第5研究室 新人賞の間

理論上「新人賞を受賞できる」方法






ありがとうございます。
のコンテンツは、副管理人元村良一さんのサイトに掲載されていた文章を、許可を得て転載したものです。
元村さんは、「東京アナウンス学院DCI科」という小説家や脚本家を育成する学科を卒業し、学生時代に新人賞の下読みの経験もしたことのある方です。この話の中に登場する元村さんの知人は編集プロダクションに属する出版業界人です。

執筆2004年

元村もそうだが、多くの作家志望者は「小説の書き方」を教えられるよりも、

手っ取り早く新人賞を受賞できる、具体的な方法
 が知りたいのではないだろうか?

「こうこうこうすれば、新人賞を取れますよ」

 そんな夢みたいな方法が実在するなら元村でなくても飛びつくと思いますが、
 先日知人と酒を飲んでいる席で「あくまで理論上に過ぎないけど、
 こうすればほぼ100%新人賞を獲れるよ」と公言したとんでもない人物がいます。
 んで、今回はその人物の許可を得て、新人賞を受賞できる秘策を公開しようと思います。
 ただしあくまでも理論上に過ぎませんし、実際に受賞できるかは全くの未知数です。
 気休め程度に読んでください。


 さて。そもそも「新人賞」とは何でしょうか?
 知人がいうには「プロへの登竜門」であり
 「作品を世に出すための審査機関」だと言っておりました。
 これに関しては、元村も全くの同意見です。
 また、どこの馬の骨ともわからない人間の作品を一冊の本(商品)にしようっていうんだから、
 どこの新人賞もその審査は厳しいに決まっています。
 しかし、審査する側もされる側も同じ人間ある事には違いがありません。
 また、数多くの新人賞が存在するにも拘わらず
 「他では用いていない、独自の審査方法を設けている」
 新人賞というのは、ちょっと聞いた事がありません。

 基準ではありません。方法です。

 基準はそれぞれ違うと思いますが、
 だいたいどこの賞も方法に関してはほぼ同じと言って構わないと思います。
 新人賞のシステムなどについては「下読みの鉄人」という素晴らしいサイトがありますので、
 こちらを参考になさってください。
 簡単に言えば、

 一次 → 二次 → (三次?) → 最終選考 → 受賞

 というのが新人賞審査における流れだと思います
 (一次は編プロ、二次は出版業界関係者、最終選考は編集部内及びプロ作家……
 などなど、そういう細かな違いなどもとりあえず置いておきます)。
 さらに「作品を出版する」と言う事を第一の目的とするのであれば
 「ネットに公開する」「自費出版する」「同人誌・私家本を作る」などと言う方法もありますが、
 これも今回の話とは何ら関係がないのでスルーします。

……横道に逸れました。本筋に戻します。
 知人が言うには新人賞は、ハードル走と同じだと言っておりました。
 道は、ほとんど真っ直ぐです。我々アマチュアが問題視しなければならないのは、
 ゴール(受賞)までに立ちはだかるハードル(審査)をどのように乗り越えるか
 が最大のポイントになります。
 はっきり言って、ハードルの高さ(審査基準)は、賞によって違うと考えています。
 なので、まず作品を投稿する前に、
 自分がどの賞に投稿しようとしているのかはっきりさせる必要があります。
 物凄く当たり前の話ですが、
 単に「作品が出来上がったから、締切が近い賞に送ろう」というのであれば、
 それはちょっと無謀なやり方と言わざるを得ません。
 なぜなら、それぞれの賞は基準も違いますがも違うからです。
 わかりやすく言えば、日本SF新人賞にエロ小説を送っても見向きもされないのと同じことです。
 こういうと物凄く実感が湧くのに「富士見と電撃の違いは?」「スニーカーとえんための違いは?」
 などと問われたら、少なくとも即答はできないと思います。元村でさえ、ちょっと口籠もります。
 言うまでもなく、それぞれの新人賞はまったく別物です。
 ある程度似てはいるかも知れませんが、同じではありません。
 水と海水とお茶とコーラは同じ「液体」ですが、すべて違う物です。

