまったり。飄々とした彼の態度にぴったり合う印象があるんですよね。対して、夕凪や美汐との関連性は……確かにあるといえばあるのですけれど、どうしても疾風が最初に頭に思い浮かぶあたり、主人公&ヒロインよりずっと目立ってしまった感じですね、疾風。いえ、感想人様によって誰に感情移入するかは大きく異なるようですが、主人公&ヒロインにあまり注目が集まらないのはどうかなと思ってしまったり。
 とはいえ、タイトルそれ自体はとても魅力的だと思います。章タイトルなんかも工夫というかこだわりというか、しっかり物語に合ったものが揃っていたのは好印象でした。

【文章】
 読みやすく、テンポのよい文章ですね。ただ、作者様独特の表現と思えるものがこれといって見当たらなかったのが残念です。
 無駄をそぎ落とした印象がある一方で、描写の密度の強弱があまりはっきりと打ち出されていなかったように思えるのも少しもったいないかなあ、と。ここぞというシーンでは枚数使っても踏み込んでほしかった、という気がします。だーっと一気に流れていくので、せっかくいいシーンでもゆっくり味わう暇があまりないというか。
 面白いお話なだけに、そういうところが妙に気になってしまいました。ただ文章のレベル自体は決して低くない、というか良いものだと思います。

【構成】
 美汐が消えるまでがやや駆け足、水夫生活がややゆったり、と微妙にバランスが悪い気もします。それぞれのキャラをしっかりつかむ前に、慌ただしく話が進んでしまうので、後になってから「そういうキャラだったのか」と思うこともしばしば。たとえばツユリさんですが、強いお姉さんなのは分かっていたものの、あんな無茶な海賊化するほどの人という印象がなかったので驚かされました。
 疾風に怒って追いかけ回す理由も、「なるほどなあ」と思えるもので突飛なところはなく、軟派な疾風と女の子の味方なお姉さん、という対比で捉えていました。そして疾風。美汐は疾風が悲しみでいっぱいなのだと伝えてくれますが、彼がそういう深みのあるキャラであることを暗示させるものがあまりなかったのが辛いところ。こう、他のキャラクターたちが「実はあいつはこうなんだ」と具体的エピソード抜きで説明してくれる形で疾風のキャラが説明されていくので、頭では分かっても心に染み入って来なかったり。

 思うのですが、序盤でやはりもっとキャラに感情移入させるエピソードを用意してほしかったです。
 現段階で御作の序盤に置かれているのは、キャラクターの表面的な部分を見せるだけで深いところを暗示させるものが(美汐を除いて)欠けているように思うのです。それぞれのキャラクターを生き生きと魅せつつ、その奥に暗示されるものも含めて描き出してほしかったな、と。そうすれば、タイムスリップした後ツユリさんや疾風がどうなったのかを読者は心配することも出来ますし(少なくとも現段階で、私はそれぞれのキャラに感情移入する前にいきなりのトリップだったので安否を気遣う気持ちになれませんでした)、再会するところで盛り上がることも出来ます。
 やや冗長のきらいがあっても、そこは会話や人物の魅力でしっかり現代編を描き出してから、タイムスリップしてほしかったな、と残念に思ったり。

 また物語上で非常に重要な人物であるはずのユニスですが、彼女に関するエピソードがかなり少ないのは気になるところ。ユニスと美汐は対として描き出せるのですから、この二人をそれぞれの魅力を引き立てつつ、異なる個性を描き出してほしかったと思います。御作では「美汐はすばらしい女性で、ユニスはそれに比べて……」みたいな空気が漂っているわけですが、この二人は互いが互いの魅力を高めることの出来る立ち位置にいるように思いますので、もっとユニスにも筆をさいてほしかったです。そうしないと、ラストの疾風の台詞に対する彼女の反応が感動をもって受け入れられません。また、ユニスのエピソードをきちんと入れていくなら、疾風と絡めて書けますし、彼の内面をより説得力をもって描き出せるのではないかと思う次第です。

 長くなりましたが、御作においては出来事が全体的に駆け足で進んで行く一方で、それぞれのキャラに感情移入させるためのパートがやや不足しているように思うのです。読者を飽きさせない構成は見事ですが、読者を引き込むキャラクターの内面性にもう少し比重を傾けた方がよいのではないかと、個人的には思うところです。水夫生活のところや、また過去との検証部分なんかは極力減らして裏設定とし、人物の関わりにもっと筆をさいてもよかったかもしれません。

