武装島田倉庫を読んだことなくて申し訳ないですが
世界感が大事なSF作品に向いている一方で「なろう系ファンタジー」との相性の悪さを感じます。
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たぶんですが、武装島田倉庫の主人公たちは、今を生きる私達と変わらない生き物になるのでは?と思います
環境が特殊でも人間は同じ。
SFってシステムや異常環境に轢き潰されていく【人間の心】を描くのが醍醐味だと思うんです。システム的に正しくても【人間の心】が悲鳴を上げる・・・的な?
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なろう系ファンタジーは環境こそ同じだけど、違う話じゃなくちゃあ、いけない。
個人の英雄譚が欲しいのであって【人間の心】は別にナーロッパいらない。
なんなら主人公以外の【心】は邪魔なんですよね。
しかもなろう系ファンタジーの世界感はシェアワールド扱いされることも増えてきたので、世界感の説明は重要じゃなくなってしまっている。
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どんな環境でも【不変である人間性】を書くSF
一定環境内での【人間性の変容】を書くファンタジー
みたいな????自分でも意味わかんないや(-_-;)
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”統一帝国と魔王軍
の時点で「ナーロッパ」的な展開を期待してしまったので、「あ、面倒くさそう」と思って、読む気が逃げる気配がありました。