 それぞれの賞に、それぞれの特色がある。

 まずこの事実をきちんと受け容れ、それぞれの特徴を理解する必要がある。
 そして理解したら、自分はどの賞に送りたいのかきちんと決める。
 過去の受賞作や主催出版社の刊行物などを見れば、だいたいの見当はつくはずです。

 ここまでが「第一段階」です。
 そしていよいよ本題となる「第二段階」のお話をしようと思います。
 第二段階の要点は「どうやってハードル(審査基準)を突破するか?」です。

 知人が言うには「まず、細かい部分での違いはすべて無視すること」だと言います。
 ちょっとでも「同じ」「似ている」と思ったものは、
 基本的に“同一”と見なして構わないそうです。
 巷に溢れている「新人賞対策の本」に、必ずといっていいほど
 「オリジナリティが重要だ」と書かれているのですが、
 オリジナリティとは言い換えれば「他の作品とは明らかに違う物」のことを言うそうです。
 既存の作品や過去に受賞した作品、話題になった本と全然似ていない、
 まったく別内容の作品を送る。
 知人曰く、これが「最低条件」だそうです。
 とりあえず、この最低条件をクリアする事ができれば、受賞確率は70%を軽く超えるそうです。
 ……その根拠を聞き忘れましたが。(-_-)
 んで元村は「残りの30%は、どないすりゃええねん?」と聞いたところ、

「1%は『運』と思って諦めろ。残りの29%に関しては、
 これらの事をクリアすればそれに応じて上がる」

 と、一枚のメモを手渡してくれました。その内容を以下に書き記しておきたいと思います。


・ その作品に「新鮮さ」はあるか?

・(その賞に)送られてきた数多の作品と、決定的に違うところは何か?

・ 客観的に見て、その作品は面白いか? 具体的にどんなところが面白いのか?

・ 自分が何を書きたいのか、はっきりしているか?

・ 内容はわかりやすいか?

・ ストーリーに無理や矛盾がないか?

・ 意外性はあるか? 先の展開は読まれないか?

・ テーマやネタは、ありふれていないか? 似ていないか?

・ モデルになっている登場人物はいないか?
  いる場合、本人とわからないだろうか? わかる場合は×

・ 既存作品の登場人物に似ていないか?

・ 舞台や設定、取材などはおざなりになっていないか? 適当に決めていないか?

・ 正しい日本語・文章を使っているか?

・ 意味不明、ないしはわかりにくい表現を使っていないか?

・ 同じ様な表現や単語を繰り返し使っていないか? 

・ 冒頭や印象のある場面が、他の作品と似ていないか?

・ 冒頭で「これは面白そうだ」と思わせることができるか?

・ 他人には絶対に負けない「自分だけの武器」があるか?

・ 他人に迷惑をかけるような内容ではないか?
 * 名誉毀損、盗作などは法の下に裁かれるので。

・ 規定枚数と、内容に無理はないか?

・ 無駄はないか?

・ 工夫の余地はないか? 本当に、これ以上の改良点はないか?

・ つまらないミスはしていないか? 
 *誤字脱字、視点、ノンブル、あらすじの付け忘れなどのケアレス・ミス。

・ 忘れている事はないか? 心に引っかかっている事はないか?

・ 応募要項は遵守しているか?

・ その一作で完結しているか? 続き物になっていないか?

・ 最低限のマナーやルールを守り、それを実行できるか?
  「御中」とか。間違っても「宛て」とか書かないように。

・ 自分の作品に、絶対の自信はあるか?

・ 信頼できる人物に、自分の作品を読んでもらったか? 感想や意見をもらえたか?

・ 他人の批評や感想を、素直に受け容れる事ができたか?

