ライトノベル作法研究所
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ダリウスの瞳

語太郎さん著作

 序章

『お兄ちゃん、朝だよー。早く起きないと学校に遅刻しちゃうよー』
 いきなりだが、八坂祐一(やさかゆういち)に妹はいない。
 妹のような存在はいることにはいるが、彼女とは血は繋がっていないし、そもそも同棲などしていない。この広い家に住んでいるのは祐一だけだ。
 ならば、この甘ったるい声で祐一を起こそうとしているのは誰なのか。
「うるせぇ……、俺は昨日の夜遅くまで『仕事』をしていたんだ。眠いんだよ……」
『そんなこと言ってー。お兄ちゃんが起きないなら無理矢理起こしに行くよ!』
「来んな馬鹿……、お前も性別的に女と分類できるなら朝の野郎の部屋に入ってくるなよ」
『あー、もう! ごちゃごちゃ言わない! 起きろー!』
「……つーか、だ」
 被っていた布団をふっ飛ばす勢いで祐一はベッドから起き上がった。
「お前のその声でそんなこと言われると気味が悪くて、結果的に目が覚めた」
『なーんだ。せっかく布団を切り裂いて起こしてあげようと思ったのにー』
 金属を擦り合わせるような耳障りな声の主が祐一の部屋に入ってくる。
「入ってくんな、って言ったはずだぞ、ダリウス?」
 ジロリと祐一はソイツを睨む。普段からして目つきが悪いので、寝起きの顔は最悪もいいところだった。刃物を持っていれば警察に突き出されても文句は言われないレベルだ。
『――マスターが起きないのが悪いのです。すでに既定の時刻を一時間も過ぎています』
 耳障りな――そして甘ったるい声がガラリと変わる。
 無機質で、感情が欠如した機械のような声。
 ダリウスと呼ばれた彼女(?)は手にしていた処刑鎌を己の黒衣の内へと収めた。
「時間が過ぎているのは知ってる。今日は学校をサボる。いいな」
 祐一はダリウスの顔を漫然と見やった。どんな表情をするのか気になった。
 だが、道化の仮面の上からではよく分からない。剥き出しの歯も愉快そうにカタカタと笑うわけでもないし、仮面から覗く空っぽの双眸にそもそも感情など浮かばない。
 有り体に言えば、ダリウスは死神の姿をしていた。
 骸骨の顔に道化の仮面。全身を黒衣のマントで包んでいる。袖から覗くのは黒い甲冑の手。下半身らしきものはなく、常に宙に浮いている。
 一応、性別は女らしい。
『私はマスターが学校を休むのには反対はしませんが、そろそろ佳澄(かすみ)様が来ますよ』
「だ・か・ら、知ってるって言っただろ。楠野(くすの)はお前のことを分かるんだから、お前が説明してくれ」
『わざわざ毎朝、律儀に家に寄ってくれている人にそんな仕打ちとは』
「…………」
『マスター、タヌキ寝入りをしないでください』
「…………」
『起きないとマスターの体をぶった斬りますよ?』
「…………分かったよ。起きればいいんだろ、起きれば」
『すでに朝食の準備は出来ています。冷めないうちにリビング来てください』
 ダリウスは黒衣を翻して、部屋のドアをすり抜けていった。
「死神が作る朝ごはんなんて食ったらそのまま昇天しそうだけどな」
 悪態をつきながら祐一は渋々ベッドから起き上がった。
 カーテンを開け放つと眩しい朝日が目に突き刺さる。
「……ったく、最近はマジで寝不足だ……」
 着替えを済ませてリビングに向かう。
 ダリウスはテーブルに新聞を広げて、空っぽの眼窩で(そもそも見えるのか?)読んでいた。だいぶ慣れたとはいえ、死神が朝のリビングで新聞を広げている光景はシュールを通り越してホラーさえ感じる。
『マスター。おはようございます』
 祐一がやってきたのに気付いてダリウスは顔を上げる。
「ああ。相変わらずお前は新聞が好きだな。そんなに面白いか?」
『娯楽性はありませんが、私にとって貴重な情報源ですので毎日目を通しておきたいところなのです。あとこの新聞の「今日のにゃんこ」が私にとって至福の時間です』
「……お前、ネコが好きなのか?」
『大好きです。というよりラブです』
 楽しそうに笑うダリウス――歯をカタカタ鳴らしているので他人から見れば不気味この上ないが。
「ネコ好きとは知らなかったな。まあいいや、メシだ、メシ」
 ダリウスがよそってくれた茶碗を受け取り祐一は一時間遅れの朝食を取る。
「なあ、ダリウス」
『はい』
 器用に箸を使ってご飯を食べる死神。
「さっきの俺を起こす声、あれは一体何のつもりなんだ?」
 金属の擦れるような声で死神から「お兄ちゃん」と言われても嬉しくもなんともない。
『実は佳澄様から本を借りまして……確か、「らのべ」とかいうジャンルの』
「……はぁ」
『その本で、妹が兄を起こす際にそのようなことを言っていたので、朝にクソ弱いマスターもこれなら起きてくれるのではないか、と思いまして』
「楠野が元凶だったのか……」
『……その様子からして、快適な目覚めとは言えなさそうですが』
「起きないとぶった斬る、って脅されて快適な目覚めになるかよ」
『そうですか。では明日からシチェーションを変えましょう』
「いや、そういう問題じゃなくてだな――」
 ピンポーン、と玄関に人の気配。
『どうやら佳澄様が来たようですね。マスター、準備はできていますか?』
「準備も何も、食べ終わってないぞ……」
「おはようございます、先輩、ダリウスさん」
「どわっ――楠野か……、いきなりリビングに上がり込んできてびっくりしたぞ」
 ドアを開ける音もなく静かにリビングに顔を見せたのは、仕事仲間兼同じ学校に通う後輩、楠野佳澄だった。
 ペコリと佳澄は頭を下げる。
 佳澄は和製人形のようにやたら整った顔をしていて、おかっぱの髪がさらに人形らしさを強めている。かなり小柄で、背の高さが祐一の胸に届くか届かないかぐらい。歳は祐一の一つ下で、『仕事』でも学校でも祐一の後輩である。
 肩に下げる対の竹刀袋がやけに目立つ。佳澄のトレードマークともいえるが。
 ちなみに祐一にとっての妹のような存在が佳澄である。
『おはようございます、佳澄様。でもマスターは見るからに準備ができていません。もう五分だけ時間をくれれば学校にいける準備が済ませられるでしょう。それまでにお茶などどうですか』
「ありがとうございます、いただきます」
「で、俺はさっさと準備をしてこい、と」
『ご名答です。分かっているならさっさと行ってきなさい』
「分かったよ……。――悪い、楠野。ちょっとだけ待っていてくれ」
 五分後。
 準備を終わらせた祐一はリビングに戻ってきた。
 テーブルでは和製人形と死神が穏やかにお茶を飲んでいた。
「……、…………準備できたぞ」
 形容しがたいシュールさを呑みこんで、祐一は声をかける。
「はい。きっかり五分ですね、さすが先輩です。――ダリウスさん、お茶おいしかったです。私たちはそろそろ学校に行きますので」
『マスターをよろしくお願いします』
「はい、任せてください」
「なんでお前らが俺の保護者のような立場になっているんだよ……」
 佳澄が立ち上がって、カバンと竹刀袋を手に取る。
「じゃあ、ダリウス。後は頼んだぞ」
 先に玄関に向かう佳澄を横目に、祐一は湯呑を片付ける死神に一声かける。
『いってらっしゃい、マスター』
 たかが学校に行くだけなのに祐一はやたら疲れた気分になった。
 こんなのが日常茶飯事なのだが祐一は未だに慣れないでいる。


 一章 「恋を乞いて生を製す」


 三十人いた部隊はほぼ壊滅していた。
 残っているのが、トップオブエースと呼ばれる、機関最高戦力の少女。そしてこの部隊に配属されてまだわずかの自分。残存戦力が残り二人だった。
 ヒラヒラと舞い落ちる雪。それは有毒だった。
 自分は結界に守られていて無事だが、結界外でソイツと対峙している少女は常に猛毒を浴びている。彼女が構築した結界も今にも壊れてしまいそうだった。
 ――絶対に生き延びるのよ。絶対また会えるから。
 彼女は最後にそう言って、ソイツに突撃。一層濃くなる雪に視界の全てが掻き消されて、視野が明瞭になった時にはソイツも彼女も消えていた。
 結局、最後まで残っていたのは自分だけだった。
 降り積もった雪が、むせ返るような腐臭を撒き散らしていた。


 授業も終わり、放課後になった。
「おい、八坂。彼女が廊下で待っているぞ」
 帰りの準備をしていた祐一にクラスメイトの声が飛ぶ。
「だから、俺と楠野は付き合っていない、って何度言えば分かるんだ?」
 教科書やらノートやらをカバンに詰め込みながら祐一がジロリと睨む。そのクラスメイトは「おお怖い」と笑いながら教室を出ていった。
 と、教室の前で一人立ち尽くす佳澄の姿が祐一の目に止まった。
 手早くモノを詰め込んで、教室内に残っているクラスメイトのからかう声を背に廊下に出ると、佳澄がペコリと頭を下げてきた。肩に下げる竹刀袋が揺れる。
 祐一は頭をポリポリと掻いた。
 佳澄がこうして教室に迎えに来るのは今に始まったことではない。祐一は慣れたつもりなのだが、クラスメイトからの野次が苦手だった。学年が一つ下の女子生徒が廊下でずっと待っている、とくれば付き合っていると思われても仕方ないが、本当に祐一と佳澄は交際関係にない。けれど周りの勘違いは止まることを知らない。
「あのさ、楠野。俺ら、かなり目立ってるんだけど」
 遠回しに言ってみたつもりだった。
 頭を上げた佳澄は不思議そうに少し首を傾げた。
「私は先輩を迎えに来ただけです。特に目立つようなことをしているつもりはありません」
「それが目立っているんだけどな」
「ではこれからは昇降口で先輩を待つことにします」
「……そういう問題でもないんだけどな。――まあいいや、とにかくこっから離れるぞ。周りの視線がかなり刺さって痛い」
 佳澄は学内でも「美少女ランキング」五本の指に入るくらいの可愛さらしい。『遠くからこっそりと佳澄ちゃんを愛でる会』や『無表情でストイックな佳澄ちゃんを全力で応援する会』など彼女を取り巻く謎の勢力がいくつかあったりする。
 で、その佳澄といつも一緒に帰る祐一の立場はあまりいいものではない。ファンクラブの連中からは「害悪」だの「害虫」だの不本意な名前で認識させられていて、前には下駄箱に、これでもかと呪詛を書き連ねた手紙がパンパンに入っていたこともあった。
 ともあれ、そんな嫌がらせのような行為もすっかりお馴染みになっていたりする。
「今日も『ダリウスさんの落し物』を探しますか?」
 佳澄が尋ねてくる。
「そのつもりだ。まあ『仕事』の一環だな」
「はい」
 佳澄はほとんど感情の起伏を表に出さない。今も無表情に頷いただけだ。
 初めて佳澄と接すると、彼女は機嫌が悪いと思ってしまいがちだが、そうではない。
 佳澄との付き合いが(仕事的な意味で)長い祐一だから分かるが、無表情が佳澄の常だから、その乾いた反応もすっかり慣れてしまった。
「今日で探すのも十日目だな」
「そうですね」
 そんな面も佳澄が和製人形っぽく見えてしまう原因の一つなのだろう。
 祐一と佳澄は、最近は毎日学校の帰りにダリウスの落し物を探すのが日課になっている。
 落とした本人曰く、落し物は――瞳。
 祐一には何のことかさっぱりだったが、ダリウスは「見れば分かる」と言っていた。
 というか、そもそもダリウスはつい二週間くらい前に祐一の前に現れたばかりだった。それからいくつかの面倒な話があって、ダリウスが祐一の家に住むに至る。
「先輩はダリウスさんの落し物に見当が付いていますか?」
「いや。目玉を落とした、って言われてもな……そもそもなんで目玉が落ちるんだか」
「私は『瞳』という名前の、別の何かだと思っています」
「別の何か、っていうのは?」
「そこまでは分かりません。ですがダリウスさんは普通ではありません。ならば普通の落し物ではないはずです。それに、『私たち』ならば分かる、ということはそういうことに違いありません」
 二人は学校を出て、とりあえずアーケードの方へと歩いていくことにした。
 祐一はちらりと、隣を歩く小柄な後輩の横顔を盗み見る。
 今は夏で、制服もそれ相応に軽装になる。夕焼けでオレンジ色に染まる佳澄の横顔は何を考えているのかよく分からない。
 こうして二人で帰る光景は仲睦まじい恋人同士に見えてしまうのか、と祐一は他人事のように思った。まあ、仲睦まじいと言えるのかは怪しいところだが。何せ会話の内容が「目玉」だ。普通からは著しく乖離している。
「最近はあいつらの行動も落ち着いたものだしな」
「【負の簒奪者】のことですか?」
「そ。不思議と数が減っているんだよな。上層部からその辺を調査しろと言われていて、そのせいでここ数日睡眠不足なんだよ」
「だから今日の朝は寝坊していたのですか」
「ああ。ダリウスが俺を鎌でぶった斬るって脅してくるから仕方なく起きたけどな――ああ、そうだ。楠野。あまりダリウスにヘンな知識を与えるような本を貸してやるなよ?」
「本? 『僕の妹にはメイドが足りない』のことですか?」
「……、………………なんだって?」
 一瞬、祐一の耳が言葉を理解するのを放棄した。
 普段ストイックな佳澄の口から絶対に飛び出してこない単語が出てきたような気がする。
「私がダリウスさんに貸している本は『僕の妹にはメイドが足りない』――略して『いもメイ』の一巻から五巻までです。タイトル通り、主人公の義理の妹が、メイドフェチの兄に振り向いてもらおうと右往左往するラブコメです。将来はアニメ化も有力です」
 普段通りの無機質な口調で説明してくる佳澄。だが飛び出てくる単語がおかしい。
 感情の起伏の少ない瞳が祐一をじっと捉える。
「いくら先輩とはいえ『いもメイ』を馬鹿にするのは許しません」
「……いや、別に馬鹿になんてしてないぞ」
「なら結構です。ダリウスさんが最近暇だとぼやくので、私のお墨付きのラノベを貸してあげようと思った次第です。その様子からするとおおむね好評のようでなによりです」
 頭が痛くなってきて、祐一は眉間の間を抑える。
「いろいろとつっこみたいが、最優先して一つだけ聞かせてくれ。楠野、お前って実はオタク趣味があるのか?」
「『ラノベを読む=オタク趣味』とは少々偏見した知識ですが、私自身、オタク趣味があるのを否定しません」
「そうか。それからもう一つ。その『いもメイ』とやらで、鎌で人をぶった斬ろうとするキャラは出てくるのか?」
「四巻にヤンデレ気味の新ヒロインが出てきますが――、ああ、名前は流星綺羅子(ながれぼしきらこ)と言います。お嬢様キャラなのにヤンデレという珍しい設定です。巨大なツインテールの中に暗器の鎌を仕込ませて、隙あらば主人公に攻撃します」
 事の発端はそこか。
 いやしかし、かれこれ佳澄とは三年近く仕事で組んできたが、そういう趣味があるとは予想外だった。和製人形みたいに可愛い女の子がラノベなるものを見ているとは思いもしなかった。
 祐一はラノベをよく知らない。所謂「萌え~」なジャンルの小説という認識くらいだ。
「できればこれからはあまりぶっ飛んだキャラの登場しないのを貸してやってくれ」
「ラノベにぶっ飛んでいないキャラの出ない作品を探すのは難しいかと」
「……そうなのか?」
「ラノベにおいて何よりも重要なのはキャラです。ありあまる個性が作品そのものを左右するのです。だから普通のキャラしか出ないラノベはそう多くありません」
「へー、……って、俺はそのたびにダリウスから酷い目に遭わされるのか」
 これから先のことを考えて若干憂鬱になる祐一。
「先輩はラノベに興味がありますか? ラノベは良いものです。その人のその後の人生を変えてしまうくらいですから。是非とも先輩にお勧めしたいです」
「そういうもの、なのか……」
「はい。面白いラノベは読者に夢と希望を与えます。明日も頑張ろう、って気持ちにさせてくれます。だから先輩もラノベを読んでみるべきです」
「活字は苦手なんだけどな」
「だからこそ、です。硬派な小説では途中で折れてしまうかもしれませんが、ラノベは比較的文章がソフトなので――」
 気が付けば話が『目玉』から『ラノベ』にすり変わっていた。
 と、祐一の携帯電話が鳴った。
 ちょっといいか、と一言断って、祐一は電話に出た。佳澄が、会話を中断させられてちょっと残念そうな顔をしていた。
『あ、マスターですか』
 電話の相手は八坂家に住む死神からだった。
「わざわざ電話をかけてくるなんて珍しいな。何かあったのか?」
 目線で、電話の相手がダリウスであることを佳澄に伝える。
『実はかなり深刻な問題が発生しまして、マスターでないと解決できないのです、ハイ』
 祐一でないと解決できない。
 それはつまり『仕事』分野の話だ。
 頭を、ほのぼのとした日常から非日常へと切り替える。まさかまだ人の行き来が多い夕方に連中が動き出すとは思わなかった。
 佳澄も雰囲気を悟って、無表情の中に真剣さを纏わせる。
「で、ソイツはどこにいるんだ」
『何を言っているのですかマスター? マスターには豆腐を買ってきてほしいのです』
「……豆腐?」
『はい。味噌汁に入れる豆腐がなかったので』
「じゃあ別にアイツらが出てきたわけじゃないんだな?」
『それならばもっと真剣な口調で電話します』
 確かに言われてみればダリウスの喋り方はやけにおっとりとしていた。
『まだ学校の帰りですよね? 豆腐を一丁お願いします。では』
 返事も聞かずに電話が切れた。
「豆腐ですか?」
 竹刀袋に手をやっていた佳澄が尋ねてくる。
「味噌汁に入れる豆腐がないから買ってこいとさ。先に食材を確かめておけよ……」
「それに味噌汁くらいなら豆腐の代用はいくらでもあります」
「ああ、『ふえるわかめ』でもいれておけばいいのに。しかも一方的に電話を切るし。――仕方ない、後でスーパーに寄るか」
 未だに祐一はダリウスのことはよく分からないでいる。
 どこから来たのか、何者なのか、目的は何なのか。
 ただ一つ言えるのが、属性はソイツらのものであるが、本質はまるで別物であるということだ。
 祐一はダリウスとの出会いを思い返してみる。


 祐一がダリウスと出会ったのは、月の翳る、闇が深い真夜中だった。
 いつものように『仕事』を終わらせて、自分の家に帰ろうとした時のこと。
 廃工場に現れた【負の簒奪者】を全て駆逐して、その場には祐一しかいなかった。佳澄は別任務についていて、だから物音を立てるのは祐一だけのはずだった。
 ガタっ、と何かが倒れる音がして祐一は振り返った。
 初め見た時は連中の残党だと思った。
 道化の仮面を着けた骸骨が巨大な鎌を持っていればソイツらの部類に見えてしまうのも無理はない。闇を吸いこむほど真っ暗なマントから伸びる黒甲冑の籠手。下半身はなく、明らかに普通の存在ではなかった。
 判断は一瞬だった。
 祐一は得物である刀を握り締め、現れたソイツへと一気に距離を詰める。
『貴方は誰ですか?』
 金属を擦り合わせるような不快な声でソイツが喋った。
「お前の敵だ」
 言葉と同時、祐一の刀は神速でソイツの首を強襲。勢いで斬り落とすつもりだった。
 キィン、と澄んだ金属音が工場内に響く。
 ソイツは鎌の刃で祐一の刀の一撃を受け止めた。構うことはない。力押しだった。祐一はありったけの力を刀に込めた。
 互いの顔が触れ合うほどに接近する。空っぽの眼窩と目があった。
『お腹が空きました』
「……何?」
 それでも込める力は弱めない。
『私は空腹を訴えているのです』
「だからなんだ? 俺の魂(タマ)でも食いたいってか?」
『そんなものより鶏卵が食べたいです。人の魂などおいしくなさそうですし』
「冗談はよせよ。面白くもない」
 と言いかけて。
 ク~、と気の抜けるような音がソイツの腹から聞こえてきた。
『……』
「……」
『失礼しました』
「――やめた、アホらしい」
 祐一は後方へと跳ねてソイツと距離を取った。バカバカしくなったのだ。こっちが本気で殺しにかかっているのに、向こうは「腹減った」では萎える。それに腹が鳴るということは本当に空腹なのだろう。
「お前、名前はあるか?」
 刀を鞘に収めながら祐一はソイツに問うた。
 どうみても見た目が【負の簒奪者】なのだが、ソイツらによくありがちな殺意や敵意が完全なまでに欠けている。こちらが武器をしまっても襲ってくる素振りもない。今まで出会ったことのないタイプだった。
『私の名前はダリウスです。今考えました』
「……お前、もしかして生まれたてか?」
『いえ……実は私もどうしてこんな場所にいるのかよく分からないのです』
 ソイツ――ダリウスも鎌をマントの奥へとしまう。
『いわゆる記憶喪失ではないのか、と』
「お前らみたいなヤツらにも記憶喪失なんてモノがあるなんて初耳だぞ」
『珍しい話ですよね』
 他人事のように言う。まるで敵愾心が感じられない。さっきまでピリピリとしていた自分が馬鹿のようだ。
「本当ならお前のような【負の簒奪者】は駆逐しないといけないんだが……なんかお前はアイツらとは別なモノに思える。だいたい戦闘中に空腹訴えてくるようなヤツが、アイツらの部類だとは考えにくい」
『私自身も、私が彼らと同一の存在とは思えないです』
 祐一の任務はソイツらの徹底的な排除なのだが、こういう例外はどう扱っていいのかよく分からない。保護して本部に送れば【負の簒奪者】の研究が進むのかもしれない。
 だがそれよりも祐一の内心は――本心は別のことを考えていた。
 ヤツらはその名の通り、命を奪うために動いている。一説には、ヤツらの中には生と死を自在に操ることのできる、高位なモノもいるらしい。
「ダリウス、って言ったな? 一つだけ確認させてくれ」
『体重とスリーサイズは極秘ですので答えられません』
「誰も、野郎の体のデータを知りたいとは思わねえよ」
『私は女ですが』
「……、…………あん?」
 さすがに耳を疑った。
『これでも私は女の部類です。いや、メスと言った方が適切なのかもしれません。そこのところ、貴方はどう思いますか?』
「知るか。というかお前、女なのか? にしては――」
『――顔が骸骨なので性別の区別は判断できないでしょうし、体つきを見ようとしてもマントで覆っているから判断ができない。まあそういうことにしておきましょう。私としては少々心外ですが』
「あ、ああ、悪かった――じゃねえよ! なんで俺が謝ってるんだよ! 俺はお前に聞きたいことがあるんだよ!」
『女だと分かった今度こそ、体重とスリーサイズを聞いてきますか?』
「そうじゃねえよ! というか話をループさせんな!」
 戦闘するよりも祐一は疲れた気分になった。
 ただ単にダリウスがアホなのか、それともコイツらの思考はすべからくこんなものなのか判断がつかないが、非常にやりにくい。
 はあ、と大きく溜息をついた後、祐一はダリウスの顔をジロリと睨んだ。
「お前、『黄泉帰り』はできるか?」
 それは禁慰(きんい)と呼ばれる、禁じられた儀式のことだった。
 上級の【負の簒奪者】のごく一部のみが行える、死者を蘇らせる外法。
『できます』
 当たり前のように、ダリウスは静かに頷いてみせた。
「仮に――仮にだ、俺がお前に『黄泉帰り』を望んだ場合、その代償は?」
『おや? 貴方たちはそういう歪んだモノから一番遠い存在だと思っていたのですが』
「だから、仮に、だ」
 祐一は傍に転がっていた廃材に腰をかけた。
『そうですか。私の望む代償は、私の落し物の捜索に協力、です』
「……えらく簡単な話だな。俺はてっきり寿命の半分だとか、身内の命一つだとか、判断を躊躇させるようなシロモノを要求されると思ってたんだが」
『別に私はそんなものは欲しいとは思いません』
「つくづくヘンなヤツだな。で、その落し物っていうのは?」
『私の瞳です』
「あん?」
 意味が分からず、祐一はダリウスの空っぽの眼窩を見つめた。確かに瞳はないが。
「お前の目玉は最初からないだろ?」
 ダリウスは肩を竦める。
『私にもよく分かりません。記憶喪失のせいかもしれませんが……、でも「瞳」を落としたのだけははっきりと覚えています』
「ふぅん。――一応までに聞いておくけどな、代償が先払いか?」
『というより今の私にそれだけの力がありません。「瞳」があれば私の力は完全なものになって、そこで初めて「黄泉帰り」ができるようになります』
「どのみちお前の目玉は必要だってことだな」
 口元に笑みが浮かぶのを祐一は隠すことができなかった。
 よし分かった、と勢いよく立ち上がり、ダリウスの目の前まで詰め寄った。ソイツら独特のひやりとした気配が祐一の肌を撫でた。
「契約だ。俺はお前の瞳を探す、お前は俺が瞳を探し出したら『黄泉帰り』をする」
『素直な性格ですね。貴方が私の瞳を探し出せたとして、その後私が契約を破棄する可能性は考えていないのですか?』
「心配するな。契約破棄するつもりなら、無理矢理やらせるだけだ」
 愉快そうにダリウスはカタカタと歯を鳴らした。
『決まりですね』
「俺の名前は八坂祐一。お前ら【負の簒奪者】を駆逐する【狩人】の一人だ。覚えとけ」
 ダリウスが祐一の家に居つくことに決まったのはその直後のことだった。


 夕暮れが夕闇へと染まりつつある。
「では、先輩。私はこれで」
 佳澄がペコリと頭を下げる。
 アーケードを探し回ってみたがそれらしい結果は得られなかった。
 最初から期待していなかったが、いざ終わると疲れが一気に押し寄せてくる。
「ああ、気をつけて帰れよ。俺はもうちょっと粘ってみるけど……まあ見つからないだろうな」
 遅い時間になってきたので祐一は佳澄を帰らせることにした。
 もちろん【負の簒奪者】も危険だが、不審者も危険だ。最近は黒いマントを羽織った怪しい人物が夜に徘徊しているという話もある。祐一も佳澄も不審者を撃退できる自信はあるが、佳澄は一応女の子なので危ない目に遭わせたくないというのが祐一の考えだ。
「本当に一人で大丈夫ですか? 一人より二人の方が――」
「探し物と不審者、どっちの意味でもか? 大丈夫だ。適度にやって引き上げるから」
「……そうですか。もし何かあれば遠慮なく呼んでください。すぐ駆け付けますから」
 もう一度ペコリと頭を下げて佳澄は祐一に背中を向けて行ってしまった。
 佳澄の小柄な後ろ姿をぼんやりと見つめながら、祐一はこれからどこを探索しようか思案していた。
 どの道、これは祐一の我儘から始まった話だ。
 無関係な佳澄を手伝わせること自体がお門違いなのだ。そのことを踏まえて佳澄にも伝えたはずなのだが、二つ返事で「協力します」と言われた。気持ちはありがたいが、これは禁慰に触れることだからできるだけ佳澄には干渉させたくないところである。
 だから、佳澄と一緒にいる時は「見つかるはずのない所」を探索している。
 今日だってそうだ。まともにアーケードに行ったことのないダリウスの、その目玉が落ちているはずがない。ゲゲゲみたいに手足の生えた目玉なら知らないが。
 だから祐一は日の沈む頃に、人気のなくなった場所へと向かう。
 何人もの人が失踪している、【負の簒奪者】が発生する廃工場地帯へと。
 片手に豆腐の入った袋を持って、人気のない場所に行こうとする自分を考えて、あまりのシュールさに笑いがこみ上げてくる。
 連中は、暗くて、ひんやりした、湿気の溜まる場所を好む。
 今、祐一が見上げている廃ビルはそれらの条件にぴったりだった。
「暗くて、ひんやりした、湿気の溜まる場所を好むって、もやしかよ」
 ぼやいて、祐一は迷うことなくビルの中へと入っていく。
 当たり前だがビルの中は真っ暗だった。窓から差し込む、うっすらとした夕日だけが、ぼんやりと室内を浮かび上がらせる。その夕日もあと少しすれば沈むから、この場は完全な闇になるだろう。
 割れて散らばったガラスを踏み砕きながら祐一はエントランスを歩く。
 いつのか分からないスナック菓子の空袋が転がっていたり、アルコールの缶があったりとかなり昔に何者かが住んでいた形跡はあるが、多分彼らは【負の簒奪者】に喰われてしまっただろう。
 埃の積もった受付を漫然と眺める。
「一年……いや、二年、か」
 埃の積もった厚さからどれくらい放置されているのか算段を付ける。
「せめてダリウスが記憶喪失じゃなければ話は早かったんだろうけどな」
 落とした場所すら分からないので捜索は思うように進まない。この場所もそうだ。こんな、数年は人の出入りがない場所に落し物があるとは考えにくい。
 ふと、自分が丸腰であることに気付いた祐一だが、構うことなく奥へ。
 一人で無駄な肝試しをしているような気分だった。
 と、
 カサ、と何かが擦れる音が聞こえた。
 祐一は足を止めて、息を殺す。雑音を完全に遮断して、周りの物音に耳をそばだてる。
 カサ、と何かが擦れる音が聞こえた。
 祐一がいるのは廊下のど真ん中だ。音の元はどこからなのかよく分からないが、少なくとも自分前方には違いなかった。薄暗いのでよく見えないが、何かいる。
「誰かいるのか?」
 突如、闇色の塊が祐一に飛びかかってきた。
 小さい舌打ちをして祐一は手に持っていた袋で、遠心力のままにソイツをブン殴った。
 直撃。豆腐がグチャグチャになる感触があった。
 ミギャァとソイツが悲鳴を上げる。
 ――ミギャァ?
 やけに人らしい悲鳴だなと思っていたら、実際に人だった。
「いったぁーい! いきなりなにすんのよー! もう!」
 廊下をガンガンと反響する、廃れた工場にそぐわない姦しい女の声。
【負の簒奪者】ではないことを確認して、祐一は頭を押さえたくなった。連中かと思ったら、ただの人間だった。しかも若い女。面倒なことになりそうな匂いがプンプンした。
「おい、無視すんなぁ! か弱い女の子をブン殴っておいてそれはないでしょ!」
「か弱い女の子は、薄暗くなった廃ビルで、やってきた無害な人を襲ったりしないぞ。どうせ、かくれんぼしてたら気付けば一人になってて、怖くなって帰れなくなったってオチだろ? 一応警察呼んでやろうか?」
「人を馬鹿にするのもいい加減にしろ! あたしはそんな年じゃなぁーい!」
 ムクっ、とソイツが起き上がる。
 一見して年齢は自分と同じくらいだ、と祐一は判断する。つまり高校生くらい。
 半端に茶色に染めた髪を、小物がジャラジャラしたゴムでツインテールに束ねている。かなりラフな格好をしていて、夏とはいえ夜になれば風邪を引きそうだった。制服でも着ていればどこの学校の生徒なのか分かるのだが。
 だいたい、
「――なんでこんなところにいるんだよ?」
「家出よ、家出! 家出しちゃ悪い? 文句あるなら言いなさいよ!」
「いやそういう意味じゃなくてだな」
 何故、目の前の少女はこの場所にいて無事でいられたのか。ここは【負の簒奪者】が出現するポイントである。連中に喰われないのは妙だった。それとも最近ここへやってきただけなのか。
「そういうアンタもなんでこんな所にいるのよ!」
「家出だよ、家出。そのくらい分かれ」
「え、そうなの?」
「違うに決まってるだろ」
「みゃー! 騙したな! あたしを謀ったな!」
 腕をブンブン振り回しながら寄ってくる。
 うるさい少女だ。これからのことを考える余裕がない。「ふざけんな」だの「慰謝料よこせ」だの祐一に詰め寄ってくるので両手バンザイ状態である。
「お前――」
「な、なによ……」
 威圧的に呼ぶと、年相応に、少し怯えたように数歩下がる。
「この場所でヘンなバケモノの姿を見かけたか?」
「はぁ?」
「イエスかノーか。どっちだ?」
「え、ノーだけど」
「じゃあ、お前はいつからここにいる?」
「一週間くらい前からだけど」
「そうか」
 腕を組んで目の前の少女を眺める。本当に彼女は幸運にも無干渉だったようだ。
「……ってなんなのよ! あたしにも分かるように言いなさいよ!」
「お前に言っても分からない話だ」
「またそうやって人を馬鹿にしてー!」
 少女の声はよく響く。叫べば無人のビルをいくらでも反響するだろう。実際近くにいる祐一は少女の大声が嫌で嫌で仕方なかった。うるさいのは好きではない。
 キリリ、
 と、祐一の耳が小さな音を拾った。
 ――それは全くの僥倖だった。寸前の小さな音を聞いていなければ動けなかった。
「おいっ!」
 少女の手首をがっちり掴んで、思いっ切り引き寄せた。力加減なんてしている余裕はなかった。でなければこの少女の首は鋭い爪で斬り落とされていたのだから。
 少女の悲鳴を余所に、祐一は彼女を守るように後ろへやって、目の前のソイツと対峙する。
「んもぅ! いきなり何する――」
「死にたくないなら俺の後ろから離れるな!」
 ソイツから目を離すことなく、後ろの少女へと叫ぶ。びくっ、と彼女は身を竦ませた。ドスの利いた声で脅しておけばヘタに動くことはないだろう。
「いいか、絶対だぞ?」
 彼女にはソイツが見えない。だから騒ぎこそすれ、落ち着いていられる。
 ソイツの姿を見れば悲鳴を上げて一目散に逃げ出すに決まっている。
 祐一は少女が暴れなくなったのを確認して、改めてソイツを眺めた。
「気色悪いヤツだな……」
 ソイツの頭は三つ。中央の頭はムジナで、左右の頭は腐れかけた人の頭蓋骨。全長は一メートルほどで小さいが、両腕のやけに発達した鋭い爪が脅威だった。恐らく機敏さを武器にしてあの爪で一撃で仕留めるのだろう。ゴワゴワした体毛を隠すように、剥ぎ取った人間の肌を無造作に張り付けている。それさえも腐りかけていて凄まじい腐臭がする。
 正真正銘【負の簒奪者】だった。
「だ、誰が気色悪いヤツよ! いい加減なこと言わないでよ!」
「お前は口を挟むな。話がややこしくなる」
 あれだけ脅しておきながら反論できるなんて大した根性の少女である。
 キリリ、とソイツは爪で床を引っ掻く。さっきの小さな音の正体はそれだったらしい。
「ここで排除しておくべきだな」
 多分、さっきの少女の大声のせいでこちらに気付いたのだろう。
 祐一は思考する。
 こっちは武器がない。見たところ雑魚のようだが、無力な一般市民を庇いながらの戦闘は難しいかもしれない。一対一ならどうとでもなるのだが。
 考えている間にもソイツが攻めてくる。
 疾駆。
 ただでさえ小さなソイツの姿が掻き消える。
 ギリリリリ、と床を、壁を引っ掻く耳障りな音が祐一と少女を包囲する。
 四方八方からの、死を帯びた雑音。祐一は努めて冷静に辺りを見回す。
「え、な、なんなのよ!」
 ようやく――ぼんやりとだろうが、自分が危険な状況にあることに気付く少女。
「だから、死にたくなかったら俺から離れるな!」
 逃げそうになる少女を引き寄せて、耳元で言う。逃げ出せば後ろから頭を斬り落とされるだけだ。
 耳障りな音のせいで敵の方向が分からない。
 前方、左右、後方どこから来るつもりか。天井からの奇襲も十分に考えられる。
 結論から言えばソイツは全方位から攻撃を仕掛けてきた。
 ギリリリリ……、と耳障りな音が急に止む。
 元の静寂が戻ってくる。祐一は用心深く辺りを見回す。少女はゴクリと唾を飲む。
「ど……どう、なったの?」
「黙ってろ」
 まさかこれだけやっておいて逃げ出すはずがない。どこかから来るはずだ。
 ――そして祐一は、ソイツが祐一たちから遥かに距離を置いた廊下の向こう側にいることに気付いた。
『スのォ』
 確かにソイツはそう言った。響き的に――「死ねぇ」。
 ソイツは両手の爪を擦り合わせた。火花が散った。
 ――瞬間、今までソイツが引っ掻いていた部分が火花に反応して、盛大に爆発を起こした。それはつまり祐一と少女を一撃で吹き飛ばす。
 目も眩むような閃光と、肌を炙る灼熱に二人は包まれた。
 目の前の殺戮に満足したのか、キキキキキ、とソイツは三つの頭で笑った。
 その笑みのまま、中央の頭がズルリと床に落ちる。
「さすがに爆発させるとは思わなかったな」
 声はソイツの背後から。
 瞬きにも満たない刹那の速度で祐一はソイツとの距離を詰めていた。
 ソイツの頭部を斬り落とした祐一は、手にしていたガラスの破片でソイツを真っ二つに両断する。どす黒い血が噴き出して祐一の頬に跳ねた。
 ガラスの破片は妖しく淡く輝いていた。黒い血に濡れても輝きを失わない。
「さて……」
 祐一は片腕に気を失った少女を抱いていた。彼女を庇いながらあの爆風を突っ切ったので全身が火傷で痛い。でもそのお陰で少女に怪我はないようだ。
 祐一はガラスの破片を投げ捨てる。淡く輝いていたガラス片は祐一の手を離れた瞬間、ただのガラスに戻り、床に落ちて粉々に砕けた。
 ソイツが死んで、辺りに濃密な【負の臭い】が漂い始める。
 早々にここを去るべきだった。
 祐一は気を失っている少女を見やる。このまま捨てていくわけにもいかない。
 はぁ、と小さく溜息を吐く。今日の探索はこれで終わりだ。


