「精霊の守り人」のリアリティは多面的多角的な描写にある

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つくるさんの投稿

精霊の守り人

絶賛されているのであればと興味を持って読んでみました。「精霊の守り人」です。上橋菜穂子さんの小説を読むのは初めてです。

確かに独特のリアリティがありますね。この小説のリアリティがどこから来るのか考えてみました。特徴的なのは、多面的多角的な描き方をしている点だと思います。

多くの小説では、ものごとは一つの意味を与えられます。深みのないファンタジー小説では、ある国の成り立ちや仕組みが描かれるのは一回きりで一つの意味だけを与えられ、その後の記述はその意味に依存して書かれるでしょう。

ところが上橋さんのこの小説では、被征服民族の視点、征服民族の視点、権力側の視点、さらに権力側においても帝の視点と星読みの視点と狩人の視点、そして誰も知らなかった真実の視点が描かれています。

国の成り立ちの謎がこの小説のメインストーリーなので多面的に描かれるのは当然ではあるのですが、ここまで多面的なのは珍しいのではないでしょうか。

他のものの描かれ方にも多面性がふんだんにあると思います。二つの世界が同時に重なって存在し、それが重なって見えるという世界観自体がそうです。

皇子が街に逃げて最初の食事をするシーンがありますが、王宮文化から出たことがない皇子の反応は異文化接触です。

私は読みながら、いつもおいしいものを探しているらしい庶民トーヤの舌が味わうおいしさと、はじめて街の料理を食べた皇子チャグムの舌が味わうおいしさを同時に感じました。多くの小説では、おいしいものはおいしそうに描かれますが、食べている皆が同じようにおいしさに満足している場合がほとんどではないかと思います。

皇子が庶民の食事に慣れたであろう後半に印象に残るような食事シーンは出てこないので、少なくともこの小説では、上橋さんは意識的に、食事シーンを多面性が現出する場として取り上げていると思います。

ものごとの意味は人によって異なります。文化が異なれば、意味の違いは大きくなります。同じ文化でも、立場や経験や様々な違いが、ものごとの意味合いを大きく変えます。

文化人類学者でもある上橋さんは、そのことに自覚的に、多面性を同時に感じさせるように小説を書かれているのではないかと推測しました。それが一面的でないリアリティを生んでいるのではないでしょうか。

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