・ これら質問の解答に、説得力があるか? あるなら、実際に他人を説得してみること。


 とりあえず、これで全部かな?
 知人曰く「すべての質問に、完璧に答える必要はない。
 けれども、一つでも多く条件をクリアしていれば、それだけ受賞確率は上がる」と言っていました。
 確かにこれならば、理論上は受賞する事も可能でしょう。
 最後に知人はこう言っていました。

 あとは実際に、やるかやらないか。努力をするか、しないかと言うだけのこと。
 小説なんて書こうと思えば誰でも書けるし、
 人よりいい物を書こうとするなら努力するのは当たり前。
 才能やセンスも「あればあるに越したことはない」程度の物だし、
 どんな才人も努力しなければ意味がない。
 自分にできることをすべてやったら、あとは静かに待てばいい。「人事を尽くして天命を待つ」。

 これ以外にも「プロに“なる”よりも“なったあと”の方が大変だし」
 とか「ダメなヤツは何やってもダメだし(酷ッ!)」
 「何度も投稿し続けていれば、受賞せずともプロになれる場合もあるし」
 などと貴重な話を聞きましたが、長くなりましたので今回はこの辺りで。


読者は、なにを求めているのか?

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 いつもお世話になっている「作家でごはん」さんに投稿されていた質問がきっかけで、
 この場に取り上げてみることにしました。
 元村なんかは、ついつい「書き手」やその周辺のことばかり考えてしまいがちなのですが、
 いい機会なので「読者がなにを求めているのか?」と言うことを考えてみたいと思います。


 さて、書き手にとって小説とは「表現技法の一つ」ですが、
 読者にとって「小説とは『娯楽』の一つである」と考えています。
 頻りに「エンターテイメント」がなんやかと叫ばれていますが、
 読者にしてみれば小説なんてものは「退屈しのぎの一つ」に過ぎないと思いますし、
 書き手にしたって「表現」という単語を使う以上「自己満足」と言われても文句が言えません。
 ただし、趣味で小説を書いている場合はともかく、
 「商売」として「小説」というものを世に送り出そうとしている場合は、話が異なります。
 まず「書き手としての立場」から考えると、
 先に述べた「自己満足だけ」で終わってしまってはいけません。
 そんなことは、同人誌や私家本、インターネット上でやってもらうとして、
 前提が「商売」である以上「作家は“生産者”である」という事実を忘れてはならないと思います。

 例えるなら農産業者と同じです。
 米や野菜、果物などどんな物を作るにせよ「売れる物」「品質の良い物」を作らなければなりません。
 同時に「似たような物は(大量には)要らない」という事実も忘れてはなりません。
 どんなに品質が良くても、獲れすぎてしまうと市場の価値が下がってしまうので、
 泣く泣く破棄するという話はニュースなどで聞いたことがあると思います。
 これは小説でも同じことが言えます。
 どんなに面白くても、同じような物ばかりでは手に取ってもらえません。
 特に「先例がある」場合は、どうしても「二番煎じ」というレッテルを貼られてしまう上に、
 先駆者の方が圧倒的に有利なのは説明するまでもないと思います。
 よく巷で「オリジナリティー」が叫ばれているのも、こうした背景があるからです。
 つまり、それだけ「似たような物」が溢れかえっている。
 その事実をうっかり忘れてしまっているのではないか、と元村は危惧しています。
 「同じ物」「似たような物」は要りません。
 ……これは専門学生時代、エンターブレイン「えんため文庫」の編集長(当時)
 が言っていたことと重なりますが、

「あかほりさとるは、二人も要らない」

 業界において、氏の名前を知らないという人はいないでしょう。
 それほど有名であり、一時期ライトノベルの底辺を支えていた偉大な作家の一人です。
 現在でも多方面に活躍されており、脚本家の小山高生氏のお弟子さんというのは有名な話。
 少し話が逸れましたが、どんなに面白くても、
 氏の作品や文体を彷彿とさせるような作品・作家は必要とされていません。
 今風に言うなら「上遠野浩平や乙一は、二人も要らない」と言ったところでしょうか。
 故に「書き手」としてまず第一に考えなければならないのが
 「自分にしか書けない作品を書ける」「他に似たような物が存在しない作品を書ける」
 と言うことが重要なステータスの一つとなります。
 特に新人賞の場合は、これが重要視されます。作品の質や面白さよりも優先されます。
 それほどまでに「個性」が重要視されています。