『お帰りなさい、マスター。……おや、やけに巨大な豆腐ですね』
「お前にはコイツが豆腐に見えるのかよ。豆腐は残念ながら大破したから諦めろ」
 背中に少女を背負って歩いてきた祐一は、疲れたように溜息をついた。
 火傷で全身は痛むわ、軽いとはいえ少女を背負ってかなりの距離を歩いてきたわで散々だった。疲労困憊で満身創痍とはこのことだ。
「ダリウス、客間に布団を敷いてくれ」
 指示を出しながら祐一は思う。
 まさか彼女をあの場所に置いてくるわけにもいかなかったので、自宅まで連れてきたのはいいのだが、これは誘拐の部類に入るのではないか。
 警察に任せてしまってもよかったのだが「家出少女」故に、彼女自身がそれを望まないだろう。
『では、別にマスターが彼女を攫ってきたわけではないのですね』
「顔だけで決め付けんな」
 祐一は顔を顰める。
『おや、私はマスターの顔が凶悪で、いかにも誘拐を犯しそうな人相をしているなどと微塵も考えていませんが』
「……やけに具体的だな」
『すぐに布団の準備をします。マスター、彼女を連れてきてください』
 スゥ……、と幽霊のように廊下を移動するダリウスの後ろ姿を、祐一はのっそりのっそりと追う。なんでこんなことになっているのかわけが分からない。
『マスターは大丈夫なのですか?』
「あん?」
 客間の前でダリウスがこちらを向いた。
『よく見ればマスターはケガをしています。恐らく、その背負っている彼女を助けるために負った傷なのでしょうが、そちらの方は大丈夫ですか?』
「なんだ心配してくれてるのか?」
『マスターが倒れると私の瞳を探してくれる人がいなくなりますので』
「…………そうかよ」
 いいところもあるな、と感動した途端にこれだ。
 ダリウスは客間の壁を通り抜けていってしまう。
 祐一は器用に足で襖を蹴り開ける。その衝撃で、背中から「う、ん……」と小さな声が聞こえた。どうやら意識を取り戻したらしい。
 テキパキとダリウスが布団を敷く。
 祐一がなんとか少女を布団に寝かせ終わった時には、時刻は九時近くになっていた。
 首をコキコキさせながら祐一はダリウスを見やった。
「これで一段落だな。さて、これから――」
『襲いますか?』
「死ね馬鹿」
『分類上私は生きているとは言えませんので、死ね馬鹿、は適切な罵倒ではありません』
「んなこと知ってるわ。俺が言いたいのはそういうことじゃねえよ」
 少女を見下ろしながら適当なことを言う一人と一体(?)。
「ん、あぅ……」
 少女の眉根がヒクヒクと動いた。
 と、ぼんやりと目を開く。自分の置かれている状況が分かっていないようで、何度も瞬きをしたり頭を左右に振ってみたりする。カメのような遅さで布団から体を起こし、漫然と部屋の内部を見回す。
 そこで一言。
「ここ、どこ?」
「喋れるくらいには元気そうだな」
「え? ――みゃーっ!」
「どわっ! いきなり叫ぶな。驚くだろ」
 急に少女の瞳の焦点が定まったかと思ったら、文字通り彼女は飛び起きて、部屋の壁際まで一気に後退した。明らかに祐一たちを警戒――いや、怯えていた。
「な、な、ななな、なんっ、なんなのよアンタはっ!」
「失礼なヤツだな。さっき助けただろ?」
「ち、ちがっ、違うくて! アンタじゃなくて! アンタの隣にいるソイツ!」
「ソイツ?」
 少女が半狂乱になって、指し示す先には。
『マスター。恐らく、彼女が怯えている原因は私ではないかと思います』
 道化の仮面に、漆黒のマントを羽織った黒甲冑のモノ――つまり、ダリウスがいた。
 祐一は事情を察する。誰だって、いきなり死神っぽいモノを見ればそうなるだろう。
 ……見れば?
 祐一の内心にちょっとした疑問が浮かんだが、それは口に出さない。
「ああ、別に心配すんな。コイツはダリウスって言って、俺の――なんだ、所有物みたいなもんだ。害を与えるようなヤツじゃないから安心してくれ」
「そ、そんな説明で納得できるわけないでしょ!」
『まあ適正な反応ですね。マスター、もう少し考えて話さないと。マスターならば「そういうもの」に耐性がありますが彼女は一般人です。今の説明で納得できるはずがありません。それから私はマスターの所有物になった記憶も覚えもありません』
「アンタもソイツと同じ仲間なの!」
 少女が祐一を指差してまくし立てるように言う。かなり錯乱しているみたいだ。
 まったくもって面倒な話になった。バリバリと髪を掻きながら祐一は嘆息する。
「ダリウス。悪いけど俺とアイツの二人だけにしてくれないか? お前がいれば彼女がビビりまくって話が進みそうもない」
『そのようですね。分かりました、私はリビングに戻ります。何かあれば呼んでください』
 ダリウスは背を向けて、壁を通過して部屋からいなくなる。
「なんなのよぉー、なんで今壁を通り抜けれたの……。わけわかんない……」
 死神姿の脅威が去ったことに安堵したのか、ズルズルとその場に座り込む少女。その目には涙が浮かんでいた。
 祐一もその場に座り込んで、壁に背を預けた。
 まだ彼女は祐一にも気を許したわけではない。できるだけ彼女を刺激しないで説明すべきだった。あまりこういうのは得意ではないのだが。
 少女はしばらくすすり泣いていた。ヒック、ヒックと咽ぶ声が部屋を占める。
 様子が落ち着くまで、祐一は少女を観察する。
 じっくりと彼女を見るのはこれが初めてだった。
 年齢は自分とあまり変わらない、とさっき判断したが、そのくせ彼女の喋り方はどこか幼い。声を出して泣かない辺り、そこまで幼いわけではなさそうだが――染めた髪とチャラついた服装が彼女を少し年上にさせているのかもしれない。
「少しは気分が落ち着いたか?」
 まだ顔を抑えていたが、祐一の声に反応して少女は顔を上げた。
 拭けよ、とハンカチを投げてやると、彼女はグシグシと顔を拭いて、お次にチーンと鼻をかんで、とどめにハンカチをゴミ箱に投げ捨てた。ティッシュじゃあるまいし。
 彼女が落ち着いたのを確認して祐一は話を切り出した。
「俺は八坂祐一。この家に住んでいる。あんたは?」
「…………朝倉京子(あさくらきょうこ)」
 ぼそっと、聞こえるか聞こえないかギリギリの声で少女――京子が名を告げる。
「よし、じゃあ朝倉は気を失う前のことは覚えているか。俺があんたを豆腐でブン殴って、その後によく分からないヤツに襲われて、そして思いっ切り爆発した。オーケー?」
 説明としては意味不明もいいところだが、京子はコクンと頷いた。
「よく分からなかったけど、アンタがあたしを助けてくれたことは覚えてる」
 記憶障害はないようだ。結構強烈なショックだったに違いないが。
 内心、祐一は感心していた。あれだけ不可解なことが起これば、脳が情報処理するために事実を歪めて記憶してしまうものだが、京子は普通に事実を覚えていた。
「朝倉は帰る場所はあるか?」
「言ったでしょ。あたしは家出中だって。帰る場所なんてない」
「元住んでいた家ならあるんだろ?」
 できるだけ早く彼女を元の世界に戻してやるべきだった。あの場所にいれば【負の簒奪者】から襲われる可能性が高い。
「……帰りたくない」
 まあ分かっていた。家出少女の反応は大体こんな感じだ。
 と、襖をノックする音が聞こえた。
「ちょっと外すぞ」
 暗い表情の京子を脇目に、祐一は部屋を出た。
 廊下にはダリウスが浮かんでいた。京子に姿を見せればまた錯乱すると判断して自分を廊下へ呼んだのだろう。
「どうした?」
『一応お風呂の準備をしておきました。マスターもあの少女も汚れていますし、適度なところで切り上げてはどうでしょうか?』
「そうだな。俺はともかく、朝倉――あの家出少女はしばらく風呂なんかに入っていないだろうから入らせた方がいいな」
『覗きますか?』
「死ね馬鹿」
『分類上私は生きているとは言えませんので、死ね馬鹿、は適切な罵倒ではありません』
「んなこと知ってるわ。俺が言いたいのはそういう――つか同じこと言わせんな」
 ダリウスにチョップしてから――あっさり避けられたが、祐一は部屋に戻る。
「風呂の準備できてるけど入るか?」
「え、お風呂っ?」
 急に彼女の声のトーンが跳ね上がった。
 コイツもしかして風呂好きか? などと思ったが、年頃の女の子ならしばらく風呂に入っていないならそういう反応になるだろう。それにしても京子の目はやけに輝いている。
「臭うままは嫌だろ。案内するから付いてこいよ」
「うんっ!」
 すでにダリウスは廊下から消えていた。
 祐一は、いきなり元気になった京子を連れて脱衣所へと向かう。その間、京子はキョロキョロと忙しなく辺りを見回していた。
「……何か珍しいものでもあるのか?」
「ううん、そういうんじゃなくて。単純におっきな家だと思っただけ。あたしの住んでた家より何倍もおっきい。珍しいし羨ましいなぁ」
「この家は無駄に広いだけだぞ。俺はかえって落ち着かない」
「そういうものなのかな」
「そういうものだ」
 京子は物珍しそうに壁にかかっている絵画を眺めたりしている。
「あ! じゃあさ、じゃあさ! もしかしちゃうとお風呂もおっきいの?」
「いや、ドラム缶風呂だ」
「え、嘘……」
 あからさまに落胆する京子。素直なのか、単純なのか。
 多分後者に違いない、と苦笑しながら祐一は思った。
「嘘だ。安心しろ。泳げるくらい広いぞ」
「みゃーっ! また騙したな! この嘘つき!」
 さっきはダリウスにビビりまくって泣きべそかいてたのに、今はそんなことなど忘れて風呂を楽しみにしているくらいだから、やっぱり単純な性格で正解だ。
「ホラ、ここだ」
「わーい! お・ふ・ろぉっ!」
 脱衣所はこのはしゃいでいる少女が走りまわれるくらいに広い。
 京子は一直線に風呂場を覗きにいった。
「この家には男モノの服しかないから、俺のシャツとジャージで我慢してくれ」
「きゃーっ! こんなに広いお風呂初めて見た! なにこれ! 泳げるよ! ねえ!」
 湯気の立ち上る浴槽を見るなり騒がしくはね回る京子。
 元気そうで何よりである。ただ人の話は聞けよと祐一は思う。
『彼女の脱衣姿を見納めるまで眺めているつもりですか?』
「アホか。俺より年下にそんなことしねーよ。だいたい俺はもっとムチムチしていてボインと――って何言わせてんだよ馬鹿」
『アホなのか馬鹿なのかはっきりさせてください。それからマスターが勝手に自分の性癖を語り出したのです。私は何も悪くありません』
 祐一の隣にひっそりとダリウスが佇んでいた。
 ぴしゃり、と脱衣所のドアを閉めて、祐一はダリウスに向き直った。ドア越しに上機嫌な鼻歌と衣擦れの音が聞こえてきた。
「ちょっと買い物にいかないといけないからお前も付いてこい」
『彼女を放置してもいいのですか?』
「あの様子だとしばらく風呂からあがってこないだろうしな。それにあがってこれらない」
『……下着、ですか』
「そういうこと。だから買いに行くんだよ。コンビニでも売ってるだろ?」
『私が付いていく理由は? 別に女性物の下着を買う羞恥を受けるマスターだけで十分なのでは?』
 若干引っかかる言い方だが無視する。
「もしも、だ。風呂からあがったアイツがお前とばったり会ったりしたらどうなる?」
『面倒なことになりますね』
「そういうことだ。だから一緒に行くぞ、ダリウス」
『あ、その前に彼女の衣類を洗濯機に突っ込んで回しておきたいです』
 風呂場から聞こえる姦しい声を確認して祐一とダリウスは家を出た。


 楠野佳澄は手に持っている地図と目の前の家を交互に眺めて、
「ここで合ってる」
 と無機質にポツリと言った。
 学校の制服ではなく、私服のワンピース姿だった。落ち着いた色のワンピースは佳澄のやたら整った愛らしい美貌によく映えていた。道ですれ違えば誰もが振り返ってしまいそうなそんな美しさがあるが、それをぶち壊すかのように肩から下がる対の竹刀袋がある。
 手入れの行き届いている艶やかな黒髪をなんとなしに撫でて、佳澄は地図をしまう。
 佳澄は『仕事』でとある家までやってきていた。
 祐一とは別任務である。彼は彼で別の任務を割り振られていて、比較的任務枠に余裕のある佳澄が【負の簒奪者】に襲われたらしい家の実態調査を命じられた。
「最近、この家に住む家族の姿を付近住民は見ていない。噂されている不審者との関連性もあるし、それでなくても、この家の付近で不気味な影を見たとの話もある。よってこの家が何らかに関与している可能性が高いから、調査することとなった」
 上司から送られてきた資料の内容を反芻する。
「よし」
 佳澄はコクンと頷いてインターホンを押した。
 この辺りは閑静な住宅街で、夜になればあまり人も出歩かない。できるだけ騒ぎたてるようなことはしたくないが、最悪、連中と戦闘の可能性も考えられる。可能な限り無関係者を巻きこまないように立ち回らないといけない。
「あの私、クラスの友達の楠野佳澄と申します」
 もちろん嘘だ。
「最近学校に顔を見せてくれないので何かの病気かと思って……」
 表面上はこの家に住む次女のクラスメイトということにしている。そうすれば違和感なくこの家の家族と顔を合わせることができる。
 が、
 無反応だった。
 佳澄は怪訝に思い眉を寄せる。
 ちょっと背伸びをして家に電気が点いているのを確かめる。電気が点いているということは誰かがいるということだ。ならば何故人が来たのに何も反応がない?
 ――最悪の可能性が現実になっている確率が高い。
 佳澄の警戒心がレッドゾーンを越えた――ちょうどその瞬間に、家の玄関が開いた。
 現れたのは母親のようだった。年齢は四十過ぎくらい。エプロン姿で、遅い夕食を作っていた途中のようだった。急の来客に驚いているようだったが、にこやかに中に入るように促してくる。
「失礼します」
 ペコリと頭を下げて、佳澄は家の敷地への侵入に成功する。
「こんばんは。こんな遅い時間に済みません」
 いいのよ娘も喜ぶわ、と言わんばかりに母親はニコニコしたままだ。
 母親に誘導されるように佳澄は玄関をくぐる。
 廊下には父親がいた。眼鏡をかけた柔和そうな顔立ちだった。こちらも笑っている。手には小ぶりな鋏を持っていて、どうやら廊下に飾っている花の手入れの最中のようだ。
「…………」
 佳澄はこれからどうしようか考える。
 あまり下手なことを聞くと怪しまれる。かといって当たり障りないことを尋ねてもそれでは意味がない。自分は調査に来たのであってご機嫌伺いに来たのではない。
 佳澄が逡巡している間に、事態は動いた――最悪の形で。
 バタン! と勢いよく玄関のドアが閉められる。それでも、落ち着き払っていた佳澄がチラリと後ろを振り返ると、母親が玄関のカギをかけるところだった。
 母親はまだ笑っている。まるでそれ以外の表情を知らないかのように。
「何のつもりですか?」
 無造作に佳澄は肩の竹刀袋に手をやる。
 正面の父親が手に持っていた花を投げ捨てた。
 さっきまで手入れしていたはずの花を構うことなく踏み付けてこちらへと迫ってくる。あくまでにこやかに。その手には鋏。明らかに様子がおかしかった。
「飢エ、減リ、食ウゥゥッ!」
 途端、人の声とは思えない歪な発音で、佳澄の目の前の父親が飛びかかってきた。
「食食食食食食!」
 ガタ、と音がして佳澄の背後の母親が、傘立てにささっていたゴルフグラブを高らかに振り上げていた。
 ふっ、と佳澄は息を吐いた。
 父親が繰り出す鋭い鋏の刺突も、母親が振り下ろしたゴルフグラブの一撃も、佳澄が持っていた対の竹刀袋で阻まれていた。
 二刀流の構えで佳澄は前後の攻撃を器用に受け流す。キィィィン、と金属がぶつかり合うような音が響き、竹刀袋がハラリと落ちる。
 佳澄が手にしていたのは漆黒色の鞘だった。
 体の遠心力だけで佳澄は二振りの刀を一息に抜き放つ。
 鞘が床に落ちる前に佳澄の刀が煌めいていた。鋏を持つ父親の腕を半ばから、ゴルフグラブごと母親の顔面が、白刃に斬り裂かれる。
 狭い廊下だろうと佳澄の太刀は淀みはしない。刃は壁ごと斬り裂いて、佳澄は、どす黒い血を撒き散らす二人から距離を置く。玄関のカギはかけられてしまっているので、家の奥へと。そこでようやく鞘が床に落ちる硬い音がした。
「痛ミ、苦シミ、怒リィィッ!」
「痛痛痛痛痛痛!」
 顔の上半分を失った母親。その血が噴き出す傷口からヘビのような何かが顔を出す。
 腕を斬り落とされた父親。その切断面からムカデの胴体のような何がが無数に溢れ出る。
 醜悪な光景にも関わらず佳澄は平然と二人を睨みつけていた。
「案の定、【負の簒奪者】。しかも寄生型か」
 恐らくこの二人は殺された後に、死体に寄生させられたのだ。
「そんな醜悪なモノは凌辱系のエロゲーだけで間に合ってるけど」
 一刻も早くこのバケモノどもを斬り裂いて、あの二人を解放させないといけない。
 佳澄は二本の刀を十字に交差させる。
 意識を、手に持つ武器へと注ぐ。いつ目の前のバケモノどもが飛びかかってくるか分からないから、気配を正面にも研ぎ澄ます。ソイツらは佳澄を警戒して動こうとしない。
 ジワリ、と両手が火照ったように熱くなり出す。
 こいつら、【負の簒奪者】は普通の武器だと致命傷は与えられても殺すことはできない。連中を殺せるのは【狩人】が『狩り』の概念を込めたモノに限られる。佳澄の持つ二本の刀がそれに当たる。
 両手の熱が武器へと注ぎこまれる。概念がカタチとなって本物の武器と化す。
 概念を込めたものはありとあらゆるものが【負の簒奪者】にとっての武器になる。例えガラスの破片だろうと、連中を斬り裂くには十分すぎる。
 佳澄の持つ二本の刀は淡く輝いていた。ゆらり、と陽炎が尾を引き、妖しく歪む。
「――疾っ!」
 裂帛の声と共に佳澄がバケモノどもとの距離を二歩で詰める。
 果たしてソイツらに佳澄の姿が見えていただろうか。
 虚を突かれた二体のバケモノは体を両断されて、その場に崩れた。あまりの神速技に、バケモノどもが殺された、という事実しか映らない。
 上半身と下半身を分かたれたソイツらはわずかに動いただけで、すぐに動かなくなった。ドロッとしたどす黒い血が溜まりを作る。
 切断面から覗く、バケモノの本体が完全に静止したのを確認して、佳澄は刀にべったりとついた血を振り払う。
「……」
 佳澄の表情はどこか優れなかった。
 この分だと、二人の娘の生存は絶望的だ。最悪、この両親のように体を乗っ取られている可能性もある。その場合、彼女たちも殺さないといけない――五体がバラバラになるくらいには。
 ハンカチで刀身に付着する血の残りを拭き取って鞘に納める。
 その間、物音一つしなかった。家の中でこれだけ騒げば、二階にいようが絶対に気付くはずなのだが。
 佳澄はまずキッチンとリビング、和室のある一階を捜索した。
 一階は、ここ一週間ほど片付けた跡がないくらいに汚れていた。冷蔵庫は全開状態で、食い散らかしたカスが散乱していたし、リビングは嵐でも過ぎ去ったかのように家具がグチャグチャになっていた。まともな足の踏み場がないくらいだ。
 次は二階に向かう。二階には家族のそれぞれの部屋があった。
 少女の死体が長女の部屋に転がっていた。
 死体は喉を喰い千切られていた。即死だろう。絶望で目を見開いて、だらしなく舌を伸ばし、全身から体液という体液を漏らして死んでいるソレは、夏という季節もあって腐敗が始まっていた。
 事前に目を通していた資料から判断して、死んでいる死体は長女で間違いなかった。
 そして次女の姿はどこにもなかった。
 佳澄は屋根裏も、庭の物置までも調べてみたが次女だけはどこにもいない。
 なんとか逃げ出すことができたのかもしれない、この悲劇から。
 あるいは――【負の簒奪者】に体を奪われた次女は、もうこの家から去ってしまっているのか。次の得物を求めて。
「……最悪だ」
 佳澄は吐き捨てるように呟いた。
 そう、最悪だった。
 考えられる限りの最悪の結果が現実となっていたのだ。
 最後にもう一度次女の部屋を訪れる。ここも他の部屋と変わらず、グチャグチャになっていた。ファンシーで飾った部屋が今では悪趣味な造形に見える。
 やはり、次女の姿は、ない。
 佳澄は足元に転がっていた写真立てを拾い上げる。そこには家族全員で撮った姿が映ってあった。家族全員が笑顔だった。そこには次女の姿もあった。
 ジャラジャラした小物のついたゴムでツインテールに束ねて、馬鹿みたいに楽しそうに笑っているその姿がやけに痛ましい。
 あとこの後は処理班の担当だ。自分のやれるべきことは終わった。
 佳澄は、静かに朝倉家を後にした。


 無事(?)に女性物の下着をコンビニで購入して、祐一は家に戻ってきた。
『もうあのコンビニには行けませんね。女物の下着を買う変態野郎として認識されましたからね。マスター、哀れです』
「やかましい。近所にあるコンビニってあそこだけだろ……不便になるな……」
 肩を落としながら祐一はリビングへと入る。
「あー、もうっ! どこにいったのよぅ!」
 ダブダブの祐一のシャツ一枚姿の、風呂上がりの京子がいた。
「ってオイ! なんでだよ!」
 祐一は慌てた。ダリウスは京子の視界に入り込む前に壁の奥へと消えた。
「お風呂からあがってサッパリした気分だったのに、なんか知らないけどあたししかいないし怖かったんだからねっ! あのヘンな幻覚がまた見えたりしたらヤだし!」
 どうやら京子の中でダリウスは「ヘンな幻覚」として処理されたようだ。
 いや、そんなことより。
 祐一はレジ袋を京子に投げつけるように渡して、彼女から顔を逸らした。
 京子はシャツ一枚姿である。下着はダリウスが洗濯機に突っ込んでしまったので、今の彼女は何も履いてない。ダブダブなシャツだからよかってものの、もう少しシャツの丈が短かったら確実にアウトだった――とっくにアウト臭いが。
 私服を着ている時は気にならなかったが、京子はかなり着痩せするタイプだ。
 シャツの布地をこれでもかと押し上げるくらいに発育した二つの丘が、祐一の視線を逸らさせる原因だ。風呂上がりなのでちょっとシャツは湿っていて――どういうことかというと、透けている。
「いったーい! いきなりなにしてくれてんのよー! 袋投げんな!」
「うるせぇ。お前は早く服着ろ! 俺に近寄んな! 暴れんな! 叫ぶな!」
 そのたびに二つの丘が激しく揺れるからだ。
 シャツの裾から伸びる、ムッチリした太腿の根元から見える。どこからどう見てもアウトだ。もしシャツがめくり上がったりしたらその奥が見えるというのに。
「ちょっとソレひどくない! そんなにあたしのことが嫌いなのかぁ!」
 ズンズンと京子が祐一に詰め寄ってくる。
 祐一は壁に追い詰められた。背中には硬い壁の感触。正面には京子の大ボリュームの二つの丘。彼女はそんなつもりはないだろうが、押し付けられていると表現して遜色ない。密着するマシュマロのような柔らかな感触に祐一はたじたじだった。
「……俺が悪かったから、頼むから着替えてくれ……ください……」
「分かれば良し! 許したげよう」
 まずお前が自分の格好について分かれよ、と祐一は内心突っ込んだ。
「着替え終わったら呼べよ」
 油の足りてないブリキ人形のような動きで祐一はリビングから出た。
 廊下にはダリウスが腕を組んで立っていた。何故だか知らないが祐一は、ダリウスがニヤニヤと笑っているような気がした――骸骨なのでよく分からないが。
『マスターの好みはムチムチしていてボインとした……なんでしたっけ?』
「…………」
『ムチムチしていてボインとした、なんでしたっけ?』
「リピートすんなアホ馬鹿間抜け!」
『アホなのか馬鹿なのか間抜けなのかはっきりさせてください。それからマスターが勝手に自分の性癖を暴露したのが悪いのです。私はただそれを覚えていただけです』
「……ったく冗談じゃねえぞ」
『今度こそ襲いますか?』
「襲わねえよ! 大体お前は性別的には女なんだろ? なんでそんなに下世話な話に持っていくんだよ? そういう話は野郎担当だろ」
『私も思春期なんですよ』
「死神に思春期もクソもあるかよ……」
 祐一は額に手を当てた。顔が熱い。やけに火照っている。
 もういいけどー、と京子の声がしたので祐一はリビングへと戻る。とその前にダリウスに「入ってくんなよ」と注意と威嚇も兼ねて言っておく。
 死神は愉快そうにカタカタと笑っていた。
 ジャージ姿の京子はくつろぐようにソファーに座っていた。
「いいお風呂よねー。すっかり長風呂しちゃった」
 まだ半乾きの、下ろした茶髪をタオルでゴシゴシしながら祐一に声をかけてくる。
 さっきの無邪気な色気姿を意識してしまい、祐一の視線は京子に定まらない。ジャージの上からでも分かるほどの女の発育にまた視線を向けそうになる。
「ねえねえドライヤー貸してくれない?」
「そりゃ脱衣所の洗面台に置いてあるけど、その前に、だ」
「ん? どしたの? あ、ご飯ならいらないよ。あんまり食欲ないし」
「違う、そうじゃない」
 祐一は京子に向かいあうようにテーブル越しのソファーに座る。
「どうしたのよ、そんな真面目な顔で?」
 きょとんとした表情の京子。すっかりリラックスしきった顔だった。
 そんな彼女の表情を壊すようなことはしたくなかったが、そうそうこの家に長居させるわけにもいかないのだ。祐一は一拍置いて、静かに言った。
「明日にでも朝倉を自分の家に帰そうと思う」
「え……」
 あからさまにショックを受けたような京子。髪を拭く手が止まる。
「いつまでも朝倉をここに置いておくわけにもいかない。だからといってあの廃ビルに戻すわけにもいかないだろ? 朝倉だってあんな危ない目に遭いたくないはずだ。だから自分の家に戻るのが一番なんだよ。そして今まで通りの生活を取り戻せばいい」
「……あたしの家だけはやだよ」
 京子は俯いて、タオルで表情を隠してしまう。その声はさっきまでの明るさとは打って変わって暗い。
「どうして嫌なんだ? 何か不安なことがあるなら相談に乗るぞ」
 祐一は京子の内心を知らない。
 だから、あるいは家庭の事情で、そう例えば――性的な嫌がらせの類や暴力でも受けているのか、と推測していた。だから「相談に乗る」と尋ねてみたのだが彼女は首を左右に振るだけだった。
「ううん、そういうのじゃないの……でも、嫌なのよ……。なんだか分からないけど、嫌なのよ家に戻るのが」
「……はあ? なんだか分からないけど家に戻るのが嫌、ってどういう意味だよ」
「嫌なことがあったような気がするの……」
 彼女の言葉はやけに曖昧だ。
 気がする、というのはどういうことなのだろうか。
 ただ、彼女の家に何か原因があるのは確かだ。この分では無理矢理家に帰したところでまたすぐに家出するのがオチだ。それでは意味がない。
 祐一は腕を組んで深く溜息を吐いた。
「――分かった」
「え……?」
 京子は顔を上げる。
「朝倉が望むならこの家にしばらく滞在して構わない」
「え、ホントに? いいの?」
 急に、暗かった彼女の表情が明るくなる。本当に単純――もとい、純粋な性格をしているなと祐一は思った。喜怒哀楽のメリハリがここまでくっきりしているのも珍しい。
「ああ。だけど、あくまでこの家には俺しか住んでいないことを覚えておいてくれ」
「え、アンタしかこの家に住んでいないの?」
「そうだ。そういや、まだ言ってなかったか?」
 と、京子はモジモジと自分の体を隠すように、両手で自分の体を抱きしめる。顔を赤くして、幾ばくかの羞恥の混じった声で問うてくる。
「……夜に襲ってきたりしない?」
「そんなことはしないから安心しろ」
「本当に?」
「本当に。――大丈夫だって。そんなに不安なら鍵の付いた部屋に変えてもいいぞ」
 さっきまで、あれだけ誘惑紛いのことをしておいてこのしおらしさである。
 京子は自分の持つ無邪気な色気に気付いていないのか。いや、気付いてないからあんなに大胆なのだろう。そうに決まっている。
「ううん。そこまで言うならいいの。あの部屋でいい」
 タオルを綺麗にまとめて、京子はソファーから立ち上がった。
「髪、乾かしてくる。なんだか今日疲れたから、そのまま寝る」
「そうか」
 祐一は深くソファーに身を預けた。目を閉じる。
 ヒタヒタと京子がリビングからいなくなるのが足音で分かる。ダリウスもそのくらいのことを察知して、京子の視界に入る前に移動するだろう。あとでダリウスと京子のことで話をしないといけない。
 この家に滞在が決まった以上、ダリウスの存在を隠し通していくわけにもいかない。
 なんにせよ、面倒な話には変わりない。『仕事』とはいえ、連日こうも忙しいと疲労が溜まってくる。明日辺り本当に学校をサボろうかと考えていると。
 ガチャリ、とリビングのドアが開く音。
 祐一は目を開いた。
 ドアに半分身を隠すように京子が立っていた。
「言い忘れたことがあったの」
「言い忘れたこと?」
「うん……」
 京子は一歩前に出て、まっすぐに祐一を見つめる。その頬は少し赤い。胸の前で両手をモジモジさせて何かを逡巡していた。
 唇を開けかけて、でもやめて――ちょっと迷った後に口を開く。
「あの……ありがと」
 瞬間、さらに頬がリンゴのように赤くなる。その視線が祐一から床に落ちる。
「今日はいろいろとしてもらって、なんて言えばいいのか分からないけど……その、とっても感謝してるの。だから、ありがと」
「……、風邪引く前に早く寝ろよ」
 ぶっきらぼうに祐一は言い返した。
「うん。……おやすみなさい」
 そして、今度こそ京子は髪を乾かしに脱衣所へと向かった。
 祐一は天井を見上げ、ぼんやりと蛍光灯を見つめた。
 ダリウスにも言っていなかった、ある疑問を考える。が、どうやっても説明がつかなかった。ダリウスに話してもいいのだがその前に自分で解決しておきたかった。
 何故京子は【負の簒奪者】であるダリウスが見えていたのだろう? 廃ビルでは野良の【負の簒奪者】の姿が見えてなかったというのに。
 あるいは。
「『瞳』か」
 ポツリと呟いた独白は天井に届くことなく、祐一の耳に落ちてくるだけだった。


 二章 「残酷で残忍で残虐な恋の歌」


 辿り着こうとしていた指針を失い、大切な人を失い、廃人も同然の生活だった。
 新入りだからと任務前に必ずチョコレートをくれた先輩も、愛想がないけど任務が終われば必ず労いの言葉をかけてくれた先輩も、この世界に入るキッカケになった彼女も、もうどこにもいない。死んでしまったのだから。
 そんな自分を世話してくれたのは、歳が一つ下の後輩だった。
 食事の世話をしてくれたり、汗で濡れた体を拭いてくれたり、悪夢から目覚めるたびにその後輩は手を握ってくれていた。後輩がいなかったら自分は今の生活に戻れなかった。
 だから後輩には感謝してもしきれない。
 ――あの人の代わりにはなれないですけど、でもあの人のようになりたいです。
 そう言っていた。自分たちは三人で一つだった。だからその言葉の意味を痛いほど理解した。理解して、また涙が溢れた。
 そんな自分を慰めるように抱きしめてくれた――その温かさは、一人分、足りない。


 八坂家に居候の家出少女が増えた次の日の朝。
「ん……」
 夏の朝によくありがちな、籠ったような熱気で祐一は目が覚めた。毛布を腹にだけ掛けて寝ているので普段は寝苦しいということはないのだが、今日ばっかりは違った。
 やけにベッドが蒸し暑い。
 朝の日差しがカーテンの隙間から差し込む部屋で、祐一はまどろみの中でぼんやりと体を動かした。
 何かが自分と触れ合っている。しかも密着している。祐一は、まるで抱き枕のようにそれを抱きしめて眠っていたらしい。
 毛布か、と思ったが違う。
 毛布よりも、あったかくて、柔らかくて、プニプニしていて、触れていると包みこまれるような至福感がある。ずっとそれに触れていたい気持ちになる。
 覚醒してない脳が惰眠を貪るように指示してくる。祐一はその抱き枕もどきをさらにぎゅっと抱きしめて、もうひと眠りすることに――。
「あっ、ん……あぅ」
 祐一でない声がした。
「…………」
 ダリウスの声ではない。ダリウスの声は耳障りで、嫌でも目が覚める類のものだ。
 壮絶に嫌な予感がした。
 薄く目を開く。
 眼前に、穏やかな寝息を立てる京子の顔があった。
「っ!!!」
 声を出さなかったのは奇跡に近い。祐一の鼻先に京子の吐息がかかる。ふっくらした唇の隙間から漏れる寝息。祐一と京子の顔の距離は数センチもない。
 祐一の脳が一気に覚醒する。眠気など彼岸の果てまで吹き飛んだ。
 祐一が抱き枕にしていたものは京子だった。
 なんでこんな状況になっているのか意味不明だった。
 確かに昨日の夜は、先に京子が寝ているのを、わざわざ彼女の部屋にまで行って確認してから自分は寝たはずだ。間違いなく京子はそこで寝ていた。
 故に、京子と抱き合うように眠っているこの現状が理解できない。
 溜まりに溜まった煩悩が夢となって、今自分はそれを見ている可能性も考えてみたが、どう考えても京子の体温やら感触やらが夢や幻のモノとは思えない。
 いやそんなことよりもまずはこの状況をなんとかしないといけない。
 ここで京子が目を覚ましたら――最悪だ。
 ダリウスには「やっぱり襲ったのですね」と軽蔑混じりに馬鹿にされ、佳澄からは「家畜以下のゴミ畜生」というレッテルを張られ、組織からは『仕事』を理由に年下の少女を襲ったとしてクビにされ、近所からは少女を連れ込む変態として見られることになり、学校にも行けなくなり、社会的に限りなく殺される。
 脱出しないといけない。
 でもどうやって?
 祐一は、自分と京子の体勢を確認する。横向きで、お互いに抱き合うように密着している。相手の背中に腕を回してギュっとしているのでまず根本的に動けない。祐一は手をほどくだけでいいが、自分の背中に回されている京子の手をどうにかしないといけない。
 思い切って京子を振りほどいて、彼女が目を開ける前に部屋から脱出しようと考えたがここは祐一の部屋だ。京子に「連れ込まれた」と思われたらアウトだ。
 だから慎重に、この上なく慎重に、京子を起こさないようにベッドから抜け出して、彼女を自分の部屋に連れていく必要がある。『仕事』の任務よりも遥かに難しい。
 でもやるしかない。
 まず祐一は京子の背中に回していた自分の両手をほどく。京子を上から抱きしめるような形でよかった。京子に抱きしめられる形だったら、間違いなく逃げられなかった。
 まず片腕が解放された。
 次は京子の体の下に押し潰されている腕だ。無理矢理抜き取ると京子は起きるだろう。できるだけこっそりと、カタツムリのような速度で腕を抜いていく。
 と、京子の眉がヒクヒクと動いた。
「ん……あぅ……」
「っ!」
 ――起きるのか! と祐一の心臓が早鐘のようにドクドクと脈打った。
 凍り付いたように祐一は動けなくなった。マズイ。冷や汗が背中を流れた。
「あ、うぁ……ん……」
 少しすると、すぅすぅ、と京子の寝息がまた聞こえてきた。本当に眠ったのか確認するために、それから三十秒は、祐一は凍り付いたままだった。
 京子の寝息が安定したのを確認して、祐一はまた腕を抜く作業に取り掛かる。
 数分の格闘の後、無事に両腕を解放できた祐一。
 最後に京子の腕をほどいてベッドから脱出するだけだ。そのためにはちょっと体勢を変える必要がある。京子を下に、自分が上にならないとほどけない。それに祐一が上になれば重力で勝手に京子の手はほどけてベッドに落ちる。
 モゾモゾと怪しい動きで祐一は慎重に体勢を変える。少し体を浮かせて、手を伸ばして京子を押し倒したような体勢を作る。無邪気な寝息と、ジャージ越しの二つの巨大な双丘を前にどこまで理性が耐えられるか疑問だが、果たして。
 するり、と重力に従って京子の腕が祐一の背中からベッドへと落ちた。
 祐一は京子を起こさずに無事に脱出できた。
 そろりと息を吐いた。後は京子を彼女の部屋に連れていくだけ――、
 と。
『お兄ちゃーん! 朝だぞーっ! 今日も元気に、おはようございますだぞっ!』
 盛大な大声で――金属を擦り合わせるような声で、ダリウスが騒々しく祐一の部屋へと突入してきた。昨日の宣言通りシチェーションを変えて、無理矢理起こしに来た。
『お兄――』
 さすがのダリウスも目の前の光景に言葉を失った。
『……マスター、朝から精が出て何よりです。「襲わない」などと昨日堂々と言ってましたが、さて。言い訳が可能ならしてみてください』
「ん……あ、ふぁ~。あぅ、もう朝なの……って、え?」
 ダリウスの声に目を覚ました京子の寝ぼけ顔が引き攣る。なにせ彼女は、他人のベッドの上で押し倒されていると表現しても何も問題のない状況なのだから。


 額に絆創膏を貼った祐一は、朝食のトーストを頬張った。
 テーブルの向かいの席では京子が申し訳なさそうにベーコンエッグを一口かじる。食器を置いて、咀嚼していた物を飲み下すと、頭をワシャワシャ掻きながら舌を出す。
「いやー、ごめんね! 寝起きだから驚いて思わずやっちゃったんだけど、その根本的な原因はあたしなんだよね!」
「だろうな。俺はお前を部屋に呼び寄せた記憶もないし、連れ込んだ覚えもない」
 喋るたびに口の中が痛む。
 結局、あの衝撃的な目覚めの後、京子は絹を裂くような悲鳴を上げ、祐一の腹部にドロップキックを叩き込んだ。回避も防御もできなかった祐一はモロに受けて、ベッドから転がり落ちた。額の絆創膏はその名残である。
 別に自分から京子を抱き枕にしていたわけではない、と分かったのはいいのだが、何故自分がこうしてケガをしているのかが納得できない祐一だった。
 どうして京子が祐一のベッドで寝ていたのか。
 それは真夜中にトイレに起きた京子が、廊下でバッタリとダリウスと出会ってしまったからだった。ダリウスが言うには、形容しがたい悲鳴を上げて猛ダッシュで走り去っていってしまったそうな。そして京子は自分の部屋に戻ったはいいがあまりの恐怖にまったく眠れなくなり、祐一の部屋を探し出してベッドに潜り込んできたというわけだ。
 で、その原因の原因であるダリウスは今、京子の視界に入らないように別の部屋でのんびりとお茶を飲んでいるはずだ。
「俺はこれから学校に行かないといけない。これでも学生なんでな」
 朝食を食べ終えて、空になった食器を流しへと持っていく。
「朝倉はどうする? お前は学校に行くのか?」
「家出してるんだから学校行ってるわけないでしょ。あたしはこの家に居る」
 まだトーストを食べている京子は当たり前のように言い張る。
「っても、俺の家に居たって正直やることないぞ。テレビゲームなんてものはないし、ボードゲームだってない。テレビ見るくらいしかヒマ潰せないぞ」
「別に気にしないよ。ゴロゴロするのあたし好きだし」
 それはそれでダリウスが困るだろう。家事などの一切はダリウスが担当している。京子が家にいるだけで家事がやりにくくなる。人から隠れながら家事などできるわけがない。そういう意味でも祐一は京子を家の外に出したかった。
 どうしたもんか、と首を傾げていると。
 ピーンポーン、とチャイムが鳴った。佳澄が迎えに来たようだ。
 トーストの最後の一口をパクリとやって、京子は玄関の方向を見た。
「お客さんが来たみたいだけど? 出なくていいの?」
「ただのお迎えだ。向こうから勝手に家にあがってくるから気にしなくていい」
「おはようございます、先輩……と、どちら様ですか?」
 などと話していると鞄と竹刀袋を持った制服姿の佳澄がリビングへ入ってくる。見慣れない居候に気付いたようで誰何してくるが、その居候の京子はどこ吹く風だ。
「アンタこそ誰なの? 朝から人の家にズカズカ上がり込んできて」
「私は楠野佳澄。八坂祐一さんの学校の後輩です。次はあなたが答える番です」
「朝倉京子。ちょっと訳ありでこの家にお世話になることになったの」
 簡潔な自己紹介に、佳澄は怪訝そうな顔をした。
「朝倉、京子? もしかして――いや、間違いないです。あなたが朝倉京子ですか」
「え、なによ……――っ! みゃーっ! ちょ、ちょっとぉ! なんなのいきなり!」
「ちょっと待て! おい楠野、なんで抜刀しているんだよ! 刀をしまえ、刀を!」
 何を思ったか佳澄は鞄と竹刀袋を投げ捨てて、迷うことなく鞘から刀を抜き放った。
 慌てて祐一が京子と佳澄の間に介入する。意味不明だが、佳澄は京子を明確に警戒している。今にも斬りかかりそうな雰囲気だった。
 京子は京子で、祐一を盾にして、自分は思いっ切り後退していた。名前を名乗っただけで刀を向けられれば当然の反応ではあるが。
 佳澄はゆっくりと刀を正眼に構えた。
「私は彼女を斬るつもりはありません。先輩、そこをどいてください。私は彼女に用があります」
「斬るつもりがないなら、なんで刀を抜いた? その答えに俺が満足できたらどいてやる」
「必要とあれば斬る必要があるからです」
「……もしかして『仕事』関係か?」
「はい」
 どこまでも佳澄は淡々としていた。祐一に斬りかかるような真似はしないはずだが、危険な状態には変わりない。
「でもダメだ。あいつは俺が保護してやることに決めたんだ、昨日の夜にな。『仕事』の管轄なら先輩の俺の言うことを聞けよ。だから、朝倉は攻撃するな」
「……彼女が【負の簒奪者】に体を乗っ取られている可能性があります」
「何?」
 聞き捨てならない言葉に祐一の表情は険しくなる。
「本当か」
 チラリと、自分の後ろで怯えている京子を見やる。到底、【負の簒奪者】に体を奪われているようには見えない。彼女の思考も言語も正常だ。
「あくまで可能性の話ですが」
「なら楠野の思い込み過ぎだ。俺は昨日から朝倉と接しているけど変わった様子もない。それにヤツらの兆候があったら、とっくに俺が動いている。それに自身が【負の簒奪者】であるダリウスも何も言ってこなかった。だから、その可能性はゼロだ」
「…………そうですか」
 納得してくれたのか、佳澄は刀を鞘に収めた。
 緊張した空気が弛緩する。祐一は大きな溜息をついて、近くにあったソファーにどっかりと座り込んだ。佳澄は竹刀袋を拾い上げ、鞘を戻す。
「お騒がせしました。失礼しました」
「まったくだ。いきなり人の家で刀を抜いて何事かと思ったぞ。――後で、その辺の話を聞かせろよ」
 お手本のような角度で頭を下げる佳澄の頭に祐一は言ってやる。
「ちょっとちょっと! どういうことなのか説明しなさいよ!」
 自分の身が安全と分かった京子がふくれっ面で二人に迫ってくる。
「なんでアンタの周りにはヘンなのしかいないの? この家には死神のような幻覚が出てくるし、この女は当たり前のように刀を抜いてくるし、アンタはアンタであたしを抱き枕にしてたし。キッチリキッカリあたしが納得できる説明してよね!」
 抱き枕、のくだりで佳澄の目が光った。
 ともあればまた刀を抜きそうな勢いで、ずいっと祐一に顔を寄せてくる。
「今、彼女からとても聞き捨てならないことを聞いたのですが、事実ですか?」
 言外には、返答次第では叩き斬ります、と意味が込められていた。
 その佳澄を突き飛ばすように京子が祐一に迫る。
「その前にあたしの質問に答えなさいよ! まだ学校行くまでに時間あるでしょ!」
 珍しく不機嫌そうな顔の佳澄が京子の前に立ち塞がる。
 なんだか険悪な雰囲気になりつつある。
「……私が先です。あなたは後にしてください」
「あたしの方が先に質問したんですぅー! だからあたしが先!」
「あなたの質問は長くなりそうです。それに居候なら夜にでも話を聞けばいいでしょう」
「学校の後輩なら学校で聞けばいいじゃん」
「何を……?」
「やるのか……?」
「上等です」
「あたしだって受けて立つけど! 正直、むかっ腹の限界よ!」
「ああああああ、お前らうるせーっ! 俺は先に学校に行くから好きにやってろ! 後片付けは任せたぞダリウス!」
 脱兎の如く祐一は鞄を持ってリビングを飛び出した。『分かりました』とどこからともなく聞こえた耳障りな声が玄関を開ける音と重なった。
 祐一はその後の二人のことは知らない。


