こんばんは、のんです。
なろう系の作品がチートで溢れかえったのは、読者様が既に抑圧された状況にあるからではないでしょうか?
サタン様が仰られているように、カタルシスを得るには『抑圧と解放』が必要です。
ライトノベルの主人公は基本的に読者様が感情移入しやすいよう、読者様に似せて作られていますよね。
でしたら読者様が既に抑圧された状況にある以上は主人公も同じであり、それは理解しやすいものだと思いますし。
サラッと弱者であることを提示して、その後いきなり転生してチートを貰って無双する。と言う、『解放』の段階へスキップする方法が合理的なのでしょう。
しかし最初はそれでよくとも、読者様はだんだんと物語に入り込み、現実とは切り離して考えるようになります。
勿論「自分も同じだ」と共感はするでしょうが、それはキャラクターが該当する言動をとった時だけ。物語内の『抑圧』を省略して『解放』へとスキップ出来る類いのものではありません。
結局は物語内での抑圧も必要になります。
何でもかんでもチートを使って一瞬で解決していては、ワンパターンで飽きてしまいますからね。主人公の努力と言いますか、ひねりが必要です。
例えば。チートといえど今の使い方では解決できない問題にぶつかったとします。
そこで主人公は新たなチートの使い方を模索する訳ですが……。チートはチートですから成功はほぼ約束されていますし、主人公も大して悩みません。
それでも、これは1つの努力と言えないでしょうか?
私の知っているなろう系は、こういった苦のない努力タイプが多かったです。
ストレスフリーな抑圧とでも言いましょうか。人気作ほどしかっり抑圧されている気がしますが、『抑圧と解放』の比率は大差ない印象を受けました。なろう系の特徴なんでしょうかね。
▼なろう系に努力の要素を持ち込むのはタブーか?
練習(修行)や勉強といった読者様にとって身近でストレートな『努力』はあまり見かけなくなりましたが、オブラートに包まれるようななっただけで『努力』は変わらずしています。
きっと、努力そのものが物語から排斥されることは無いでしょう。