【ストーリー】
 物語としては非常によく出来ていて面白く感じました。たぶん私の好みとしては疾風が最高のダークヒーローで、ユニスと美汐が一番愛おしいヒロインなのですが、疾風とユニスは前述の通りもっといろいろ書いてほしかったなあと思うところ。設定としてはかなり好みなのですが……。
 波乱に満ちた物語はドキドキの連続ですね。バトルもいろいろと機転を利かせたものになっていて、とても楽しく読めました。同じような勝ち方はしないですしね。そこはよく工夫がなされていて良かったと思います。
 その反面、見せ場となるシーンでの「落下」オチが多いのはちょっと気になりました。盛り上がるシーンは、演出を一つ一つ変えてほしかったですね。美汐の身投げ、疾風に襲われたときの夕凪とクリスの飛び降り、決闘の末にロロノワが海に落下、夕凪と疾風の戦いに割って入ったロロノワが塔から落下、疾風がユニスを道連れに身投げ……どれも手に汗握るようなシーンのはずなのですが、オチがすべて落下というのは一体。よく使われるものの、やはり派手な演出ではある「落下」ですが、派手であるがゆえに連発されると興ざめします。また、美汐の身投げとユニスの最期を被らせるために両者を「落下」で演出したいと思われたのかもしれませんが、『美汐とユニスは似ていても全く違うんだ』ということが作中のメッセージとして見られる以上、そこも被らせないでほしかったな、なんて思ったりします。

【キャラクター】
・夕凪。なんという淡白さ。非日常を受け入れる速度は驚くべきものがあります(ラノベではありがちなことですが)。彼はこう、強い想いが伝わって来ないのが厳しいと感じるんですよね、主人公としては。美汐が死にたいというのだって、受け入れるまでにもっと苦悩してほしかったです。ぎりぎりまで抵抗してほしかった。疾風の死に対しても、もっと激しい反応が欲しかったり……なんというか、大して知ってるわけでもない水夫のためにはあれだけ激高し、クリスのことでもあんなに感情的になるのに、どうしてそこで淡白なのかと首を傾げてしまいました。温度差がアンバランスに感じます。本当はこの子が世界のすべてを嫌っていても私は驚きません(ぇ。

・美汐。かわいいですね。しゃべり方も、性格も、全部ひっくるめてとにかくかわいいです。抱きしめたくなるような女の子。夕凪と疾風が夢中になるのも分かります。出番が少なかったのが寂しいところではありますが、ヒロインとして素晴らしいキャラだったと思います。個人的には、ユニスともっと関わるようなエピソードが欲しかったり。(ちなみに私は女ですけど、美汐大好きですよー)

・疾風。まさにダークヒーロー。飄々とした台詞回しも良い感じです。ただ彼の背負う「悲しみ」とか、「美汐以外の全てを嫌う」とか、そういうところがあんまり具体的なエピソードの中で描かれなかったのが残念。冷酷さは出ていましたけどね。ユニスとの関わりももっと見たかったかな。彼にとって愛おしい特別な存在は美汐だけだったとしても、ユニスは疾風にとって何だったのか。そこをしっかり訴えかけられていれば、彼の最期はもっと感動したんだろうなあと残念に思います。

・ユニス。彼女のいろんな面を見てみたかったのですが。過去設定と、疾風が好きだということしか伝わりません。どうして疾風を好きになったのかが知りたかったのですが。一番書き込みがほしかった人。好きなのになあ、こういうキャラ……。

・ツユリ。格好良い女船長。いいキャラしている、の、ですが……疾風好き好き状態になっていながら、疾風とのバトルがあっさりと終わってしまって、引き下がり具合もあっさりしていて、らしいと言えばらしいのですが寂しかったです。疾風が死んでしまうところに彼女はいませんし。疾風が死んだことを知った彼女の葛藤もあまり見えませんし。そうした部分に期待したせいでしょうか、物足りなさを感じるキャラでした。

・クリス。夕凪の相棒。ところでいきなりベストパートナー状態なので、あまり引き込まれなかったり。女の子と分かった後から、妙にぎくしゃくしたりしてもよかったかなあ、とか……こう、相棒ヒロインっていうのは、徐々に信頼を積み上げていくところに私的萌えポイントがあったりするのですが、最初から最後まで仲良しだと引き込まれなかったりします。クリスが撃たれたときの主人公の反応も、もうちょっと感情的に描いてもいいかな、と思ってみたり……って、これはクリス当人のことじゃないですね。

・モブキャラたち。いえ名前のある人々はいますがまとめてしまって。名前のないキャラも含め、いい味を出していたと思います。特にツユリさんの船の操舵手なんかは台詞が楽しかったですね。