 午前の授業が終わって昼休みになる。
 祐一は屋上に誰もいないことを確認してフェンスに寄りかかり、コンビニ袋を開いた。友達が「一緒にメシ食おうぜ」と言ってきたが、考え事をしたい祐一はそれを断って、誰も寄り付かない校舎の屋上で、静かに考えをまとめることにした。
 朝、学校に行く途中で買ったおにぎりを齧る。
 夏の太陽はジリジリと屋上を炙るが祐一は平然な顔をしていた。
 屋上からは、校庭の風通しのよさそうな木陰が見える。そこを『複写』すれば、直射日光の眩しさが気になるくらいで、涼しいものだ。
 夏の屋上はとにかく暑いので誰も寄り付かない。よってそんなものが関係ない祐一からすれば誰もいないベストスポットというわけだ。
 ――京子の家族が【負の簒奪者】に殺されていた。
 朝、佳澄から聞かされたのは祐一を渋面させるには十分すぎる内容だった。
 両親が殺されて、その体を寄生させられた。姉は喉を食い千切られて即死。そんな光景を目にすれば事実を捻じって記憶してしまうのも無理はない――いや京子は記憶すらしていない。彼女の心は、自身が壊れるのを回避するために過去を遮断した。だから京子は自分がどうして家出したのか、その理由を知らない。
「知れば、心が壊れるから、か……」
 あの廃ビルでやけに気丈だったのは、体が【負の簒奪者】を覚えていたからか。記憶を歪めても、惨劇の事実を体が覚えていた。だから異常な事態にも耐性があった。
「……どうやったって、元いた場所に戻せないだろ、それじゃあ」
 もう京子の家族はいないのだ。
「――失礼します、先輩」
 と、祐一の思考を遮る声がした。
 見れば佳澄が祐一の前に立っていた。あまりに思考に没頭していて気付かなかった。
「楠野、どうしたんだ?」
「昼食がまだなので、もしよければご一緒したいと思いまして」
「……」
 またそうやって疑いを深めるようなことをする。
「先輩は何かあると屋上にいるので、来てみれば案の定でした」
「そりゃ屋上は人気ないからな。楠野は暑くないか? もし暑いなら移動するけど」
「私は大丈夫です。このくらいは暑い内に入りません。先輩こそ大丈夫ですか?」
「俺の『チカラ』は知ってるだろ? だからむしろ涼しいくらいだ」
「利便性の高い能力ですね。――では隣に失礼します」
 ちょこん、と佳澄は祐一の隣のベンチに腰を下ろした。
 佳澄は持ってきた包みをほどいて、中から弁当箱を取り出す。幼稚園くらいの女の子がよく使っているような感じの弁当箱だった。小さくて、蓋には可愛い女の子のイラストが描かれている。
「ファンシーな弁当箱だな」
「これが前に言っていた『いもメイ』の、弁当箱です。ちなみにこの女の子はメインヒロインの新篠胡桃(あらしのくるみ)です。可愛いと思いませんか?」
「……」
 そう来るとは思わなかった。
「ちなみにクルルンこと新篠胡桃は私の嫁ですので、先輩であっても譲れません」
 何を言っているのかよく分からなかった。
 嫁……ってなんなんだ? 佳澄の嫁? ……???
 祐一が頭上に疑問符を一ダースほど乱舞させている内に佳澄が弁当箱の蓋を開ける。すると卵と肉そぼろの二色ご飯が姿を現した。
「へー。結構いいモンが入っているな。楠野が作ったのか、これ?」
「はい。私は自分のお弁当は自分で作るので」
 いただきます、とスプーンを取り出して佳澄も食べ始める。
 遠くからセミの鳴く声が聞こえてくる。たまに屋上に風が吹いては、直射日光に炙られる肌を撫でてくれる。巨大な入道雲が空を流れていた。
「先輩も食べますか?」
 と、佳澄がスプーンで一口分、二色ご飯をすくって、祐一を見上げていた。
「え……?」
「先輩はいつもコンビニ弁当などで食事を済ませています。それだとダメです。もっと別のも食べた方がいいと思います。ですので、一口食べますか?」
 何かに期待しているような顔で佳澄が見上げてくる。
「……」
 佳澄は間接キスだとかそういうのはあまり気にしないタイプなのだろうか。それにしては、食べさせてやろう、という意図が言葉の端からビシビシ伝わってくる。
 でもここで断るのも悪い気がするし、祐一はありがたく貰うことにした。
「先輩、あーん、してください」
「……マジか」
「あーん、しないと食べられません。はい、あーん」
 どう見てもイチャイチャしてる恋人同士だが、どうせ周りには誰もいない。
 後輩に食べさせてもらう、というシチェーションがやけに恥ずかしいが。
「あーん」
 祐一は口を開いた。ぐいっ、とスプーンが押し込まれた。
 口の中に卵のふんわりした触感と、肉の絶妙な味加減が広がる。米がちょっと硬いがそれはご愛嬌。めちゃくちゃ美味い。味わいながら祐一は感動していた。
「どうですか? お口に合いましたか?」
「超うめぇ。楠野、料理の才能あるぞ」
 ゴクン、と飲み込んで祐一は思ったことを素直に口にした。
 佳澄はちょっとだけ口の端を緩ませた。褒められてもあまり表情が変化しないのは佳澄らしいといえばらしいが、それでも喜んでいるのが祐一にも分かった。
「ありがとうございます、先輩」
 学校で五本指に入る美少女のお手製の弁当を、二人っきりの空間で、彼女直々に「あーん」させてもらって、ついでに間接キスというシチェーションはまず滅多にないな、と祐一は思った。ファンクラブの連中が見れば、丑三つ時に血の涙を流しながら呪いの人形で祐一を呪い殺そうとするだろう。
 本当にここに誰もいなくてよかった――。
『マスター、何イチャついているのですか』
「どわああああっ! ……ってダリウスかよ」
 フェンスの向こうの空中にダリウスが浮かんでいた。
「なんでお前はこんなところにいるんだよ?」
『マスターこそ何故屋上にいるのです? 佳澄様とイチャついて弁当を食べるつもりだったからですか』
「たまたまです。私が屋上でお弁当を食べようとしたら先に先輩がいて、折角なので一緒に食べていただけです」
 隣から佳澄の弁解が飛ぶ。祐一が聞かれていたのに。
『たまたま、で「あーん」ですか? 仲が良さそうで羨ましい話です』
「皮肉んな。お前はお前でどうして学校に来たのか教えろよ。他の連中からはお前の姿が見えないからって……別に忘れ物した覚えもないぞ」
『マスターの家に京子様がいるから動きにくいのです』
「……だから逃げ出してきた?」
『はい。マスター、夜にでも京子様に説得をお願いします。視界に入らないように逃げ続けるのも骨が折れるんですよ、これでも』
「あー、分かった。なんとかしてみる」
『よろしくお願いします』
 用はそれだけだったのか、ダリウスは祐一と佳澄に頭を下げて、八坂家のある方向へと飛んでいった。直々に言いに来る辺り、かなり辟易しているらしい。
「ダリウスさんも大変ですね」
「アイツはあのくらい苦労した方がちょうどいい。普段から何かと俺に対して嫌みのような皮肉をしてくるからな」
「確かに小悪魔みたいな性格してますし」
「アレの場合、小悪魔、というより、見た目からして本物の悪魔の類だけどな」
 未だにダリウスのことはよく分かっていない。
 ただの『契約』関係の仲なのだから、知る必要はないといえばない。でも普通の【負の簒奪者】ではないことは確かなのだ。
 ――それに。
 祐一はダリウスが飛んでいった方向をずっと見つめていた。
 ダリウスの性格や喋り方が、祐一の思い出を針のように突き刺してくる。柔らかで温かい記憶を遮るようにチクチクと。


『おや、京子様はお出かけですか?』
 家に戻ってきたダリウスは八坂家に朝倉京子の姿がないことに気付く。
 ダリウスが家を出る前はリビングのソファーに寝転がりながらだらしなくテレビを眺めていたはずなのだが、あまりにも暇になったから出かけたのかもしれない。
 ともあれ、これでようやく家事ができるようになった。
 京子がリビングに陣取っていたのでダリウスはまともに家事ができなかった。彼女が帰ってくることを想定して、食器洗いやらリビングの掃除、洗濯を済ませてしまいたい。
 手始めに食器から片付けることにする。
 スポンジを泡立てて食器をガチャガチャと洗っていく。祐一には「お前が皿洗いをしている以上のシュールな光景を俺は知らない」など腹を抱えて笑われたこともある。確かに死神が皿洗いをしているのは珍しい。
 だからといって笑われるのは癪である。一応、自分は女なのだから、食器を洗うのは何も変ではないはずだ。それは家事全般にいえるが。
 食器を洗い終えると、今度はリビングの掃除に取りかかる。
 箒で掃いて、モップ掛けする。ゴミ箱の中身をまとめて一つにして、家の外の小屋へと置いてくる。テーブルや棚に埃が溜まっていたので雑巾で拭く。
 考えれば考えるほど自分が何をしているのか分からなくなる時がダリウスにはある。
 雑巾で棚を拭きながら、考え込む。
 ――契約だ。俺はお前の瞳を探す、お前は俺が瞳を探し出したら『黄泉返り』をする。
 自分は【負の簒奪者】だ。生きとし生ける者を脅かし、蝕み、刈り取ることを目的とする純悪な存在だ。なのに、刈り取るべき対象の人間と一緒の生活をしている。
 ただの相互間といえばそこまでだ。祐一は自分に『黄泉返り』を要求して、自分は祐一に『瞳』を要求する。ただ、それだけの関係だ。
 互いの要求を満たし終わった時、どうなるかは分からない。
 もう互いに干渉することがなくなるのか、あるいは――殺し合うことになるのか。
 ダリウスの記憶はほとんどないといっていい。あの廃工場で祐一と会うまでは何をしていたのかさえ思い出せない。まるで初めてこの世界に産み落とされた場所が、あのジメジメとして淀んだ空気の漂う廃工場だったかのように。
 そこで、ダリウスは祐一と会った。
 ――と、いつの間にか掃除は終わっていた。
 思考に没頭していても体がそれを覚えていたようだ。すっかり八坂家での生活が習慣となっていたことにダリウスは自嘲の笑みを浮かべた。頬肉がないので傍から見ればまるで分からないが。
『せっかくだからマスターの部屋でも掃除してやりますか。ついでにエロ本の捜索でもしてみますか。リビングに晒しておいて京子様に見せてやるのも面白いかもしれません』
 などと嫌がらせのようなことを考えながらダリウスは祐一の部屋に向かった。
 ダリウスはあまり祐一の部屋に入ったことがない。
「せめて自分の部屋ぐらいは一人にさせてくれ」
 と祐一が言うのだ。それでも最近は部屋の主の、朝の目覚めが悪いので強制突入を余儀なくしている。だがじっくりと観察したことはない。
『というわけで失礼します』
 誰に言うのでもなく呟いてダリウスは祐一の部屋に入った。
 祐一の部屋は一見して簡素だ。実用性一点張りの面白みのない部屋だった。ベッドがあり、机があり、タンスがあり、本棚があり、コンポがあるくらいだ。その本棚とコンポはしばらく使われた形跡がなく、埃が積もっていた。
 壁にグラビアアイドルの写真が飾っているわけでもなく、ベッドの下にエロ本専用の秘密基地があるわけでもなく、とにかく乾燥しきった部屋だ。
『さて、掃除という名の探索でも始めますか』
 ダリウスはさっそく祐一の勉強机に向かった。
 机の上は綺麗に整理整頓されていて掃除する必要もなかった。無駄にマメな祐一の性格だから机の上でさえも汚れているのが嫌なのだろう。
 机の上には写真立てが飾られていた。
 誰が映っているのか興味が湧いたダリウスは写真立てを手に取って、空っぽの眼窩でマジマジと見てみる。
 写真に写っているのは三人。祐一と佳澄、それから見たことのない少女が一人。
 誰かを祝っていたのか、三人はやけに笑顔だった。
 真ん中の祐一の笑顔は今更だが、右の佳澄がここまで笑っているのをダリウスは見たことがなかった。そして左に映る謎の少女。
 祐一や佳澄よりも年上のようだ。凛とした美貌だが、笑うとやけに愛嬌がある。祐一の肩に手を回してやけに馴れ馴れしい。
 ――何故か。
 ダリウスはその顔の見たこともない少女を、誰よりも知っているような気がした。
 彼女を見ていると、あるはずのない胸が疼痛を伝えてくる。心をズタズタに引き裂かれそうな、どうしようもない感覚に、ダリウスはその場から動けなくなった。
 写真立てには、題名が刻まれていた。
『祝・「トップオブエース」! 辻崎美依里(つじさきみより)』


 辺りはすっかり暗くなっていて、街灯がなければひたすらに闇夜が広がる。
 祐一は今日も見つかるはずのない「目玉探し」を終わらせて、佳澄と別れた後、昨日と同じ廃ビルを訪れていた。昨日と違う点は、武器を持ってきていることである。
 佳澄同様に、目立たないように竹刀袋に収めた正真正銘の日本刀である。
 昨日は京子のせいでまともに探索ができなかったので、改めて訪れたという次第だ。
「…………」
 ビルを見上げる祐一は何か違和感があることに気付いた。
 昨日とは違い【負の臭い】が濃厚だった。建物へと入らなくても内部に【負の簒奪者】どもが無数にたむろっているのが匂いだけで分かる。それだけ大量にいるのだ。
「武器を持ってきて正解だったな」
 昨日殺した死骸を貪りに来ただけでは説明がつかない。
 ――ダリウスの瞳がある。
 祐一の中でそれはほとんど確信に近かった。
【負の簒奪者】の中でも上位個体であるダリウス。その瞳を求めて、有象無象の雑魚どもがこの廃ビルに集まってきているのだ。
「駆除がてらに探索といくか」
 どんなに集まろうと雑魚は雑魚だ。祐一は気楽に構えていた――この時点では。
 竹刀袋をほどき、鞘を取り出す。
 京子にダリウスが見えていたのは、恐らくダリウスの瞳の干渉があったからだ。
 ここに大量の【負の簒奪者】どもが集まっているのも、ここに住んでいた京子にダリウスの姿が見えていたのもすべてそれで解決できる。
 と、
「みゃあああああああああああああっ!」
 ビル内部から女の悲鳴が聞こえた。
 祐一は呆気に取られる。どうしてこんなオンボロのビルから女の悲鳴が聞こえるのか。
 しかも、耳に届いた声をよくよく思い出すと、朝倉京子のものに聞こえる。
「なんでアイツはここに戻ってきてるんだよ!」
 優著に構えている余裕はなくなった。
 意味が分からないが、またビルに戻ってきた京子が悲鳴を上げている。【負の簒奪者】に襲われているのだ。京子の身が危なかった。
 祐一は悲鳴を辿るようにビルへと駆けていった。
 ビル内部は真っ暗だった。電気など通っているはずがなく、目が慣れるまではひたすら無明の世界が続く。
 目が慣れるのを待っている場合ではない。祐一は日本刀を鞘から抜き放ち概念を付加する。刀身が淡く輝いた。これならばかろうじて見える。
「朝倉ぁっ! どこだ! 聞こえるなら返事しろ!」
 もう悲鳴は聞こえない。
 右か左か、奥か手前か、上かさらに上の階か、見当がつかない。
「聞こえてんだろ! 朝倉。返事しろ!」
 もう一度叫ぶ。ただ祐一の声が反射するだけで、京子からのSOSはない。
 ――もう手遅れか。
 嫌な予感が胸中をよぎる。それを振り払うように祐一は走り出す。
 とにかく探せ。足を止めて叫ぶ暇があったら、走り回って姿を探せ。
 むっ、と連中の匂いが濃くなった気がした。連中が集まっている場所があるらしい。手掛かりはそれしかない。祐一は嗅覚を頼りに廊下を駆け抜ける。
 視界の端に【負の簒奪者】らしき影が映る。雑魚に構っている暇はない。一刀のもとに斬り伏せる。火花が爆ぜるような音がして雑魚どもが無に還る。
「朝倉ぁっ!」
 ――カラン。
 祐一は小さく聞こえた物音を聞き逃さなかった。
「朝倉! そっちにいるのか!」
 濃密で濃厚な腐臭が辺りに漂っている。呼吸するたびに肺が冒されそうな感覚。こんな状況は祐一にとっても数えるくらいしかない。
 空気だけで生物を蝕むほどの濃密な腐臭など、まるであの時の――。
 あの「冥府の王の右腕」の時の――。
 大切な者が全て奪われた最悪の任務の――。
 祐一は首を振る。今は過去を思う場合ではない。危険な目に合っている少女を助けないといけない場合だ。目を向けるべきは眼前の闇だ。
 祐一は二階の一番奥の事務室へと飛び込んだ。
 百を超える赤い目と、目があった。
「――な、にっ!」
 事務室内は数えきれないほどの【負の簒奪者】で埋まっていた。床に、壁に、天井に、空中に、視界を遮るほどの超密度でソイツらはこの事務室内でじっとしていた。
 その奥。
 押し殺された悲鳴が聞こえた。
「朝倉っ!」
 無数のバケモノに囲まれるように京子がいた。全身を影のようなモノで拘束されて、口を影に塞がれていた。京子に絡まる影そのものが一体の【負の簒奪者】だった。
 影のソイツは周囲の連中よりも上位の存在のようで、他の【負の簒奪者】は影が京子を蝕む様子をじっと眺めている。さながら邪教の儀式のような光景だ。
「朝倉しっかりしろ!」
 祐一の前に塞がるバケモノどもの肉の壁。
 刀を真横に一閃させるが殺せるのはせいぜい三体。京子には辿り着けない。殺された仲間のスペースを埋めるように他の【負の簒奪者】がなだれ込んでくる。
「どけ、てめぇらぁっ!」
 さらに一閃。だが無意味だった。斬っても斬っても湧いて出てくる。
 祐一が苦戦している間にも影は京子を侵食する。
 必死に抵抗する京子の唇の間を割って影が流れ込む。未知の不快さに京子が目を見開いて手足を痙攣させる。だが手足が影に固定されているので満足に拒絶反応も起こせない。目に涙を浮かべて、ただ必死に首を左右に振って抵抗する京子。
 縄のように影が京子の体を縛り上げている。もがく京子のボディラインがはっきりと浮かび上がる。影は京子を犯すかのように服の隙間へも流れ込んでいく。
 京子の悲痛な呻き声が祐一を焦らせる。
 行く手を遮る【負の簒奪者】どもを何度も斬り捨て、斬り払い、斬り殺しても祐一は突破口を見いだせない。圧倒的な質量が立ち塞がる。
 だから祐一は渾身の力で、数体をまとめて両断する。
 刹那だけ見える、京子と彼女の体を覆う【負の簒奪者】。
 その刹那で十分だった。
 祐一は京子に絡み付く【負の簒奪者】の影を『複写』する。
 かつて「死の雪」を全身に浴びた祐一が、激烈な苦痛と引き換えに手に入れた異常の異能。相手の能力を自身に写し取り、その特異性を自分のものにしてしまう『コピーペースト』。その特性は自身のカタチさえも自在に変化させることが可能。
 影という特性を自身に付着させた祐一の体が真っ暗に染まる。ズルリ、とまるで粘性の液体のように祐一の体が伸長して、刹那だけ開いたバケモノどもの壁をすり抜ける。
「居候を返してもらうぞ」
 祐一の刀は、京子に絡み付く影を両断した。
 イギィィィィ、と耳を塞ぎたくなるような悲鳴を上げて影の【負の簒奪者】は死滅した。影から解放された京子はぐったりとその場に倒れた。
「朝倉。しっかりしろっ!」
 目を見開いた京子は身体をビクビクと痙攣させたままだった。
 最悪の状況は打破したが、最低の状況には変わりない。未だに祐一と京子は【負の簒奪者】どもの只中にいるのだから。
 京子が無事なのか確認したかったが、そんなことをすれば後ろから攻撃されるだけだ。
 と、京子の握りしめていた手から何かが落ちる。
 コロコロと傾いた床に逆らうことなく、何かは【負の簒奪者】どもへと転がっていく。祐一の目には黒真珠のような何かに見えた。黒い球状の――、
「まさか、あれがダリウスのっ!」
 瞳か!
 祐一の叫びは黒い球体の不気味な輝きに掻き消された。
 今までとはケタ違いの腐臭が黒い球から撒き散らされる。元々【負の属性】である【負の簒奪者】でさえもその濃度に耐えきれず、その体が腐り落ちていく。この世のものとは思えない悲鳴を上げて、次々に異形の姿が解け腐れる。
 咄嗟に祐一は刀の刃先で自分と京子を囲うように床に傷を付ける。それが結界だった。結界を展開した瞬間、腐敗の濁流が結界を襲う。表面があっという間に腐り爛れる。盾を三重にしておいて正解だった。
 二層目が腐れ溶けた瞬間に、祐一はさらに分厚い結界を展開していた。
 結界内部から祐一は、有機物無機物問わずに汚らしい粘液になっていくのを見ていた。【負の簒奪者】はもちろん、部屋の中の机やらロッカーやらもあっという間に形を失う。
 床に、壁にヒビが入る。結界に巨大な亀裂が生まれる。
「やべっ!」
 祐一は結界を『複写』して自身にペーストする。結界が崩壊する前に京子を持ち上げてその華奢な体を抱きしめる。こうすれば京子は結界に包まれているのと同じ効果を得る。だが祐一は、自分たちを守っていた結界が壊れた瞬間に莫大な腐臭に晒された。
 まるで硫酸を被ったように祐一の全身がジュワっ、と焼ける。
 激痛で動けなくなる前に、祐一は京子を抱きかかえて全力退避していた。
 ――なんだよあのデタラメな腐臭は!
 規格外もいいところだった。同族さえ殺してしまう膨大な臭いの塊など異常どころの騒ぎではない。
 ビルが重心を崩して大きく傾いた。
 ただでさえ古くなって朽ちていたビルは、自重を支えきることができなかった。
 夜に似つかない轟音と共に倒壊する。祐一と京子は崩壊のまさに一歩前で屋外へと脱出できた。吹き飛ぶ瓦礫に注意しながら、さらに離れる。
 舞い上がる粉塵が視界を遮り、轟音が聴覚を狂わせる。
 安全な距離まで下がってから、辺りが落ち着くまで祐一はずっと京子を庇うように身を低くしていた。
 やがて、辺りにまた静寂が戻ってくる。
「くそっ! なんなんだよ一体」
 悪態をつきながらポケットから携帯電話を取り出す。自分だけで解決できるような問題ではない。コール先は『仕事』仲間の佳澄だった。
 数コールの後、
「はい、もしもし」
 佳澄が電話に出てくれる。すぐに電話に出てくれたことに安堵する暇なく、祐一は一言で電話を済ませた。
「緊急事態だ」
「――分かりました。可及的速やかにそちらに向かいます。場所のデータをこっちに送ってください」
 祐一や佳澄の携帯電話はいざという時の連絡のために互いの所在地を一瞬で伝えられるようになっている。佳澄の携帯に自身の場所のデータを送って、祐一はその場に座り込んだ。あの腐臭を浴びたせいで眩暈と頭痛が襲ってくる。
 体全身がズキズキと痛む。掠っただけなのに――しかも結界属性を付加していて、この破壊力である。対応が少しでも遅れていたらどうなっていたのか。
 京子はまだ気を失ったままだった。
 呼吸はしているようで胸は上下に動くが、だからといって無事と決まったわけではない。【負の簒奪者】に侵食寸前まで襲われていたのだ。祐一の到着がもう少し遅れていれば両親と同じ目に遭っていたかもしれない。
「おい、朝倉。起きてるか?」
「…………」
 無反応。呻き声の一つも出さない。
 もしかしてかなりまずい状態なんじゃないか、と祐一が危ぶんだその時。
 倒壊して瓦礫の山と化したビルから、ガラ、と音がした。
 まるで影のカタチをした何かが立ち上がっていた。
 祐一は京子の周囲の安全を確認して、刀を拾い上げる。
 京子の身も心配だが、今は目の前の脅威を排除するのが優先だ。痛みと疲労を訴える体に鞭を打ち、祐一はソイツを睨む。
 あの異常な腐臭の中で生きられる【負の簒奪者】はいない。
 なら、瓦礫から起き上がってこちらを赤い双眸でじっと見つめてくるあの影はなんなのか。異常な環境が生み出した異常なバケモノ以外に考えられない。
 ソイツは口を円弧に歪めて血色の三日月を浮かべた。
 全身が不定形の影で、まるで厚みが感じられない。
「さっき俺が斬り捨てたアイツの突然変異種か……?」
 祐一はゆらりと刀を構える。今までの経験が伝えてくる。
 アイツは今まで戦ってきた【負の簒奪者】とは別格だ、と。


「汝が見据える我は恐るるに足る存在かえ?」
 流暢な言語で、不可解な疑問を発する影の【負の簒奪者】。
「汝が敵視する我は高位なる者ぞ。汝は恐れ震え慄け。汝は我に殺される定めなり」
「なにグタグタ喋ってんだよ。会話する気ゼロだろ」
 祐一とソイツとの距離は十数メートル。祐一にとって数歩で埋められる距離だ。隙を見つけて距離を詰め、面倒にならないうちに一気に仕留めたい――普通の【負の簒奪者】ならば。
「汝との会話は興が覚める。汝は我を楽しませる資質が足りぬぞ」
 紙のように薄っぺらな体をくねらせてソイツは嗤う。
 悪意もなければ敵意も感じられない、だが狂気だけが十全に満ち足りている狂笑。
「黙れよ。今にぶった斬ってやるからそこで――っ!」
 影が蠕動する。滑らかな動きでソイツの手が祐一へと伸びた。手の先を鋭く尖らせて祐一の眉間を狙う。半端な飛び道具よりも強力な勢いで迫る影の手を、祐一は刀の側面で滑らせて受け流す。火花が散った。
 凄まじい硬度と鋭利さだった。影という次元の攻撃ではない。
「汝が剣術は奇怪なり。汝に放った攻撃が外れるとはいとおかしかな」
「奇怪なのはてめぇだよ。それに言葉の意味分かって言ってんのかよ? どこがいとおかしだ。風情があるようにはまったく見えねえけどな」
 さらにソイツのもう片方の手も伸長して、そちらは鉈のような形状で祐一の腹部を横薙ぎにする。
 水平線上で避けても影が伸長して直撃するだけだ。
 祐一は鉈の一撃を刃で受け止める。全身の骨が軋んだ。
「っ! なんつー馬鹿力だっ!」
 金属同士がぶつかり合う音が爆ぜて、祐一は遥か後方へと吹き飛ばされた。空中で受け身を取り、足と刀で地面に自身を縫い止める。
 顔を上げた瞬間、高速で迫ってくる影が見えた。
 まともにぶつかり合っても不利なだけだ。祐一は影の【負の簒奪者】の特徴である「影」を自身にコピーしようとする。
 が、『複写』しようと狙いを定めるも、能力のコピーをするまでの、そのわずかなラグの間に敵は移動してしまう。常に動き回っているから祐一は狙いを定めることができない。
 無理矢理『複写』したところで何か別のモノを自分へ写し取ってしまうだけだ。
「くそっ!」
 祐一の能力が通用しない。
「汝が想定外の我は上位なる【負の簒奪者】ぞ。汝へと我は語る。汝が敵対する我らは【負の簒奪者】にあらず――我らは『ネクロアビス』なり」
 初めて聞くその名は、過去に戦った「冥府の王の右腕」を何故か彷彿とさせた。
『ネクロアビス』と名乗る影のソイツは腕を鞭のようにしならせて、祐一の肩を狙う。
 敵の攻撃の軌道を見切った祐一は刀で鞭を弾いて、虚を突かれるソイツに一気に肉薄。居合の要領で、横薙ぎに必殺の一撃を叩き込む。
 ニィ、とソイツの笑みが深まった。
 ガキィンと祐一の刀が弾かれる。手から刀が飛んだ。確かにソイツの胴体を直撃した刀は、あまりの硬度に切り裂くことさえ敵わなかった。
「汝の剣は、我にはなまくらと同義よ」
【負の簒奪者】を殺すために特化したはずの、『狩り』の概念を付加した武器が『ネクロアビス』には通用しない。ショックを受ける暇なく、隙だらけの祐一に影の槍が殺到。
 腹部に灼熱。目の奥に火花が散った。
 祐一の腹を貫通した無数の槍はそれだけでは飽き足らず、串刺しにした体を軽々と持ち上げて、激痛に顔を歪ませる祐一を投げ捨てた。
「あ、がぁっ!」
 受け身すら取れずに祐一は地面に叩きつけられる。
 すぐに立ち上がろうとして――祐一の体は思うように動かなかった。激痛で視界が暗転しそうになる。ドクドクと血の流れる腹が熱い。指先から血の気が引いていくのが分かった。
 立ち上がらないと。
 立ち上がって反撃しないと。
 意識だけが空回りして、動かない体を軋ませる。
「汝の負けか? 汝は我が思っていたよりも弱きことよ」
 ソイツの耳障りな声が聞こえる。
 ダリウスのような物理的に耳障りな声ではなく、祐一の心を抉るような耳障りな声。
 ――まるであの時と同じだった。
 もうあの時のような思いをするのが嫌だから強くなろうと決めたはずなのに、今こうして無様に転がっている。「アイツ」とは全く関係ない場所で、「アイツ」には遠く及ばない程度の強さしかない影の『ネクロアビス』に殺されそうになっている。
 未熟で、無様で、反吐が出そうだった。
 でも出てくるのは血反吐。口の周りを赤く濡らすだけ。
「汝が体は、我が首を斬り落としたら有効に利用してやろうぞ。汝の体で町を歩き、殺戮を展開してみるのもおかしかな」
 うるさい。
 目の前で騒ぐ声がうるさい。
 ほどけそうになる意識を無理矢理束ねて、目を見開く。
 血の流れ続ける腹を手で押さえて上体を起こす。痛みならそれを越える激情で耐えればいい。活動飽和にはまだ遠い。
 嘆くのはまだだ。
 腕が千切れて、足がもげて、血反吐を撒き散らしながら絶望してからだ。
 この程度、自分への怒りでどうとでもなる。
 祐一は再び起き上がった。が、自分が平行に立っているかも分からず、膝がガクガクと震えているくらいには致命傷だった。
「俺はな……より姉との約束があるんだよ。てめぇ程度の存在に苦戦している場合じゃねえんだ。ダリウスの瞳を集めて、『黄泉帰り』をして……またより姉に会うまで死ねねぇんだよ。だから、てめえの持っているその玉、よこせよ」
 武器は祐一の遥か前方、『ネクロアビス』の後ろ。
 満身創痍の丸腰もいいところだった。
「汝も諦めが悪い。汝を見ていると我は不快になる」
「知るか。俺はてめえみたいな雑魚に立ち止まっている暇はこれっぽっちもありゃあしないんだよ」
 祐一は転がる刀を『複写』して、自身に付加する。
 これで祐一の手刀は本物の刀の切れ味と同じになる。だが、さっきあの刀で弾かれたのだ。また斬りつけても同じことだ。今度は腕が折れるかもしれない。
「汝が言う雑魚に、汝は負けるのだぞ」
「まだ勝負は決まってねえだろ。どこに目をつけてんだ。俺の首を落として、ようやく勝ちだろうが」
「汝の言う通りにしよう」
「来いよ。返り討ちにしてやるからよ」
 グニャリ、とソイツの影が歪む。
 何度も霞む視界を無理矢理鮮明にさせる。見失ったら終わりだ。ただでさえヤツは周りと同じ闇色をしているのだ。霞んだ視界だと完全にその姿が掻き消える。
 まるで冗談のような速度でソイツが祐一に接近した。
 影が風船のように大きく膨らみ、大きく二つに割れる。
 それは巨大な顎だった。祐一など丸呑みにできるほどの。開け放った口腔は血の色で濡れていた。鋭い牙が何層にも重なって、祐一を喰い千切ろうと迫る。
「うおああああああああああっ!」
 絶叫しながら祐一は腕を一閃させた。
 ギイィン、とソイツに刃が通る。鋼の音を響かせて、斬り裂いた巨大な顎の一部から腐臭が噴き出す。
 でもそれだけだった。敵の勢いは止まらない。
 眼前に迫る鋭利な歯の群れ。
 ――死ぬのか、俺。
 やけに空虚な気持ちで祐一は思った。走馬灯なんかが見えるかと思ったが、そんなこともなかった。ただ、いろいろと思うことだけが胸の中で燻った。
 学校の友達を悲しませるだろうし、機関の人にも迷惑をかけてしまう。
 佳澄を一人にさせてしまうし、このまま自分が死ねば京子にも危険が迫る。
 ダリウスも行く当てを失うだろう。
 美依里との約束も守ることができない。この絶望的な状況において、美依里の笑顔が最後に浮かんだ。
 自分の生死よりも、他人との繋がりが心残りだった。
 せめて、最後にあの声を聞きたかったのだが――もう叶わない。
『自殺願望を実現させるのは勝手ですが、私を捨てて死ぬなど許しませんよマスター』
 もう叶わないと思っていたのに。
 鋭く擦れ合う鋼の音が祐一の耳朶を震わせる。
「なんでお前がここにいるんだよ……」
『マスターがどこの馬の骨とも知れない野良モノに殺されそうになっているからです』
 黒衣から取り出した巨大な処刑鎌で、顎を受け止めたダリウスが言った。


「汝は何者ぞ。汝が庇うその後ろの者を我は殺そうとしているのが見えぬのか」
『貴方こそ私が、私の後ろで情けなく無様にやられている彼を守ろうとしているのが見えないのですか? それと現在時刻は九時を回ったところです』
 そっちの「何時」じゃねえよと突っ込む気力さえ祐一にはなかった。
 巨大な顎を鎌で受け止めながらダリウスは、ちらりと祐一を見やった。
『なんとか生きているようですね。まったく情けない。それでも一時的に私を従える【狩人】ですか。何に苦戦したかは知りませんが、もっとシャキっとしてください』
「俺に話しかけるより、目の前のソイツをまずなんとかしろ……」
『そのくらい喋れるようなら放っておいてもしばらくは死ななさそうですね』
 ダリウスは巨大な顎を横へと受け流して、処刑鎌を構え直す。
 顎は地面を削岩機のように削り取りながら旋回、ダリウスと祐一から十分に距離を開けた位置で、元の人型の影に戻る。
「汝が何者なのか、我は再度尋ねよう。汝、名を名乗れ」
『八坂祐一』
「おい、でたらめ言うな」
『――に一時的に仕えている【負の簒奪者】、ダリウスです』
 ダリウスの説明が不可解だったのか、影の体を捻じりながらソイツが首を傾げる。
「汝は我と同類であろうに何ゆえ【狩人】に味方をしている?」
『そこまで話してやる義理はありません』
 言うや否や、ダリウスが大鎌を振り上げてソイツへと一気に飛び込む。振り上げられた鎌は闇色を吸いこんで、刃の軌道を隠す。ダリウスは一撃即死の刃を振り下ろした。
 影の『ネクロアビス』は両腕を交差させて影を肥大化。巨大な盾へと変化させてダリウスの鎌を受け止める姿勢だった。
 ――弾かれる!
 遠くから一連の動きを見ていた祐一はそう思った。
 だが弾かれたのは影の『ネクロアビス』の方だった。ダリウスの攻撃を抑えることができたのだが、凄まじい勢いで振り下ろされた鎌の破壊力まではどうしようもできず、その両足が地面にめり込む。影の盾が大きくひび割れた。
『この程度の攻撃さえ抑えきれないとは程度が知れますね』
「汝が攻撃は、我の予想を上回る! 汝は本当に我と同じ存在か?」
『勝手に同じモノに含まないでほしいものです。見て分からないのですか?』
 鎌の先端が盾を貫通して突き刺さっていた。ダリウスがさらに力を込めると盾は粉々に砕け散った。その勢いのままで影の体を両断――はできなかった。
 影はグミのようにグニャリと形を失って、ダリウスの大鎌の一撃は空を切る。
「汝をそのまま串刺しにしてやろうぞ!」
 形を失った影は無数の槍へと形状を変えてダリウスの頭や腕、腹部を狙う。
『そんな力を分散した攻撃では――』
 無造作にダリウスは大鎌を一振り。
 それだけで槍の群れは全て粉々に砕け散った。
『――私の鎌に弾かれて砕けるのが関の山です。と言ってももう遅いですが』
 影の『ネクロアビス』の悲痛な叫びを背景に、ダリウスは黒甲冑の手を振り上げて、激痛に苛むソイツの体へと捻じ込んだ。
『私の瞳の気配を感じてきてみれば、どことも知れない野良モノがそれを持って暴れています。ならば奪い返してやるのが私の権利であり義務でしょう』
 ブチブチと硬い繊維を引き千切るような音と共にダリウスの腕が引き抜かれる。
 耳を塞ぎたくなるような断末魔が廃墟に木霊する。
 べっとりした黒い体液を滴らせながら引き抜かれたダリウスの手の中には、黒真珠のような小さな粒があった。
『これは私の所有物です。返してもらいます』
 祐一は唖然としてダリウスの圧倒的な戦闘力を眺めることしかできなかった。
 自分ではまったく歯が立たなかったのに、ダリウスはまるで赤子の手を捻るような軽さで影の『ネクロアビス』をあっという間に撃破してしまった。
 瀕死のソイツは一目散に背の高い草むらへと逃げ込んでしまう。
「おい、アイツが逃げたぞ」
『私がとどめを刺すまでもありません』
 瞳を取り返せればそれで満足だったダリウスは、死にかけの【負の簒奪者】への興味を失ったようだ。手に持つ自分の瞳をじっと見つめていた。
「なんで俺がここにいるって分かったんだよ?」
『私の匂いがしたので、飛んできてみればたまたまマスターが戦闘中だっただけです』
 黒衣に大鎌と黒真珠らしきものをしまいこんだダリウスは、祐一へと飛び寄ってくる。
 安堵した反動で落ちてしまいそうな意識の中、祐一は恩人(?)を見上げた。
「匂い……? っ、ぐぅっ!」
 祐一は喉の奥からせり上がってきた血の塊をぶち撒ける。
『細かいことは後回しです。マスター、とりあえず家に戻りましょう。治療が先決です』
「俺よりも朝倉を先に連れて行ってやれ……。俺はまだ意識を保っていられる」
『京子様もここにいるのですか?』
 ダリウスは暗闇へと目を向ける。
 まともに明かりのない夜だ。周囲はほとんど見えないといっても過言ではない。そんな状況で少女一人を探すのは難しい話だ。
「彼女なら無事です」
 夜の闇を切り裂くような澄んだ声で、遠くから佳澄が答えた。
 億劫に祐一は声の方に視線をやると、京子を背負った佳澄が重そうに足を引きずりながら、こちらへと歩いて来るところだった。
「向こうの草むらで倒れていました。ですが命に別状はないようです」
「悪い、楠野。迷惑かけて……」
「逃げた【負の簒奪者】の止めは刺しておきました。両断したので復活することはないはずです。――傷は深いようですね。一刻も早くケガの手当を――」
 急に佳澄の声が遠くなった。
 佳澄の姿が二重にブレたかと思うと、視界が暗転する。意識をしっかり保て、と自分に言い聞かせる前に祐一の意識は暗闇へと吸い込まれた。


 三章 「恋慕の褥に愛歌の散華」


 意識を取り戻した自分に最初に見舞いにきてくれたのは彼女だった。
 茫然自失で、これからのことも考えられない自分は、現実の理不尽を彼女にぶつけた。身近にあった花瓶を、あろうことか彼女に投げつけたのだ。
 彼女は避けなかった。
 彼女の顔面を直撃した花瓶は割れ砕け、花は折れ、水は盛大に跳ねた。
 それで頭が醒めた。額から血を流す彼女は怒った様子もなく、ただ静かに。
 ――落ち着いた? 私だから良かったけど、他の人にこんなことしちゃダメだよ。
 ハンカチを取り出して流れる血と跳ねた水を拭く彼女。
 自分はその間、何度も彼女に頭を下げた。いいのよ、と彼女は笑う。自分の卑屈さがとても惨めに思えるくらい彼女は寛容だった。
 それが自分――八坂祐一と、彼女――辻崎美依里との最初の出会いだった。