 しかしながら「小説が売れない」「本が売れない」というのは、
 もはや常識として広く浸透しつつあるのは御存知かと思われます。
 本が売れない背景には様々な理由が存在しますが、特に「ライトノベル」に限定した場合は、
 致命的とも言える欠陥が今なお解消されないまま残ってしまっている、
 という事実を忘れてはならないと思います。
 一つは、いま述べた「オリジナリティについて」です。
 どれもこれも「五十歩百歩」というか、
 最近なかなか「これはスゴいっ!」と思わせるような新人が台頭してこない。
 無論「ゼロ」と言うことはありませんが、なかなか伸び悩んでいるのは周知の事実。
 つまりそれは、読者の立場から考えると「手に取ってみたい」「読んでみたい」
 と思わせる魅力がないということに他ならず、
 それ故に長く低迷が続いていると言い換えることが出来ると思います。
 
 そしてもう一つ。そこから導き出される問題として
 「読者を想定し、マーケティング調査を行っているのかどうか?」ということに関して、
 元村は疑問を感じざるを得ないと言うことです。
 これは作家のみならず、出版社に対しても言えることです。
 実はこの業界では「ライトノベルは、新刊しか売れない」というのがもっぱらの評価だったりします。
 当然、異論や反論はあると思います。元村にだってあります。
 ただ、一般的に「売れている作品」と言われる小説――
 例えば「池波正太郎」「宮部みゆき」「内田康夫」「大沢在昌」といった、
 おそらく日本人なら誰でも知っているであろう「大御所」の作品と
 「ライトノベル」を敢えて比べてみると、如何にライトノベルが「売れていない」のかが、
 よくわかると思います。

「そんな大御所の作品と、ライトノベルを同じにして考えるな!」

 そういわれるかも知れませんが、元村の考えは違います。
 なぜなら「同じ小説だから」です。
 しかも、いま挙げた大御所は、いずれも同じ「エンターテイメント」を前提した小説を書く方々です。
 どこに違いがあるのでしょう? 読者対象でしょうか?
 確かにそれはあります。けれども、本当に優れた作品であるならば、
 そんな物は大した障壁にはなりません。
 面白ければ、質が良ければ大人でも読みます。

 けれども現実を直視した場合「新刊しか売れない」というのは、異常です。
……これは元村が「書店員だから」かも知れませんが、
 新刊しか売れない=既刊が売れないという構図は、どう考えても納得が行かないし、
 不自然にしか見えません。

「ライトノベルは、読み捨てで構わない」

 そう考える人も実在しますが、
 それだけでは「未来に繋がらない」と考えるのは間違っているでしょうか?
 その場凌ぎではなく、その存在が消えてしまわないようにすることも重要なのではないか、
 と元村は考えるのです。
 いつの時代、どんな物であれ最後まで残るのは本物だけです。
 そして書き手は、いつだって「読み手(読者)が何を求めているのか?」を考え、
 そのために全身全霊を尽くさなければならないのではないかと思うのです。
 同様に、読者はいつだって「本物」を求めています。
 また「面白いけど、埋もれている」「隠れた名作」というものは、
 人の努力次第でいくらでも表舞台に上げることが出来ます。
 それ以前に「本物は、必ず人の心と記憶に残る」と信じています。

 ……ついつい「売れる、売れない」という問題を絡めてしまいましたが、この苦境の時代。
 「書き手」と「読み手」の両方の立場や物の見方、考え方などを視野に入れながら、
 長く人の心に残る「本物の作品」を書いていきたい。
 書けるような世の中になればいいと切に願う次第です。

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