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なぜこの小説は人気があるのか?

ネタバレ注意! このレビューにはネタバレが含まれています。

涼宮ハルヒの憂鬱

 
「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、
超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」。
入学早々、ぶっ飛んだ挨拶をかましてくれた涼宮ハルヒ。
そんなSF小説じゃあるまいし…点と誰でも思うよな。俺も思ったよ。
だけどハルヒは心の底から真剣だったんだ。
それに気づいたときには俺の日常は、
もうすでに超常になっていた。
第8回スニーカー大賞大賞受賞作。

2006年4月2日から、アニメ化された作品です。

■ 作品の書評                             

 ライトノベルの醍醐味とはなにか? 
 それは通常できない体験をフィクションを通して疑似体験し、カタルシス(快感)を得ることである!


 と、思っております。
 しかし、創作物が氾濫する現代において、
 もはやありとあらゆる物語のパターン、設定は網羅され尽くしています。
 魔法が出てこようが、宇宙人が出てこようが、巨大ロボットが出てこようが、
 美少女が大挙して押し寄せてこようが、もはや、なんら驚くにはあたらず刺激足り得ません。
 刺激に慣れてしまった読者をおもしろがらせる方法を開発するのは至難の業です。
 
 こんな閉塞状況を打破できる人間が、クリエーター業界では英雄となります。
 涼宮ハルヒの著者・谷川 流さんは、その英雄たる資格を持つ者です。  


 ふつうでは絶対できない体験、でもしてみたい体験を彼はこの作品に詰め込んでいます。
 それは魔法使いになることでも、超能力者になることでも、
 美少女からモテモテになることでもありません。
 
 どこまでも自分に正直に、どこまでも己の夢に忠実になることです。

「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、
 超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」
 入学した高校の自己紹介で、涼宮ハルヒはいきなりこんな爆弾発言をしちゃいます。
 サンタクロースは存在しない……
 そんな夢やぶれて山河ありな事実を多くの人は小学校高学年になる前あたりで知り、
 この世には、漫画や小説、ゲームに出てくるような夢踊るような世界は、
 どこにもないことを悟ります。
 もし中学生になってまでサンタクロース実在論を語っていたら、
 そこに浴びせられるのは悲しいかな、馬鹿なんじゃねーの? という冷たい嘲笑だけでしょう。
 ああ、これが大人の階段か……大人の階段とは夢を捨て去ることなのか……

 しかし、多くの人間が空想の産物として一笑に付してしまった、
 宇宙人、未来人、超能力者の存在を頑なに信じてきた一人の少女がいた! 
 それが涼宮ハルヒ。 
 
 ああっ、神が……大いなる支配の女神が降臨されたのです!
 退屈な日常を破壊し、新たな秩序へと導いていくれる
 この女神との出会いに私は感動を禁じ得ない!

 
 彼女の夢とは、宇宙人、未来人、超能力者を探し出して一緒に遊ぶことなのです。
 そのためにあらゆる手段を尽くし、他人の迷惑なんのそので周りを巻き込んでいきます。
 地球の自転を止めて、自分を中心に回るようにし向けていくような傲慢極まりない改革者。

「果報は寝て待て、と昔の人は言いました。でも、もうそんな時代じゃないのです。
 地面を掘り起こしてでも、果報は探し出すものなのです。だから探しに行きましょう!」
「……何を?」
 誰もツッコマないので俺が代表して聞いた。
「この世の不思議をよ! 
 市内をくまなく探索したら一つは謎のような現象が転がっているに違いないわ!」
 その発想の方が俺にとってはよっぽど謎だがな。
 (中略)
「次の土曜日! つまり明日! 朝九時に北口駅前に集合ね!
 遅れないように。来なかった者は死刑だから!」
<涼宮ハルヒの憂鬱より引用>

 ハルヒは文芸部の部室を乗っ取って、コンピューター研究部から機材を巻き上げ、
 勝手に学校内にSOS団(世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団)を作ってしまします。
 大迷惑極まりない自己中娘ですが、彼女のアグレッシブさには好感が持てますね。
 だって、人生の中で一度だってこんな馬鹿なことに命をかけて、
 突っ走ったことがあったでしょうか?