 意識を取り戻した祐一が目を開けると、佳澄の顔が触れ合う寸前まで接近していた。
「――っ! せ、先輩……気が付きましたか……」
 大きく目を見開いて佳澄の顔が後退する。佳澄にしては珍しく、かなり焦っているようだった。普段の淀みない口調から考えられないくらいしどろもどろだ。
「ああ……、今はいつだ?」
「え、あ、先輩が気を失ってから丸一日過ぎました……」
「丸一日、か」
 漫然と祐一は部屋の時計を見やった。時刻は十時過ぎ。どうやら夜らしく、カーテンの向こう側は闇一色だった。
 祐一は自分の部屋のベッドで横になっていた。額には絞りタオルが置かれている。佳澄の脇には水の張った洗面器があった。
「もしかして楠野がずっと世話してくれてたのか?」
「いえ、ダリウスさんと二時間交替で先輩を看てました」
 顔の赤い佳澄は何かを誤魔化すように立ち上がって祐一に背を向ける。
「先輩が目を覚ましたことをダリウスさんと京子さんに伝えてきます。それから先輩、喉渇いてませんか? お茶でも冷蔵庫から持ってきますか?」
「悪い。お願いする」
 ペコリと頭を下げて佳澄は部屋を出ていった。
 祐一は視線を天井へと戻して、深く溜息を吐いた。
 影の『ネクロアビス』に串刺しにされた腹はまだ鈍く痛む。溜息を吐いただけでズキリと痛みを伝えてくるので、まだ動けるような状態ではない。慎重に服の上から撫でてみると、とりあえず傷は塞がっていた。誰かが包帯を巻いてくれたようだ。
「俺、生きているんだな……」
 意識を失う瞬間、死を覚悟した。
 自分の望みを目の前にして「死ぬのか」と乾いた気持ちで思ったのだが、今こうして生きていられることが嬉しかった。ダリウスや佳澄には感謝してもしきれない。
 ダリウスは瞳を取り戻した。これでダリウスは『黄泉帰り』できるようになったはずだ。今すぐにでも起き上がってダリウスに詰め寄って『黄泉帰り』を望みたいのだが、体が言うことを聞かないのでは仕方ない。今は静かに休養するべきだ。
 そういえば京子は無事だったのか?
 佳澄の言い方からしてもう起きているような感じだったが。京子のことだから自分が襲われたことなど忘れたようにケロっとした顔でテレビでも見ているかもしれない。
 と、コンコンと控えめにドアをノックする音がした。
 麦茶の入ったコップをお盆に載せた佳澄が祐一の部屋へと戻ってきた。
「先輩の飲みたいのが分からなかったので麦茶にしたのですが大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。いろいろと悪いな」
 祐一は上半身を起こす。
「いいえ、気にしないでください。私が自分からやっていることですから」
 緩やかに首を振る佳澄。よく見れば目の下には隈があった。
「楠野。もしかしてあまり寝てないのか?」
「本部の方にこれからどうするべきかの連絡を入れたり、あの廃墟での戦闘の痕跡を消す作業を処理班の人たちと一緒にしてました。ほとんど寝ていませんが……でも、寝ようとしても寝付けなかったので。――はい、どうぞ」
 祐一は麦茶を受け取って一口含む。
 佳澄の視線は祐一の傷を負った部分に向けられていた。
「傷の方は大丈夫ですか? 包帯を巻いていたのですが、そろそろ変えた方がいいかもしれません」
 祐一は着ていたジャージを巻くる。何重にも巻かれていた包帯には血が滲んでいた。
「先輩、服を脱いでください」
「え?」
「え? ではありません。汚れている包帯は衛生的にも良いものではありません。私が包帯を変えてあげますのでジャージを脱いでください」
 用意周到にベッドの下には救急箱があって、佳澄はテキパキと包帯を取り出す。
 なんだか断れない雰囲気なので祐一はジャージを脱ぐ。
「できればシャツも脱いでほしいです」
 ということなので上半身裸になる。佳澄の前なのでなんとなく気恥ずかしいものがあるが、それは祐一だけなようで佳澄は平然とした顔だ。気恥ずかしさを覚えた自分がさらに恥ずかしくなって祐一は頬を掻く。別にダリウス相手なら気にしないのだが。
「先輩、後ろを向いてください」
 素直に佳澄に背を向ける。
 巻いてある包帯を取ると生々しい傷跡が外気に晒された。佳澄が息を呑むのが聞こえた。
「痛くないですか、その傷?」
 汚れた包帯を受け取りながら佳澄が尋ねてくる。
「そりゃ痛いぞ。未だに鈍痛が続いてる。傷口も結構ひどいからな……」
「すいません。もっと早く私が駆け付けられれば」
「別に楠野が気を病むことはねえよ。むしろかなり早かった方だろ?」
「でも、もしダリウスさんが間に合っていなければ先輩はどうなっていたのか……」
 間違いなく殺されていた。
 あの巨大な顎で喰い千切られて、ダリウスや佳澄に無残な死体を見せるところだった。
 失礼します、と佳澄の声が背中に当たった。
 柔らかな感触が背中に触れた。ひんやりとしているそれは佳澄の手だろう。手慣れた感じで包帯をグルグルと巻いていく。祐一はじっと佳澄にさせるがままにしていた。
「先輩は無茶が過ぎます」
 最後に包帯の余分な部分を鋏で切って、包帯の交換は終わった。
「ダリウスさんから聞きました。ボロボロの体で、しかも【負の簒奪者】の上位種と正面からぶつかり合った、と。『私がもう数秒遅れていればマスターは殺されていました』とダリウスさんが溜息を付いてました」
「あのまま事態が硬直すれば負傷していた俺が不利だったし、それにいつ敵の標的が朝倉に移るか分からなかった。だから、そのまま戦いにいったんだよ」
「それが、無茶だと言っているのです」
 佳澄の声には怒りが混じっていた。
「何のための救援要求ですか? 私を呼んだのなら、それまで時間稼ぎをしていてくれればよかったんです。そうすれば先輩は危ない目に合うこともなかったはずです。それとも私の増援がそんなにも信用できないんですか?」
「楠野、俺は別にそこまで言って――」
 振り返って、言いかけた言葉が喉に詰まった。
 佳澄の目には涙が浮かんでいた。
「先輩の気持ちは分かります。でも先輩は先輩なんです、美依里さんではないんです」
 まるでその時の祐一の気持ちを聞いていたかのように佳澄は話す。
 そしてそれは当たっていた。
 あの影の『ネクロアビス』と戦っている間、ずっと祐一の胸中には美依里の姿があった。美依里ならどう戦うのか、美依里ならもっとうまく当てていた、濃い【負の匂い】は美依里との最期を思い出す、美依里の影が瞼に滲む、ダリウスの瞳を前にして美依里との再会に高揚した、殺されそうになって最後に浮かんだ影は――。
「そんなに先輩は私が信用できないんですか。失った過去に囚われて、まだ残っている今を投げ捨てようとするなんてどうかしてます。先輩は、私が、わたし、がっ……!」
 その後の言葉は意味をなさなかった。
 佳澄の涙腺は、激情によってあっという間に決壊した。大きな涙が瞳から零れ落ち、白い頬を伝い落ちた。
「……楠野」
 祐一は何も言い返せなかった。
「もし、先輩がっ、死んじゃったりしたら……私一人に、なるんですよ! 美依里さんを失って、せん、ぱいも失ったら……私は、誰を……頼ればいいんですか!」
「……」
「私、先輩にも死なれるのが何よりも怖いです……」
 とうとう顔を両手で押さえて佳澄は泣き出してしまった。
 佳澄の泣くところを見るのはこれで二回目だった。一回目は美依里の死亡が伝えられた時。そして今度は先輩である自分が彼女を泣かせている。泣かせる原因を作ってしまっている。
「悪い……」
「許さないです。先輩のこと、絶対に許さないです。美依里さんしか考えてない先輩を絶対に許さないです! もっと! もっと私を見てくださいよぉ……」
 佳澄の言うことに間違いはない。
 いつだって考えるのは美依里の姿だった。あくまで現実を疎んじて、過去を掘り返すための手段にしていた。未来と過去をごちゃ混ぜにして、その通貨を『黄泉帰り』として支払おうとしている。
 そこに映っているのは佳澄でもなく、ダリウスでもない。
 佳澄はそれが許せないと言っている。「今」を見つめようとしない祐一を許さない、と。
 いつになく弱く映る佳澄の姿に祐一の胸が痛んだ。
 だから泣きじゃくる佳澄をそっと抱き寄せた。佳澄の嗚咽が一瞬止まった。
「許してくれとは言わない。馬鹿なことをしてる俺のことを恨んでくれても構わない。でも俺はもうお前のことを悲しませない。誓うよ。だから、もう泣くな」
「……せん、ぱい……」
 佳澄は祐一の胸に頭をうずめた。
「それ、卑怯です……。そこまで言われて、まだ先輩を許さないんだったら……私、嫌な女じゃないですか……。先輩、私の気持ちを分かっていて言っているんですか? そこまで言われたら私……」
 佳澄も祐一の背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめてくる。
「私、甘えてしまいますよ、駄目な子のままです……」
「楠野は十分立派だろ。俺とは違って、ずっと『今』を見つめ続けてきただろ。『過去』を引きずってきた俺とは違う。俺なんかより、ずっと強い」
 佳澄は必死に頭を振った。
 身近な存在だった佳澄の体温が、さらに身近に感じられる。
 ストイックな彼女の常はあくまで凛然だった。祐一に甘えることもなく、僻むこともなく、どこまでも淡々としていた。でも、今はただの少女のように感情をぶつけてくる。
「違うんです、違います……。私が『過去』を振り返らないのは、先輩がいるからです!」
「……」
「先輩が美依里さんを好きだったように、私は先輩が好きなんです! 先輩の好きな人が『過去』の人だから、私の好きな人が『今』の人だから、たったそれだけの違いです。私は立派でも強くもないです。……だって、今、先輩に甘えてます……」
「……楠野」
「自分の弱さを棚に上げて、先輩に慰めてもらおうとしてます……」
 祐一を求める彼女の手が、一層力強く抱きしめてくる。
 佳澄は顔を上げた。まだその目には感情の波があった。
「先輩。私、先輩のことが好きです。ずっと前から好きでした」
「……」
 祐一は、ようやく事実を言われて、佳澄の行動原理を知った。
 毎朝わざわざ家まで迎えに来てくれるのも、放課後に教室の前で待っているのも、その後に二人でダリウスの瞳を探しにいこうとするのも、手作りのお弁当を食べさせたりするのも、祐一が死にかければ一睡もできなくなるのも、こうして本音をぶつけてくるのも、全て、そういうことだ。
「もう美依里さんに囚われないで、私を見てください……」
「……」
「もう私だって子供じゃないです……、先輩の隣に居たいです」
「……、楠野。実はまだお前に言ってなかったけど、大事な話がある」
 佳澄の気持ちは嬉しかった。
 でも、祐一がこの二週間でしてきたのは「過去」を「今」へと変えるためだ。佳澄は『黄泉帰り』のことを知らない。だから、これは言わなければいけない。
 佳澄の気持ちには答えられない、と。
「実は、俺は――」
 コンコン、と絶妙なタイミングでノックが入り、祐一は次の言葉を失う。佳澄も、自分が上半身裸の祐一と抱き合っていることに気付いて、慌てて体を離す。
『マスター、大事な話があります』
 ノックの主はダリウスだった。いつになく真剣な口調で、たった一言だけ残して、すぐに行ってしまう。
「あの、先輩」
 立ち上がった佳澄は、すでにいつもの表情に戻っていた。涙の跡が残っていたり、目が赤かったりするが無感情な雰囲気を纏わせている。
「さっき言ったことは忘れてください」
「……なんだって?」
「あれは私のただの気の迷いです。精神の不安定からくるモヤモヤを先輩にぶつけてしまっただけです。私が先輩を好きなのは事実ですが、キチンとした場所で、キチンとした言葉で私の気持ちを伝えますので、今日のことはなかったことにしてください」
「でも、……」
「さっきも言ったように、先輩が美依里さんを好きなのは分かっていますから」
 佳澄は小さく笑んだ。
「先にリビングに戻っています。ダリウスさんから大事な話があるみたいですし」
 祐一が言い返す前に、佳澄はお盆と空のコップを持って部屋を出て行ってしまう。
 部屋に残された祐一は喉の奥で詰まったままの言葉を飲み下した。
 ――それが楠野の本音なのか、と。
 もちろん、そのはずがないだろう。


 リビングにはすでにダリウスと京子、佳澄がいた。
 京子はソファーに寝転んでポテチを片手にテレビを見ていた。ケガなどもないようで祐一は胸を撫で下ろすが、ダリウスと一緒にいてまったくビビっていないことに違和感を覚えた。最初ダリウスを見た時は絶叫しながら全力で距離を置いていたのだが。
「あ、意外と元気そうなんだ」
 祐一が来たのに気付いて京子はテレビを消す。
「お前こそな。それよりどうしたんだ、ダリウスが傍にいるのに平然としてるぞ」
「あのオンボロのビルでバケモノに襲われたのに比べれば、この大人しくて話の分かる死神は怖くもなんともないと思わない?」
 まったくもってその通りだと思う。
『京子様はマスターが起きてくるまでずっとそわそわしてました。「大丈夫かなー」や「あたしのせいだよね、やっぱり」など独り言を口にしてましたし。テレビもただ眺めているだけ、といったようでした』
「アンタは余計なこと言うな!」
 顔を真っ赤にした京子はダリウスにテレビのリモコンを投げるが、それは黒衣をすり抜け壁にぶつかる。
「なんだ、朝倉も心配してくれたのか?」
「べ、別にアンタのこと心配してたんじゃないから! アンタに死なれるとあたしだってここに住み続けるわけにもいかないし! 勘違いしないでよねこの自意識過剰バカ!」
 意外に思いながら聞くと、京子は腕を組んでそっぽを向いてしまう。
『見事なまでのツンデレですね』
「誰がツンデレだ、死神っ! だいたいアンタはどっからそんな言葉を覚えてくんのよ!」
「いえ、私から見ても見事なツンデレだと思います」
 床に落ちてバラバラになったリモコンを拾いながら佳澄がダリウスに追従する。
「ツンデレは至高です。京子さんはとても良いセンスを持っています」
「アンタも余計なこと言うな! そんなことで褒められても嬉しくないっ!」
 なんだかんだでこの三人の息合ってるよな、と祐一は思った。
 祐一は佳澄の顔を見た。ついさっきまで泣いていたなど欠片も思えない無表情っぷりだった。佳澄が注がれる視線に気付いて首を傾げる。
「どうかしましたか先輩?」
「あ、いや……、大丈夫なのか、……って」
 そう堂々とされるとこっちが困ってしまう。
「私はいつでも大丈夫です。先輩もヘンなことを言いますね」
 クスと小さく笑いながら、佳澄は「みんなにお茶入れますね」とキッチンへと行ってしまう。
 仕方ないので祐一は開いているソファーに腰掛けた。やけに周りのノリが軽いので本当に大事な話があるのかも怪しいところである。
『マスター、体の調子はどうですか?』
「まだ動き回れるほどじゃねえけど、こうして起きてくるくらいならなんともないな」
『それは重畳です。実は、マスターの治療……というより治癒をしたのは私です』
「なんのことだ? 確かに傷の治りが早い気はするけどな」
『私が【負の簒奪者】としてのチカラをどれほど取り戻したのか、事後承諾ながら、マスターの体で試しました。いわば瞳を取り戻した私のチカラの試運転です』
「……お前は生死を操れるんだろ? もし俺がお前のミスで死んだらどうするんだよ」
 まったく気付かなかったとはいえ、そんな恐ろしいことをされていたのだとは思わなかった。
『私は生死を操るのではなく、生死の境界をずらすことができるチカラです。マスターの認識に少し語弊があるようなので今の内に訂正させておきます』
「……よく分からないが、ダリウスは生死の境界を操ることができる、そのチカラを応用すれば傷の再生と侵食も操れる、ってことなのか」
『おおよそ合っています。マスターの認識が早くて助かります』
「ねぇ、何の話してるの? あたしが聞いてもチンプンカンプンなんだけど。あ、もしかしてゲームの話だったりする?」
 椅子から伸ばす足をブラブラさせながら京子が首を傾げる。
「朝倉には縁のない話だ。まあ聞き流しておいてくれ」
「またそうやってあたしを仲間外れにするぅー! 意地悪すんな!」
「そう目くじら立てるなって。あとで朝倉には黒ひげ危機一髪を買ってやるから」
「みゃー! 子供扱いすんな! あー、もういいっ! アンタの心配して損した! 自分の部屋に戻ってマンガ読んでるから、邪魔しないでよねっ!」
 そう言って京子は勢いよく立ちあがってリビングから出て行ってしまう。
 その後ろ姿を見送りながら、祐一は溜息をついた。
「朝倉には悪いことしたな。心配してもらったのに、追い出すようなことをして」
『明日の朝になればケロリとしてますよ単純な性格ですから』
 ダリウスまでそういうことを言う。
「それに京子さんがいれば『仕事』関係の話はしにくいですし」
 湯呑を三つお盆に乗せた佳澄がキッチンから戻ってくる。
「先輩、私に隠して『黄泉帰り』を行おうとしたことをキッチリ説明してもらいます。先に言っておきますが、言い逃れはできませんから。先輩が倒れてからダリウスさんに『黄泉帰り』のことを聞いているので」
『私もその「黄泉帰り」について話があるのです。大事な話はそれです』
「俺も、そろそろその辺りのことをハッキリさせないといけないと思ってたところだ」


 ――『黄泉帰り』。
 一言で説明するなら死者の魂を冥界から現世へと連れ戻して、蘇生させる術である。
 無論、死者を生者に変えるのは禁慰であり、決して行ってはいけない行為だ。もっともそれを行えるのが皮肉にも【負の簒奪者】なので、人が罪を犯せるケースは少ない。
 そういう意味で、話の分かる【負の簒奪者】を手に入れることができた祐一は幸運だったといえる。
 辻崎美依里が死んでから祐一は失意のどん底だった。相手が「冥府の王の右腕」だったこともあり、精神的に廃人といっても差支えがなかった。そんな彼をいつも世話していたのが佳澄である。
 元々、美依里、祐一、佳澄は比較的世代が近いこともあって、親しい間柄で親睦も深かった。出会いは、みんな共通して機関に引き取られてからである。【負の簒奪者】の襲撃によって家族を失ったのだ。祐一たちは京子と同じ背景を持つのだ。
 祐一が廃人から復活したのは、佳澄の徹底した世話と『黄泉帰り』の存在である。
 以後、祐一は『黄泉帰り』を行うべく、奔走し続けている。
 自分が恋した少女を求めるがために。
 それは、恋を乞いて生を製する行為だった。
 語るなら、残酷で残忍で残虐な恋の歌とでも言えようか。
 不器用すぎる片思いは、恋慕の褥に愛歌の散華を思わせる。
 あとに待っているのは、それらはすべて決壊していく事実だけだ。
 それが分かっていてなお、祐一は彼女が好きだったのだ。


 話を聞き終えた佳澄は、それでも何の感情も顔には浮かべずに、ただ小さく溜息を吐いた。
 今までの経験上、佳澄のその反応は、怒っているというより呆れているに近い。
 話し終えた祐一は内心の罪悪感を顔に貼り付けながら、そう思った。
「先輩が【負の簒奪者】と同居している理由がようやく分かりました。美依里さんを『黄泉帰り』するために、ダリウスさんと一緒にいる、と。捕えたのなら、自分の家でなく本部の方に連れていくのが適正なのに……なるほど、合点がいきました」
「こればっかりは楠野にも迷惑をかけた。謝るよ」
「いえ、ダリウスさんの瞳の探索に関しては私は先輩を責めるつもりはありません。前にも言ったように自分の意思で先輩と一緒に捜索することに決めたので。例え、『黄泉帰り』のための必要経費だと知らされてなくても」
 言葉の端に「でも、私に内緒にしていたのは不本意ですが」と憤慨が見えた。
「今更言うことではありませんが、『黄泉帰り』は禁慰です。もし上層部にこのことがバレたら先輩はどうなるか分かりませんよ?」
「ああ。それは承知済みだ。最後にはバレることも含めてな」
『せめて捕まる際に、私だけは無罪放免の旨を上層部に伝えておいてください。「自分の意思でやろうとしたのでダリウスに罪はないです」、と』
 とは言うものの、本部が【負の簒奪者】を野放しにするとは考えにくい。ダリウスにも何らかの処罰――あるいは処分が待っているのが妥当だ。
 佳澄はすっかりぬるくなったお茶に口を付けた。
「まったく、先輩の美依里さん好きには呆れを通り越して感動すらします。そんなドロドロの愛情劇は、私はラノベで間に合っています。ちなみにラノベで言えば先輩の配役は悪役ですね。最後に、彼女と再会できるのですが、彼女に裏切られる形で死ぬのがテンプレです」
「……楠野、実はかなり怒っているだろ?」
「いえ、私は何も怒ってはいません。少しばかり腹を立てているだけです」
 それを世間では「怒っている」と言うと思う。
「私は、『黄泉帰り』には反対です」
 はっきりと佳澄は言い放った。
「先輩のやろうとしていることを愚行と笑うことも、憐れむこともしません。それはそれで正当な理由であると思います。ですが、『黄泉帰り』で生者となった美依里さんが果たして先輩のことをどう思うか、です」
「ああ、分かってる」
「先輩のやろうとしていることは死者に唾を吐き捨てるよりも酷いことかもしれません」
 佳澄の言おうとすることは祐一にも分かっている。
 あの美依里が、禁慰で復活させられて、果たして祐一に感謝するだろうか。
 いや、美依里は祐一を恨む。
 彼女はそういう性格なのだ。穢れたものや汚れたものを徹底的に好まない。
 でも、祐一はそうは思っていない。彼女の最後の言葉を聞いていた祐一だからこそ、美依里を『黄泉帰り』しようと奔走しているのだ。
『ああ、どうやら二人とも「黄泉帰り」を前提に話をしているようですが――』
 不意にダリウスが会話に割り込んできた。
『まだ「黄泉帰り」はできませんよ』
 祐一は自分の耳を疑った。
 佳澄との会話もそっちのけでダリウスを睨む。
「……は? どうしてだ? お前の瞳は取り戻しただろ?」
『マスター、そんなに興奮しないでください。考えれば分かる事です。私は一つ目ではありません。つまりそういうことです』
「……お前の瞳はもう一つある、ってことか」
『はい。私は瞳を落としたと言いましたが、一つだけ、とは言っていません』
 空っぽの双眸を指差しながらダリウスが言う。
『一応、私もマスターが寝静まってから夜な夜な探し回っているのですがなかなか見つからないものです。あ、よく分かっていない佳澄様のために言いますと、私は睡眠を必要としません。ですのでそんな芸当ができるのです』
「……初耳です」
『それに、私は「夜」の属性が強いものですから、深夜を過ぎれば力が強まって、普通の人からも認識されるようになるのです。そのせいで探索も大変で大変で』
「おい、お前も瞳を探しているなんて俺も初めて聞いたぞ」
『別に言うまでもないことかと思いまして』
 さらりとダリウスは言い放つ。
 頭をガシガシ掻きながら、祐一は溜息を吐く。
「そういう説明不足なところとか、後になって事故承諾させてくる辺りがより姉とソックリだな。喋り方も似てるから余計そう思うわ」
「……そういえば最近黒いマントの不審者がいるという話をよく聞きますが――」
 佳澄の視線はダリウスの黒衣のマントに注がれていた。
「ひょっとしてその犯人はダリウスさんなのでは?」
『かもしれませんね。というより、私が出歩いている時に、そのような人と接触した記憶がないので私に間違いないかと』
「……こうして都市伝説の一つが暴かれた、か」
『そんなマスター、都市伝説など大げさな』
 他人事のようにカタカタと笑うダリウス。
 祐一と佳澄はガックリと肩を落とした。ひどく疲れた気分になった。
『ともあれ、マスターが「黄泉帰り」をするつもりであれば、私の瞳をもう一つ見つけ出してください』
「そうかい。ならしゃーないわな」
「待ってください。先輩はやはり『黄泉帰り』をやろうとしているのですか?」
 勢いよく立ちあがって、テーブルに身を乗り出して佳澄が顔を寄せてくる。
 仰け反るような姿勢で祐一は首を振った。
「まさか。なんか出鼻を挫かれたような気分だし、それになんか、より姉も喜ばないような気がしてな。もう『黄泉帰り』はいいかな、って」
 舌は平然と嘘を語る。
 やる、と言ったら間違いなく佳澄は妨害してくるはずだ。だから、祐一は息を吐くように嘘を口にする。彼女を騙す罪悪感を胸中に隠して。
 佳澄は呆気に取られた顔でマジマジと祐一の顔を見てくる。
「そう、ですか。なら結構です。いえ……先輩なら、何が何でも『黄泉帰り』をするものだと思っていて……。分かってくれたのなら、それでいいです」
『……』
 対してダリウスは神妙な顔(のような気がする)で、祐一に視線をぶつけてくる。
 二人の奇妙な視線を浴びて、祐一は居心地が悪かった。実際に悪いことをしているので元よりいい気分ではないが。
「ですが、私を騙していたのを、許した覚えはありません」
 急に佳澄が大きな声を張る。
「よって、私は先輩に謝罪を要求します」
 何故か若干顔を赤くして腕を組んでそっぽを向く佳澄。
 祐一には何が何だか分からない。ダリウスを見やるが、死神もよく分かっていないようで首を傾げる。とりあえず……謝ればいいのだろうか?
「あの、楠野? もし謝れって言うなら頭を下げるけど――」
「いえ。それには及びません。先輩には謝ってもらうのではなくて……その、なんですか、次の休みの日に、謝罪代わりとして私とデ……いえ、私に一日付き合ってもらいます」
「あ、ああ……別に構わないけどよ」
 次の休みの日、というと明後日である。
 というか明らかに佳澄の様子が変である。
「楠野……もしかして具合が悪いとかか? 顔赤いぞ」
「そんなことはありません。それよりも、今私が言ったことを忘れないでください。絶対ですよ。それで私は先輩のことを許してあげるので」
『マスター、これはひょっとして佳澄様からのデートのお誘いですよ』
「ダリウスさん、ヘンなことを言わないでください。これはれっきとした罰です。断じてデートなどではありません。――先輩、細かいことは明日学校で話します」
「お、おう」
 勢いのままに約束してしまったが大丈夫だろう。特に用事もない……はずだ。
 顔が赤いままの佳澄は脇に置いてあった二本の竹刀袋を拾い上げた。
「先輩ももう大丈夫そうなので私はこれで失礼します。もう遅い時間ですので」
 顔こそ赤いがすでにいつもの佳澄に戻っていた。
 失礼します、と頭を下げて、佳澄は止める間もなくリビングを出て行ってしまう。ダリウスが急いで立ち上がり(足はないが)、玄関へと見送りに向かう。
 祐一はまだ口のつけてなかったお茶に手を伸ばした。
「……ぬるい」
『ぬるいのはマスターの方です』
 佳澄を見送って戻ってきたダリウスが呆れたように言う。
『いえ、ぬるいというより甘いと表現した方が適切でしょうか』
「何が言いたいんだよ?」
『マスターは佳澄様と敵対するつもりなのに、それでいて佳澄様とまだ親しい仲でいようとする。それがぬるいと言っているのです。残酷と言っても過言ではありません』
「はっ、何言ってるんだよ? 俺はもう『黄泉帰り』は諦めたって言ったんだぞ」
『諦めた、と言う割にはヘラヘラとしているのですね』
「……」
 祐一はダリウスに指摘されて初めて自分が笑っているのに気付いた。
 今までやろうと志してきたことを急にやめることになって、笑顔のままでいられる人はいない。ダリウスは祐一の内心を看破していた。ダリウスでさえ分かっているのだから、もっと祐一と付き合いの長い佳澄もとっくに分かっているはずだ。
 祐一の嘘を分かっていて、なお彼女は身を引いたのだ。
 構わず、ダリウスはテーブルの上の湯呑を片付け始める。
『別に私はマスターがどの選択をしようが関係ありません。ですがヤンデレキャラな性格ではないでしょう。もっと素直に自分の恋路を見つめてはいかかですか?』
「なんで死神に色恋のアドバイスされないといけないんだよ」
『やれやれ。素直ではありませんね』
「俺は元より素直な性格じゃねえだろ」
『それもそうですね。失言でした』
 あっさり頷かれるのも、それはそれで奇妙な気分である。
 ダリウスはキッチンへと空の湯呑を運んでいく。
『なんにせよ、私の瞳をもう一つ探し出さないと「黄泉帰り」ができない、ということを覚えておいてください』
「そう、だな。さっさと見つけ出さないとな。あんな危ないモノがその辺に転がっていると思うだけで恐ろしくなる」
 周囲一帯を腐敗させたあの凄まじい【負の臭い】の塊。
 そして、【負の簒奪者】の上位種、『ネクロアビス』を生み出す異常性。
 どちらにしても脅威であり驚異であることに変わりない。
「あの影の『ネクロアビス』はダリウスが倒してくれたからよかったものの、俺たちの預かり知らない場所で発現されたら被害はちょっと想像できないな」
『ですね。我ながら恐ろしくなります』
「その異常なモノを二つ持っているお前もお前だけどな。……本当にお前は普通の【負の簒奪者】なのか怪しくなる時がある。確かに他の連中よりも遥かに強力な力を持っているし、戦闘技術という意味でも群を抜いている。今思えば、お前と初めて会った時、よく俺はお前に刃を向けられたと思うよ」
『あの時は空腹でしたので』
 とてもシンプルな理由だった。
 もしその時ダリウスが万全の状態だったら、果たしてどうなっていたか。
「ダリウスの【負のチカラ】は、もしかしたら『冥府の王の右腕』に匹敵するかもな」
『なんです、そのラスボスの一つ手前の壁として出てきそうな名前は?』
「――プルートーって単語、聞いたことないか?」
 祐一はソファーの肘かけの部分にどっかりと肘を置いた。
『……冥王星ですか?』
「そう。ひいては、冥界の王の名前を指す。プルートー、あるいはハデスとも言うな。まあどっかの神話からの譲り受けで、ソイツのことを俺らが勝手にそう呼んでいるだけだけどな。少なくとも【負の簒奪者】の中では間違いなく最強クラスの強さだ」
『その最強クラスに私が匹敵すると? 買い被りすぎですよ』
「いや、正確にはその『右腕』クラスには強いんじゃないか、って俺は言ってるんだ」
 祐一は語りながら過去を思い描いていた。
「プルートーは無数の【負の簒奪者】……というより『ネクロアビス』で構成されている、規格外のデカさのバケモノだ。昔、俺はそのプルートーの中でも戦闘最強と言われている『右腕』と戦ったことがある。部隊は俺を含めて三十人。たかが一体相手に三十人だぜ? でも俺以外のヤツらはみんな死んだ」
 今でも夢でうなされることがあるくらいだ。その時の光景は今でも鮮明だ。
「その部隊の中にはより姉……辻崎美依里もいた」
『……』
「その時のより姉はトップオブエースっていう、機関でも最高の称号を持っていた。先天性のセンスと従来の努力家な性格のお陰で、より姉は機関でも最強だって言われてた。まだ二十歳にもなってない少女が、だ」
 その美依里も含めた三十人の部隊は壊滅したのだ。冥府の王の体の一パーツ相手に。
 その右腕は、刺し違えるつもりだった美依里と共に消滅してしまったが、その場に居合わせたのは祐一だけで、祐一もはっきりとその光景を見られたわけではない。
「……下らない話をしたな。シャワー浴びて寝るわ。後は任せた」
『傷に滲みませんか? 今日はそのまま寝た方が――』
「別にこのくらいなんともねえよ」
 祐一は立ち上がり、ダリウスに背を向けたままリビングを後にした。


 次の休み――佳澄と一緒に出かける日はあっという間に来た。
 集合場所は、祐一の家から三十分ほどの駅前だった。そこで電車に乗って二駅も移動すると映画館やらボーリング場やらの娯楽施設が多い街に行ける。
 佳澄が言うには「たまには息抜き」ということで思いっきり遊びに行く、とのこと。
 そういえば最近は『仕事』詰めだったな、とバスで移動中、祐一は窓の外の景色を眺めながら思った。チラリと腕時計を見ると九時半と少しを回った辺り。
「ちょっと早かったな。ま、いいか」
 ダリウスも京子もお留守番ということなので佳澄と二人っきりである。
 どこからどう見てもデートなのだが佳澄は頑なに「デートではない」と言い張っていた。クラスの連中とばったり合わないことを祈るばかりだった。休みの日に二人っきりで街中を歩いているのを目撃されれば、交際関係説が完全に確立されてしまう。
 無駄に不安になっているうちにバスは集合場所の駅前へと着いた。
 漠然と「駅前」と約束してしまったが、結構敷地は広い。
 見回してみるがまだ佳澄の姿はない。さすがにまだ早すぎるだろう。祐一は肩をすくめて、とりあえず駅の休憩室で待つことにした。
『合理的にイチャイチャできる機会もそうないでしょうから、思いっ切りイチャついてきてみてはどうでしょうか? 周りの嫉妬を買うくらいがちょうどいいです』
 と、出発際にダリウスにそんなことを言われたのを思い出したが、さて。
 普通のデートにはならないだろうと、祐一は謎の確信があった。それでも楽しめればいいんじゃないか、と佳澄が来るのを待っていた。
 十時十分前。
「おはようございます、先輩」
 佳澄がやってきた。
 普段の素っ気ない服装ではなく、珍しく年頃の女の子相応の服装でやってきた。佳澄の私服スカート姿はかなり貴重である。頭にはカチューシャ、首にはリボンである。
「おう、おはよ」
「済みません、もしかして待たせましたか?」
「いいや、そうでもない」
 早く来すぎた自分が問題なのだから。祐一は待合室の椅子から立ち上がった。
『まず始めに女性の方の服装を褒めておくべきです。そうすることによって女性は気分が良くなって、快適なスタートを切ることができるのです』
 と、ダリウスの役に立つか分からないアドバイスを貰ったことを思い出す。
 あれでも一応女らしいので、多分――多分だが、間違ったことは言ってないはずだ。
「楠野」
「はい」
「その服、似合ってるぞ」
「はい?」
 きょとん、とした顔で佳澄がまじまじと祐一の顔を見つめてくる。意表を突かれた時の顔だった。佳澄にしては珍しい表情である。
 ――やべ、素っ気なさすぎたか。
 いきなり軽快にすべったような気がして内心汗をダラダラと垂らす祐一。というか、これだと軽い男に見えないか。快適なスタート失敗か?
 自己嫌悪に陥っている祐一を余所に、佳澄はやがて頬を少し赤くして、言った。
「先輩らしくありませんね、人の服を褒めるなんて。ダリウスさんか京子さんの入れ知恵ですか?」
 簡単に見破られていた。慣れないことはするもんじゃないらしい。
「でも、ありがとうございます。先輩はお世辞を言う人ではないので、褒めてくれるということはそれが本心です。褒められるのは悪い気がしません」
 スカートを翻して、先に待合室から出ていく佳澄。照れた顔を見られたくないから、か?
 二人は電車の切符を買って、電車に乗り込んだ。
 休日の電車はそこそこ混んでいたものの、隣同士で座れる場所があったので無事確保。
「今日の予定は私に任せてください」
「ああ。その辺は楠野に任せる。――遊びに出かける、って機会が少ないからどこに行けばいいのかよく分からないんだよな。やっぱり『仕事』の詰め過ぎか」
「そう思います。私たちは普通の高校生活からかけ離れた生活をしていますが、だからと言って非日常的な生活のみをしなければいけないわけではありません。たまにはこうして普通の休日を満喫することは大切です」
 電車はガタガタと揺れて、あっという間に目的の駅に到着する。
 人の波に揉みくちゃにされながら祐一と佳澄は駅前へと出た。さすがに休みの日になれば遊びにくる人も多い。通りをたくさんの人が歩いている。
「まずは映画を見に行きます」
 ということなので二人は映画館に向かうことにした。
 駅前にも数か所の映画館があるが、最近完成した大型ショッピングモールの映画館に決めた。上映する映画の種類も豊富らしい。
 ショッピングモールの中も老若男女問わずにたくさん人がいた。
「先輩はどんなジャンルの映画が好きですか?」
 パンフレットを見ながらショッピングモール内を歩く佳澄が尋ねてくる。
「そうだな……見ててハラハラするようなのが好きだな。手に汗握るような」
「サスペンスやアクションですか? 先輩らしいですね」
「楠野はどういうのが好きなんだ?」
「アニメ系ならジャンルは問いません」
 そうくるか。
「今上映しているのは……『ぶらっどさっかーず』と『魔道少女リリカル☆マギカ』です。前者は巨大ヒルの群れに襲われる美少女たちが自力で閉ざされた島から脱出する内容で、後者は主人公のツインテールの美少女が魔道少女に変身して街を滅ぼすほどの高火力で魔女と戦う内容です。ちなみにどちらもアニメタッチです。どちらにしますか?」
「……」
 どう選べというのだろう。祐一は内心のツッコミを全力で押し殺した。
 前者がサスペンスで後者がアクションなのはよく分かるのだが……。
「…………俺はこういうのはよく分からないから楠野に任せる」
「では『魔道少女リリカル☆マギカ』をお薦めします」
 速攻で返答が戻ってきた。どうやら佳澄の御所望はファンシーものらしい。というか本当にファンシーなのか怪しいところだった。「魔法少女」ならまだいいが「魔道少女」というタイトルは少々殺伐な印象があるのだが。
「ちょっと見せてもらってもいいか、ソレ」
 佳澄から貸してもらったパンフレットには、確かに可愛らしいツインテールの少女のイラストが大々的に乗っていた。サブタイトルが「絶望と向き合えますか?」だった。
「……」
 やっぱりよく分からなかった。
 ともあれ反対する理由もないので、佳澄のお薦めに従うことにした。
 で、結論から言えば超鬱展開だった。サブタイトルの名に恥じない、見ているだけで気持ちが沈んでいくような怒涛の展開に祐一はグロッキー寸前まで追い詰められた。仲間の魔道少女たちが殺され、次々と脱落していく中で唯一生き残ったヒロインが最終決戦に向かう辺りで直視できなくなっていた。
 ちなみにクライマックスは、それらは全てがヒロインの見ていた長い夢で、実際はヒロインは病院で全身に管を繋がれて植物人間状態で眠り続けているという仕様。仲間たちは元より存在してさえいない。希望も、そして絶望さえもなく、ただ淡々と人生を消費していく、非常に後味の悪い内容だった。
「面白かったですが、最後が安直でしたね」
 佳澄は映画館から出るなり早々にばっさりと言い放った。
「あれは夢オチという終わり方と捉えても遜色ないでしょう。今の世の中、夢オチという終わりは受けが悪いような気がします。確かに、絶望さえ存在しない無味乾燥しきった世界が本当の現実、というのは一番の絶望かもしれませんが……先輩はどう思いますか?」
「……言葉もない。気が滅入る……」
 というか佳澄がどうしてそんなに元気でいられるのか、そっちの方が気になる。
 佳澄は口元に指を当てて一人勝手に頷いている。
「やはり、何気ない日常を、当たり前のようにこなしていくことが重要……」
 ブツブツと何か呟いている。何か思うところがあったらしい。祐一は感想とか批評とかその前に休憩が欲しかった。
 それに時間を見ればお昼過ぎである。
「楠野。そろそろ昼飯にしないか?」
「はい、そうですね。お腹も減ってきましたし。――このショッピングモールで、私の一押しのお店があるのですが、先輩は興味がありますか?」
 料理が抜群に美味いあの佳澄が一押しする店。
 もちろん興味がある。祐一は力強く頷いた。
「よし、じゃあそこにするか。楠野が一押ししてくれるんだから凄いんだろうな」
「はい。今までの常識を覆すようなレベルなので、楽しみにしていてください」
 ということで祐一は、佳澄に先導されて、そのお店へと向かった。
 で。
 ショッピングモールの六階、飲食店がずらりと並ぶフロア。空腹を刺激するいい匂いがあちこちから漂ってくる。昼食時なのでどこも結構混んでいた。
 その中で一つだけ、あまり客のいない店があった。
 佳澄の足はその店へと向けられていた。スタスタと、その歩調に淀みはない。
「……もしかしてあの店なのか?」
「はい。……あ、先輩はメイド喫茶は初めてですか?」
 佳澄の言う「一押しの店」というのはメイド喫茶だった。
 周囲の店舗とは明らかに雰囲気が浮いている。近寄りがたい雰囲気が強烈に発散されていて、どう考えてもショッピングモールには不似合いである。
 そういう意味の「一押し」だと祐一は今更ながらに理解した。確かにショッピングモールにメイド喫茶というのは今までの常識を覆すようなレベルだ。
「お帰りなさいませ、旦那様、お嬢様」
 もちろん、ウエイトレスの人はメイド服である。
 祐一は場の勢いと雰囲気に押し流されるようにメイド喫茶に入店した。佳澄が鼻歌を唄いそうなほどにご機嫌だったのには、さすがに気付かなかった。
 席は窓側を選んだ。
 佳澄は手慣れた様子でメニューをめくっていく。かなり通っているのだろうか? やっていることは、ただメニューを見ているだけなのだが祐一はかなり居心地が悪かった。
「先輩はこのお店、どう思います?」
 ふとメニューから顔を上げて佳澄が尋ねてくる。
「……いいんじゃないか、多分」
 どう答えればいいのか分からなかったので無難に答えたつもりだった。
 すると佳澄が口の端を少し緩ませた。
「初めてメイド喫茶に入った人は大体先輩みたいな反応をしてくれます。恥ずかしがっている先輩はかなり珍しいので私はそれだけで眼福です。ごちそうさまでした」
「……お粗末さまでした――じゃなくて! 佳澄は慣れているのか、こういう場所?」
「先輩は、私の愛読書を知っていますよね?」
 確か『僕の妹にはメイドがなんとか』というタイトルだったはず。
「つまり、そういうことです。私、メイドが大好きで大好きで。普通、女の子なら執事がいいものですが、私はメイドの方に魅力を感じているもので」
「なるほど……」
 実はあまりよく分かっていない祐一だった。
「ところで先輩はメイドについてどういう認識を持っていますか?」
「え。『お帰りなさいませ、ご主人様』って感じで、懇切丁寧に世話をしてくれるイメージだけど……」
「はい。確かにそれで合っています。ですがそれはあくまでテンプレのメイドさんです。それに『ご主人様』というのはどこか他人行儀な響きがありませんか? 呼ばれるなら、先輩の場合は『旦那様』。私なら『お嬢様』と呼ばれた方が嬉しくありませんか?」
「……言われてみればそうかもしれないな」
「はい。そうなんです」
 今までにないくらい自信満々に佳澄は頷いた。
「ここのメイド喫茶はその点をよく把握しています。私が一押しする理由がそれです」
 佳澄なりの一押しする理由があったらしい。別にショッピングモールにメイド喫茶があるから、というわけではないようだ。
 その後、昼食の間、ずっと佳澄のメイド談義を聞かされた。
 自分の趣味を喋り続けている間、佳澄の表情は生き生きしていた。普段の無表情ではなく、話している内容こそ普通の女の子とはちょっと違っているが、今まさにこの瞬間は佳澄は普通の女の子のように見えた。
 そんな佳澄を見られただけでも祐一は満足だった。
 ちなみに料理の味もとびっきり良かったことを付け加えておく。


