小説を書いているとアンチから人格を叩かれることがあります。
まじめな人ほど真に受けてしまい「自分がもっと立派な人間になれば認めてもらえるはず」などと思いがちです。
が、小説の質と人格は無関係。悩む必要はありません。
文豪と言われた作家はヤバイ人が多いです。
「芥川賞をください」と選考委員に手紙を送った太宰治
太宰治は、芥川賞に落選したことに腹を立て、選考委員の川端康成を雑誌の上で「大悪党だと思った」と批判して大炎上。
それでも芥川賞が欲しくてたまらず、次のチャンスには川端や他の選考委員に「くださいよ~」と手紙を送り、結局、受賞できなかったそうです。
こういう人でも文豪と評価されてます。
死刑から逃れるために小説を書いた殺人犯の永山則夫
第19回新日本文学賞を受賞した永山則夫は、人を4人殺した死刑囚でした。
逮捕された当時は、読み書きもできないほど無教養な人でしたが、独学で小説を書いて、新人賞を受賞します。
その後、印税を遺族に渡して情状酌量されており、小説を書くことで死刑から逃れられると思って、獄中から6冊も小説を出版しています。
結局、死刑になりましたが、人格や動機と作品は無関係という良い例です。
サドの語源になった変態貴族マルキ・ド・サド
18世紀の小説家マルキ・ド・サドは『悪徳の栄え』という問題作を書きました。
主人公の女性は、快楽のために、家族や友人といった親しい人間をありとあらゆる方法で殺します。
サドさんは、超変態だ!と怒られて、風俗壊乱罪で逮捕されました。その後、精神病院に死ぬまで入れられたそうです。

この逸話から、マルキ・ド・サドさんはサディズムの語源になっています。
ギャンブル狂いの文豪ドストエフスキー
ロシアの文豪ドストエフスキーは、ギャンブル狂いで、財産を使い果たして出版社から報酬を前借りするなど、無茶な生活をしていました。
そんな彼を奥さんは黙って見守り、出版社との契約など、わずらわしい仕事をすべて引き受けて、夫を執筆に集中させたそうです。
出版社や奥さんは、大変ですね。
小説の評価と作者の人格は無関係です!
人格的に立派だから良い作品が作れるのではなく、頭が良いけれど頭がおかしいから、他人とは違う発想の名作が作れるのです。
天才とは一般人から見ると理解しがたい、不道徳な人に見えるので、サドさんのように精神病院に監禁されたりするのですね。

サドさんは獄中でも執筆を続けたそうです。えらい!
作品内容と作者の人格は、本来分けて扱わねばならないものです。
人格を叩かれても深刻に受け止めず、楽しく執筆を続けてください。
作家の役割は、あくまでおもしろい作品を発表し、この世を楽しくすることですから。