6)本来悪い人ではないのに、(そもそも生まれたときから悪い人なんていません)
これについて補足します。
私の考えは別に、性善説でも性悪説でもありません。自然や生物の世界には善も悪も無いと言いたいだけです。
以下は大野さんなら説明しなくても理解されている方かもしれませんが、一応。
人間というのは、なぜかはわかりませんが、本能の働きの鈍い生き物です。コアの部分には本能もあるのでしょうが、直感的に本能のままに行動することが難しく、本能の上に思考と学習を上積みしないと生きていくことができません。
でですね。
人間の特徴の一つに社会を作るということがあります。
ミツバチやアリも社会を作る生き物ですが、やつらはたぶん思考も学習もしないで本能だけで社会が作れるのだと思います。
しかし人間にはそれができないので、長い歴史を経て、思考し、経験を重ねながらルールを作りあげてきました。
このルールを外部からの規制としてだけではなく、一人一人の心の中に内面化したものが、「道徳」「倫理」「善悪の観念」です。内面化することによって無意識に行動することが可能になり、思考とか学習とかいうまだろっこしいものではなく、「本能」に近いものを獲得したんです。
つまり善悪とは、人工的に作られた第二の本能(モドキ)に他なりません。
そして、生物にとっての自然環境ではなく、上記のプロセスで人間の脳内だけに構築された擬似的環境を、「世界観」と言います。
生まれたばかりの赤ん坊は、まだそういう色づけをされていないゆえ、善でも悪でもないんです。
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でだ。
じゃあ、そういう人工的な社会とか道徳とか世界観とかいうものは無意味で無視しても良いものなのかというと、そうは行きませんよね?
さらに俯瞰的な視点から考えると、一見本能を逸脱したように見える人間の「生存戦略」も、人間にとっての「自然」なのだとも言えます。
ここまで述べてきたような方法で社会を作ることも、人間にとっては自然なこと。ただし、シンプルに本能に従って生きる動物とくらべて、複雑すぎる自然です。その複雑な社会の中で、10年、20年と思考し経験を重ねなければ一人前になれないのだから、人間は誰だって少しは歪みますよ。
社会という複雑な構造体の中で、その歪みの度合いが一線を越えてしまった人。それが私の考えている「悪人」の定義です。
こういう定義に基づけば、「生れたときから悪人」というのは有り得ないでしょう?
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この話をめぐってはまだまだ言いたいことは山ほどあるのですが、本が一冊書けるくらい長くなってしまうので、一先ずやめます。
というか、ここまで来たらこの考えをキャラクター化して小説を書く方が得ですよね。
というか、こういうことを考えてるやつだから小説なんて書いてるわけですが。
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ちなみに読むせんさんがあげていた赤レンジャーだっけ? の例も、おそらく歪みの一種だと思います。「一生懸命頑張る善人」という「物語」が生み出した歪みです。
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あと、歪みなら矯正すれば良いという短絡思考も嫌いですね。
あ、そう言えば、これはかなり嫌いだな。
社会という構造体が生み出す、「歪み」と並ぶ典型的な「悪」だと思います。
私の当面の目標は、よりニュートラルに、よりフレキシブルに、でしょうか。簡単なことではないのは承知していますが。