「で、なんでアンタがあたしに付いてくるの?」
 不機嫌そうな口調で京子は隣をフワフワと浮かぶダリウスを睨んだ。
 実際京子はあまり面白くない気分だった。せっかく一人で遊びに行こうとしたら、
『私も付いていきます』
 と強引にダリウスが主張してきて、何故か一緒に出かける羽目になった。
 確かにダリウスに対する恐怖は薄らいだが、それでも宙に浮きながら隣に並ぶ死神の姿には慣れない。まだこのバケモノに心を許した覚えはない。
 それなのに――むしろそのことを分かっているはずなのに、この死神は一緒に出かけようと言い出すのだ。面白くない気分になるのは当然というものだ。
『マスターも佳澄様も京子様も出かけるのですから、どうせなら私も、と思いまして』
「アンタの御主人様にでも付いていけばよかったのに」
『二人っきりのデートに私が居ては無粋だと思いませんか?』
 はぁ、と京子は小さく溜息を吐いた。
「やっぱりあの二人、デートなのね」
『おや、お気に召しませんか?』
「そういうわけじゃないけど……」
 そう言う京子の表情は冴えない。
 京子とダリウスが歩いているのは、八坂家からバスで十分ほどのアーケード街である。祐一たちが遊びに行った街よりは人は少ないだろうが、そこそこの人が歩いている。
『京子様は今日はどうするつもりなのですか?』
「ちょっと買い物」
『お菓子ですか?』
「人を勝手に食い意地張ったキャラにすんな! 服よ服!」
 京子は佳澄から服を借りて街に出てきたのだが、どうもサイズが合わない。特に胸の部分が。普段は祐一のダブダブのジャージを着ているから気にしなかったが、そろそろ自分用の服が欲しかった。
 ――お前も自分の服が欲しいだろ?
 と祐一がお小遣いをくれたのでお金もちゃんとある。
 それに服ついでにもう一つ買うものがあるのだが、それはそれで別である。
 京子が頭を振ると、ジャラジャラした小物付きのツインテールが音を立てる。
「やっぱり誰もアンタのこと、見えないんだ」
 宙に浮きながら移動するダリウスは、京子の目からは目立ちまくっている。が、周囲の人はまるで死神の姿に気付いてないようだった。それが京子を奇妙な感覚に陥らせる。
『それが【負の簒奪者】の特徴であり特性ですから。向こうからは干渉できませんがこちらからは有無を言わさず干渉できるという、襲うにはぴったりすぎる能力ですね』
「なら、あたしはなんでアンタが見えているの?」
『マスターから話は聞きませんでしたか? 京子様は私の瞳の干渉を受けたので、そのため私の気配を理解したためだと思われています。ならば何故、私の瞳に気付くことにできたかと言われると……私の瞳が強力な干渉力を持っていた、からではないでしょうか』
「何言っているのか分かんなぃー。もっと簡単に言ってよ」
『つまり、京子様は幸か不幸か、私の瞳をたまたま見つけてしまったということです』
「……それ答えになってる?」
『はい、この上なく』
 自信ありげにダリウスが頷くので、そういうものだと思うことにした。
 ダリウスは人とぶつかりそうになるたびに透過して、文字通り、通り過ぎる。
「あたしもヘンなことに巻き込まれたもんだよ。なんで死神の隣を歩いているのよ」
 京子の姿は人の波に紛れるように溶けていった。


 眼下に広がるのは、夕焼けに綺麗に染まる街並みだった。
「綺麗ですね」
「ああ、そうだな」
 佳澄の呟きに、祐一は相槌を打った。
 ――最後にアレに上ってみましょう。
 と佳澄が指差したのは、この地域一帯をぐるりと見回せるほどに高い展望台だった。入場料は五百円と景色を見るだけにしては高めの値段だが、二人は展望台に上った。
 展望台には誰もいなかった。
 さすがに入場料五百円を払ってまで街の風景を見ても仕方ないということか。
 貸し切り状態なので祐一はそれなりに満足だった。これでもうちょっといい風景が見られれば言うことなしなのだが、それは贅沢というものだ。
 夕焼けに染められる佳澄の横顔をなんとなしに見つめていると、彼女がこちらの視線に気付いた。
「私の顔に何か付いていますか?」
「いや、見惚れてたんだよ。あまりにも楠野が綺麗に見えて」
 からかうように言うと佳澄は肩をすくめた。
「またそうやってお世辞を言う。今回ばかりはお世辞だと分かりますよ」
「半分は本気なんだけどな」
「残りの半分は?」
「優しさだ」
「風邪薬ですか」
「マイルドだろ」
「できれば十割の優しさが欲しかったです」
 二人っきりなので適当なことを言いまくる。
 こうして二人っきりでいると、つい少し前のことを思い出す。
 祐一の部屋で感情をぶつけてきたあの佳澄の姿を。「好きだ」と言ってくれた佳澄の表情を。そして自分の戸惑いと、淡い幸福感を。
 結局、あの場ではうやむやになってしまった。
 ならば今の佳澄は、自分と向き合っていて何を考えているのか。
「……多分、先輩の考えていることと、私の考えていることは一緒です」
 まるで祐一の心を読んだかのような絶妙なタイミングで佳澄が言った。
 佳澄の顔は赤い。でもそれが夕焼けのせいなのか、それとも照れのせいなのかまでは分からない。表情はいつもの無表情だ。
「……まさか先輩が『黄泉帰り』をしようと思っているなんて思いませんでした。先輩が美依里さんを好きなのは知っています。ですが亡くなってしまった人をいつまでも引きずっていないと私は勘違いしていました。つい先日、ダリウスさんから『黄泉帰り』のことを聞かされて私は急に不安になりました」
 その不安は禁慰を犯す祐一の身の安全でも、ましてや力を取り戻したダリウスの反逆の可能性でもない。
 今の祐一なら分かる。
 佳澄は静かに言葉を続けた。
「今度こそ、美依里さんに先輩を取られてしまうのが不安だったんです」
 そう、単純な――極めて単純な、彼女の恋心の不安だった。
 失った人間は戻ってこない。だから美依里に奪われることもない。
 でも、祐一は美依里を呼び戻そうとしている。
「私、とても嫌な性格ですよね……。先輩のやろうとしていることを、自分の打算で否定するなんて。ましてや、外面だけの理由を並べたてて本心を隠すなんて」
「……楠野」
「自分でも分かっています。どうしようもない性格だって。でも私は、それでも、先輩が好きなんです」
 熱を帯びる佳澄の声。
「今だってこうして自分の内面を吐き出して先輩を困らせようとしています……」
 それでも正直に口に出してしまうのは、佳澄の打算ではなく、彼女本来の素直で正直な性格のせいだ。
「先輩。私は先輩が好きです。でも先輩の気持ちをまだ聞いていません。ですから教えてください、先輩が私の気持ちに応えられるかを」
 夕日に染まる、二人っきりの空間。
 見つめ合う距離はほんの少し。数歩近寄れば触れ合えるくらいに近い。
 佳澄の目は真剣そのものだった。
 だから、ここが正念場。
「楠野。俺は――」
 目の前にいる小柄な後輩の姿を見ていても、祐一の瞳には別の姿が映っていた。
 自分と同じくらいに背が高く、ツンとした美貌を持ち、でも笑うととても可愛くて、普段はだらしないが、いざというときには頼りになれる、年上の彼女の姿が。
「――楠野の気持ちは嬉しいけど、でも俺はそれには応えられない」
 佳澄の表情はあまり変わらなかった。少し悲しそうに眉根が寄っただけだ。
 でも、普段から感情を表に出さない佳澄の、その些細な反応は、つまりそういうことだ。
「俺はより姉が好きだ」
「…………そう、ですか」
「それに俺にはより姉との約束があるんだ」
 まだ誰にも言ったことのない、祐一と美依里だけの交わした約束。
「……約束?」
「ああ。より姉がいなくなる前に、最後に俺に言ってくれた言葉」
 ――絶対に生き延びるのよ。絶対また会えるから。
 その言葉の真意は今でも掴めないでいる。でも、伊達や酔狂で美依里は適当なことは言わないし、何より命のかかっている場所でふざける性格でもない。
 だから、その言葉には意味があるはずなのだ。
「『絶対にまた会えるから』ってより姉は言ってくれた。だから、俺はより姉を諦めるわけにはいかないんだ」
「……はい」
 佳澄はそれ以上言葉を重ねようとはしなかった。
 もう何を言っても変わらないのだと諦観してしまったのかもしれないし、自分の気持ちが届かなかったことに失意のどん底にいるのかもしれない。
 だから祐一は、暗い表情の佳澄を引き寄せる。
 あ、と小さく佳澄が反応した。
「俺は、とびっきりの馬鹿をやろうとしている。この上なく、大馬鹿野郎なことだ。そんな俺の私情に楠野を巻きこみたくない。俺に近寄るってことは、近づくってことは一緒に破滅するってことだ。機関から追われるようになるかもしれない。そんな馬鹿げたことに楠野は関わっちゃいけないんだ」
 彼女の耳元で囁く。
「俺にとって楠野は大事な人だ。だから、俺の傍には近づけたくないんだ。一緒に堕ちていくヤツは必要ない。俺のエゴは俺で始末をつけるから」
「でもっ、それだと先輩が――」
「最初から分かってたよ。分かっていて、だ」
 祐一は佳澄を離した。
 佳澄は唇を噛みしめて、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 そんな表情の原因は自分なのだから祐一は胸が痛む。どうして自分を慕ってくれる後輩を泣かせる寸前まで追い詰めないといけないのか。
 自分が器用でないことは誰よりも知っている。
 自分がもっと器用だったら、最初からこんなことにはなっていない。
「本当に……先輩はそれでいいんですか? 機関から追われるようになっても」
 それだけ、佳澄は問うてきた。
 祐一はゆっくりと言葉を選ぶ。ここが最後の分岐点だった。
「……、俺はそれを覚悟の上だ」
 わずかに生まれた言葉詰まりは、自分でも分からなかった。
 すぐに断言しなければいけなかったはずなのに。一瞬だけ、佳澄の悲しむ顔が祐一の決断を鈍らせた。それも上塗りの覚悟で押し込める。
 重い沈黙が辺り一帯を支配する。
 せめて佳澄には罵倒してもらいたかった。
 でも彼女は静かに祐一の判断を受け入れただけ――馬鹿な決断を尊重してくれた。
 本当に佳澄はいい娘だった。こんなしがらみがなければ、『黄泉帰り』なんてなければ、美依里との約束さえなければ、祐一は迷わず佳澄を選んでいただろう。
 佳澄とのデートは気まずい空気のまま終わった。


 家に戻ってくると、やけにテンションの高い京子が迎えてくれた。
 ただいま、と玄関に入るなり、リビングから軽快なステップで飛んでくる京子は、何か悪いものでも食べたのではないかと危ぶむほどだ。見たところ普通だが――普通?
「おっかえりなさーい」
 玄関前でグルリと一回転する。涼しそうな色のサマーパーカーとジーンズを着ていた。活発な京子らしい服装だが、どちらも祐一は見た覚えはない。
「ね、どうよ?」
「どうよ、って何がだ? 服か?」
「そう! 今日買ってきちゃった。なかなか似合うでしょでしょ?」
 どうやら買ってきた服を自慢するために出迎えてくれたらしい。
「ああ、なかなかいいんじゃないか?」
 京子の活発な性格によく合っているように思う。
 しかし京子は口を尖らせる。
「えー、それだけぇ~」
「……他に何があるんだよ?」
「なんかさ、適当に言ってるように見えるんだけど。もっとあたしを褒めてくれてもいいんじゃないの? ――京子ちゃんめっちゃプリティで僕は君にメロメロさ♪ とか?」
「アホか」
「アホの一言で済ませんなぁ!」
 めんどくさいヤツだな、などこれっぽっちも見せずに祐一は京子の言う通りにすることにした。内心は面倒くさくて仕方なかったが、ご機嫌な彼女の気分を損ねるのは賢い方法だとは思えない。それに褒めちぎれば気が済むだろうし。
「京子ちゃんめっちゃプリティで俺は君にメロメロさ?」
「疑問符付けんな! もっと真面目にやってよ!」
「真面目の基準がよく分からないんだが」
『何を玄関で騒いでいるのですか?』
 あまりの騒ぎっぷりにわざわざダリウスがリビングから顔を覗かせる。
『おや、マスターではありませんか。おかえりなさい』
「ああ、ただいま。朝倉のヤツがやたらと服を褒めて欲しいってせがむんだよ」
『それは今日、京子様がマスターから貰ったお金で服を買って、マスターに見せびらかしたいがためにしてしまう可愛い凶行なので許してやってください。若干頭が緩い娘に見えてしまいますが、元よりハッピーな感じですのでいつも通りですよ』
 かなりボロクソに評価するダリウス。聞いている祐一が可哀想に思うくらいだ。
 と、ダリウスは祐一の様子が普段と違うことに気付いたようで。
『マスター。何かありましたか? 顔色があまり良くないように見えますが』
 こういう無駄なところで目ざといヤツである。
 もちろん祐一は調子がいいはずがない。佳澄との一件だ。
 決別するような形で佳澄と分かれてしまい、祐一の胸にも小さくない引っ掻き傷のような痛みがずっと燻っていた。
 ダリウスや京子には知られたくなかったので平然さを取り繕っていたのだが、早くもダリウスに感付かれてしまったらしい。
 京子も言われて気付いたようで、不思議そうに首を傾げる。
 祐一はごまかすようにゆるゆると首を振った。
「まさか。俺はいつも通りだ。お前らの気のせいだろ」
「そうは見えないけど。あたしから見ても、なんかとっても疲れているように見えるし」
 京子にもそう言われれば、きっとそうなのだろう。
「もしかしてカスミンとケンカでもしたの?」
 意外と鋭いところを突いてくる。女というのはこういうのには敏感なのかもしれない。
「ホントお前らの気のせいだって。いつまでも玄関にいても仕方ないだろ。ホラ、部屋の中に入るぞ」
 半ば強引に話を切り上げさせる祐一。このままだとボロが出そうだった。
 いまいち釈然としない顔の京子は、それでも素直にリビングへと戻っていく。ツインテールは物足りなさそうに揺れていた。
 ダリウスは移動しようとはしなかった。じっと祐一を見つめたまま、物言いたそうな顔で立ち尽くしている。
「……なんだよ?」
『本当のところはどうなのですか?』
「さっき言った通りだ。何もねえよ」
 視線を交錯させたままわずかな沈黙。
 先に折れたのはダリウスの方だった。溜息を吐くような素振りを見せた後、何事もなかったように京子の後を追っていく――と、ちらりと振り返って。
『もし何かあれば私に言ってください。相談に乗れるはずですから』
「やけに優しいな」
 茶化して言うと、ダリウスは真面目な口調でこう返してきた。
『私の主人がそういう顔をしていれば気になってしまうのが人情でしょう――私は人ではありませんが』
 つまり、なんだかんだでダリウスも気にしている、ということか。
 もうこの件では何も言うことはないのか、ダリウスはそれっきりだった。
 祐一もダリウスと同じようにリビングへと入っていく。
 リビングに入るなり、鼻を強烈に刺激する臭いが迎えてくれた。
「で、何だこの料理の墓場みたいな有様は?」
 テーブルの上には、元々は食材であったであろう物体が、死体と評しても問題ないくらいのレベルでさらに並べられて(晒されて?)いた。
 そして自信ありげな京子が腕を組んで不敵に笑っていた。
「さあ、食べなさい!」
 死ねと言っているのか。
「つーか、だ。なんでこんなことになっているんだ?」
「それはあたしが直々に料理を作ってあげたからに決まってるでしょ。たまには居候らしく、世話してあげようと思ったのよ。……ちょっと見た目がアレだけど味は大丈夫なはずだから召し上がれ」
 祐一は料理のなれの果てから死神へと視線を向けた。
「お前は食ったのかよ、ダリウス?」
『ぜひともマスターにも食べてほしいものです』
 最後にぼそっと『私と同じ苦しみを』と言っていたのを祐一は聞き逃さなかった。
 味は適正ということらしい――見た目に違わないという意味で。
 正直、見るからに有害そうな料理もあるのであまり食べたくはないのだが、キラキラとした目の京子を前にして「いらない」と言うのには抵抗があった。見た目はどうであれ、京子は親切でやってくれたのだからそれを無下にするのは問題だ。
「……ちなみに朝倉は味見をしたのか?」
「あったりまえでしょ。料理の基本は味見だからね。あまりにも美味しかったみたいで気を失ったぐらいだから安心しなさいよ、味は保証するから」
 余計に不安になった。
 テーブルに座ると臭いがさらに強烈になる。
 食べ物に「臭い」と描写するのはアレだが、間違いなく「匂い」と表記していいものではないと切実に思う祐一だった。
「……いただきます」
 テーブル正面でニコニコしている京子。そんなに自信作なのか、これは。
 まずは黄色い物体から食べてみることにする。恐らくは卵焼きだろうが、所々、真っ黒だったり真っ白だったりする。
 箸で取り分けて、一口サイズのそれを口に放り込む。まだ大丈夫。
 卵とは思えないジャリジャリした食感を我慢して咀嚼。まだ大丈夫。
 ジャリジャリが焦げと卵の殻と判明。まだ大丈、夫……?
 齧るたびに歯茎にジャリジャリが刺さって痛い。それにまったく味付けされてないのでぶっちゃけ不味い。加えて尋常じゃないくらいに脂っこい。
 なんとか一口分を胃に収める。飲み込む時、胃が拒絶反応を起こしたが、無理矢理それを抑え込む。しばらくは吐き気がひっきりなしに襲ってきた。
 総合評価――普通に不味い。
 砂糖と塩を間違えたとか料理という名の炭だったとか、そういうぶっ飛んだレベルの不味さではなく、普通の不味さなので新鮮味すらないので尚更苦しい。
「どうよ? なかなか食べられるもんでしょ?」
「……まあ食えないこともないな」
「だよね! ダリウスってばあたしの料理を『産業廃棄物だ』って言うんだよ! 絶対に味覚がおかしいよね」
『私は極めて適正な評価を下したつもりですが』
 そして正直者のダリウスは京子の魔の料理から逃げ出せた、と。
 嘘つき者の自分はこの残りを全部食べないといけないのだろうな、と祐一は果てしなく憂鬱になった。まだ一口しか食べてないのにこの有様である。
「明日の朝、俺は冷たくなっているかもしれないな……」
「え、なんか言った?」
「いいや、別に」
「そう。じゃんじゃん食べてよ、お代わりもあるからさ」
「マジか……」
 祐一の視界が真っ白になったのは、それから十分後のことだった。
 後で京子に料理指導しないといけないな、と薄れゆく意識の中で祐一はそう決めた。


 次に祐一が目を覚ましたのは深夜の一時過ぎだった。
 ダリウスが運んでくれたのか、祐一は自分の部屋でベッドに横になっていた。
 部屋の明かりは点きっぱなしで、眩しさに目を細める。
 体をベッドから起こすと、途端に強烈な吐き気が襲いかかってきた。消化不良の京子の料理が未だに牙を剥いてくることに驚きだが、とりあえず命に別状がないことが分かって一安心する。料理を食べて意識を失ったのは初めての経験だった。
 二度と体験はしたくないが。
 と、枕の脇に見慣れないモノが置いてあった。
 それはラッピングされたプレゼントのようだ。見た目は長方形で、赤いチェックの包装紙でコーティングされている。手に取ってみると結構軽い。
「ダリウス……なはずないか」
 あの死神がプレゼントを枕元に置いておくはずがない。
 プレゼントにはカードも付いていた。
《これは助けてもらったお礼だから素直に受け取っておきなさい 京子》
 と拙い字で書いてあった。どうやらこのプレゼントは京子からのものらしい。
 カードをめくるとさらに文章が。
《言っておくけどこれはあくまでお礼であってアンタに心を許したわけじゃないから、そこだけは勘違いしないでよね》
 正直、裏の文章は必要なかった気もするが、ともあれ、プレゼントを貰って嬉しくないはずがない。
 包装紙を剥ぎ取って中身を確認するとハンカチだった。
「意外と普通のものが入ってたな」
 今日の夕食といい、このプレゼントといい、京子にどんな心境の変化があったのか。
 机の上に京子からのプレゼントを置いて、祐一は立ち上がった。喉が渇いていた。
 さすがに京子は寝てしまったのか廊下やリビングは真っ暗だ。
 本当なら京子は、夕食後にプレゼントを渡すつもりだったのだろう。そう思うと、いろいろとマズイ料理だったとはいえ気を失ってしまったのは悪いと思ってしまう祐一だった。
 リビングには死神が静かに佇んでいた。
「どわっ! ダリウス……お前な、驚かせるなよ。せめて電気ぐらい点けとけ」
『私しかいないのに電気を点けるのも悪いと思いまして。それよりマスター、こんな時間に起きだしてきてどうしたのですか? 私と同じように瞳の捜索ですか?』
「違う違う。ようやく復活したから起きだしてきたんだよ」
『京子様の料理の味はいかかでしたか? 今まで味わったことがないレベルでした?』
「……まあ否定はしねえよ。なんだまたアイツは自分から料理を作ろうとしたんだ? それにさっき起きたら枕の脇にアイツからのプレゼントがあったよ。どういう風の吹きまわしなのかダリウスは知らないか?」
 祐一は冷蔵庫を開けて麦茶を取り出す。
『さて? マスターに好意でも抱いているのでは』
 それこそ京子がカードに書いて否定していたことだ。
 自分はまだお前に気を許した覚えはない、と。
『京子様はツンデレですから言っていることとやっていることが矛盾してしまいます。そういうツンツンした反応は好意の裏返しだと思いますが』
「そういうものなのか?」
『本当は京子様から口止めされているのですが――』
 コップに麦茶を注ぎながら祐一はダリウスの言葉に耳を傾ける。
『今日、マスターが佳澄様とデートに行っている間、京子様は自分の服を買いに行くついでにマスターへのプレゼントも選んでいました。そして私に「どういうプレゼントが喜ぶかな」と聞いてくるので、かなりの脈ありかと』
「へぇ。そんなことがあったのか」
 コップの麦茶を一気に飲み干す祐一。
 ダリウスは腕を組んでじっと祐一へと視線を注いでいる。
『つくづくマスターは罪な立場だと思います』
「なんだよ急に?」
『佳澄様に続いて、京子様にまで気に入られるとは贅沢な話です。佳澄様も京子様も十分に魅力的な方だと思いますが? それなのにマスターは亡くなった片思いの相手のために彼女たちを泣かせている。そのことを言っているのです』
「お前までそういうこと言うのかよ」
『おや、今日のデートで佳澄様からも同じようなことでも言われましたか?』
 祐一はいつの間にか誘導尋問されていたことに気付いた。
 佳澄との一件は、彼女から言い出さない限り内密にしようとしていたのだが、その片鱗をあっさりとダリウスに見つけられてしまった。
『大方、デートの最後にでも佳澄様から告白でもされたのでしょう。それを断ってしまってマスターの表情が優れないのではないですか? 私の預かり知らぬところですが、マスターと佳澄様の間柄は決して悪くないはずなので、これからの関係にヒビが入ってしまうことで憂鬱なのでは?』
「…………まるでその場に居合わせたような正確さだな」
 ここまで明確に推測されているので、もう誤魔化す必要もない。
『マスターの表情を見ればそのくらいのことはお見通しです。長い付き合いでしょう?』
「お前と会ってからまだ一カ月も経ってないんだけどな」
『今日はいい月夜です。どうですか? せっかくなので二人っきりで外に出ませんか?』
 言いながら、ダリウスは返事も聞かないで壁をすり抜けて出て行ってしまう。
 さっき起きたばっかりなので全く眠くない祐一は肩をすくめて、ダリウスの後を追った。
 ふんわりした月明かりが八坂家の庭を照らしていた。
 ダリウスは縁側に腰を下ろしていた。祐一はその隣に座ることにした。
 今日は熱帯夜で、肌に熱気が纏わりつくような不快さがあった。
「扇風機が欲しいな」
『我儘言わないでください。どうしても暑いというなら私にもっと寄っても構いませんよ。自分で言うのもアレですがひんやりしていますから』
「死人のような冷たさは嬉しくないが、まあいいけどよ……」
 祐一はさらにダリウスへと寄る。怖気のようなひんやりした空気がダリウスから流れてくる。エコロジーだがまったく嬉しくない冷房だった。
 考えてみればこんなにダリウスに接近したのは一番初めの、廃工場で彼女に斬りかかった時以来なのかもしれない。ダリウスの周りがこんなに冷たいとは知らなかった。
『少しはマシになりましたか?』
「少しはな。それにしても、なんだまた急にこんなことをするんだ?」
『別に他意はありませんよ。それに感傷的な話をする時はシチェーションが重要です』
「……感傷的な話?」
 ダリウスの顔を見るが、彼女は正面を向いたままだった。
『私とマスターの別れの話です。「黄泉帰り」まではそう遠くありませんから』
「別れ、ね」
 ずっとダリウスの瞳を追っかけていたので、彼女との別れなどしばらく先だと思っていたのだが――先日の片目の発見がキッカケなのかもしれない。
「そういえば『それから』のことをまだ話してなかったな。俺はお前とこのままの生活関係を培っていくのか、それとも契約済みだから殺し合わないといけないのか」
『私はマスターとの契約履行後は、マスターの前からいなくなろうかと思っています』
「そうか」
 特にショックもなく、祐一はダリウスの言葉に耳を傾ける。
『正直、マスターは放っておくと何をしでかすのか分からないので、保護者としてずっと見守っていたいところなのですが……私は【負の簒奪者】でマスターは【狩人】です』
「いつからお前は俺の保護者になったんだよ? 余計なお世話だ」
『「黄泉帰り」は満月の日に行います。もう片方の瞳がいつ見つかるか分かりませんが、見つかればそう遠くない日になると思います』
「前から言っているけど、契約破棄するなよ?」
『さて、どうでしょうかね』
「おい」
『前にマスターは言っていたではありませんか。無理矢理でもやらせる、と』
 契約する時に確かにそう言ったが、だからといって破棄前提はどうかと思う。
 構わずダリウスは質問を続ける。
『マスターは私がいなくなれば寂しいですか?』
「静かになる、とは思うな。あ、でも京子がいるからそうでもないか」
『質問の答えになっていませんよ。イエスかノーでお願いします』
「……五分五分、だな。居なくなって清々するかもしれないが、それでもお前とそこそこの関係を築けたんだ。お前がいなくなれば物足りなくなるかもな」
 ダリウスは不満そうな顔をしていた……表情がないので多分だが。
『なんだか中途半端な答えですね。男らしくないです』
「お前がそれを語るか」
 からかうように言ってやると、ダリウスが空っぽの眼窩でこっちを睨んでいた。
『失礼な。これでも立派に性別があります。女の私からしても、マスターのその言い方は男女差別だと思います。訂正と謝罪を求めます』
「悪かったよ。俺が言い過ぎた」
 そういえばダリウスの女らしいところを何度か見たような記憶がある。
 風呂に入っていて、タオルがなかったからダリウスに持って来させたのだが、何も隠さずに全裸で姿を見せてしまい、ダリウスはタオルをこちらに投げつけて、そのまま猛ダッシュで脱衣所から逃げて行ったこともあった。
 たまに早起きするとキッチンで鼻歌混じりに朝食を作っている姿も見たことがある。
「……お前は見た目がアレだからな」
『言われなくても知っています。そのせいでマスターがセクハラ紛いのことをしてくるのも十分に承知しています。我ながら損な見た目をしていると思います』
 もし。
 仮にダリウスの骸骨の顔に筋肉や皮や脂肪が付いたら、どんな顔になるのだろうか。
 とびっきりの美女になるのか、極上の美少女に生まれ変わるのか、それともどこにでもいるような女性の顔になるのか。髪は長いのか、短いのか。
 スタイルも気になる。普段はマントのせいで何も分からないし、マントを剥ぎ取って無理矢理見てもどうせ骨に決まっている。
「ダリウスの瞳が揃ったら、姿かたちが変わったりはしないのか?」
 力が戻るということは見た目の変化もあると思ったのだが。
『さあ? そこまでは分かりません』
 本人もよく分からない様子だった。
『マスターをメロメロにできるような姿だったら面白いのですけどね』
「はっ。お前が俺の好みを知っているわけないだろ。無理無理」
『マスターの好みはムチムチしていてボインとしている女性なのでしょう?』
「……」
 そういえば前にそんなことを言ったような記憶がある。
『もしかして、マスターの好きなより姉様もムチムチしていてボインなのですか?』
「そこまで答えてやる義理はねえだろ」
『なるほど、そういうことですか』
 勝手に謎の解釈をされたが、恐らく図星だということがばれた。
 いちいち無駄に聡い死神である。こういうところも美依里に似ていて祐一は余計に腹が立つ。人の弱みをあっさりと見抜いてきて、それをダシにからかってくるのだ。
『――明日からはマスターも夜の捜索に来ますか?』
 不意に、ダリウスが尋ねてきた。
 祐一は笑った。何を今更、という気分だった。
「もう一息なんだろ? 俺も協力してやるよ。どうせ『仕事』のせいで夜遅くまで起きてなきゃいけないんだから、お前に付き合うのもその一環だし。【負の簒奪者】どもが出現する危険な場所にでも行くんだろ? 付いていくぜ」
『マスターならそう言うと思っていました』
 これからどうなるのかよく分からない。
 佳澄のことも、京子のことも、ダリウスのことも、美依里のことも。
 祐一はこの日常が好きだった。
 同時に、それを壊そうとしている自己矛盾も自覚していた。


 四章 「それらはすべて決壊していく」


 機関へ入った祐一が訓練を終えて部屋に戻ってくると美依里がネコと戯れていた。
 両手でネコを「たかいたかい」しながら、ニャーンとかゴロニャーンとか蕩けそうな顔で自分はネコになりきっている様子は正直ドン引きものだった。
 祐一が部屋に戻ってきたことにも気付いていない。
 ――何やってんだよ?
 すると、ひゃぅん、と美依里らしくもない乙女チックな悲鳴を上げて文字通り飛びあがった。ちなみにネコも驚いて美依里の手から飛び跳ねた。
 ――いつから見てたの?
 最初から――つまり、私はキミのおともだち☆ 一緒にゴロゴロしよーねウフ♪ の辺りからである。それを言うと美依里の顔はかつてないくらいに真っ赤に染まった。
 美依里がネコ好きなのは知っていたがまさか人格が崩壊するほどだとは思わなかった。
 ネコは美依里に愛想を尽かしたのか部屋から勢いよく出て行った。もしかしたらキモすぎて、たまらず逃げ出したのかもしれない。
 美依里は弁明することなく、むしろ胸を張って言い放った。
 ――ネコが好きなのよ! いえ、好きというよりラブなの!
 迷言、いただきました。
 しばらくはこのネタで美依里を強請れるな、と祐一はほくそ笑んだ。いつも酷い目に遭っているから、たまには美依里も同じ目に遭えばいい。
 その後、祐一は美依里から十倍くらいでお返しされたのは言うまでもない。


 デートがあった休日明けの朝、佳澄は八坂家の前まで来ていた。
 いつものように鞄と一対の竹刀袋を持ち、祐一を迎えに来たのだが、インターホンを押す辺りで急に気持ちが落ち着かなくなってきて、十分ほどそわそわしていた。
 デートの最後に告白して、でも祐一にはっきりと断られて、次から彼にどんな顔をして会えばいいのかよく分からなかった。気持ちの整理がつかないまま休日が過ぎてしまい、体が習慣通りに動いて八坂家の前まで来てしまっていた。
 周りからすれば怪しいことこの上ないが、佳澄には周りの視線は関係なかった。
 そうだ、いつも通りにすればいいんだ。下手に意識すればかえってダメになる。
 と、覚悟してようやくインターホンを鳴らす。
 案の定、誰も出てこない。いつものことなので慣れたが、たまには家の前で準備を終わらせた祐一が待ち構えていてくれてもいいんじゃないかと思う。
 佳澄は八坂家の玄関をくぐった。
 と、何やら騒がしいことに気付く。それに、焦げ臭い。
「……火事?」
 猛烈に嫌な予感がして、佳澄は靴も脱がずに土足で廊下を走る。匂いの元はキッチンからだ。天井付近には黒い煙が漂っていた。嫌な予感はもはや確信に変わっていた。
 勢いのままドアを跳ね開けて、リビングへと佳澄は躍り出た。
「先輩! 火事です……か?」
『おはようございます佳澄様。見ての通り、京子様の調理実習中です』
 ソファーに座ってお茶をすするダリウスが声をかけてくる。
 キッチンには制服姿の祐一と、寝間着にエプロンという格好の京子が立っていた。
 何か料理をしているようで、フライパンから見たこともない濃厚な黒煙がモクモクと立ち上っている。煙は強烈な焦げ臭さと共に佳澄の脇を流れていく。
「みゃーっ! どーして卵焼きが真っ黒焦げになっちゃうのよぉっ!」
「それは火力が強すぎるからだろ! それに油入れ過ぎだし――ちょっと待てぇ! なんでいきなり調理用の酒を入れようとしてんだ! 炭にンなもんかけてもどうにもならねえだろうが! もうちょっと落ち着け!」
「じゃあどうしろって言うのよ! アンタが、卵料理が料理の基本だなんて言うからやってみたけど超難しいじゃない! 嘘つきぃ!」
 ダリウスは淡々とお茶をすする。
『……まあ見ての通り、料理というより化学実験と言った方が正しいですが』
「一応今日学校なのですが、先輩はもう出られるのでしょうか?」
『さて。――マスター、佳澄様が迎えに来ましたよ。その辺でやめてはどうですか?』
 フライパンの奪い合いをしていた祐一と京子が、ようやく佳澄が部屋に入ってきたことに気付く。そんなに必死になる必要があったのだろうか。
「おはようございます、先輩」
「おう。準備は済んでるから、楠野は玄関で待っていてくれないか。鞄を部屋から取ってくるから」
 彼はいつも通りだった。それに安堵している自分と、ちょっと寂しく思う自分がいた。変わらず接してくれるのは嬉しいが、あの日のことをもう過去のものとして済ませてしまったのかと思えば、それはそれで複雑な心境だ。
 リビングを出て行く祐一の背に、フライパン片手の京子が叫ぶ。
「あ、ちょっとアンタ! 逃げるなぁ! この真っ黒焦げどうすんのよ!」
「ダリウスにでも喰わせておけっ」
『マスター。それはあんまりではありませんか?』
「……もしよかったらカスミンがこれ食べる?」
 差し出されたフライパンには、フライパンと同色の何かがこびり付いていた。
 間違いなく体には有害なので丁重に断った。京子はがっくりと肩を落として自分の皿に盛り付けた。
「そういえば京子さんはどうして朝食を作っているのですか?」
「京子『さん』、なんて水臭いよ。初対面ってわけじゃないし呼び捨てでいいよ。それに敬語も禁止。あたしだってカスミン相手に敬語なんて使ってないしさ」
「……じゃあ、改めて、京子はどうして朝食を作ってるの?」
 すると京子は憂いを帯びた横顔で皿の上の料理を見やった。
「お礼、のつもりなんだけどね」
 嫌がらせの間違いではないらしい。
「あたしってばアイツに何度も助けてもらってるから何かお礼したくて。あたし特製の手料理でも振舞ってあげようと思ったんだけど……あ、これでも前よりはマシになったんだよ。ちょっと前は食べてたアイツが突然ぶっ倒れちゃったんだよね」
 ちょっと前……というとデートの日辺りだろうか。
 と、自分が土足で人に家に乗り込んでいたことを思い出して慌てて靴を脱ぐ。
「いつか絶対に、上手に出来た卵焼きを食べさせたやるから、カスミンも期待しててね」
『そんな日が来るのか果てしなく怪しいところですがね』
「ダリウスは余計なこと言うな! ぜぇーったいにびっくりさせてやるんだからね!」
「おーい、楠野。準備で来たぞ……ってまだリビングか。ホラ、行くぞ」
 いつもと変わらない雰囲気に、緊張していた自分が馬鹿らしく思えてきた。
 視界内の、皿に盛りつけられた炭の塊を手でひょいと一かけら摘まみあげて、京子が小さく「あ」と言うのを尻目に口の中に放り込んだ。
 ジャリジャリと焦げの味しかしない。
 ゴクンと飲み込んでから、唖然としている京子に言ってやる。
「これじゃまだまだ料理とは言えないから、後で私も京子に料理を教えてあげるね」
 ポン、と祐一が手を叩く。
「おお、そいつはいいアイデアだ。俺なんかよりも楠野はよっぽど料理が上手だからな。参考になると思うぞ」
『それよりもマスター。いい加減家を出ないと学校に遅刻しますよ?』
「え、――うわっ、もうこんな時間か! 楠野、行くぞ」
 佳澄も時計を見てみるが、いつもよりも十分も出発が遅れていた……八坂家の前で十分もウロウロしていた自分が悪いのだが。
「はい。ダリウスさん、京子、行ってきますね」
「いってらっしゃーい」
『くれぐれもマスターのことをお願いします』
 ほんの小さな些細な出来事――好きだ嫌いだとかそういうので日常は壊れてしまうことはないらしい。
 自宅待機組に頭を下げて、佳澄は祐一の待つ玄関へと向かった。
 祐一は玄関で申し訳なさそうな顔をしていた。
「悪いな、今日は朝からドタバタしてて」
「いいえ。むしろいつも通りで安心しました」
「それは皮肉か?」
 軽く笑っている祐一に佳澄は肩をすくめた。やきもきしていたこっちが馬鹿みたいだ。彼は――少なくとも表面上はいつも通りだ。遠慮も抵抗も感じられない。
「先輩、あの――」
「ん? どうした?」
「――いえ、また後で話します」
 恋なんてのはこれっきりではないはずだ。もうチャンスがないわけではない。
 次こそは、今度こそは愛しの彼をメロメロにしてから自分の気持ちを伝えればいい。今はインターバルだ。作戦を練る時間だ。
 恋する乙女はこんなものでは挫けない。
 ふと、佳澄は自分もなんだかんだでラノベのヒロインみたいに右往左往していることに気付いた。それがたまらずおかしくて、口の端が緩んでしまう。