 以上です。
 失礼しました。

篠宮俊樹さんの意見 +40点

 拝読させて頂きました。
 これまでのRED様の作品で一番好みでした。

  以下、個別に各項目を。

●文章
 上手いです。好みです。

●人物
 たいへん光っていました。
 中盤からの急展開もよいですが、序盤は日常に近いシーンが多かったにも関わらず、存分に楽しめたのは、人物の魅力がずば抜けているからだと思います。
 夕凪、疾風、ツユリの三人、そして、好き嫌いは別にして美汐の独特な会話。どの人物もたいへん魅力的に感じました。
 美汐の感性など、私にはとても真似できません。

●ストーリー
 次々に起こる事件で飽きさせず、また意外な展開も多かったです。
 少し気になったのは、美汐を連れて疾風から逃れる場面、突破は不可能な気がしてしまいました。
 後は、終盤が若干、息切れ感がありました。
 誤字も後半に多かったようですし、物語も終盤の方が薄かった気がします。特にラスト周辺は、もうちょっと手厚くしてあげてもいい気がします。

●総評
 大変、楽しめました。
 終盤さえ良ければ、文句なしに最高と言える作品だと思いました。
 個人的には。ラノベとか無視すれば。

 以上です。

みやびさんの意見 +30点

 こんにちは、みやびです。推敲地獄から現実逃避するためにやって参りましたw
 REDをはじめ多くの方々の意見のおかげでかなり進化させてもらってますが、相変わらずページ数が足りない……(泣)。

 海洋冒険ものというのはほとんど読んだ事がないのですが、今作は楽しく読ませていただきました。というより、主に楽しんでいた部分が船や海賊と関わりの無い所ばかりだった様な気もします。
 今作をラノベと見るか新書と見るか、判断は迷うところですよね。私はラノベとして読みました、場がライトノベル研究所なのでw

 それでですね、ライトノベルとして読んだ場合、読者に要求する知識レベルが高すぎるように感じました。 
 ガレオン船やハプスブルク家という言葉が掘り下げられることなく使われていましたが、知らない人にとってはチンプンカンプンです。
 私は、ガレオン船=デカイ船という印象のみ。ハプスブルク家=ああスペインの王冠を持っていた頃の話なんだ、という印象。

 そして1対2の海戦にいたっては風上を奪い合う理屈が理解できませんでした。相手が二隻だと分かっていたのに見失っていたのも?です。なぜそうなるのか分かりません。
 一方ウミホタルの話やクライマックスの風車、夕凪のKYな解説好きなどは純粋にすごく面白いと感じましたので、REDさんの博識ぶりは詳しい説明があってこそ真価を発揮するのだなと強く感じました。
 あとささいな点ですが、レバーという単語を見て私は操作する棒のことを想像しました。肝としていただいたほうが嬉しいです。

 他ののかたがたがずいぶん書かれているのでうんざりでしょうが、私も前半の詰め込みすぎが気になりました。もっと展開をシンプルにしても問題ないように思えます。
 例えばわざわざ五年飛ばしなどせず単に幼馴染の不思議ちゃんでも大丈夫かなと。
 その他細々としたイベントが多すぎて、描写が足りない前半になっていると思います。こんな部分を長く書いてられないのは痛いほどよく分かるんですけどねw

 クライマックスの面白さはさすがですね!
 一つ一つの展開が楽しい上に破綻も無くて、すごくハイレベルだと思います。
 一つ欲を言えばツユリ様の引き際が良すぎた点。といっても撤退の事ではありませんよ、疾風に関してです。初恋なんじゃないですか? あんなにあっさり引き下がっちゃうのは大人すぎる。もっとドロドログチャグチャしたヤンデレ展開で楽しませていただきたいと感じるのです。まあストーリー上邪魔になるので不可能な話ですが。

 曹操についてはまったく同感です!
 治世に生まれていたら詩人としても大成できなかったでしょうね、作風的に。

作中にも書かれていましたが、疾風の一人勝ちですねこの話。すべての要素が疾風を引き立てるためにあるかと誤解してしまいそうです。パワーアップして再登場した時はグレンラガンの兄貴かと思いましたよw
 それにしても、こんなDQNネームをつけた親の顔が見たいわw

 皆さんの感想を読むと、美汐の評価が低いですね。
 私はあの崩壊寸前の言語力は魅力的だと思いましたけど。

 REDさんが悩まれているのがよく分かる作品だと思います。
 面白いんですけどこのままじゃいけませんよね、とっ散らかっている素材を整理してスリム&ビューティ化したら、かなり凄い作品になると思います。時間はかかるかもしれませんがぜひ改稿して欲しいです。
 それでは今回はこのくらいで失礼いたします。