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タイトル:非オタクコンテンツをバカにするオタクについての返信の返信 投稿者: 手塚満

スレ主さんのご意見(No: 10)を拝読してみますと、最初のご質問は解決したも同然のようです。もしご自覚があれば、ですが。念のため申し上げれば、「大衆とかをバカにする行為が面白かったでしょ。それですよ、気になさっている行為の理由は」ということです。以下、少し説明してみます。

1.他人の評価を求めるスノッブ

極めて短い言葉で言えば「スノッブ」です。意味する範囲は割と広いですが、今の場合は「他者の高評価が欲しい」という面が大事でしょう。そのために「大衆」を蔑んだりしている。スレ主さんはご自身を多くの面で大衆と仰るものの、論を述べている領域では大衆を批判できると自認している。でなければ批判はできないですからね。自分も批判されるべき対象と思えば、反省の弁になる。

自分が欲しいものは、他人も欲しがると思うのは人情です。自分が他人から高評価されたいと思えばこそ、他人も周囲から認められたいと思うはずと考えてしまう。しかし人情は必ずしも的を射るわけではありません。高かろうが低かろうが、評価なんぞ余計なお世話という場合もあるのです。

2.オタクは他人の評価を求めていない

オタクって何だったでしょうか。辞書にも記載されるようになりましたね。最初は広辞苑でしたか。一つのことに深くのめり込んで、社会性はない、みたいな感じでした。オタクの項がある辞書は増えましたが、定義・意味解説今もそれほど変わってないようです。

社会性はないって何か。評価されようと思ってないんですよ、オタクは。自分が楽しめればそれでいい。サブカルではそれで問題は出にくいですが、メインカルチャーではそうもいかない模様です。メインカルチャーでのファンは「自分は好む分野についてかく理解しており、このように楽しんでいると説明できる」みたいなことが必要みたいです。

3.メインカルチャーの隠れた常識はサブカルの非常識

ですので、サブカルファンとしばしば話が合わない。自分などもよく「お前が楽しんでいるという、その作品の面白さを語ってみろ」と言われます。こちらとしては非常にバカバカしい。自分が楽しむにあたって、なぜ他人に説明なんか必要なのか。

そこは自分としては常識なんですけど、その常識が通じない。なんでも「説明できないなら楽しんでない」のだそうで。おまけに「お前がその作品が好きだとは認めてやらない」のだそうで。別に構いませんがね。読んでいる/見ている最中に邪魔さえしないんなら。大勢に「あいつはあれが好きと言っているが、嘘だ」と触れ回ってもらっても構いません。

彼らがそうした行動をとり、疑問も抱かないのは、どうやら「他者に評価されないと、自分が本物と思えない。楽しんでいると思っていても、浅いのだろう」というのが常識になってるみたいです。あまりにも常識過ぎて、その常識がいかなるものか考えられないし、そもそもその常識の存在を意識すらしてないようでもある。

4.サブカルのオタクは一人で楽しみたいだけ

でも、サブカルを好むファン/オタクには無関係なことです。自分一人が作品を面白がれれば、それでいい。好みが共通な人となら話もします。より面白くなるから。貶す外野は気にしません。それは歴史が証明してるでしょ。宮〇勤の同類とか言われても、少しもやめないとかが続いてるわけですんで。オタクという呼び方からして、外部から与えられた蔑称ですね。それも気にしてない。

かつ、外から見たら得手勝手。自分一人が楽しめればいいんだから、そう見えるのも無理はない。人の楽しみを奪うわけではないから迷惑はかけてないけど、薄気味は悪いんでしょうね。ともかく、得手勝手、自分一人さえ、という点が大事です。

5.オタクコンテンツなるものは無い

オタクという抽象化された、同質の集団ではないんですよ。ですので、オタクコンテンツというものも存在しない。少なくとも「オタクコンテンツとはこういうものである」という説明は不可能です。各々が何を好きかなんて定義できないし、十人十色ですから一定の方向性も見いだせない。