「えー。今日もあたし一人で留守番なのぉ?」
 不満そうな京子を家に置いて、祐一とダリウスは瞳探しへと向かう。
 鬱蒼とした林を掻きわけて抜けた先にあったのは、古びた廃工場だった。
 夜にもなればことさら不気味に見える。
 もう誰の記憶にも残っていないような風景の一つとして存在しているそこは、祐一とダリウスが初めて会った場所でもある。二十日も前の出来事だ。
『私はここを真っ先に調べましたが、それらしきものは見当たりませんでしたよ』
「俺もだ。前に一度来てみたけど何もない感じだった」
 武器である刀を腰に携えた祐一と、黒衣から処刑鎌を取り出したダリウスが、オンボロの建物を見上げる。今にも崩れそうな様子は変わらない。
 祐一は刀の鞘でトントンと自分の肩を叩く。
「ま、原点回帰だよ。もしかしたら見つかるかもしれないだろ?」
『あまりアテにしていませんがね』
「そう言うな。気楽に行くぞ」
『気を抜きすぎて不測の事態に陥らないように注意してください』
「言われなくても分かってる。俺を誰だと思っているんだ?」
 言いながら、静かに工場内に足を踏み入れる。
 埃臭さとカビ臭さがまず鼻に付く。静寂をそのまま凍りつかせたような凝った空気が肌を撫でる。静かすぎてキーンと耳鳴りがするくらいだった。
「……ダリウス」
『はい。気付いています』
 互いの言葉は硬い。もうふざけている場合ではなくなった。
 祐一は音もなく抜刀して、銀色の刃を構える。
 背後にダリウスがぴったりと張り付いているのが、彼女から溢れ出す冷気で分かる。互いで互いの死角をフォローしながら、工場の奥へと足を進める。
「前とは明らかに空気が違う」
『濃密な【負の気配】がプンプンしますね』
 それは京子を助けるために突入した、二回目の廃ビルの時と同じような気配。
 ただ、今回は、何もいない――ように見える。前は【負の簒奪者】が何十体、何百体と集合していて濃密な気配を生み出していたのだが、今回は違う。
 敵の姿が見えないくせに、莫大な気配。
 雑魚どもをいくら束ねても勝てないほどに匹敵するほどの凄まじい存在。あの影の『ネクロアビス』など比べ物にならない。
 祐一の靴の音だけが工場内を反響する。
「アイツがいる」
 祐一は――いや、祐一だけは知っている。この莫大なオーラを纏うバケモノの存在を。
 どうしてこんな場所にいるのか、何故このタイミングなのか分からない。
 だが、事実、ヤツはいる。今は、それだけを把握していればいい。
『……マスター。アイツとは誰です? あまり会いたくない部類の知人ですか?』
「前に話しただろ。プルートーだ。あれと同じ臭いがする」
 割れた窓ガラスから差し込む月光が、雲に遮られて完全な闇が辺りを支配した。
 完全な無明の世界は一瞬だった。
 その一瞬の間に、異変は起きた。
「おそーい。待ちくたびれたんだけど」
 状況、雰囲気、環境をまるで無視した、馬鹿みたいに明るい声が工場内に響いた。
 祐一とダリウスは声の方へと視線と警戒心を向けた。
 比較的、残骸の散乱が少ない場所に二人は立っていた。
 その奥、潰れかけたドラム缶に腰を下ろして、無邪気な笑みを見せる少女の姿。
 祐一はその声も、性格も、容姿も知っている。それはダリウスも同じだ。なにせここ数日間、一緒に生活してきたのだから。それ故に、違和感を振り払えなかった。
「……朝倉。どうしてここにいる?」
 朝倉京子は、祐一の質問に、さも当たり前のように首を傾げた。ジャラリとツインテールが揺れる。つい先日に自分で買ってきたというサマーパーカーにジーンズという出で立ちで、見た目は普段の彼女と何一つ変わらない。
 だが。
「どうしてって? そのくらいのことも分からないの?」
 明確に――この上なく明確に、雰囲気が違う。
「『わたし』が平然とこんなボロい建物の中で座っていることに何の問題があるの? 『わたし』はアンタらの敵だよ? アンタらを一目見たくて、それでいて会いに来ているのに疑問も疑惑も疑念も関係ないと思わない?」
 京子から撒き散らされる膨大な【負の気配】。
 よっ、と小さい掛け声と共にドラム缶から降りて、コンクリートに立つ京子。
 愕然として動けない祐一とダリウスを満足そうに睥睨しながら、言う。
「改めて自己紹介するよ。『わたし』はプルートーの右腕。ま、便宜上、プルートーと呼んでくれても構わないけど? もちろん朝倉京子とは全く別の存在だから。この少女は今、『わたし』の中で眠っているよ。安心しなさいな」
 口調は京子そのものなのに、中身が――本質が明らかに違う。
「お前、いつから朝倉の中にいた!」
 祐一の裂帛の声が迸った。
 違う。京子に見えるソイツは京子ではない。
 これまでの京子との記憶が、まるで別のモノに思えてきた。
 京子を守るために廃ビルで【負の簒奪者】どもに体を張ったのも、自分の家で京子相手に何度も揉めたのも、少しずつ京子と分かりあえていたのも、全てが偽りのものだったという。目の前のソイツ相手に喜怒哀楽をぶつけていたのだ。
 それは京子に向けてであって、美依里の仇相手にではない。
「そんなに怒らないでよ。『わたし』がこの少女に潜んでいたのは最初から――アンタがこの少女を救出する時からだ。考えてみればいいんじゃない? こんなただの少女が【負の簒奪者】がたむろってる建物に、一週間も無事なままでいられるはずがない。『わたし』が寄生していたお陰で、低俗な連中が寄りつかなかっただけ。シンプルな話でしょー? むしろ守っていたのだから感謝して欲しいくらいよ」
「朝倉の家族が殺されたのもお前が差し金か!」
「違う違う。そこに関しては『わたし』はノータッチ。死人のような空っぽの少女をたまたま見つけちゃったから利用しただけ。それ以前のことは無干渉無関係」
 手をヒラヒラさせながら京子は饒舌に語る。
「どうして今なんだよ! どうして朝倉なんだよ!」
 吼える祐一。『落ち着いてください』というダリウスの声も耳に入っていなかった。
 ただ目の前のソイツが憎くて憎くて、それ以上に気付けなかった自分が情けなくて、周囲のことなど眼中に入っていなかった。
 対して、京子――いや、プルートーは冷めていた。
「あの時、唯一アンタだけを逃してしまった。その唯一逃がしてしまったアンタが今どれだけ成長したのか、そして摘み取るには十分なのかを見たくなっただけ」
 祐一の中では、プルートーへ聞きたいことが山ほどあった。
 美依里はどうなったのか?
 今まで京子としてずっと自分たちを騙ってきたのか?
 何故、このタイミングで姿を現したのか?
 それらは激情にない交ぜになって言語に尽くせない。祐一は飽和しそうな感情に身を任せていた。得物である刀に『狩り』の概念を付加して、わずかにプルートーとの距離を詰める。
 いや、聞くのは後でいい。まずは美依里たちの仇であるソイツをぶちのめす。同時に京子の体からソイツを剥ぎ取る。
 念願の待望の宿願の、邂逅だ。
「覚悟しろよ」
 ゆらり、と祐一が動いた。
『マスターっ!』
 ダリウスの声を振り切り、祐一はプルートーとの距離を一気に埋める。
 薄く笑う、京子のカタチを借りたソイツはただ迫る祐一をじっと見つめるだけだった。
「アンタ、気付かないの?」
 直後。
 濁流のように溢れ出す【負の臭い】。廃ビルで体験した、ありとあらゆるモノを溶かし崩す臭いは一瞬で祐一を包み込んで薙ぎ払う。
「お前こそ気付いてないのか」
【負の臭い】そのものを自身に『複写』して、流れに同化して受け流した祐一が、上段に振り上げていた刀を袈裟に京子へと振り下ろす。
 刃が京子に届く寸前で派手に火花が散った。
 祐一とプルートーの顔が極限まで接近する。
 歯を剥き出しにして祐一が獰猛に笑う。
「お前が馬鹿みたいに濃密な【負のオーラ】を纏っているのは五年前に体験済みだ。それを踏まえて突撃してきたことに気付かないのか? いつまでも素人だと侮るなよ。昔の俺とは違うんだ。舐めてかかると冗談のように叩き潰されるぞ?」
「少しはやれるようになったみたいで『わたし』はとっても嬉しいね」
 攻撃的な笑みを見せるのはプルートーも同様だ。
 祐一はさらに刀に力を込める。一層激しく火花が散って、赤々と辺りを染める。
「ほざけ。朝倉の口で、朝倉の表情で、朝倉の口調で、朝倉のように喋るな語るな話すな言うな。鬱陶しいんだよお前の全てが」
 自身に【負の臭い】を『複写』することを思いついたのは、影の『ネクロアビス』との戦いが終わってからだ。無茶な手だとは思うが、だからこそ連中もしてくるとは考えないはずだ。結果、プルートー相手に刃を届かせる寸前まで近づけた。
 と。
『マスター、援護します!』
 邪魔な障害物の一切をすり抜けて、プルートーへと肉薄するダリウスが下段から処刑鎌を振り上げる。鉄屑など紙細工のように切断する刃が京子のツインテールの片方を掠る。やはり火花が散って、プルートーには攻撃が届かない。
 京子の身体を覆うのは鋼鉄よりも強固な【負のオーラ】だった。ダリウスでさえまともにダメージを与えることができない。
 横目でプルートーは死神の姿を見た。
「なぁんだ。ダリウスは『わたし』への恩を忘れちゃったんだ? だからそうやって『わたし』に武器を向けられるんだよね」
『何です、って?』
 ダリウスの疑問の声にはプルートーは答えない。
 京子が、祐一の刀とダリウスの処刑鎌をオモチャのように掴んで無造作に振ると、凄まじい遠心力が二人を襲った。祐一は鉄筋の柱へと叩きつけられ、ダリウスも地面を滑っていく。
 即座に祐一は体勢を立て直す。起き上がって、武器を構える。頭がふらつくが行動に支障はないレベルだ。見れば、少し離れた位置でダリウスも起き上がった。
『プルートー。貴方は私のことを知っているのですか?』
「あったりまえじゃない。『わたし』はダリウスの出自さえも知っているもの。むしろ、知らないわけがない。だって、『わたし』がダリウスを作ったんだよ?」
『…………え?』
「…………作った? どういうことだ?」
 祐一は混乱していた。ダリウスも動揺を隠せていない。
 プルートーの言っている意味が分からなかった。
 そういえば、と祐一は、プルートーがダリウスを前に平然としていたのを思い出した。【負の簒奪者】は人間と決して分かり合えない。そのことは【負の簒奪者】そのものがよく分かっているはずだ。それなのに、気にした素振りさえなかった。
 最初は余裕かと思った。どんな事態にでも対応できる余裕かと。
 でも、違う。そういう話ではない。むしろダリウスが祐一と一緒にいることが当然であるような、そんな前提で構えていたのだ。
 祐一とダリウスの困惑を満足そうに眺めた後、京子はポケットから何かを取り出す。
「これが証拠。アンタらが探しているのはコレでしょ?」
 それは、窓から差し込む月明かりに反射して黒真珠のように輝く。
 正真正銘、ダリウスの瞳だった。
「なんでお前がそれを持っているんだ……?」
「さぁてね。そのくらいは自分で考えてよね。脳ミソあるでしょ?」
 そして、あろうことかプルートーは、取り出したダリウスの瞳を祐一へと投げる。
『そんなっ!』
「な、にっ!」
 慌てて祐一はダリウスの瞳をキャッチする。以前のように、膨大な【負の臭い】が放出されることはなかった。祐一の手の中でコロコロと転がった。
『一体何のつもりですか!』
 尋ねたのはダリウスだった。不可解が続いて、声にはいつもの冷静さが欠けていた。
 プルートーはもう自分の用は済んだと言わんばかりにポケットに両手を突っ込んだ。
「困るようなモンでもないでしょ? アンタたちが血眼になって探していたモノを、『わたし』が懇切丁寧にプレゼントしてあげただけ。感謝の言葉はあっても疑問の投げかけはないんじゃないの? もっと喜びなさいよ」
『ふざけないでください! 説明を要求します!』
「めんどくさいんだけど。『わたし』は疲れたからこれにてオサラバするよ」
「いい加減にしろ! お前は何を企んでいるんだよ!」
 堪らず、祐一も声を荒げる。理不尽とか不条理とかそういうレベルではない。
 目の前のソイツが何をしたいのか、まるで読めない。
 はぁ、と小さく溜息を吐いて京子は渋々といった様子で口を開く。
「八坂祐一。『わたし』は、かつて、唯一逃がしてしまったアンタがどれほどに育ち、どれほどやれるようになったのか知り、その上でお前に絶望を見せてやりたいだけの話。アンタが望む『黄泉帰り』は、アンタの想像を超える最悪な形で成就されるよ。『わたし』はそれをどこかで愉快に眺めているよ」
「答えになってないぞ!」
 だが、プルートーはそれ以上は語ろうとしなかった。
 京子の瞳からふっ、と意思が消えたかと思うと、小柄なその体はグラリと傾いて糸の切れた人形のようにその場に倒れ込んだ。
「おいっ!」
 祐一は京子へと駆け寄った。ダリウスも同様に京子へと接近に顔を覗きこむ。
『……気を失っています』
 努めて冷静な声が、そう判断した。
 ぐったりとした京子を抱き上げて、祐一はその体を揺すった。何度も名前を呼んで、意識を取り戻そうと躍起になる。
 もう辺りに占めていた【負の気配】は完全に消え失せていた。
 プルートーはどこかに消えてしまった。
 ――だって、『わたし』がダリウスを作ったんだよ?
 そう言ってダリウスの瞳を渡してきた目的がまるで掴めない。自分たちを混乱させる目的なら、別にダリウスの瞳まで渡してやる必要もないはずだ。
 もし仮にプルートーがダリウスを作ったのならその構造も知っているはずだ。両目を取り戻せば力が完全なものになることも把握しているはずなのに、どうして敵に塩を送るようなことをしてきたのか。
『マスター、……とりあえず戻りましょう。考えるのはそれからです』
「そう、だな……」
 祐一は、いつかのように京子を背負って廃工場を出た。前と違うのは、佳澄にも連絡を入れた点だった。佳澄はすぐに八坂家に向かうと言って電話を切った。
 帰り道、互いに言葉はなかった。
 混乱していて、何をどう言葉にすればいいのか分からなかったからだ。
 わずかに欠けただけの月が、祐一とダリウスの姿をぼんやりと浮かび上がらせていた。


 さっきあった出来事をすべて話し終えても、佳澄の表情は冴えなかった。
 当然だ。現場にいて、プルートーと相対していた自分でさえ理解できていないのだ。
 祐一は深く溜息を吐いて、天井を見つめた。
 二人は八坂家のリビングにいた。ダリウスもさっきまでいたのだが、『京子様の様子が気になります』と言って、部屋を出て行ってしまっていた。
「プルートーが何を目的としているのかは皆目見当がつかない。けれど、朝倉の体にしばらく寄生していたのと、俺たちを挑発するために姿を現したのと、ダリウスの瞳を俺たちに寄こしたのと、もう朝倉の中にその存在がない、という事実だけははっきりしている。今はそれだけを知っておけばいい。無駄に勘ぐると混乱するだけだ」
「……はい、そうです、ね」
 佳澄は唇に指を当てて何かを考えているようだった。
「何か思うところでもあるのか?」
「いえ、今のところは何も。ですが相手も目的なしにこのような行動をするわけがないので、何らかの意図があるはずなのです。それが何なのかと言われると……」
「アイツは自分がダリウスを作ったと言っていた。それが本当かどうかはさておき、ダリウスの瞳を持っていたのは事実だ。ダリウスの記憶喪失の秘密を知っているのかもしれないし、あるいはアイツそのものが記憶喪失の原因なのかもしれない」
 それにプルートーの言動は、まるで祐一に『黄泉帰り』をさせようとしているかのようなフシさえあった。美依里を蘇らせて、プルートーに何の得があるのか。
 ヤツは言っていた――『黄泉帰り』は最悪の形で成就される、と。
 プルートーから受け取ったダリウスの瞳は、すでに本人へと返している。両目が揃ったというのにダリウスはあまり嬉しそうではなかった。あまりにもあっさりと手に入ったし、敵の動機も不明だから素直に喜べないのだろう。
 ただ、少なくとも『黄泉帰り』の条件は整えた。
「本部の方へ連絡しましたか? さすがにプルートー相手になれば私たちだけではどうにもなりません。増援を要請すべきだと思います」
「もちろん本部へ連絡は入れた。でも増援の要求はしていない」
「どうしてですか?」
「しばらくは俺たちの前に姿を現さない、そんなことを言っていたからだ」
 本音は、本部の人が来ると『黄泉帰り』をやろうとしていることが勘ぐられるかもしれない、という危惧があるからである。
 それに、
「アイツは遠くから俺が『黄泉帰り』をするのを眺めている、と言っていた。つまり『黄泉帰り』をしようとする限り、アイツは俺の傍を離れない。逆に言えば、俺が『黄泉帰り』を警戒して取り止めればアイツは興味を失って二度と姿を現さないかもしれない」
 そうなれば本部の人を呼ぶのは得策とは思えない。
「ということは……先輩はやはり、するのですね?」
「ここまで来て引きたくないからな。これはもう乗りかかった船だ。降りられない」
「そうですか」
 祐一と佳澄は難しい顔でテーブルを見つめている。めまぐるしく思考を回転させているので、実際は何も見ていないのだが。
「何難しい顔して考え込んでんのよ?」
 重苦しい空気を無視するように、勢いよくドアを開けた京子が入ってくる。その後ろにはダリウスもいた。
「朝倉、お前もう大丈夫なのか? まだ寝ていてもいいんだぞ」
「そんな怖い顔で言わないでよ。もうあたしは大丈夫なんだから。……ゴメンね、なんだかあたしのせいでアンタたちに迷惑かけちゃったみたいで」
「別に京子のせいじゃないよ。だからそんな暗い顔しないで」
「うん、カスミン。ありがと」
 京子は佳澄の隣に座った。いつの間にか二人は仲良くなっているんだな、と祐一は少しだけホッとした気持ちになった。
 ダリウスが祐一に顔を近づけて、囁くような声で耳打ちする。
『もう京子様にプルートーの存在反応はありません。私が念のために確かめてみましたがもうその存在は確認できませんでした』
「そうか」
 ダリウスが京子から聞いた話によると、今までの大体の記憶はあるようで、プルートーに乗っ取られていたのはごく僅かな時間だったらしい。影の『ネクロアビス』との戦闘する前辺りと、今日の廃工場でのやり取りのところだけ記憶が霞んでいる、と。
 それだけならば京子の体にも悪影響はほとんどないはずだ。
 と、ポロポロと京子は突然大粒の涙を流し始めた。
 慌てて祐一は腰を浮かすが、京子は頭をブンブンと振った。
「あたし、ようやく思い出したの……、あたしが家出をした理由。あたしの中にいた何かがいなくなった弾みで、忘れていた……忘れようとしていたこと、全部思いだした」
「京子……」
 その理由を直に見た佳澄は、京子の背中をさすってやる。
 京子の家族は【負の簒奪者】によって惨殺された。かろうじて生き延びた京子は、精神が壊れないように事実を歪めて、ただの家出少女だと思いこんだ。でも、そのフィルターはプルートーの影響で壊れた。
 京子の胸には、家族の無残な死体がはっきりと焼き付いているに違いない。
「パパぁ……、ママぁ……、お姉ちゃん……、どうしてなのよぉ……!」
 顔を抑えて大声で京子は泣き始める。その悲痛な嘆きが、耳に痛い。
 祐一も事の顛末は佳澄から聞いている。京子の両親は殺されて、その上で体を寄生させられた。京子の姉は、寄生された両親によって喉を喰い千切られた。どう考えてもまともな死に方ではない。
 祐一はダリウスだけに聞こえる声で尋ねる。
「ダリウス。一応聞いていくが、『黄泉帰り』は一人だけしか無理なのか?」
『いえ、そういうわけではありません。ですが、京子様の家族まで範囲を広げるのはできません』
 はっきりとダリウスは断言する。
『そんなことを言い出したらキリがありません。京子様の家族を蘇らせるのは、他の人たちに不公平です。人の死を優しい思い出と共に越えて行くのが人の在りようです。不可逆あってこその生です。それを捻じ曲げるのは本来あってはならないことです』
「……なら、どうして俺の希望を、より姉の『黄泉帰り』を認めてくれたんだ?」
『マスターは、不可逆を歪めるリスクを知りながら、それを覚悟して臨んでいるはずです。自分以外の――いえ、自分さえも美依里様のために捨てることさえ厭わない。故に、私はマスターの「黄泉帰り」を受諾したのです』
 それは果たしてダリウスの本音なのだろうか。
 祐一には何故か表向きの理由のように聞こえた。
「まあ、それはそれ、か」
 京子はずっと泣き続けている。
「朝倉」
 祐一は立ち上がった。
 京子は泣き腫らした赤い目で祐一を見上げた。涙や鼻水で、いつもの快活な彼女の顔がグチャグチャだった。無理もない。
 だから、祐一はそれをなんとかしてやりたいと思った。
「確かに朝倉の家族はもういない」
 はっきりと突き付けられた事実に、京子の顔がさらに歪む。佳澄は祐一が何を言いたいのか図りかねているようで、黙って祐一の顔を見つめている。
「もうお前は前まで居た場所には戻れない。だったら、俺たちの場所に来るのは駄目か?」
「……えっ?」
「実は、俺も楠野も、家族を失っているんだ【負の簒奪者】に殺されてな」
 小さく息を呑む京子。隣の佳澄を見ると、頷きが返ってきた。
「お前と同じ苦痛を体感したんだ。お前の痛みは俺らだってよく分かっている。でも俺も佳澄も……過去を振り切れたわけじゃないが、今を見つめて生きている。失った者同士で慰め合って、新しい家族のような存在になっただからだ」
 だから、祐一にとって佳澄は妹のような存在なのだ。
「俺たちは朝倉の苦しみを分かち合うことができる。悲惨な事実を忘れろとは言わない。でもそれを俺たちにぶつけて、苦しみを軽減させてくれても構わない。相談にだって乗ってやる。だから、朝倉。俺たちと一緒に生活しないか?」
 言いながら、祐一は昔のことを思い出していた。
 美依里に同じことを言われて、潰れそうになっていた自分が救われたのを。
 今度は自分が、潰れかけている少女を助けてやる番なのだ。
「…………いいの?」
 ポツリと京子が呟いた。
「ああ」
「あたしは我儘だよ? めんどくさがりだよ? 素直じゃないよ? そんなあたしでもアンタたちと一緒に居てもいいの? 迷惑じゃないの?」
 祐一の代わりに佳澄が首を振った。
「そんなことないよ。それに今は、私たちの気持ちじゃなくて、自分の気持ちを優先していいの。家族ってそういうものだと思わない? 間違っている時は間違っているって言ってあげるから。だから、遠慮なんていらないし逡巡も必要ない。自分がどうしたいのかを私たちに聞かせて?」
「……あたしは――」
 京子は服の袖で涙を拭って、顔を上げた。
「あたしは、祐一やカスミンと一緒に居たい! だって、一緒に居て楽しかったんだもん! そりゃ祐一にムカついたり、ダリウスに噛みついたり、カスミンを困らせたりしたけど、でも楽しかった! 幸せだった! だからあたしはみんなと一緒に居たいの!」
「決まり、だな」
 祐一は笑った。見れば佳澄も頬を綻ばせているし、ダリウスもこころなしか笑っているような気がした。
「それから、初めて俺の名前を呼んでくれたよな? ずっとアンタ呼ばわりだったからな。これからは名前で呼んでくれよ?」
「なら、『祐一』こそ、あたしのことを名前で呼んでよね? あたしの名前は朝倉京子だからね? 朝倉って呼び方だけだと物足りないんだよね」
「はいはい。分かったよ、『京子』」
 そして、まだ泣き顔な京子の顔にも、小さな笑顔が咲いた。


 ――『黄泉帰り』は明日の夜に行います。
 そうダリウスに言われて、祐一は高揚する気持ちを抑えきれずに寝付けないでいた。
 時計の針が静寂の中で、正確に時間を煩く知らせてくる。何度寝がえりをしたのか分からない。暗闇に慣れた目は、部屋の輪郭をぼんやりと映している。
 時刻は深夜の二時を過ぎた辺りだった。
 京子と完全に分かりあったのが少し前だ。佳澄もさすがに時間が遅すぎるので祐一の家に泊まることになった。今頃は京子の部屋で一緒に寝ているはずだ。
 寝ることのないダリウスをリビングに置いて、自分は電気を消して自分の部屋へと戻ろうとした時に、ダリウスから呼び止められた。
『マスター。「黄泉帰り」は明日の夜に行います』
 口元が緩んでしまうのは無理もないことだった。
 分かった、と一言残して、祐一は自分の部屋へと戻ったのだ。
 それから今まで、ずっと頭の中は美依里のことで一杯で、まるで眠れないでいる。
 プルートーへの怒りも、美依里との再会に比べれば些事でしかない。いつか仇は討ってやろうと思うが、それは美依里自身が自分でやろうとするかもしれないし、今は復讐よりも美依里のことを考えたかった。
 自分の初恋相手。
 この世界へと導いてくれた張本人。
 新しくできた家族。姉。
 祐一にとって美依里の存在はとても大きなものだった。一言で関係は説明できない。強く繋がっていたし、深く分かり合っていた。直接口でそう言ったことはなかったが、恋人寸前までの距離だったに違いない。
 美依里と引き換えに、祐一の元からダリウスが去る。
 ちらりと脳裏に、ここしばらく生活を共にした死神の姿が浮かんだ。そういえば今日で最後かもしれないのだ、ダリウスと一緒の家で過ごすのは。
 今、ダリウスは暗いリビングで明日の『黄泉帰り』のことを思っているかもしれないし、今まで過ごしてきた祐一たちとの思い出を振り返っているのかもしれない。
 それなのに、彼女を一人っきりにさせるのは悪いような気がした。
 どうせ眠れないのだ。朝までダリウスに付き合ってやるのもいいかもしれない。
 祐一は部屋を出た。
「ダリウス。まだ起きているか?」
 案の定、ダリウスはリビングでじっとしていた。
 祐一の声に気付いて振り返る。部屋は暗いままだったがわざわざ電気を点けるのも面倒だった。それに、祐一の目はちゃんとダリウスが見えている。問題はない。
『マスター。どうしたのですか?』
「これが最後の夜になるかもしれないからな。お前の傍にいたくなったんだよ」
『もしかして寝ぼけているのですか?』
「そんなわけあるか。むしろ眠れないでいるんだけどな。――隣、座るぞ」
 ダリウスの返事も聞かずに祐一は彼女の隣へと座る。ひんやりとした空気がここちよい。
『マスター、変ですよ。私は本当にマスターが寝ぼけているのかと疑っています』
「そんな嫌そうに言うな。前はお前から誘ってきたんだから、今回は俺から誘っているんだよ。嫌とは言わせないからな」
『……まあ、マスターがそう言うのなら別に構いませんが』
 腰を浮かせかけたダリウスは、観念したようにソファーへとまた座った。
 女(?)がすぐ隣に座っているのに祐一はまったく興奮しなかった。なにせ姿が姿である。死神の隣に座って胸を高鳴らせるヤツは自殺志願者くらいだろう。
「……ダリウスは誰かを好きになったりしたことはあるか?」
『いきなり何を言い出すのです?』
「質問に質問で返すなよ。どうなんだ?」
『好きになるも何も、私は記憶喪失の身なので好悪など覚えているはずもありません』
 それもそうだ。でも面白くない返答である。
「お前、俺の蘇らせようとしているより姉のこと、気になったりしないのか? どんなヤツなのか、とか。なんで俺がより姉のこと好きになったのか、とか」
『別に私が知ったところでどうにかなるものでもありません。それにマスターの片思いの相手に興味はないです。……どうしても、というのなら聞いてあげてもいいですが』
 互いに会話の主導権を握ろうと威嚇し合う。
 こんなことを、かれこれ三週間近くも毎日繰り返してきたのだ。
 自嘲するように祐一は口の端を歪めた。
「正直に言えばな」
『はい?』
「俺はお前により姉の面影を重ねていた」
『……どういうことですか? 私とより姉様は無関係もいいところですよ』
 もちろん見た目は違うし、雰囲気も同じと言い難い。
 でも口調がそっくりだし(美依里はですます調ではないが)、相手をからかうような喋り方が祐一に昔を思い出させる。無駄に保護者顔なのも要因だ。
「そうだな……例えるなら、好きな女がいるとするだろ? その女にそっくりな人形を見つけたから、もう会えない好きな女の代わりに、愛でてやるような、そんな感じだ」
『男の趣味としては最悪ですね。人形遊びですか?』
「言葉通りに受け取んな! 例えば、って言っただろ!」
 ダリウスと話していると無駄に疲れてくる。
 一方、ダリウスは神妙な顔(のような気がする)で、腕を組んでいた。
『ということは、マスター……その例で言うのなら、マスターは私のことが、その、つまり、異性として好きなのではないですか?』
「さぁて。お前に恋しているかと言われると難しいところだな。ま、心配するな。少なくとも嫌いじゃないからな」
『そ、そうやって人をからかうのはどうかと思います』
「どの口がそれを言うか」
『それとこれとは別です。私とて女の部類に入るのですから、マスターから好きだと言われると、その、困ります』
「……、もしかして…………お前、本気か?」
 思わずまじまじとダリウスの顔を見てしまった祐一だった。
 ダリウスは自分の赤面(なのかは不明だが)を隠すようにそっぽを向いていた。死神が照れているところを可愛いとは思いづらいが、ただ、祐一の方まで恥ずかしくなってくる。
「ば、馬鹿だろお前! 何勝手に照れてんだよ!」
『今まで友達だと思っていた異性の幼馴染から、急に告白されたような気分です』
「どういう例えだ!」
『私も、マスターのことは、嫌いではありません。かと言って好きでもありませんが』
 急に誤魔化すようにわけのわからないことを言い始めるダリウス。
『私にとってマスターは一時の契約相手です。恋愛感情を抱くほどの相手ではありませんし、抱いたところで種族の絶対的な差が阻むだけです。だから、私はマスターに恋しているはずがありません』
「……ちょっと落ち着けダリウス。お前、絶対に混乱しているぞ」
 なんで急にこんな反応をし出すのか意味不明もいいところだった。
 普段のダリウスなら色恋沙汰にも皮肉交じりで返してくるというのに。瞳が揃ったことと何か関係が……あるはずがない。目玉が揃っただけで変わるモンでもない。
 でもダリウスの瞳が揃ったくらいしか要因が思いつかない。
「とりあえず深呼吸しろ。スーハースーハーだ」
 言われた通りにダリウスは深呼吸をする――と、ここで祐一は、死神が深呼吸して意味があるのか疑問に思った。
 どうやら調子が狂っているのは自分の方もらしい。
 それからは、落ち着きを取り戻したダリウスと夜が明けるまで、出会ってからのことをひたすら話し続けた。思い出巡りはあっという間に時間が過ぎていく。
 祐一は、ようやく気付いた。
 自分はダリウスにいなくなられると、困る、ということに。
 でも口にはできなかった。自分たちはそういう契約の上でこの関係を成り立たせていたのだから。


 風のない、とても静かな満月の夜だった。
 ダリウスは林に囲まれた開けた草地の中央に立ち、己の黒衣に腕を入れ、処刑鎌を取り出した。月光に反射する鋭い刃を構えて、自分の周囲を円周状に刈り取る。背を伸ばした草が薙ぎ払われて、『黄泉帰り』の場作りが完成する。
 ダリウスから少し離れた位置で、祐一は腕を組んでじっとその様子を見つめていた。
 隣には佳澄もいた。頑なに「付いていく」の一点張りで、最初は彼女を連れてくるつもりのなかった祐一は折れた。
「美依里さんと親しかったのは先輩だけではありません」
 家を出る前に佳澄はそう主張した。自分の知らないところで、美依里が蘇るのがたまらなく嫌だったのだろう。自分の目で『黄泉帰り』を見届けたかったに違いない。
 祐一たちは、最初ダリウスと出会った廃工場付近の林の中にいた。
 周囲の目を気にする必要もなく、ダリウスも『この場所ならば私の力を十分に出せます』と言っていたので、原点の場所での『黄泉帰り』となった。
 祐一の腰と、佳澄の肩には、それぞれ得物の刀があった。
 プルートーの言っていたことが気になって、二人は武器を念のために持ってきていた。最悪の形で成就される、という言葉の真意は見えないが、武器はあって損はしないと踏んだのだ。使わなければそれはそれだ。
 さすがに京子は連れてくることはできなかった。不平不満を口にしていた京子は家で留守番だった。それでも『仕事』の管轄だ、と説明したところ、ある程度は分かってくれたようではあった。
「ダリウスの準備が出来次第、始めてくれ」
 祐一の胸中はいくつもの感情が幾重にも混じり合い、落ち着かない状態にあった。
 美依里との再会を待つ歓喜と、ダリウスとの別れを憂う哀惜と、佳澄の恋慕を思う動揺などがごちゃ混ぜになって、動悸を早める。口の中がカラカラに乾いているのを祐一は自覚していた。
『すでに準備は済んでいます。時間もいい具合なのでそろそろ始めます』
 ダリウスの、金属を擦り合わせるような不快な声も真剣そのものだった。
 無言で佳澄は、月下に浮かぶダリウスを見つめている。必要以上に言葉を重ねる必要がないと感じているのか。その瞳に浮かぶのは無感情だった。
 祐一も視線をダリウスへと向けた。
 とうとう、禁慰を破る時が来たのだ。
 ダリウスは黒衣へ手を入れて、二つの小さな球体――自分の瞳を取り出した。まるで黒真珠のような二つのソレは【負のオーラ】を表面に纏い、漆黒色に輝く。持ち主本人の手に戻ったせいか、前に見た時よりも【負の臭い】が濃厚になっているような気がした。
 考えてみれば、ダリウスの瞳はプルートーに誘導されて手に入れていた。
 あの廃ビルでも、廃工場でも。
 プルートーが告げた、自分がダリウスの創造者だという事実。いや、事実かまでは分からない。祐一たちを混乱させるためだけに騙っただけかもしれない。
 だが何かが、まるで喉の奥に刺さる小骨のように祐一の思考を邪魔する。
 祐一は頭を振る。今はそんなことはどうでもいい。目の前の儀式に集中すべきだ。
 ダリウスは二つの瞳を空へと仰々しく掲げて、大きく口を開いた。
 まるで飴玉を頬張るように、二つの球体がダリウスの口の中へと落ちる。骸骨の姿でどうやって取り込むかは分からないが、飲み込んだ瞳はダリウスの体内へと消えた。
 瞬間。
 ぞわっ、と祐一の肌が悪寒に総毛だった。
 ダリウスの体の隙間という隙間から、膨大な量の【負の臭い】が吐き出されて、周囲の草を腐敗させる。空気さえも汚染され、ダリウスの周囲が陽炎のように歪む。
「先輩」
 低く佳澄が唸る。今にも抜刀しそうなほど殺伐とした雰囲気を纏わせていた。
「危険です」
「分かってる」
 この【負の臭い】は、周囲にいる祐一たちにも被害を与えてしまうほどのものだ。少しでも嗅げば、頭痛と眩暈を引き起こす。大量に吸い込めば、皮膚は腐れ、肺は爛れ、器官はすべて冒される。猛毒といっても何ら問題ないほどの腐敗臭だ。
「もう少し待て。本当に危険になったら結界を張る」
 下手に『黄泉帰り』に干渉したくないので、祐一は鋭く佳澄に言う。
 いらないことをすればいらないことになる。できるだけ、こちらからは何もしたくないというのが祐一の気持ちだった。ただ、いつでも刀を抜けるように手は添える。
 陽炎は大きく歪んで、月光を屈折させる。
 闇色のプリズムが爆発的に拡散した。
 視界が黒一色に塗り潰される。見えない何かが、圧力となって祐一の髪と服を大きくなびかせた。音が掻き消え、無音無明が感覚を奪う。
 祐一は一息に抜刀した。すぐにでも結界を張れるように構える。隣にいるはずの佳澄の姿さえ見えないが彼女も同様に抜刀をしているはずだ。

 オォォォォォォ――――ン

 それはまるで悪意ある、静謐とした音響だった。
 極上の楽器よりも美しく耳朶を震わせて、至上の歌声よりも強烈に心を震わせる。
『マスター』
 と、祐一の耳が闇の中でダリウスの声を捉えた。
 見えない何かは流れ去っていき、圧力は消えてなくなる。闇色だけは視野を塞ぐ。
『私、全てを思い出しました』
 怖気だけはこの上なく明確に明瞭に肌に纏わりつく。
 それは敵意だった。同時に殺意でもある。
『いえ、思い出してしまいました』
 闇色の、煮詰めたようなドロドロした悪意――プルートーのような。
 ダリウスのノイズのような声は次第に、はっきりとした肉声へと変わる。
『私が何者なのかも、何のために生まれたのかも、何故マスターの前に現れたのかも』
 その声は五年ぶりに聞くものだった。
 懐かしさも覚えるが、それ以上の違和感を覚える。
 どうして今なのか。まだ途中であるはずなのに。
『結論から言えば「黄泉帰り」は失敗です。どう足掻いてもより姉様は蘇りません』
 ハっ、と息を呑む音が隣から聞こえた。
『私は【負の簒奪者】。生きとし生ける者を脅かし、蝕み、刈り取ることを目的とする純悪な存在。マスターを殺す者です』
「先輩っ!」
 かつてない、鬼気迫る佳澄の声が辺りに響く。
 キィィンと金属同士がぶつかり合う澄んだ音がそれに続く。
「楠野!」
 佳澄の小さな悲鳴。肉を切り裂くような痛々しい音。地面に激突する音。女の哄笑。
 まるで目くらましだったかのように、祐一の視界を塞いでいた闇色が消滅する。
 まず祐一の目に飛び込んできたのは、切り裂かれて血を流す佳澄の姿だった。地面に倒れ伏して、ひゅうひゅうと死にかけの呼吸を繰り返している。
 次に見えたのは、月光を背に、処刑鎌を流麗に振り上げる死神の姿。
 一つに束ねた長い黒髪が道化の仮面の白さを際立たせる。仮面の下には髑髏ではなく白磁のような肌が覗く。仮面の双眸から、黒真珠のような黒瞳が祐一を見据えていた。踊る黒衣の下には骨ではなく、成熟した女の肢体が艶やかに映る。大人の膨らみを持つ乳房から細いくびれへと流れ、豊かな臀部が煽情的に揺れ、細くも引き締まった足へと繋がる。まるで戯画のように映える姿をした彼女は、艶美に笑む。
「私は――」
 奏でる声は過去の残滓であるはずだった。
 黒甲冑の手が、己の仮面を取り外す。無造作に道化の証を投げ捨て、彼女は完全に祐一にその正体を見せる。
「そんな……」
 祐一は自分で呟いたことにさえ気付けない。
「私は、辻崎美依里の残滓であり残骸。そして辻崎美依里そのもの」
 ダリウスは――ダリウスであったものは、斬り捨てた佳澄を満足そうに見下しながら、祐一に笑いかけた。
 待ち焦がれて、待ち望んだその笑顔は、しかし絶対的に何かが違う。
「久し振りですねマスター。五年くらい開きましたが、元気にしていました?」
 ダリウスは辻崎美依里となって、祐一へと対峙した。
 月光は残酷なまでに、彼女の姿を照らしていた。