 ハルヒはみんなから馬鹿にされることも、他人から嫌われることも少しも恐れていません。
 彼女が恐れているとしたら、今、この瞬間を無為にすごすことなのです。


 その無鉄砲ぶりはまさに馬鹿の一言なのですが、
 これほど快感で小気味良い馬鹿はいないでしょう。
 馬鹿になることはに勇気が要ります。
 非常識なことをすれば、批判と嘲笑の目にさらされる危険があります。
 そこを押して己を貫くから、馬鹿と天才は紙一重なのでしょう。
 リスクを計算して動かない利口人間は、
 己の本能に従って突っ走ってしまう天才(バカ)には永遠に敵いません。

 飛行機を作ったライト兄弟。
 地球は動いていると主張したガリレオ。
 初の長編アニメを映画作ったウオルト・ディズニー。
 みんな常識に囚われずに己の欲求に従って突っ走った天才(バカ)です。

 『やらなくて後悔するよりも、やって後悔して方が良い』とは、良く言われますが、
 やらなくて後悔してきたことの方が、人生では圧倒的に多いです。
 それはひとえに他人に流されて生きている方が楽だからです。
 主体的に行動することには、常に責任と失敗の恐怖がつきまといます。

 気の小さい奴に限って安全圏では声が大きくなるのさ。
 (中略)
 谷口、お前は何をやっている? 
 少なくてもハルヒは文化祭に参加して何かをしようとしている。
 迷惑千万なことにしかならないだろうが、
 少なくとも何もしないで文句だけ言っている奴よりマシだ。
<涼宮ハルヒの溜息より引用>
 
 一生懸命主体的に生きている人間を安全圏から眺めながら、
 グチグチと実にならない批判や愚痴ばかりを繰り返す。
 当事者より傍観者でいる方を選択した方が、ある意味では利口でしょう。
 馬鹿になるのは怖いです。
  
 しかし、そんな人生は味気なく、おもしろ味に欠けます。
 本当はもっと主体的に生きたい。もっと自分の欲望に忠実になりたい。
 こんな欲求を私たちは抑圧しながら生きています。


 この作品に人気があるのは涼宮ハルヒが、
 こういった抑圧をから自由になっている存在だからではないかと分析します。

 彼女に感情移入することにより、
 己の欲求に従って行動できる疑似体験を得られるカタルシスがあるのです。

 
 涼宮ハルヒは、自分がなってみたい、そして、どこかにいてもらいたい人間の1人です。


■ この作品の見所                          

 この作品は本名不明のキョンという男子高校生による一人称で描かれています。

 徹頭徹尾、主人公の本名を明かさないというアクロバットを成し遂げているところに感服しました。

 一巻を読了後、そういえば主人公の名前って、なんだったけ? 
 と思って、読み直してみても、キョンというあだ名以外、
 どこにも書いていなかったことに呆気にとられました。
 しかも、それは全シリーズ通して守られています。
 初めは、なぜこんな意味不明なことをする? と、疑問だったのですが、
 ここまで徹底されると、そのこだわりに感嘆せざるを得ませんね。
  
 ヒロインのハルヒが傍若無人爆裂少女なのに対して、
 主人公のキョンは常識を重んじる、ややシニカルな少年です。 
 周りの人間を一段高い目線から冷静に俯瞰し、
 他の登場人物の行動にセリフで、あるいは心の中でツッコミを入れています。
 そういった態度がやや鼻につくところがあるのですが、
 まわりに流されるだけの無個性人でなく、きちんと自分の意志を持っており、
 重要な場面ではハルヒ以上の活躍をしています。
 実は世界の秩序が保たれているのは、すべてキョンのおかげといっても過言ではありません。
 また、彼のボキャブラリーは非常に豊富で、ユーモアのセンスに溢れています。

 ハルヒの強烈なキャラクターだけでも作品のセールスポイント足り得るのですが、
 話は学園を舞台にした日常生活を描いたモノがメインなので、
 やや退屈になってしまう点が否めません。
 そこをカバーするのが、シニカルなキョンのツッコミ一人称というわけです。
 「私は当事者になりたいのよ!」と言うハルヒに対して、
 「俺はあくまで傍観者でいたい」と言うキョン。

