ティアラミスさんの意見2015/01/24
以下、下読みジジさんの意見より引用
「なろう」もそうですが、スマホ小説の読者になる人は書き手に「斬新さ」や「その人ならではの味」は求めない傾向があるものと思っています。
求められるものは、自分の好みからはみださない「安定」であり、自分の声が書き手へダイレクトに届き、反映される「極限に近しい距離感」です。
これはある意味長所にもなるわけですが、馴れ合いは作品のクオリティを下げますし、更新さえすれば繋がっていられる安心感は、書き手から「支持されるものをなんとしてでも書かなければ」という意欲を奪う一面がありますね。
これは、意外といいたいのですが、今の若い子やネットを見ると、それも頷けますわね。多数の好みから合わないものは、過剰な手段を使ってでも、排除する。そして、その根底には、過剰なまでに植え付けられた不安やストレス。
だから、安定性を求めるのと、それを反映した転生や転移物(都合のいい世界へ行き、安定した生活や成果を得る)の発達があったのでしょうね。
スマホやネットとか、かっこいい響きだけど、実は、似通った人々しかいない旧態然とした場所なのかもしれませんね。
●下読みジジさんの回答
まったく苦労せずにすごい能力でチートな活躍ができる、というのは、やはり読者となる人のストレス値の高さや層の偏りも影響するところでしょうね。
そのストレスのちょうどよい緩和手段がチートであり、それを無理なく(あくまでも読者が感情移入する際のギミックとして、ですが)実現できる異世界転生は「それしか認めない」読者の姿勢を固めていったのでしょう……などと考えています。
スマホやネットとか、かっこいい響きだけど、実は、似通った人々しかいない旧態然とした場所なのかもしれませんね。
上記したとおり、期待するものが「ひとつ(ないし極狭)」で、それを要求し、供給することがひとつの文化として形成されたのではないかと。