「……より姉……なの、か……?」
 祐一は目の前の出来事を信じられないでいた。
 そもそも何が起こったのか把握できているのかさえ怪しいところだった。ダリウスの正体が実は美依里で、その美依里が祐一を殺すために鎌を振るい、佳澄が祐一を守るために身を呈したために血を流して倒れている。
 何一つ意味が分からない。
「そうです。私はマスターの言う、より姉です。まあ、中身が少々違いますが」
「……中身?」
「……せん、ぱ、ぃ…………に、げっ……逃げ、てくだ、さ……い……」
 佳澄が血反吐を零しながら、必死の顔で訴えかけてくる。
 美依里は処刑鎌で佳澄を指しながら言う。
「そこで死にかけている佳澄様も私が斬りました。本当ならマスターを殺すための一撃でしたが、あろうことか飛び出してきたので、ついでに殺してしまおう、と」
 美依里は処刑鎌の刃の背の部分で佳澄の傷口を抉る。
 ぐちゅ、と嫌な音がして血が噴き出す。佳澄の苦悶の声が辺りに響いた。
「やめろぉっ!」
 誰であろうが、佳澄を傷つける者は許さない。相手が美依里でもだ。事情は分からないが少なくともそれは間違っている。
 祐一が横薙ぎに刀を振るうと、美依里は軽やかに後方へと跳躍して距離を置く。
「マスターは佳澄様を庇うのですか?」
「お前が……、アンタが、楠野を傷つけるというのなら」
 嘲る美依里を十二分に警戒しながら、祐一は佳澄へとしゃがみ込む。
 佳澄は肩から脇腹にかけて一閃されていた。二本の刀でダメージを軽減できたのか、幸いにも傷は内臓には達していない。だが致命傷には違いない。溢れ出る血は止まることを知らない。刀は二本とも折れて、近くに転がっていた。
「楠野。動けるか?」
「す、みませ――げほっ!」
「喋るな。頷くか、首を振るかにしろ」
 佳澄はわずかに縦に振った。歯を食いしばって、痛みを堪える姿はあまりにも痛ましい。
 とにかく止血だった。祐一は刀にチカラを込めて、佳澄の傷に刃の裏を触れさせる。淡い燐光が佳澄の傷を覆っていく。それで最悪、失血死だけは防げた。
「なんで、こんなことをするんだ、ダリウス……いや、より姉?」
 立ち上がって、佳澄を守るように美依里と向かい合う。
 美依里は、さも当然のように笑った。かつて祐一が憧れていたその笑顔は、今では見る影もなく堕落していた。
「あの時――五年前、死の雪の中、私はプルートーの右腕へと突撃して、死にました」
 美依里は饒舌に語り出す。
「死んだ私にプルートーは目を付けました。ヤツが言うには私にはずば抜けた戦闘センスと飛び抜けた魂のカタチを持っているらしいです。私はプルートーに魂のカタチを変えられました。いや、変えるというのもぬるい表現です。本質的に別のモノにされた、とでも言えばいいでしょうか」
 それは到底、饒舌では語れない、耳を塞ぎたくなるような事実の羅列。
 人間という器を【負の簒奪者】に染められた。もう人には戻ることはできない。同時に【負の簒奪者】と呼ぶにも歪すぎて、結局どちらでもない半端な存在に。
 人格を破壊された。記憶を奪われた。身体を再構築された。美依里という原形がないほどに混ぜられ、偽りの体と抜け殻の記憶を与えられた。人でさえなく、死神という、性別の区別さえつかないほどの存在変換。
 代わりに与えられたのは死神の体だけでなく【負の簒奪者】としての存在価値だった。美依里にあった正義感だの倫理だの常識だの感情だの、ありとあらゆるアイデンティティの代わりに、穢れた正義感だの歪んだ倫理だの的外れの常識だの壊れた感情が与えられた。少女の恋心も、低俗な情欲へと置換された。
 プルートーは美依里を、祐一専用の殺戮人形へと造り替えた。
 キーは瞳だった。両目に、かつての「美依里だった性質」と「塗り替えられた性質」を閉じ込めて、二つが揃った時にそれらが殺戮人形に意義を与える。
 そして今、ダリウスだったものは美依里もどきとなって祐一の前に立ち塞がっている。
「ふざけんなよ……」
 祐一は初めて怒りで視界が真っ赤に染まる、ということを知った。
 人格というものを、個性というものをまるで玩具のように弄ぶプルートーへの激烈な怒りでおかしくなりそうだった。本人から告げられた美依里の死も悲しいし、存在の変革にも胸が張り裂けそうだ。でも、それ以上に、プルートーへの怒りが上回る。
 もう美依里は、祐一を名前で呼んでくれない――「マスター」としか呼んでくれない。
 もう美依里は、祐一への愛情を覚えていない――ダリウスとしての感情しか残ってない。
 もう美依里は、祐一が覚えている美依里ではない――もう会うことはできない。
「さあ、マスター。どうしますか? 私を止めますか?」
「言われなくても。より姉……いや、ダリウス。アンタが元は誰なのかも、今までの思い出が失われそうなのも、関係ない。――なるほど【負の簒奪者】か。実に言い得た表現だ。俺の中のあったかい部分を根こそぎ奪っていきやがった。でもな、その程度で俺が折れると思っているのか? 挫けると考えているのか?」
 元よりすべてを投げ捨てる覚悟でこの場に立っているのだ。
 祐一はゆっくりと刀を構えた。
 間違いなくプルートーはどこかでこのやり取りをみて笑っている。
 だから、それを否定してやる。ヤツの望む終わりなどさせない。
「『絶対に生き延びるのよ、また会えるから』……その言葉、そういう意味じゃねえだろ。こんな悲惨な再会を望んでないはずだ。だから、俺が取り返してやるよ」
 ダリウスは、美依里の戦闘センスとプルートーの【負のオーラ】を持っている。
 片目のチカラの恩恵を授かった、あの影の『ネクロアビス』にさえ敗北した自分が、その権化にどれほど立ち回れるのか分からない。模擬でも美依里に勝ったことはないし、死の雪の中でのプルートーに威圧されっぱなしだった。
 でも、負けるわけにはいかない。
 自分のためにも、より姉の――ダリウスのためにも。
「また、楠野や京子と一緒に生活しような」
「どのようにそれを実現させるか見物ですね。せいぜい私を楽しませてください」
 美依里は――ダリウスは処刑鎌を水平に構えた。
 祐一とダリウスはほぼ同時に、お互いへと一気に距離を詰めた。
 交錯する刀と処刑鎌。刃がぶつかり合って激しい音を奏でる。
「マスターに私が斬れるのですか?」
 ニィ、とダリウスが嘲笑った。
「中身は違えど私は美依里そのものです。私を斬るということは美依里を傷つけることになりますが、そのところを理解して向かってきているのですよね?」
「少し、黙ってろ。今に助け出してやるからな」
「ハッ。助ける? 私をですか? どうやってですか?」
 ダリウスが剛力で、刀ごと祐一を後方に弾く。大きく仰け反って上体を晒してしまう祐一は、足元を思いっ切り蹴り上げて砂利でダリウスの接近を阻止。鎌で砂利を斬り払ったダリウスが再度鎌を振り下ろす時には十分な体勢で迎撃できた。
 だが、その一撃はあまりにも重い。
 上段からの振り下ろしを刀でガードするが、鎚のような破壊力に膝が折れる。
「馬鹿力め……、ゴリ押しでも負け知らずじゃねえかよ……」
 受け方を少しでも間違えば刀が折れてしまいそうだった。そうなれば祐一に武器はなくなり負けるだけだ。
「マスターを殺すために存在している私が、どうやって助け出されるのか聞かせてもらってもよろしいですか? そんな余裕があればですが」
「減らず口は、相変わらず、だな……」
 鎌の刃は、確実に祐一へと迫る。受け流そうにも、押し返そうにも、あまりの剛力によってままならない。絶体絶命とはこのことだ。
 と。
「先輩っ!」
 折れた二本の刀をそれぞれの手に持った佳澄が、横合いからダリウスへと斬りかかる。
「この死にぞこないが、今更しゃしゃり出ないでください」
「先輩を傷つけようとする者は誰であっても私が許しません!」
「驕らないでください、小娘の分際で!」
 鎌から片腕を離して、ダリウスが掌を佳澄へと向ける。凝縮した【負の臭い】がダリウスの手のひらに浮かび、砲弾となって佳澄を強襲する。爆裂と共に窒息してしまいそうなほどの腐臭が撒き散らされる。
「この程度で――」
 構わず腐臭を裂いて、佳澄がダリウスへと接近。
「――私は止められません!」
 ダリウスはわずかに目を見張る。
 片腕のみの圧力となって、祐一にかかる負荷が減る。片腕程度なら祐一でも弾ける。ダリウスの鎌を押し返して即座に反撃に転じる祐一。
 佳澄の二本の斬撃と、祐一の一閃がダリウスを同時に狙う。
 ダリウスは鎌のすべてを使い、二人の攻撃を受け流し、押し止める。刃の部分で祐一の刀を受けて、柄の部分で佳澄の折れた刀を弾く。
 まるで攻撃が届かない。
 これがトップオブエースの実力だった。祐一と佳澄がいくら力を合わせたところで美依里の戦闘技術には及ばない。佳澄が負傷して刀が折れていることを考慮しても、掠り傷どころか刃を届かせることができないのだ。
「手数で稼ごうとしても無意味です」
 その気になったダリウスが鎌を無造作に薙ぐと、祐一と佳澄は大きく後ろへ吹き飛ばされる。二人の攻撃の合間、その刹那に振られた死神の刃はあっさりと祐一と佳澄を撃退した。手数で補う攻撃はダリウスの前では無意味だった。
 かといって力のぶつかり合いで勝てるはずもない。さっき負けたばかりだ。
 祐一は起き上がって武器を持ち直すが、佳澄は倒れたままだった。傷口が開いてしまったのか、荒い呼吸を繰り返すだけで、また刀を握ろうとしない。
「楠野。お前は休んでろ。これ以上やり合うとお前の体が持たない」
「…………はい」
 状況は振り出しに戻る。
 もし佳澄が自分の身を顧みずにダリウスに突撃してくれなかったら今頃祐一は鎌で両断されていたかもしれなかった。佳澄には感謝の言葉だけでは済まない。
「なあダリウス」
「なんでしょう?」
 あまりやりたくはないが、ダリウスの――美依里の戦闘技術を自分に『複写』すれば、あるいは五分に立ち回れるかもしれない。
 だが、今までのように特性の『複写』ではなく技術の『複写』にはリスクが伴う。
 同じ技術同士でぶつかり合った場合、その技術を自力で培ってきた者と、それを丸々写し取っただけの者がぶつかり合えば、感覚の差で負ける。
「さっきの質問に答えてやるよ。どうやってお前を助けるのかを」
「興味深いですね。ぜひ聞かせてください」
 それに美依里の戦闘技術を自分に写しても、果たして扱い切れるかどうか。
 どれだけ上等なモノでもそれに振り回されるようでは無意味もいいところだ。かえって自身を危機的な状況に追いやるだけだ。
「お前は自分が原型ないくらいにこねくり回されたと言っているけど、俺はそうは思わない。より姉の記憶も感情もまだ少しはお前に残っているんだよ」
「そんなわけあるはずがありません。現に、私は美依里としてもダリウスとしてもマスターに刃を向けているのですよ。どちらにしても、マスターに親愛を感じているならこのような凶行をするわけがありません」
 言いながらダリウスは鎌を振り上げて、祐一の首を撥ねようと武器を振るう。
 祐一は受け流す要領で鎌の一撃を刀で受けるが、その重さに刀を吹き飛ばされそうになる。反撃などもっての他だった。
「それは、プルートーからの強制的な殺意だろ。お前の本音は違うだろうが」
「その『本音』の部分から私は変えられてしまっているのですが? 今の私には、マスターしか映っていません。マスターを殺すことを至上として、武器を振るっているのです」
 祐一はプルートーに舌を巻きたくなった。
 祐一を殺すなら、しかも絶望させて殺すならこれが一番効果的な方法だ。祐一は美依里の身体を傷つけることはできないからダリウスが返り討ちになる可能性は皆無。ダリウスにはプログラムされた殺意を組み込んであるから彼女が攻撃を止めることはない。
 他の何もかもを投げ捨てて求めた彼女から殺されるのはどれほどの絶望なのか。
「だんだんマスターの動きが鈍くなってきていますが、もうダウンですか?」
 ダリウスの鎌が祐一の肩を抉る。血が噴き出して、祐一は苦痛に顔を歪ませる。
 それを見て楽しそうに――この上なく楽しそうに笑うダリウス。
「馬鹿言え。これからが本番だろ?」
「ならその本番を早く見せてください。もっとも、私にはすでにマスターが本番なように見えますが。限界寸前の身で、どのように本番を見せてくれるのですか?」
「……少しは皮肉をやめてみたらどうだ? 煩いだけだ」
 祐一の太腿が浅く切り裂かれる。バランスが崩れる。
「煩くしなければマスターは黙ったままではありませんか。もっと悲鳴を聞かせてください。絶望して、その嘆きを私にぶつけてください。その上で首を撥ねて差し上げます」
「――お前、俺の『チカラ』を知っているか?」
 祐一は声を低くして、ダリウスを睨む。ダリウスは鎌を大きく振り上げた。
「無論です」
渾身の一撃が、頭上から振り下ろされる。
「――その知識は、あくまで基本的な使い方でしかないんだぜ」
 祐一は、鎌の硬度を『複写』して自身に張り付けた。
 ガキィン、と派手な音と共にダリウスの鎌は祐一の頭に弾かれる。祐一の頭をスイカのように叩き割るはずの一撃は、弾かれただけに終わる。だが祐一も脳震盪を起こして瞼の裏でフラッシュが起きる。
 即座に動いていたのは祐一の方だった。
 平衡感覚も掴めていない状態で、無理矢理ダリウスに刃を届かせる勢いで横薙ぎに振った。小さく舌打ちしたダリウスは、刃を紙一重で回避して大きく後方に跳ねる。
 その瞬間、祐一は自身の身体能力をダリウスへと『複写』する。
 ダリウスの顔に違和感がよぎった。
 大きく後方に跳ねたダリウスは地面に着地しようとして、バランスを崩してその場に倒れてしまう。
「な、何が――」
 起き上がろうとし、再度身体が斜めに傾いで、倒れる。
 起き上がる。たったこれだけの行為をダリウスはできなくなっていた。
 頭を振って体勢を直した祐一は、まともに動けないダリウスへと刀を振り下ろす――がしかし、ダリウスは寝転んだ不利な体勢で、鎌の柄でそれを弾く。
「私に一体何をしたのですか!」
「俺のスペックをそっくりお前に写しただけだ。動きにくいだろ?」
 同じ技術同士でぶつかり合った場合、その技術を自力で培ってきた者と、それを丸々写し取っただけの者がぶつかり合えば、感覚の差で負けるのは必然だ。祐一が美依里の戦闘スペックに振り回されるのは目に見えている。
 なら、祐一の戦闘スペックを美依里に写してやればいい。体が動きにくくなるし、平衡感覚も微妙に違っているはずだ。
 感覚の差で、アドバンテージを負うのはダリウスも同様だ。
「……私は、マスターと同じ身体条件で戦っている?」
「そういうことだ。そして、当然俺の方がこの体を使っている年月が長い。俺の方がこの体を自在に操れるのは当たり前だ」
「卑怯な手を――」
 初めてダリウスの顔に苦渋が浮かんだ。
 祐一からの攻撃を満足に弾くことさえできずに、ジリジリと押し込まれていく。
「卑怯? お前のそのパワーの方がよっぽど卑怯だと思うけどな」
 皮肉で返して、祐一はダリウスを思いっ切り弾き飛ばしてやる。小さく呻いて、ダリウスは地面を転がる。
 だが、そのままの勢いで起き上がってしまうのは、さすが美依里の先天性のセンスと言うべきか。もう祐一の体の感覚を掴みつつある。
「見事、です。とでも言っておきましょうか。初めて地面を転がったような気がします」
 すぐに鎌を握り直して、祐一へと構える。
「ですが、それだけでは私を止めることには繋がりませんよ」
 祐一は、そんなダリウスを憐れむように見やった。同時にそれは自分への戒めでもある。もっと自分がしっかりしていれば、こんなことにはならなかったはずである。だから、自分でこの馬鹿馬鹿しい悲劇を閉じないといけなかった。
「分かってる。力で止めたところで意味がないことぐらい」
 だから、言葉で止めるのだ。
 ダリウス――美依里の感情を呼び起こして、かつての彼女を取り戻す。
「さっき、言いかけたところで終っちまったけどな……お前は自分が原型ないくらいにこねくり回されたと言っているけど、俺はそうは思わない。より姉の記憶も感情もまだ少しはお前に残っているんだよ」
「また、その話ですか。何度も言っているように――」
「――お前、前に言ったよな? ネコが好きだって」
「……」
 美依里もネコが好きだった。
「偶然の一致です。たまたまプルートーの設定が重なっていただけでは?」
「じゃあお前の口調は? まるでより姉とそっくりな喋り方はどうなんだ? 相手を小馬鹿にしたように、でもあくまで年上としてリードするかのような喋り方は?」
「…………私は美依里の話し方など知りません」
「なら、お前の抱いている、俺への感情はどう説明するんだ?」
「いきなり何を――」
「ダリウス。お前、俺のことが好きなんだろ?」
 最後までダリウスに言わせるつもりはなかった。
 ダリウスはそれを否定しなかった。わずかに唇を震わせただけで、祐一への恋慕を嘘偽りのモノだと言葉にしなかった――あるいはできなかった。
「より姉の感情をそのまま引き継いでいるのか、それともダリウスとしてのお前が俺に恋したのかはさすがに分からねえよ。でも、お前は俺のことが好きなんだろ?」
「……ふ、ふざけないでください! こんな時に色恋で話をはぐらかそうなどと!」
「聞け」
 たったその一言でダリウスを沈黙させた祐一は、スゥ、と小さく息を吸って。

「いつまでも中途半端なままにして悪かった。俺はな、ダリウス、お前のことが好きだ」
「――っ!」

 ダリウスは息を呑んだのが分かった。
「前に聞かれたよな、お前に重ねているより姉の面影は果たして恋愛感情なのか、って。今ならはっきり言えるよ。俺はいつの間にかお前を好きになっていたんだ」
 それは果たして美依里への恋愛感情なのか、ダリウスへのなのかは自分でも整理がつかない。でも、今はそんなことは関係ない。
 祐一の前に対峙する彼女は、美依里でありダリウスなのだから。
「もしお前により姉の記憶や感情が残っているなら、お前は俺を斬れない」
「……愚弄するのですか」
 その声は動揺で震えていた。
 祐一は持っていた刀を地面へと突き刺して、数歩前に出た。
 佳澄が何か言いたげな顔をしていたが無視する。今見なければいけないのは、後輩の姿ではなく、目の前の混乱している死神だ。
「そう言うなら、その鎌で俺をブッた斬ってみろ」
「……後悔しますよ?」
 ダリウスの言葉には耳を傾けないで、祐一は静かに目を閉じた。
 無防備もいいところだった。武器もなく、瞳を閉じて仁王立ちしているなど殺してくれと言っているようなものだ。事実、ダリウスが鎌を構える音が聞こえた。
 風が、祐一の髪を撫でた。
 首筋に触れる冷たい鉄の感触。
 祐一は閉じていた目を開いた。
 ダリウスが何かを堪えようとする表情で寸前まで迫っていた。首筋で止まった処刑鎌の刃は祐一の肌に触れていない。ダリウスの鎌は祐一の直前で止まっていた。
「な? お前に俺は殺せないだろ」
「……マスターは卑怯です。突然好きだと言われると、殺せるわけないじゃないですか」
「もし俺が好きだと言わなかったら斬っていたのかよ?」
「……バカ」
 ずっと恋焦がれていた美依里の顔がすぐ傍にある。唇が触れ合える距離にある。
 祐一は力強く笑った。
 つられて、ダリウスも微笑んだ。
 互いにそっと顔を近づける。唇が重なるまではほんの一瞬だった。


 プルートーは予想外の展開に舌打ちを禁じえなかった。
 本来ならば【負の簒奪者】としての存在を確立させた美依里が祐一を惨殺して、プルートーの思い描いていた「最悪の形」で成就されるはずだった。その後、最強の手駒である美依里を手にして、また生きとし生ける者を脅かし、蝕み、刈り取るつもりだったのだがダリウスは何故か祐一に止めを刺そうとはしなかった。
「どうして、こんなことになる……?」
「それはアンタが【負の簒奪者】だからじゃないの?」
 突如、背から声をかけられプルートーは振り返った。
 半端に茶色で染めた、ジャラジャラした小物でデコレートしたツインテールを揺らしながら、朝倉京子がそこに立っていた。
「私の中に居座っていたヤツがどんな顔しているのか興味あったけど、思ってたよりもイケメンなんだね。祐一の次くらいにはカッコイイかも」
 京子は近くにあった壁に背中を預けて、腕を組んだ。
「……お前、残っていた俺の情報を読み取って場所を突きとめたな?」
「まぁね。祐一から『危ないからやめとけ』って言われてたけど、別にいいよね」
 プルートーのいる場所は、祐一やダリウスのいる廃工場付近を一瞥できる小高い丘の上だった。誰にも利用されたことのない休憩場で、プルートーと京子は向かい合っていた。
「まさか俺の顔を見に来ただけではないだろう?」
「いーや、それ以前の話。面白そうだったから来てみただけ」
「……俺に殺される可能性をまったく考えてないとは言わないだろうな?」
「まったく考えてないよ」
 まるで挑発するように京子が言う。
 プルートーは不愉快になって眉を寄せる。
「なら殺してやるよ」
「やってみれば? そんな元気があるなら。アンタの考えていることは、良いんだか悪いんだかサッパリだけど、全部お見通しなんだよね。まだアンタとのリンクが繋がっているせいなのか知らないけど、アンタは今、私を殺すつもりがないし、殺す必要もないと考えている。口で言っていることとまるで逆なんだよねー」
「面倒なことになったな。まあ、じきにリンクも薄れていくから関係ないが」
 プルートーは京子に背を向けた。
「いや、あるいは今ここでお前を殺して、ダリウスのように刺客に仕立て上げるのもありか。あの辻崎美依里のように」
「失敗すると思うよ、アンタが人間を知ろうとしない限りは」
 だってあっちの騒ぎは収束しちゃったんでしょ? と京子は首を傾ける。
「だって、アンタが五年も待った理由って、人間を知ろうとしていたからじゃないの?」
「……」
 プルートーは何も答えなかった。構わず京子は続ける。
「アンタは五年前に、自身に突っ込んできた少女を殺した。そして、彼女の思考原理を見てしまった。【負の簒奪者】に『誰かを守る』なんて概念ないんでしょ? だから少女の抱いていた、彼への想い――つまり『気持ち』を理解したくて、ダリウスを祐一へと吹っ掛けた。祐一がダリウスを殺すのか、ダリウスが祐一を殺すのか、あるいはそれ以外の展開になるのか、それが知りたかった。絶望だのなんだの言っているけど、結局のところ、アンタは人間を気にしているだけ」
「黙れ。お前に我らの何が分かるというのだ?」
「分かるわけないじゃん。理不尽にあたしに襲ってくるような連中のことなんて」
 そこで京子は一拍置いて。
「それっぽく言うとね――人は愛し愛され、そして哀し哀される生き物なんだよ。だから逢いたくなったりしちゃうんだろーね、祐一みたいに。人の気持ちを粘土みたいにグチャグチャにして遊んでいるみたいだけど、形を変えても『気持ち』そのものは変わらないよ。その点を理解しないとまた無駄になっちゃうんじゃない?」
「俺の思考を読み取りながら喋るのをやめろ。不快だ」
「あたしだってアンタのことが不快だよ。祐一に意地悪するヤツはみんな嫌い」
「……お前がそうやってヤツを想う限り、お前を造り替えても無駄なのだろうな」
 肩をすくめて、プルートーは闇色のプリズムを撒き散らしながら消えた。
「最後に一つだけ聞いておくが、どうしてお前はそんなに親切に俺の心の内の疑問に答えてくれている?」
「強いて言えば『同情』、かな。アンタもあたしと同じ境遇みたいだし」
「……」
 プルートーの胸中に形容しがたいモノが浮かんだ。
「……また近いうちにお前に会いに行く、とアイツにそう伝えておけ」
「めんどくさいんだけど」
「つくづくお前は俺の嫌いなタイプの人間だ」
 もう、プルートーは京子と話をするつもりもなくなっていた。


 終章


「お兄ちゃん、朝だよー。早く起きないと学校に遅刻しちゃうよ……と、マスターもう起きているのなら返事をしてください。わざわざ私が起こしにくる必要もなかったではありませんか」
 相変わらず、八坂祐一に妹はいない。
 ただ家には姉のような存在と、妹のような存在と、やけに馴れ馴れしい居候のような存在がいる。一応、家族のような共同体を成立させていた。
「……眠い」
 祐一は頭からタオルを被って惰眠を貪ろうとする。
 はぁ、と祐一を起こしに来たダリウスは溜息を吐いて、ベッドに腰を下ろす。
「そんなに寝たいのならば、これから私と一緒に寝ましょうか?」
「アホか。そんなことしたらアイツらに殺される……」
「そんなことを言うのですか? まったく、昨日の夜も、あれほど激しく私を愛してくれたというのに。ハーレム状態も大概にしてください!」
「何がハーレム状態だ! つーかダリウス、お前、適当なことをでっちあげんな! 別に俺はお前と寝た覚えはないぞ! あまりでかい声でいうとアイツらに聞こえるだろ!」
 顔だけタオルから覗かせて祐一がダリウスを見上げる。
 美依里の姿をした元死神は、意地悪く口元を円弧に歪ませる。
「起きないと、でかい声で聞こえるように言ってしまいますよ?」
「……分かった。俺の負けだ。降参だ。起きるからそれはやめてくれ」
 前に京子を抱き枕にした疑惑(疑惑も何も事実なのだが)の際に佳澄に斬られかけているのだから、もしそんな抜け駆けのようなことを話したら、間違いなく殺される。
「そうですか。ではさっさと起きてください」
 ダリウスは、毎朝恒例の祐一とのキスをして部屋を出ていった。
 渋々、祐一は起床する。カーテンの隙間から洩れる朝日が目に眩しい。
 ――『黄泉帰り』未遂の日から一週間が過ぎていた。
 八坂家には、祐一と、ダリウスと、佳澄と、京子の四人が住んでいた。
 京子は祐一が面倒をみることになった。上層部からそう連絡があった。それは京子本人の希望でもあるという。前に美依里と佳澄と三人で生活共同体を作っていたから自分が頼まれたのではないかと祐一は推測していた。
 佳澄は、恋敵が急に二人も現れたせいか、やたら積極的になって現在は八坂家に住むまでに至る。元より美依里を意識してデートだの申し込んできたりしていた佳澄はさらに祐一にアタックするようになっていた。
 ダリウスも「契約は履行されていません」と言うので家に居ついたまま。確かに当初の契約は『黄泉帰り』を行う、までだから、未遂に終わった『黄泉帰り』では契約消化もクソもない。ちなみに『黄泉帰り』の際に、互いの気持ちを確かめ合った仲なのだが、ダリウスは律儀に「それだとフェアではない」と主張して、恋人関係は保留となっている。
 つまり、現在祐一は、同棲している三人の少女から迫られている、傍から見れば羨ましすぎる状況の渦中にいることになる。本人から言わせてもらえば毎日が忙しくてうるさいので逃げ出したいというのが正直なところなのだが。
 着替えを済ませて祐一がリビングに入るとダリウスが新聞を読んでいた。
「今日もネコの写真でも眺めているのか」
「はい。いいものですねネコは。見ていて飽きません」
 キッチンではエプロンを身につけた京子と佳澄が朝食を作っていた。
「……いい加減、食えるような卵焼きは完成したのか?」
「さて。どのみち、京子様の料理を食べるのはマスターなので私には関係ありません」
「そうかよ」
 口を尖らす祐一に、キャーキャー叫びながら京子がフライパンを手に寄ってくる。
「祐一! 見てよ、食べられるような卵焼きだよ! これでどうだ!」
「……確かに食えるみたいだけど、それは卵焼きじゃなくてスクランブルエッグだな」
「お腹に入ればなんでも一緒なの! ほら、あたしがせっかく作ってあげたんだから冷めないうちに食べる食べる!」
「先輩は私の作った卵焼きを食べたいんですよね?」
 横から佳澄がしゃしゃり出てくる。もう傷の方もよくなったようで、動いて回れるくらいになった。ダリウスのチカラのおかげで傷跡も残らないそうだ。
「いや、俺は別にどっちでもいいんだけどな……」
「ならあたしのを食べてよ!」
「京子はいつも食べさせているから、たまには私の料理を先輩に食べさせるの!」
「ダーメ! 今回のは自信作だから譲れませ~ん」
「何を! 私だって今日のはとてもいい出来なんだから」
「……」
「……」
 不穏な空気が成立していく。いつものことだが。
「……やるっていうの?」
「受けて立つけど?」
 朝から騒々しい話である。近所迷惑にならなければいいが。
「マスター。私が口移しで食べさせてあげるので私のを食べましょう。そうしましょう」
 ダリウスまで最近この調子なのだからツッコミ役がいないのだ。
 こんなのが日常茶飯事なのだが、祐一は未だに慣れないでいる。
 でも――、
 祐一はこういう生活が嫌いではなかった。


 終章その二(※追加要素 本編は終章その一で終了です)


 どこか穏やかな空気が流れる午後。
【負の簒奪者】もこんな陽気だと、姿を現して暴れる気にはなれないだろう。ヤツらは【負の属性】に吸い寄せられる傾向にあるのでこの昼下がりに現れるはずもない。
 例外らしい例外は、祐一の向かいの席でチョコレートパフェを食べる元死神くらいか。
「……お前、さっきから黙ったままだぞ。そんなにパフェが美味いのか?」
「美味しいですね。甘味は若い女性の強い味方です」
「ダイエットしているヤツらからすれば何よりの敵だろうけどな」
 祐一とダリウスは、二人で喫茶店に来ていた。佳澄は別件で動いているし、京子は多分まだ寝ているはずだ。周りから見れば二人はデートの最中にでも映るのかもしれない。
 と言っても二人は本当にデートしに街へと出たわけではない。
 祐一はブラックコーヒーを口に運んだ。
「…………これで、一応の決着がついたな」
「そうですね。さすがにお咎めなしとは思っていませんでしたが、マスターはこの結果をどう考えますか? 素直に認めていたりします?」
 人前でマスターと呼ぶのはやめろ、と注意して、祐一はコーヒーカップを置く。
「まあ、妥当だな。ライセンスを失うくらいで済んだのはラッキーなのかもしれない。俺は最悪、今頃こんな風に優雅にコーヒーを呑める環境にさえ戻れない場所へと放り込まれると思っていたからな」
 祐一は【狩人】としてのライセンスを失っていた。
 今日街へと出てきたのは他でもない、自分への処罰を上司へと聞きに行くためだ。ダリウスも同伴とのことだったので一緒に支部へと顔を出したら一枚の紙を渡された。
 紙には、ライセンス剥奪の旨とダリウスの処遇その他が書かれていた。
 祐一はライセンスと得物の刀を失った。もう二度と美依里と同じ場所に立って、同じように戦えなくなっていた。祐一自身の『コピーペースト』は危険だ、ということで機関からの保護はあるものの、それは【負の簒奪者】から匿ってくれるというより、祐一が暴走しないようにとの意味合いの方が強い。
 ダリウスへの処遇は、機関の保護下に身を置くという一点さえ守れば、お咎めなしということになっている。元はといえばプルートーによって祐一へと差し向けられたので、美依里としての罰はない。代わりというべきか、祐一同様に野放しにはしておけないので機関がその身を保護することと決まった。
 佳澄は元より無関係なので(祐一がそう主張したのだが)、これといった処罰が下されたりはしなかった。
「と言われても、あまり実感がないんだよな。失うものは失ったけど、でも手に入れないといけないものは手に入れた。だから後悔はない、って感じか」
「それは私のことですか?」
「……人前でそういうことを言わせんな」
 こうして祐一の目の前では、美依里がニコニコとパフェを頬張っている。それだけで祐一は十分だった。無論、本当の意味で美依里とのかつての関係を取り戻せないことは分かる。パフェを食べている彼女は美依里でありダリウスなのだから。
「それから……あえて本部には通告していないんだが」
「プルートーの一件ですか」
 ああ、と祐一は頷く。
「俺らが『黄泉帰り』している間に、京子がプルートーに会いに行った話だ。お前も聞いたからわざわざ説明してやらなくてもいいだろうが、ヤツはまた俺に会いにくるらしい」
「そういえば京子様が言っていましたね」
「無茶してくれるよな本当に。そのままプルートーに襲われたらどうする気だったんだか」
「でも京子様はプルートーの心の声が聞こえていたとか」
 彼女が言うには、寄生されていたせいでプルートーとのリンクがまだ繋がっていた。プルートーが自分に害を与えるつもりがないことを知った上で会いに行った、らしい。
 加えて、もう一つ、理由があった。
「京子はプルートーを放ってはおけなかった」
「……どういう意味ですか?」
「『同情』だとさ。俺らと相対していたのはプルートーの右腕だが、もうアイツはプルートーそのものなんだ。もうアイツ以外のプルートーは死んだ」
 京子が読み取ったプルートーの内心――それは寂寞、あるいは虚無感だった。
 プルートーは複数体の『ネクロアビス』から構成されている。祐一が聞いた話では十パーツはあるらしいが、いつの間にか、戦闘最強であるその右腕以外は消滅していた。
 もちろん、機関からの干渉ではない。
 プルートーさえ脅かす強大な【負の簒奪者】がプルートーを消滅寸前まで追いやったのだ。かろうじて生き延びた右腕が感じたのは、周りに仲間がいないという寂寞。
「京子は、家族を失った自分と、仲間を失ったプルートーを重ね合わせた」
「……でも妙ではありませんか? 京子様の家族の仇は【負の簒奪者】なのですよ。復讐するつもりならいざ知らず、声をかけるためだけに会いに行くなど……」
「もちろん、普通の【負の簒奪者】なら京子は会おうとも思わなかっただろうな」
 プルートーは違った。人に興味を持っていた。奪うだけの存在ではなく、その心理に何か思うところを持っていた。
「わざわざ俺にお前を差し向けたのもそういう理由だ」
 人の愛憎――ひいては感情を知りたくて。
 京子が読み取ったプルートーの内心によれば、ヤツは五年の間、ずっと襲撃も略奪も行わずに人間を観察していたらしい。愛情だの、憎悪だの、あるいは自己犠牲なども人間の特徴である。プルートーはそれを知りたかった。自分の中の虚無感を埋めるモノがそこにあると疑わずに。
「じゃあなんで俺たちなのか? それは五年前の戦闘が理由だ。俺とより姉だけが残っていて、より姉はせめて俺だけは生き延びてほしいと強く願った。プルートーはそのより姉の願い――感情に興味を持った。人に興味を抱くキッカケだ」
 美依里の強い魂のカタチがプルートーに何か思うものを与えたのだ。
 そこからはプルートーは【負の簒奪者】らしく、「何か思うもの」を突きとめるために五年の年月を費やして美依里の存在を造り替えた――ダリウスがやけに【負の簒奪者】らしくないのは、プルートーが自分なりに思った「感情」をダリウスに与えたからだ。
「そして俺たちをぶつけ合わせた」
 まるで子供のような無垢で残酷な実験に違いない。
「まあ、結果は見ての通りだな。俺もダリウスも死ななかった」
 プルートーからすれば想定外もいいところだ。京子に流れてくるプルートーの思考はゴチャゴチャでよく分からなかったらしい。でも、いくつか拾えるものはあった。
 ――【負の簒奪者】には、理解し合うという概念が理解できない。
 ――愛情は、憎悪さえも越えるものなのか。
 ――何故俺は、俺たちは一つにはなれなかったのか。
 プルートーが築き上げてきた感情という概念、それらはすべて決壊していったのだ。
「……」
 いつの間にかダリウスはパフェを全部食べきっていた。難しい顔で思考を巡らせているような雰囲気だった。仮にも自分の生みの親だ。プルートーに言いたいことがあるのかもしれない。
「そして、いつかプルートーは俺たちの前に姿を現す」
「……自分の内の疑問を解いてくるのか、それとも疑問を解決できないままなのかは分かりませんが、それを踏破するために」
「違いない。問題は、今の俺にヤツを撃退するすべを持っていない」
 武器も失っているし、ライセンスもない。
 もう祐一は【狩人】ではないのだ。
 佳澄は全力で祐一たちを守ろうとするが、彼女だけではプルートーは難敵だ。
 祐一はブラックコーヒーを全部飲み干して、覚悟した目でダリウスを見つめた。叩きつけるように置かれたカップはその覚悟の強さを表している。
「ダリウス、聞いてくれ」
「はい」
「俺はもう一度、最初からやり直そうと思う。また新人として機関に入隊して、また同じ場所に辿り着こうと思う。もちろん、ライセンスを剥奪したヤツの入隊を上が認めるかは分からない。でも俺は諦めるつもりはない」
「はい」
「だから、俺と一緒に来てくれないか? パートナーとして戦ってくれないか」
「はい」
「……即答かよ」
「むしろ一拍ほども置く理由が私にはありませんが」
 ダリウスは美依里の顔でとびっきりと笑顔を見せながら、続けた。
「私はいつでも、いつまでも『祐一』の味方です。もう離れるなんて嫌です。故にどこまでも付いていきますし、引っ張っていきます。今更言うまでもないでしょう?」
 祐一は、つられるように笑ってしまった。
 確信する――確かに自分は大切な者を取り戻せたのだ、と。

作者コメント

 半年ぶり、二回目の投稿になります。

・前回の「遠野夢現譚」でコメントをくださった皆様、ありがとうございます。いただいた意見は大切にメモ帳に保管しています。
・今回の物語はラブコメです。あまり触れたことのないジャンルですが、感想批評のほど、よろしくお願いします。

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感想

秋山陸太郎さんの意見 +30点

 初めまして、秋山陸太郎と申します。
 本作を拝見させて頂きましたので、感想を書いていきたいと思います。

 本文を読み終えてから、この感想を書いているので、いささか曖昧で不明瞭な部分もありますが、お許しください。

 率直に言いますと、面白かったです。文章にもテンポがあって、遅読の僕でも二時間で読了しました。いつもは3~4時間程かかるのですが。

 心に残っている場面は、佳澄の
「先輩……っ 私だけをみてくださいよぉ……!」です。
 うん、佳澄には幸せになってもらいたいです(遠い目)

 続きを読みたくなる作品でした。
 こんな稚拙な内容ですいません。
 ではでは。

永藤さんの意見 +30点

 どーも、永藤です。お久しぶりです。

 当分、他の方の作品を読むのはやめようと思ったりしてたのですが、ふと見たら作者が語太郎さんだったのでそのままの勢いで最後まで読みました。

 一時間で読んだので、至らない部分などあるでしょうが、そこは優しく無視してください。

【文章・文体】
 読みやすかったですよ。
 文章は普通に読みやすかったです。
 でも、文体というと、感じるモノがなかった気もします。
 すいません、これ、感想書くとき大体言ってる気がするんですが、自分は、『作者特有の』が好きなんですね。
 作者特有の書き方。作者特有のキャラ。作者特有の設定。
 『この人以外見たことない』に、僕は惹かれるのです。
 とか勝手なこといいましたが、読みやすさは充分すぎます。はい。


【世界観・設定】
 作者コメントでラブコメとあったので『マジかよひゃっほー』とか思いながら読んでいたのですが、『あれ? バトル始めたよ…』となりました。
 でもすぐに『おぉ、これは、いいんじゃないかい?』となって。
 『主人公のコピペ能力カッケーよ!』となっていました。はい。

 よかったと思います。具体的な説明が無いのが、個人的には大好きです。
 グダグダ説明をして、つまんない作品はありますが、世界観を説明じゃなくてストーリーで魅せる作品は憧れますね。
 あぁ、この作品はもちろん後者ですね。

 ネタバレは嫌なので、具体的なことは言いたくないのですが。

 面白い作品になってはいましたが、こと設定だけに焦点を絞ると、特別な魅力がある、とは言い難いかもしれません。


【キャラクター】
 主人公の、想いを曲げないところに好感が持てました。
 佳澄ちゃんの、一途なところに好感が持てました。
 京子の、無駄な元気と、プルートーに憑依されているところとかは、微妙でした。

 ダリウスの、不思議なキャラと、逆セクハラ、さらには主人公をからかうところとか、面白かったです。


【構成・内容】
 面白かったですッ。
 ただ、カスミンの告白シーン。
 あれは、もうちょい、なんか、こう、盛り上げが必要かと。
 無表情、なキャラもまだ立っていない状態で、主人公に対して叫んだり、オタ趣味だったり、なんか、違う気がします。

 キャラはいいんです。カスミンいいキャラしてます。
 ただ、土台ができていない状態で、物語を進めていたような。
 こう、舞台ができてないのに、役者が劇を始めたみたいな。
 観客はついていけません。
 
 だから、折角いいエピソードなのですから、もう少し、この前に物語をいれればどうでしょうか?
 
 そうすれば、カスミンの可哀想な感じ、主人公の決意の強さ。
 カスミンの乙女っぷり! カスミンの一途さ! カスミンの(ry
 
 って、思ったです。


【最後に(総括)】
 いやー、感想って、書いてもらうのは嬉しいですが、書くのって辛いですね。
 ははは……。
 でも、この作品は、割とスムーズに言いたいことが文字になりました。
 いやー、青春ですねー。
 最後まで見ると、片目を瞑って、さらに片目を薄めにして見ると、これはラブコメにも見えますねーw

 バトルにラブコメ要素を盛り込み、さらにシリアスも盛り込んだ本作に、僕は満足いたしました。イエス。

 今まで(記憶にないですが)、10~20までしか点数を付けたことがないので、ちょっと、なんか慣れない感覚で怖いんですが。
 30を付けさせていただきます。
 怖いな。なんか起こったりしないかな…w
 冗談です。

 面白い作品と、一時の楽しい時間、ありがとうございました。
 それでは、拙い上に馴れ馴れしい感想でしたが、ここで失礼いたします。
 永藤でした。

大葉さんの意見 +20点

 拝読しました。感想を残させていただきます。
 
 以下、私が勝手に思ったことなので適当に流してください。

 テンポよく、すっきりとシェイプされた文章でした。
 会話の掛け合いも面白かったです。
 デート中、メイドの話で盛り上がる佳澄と置いてけぼりの主人公の場面は、内容はあれですが現実でもありそうだな~、と思いました。ちゃんと話を聞いてくれる主人公は優しいです。

 主人公の目的(ダリウスの瞳を見つけて『黄泉返り』を行う)がはっきりしていて終始それに沿って話が進んでいくので、非常に安定感がありました。それなので、京子の話やデートなどで寄り道があっても、物語の軸がずれるというようなことはあまり感じませんでした。

 主人公、モテモテですね! うらやましい。
 彼の行動の原動力となる動機が、いわゆる正義のためでなく、ある意味自分勝手な願望のため、というのが良いです。こういう主人公、結構好きです。
 ただ、ラストでちょっと引っかかってしまいました。
 主人公は自分の所属する機関を裏切って【負の簒奪者】であるダリウスを匿い禁慰の儀式を行おうとしたのに、結局それに対してペナルティも喰らわず、めでたしめでたしで終わったような気がして。
 バットエンドとはいわずとも主人公は何かしらを失うと思っていたので、ちょっと拍子抜けでした。
 大団円が嫌いなわけではない(むしろ好き)なのですが、この物語の畳み方としてはちょっと違和感を感じてしまいました。
 まあ、私がそう思っただけかもしれません。

 以下、ちょっとしたことをつらつらと。私の読み落としもあるかもしれませんのでそこはご容赦を。

 血の繋がらない妹、まさにラブコメ。と思ってたら、骸骨登場。ダリウスいいですね! 可愛いです。導入は良かったと思います。

 主人公は引き取られた当初は皆と一緒に住んでいて、今は一人暮らしということなんでしょうか。その家は機関から贈られたもの? それとも親の遺産なんでしょうか。
 佳澄も同じような境遇だと思いますが、彼女も一人暮らしなんですか。保護者は? 未成年ですよね、一応……。そこら辺は上手い手続きがされてるんでしょうか。一軒家だと思ってましたけど、機関の寮みたいなものなのかな?

 機関って結局なんなのでしょうか。
 主人公は割と好き勝手行動してますし。まあ、佳澄は仕事で出かけたりはしてましたが……。
 名前だけ登場してるような感じです。あまり詳しくすると話がいろんなところに飛んでしまいそうですが……。

 【負の簒奪者】は人間の感情を超越した存在と勝手に思い込んでいました。
 それなので、一人の人間に執着をするなど、結構人間臭い思考回路を持っているのには驚いてしまいました。
 そうは言いつつ、ダリウスに関しては普通にスルーしてしまいましたが。
 あと、プルートーとプルートーの右腕というのは、同じ存在なんでしょうか。ちょっとこの辺混乱してます。

 最後、プルートーと京子が対峙していますが、京子は彼の仲間に家族を殺されたばかりなのに、よく冷静に対応していますね。今までの彼女から想像がつきにくいです。
 ふっきれたんでしょうか。それとも、恋する乙女は強いということでしょうかね。

 結局、美依里はどういう意味でまた会えると言ったのでしょうか。この言葉は主人公の行動の動機になったようですが、その辺突き止められませんでした。まあ、私の理解力不足のような気もします。

 これって、ラブコメなんですかね……。
 美依里がヒロインだと思っているのであまりそんな感じがしない(笑)
 でも、笑える部分は楽しかったです。
 自分は美依里派ですね。姉好きなので。
 でも、みんな可愛い。ラブコメという意味ではラストは王道ですかね。
 
 好き勝手言ってしまってすいません。
 以上です。

早川みつきさんの意見 +20点

 はじめまして、早川みつきと申します。
 読了しましたので、以下に感想を記させていただきますね。
 先に感想を投稿されている方と重複する部分もあるかもしれませんがご容赦ください。

〈文章について〉
 テンポもよく、すらすらと読めました。
 地の文は意識して多めにされているようですが、多いとは感じませんでした。
(自分のラノベ読書量が多くないせいかもしれませんが)
 むしろ、もう少し情景描写を入れてほしかったです。
 たとえば、京子が風呂に入るシーンなど、どんなお風呂かわかるともっと妄想がふくらみ(以下略
 大理石のゴージャスな浴槽とか、総檜の和風な感じとか。
 それによって、祐一の以前の生活の様子も想像できますし。
 「黄泉がえり」のストーリーには関係ない部分ということですが、
 文章を映像化して読むタイプの自分にとっては、情景描写はキャラクターの背景を知る手がかりのひとつなのです。
(全体に無機質な印象にしたいという意図があったのでしたら、的外れで申し訳ありません)

〈キャラクターについて〉
 それぞれの描き分けもきっちりしていて楽しく読めました。
・佳澄は素直にかわいいです。彼女の思いが報われるとよいなぁ。
・ダリウスは、死に神の姿でかいがいしく家事をする姿を想像するとおかしく、よい味出してます。
・ラストの京子の言動が少々唐突な印象です。
・美依里は、祐一にチョコレートをあげる場面など、具体的な描写があるとよかったように思います。
(なぜ祐一が彼女を取り戻そうとするのか、その思いの強さの裏付けになるという意味で)

〈構成について〉
 章の頭にある回想シーン(?)で、少しずつ祐一の過去や思いがわかっていくのがよかったです。
 全体のストーリーの流れについては、ダリウスの正体が早い段階でわかるのは意図的なものと思いますが、ヒントをもう少し後ろに持っていってもよかったのかも。
(ベタベタなラブコメなら現状でOK。でも本作のバランスなら、ということです)
 美依里=ダリウスと祐一の戦闘のラストはまさしくラブコメなのですが…。
 どうも中途半端に感じられるのが残念です。

 回収し切れていない伏線があるとのことですので、手が入れられるのをお待ちしています。
 個人的には京子が祐一にプレゼントしたハンカチの行方が気になります。

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 以下、疑問点や気になった点です。
 自分の読み取りが足りない部分もあると思います。どうぞお許しください。

・なぜダリウスは祐一をマスターと呼ぶのか?
 一時的に仕えていると文中にありますが、ふたりの関係は契約をしている者として対等に見えます。
 家事をしているからメイドとして「仕えている」ということですかね?
 でもそれなら呼称は「マスター」ではなく「ご主人様」のほうがしっくりくるような。
 マスターというと、店主とか、修士とかの意味が強いと思います。
 自分としては、ですので、的外れでしたら流してください。

・部隊30人が全滅した戦闘
 これは5年前ということでよいのでしょうか? とすると祐一は小6(または中1)、美依里は中1(または中2)?
 あまりに若すぎるような。

・プルートーの設定
 祐一のために5年も待ったというのが釈然としません。
 プルートーもまた女性で祐一に惚れた…いや、母性本能を刺激されたというならわからないでもないですが。
 プルートーはかなり強いようなので、本気を出せば祐一の所属する機関などなにをしても無駄でしょうし。
 でも彼の意図を隠しておくのが、作者様の意図かもしれませんね。

 ということで、もしあるのなら続編をぜひお願いします!

