以下の点について補足してみます。
> 合わない作品とはどう向き合うのでしょうか。
これは仰るように、
> 「つまらない作品がなぜ売れているのか、面白いと思われているのか」は分析したほうがいい
ということになります。さらに申せば「(自分的に)つまらない作品が」は抜いても成立しそうです。普通、自分が「これはいい」「好き」と思った作品こそ、分析することが多いはずです。なにせ面白さを追求したいわけですから。好きな作品は「こんな面白さを、自分も作り出してみたい」というモチベになります。
だとすると、つまらないと思う作品、嫌いな作品、合わない作品を分析するのは手が回らなくなりそうです。面白いと思える作品って、世の中にゴマンとあるわけですから。どれが好きかで優先順位つけたら、たぶん一生かかっても嫌いな作品まで手が届かない。
しかし、嫌いな作品だからこそ分析に向くようです。少なくとも自分はそうです。この掲示板で自分がときどき引き合いに出す作品に「君の膵臓をたべたい」(住野よる著、2015年、略称キミスイ)があります。全く好みではない作品です。
が、だからこそ物語を盛り上げる技術、構造等は見えやすい。面白かったら駄目です。分析しようと思っても、面白さに目が行ってしまい、どうやって話を盛り上げ、キャラを立たせ、キャラにどういう機能があるか等々に気が回らなくなります。
しかし、つまらない。「どこが面白いんだ」という気分にすらなります。もう分析視点入ってますよね。「仮にこれが面白いとすれば、こういう点か? いや、あそこでこうするからか?」とか考えることになります。
幸い、現代ではネットで感想、論評とかいろいろ知ることが出来ます。「これが面白いとすれば、ポイントはこれか?」の仮説を、かなり検証できます。そのポイントを好いている人がいるかどうかだけではありません。嫌いな人、つまりアンチが貶す情報だってあります。好きと嫌いが表裏、なんてよくあることでして、両面知れば役に立ちます。
もし作品が好きだったら、アンチの言は抵抗が生じて読みにくいでしょう。読んだとしても反発を覚えてしまいがちです。しかし、自分は「この作品はつまらない」と思っているわけです。アンチの言も割と素直に受け取れます(「なるほど、そこがそういう風に嫌いか」という感じ)。
以上を簡潔にまとめ直すと、「好きな作品からはどこまで面白がれるかを学べ、嫌いな作品からは面白がれるための工夫を学べる」ということになります。