結果論としてはオタクコンテンツはあります。オタクと見える人々が群がっていたら、それがオタクコンテンツ。しかし、オタクコンテンツとなる作品の出現は予測できない。ジャンルなら、まああるといえます。ラノベ系でいえば、異世界転移・転生ものには、比較的オタクと呼ばれる人々が群がりやすい。

しかし、ちょっと前の流行は現代学園異能バトルものだったりする。魔王と勇者フォーマットが人気だったこともある。コロコロ変わるんです。共通点はたった1つ、「面白がられる作品が出る」ということ。すると類似作が続いてジャンルを成します。そのジャンルが廃れないうちは、ジャンル内にオタクと思しき人がうようよいたりする。

ですが、そのオタクが一斉に同じ方向を向いたりはしない。ジャンルが廃れたり、別のジャンルが栄え出したら、各オタクは思い思いの方向へ流れていきます。繰り返しですが、なぜなら他者の評価を求めてないから。誰かが「これはいい」と言ったものに群がるんじゃなく、自分が「これはいい」と思ったものに群がるからです。

ですので、「これがオタクコンテンツである」として、「こういうものがオタクに受ける」とかやらかすと、まず間違いなく失敗します。クリエイターが「自分はこれが面白いと思う」というものを作れば、オタクが群がる可能性はあります。過去からずっとそうです。

6.過去事例:アニメブーム発端の宇宙戦艦ヤマト

例えば今のアニメブームの走りって、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」が起こしました。初回放映では見向きもされず、しかし再放送でなぜか火が付いた。人気の広まりと高まりも急速で、設定資料のコピーなどの関連グッズが飛ぶように売れたのも前例がありません。アニメ雑誌創刊にもつながりました。他の既存アニメ作品の掘り起こしも行われるようになりました。

自らアニメ制作するアマチュアも現れました。たいてい、自分の好きなキャラばかり描いて動かすばかりだったので、グループ化しては潰れるのが通例だったそう。当時はオタクという言葉がなかったんですが、オタクでしょうね。楽しみには自分勝手ですから。

7.芸術という方向性に走って破綻

そのうち、変な動きが現れます。アニメやコミックも芸術だと言い出す一群の人々現れ、かなりの力を持っちゃった。ある少年向けコミック誌が創刊され、大御所の有名作続編とか、新人の奇妙な作品とか掲載されてました。それらを「芸術だ、素晴らしい」と褒めて読むことが半ば強制されるようになります。

一時はそんな無理が通せても、長続きするはずはありません。ターゲット層が自分一人さえ楽しめればいいオタクなんですから。そもそもターゲット層すら成してない。各々、好むものが違うんですから。「素晴らしいアート」で括って、同じ方向向かせられるわけがない。楽しみに自分勝手なのがオタクですから、芸術と褒めないんならファンと認めてやらない、と脅したって通じるわけがない。

8.オタクはある個人の部分的にして一時的な現象

上記の状況って、今とあまり変わりません。依然として得手勝手で多種多様です。なぜか。オタクという性質を持つ一群の人々がいるわけじゃないからです。オタクって、スレ主さんが言う「一般人」とか「大衆」の個々人における一側面でしかないから。人格、性格といったことはもとより、時間的にもです。ある人は、あるときあるものについてオタクであり、別のときにはオタク性皆無になります。

だから、スレ主さんの分析めいたものはおかしなものになっています。一般人と対置されるオタクなんていませんし、大衆と比較されるオタクもいませんから。個々人の一側面にして一時の現象ですから。ありもしないものを、あるかのように考えたら、どう論じたっておかしな結論しか出てきません。例えるなら、「風が何かを知ろうして、風を袋に詰めてから中身を調べる」みたいな行為です。

9.気になったのはオタクではなくスノッブ

もうオタクがどうこうに拘るのをやめたほうがいいでしょう。スレ主さんが気になったのはオタクではありません。スノッブと呼ばれる人です。スレ主さんが自らトレースしてしまってますので、どうしてこの質問をし、大衆批判等をやったのか、内省してみれば自ずと答えは出るでしょう。

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