早川みつきさんの意見 +20点

 はじめまして。イタムキと申す者です。
 読ませていただいたので感想を残させて頂きます。
 評価の方は大幅に主観を含みますので、意味わかんないこと言ってるなと思ったら華麗にスルーして下さい。


※ネタばれを含みますので、未読の方はご注意下さい。


・文章について
 良かったと思います。ほとんどよどみなく読み進めることができました。
 ただ、全体的に少しくどい気がしたような。具体的に何処が……と言われるとちょっと答えられないのですが。すみません。


・キャラクターについて
 主人公――可もなく不可もなく、といった感じでした。飛び抜けた個性のようなものを持っていなかったからか、あまり印象には残りませんでした。ラノベの主人公(しかもツッコミ役)ならば一概に悪いことだとも言えませんが。ただ一つ、能力をあんまり使いこなせていなかったのはちょっと良くないかなーと思います。モテモテなのでイケメンなのでしょうね。
 ケッ!!!爆発しろぃ!
 
 ダリウス――骸骨萌えの私にはたまらないキャラです。すみません嘘ですそんな属性はありません。最初はマスコットキャラ(謎)なのかと思っていましたが、途中散りばめられた伏線を見て、「なるほどこれは、『実はダリウス=ミヨリ』と見せかけたミスリードだな」と深読みしてやっぱりマスコットキャラだと思っていました。
 違っていました。どうしてくれるんですか。
 冗談はさておき、悪くないキャラだったと思います。

 佳澄――巨乳なのか貧乳なのか、それが問題だ。バランス的に恐らく貧乳かと思われますがどうなんですか。……まあ普通に良い子で可愛い子でした。しかしそれ以上には特にコメントが見つかりません。

 京子――何のために存在していたのかいまいちよくわからない子でした。某赤い魔法少女を参考になさったそうですが、あまり似ているところは見つかりませんでしたね……。

 キャラクター達は全体的に、飛び抜けたものを持っていないような気がしました。何処にでもいそうと言うか。
 例えばダリウスならば、毒舌とかあげ足取りとかおちょくり好きとかの性格をもっと際立たせられると思いますし、佳澄ならばもっと物静かで無表情な感じをブレなく描くことは出来たと思います。

・コメディパート、ギャグの面白さ
 何を面白いと思うのか、と言うのは人それぞれなので、あまり参考にならないと思いますが、少なくとも私には、たまに面白い部分もあったな、程度にしか思えませんでした。
 スベっている……というわけではないのですが、敢えて文章で読みたいと思うほどではないかな、と言う感じです。


・ストーリー、構成
 一番最初の導入は良かったと思います。厳しく突っ込ませてもらうと、もうちょっと捻った始まり方もあったんじゃないかなぁ(例えば、主人公の首元に鎌をセットして置いて「おにーちゃーん♪」と呼び、妹声に釣られて起きたら首が飛ぶように悪戯を仕掛けておいた、とか)とは思いますが、このままでもいいとは思います。

 しかし、それ以降は、「この部分必要かな?」と思う所や、インパクトに欠ける展開が散見されました。
 「必要かな?」という細かいところでは、

>『わざわざ毎朝、律儀に家に寄ってくれている人にそんな仕打ちとは』
>「…………」
>『マスター、タヌキ寝入りをしないでください』
>「…………」
>『起きないとマスターの体をぶった斬りますよ?』
>「…………分かったよ。起きればいいんだろ、起きれば」


 この部分などです。これ、まんなかのタヌキ寝入りの下り入れなくても話は繋がりますよね? もっと言ってしまえば、ぶった斬るのくだりも無くてもOKです。
 もちろんギャグなのはわかりますが、あんまりおもしろくない。あんまりおもしろくなくて、あってもなくてもいいものは、無くていいと私は思います。なぜならば、こういう小さな「読み進める上での障害」が積み重なると、読むのがおっくうになってしまうからです。ラノベは可能な限り、ストーリーに必要な部分と、本当に面白いギャグと、あとお色気成分、というエッセンスで構成されているべきじゃないかなーと、私は思います。

 他にも、佳澄のキャラ付けと思われるラノベ趣味説明の文量が多過ぎてテンポが悪いことなど、もっと圧縮できるのではないかと思いました。

 インパクトに欠ける展開としては、まずダリウスと祐一の出会いです。
 フツーに夜の廃工場で、まるで野生のポケモンにでも会うかのように遭遇し、そのまま同居することになってしまっています。
 ここはもっと、かつて無いほどの敵の大群が何故か出現し、どれ程戦っても一向に減らない敵の数に祐一がヘロヘロになっているところで、いきなり全ての雑魚を薙ぎ払うほどのとてつもないパワーでダリウスが登場し、驚愕・戦慄している祐一に向かってまるでコンタクト見つけるの手伝って下さい的な軽さで「目玉探してくれません? なんか願い叶えるんで」と持ちかけて来る……とか。
 祐一が廃工場で凄まじい気配を感じて問答無用で斬りかかり、三日三晩(は流石に大げさだとしても)戦い続け互いにボロボロになり、次の一撃で勝負が決まる――となったところで「すいませんお腹減ったんでもうやめましょう」なんて言ってくる、とか。
 そんな風にとにかく派手な出会い出会った方がラノベらしいのではないかと思います。

 インパクトに欠ける展開その2、プルートーの登場。
 正直、彼(?)は一体何がしたかったのかよくわからないのですが、わからないならわからないなりにもっとインパクトを出すべきです。
 京子の中に居た、というのは確かに驚きですが、それをお披露目するシーンが、先回りして廃工場で待っている、という、わざわざ京子の中に居た意味が良くわからない演出になってしまっています。そして「実は中にいましたー!」と明かしただけであんまり何にもしない、という謎行動。
 ここはもっと、「プルートーが京子の中に居たことを祐一達に明かす理由」がはっきりした行動を取らせるべきです。
 例えば、最後の黄泉帰りの時までこのことを隠しておいて、ダリウスがミヨリとしてよみがえった時に姿を現し「実は今までのことはかくかくしかじかだったのさ! さあ、私の目の前で殺しあえ!」的なことを言うとか。そうすればついでにプルートーを撃退する必要性が生じ、主人公に活躍の場が持たせられます(正直言って、最後いきなり告白して戦闘終了、という流れは疑問でした。もうちょっと主人公に見せ場が欲しいです)。

 インパクトに欠ける展開その3、祐一の活躍不足。
 これは上に書いた通りですが、全体的に主人公が活躍不足な気がします。せっかく面白い能力があるのですから、せめてもっと有効的に利用して欲しかったです。

 そして、これはインパクトに欠ける、と言うわけではないのですが気になったところ。

 最後の京子とプルートーの対話の部分、あれ読んだ時凄く期待しました。というのも、実は京子が超強くてプルートー倒すんじゃね? とか思ってしまったからです。
 全然違いました。
 私はこの物語における京子の存在価値そのものを疑っているので、最後に「実はすごかったんだぜー」的な話を入れてくれると「おおっ」ってなったかな、と思います。完全に好みの問題ですが。

 もうひとつ気になったのが、ダリウス=ミヨリの伏線が露骨過ぎたことです。
 上記の通り、私は無駄に勘繰ってミスリードかと思ってしまいました。多分ほとんどの読者が読んでいて一度はダリウス=ミヨリ説を考えるのではないでしょうか。
 ここは本当にミスリードをしてしまうのはどうかなーと提案してみます。例えば実はミヨリ=プルートーだったとか! 或いはミヨリ=プルートーと見せかけてミヨリ=ダリウスだったとか! はたまたミヨリ=ダリウスと見せかけてミヨリ=京子に乗り移っていた謎人格だったとか! 或いは以下略!
 ごめんなさいあまり本気にしないで下さい。
 ただ、伏線がわかりやすいのはちょっと気になるかなーと言ったところです。


 総評としては、そこそこ面白かった、です。
 少なくとも飽き性の私でも最後まで読み進められる吸引力と面白さでした。
 しかし、偉そうなことを言わせていただくと、まだまだ荒削りなのではないか、という印象も受けました。もっと研磨して洗練する余地は十分あると思います。

 何だか全体的に辛口になってしまいました。ごめんなさい許して下さいすみません
 気が付いたらこんな時間です。眠くなってきてしまいました。
 最後に個人的な思いのたけをぶちまけて失礼させて頂きます。

>こんなのが日常茶飯事なのだが、祐一は未だに慣れないでいる。
>でも――、
>祐一はこういう生活が嫌いではなかった。


 当たり前じゃあああああ!!!! 美少女三人とハーレム暮らししてるんだからそんな生活が嫌いな男がいるかあああああああああ!!!!!! 爆散しろイケメンがあああああ!!!!! 爆散して体三分割してそれぞれがプラナリアの如く再生して三人になってそれぞれの女の子を幸せにしろコラあああああああ!!!!!

ダラーさんの意見 +10点

 こんにちわ、ダラーです。拝読しましたので感想残します。

 大まかに言いますと、面白そうだし、面白くなくはないけれど、いまいちノリきれないという感じでした。

 読み終わって初めて気付きました。ラブコメだったんですねw
 バトルものと思っていたので、真ん中の日常部分が多いなあとか、そもそもバトルが少ないなあと感じていたのですが、ラブコメということなら……、う~ん。
 とりあえず主人公、爆発しとけw

 冗談はさておき、このハーレム展開どうだったの?と個人的には思います。無駄にモテモテで、ギャルゲーみたいなのですが、ラノベではそういうのが普通なのでしょうか?主人公に感情移入した読者は、モテモテで嬉しい!と思いながら読むのでしょうか?
 自分は、そうではありませんでした。主人公が薄っぺらく見えますし、それを好きになるヒロインたちも、同様に見えてしまいます。

 そもそも、ダリウスに性別を持たせる意味があったのでしょうか? ラスト以外ではほとんど意味を感じませんでした。
 ずっと、ダリウスを性別不明(読者には男っぽいイメージを与えられると思います)にして、ダリウス× 京子にすればいいのになーっと思いながら読んでいました。バランスも良くなりますし、物語の厚みもでますし、ミスリードにも貢献しますし。そのうえで、女の子っぽいところを見せれば、それはそれでかわいらしい感じにもなると思いますし、伏線にもなります。
 というか、ダリウス=女といわれても、そこに女を感じることができるのか……、自分にはあまりイメージがわきませんでした。すごく悪い言い方なのですが、不細工な女の子がヒロインでも、あまり好きになれないのと同じ原理かと。

>いつまでも中途半端なままにして悪かった。俺はな、ダリウス、お前のことが好きだ
 一番の見せ場なはずなのですが、自分は素直に共感することができませんでした。言わんとしていることはわかるのですが。。。
 みよりでも、かすみでもなく、ダリウスを選んだという風に聞こえてしまいました。

>それは果たして美依里への恋愛感情なのか、ダリウスへのなのかは自分でも整理がつかない。

 いや、そこは、みよりへの愛情って言い切ってしまいましょうよ。ダリウスとはせいぜい三週間の付き合いで、それほど特別なものにも感じませんでした。みよりのために、禁忌を冒そうとしていたわけですし、かすみだって浮かばれません。
 個人的には、ダリウスの人格?が消えて、みよりの人格(悪・記憶は引き継がれる)みたいな感じになってしまうのがすっきりしたのかな、と思います。

 なのですが、筆者様はダリウスがヒロインとしているようですね……。う~ん。みよりとダリウスを同一視しているような節もあるのですが、それにしては、ミスリードで別人格と見せようとしている(実際、気付けるミスリードだったわけですが)のとチグハグな気もします。複雑なところだというのはわかるのですが、やはり、ダリウスにヒロイン的な魅力はないのかな、というのが私個人の思うところではあります。

 組織。これは他の方も仰っていましたが、空気すぎます。自分の持っているイメージでは、もっとガンガン、迷惑すぎるくらい介入してきてもおかしくないのかな、と。この辺りの設定にご都合主義を感じてしまいました。

 八坂家。これってなに? 組織に与えられた一軒家なのでしょうか。むか~し(五年以上前)に両親が住んでいた家? みよりとかすみとで生活共同体を作っていたころの家? みよりがいなくなってから、かすみはどこに暮らしていたの? など、いろいろと疑問が浮かびました。
 これは、他の方の疑問で回答しているようですね。んー、普通のことなら流せるのですが、普通じゃないことについては弁解程度に説明しないと、気になりだしたら気になってしまい……です。

 回想。断片的に回想を挟むのは、少しずつイメージを与えていくのには有効ですが、かわりに時間軸がぶれてしまいます。ダリウスと出会った時、五年前の戦闘、その他みよりと過ごした平穏な時間などなど、いつがいつなのか、ごっちゃごちゃになりました。理解できなくはないのですが……。
 個人的には、ダリウスとの出会いだけ短い回想でやっちゃって、みよりがいたころから五年前の戦闘までを、一章まるまるくらい使って描いたらどうだったかな、と思います。いまのままでは、みよりに対する愛情が描き切れていないのかな、と感じました。

 祐一は小6(または中1)、美依里は中1(または中2)。
 他の方の感想で見つけたのですが、みよりってもっと大人なイメージがありました。グラマラスな。主人公から見れば大人、なのかもしれませんが、にしても幼すぎる気が……。これは完全に設定が甘かったのかな、と。五年と言わず、一、二年前で良かったのでは??
 ダリウスが元に戻った時の姿も、幼いみよりなのか、五年後想定のみよりなのか、いまいち釈然としませんし。

 世界観。負の簒奪者と狩人の組織。というのは面白そうなのですが、練りが甘いのか、説明が少ないのか、いまいちはっきりと見えてきませんでした。よくわからないまま話が進むのが少しストレスに感じたように思います。

 プルートー。プルートーの右腕、便宜上、プルートーで構わないみたいに言っているところがありましたが、これがあるまで、(他の方も仰っていますが)混同がありました。というか、便宜上プルートーで構わなくないだろwと思ったのですが、どうなのでしょうか。
 適役としては立っていなかったですが、ラブコメなら、ありかなと。展開を臭わせる感じで、悪くなかったと思います。


●キャラ。
・主人公……モテ男くん。モテルのは罪じゃないw

・ダリウス……いまいちどう捉えていいのかわかりませんでした。無駄な女属性が邪魔をしていたかな、と。

・佳澄……ストイックでマニアック。個人的には、ストイックの使い方で辞書を引きましたが、合っているのかどうなのかわからないので、保留。というか、初めから、オタク成分全開で、大人しいめのオタクの子というイメージが定着。いい子。ストイックなキャラを立たせるのであれば、オタクを出す前に、もっと自制的で禁欲的なところを見せる必要があるのかな、と。

・京子……ミャーと鳴いては、現場に現れる、ツンデレな子。かわいいのですが、主人公に惚れるという点がマイナスポイント。

・みより……グラマラスなお姉さん。トップオブエース、らしい。

 どのキャラもテンプレで留まっていて、ラブコメにしてはキャラクター(人物?)が描けていなかったかな、と思います。

 構成。一番気になったのは、真ん中に入った日常シーンとラストのバランスです。
 むしろ、デートからの、かすみの告白がクライマックスなのではないかと思うくらいでした。その後も、日常日常と繰り返していたように思うのですが、そのあとの展開が、いまいち盛り上がらない日常の延長くらいのまま終わってしまいました。
 プルートーのところと、よみがえりのところにワンクッションあったのも、山が小さくなってしまった要因かと思います。60~70ページくらいだったので、連戦のような形で一気にラストまでいけば、もっと盛り上がれたんじゃないかなあと。

 最後に。だらだらと思いつくままに書いたのですが、気に障るところもあるかとは思いますが、悪意はありません>< 
 この作品を読んでの、率直な個人的な感想なので、見当違いなことを言っている個所もあるかと思いますので取捨はお任せします。

 駄文失礼しました。それでは。

ハルさんの意見 +40点

 どうも。ハルと申します。

 【ダリウスの瞳】個人的にはとても面白かったです。ストーリー構成、キャラクター、背景設定どれも良い感じで「次はどうなるんだろう?」とワクワクしながら読むことができました。

 少し残念だったかなっと思ったことを述べさせていただきます。

?女性キャラが多い気がします。
→個人的にもう一人ぐらい男性キャラが欲しかったかな?(例えば、本部から派遣されるキャラがいてもよかったかなと)

?ラストシーン
→ラスボスがダリウス(より姉)だったのはよかったです。話の途中からダリウス=より姉なのではないかは薄々気づいてましたけど(プルートーが最後の瞳を渡した瞬間、確信しました)

 プルートーの活躍シーンがもう少しあってもよかったんじゃないかと…(過去に対決したという設定はよかったが、再び会った祐一にダリウスを差し向けただけで後は観察ってのがちょっと寂しかった)

 感想としては以上です。久々に心底楽しめた作品でした。次回作も期待しています。

ヤクミンFBBさんの意見 +30点

 どうもどうもこんにちは。「ダリウスの瞳」拝見させていただきましたので、初めてですが感想の方書かせていただきます。

 とりあえず、見てて思った事。

「節子ぉ…これラブコメちゃう…ダークファンタジーや!」

 ここ、ここが重要。死神がヒロインという時点で、ある程度覚悟はしていましたが…ここまでやられると笑うしかありませんねw
 王道的なダークファンタジーだと思います。というかそうにしか見えなかったw
 主人公と女の子のデートなどのやり取りは、ラブコメじゃなくても、普通に別のタイプの作品でも見かけますしね。

 あと、特に致命的なのがこれ。

「主人公が一人の女性に想いを寄せている」

 これは痛い。しかも主人公が、優しさや純粋な自己犠牲の考えからではなく、「禁慰を犯してでも蘇らせたい」という恋慕から来る邪な、しかし確固たる意志を持っていては、それはもう鉄壁です。他の女性キャラが入りこむ隙がありません。
 ラブコメとするなら、改善の余地は大いにありありだと思います。

 ……とまぁラブコメの話はこれくらいにして、次は作品の内面に入りましょう。


~文章編~

 やはり、伊達に作品を数書いてませんね。文章力の安定感には驚かされました。ほぼパーフェクトです。
 ただ、気になったところはありました。まず、京子の家に行った時の、佳澄の思考。

・恐らくこの二人は殺された後に、死体に寄生させられたのだ。反吐の出る話だ。
・一刻も早くこのバケモノどもを斬り裂いて、あの二人を解放させないといけない。殺されて、その死体を利用されるなど考えただけで怖気が走る。

 ここら辺の描写。1つなら良いんですが、2つ書かれるとなんだかくどい気がしました。また、佳澄が「反吐の出る」という乱暴な表現を使うのは、似つかわしくないと言うか、違和感を覚えます。

 次に、祐一とネクロアビスとの戦闘中。

・痛みならそれを越える激情で耐えればいい。
・嘆くのはまだだ。腕が千切れて、足がもげて、血反吐を撒き散らしながら絶望してからだ。
・この程度、自分への怒りでどうとでもなる。

 この辺りの感情描写も、上記の理由で、そんなに多く書く必要はなかったと思います。なんとなく、語太郎氏の主観を強く感じた気がしました、気のせいかも知れませんが。

 大きく挙げてこの2つです。細かく見て行けばもう少し増える気もしますが、ほとんど気にならない程度だと思うので省略します。
 素の文章力自体は、評価に値すると思っております故。


~キャラクター編~

☆八坂祐一
 ちょっとオーソドックスにし過ぎた感じがしました。もうひと押し何かが欲しかったかも。
 あと、戦闘中よりも、女の子との会話中、またはデート中の祐一の方が、個人的によかったです。
 ただし、全体的に感情移入はしにくかったです。

☆楠野佳澄
 It’s cool beauty!
 良いと思います。無感情に見えて、実は一途な恋する乙女という。
 戦闘力を持たなくても、普通にラブコメでやっていけそうですね。


☆朝倉京子
 某魔法少女が由来だそうで。言われてみれば言葉の端々に面影が…。
 私は少し前に劇場版ハ○ ヒを見たので、てっきりそっちの某ナイフ少女の名前が由来かと…w。
 結構好きなキャラでした。祐一にブカブカシャツのまま、零距離まで迫り、壁に追い詰める様は、興奮すら覚える。


☆ダリウス
 発想の勝利でしょうか。まさに狂気が生んだ産物です。見た目だけならまだしも、声までアレでは、萌えるに萌えれません。
 でも、結構良いキャラしてたと思います。祐一との会話は個人的に好評価。
 嫌いではない、むしろ好きかも。でも、LoveではなくLikeの方でね。
 ラブコメで出すなら、声はまともにして、顔ぐらいは可愛らしい少女にすれば、需要はあります。


 詳しい感想はメインキャラのみにします。他は大きくネタばれとなりますし、それ程登場してないので。
 しかしあえて言うなら、『負の簒奪者』はきつかった。腐りかけだとか、ムカデだとか、正直どん引きです。
 でも、ダークファンタジーなら普通に出そうなのが悩みどころですね。
 ところで3つ首に、寄生虫に、影とくれば、私は某小説のカゲヌシを思い出しました。


~ストーリー・構成~

 私はこの部分の意見は割愛させていただきます。
 前の方でに感想を残してくれている方々がほとんど言っちゃってますしね。
 改めて時系列を確認するのがめんどくさいとかそんなんじゃ(ry


~総評~

 良くも悪くも実験作、と言ったところでしょうか。
 あまり触れた事のないジャンルだからこそ、色々な要素を入れて試したと言うか。
 元々カオスな作品するつもりだったんですかね。
 まぁ何にせよ、次こそは甘々で悶々なラブコメを期待しております(チラチラッ


 余談ですが、読むのに6時間、日数にして2日、感想に3時間掛かりました。
 主人公に感情移入出来なかったせいか時間掛かり過ぎた…
 どちらかというと好きなタイプの作品だったので悔いはないですが。
 あと、点数はつける基準が分からなかったので、他の方々のを参考にしております。

 それではまたどこかでお会いしましょう。
 ばいば~いノシ

Garuさんの意見 +30点

 はじめましてGaruと申します。作品を拝読したので感想を記そうと思います。
 まず、全体を通して面白かったです。
 特に、主人公とダリウスの軽口はとても面白く、ネクロアビスとの戦いは激しく、佳澄の純粋さには温かいものを感じました。そして主人公の能力には熱くならざるをえませんでした。
 場面ごとのメリハリもしっかりしていて、とても読みやすかったです。

>「――その知識は、あくまで基本的な使い方でしかないんだぜ」
(´Д`)カッケエエエエエエ

 次に、気になった点ですが、ダリウスの正体に関するヒント?が案外早い時点で出ていることです。
 心構えができているせいか、黄泉帰りのシーンで、やっぱり…という気持ちになってしまいました。個人的に驚きがほしかったです。
 京子が記憶を取り戻し、主人公が安心させようとする場面ですが、あんなに早く立ち直れるものなのでしょうか?あっさりしている感じがしました。
 プルートのキャラが弱い・・・ラブコメなら問題は無いと思いますが、ラスボスが空気なのはやるせない感じがしました。
 最後に、読みにくく拙な文ですみません。ダークなものを好んで読んでいるのでこんな感想になってしまったのかもしれません。これからのご活躍期待しております。

篠宮俊樹さんの意見 +20点

 篠宮と申します。
 拝読させて頂きましたので、感想など。

 一番に感じたのは、キャラクターが秀逸だということです。
 祐一、ダリウス、佳澄、いずれもよく描けています。
 会話文も楽しく、飽きずに読み進めることができました。

 ストーリーもおおむね良く、終盤までかなりの高評価でした。
 残念なのは、ラストが私とは合わなかったということです。

 作中に祐一自身が言っているように『黄泉帰り』というのは禁忌であると思います。
 ですので、私はてっきり祐一は最後には美依里の死を受け入れる、または、多大な犠牲の下に美依里を蘇らせるのだと思っていました。
 ですが、結果を見ると、祐一の全取りで幕を下ろしています。
 あまりに強引なハッピーエンドに後味はあまり良くなかったです。
 以上が全体の感想です。

 以下、個別に各要素について。

●文章
 やや読みにくい印象を受けました。
 ダリウスを二重括弧にしていたにも関わらず、誰の発言か迷う場面がありました。
 また、誤用か迷う表現も散見されました。
 「和製人形」は「日本人形」。
 「火急速やかに」は「可及的速やかに」が一般的ではないかと。
 他に細かいことを言えば、「ソイツが祐一に接近」などのような一人称でしか使用しない表現と三人称的表現の混在が気になりました。
 もっとも、完全に不可の表現ではないと思うので、意図的な使用なら問題ないとは思います。

●人物
 前にも書いたように秀逸です。
 外見は死神のダリウスをここまで魅力的に描けるのはすばらしいと思います。

●ストーリー
 ラストが残念というのは先に書いたとおりです。
 他には、ダリウスの正体があからさますぎた、ということが気になりました。
 少なくとも、祐一に美依里と面影が重なる、などと言わせては駄目でないでしょうか。

●総評
 全体的には、非常に良い作品だと思いました。
 ただし、欠点も多いように見受けられました。
 まあ、私の好みとは外れていた、ということでしょうか。

 以上、個人的な意見ですが、参考までに。

底辺 従助さんの意見 +20点

 こんにちは、底辺 従助です。
 読んだので感想を投下します。

 文章は軽妙でテンポが良く、台詞回しや掛け合いが面白いですね。戦闘描写のノリが良く、バトルに入ると加速していたような印象です。

 キャラですが、割とどの人物も魅力的だった気がします。
 佳澄は内気な大和撫子キャラで可愛らしいですね。二刀流設定も好きでした。大刀二本なのか、大刀一本に小太刀か脇差なのか、微妙に気になります。『遠くからこっそりと佳澄ちゃんを愛でる会』にぜひ入会させてください。

 ダリウスは、クールでシニカルだがユーモアのある変わり者、といった感じでしょうか。メインヒロインとして上手く機能していたように思います。
 京子は普通に年頃の娘っぽい美少女ですね。名前のせいか、今流行しているアニメの某魔法少女で想像していました。結構気に入っています。
 もし僕が三人の中から選べと言われたら、相当選定は難航しそうです。
 主人公もいい奴で、割と一本筋の通った感じかな、と感じました。

 構成は、ダリウスの正体は中盤辺りから見当がつきました。佳澄の物語への関わりは想定の範囲内でしたが、京子の果たした役割は予想がつきませんでした。
 あと、『魔法少女まどか☆マギカ』ネタがさりげなく二回位盛り込まれていたように思います。作中作の映画はもろにそんな感じですし、京子が食い意地張ったキャラにすんな、とダリウス相手に突っ込んでいたり、思わずクスリとする要素がありますね。
 僕がちょうど、容姿的にはマミさん、性格的には杏子ちゃん、髪型と属性的にはさやか、と一番萌えるキャラを決めあぐね、キュゥべえ萌えという邪道に走ろうとしている最中でしたから、尚更そう思えるのかもしれません。

 ストーリーについて述べると、過去に大切な異性を失った主人公がそれを取り返すまでの話ですね。佳澄が主人公を支え、京子が和ませて、ダリウスがよき相棒として主人公をおちょくって励ます、というイメージでした。
 ラストのクライマックスまでイベントを盛り込み、緩急をつけていたように思います。

 設定は、退魔師モノっぽい雰囲気の世界観に、オシャレな名前の敵役や専門用語と、シンプルで魅力のある武装や異能を合わせているなど、好みです。
 ただの偶然ですが、異能モノというジャンル、電話で買い物を頼まれるシーン、寄生虫型の魔物、二刀流、ですます口調の後輩キャラ、抱き枕代わりにされる美少女、主人公の敗北の後に最強キャラが助けに入る、土壇場で裏切るメインキャラと、何か今から投稿する予定の作品に少し似ているな、と感じました。
 親近感が湧くと同時に、もうこの手のものは飽和しているのか、自分では凝っているつもりだったのに、でも考えてみるとよくある設定かもな、と何やら寂しい気分になりました。
 しかし、この作品の場合は設定を生かせていないわけではないので、僕のように悲観する必要は全くないでしょう。

 総評としてマイナス点を挙げると、軸となるアイディアや展開がある程度思いつきやすいもので、捻ってあるのは分かるけれど、更に一ひねりしていればな、と思えます。
 完成度の高さなど、加工する技術は確かなものなので、アイディアにもう一ひねり入れれば違うのではないでしょうか。
 
 点数は迷いましたが、とりあえず20点で。
 一定以上の作品が多く、やたら高得点を振りまくわけにもいかないので、半ば苦渋の決断でした。

 以上、感想でした。面白い作品ありがとうございます。
 未熟者の意見ですので、是非取捨選択をお願いします。おかしいな、変だなと思ったら切り捨ててください。
 それでは、失礼しました。

カワセミさんの意見 +20点

 こんにちは、カワセミです。感想返しにやってまいりました。

 以前よりも表現の幅が広がっているというか、描写に厚みがあるような気がしました。あまり偉そうなことは言えませんが、確実に上手くなっていると思います。

 さて、内容の方ですが。

 暗い雰囲気が全体的に満ち満ちているのはやはり負の簒奪者がらみの描写が非常に重いからでしょう。登場の度に不気味さが滲み出てくるようで、この力の入った描写は中々に凄いと思います。

 キャラクターも、行動に好感が持てるキャラばかりで楽しかったです。登場人物同士が好意という絆で繋がっているために、危ういながらも強い繋がりを感じさせて、これからどうなるのだろうとハラハラさせられました。
 むしろあの個性的な三人に囲まれながら関係を維持し続けられた祐一の人間性には感服します(笑)本来あり得ないであろう状況ですが、決して都合が良い展開とは思わせない書き方が出来ていたと思います。
 それというのも、祐一の芯が最後までブレなかったことが大きいと思います。意志の強さを感じさせられる、非常に格好良い主人公だったと思いました。

 ただ、物語全体の流れはとても良かったと思いますが、細部に疑問点が。

 主に前半ですが、祐一が危険を感じながらも敵地(という表現で良いのか分かりませんが)に向かっていくシーン。仮にも5年以上の期間を狩人として過ごしてきたのに、装備が豆腐だけで突入するなんて無謀ではないでしょうか。
 祐一の能力や、後の展開を見ればある程度は納得できますが、後付けの説明よりも、その場その場を納得させるように書くべきかと思います。
 重要なイベントシーンが何となく行き当たりばったりな印象を受けました。その点、人物同士が関わり合うシーンはすんなりと納得できたので、場面場面の繋がりを補強するイメージで書いてみてはどうでしょう。

 ラブコメとのことですので、やはりバトルよりキャラ同士の関わりがメインですよね? バトルに移行するまでのシーンにもう少し説得力が欲しかった所です。

 最後に、ダリウスの正体は序盤から感づきましたが、それを差し引いても最後の決戦のシーンは手に汗握りました。燃える展開でしたね。キャラの魅力が充分輝くシーンだったと思います。

 感想としてはこんな所です。他にも沢山の方が読んでくれているようですので、より細かな指摘はそちらの方を参考にしてください。

 それでは、楽しく読ませていただきました。またお会いできるのを楽しみにしています。

ワタイさんの意見 +20点

1 こんばんは、ワタイといいます。

【文章】
 多少日本語として引っかかる部分もあるものの、テンポのよい文章でした。中二っぽい表現があちらこちらに見られたのは格好良かったですね。
 ただ文章を展開していくときに流れを意識して間を活用されたなら、もっと面白くなったんじゃないかなあとか個人的には思ってしまいます。タメが欲しいところでタメがない、という場面が何度かありました。読者を引きつけ盛り上げるために、文章の緩急をもう少し意識された方がよいかもしれません。
 また、伏線があからさまなのも若干気になります。他の方への感想レスで、「伏線の散らばらせ方が問題かも」とおっしゃっていますが、個人的には問題はむしろ「伏線の張り方」ではないかな、と。ミスリードをいくつか準備するのも有効な方法かと思います。


【設定】
 かなりたくさんの設定を作った上で、必要最低限だけを示して物語を進めていかれたのでしょうか、なかなか興味深く読めました。ひたすら設定語りがあると辛いところなのですが、御作はその辺りのバランスが上手に取れていたかと思います。


【構成】
 構成そのものには緩急があり、またテンポを崩すほどの寄り道もなく、よく作り込まれていたかと思います。そんな中、終章その二だけが浮いてしまっている感じ(取って付けた感)がしていますが。本編は終了していると書いて、その後に終章その二を足すのは少し評価しにくいところ。せっかく書き直すのでしたら、きちんと本編として織り込んでほしかったですね。


【ストーリー】
 伝奇系としては面白かったです。ややあからさまではありますが、きちんと伏線を張り、一つの物語の収束に向けてしっかり進んで行くところに安定感がありました。様々なキャラクターの想いが絡み合って、クライマックスのバトルに入り、一瞬バッドエンドかと思わせてハッピーエンドに持ち込む手際はお見事でした。バトルにも力が入っていますし、物語自体に勢いがあって、読者をぐいぐい引っ張ってくれる感じがします。
 ただし、ラブコメとしては弱いな、という印象を受けます。ラブコメであるからには女の子たちが主人公への想いで空回ったり、主人公が好きな女の子同士の想いが絡み合ったり、いろいろとあってほしいのですが、今回ストーリーへの恋愛それ自体の絡みが少ないように感じました。
 最もその要素を期待されるのはダリウスですが、主人公のダリウスへの感情が「美依里の面影に対する思慕」から「ダリウス本人への好意」になっていくところもきちんと描写してほしかったです。また、ダリウスの方の感情変化も。佳澄は最初から主人公と友人関係にあるようですが、主人公が禁忌を犯そうとしているという事実、そうまでして美依里を忘れられないという現実を目の当たりにした辺りで、もっと押してくれてもよかったかと。普通にデートして普通に振られて、でもまだ諦められない、という現段階での御作での描写では物足りないというのが個人的な意見です。
 そんな特殊な状況にあるのに、(多少オタク要素は入っているものの)どこにでもあるような恋愛模様で描き出すのはもったいないのではないかと。また、そんな状況だからこそ普通の恋愛に惹かれるというのも理解出来るところではありますので、御作の筋の通りに進めるならばそうした切ない日常への、『普通の』恋人同士への憧れというものに踏み込んで欲しかったかな、とか。
 また、作者様は他の方への感想レスを見ると、過去についていろいろと加えようかとお考えのようですが、確かにそれも一つの手段です。が、私としては現在進行形で、つまり御作のストーリーの進行と共に移り変わってゆくキャラの心理というものを見たいです。


【キャラクター】
 個々の設定は良いと思いますし、口調もきちんと書き分けられています。ただそれぞれのキャラクターの関係性には、もっと踏み込んでほしかった気も。少しずつ仲良くなっていく過程だったり、仲のいい友達という心地よい関係がバランスを崩した(好きという告白によって)結果だったりというところを、もっと魅せてほしかったですね。主人公の周辺は特にそのことが言えると思います。また人外好きの私としては、プルートーと京子の関係性にももう少し描写とかシーンを割いて欲しかったなあ、とか。クライマックスシーンでのプルートーと京子の会話には、どうも唐突感があるのです。京子の心情の移り変わりと、このときの京子の台詞が、きちんとリンクするように伏線をいくつか用意しておいてもらえると、伏線好きとしては嬉しかったり。

 また、些細なことですが一つ、ちょっと気にかかったことを。
 佳澄は主人公をメイド喫茶に連れて行っています。実際はどうか知らないのですが、アニメやラノベでメイド喫茶と出てくれば、特に説明がない限りそこで働くメイドたちは美少女だと私は勝手に思っていたりします。そんな可愛い女の子たちが、(ラノベ好きな佳澄からすれば)最高に可愛い衣装で働いているお店。そんなところに、デートで連れて行きたいと思うのかな、というのが私の疑問だったり。佳澄は主人公が何が何でも美依里を生き返らせるつもりなのを分かってしまっているのですし、これが最後のデートチャンスかもしれないという思いもあるんじゃないかと推測するわけなのですが……ずっと大好きだった人と、そんな特別なデートをしているとき、相手が他の女の子に目移りしてしまう可能性の高いところには行かないんじゃないかなあ、とか。この日ばかりは自分の方を見ていてほしい、っていうか。まあこれは一女の子としての私の意見ですから、聞き流して下さって構いませんけれども。


【終章その二】
 追加要素とのことですが、蛇足という印象が強いです。機関からの処分だとか、プルートーと京子の会話の補完だとかいった意味合いもあるのでしょうが、そうしたことはむしろ本編に絡めて、うまく伏線を引いて行って、後は読者の想像に委ねる形にした方がよかったのではないでしょうか。そして個人的にとても不満だったのが、最後にダリウスが美依里口調でしゃべるところ。本編のクライマックスで主人公が告白することには、以前は美依里の影をダリウスに重ねていたけれど、今はダリウス本人が好きだ、ということ。外見が美依里になったとしても、もうダリウスはダリウスであって、そんな彼女を主人公も受け入れたのだと解釈していたのですが、このラストでいろいろ台無しにされてしまったような勝手な印象をもってしまいました。うん……あれですよね、そっくりの生まれ変わりがいたとして、前世のその子と生まれ変わりのその子は違うんだっていうことで、ちゃんとその辺り線引きしてほしいです。美依里への想いとダリウスへの想いをいっしょくたにすることは、両者に対して失礼なことと思うのです。もちろんそれでもどこかで混ざらずにはいられないものというのも納得出来るのですが、何のフォローも葛藤も示されずにその混じり合いだけ示されると後味が悪いです。


 以上です。
 失礼しました。

玉子さんの意見 +20点

 玉子です。それでは拙く短いながらも感想です。

 面白かったです。キャラがたっていますし、物語も途中で先が読めましたが、それを確かめようと読み進められました。話自体も破綻が無いので気にせずに読めました。
 ラブコメと表わす通りに、最後はしっかりとバトルで終わってはいませんし……何というか、私の理想系の一つがありました。

 それで――私の感想で『押し出し(?)』できればいいと思いました。
 ……ここまでの文章がアレですいません。言葉で表わせないって、作品を書く身としてどうかとは思いますが、他の方とかぶりますし……。
 それでは、次回作も頑張ってください。

垣崎さんの意見 +30点

 どうも、垣崎です。
 感想を返しに参りました。遅くなってしまい、すいません。
 たくさんの方が感想書かれていらっしゃるので、私が今更書く必要があるのか、少し疑問符が付きますが、感想書きます。

 読み終えた感想ですが、面白かったです。そりゃ、タイトルの左に王冠つきますよw 納得です。

・文章
 三人称でしたが、読みやすかったです。くすっとする場面も何度かありました。戦闘シーンなど、私は描いたことがないので、こういう描き方もあるんだなと、参考になりました。

・ストーリー
 どこかの感想でダークファンタジーとありましたが、概ねそういう雰囲気でしたね。私はなんとなく、ストーリーの雰囲気がFateに似ているかなという印象を持ちました。 ダリウスがマスターって言っていたからかもしれません。二人が闘うのは予想できましたが、ハッピーエンドで良かったです。あの感じなら、続編も書けそうですね。

・キャラ
 作者様のコメント欄でラブコメとあって、何人も女の子が出てくるのかと思っていましたが、ヒロインが三人とバランスが良かったです。一人一人内面も掘り下げられていて、キャラがよく立っていました。

 批評は皆さましていらっしゃるようですので、私からは遠慮させていただきます。

 短いですが、以上です。それでは失礼します。

時岡継さんの意見 +40点2012年10月05日

  初めまして。
 とても面白い作品だったとおもいます。文体も読みやすいしただ、特にこれと言った不満もない分、グッと引き付けられるような魅力はなかったです。バトルシーン、いちゃらぶシーン、キャラクターは良く書けていたと思います。
 でも手がかりが多すぎる所為で、展開が読めてしまいます。

 僕は、初めは佳澄がお気に入りでしたが、読み進めるに連れ、すっかりダリウス派に。良いキャラしてますね!