 性格のぜんぜん違うハルヒとキョンのコンビネーションプレイによって、
 この作品は成り立っています。


 また、ハルヒも奇妙キテレツ妄想電波少女かと思いきや、
 内心では宇宙人や未来人、超能力者など存在するわけがないという常識も持ち合わせており、
 心の中で葛藤しています。
 かと思えば、キョンは実際に宇宙人や未来人、超能力者と接触してしまい、
 常識人としての体面は保っていますが、超常現象の存在への疑いが無くなっていきます。
 
 この心と行動のアンビバレンス、人物の対比が作品にリアリティと深みを与えています。
 
 キョンがハルヒにSOS団の他のメンバーは、宇宙人、未来人、超能力者なんだと明かしても、
 ハルヒは冗談はやめなさいよね! と、聞く耳持ちませんでした。
 なのでハルヒは、すぐ側に目的の対象がありながら、ずっとそれに気づかない羽目になるのです。
 まさに幸せの青い鳥ですね……


■ この作品の欠点、残念なところ                   

 ハルヒがキョンに好意、もしくはそれに準ずる感情を抱くだけの理由がなく、
 彼を巻き込んでSOS団を作るまでがちょっと不自然でした。

 
 また、ハルヒがキョンに恋愛感情?を抱くようになった過程にも説得力が無く、
 一巻の後半の展開が、やや唐突に感じられました。

 人は行動するとき、なんとなく気分で動いてしまうことが大半ですし、
 人に対して好意を抱くのにたいして理由などない場合があります。
 なんとなく好き、なんとなく嫌い、馬が合う合わないというのがあります。
 でも、小説だと、それじゃいけないのですね。

 フィクションで必要なリアリティとは、いかに現実っぽく見せるかです。
 
 嘘と本当を巧みにブレンドさせた世界がフィクションであり、
 単純に本当のことだけで話を構成すればリアリティが出るというわけではありません。
 例えば、小説の主人公がすごい偶然で一億円の入った鞄を拾う幸運に恵まれたとしましょう。 
 実際に大金やダイヤモンド・貴金属を拾い、持ち主が現れなかったため、
 丸々それが自分のモノになってしまったという、うらやましい事例が世の中には存在します。
 つまり現実にありうる話なのです。
 でも、そんなのは滅多にないことなので、多くの人にとっては非現実以外の何物でもありません。
 なので、「あっ、なんか嘘っぽい」「なんかご都合主義っぽい」「そんなことあるわけないじゃん」
 と、思われやすいのですね。

 リアルにしたところでリアリティが出ないというのは、
 フィクションの世界ではいくらでも転がっている話です。

 でっ、リアルっぽく見せるためには、なんとなくハルヒがキョンに好意を抱いたというのではなく、
 好意を抱かざるをえないような理由を用意した方が説得力を持ち、よりリアルっぽく見えるのです。
 その点の配慮に、この作品はやや欠けていました。
 重箱をつつくような指摘ですし、この話は恋愛小説じゃないので、
 人によっては気にせず読めるでしょうけどね。 


■ テーマから得られるモノ                    

 この作品は、主体的に行動すれば世界を変えることができるという、
 ポジティブな精神に支えられています。

 「強く願うことは実現する」「世界は観察することによって存在している」
 という観念論的な世界観によって、この作品世界は作られているのです。


 「自分がこの人生の主役だ! 世界だって変えてみせる」という主張は、 
 決して傲慢ではなく、大いに好感が持てるものです。
 自分から前に出ることができずに、二の足を踏んでしまうことって、多いですよね。
 なんか、このまま他人に流されるまま人生が終わっちゃうのか、という感じで嫌になります(汗)。
 そんな時に、勇気をもらうことができます。
 これからも他人に流されがちな私たちに、良い影響を与える作家さんでいてほしいです。


●とりぴりさんの書評

■ ハルヒがキョンに好意を抱くまでの経緯がぼかされている点について  

 ご意見をお聞きしたいことがありましたのでメールしました
 「涼宮ハルヒの憂鬱」に対しての「欠点・残念な点」で所長さんが述べられている
 「ハルヒがキョンに好意を抱くまでの説明がなされていない」についてです。
  僕自身も、確かにこれは説明が足りないと思いました。

