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タイトル:行動原理を言葉で説明するか動きで示すかは使い分け 投稿者: 【本人から削除依頼】

> 「僕」と「太郎」が誰かを助ける為には命を投げ出す人物である、という事を念頭に書きました。

ということからすると、実際に行動を起こすキャラであることを示すものだと思います。それなら、「太郎は少女を助ける為に車の前に飛び込んだ」が適切です。実際に身を挺して助ける、というシーンの説得力は絶大です。

 一方、「僕は誰かを救って死にたいと常々考えていた」は、言葉というよりは思考ですね。太郎(=僕)の欲求、考え方、さらには哲学を示しています。ですから、両方書くこともあり得るわけです。

「僕は誰かを救って死にたいと常々考えていた」→「だから、太郎は少女を助ける為に車の前に飛び込んだ」とつなげれば、言行一致の太郎を描写できるわけです。

 考え方と行動を齟齬させることもできて、「僕は誰かを救って死ぬなんて馬鹿げていると常々考えていた」→「しかし太郎は少女を助ける為に、思わず車の前に飛び込んだ」とすれば、結構印象に残るシーンを描けたりもします。

 考え方と行動の使い分けというなんですが、もう少し敷衍して説明してみたいと思います。経済学研究などで、「直感と熟慮で判断が異なる」ということが知られています。詳しい説明は割愛しますが、直感での行動は他人を利する傾向、熟慮の行動は自分を利する傾向があるとのことです。

 よくある台詞で「つい助けちまったが、やるんじゃなかったぜ」みたいのがありますが、実際の人間の行動と思考ではよくあることであるわけです。

 別の研究では、事前の判断においては自己評価バイアスが働くことも分かっています。自信過剰のケースだと、やる前だと、実は無理なことでも「自分ならできそう」と思えてしまうものですね。例えばレストランの「食べ放題30分5千円」という宣伝を見て、「充分元が取れるほど食えるはず」と思って入店したものの、思ったほど食えなかったとかです。

 逆に心配しすぎで、実はできることでもできないと思い込んでやらない、みたいなものもあります。要は自分の能力を正しく判断しそこなうことはよくあるという、誰でも経験する事実です。

 お示しの太郎の場合だと、「常々」ですから熟慮と考えることにします。単純に考えてみると、熟慮でも利他的なのですから、直感ではさらに利他的になりそうです。しかし、自分が自分について考えていることは自己評価です。バイアスがかかっている可能性があります。

 例えば「誰かを救って死にたいと常々考えていた」というのが、理想化された自分だということですね。自分がそういう理想的な存在であると、自分に言い聞かせることによって、自信や快感を得たいだけという可能性があります。そして、誰かが車にはねられそうになるのを見て、怖くてすくんでしまい、助けられず、自分が理想から程遠かったことを知る、なんてのもよくあることです。

 一方、身を挺して人を助けたら、文句なしに行動原理となります。思わず飛び込んで助けたら直感の行動原理です。友人の重病を治す高額な手術のため、悩みに悩んだ末、全財産を投げたしたら熟慮の行動原理です。行ったことは覆りません。行動原理を明示するなら行動です。

 一方、思考レベルの行動原理は上記のようにバイアスなどのため、覆ることがあるわけですね。言い換えれば、未決定で曖昧な印象の行動原理を提示したい、特に後で覆すつもりのときには、こう思う、という形で行動原理を示せばいいのです。

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