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タイトル:やってもできない子の憂鬱 投稿者: あまくさ

少し興味を持ちまして。

「なろう系」でググってネットを徘徊していたら、人間には「やらなくてもできる子」「やればできる子」「やってもできない子」「やらないしできない子」の4種類がいるという論を発見しました。
なるほど。
「やらなくてもできる子」は天才型。「やればできる子」は秀才型。まあ、「努力家」と言い換えてもいいですね。従来の物語では、このどちらかが主人公として採用されていたと。普通は「やらなくてもできる子」か「やればできる子」でなければ活躍させにくいですからね。

ところが現実には「やってもできない子」と「やらないしできない子」の方が圧倒的に多い。
感心したのは、この両者を区別していることです。結論から先にいうと、なろうテンプレを好むのは「やってもできない子」のみだということ。「やらないしできない子」は「無能だからできないんじゃなくて、やらないからできないだけだ」と言い訳できる。他人や自分を誤魔化すことができる。
自分が「怠け者だ」とうそぶくことはできても、「無能」と認めるのは辛いですからね。(他人事みたいな言い方で恐縮ですが、私だって無論そうです)

なので、「やってもできない子」だけが「できる子」への憧れを持っているというんです。

ところが世間は、「やってもできない子」と「やらないしできない子」を区別しない。どちらも「ダメな子」という烙印を押してしまう。

そのへんに、「やってもできない子」だけが持つ鬱屈があるんだな!

その鬱屈と、うっぴーさんの仰る「承認欲求」は、おそらくイコールです。
やっと腑に落ちました。

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