 その上で、それはこの作品の「キョンが一人称で語る」という形式、
 「キョンとハルヒのキャラ設定」という2点からくるものであると思いました。


 つまり、ハルヒがキョンに好意を抱いた原因は何であるかは、
 女心に鈍いキョンの語りに出ることがあり ません。
 となればその答えはハルヒの胸の中にあると考えられます。

 しかし、「キョンの一人称」という設定からそのことをハルヒに語らせることはできません。
 本人の口から言わせればいいんでしょうが 、
 それではハルヒというキャラは壊れてしまいますからこのことは描写できません。
 と考えると、「この欠点の根本的な原因は形式やキャラの設定に帰結するのでは?」
 と思いました。


●所長の返信
 そうですね。私もそのように感じます。

 ただ「ハルヒがキョンに好意を抱くまで経緯がぼかされている」のは、
 あまり目くじらを立てるほどの欠点ではなく、一人称の形式による一つの味だと思います。

 
 登場人物の心情をあえてすべて書かないことで、読者に想像する余地を与え、
 さりげない行動から心の機微を感じ取ってもらおうという思惑から、
 そのような手法を取ったのでしょう。
 
 無理に三人称に直したり、キャラの設定を変えたりすると、
 この作品の味が失われてしまうので、このままで良いかと思います。
 
 この点を欠点と感じるか、文学的な味わいと見なすかは、
 おそらく人によって感じ方が違うでしょう。


 私の場合は、この物語のストーリーの根幹を成す重要な点であるにも関わらず、
 説得力に欠けた描写がされていたので、ご都合主義的な臭いを感じ取ってしまいました。


●RASPBERRYさんの意見
 ハルヒがキョンに興味を持ったのは、おそらくハルヒが曜日によって髪形を変えることに
 キョンが気付き、それを指摘したことがキッカケではないかと思われます。
 
 そして、その次の日にハルヒは髪をばっさり切って、
 それをキョンに尋ねられるとハルヒはそれに対し不機嫌そうな態度を示しました。
 ハルヒは照れたりどういう反応を示したらいいのか分からなくなったときは、
 とりあえず不機嫌な態度を示す癖があります。
 
 そしてそれからキョンとハルヒは毎日会話をするようになりました、
 おそらくハルヒがキョンに興味を抱いたキッカケはここにあると思います。


●yullさんの意見
 ハルヒのキョンへの好意のきっかけがボカされている点について。

 続巻に、おぼろげながらそのきっかけになるものが書いてあります。
 それは、三巻「涼宮ハルヒの退屈」、キョンが三年前の七夕に遡り、
 宇宙へのメッセージを描こうとするハルヒの手伝いをするシーン。

「ねえ、あんた。宇宙人、いると思う?」
「いるんじゃねーの」
「じゃあ、未来人は?」
「まあ、いてもおかしくはないな」
「超能力者なら?」
「配り歩くほどいるだろうよ」
「異世界人は?」
「それはまだ知り合ってないな」

 更に、

「まさか織姫と彦星宛のメッセージじゃないだろうな」
「どうして解ったの?」

 ……と、キョンはハルヒの妄言を、全く馬鹿にせず受け入れます。
 彼女にとっては初めての理解者であり、好意を抱くには十分だったことでしょう。
 この時キョンは「ジョン=スミス」と名乗ったために、
 ハルヒの中では現在のキョンと結びついているわけではありませんが、一巻「憂鬱」において、

「あんた、どこかで会ったことない?」

 と、ハルヒはキョンに言っています。
 恐らく、記憶の中の「ジョン=スミス」と同じ匂いを、無意識下で感じ取ったのでしょう。
 好意の下地は十分にあり、髪型云々の話で、
 少しずつ好意が浮かび上がってきたのではないでしょうか。
 
 一巻を執筆した時点で、こうした裏を考えていたのだと思います。
 「憂鬱」のみを読んだ場合、少々卑怯な展開とも言えるかも知れませんが、ね。
 伏線として、敢えてボカしているのではないでしょうか。


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