うっぴーさん、横から失礼します。
本題からずれてしまいますが今後執筆などで歴史を話題にする際の参考として意識の片隅に置いといてください。
歴史上の人物や出来事を題材にする際にはどんなに有名な作品であってもフィクションに知識を頼るべきではありません。
出版物なら漫画や小説。映像ならドラマや映画等、それらは製作者がどれだけ権威を持っていようとも第一にエンターテインメントとして注目を集めることを優先して作られています。
作中の事件や登場人物たちは制作前に調べられた上で、時には本格的な調査もなされずにストーリーとしての盛り上がりや面白さの為に一部分を誇張、あるいはデフォルメして設定されます。
これは司馬遼太郎作品でもNHK大河でも変わらず、調査結果・事実自体の描写を最大の売りとする歴史書とは根本的に性質が異なるものです。
他ジャンルでは鉄道サスペンスで多数の作品が実写ドラマ化されてる西村京太郎さんが「その方が読んだ人の反応が大きくなるから」と、あえて作中に鉄道ファンにしかわからないツッコミどころを残しているそうですが、これを大きな悪評に繋げず評判をコントロールできる為には作家自身の実力に次いで「調べた上で意図してやったかどうか」も重要なのではと思います。
マリー・アントワネットは『ベルばら』で時代設定や主人公たちの立ち位置に対して便利な立場にいた為に悪役として配役がなされたのに対し、近年再評価の動きが進んだことで「パンに用いられる一等級小麦の不足という事態に二等級小麦(砂糖で味を誤魔化してケーキなどお菓子の材料に使われる)の在庫活用・供出を命じた英邁な王妃」という認識が広がっています。
その状況下でマリー・アントワネットを古い作品のイメージに基づいて“歴史的にも大悪人ですが”と断定してしまうのは、読者に「どの程度の調査を行ったか」「何を参考にしたか」を推測され、最悪の場合「説得力のない文章」といいう評価につながる危険性があります。
今回は漫画の中での描写のされ方が話題の中心だったので問題ないと思われますが、もし作品内で歴史的な話題を出す際は近年の学説からイメージがずれてないか等、念の為にご用心ください。
お目汚し失礼致しました。