>自分が納得できないことにこそ何か改善の余地があるのではないかとも思ってしまうのです。
その思考は、けっこう重要だと思います。
半額オソーザイさんの以前のスレでは、自身を卑下しすぎることに否定的な意見を書きました。それと矛盾するようですが、自己否定と冷静な自己批判は似て非なる物です。前者は良くないですが、後者は自身を向上させるためには必要なことだと考えています。
酷評には2種類あります。一つは「何となく、そこを批判されるのではないかと予想していた酷評」。もう一つは、「予想外の角度からの批判で、どうしてそんなことを言われるのかも理解できない酷評」です。
前者は酷評ではあっても意外とすんなり受け入れられてしまうものなんですね。「そうか~、やっぱりね」という感じ。そんなにダメージにならないのです。
問題は後者。これは人間の心理として強い反発が心に生じてしまうのがほぼ必定です。私にも覚えがあります。
ここ何年かはラ研の鍛錬投稿室に投稿したり覗いたりしていませんが、以前は30作くらい自作を投稿し、感想は200くらい書いたんですね。
そのとき痛感したことの一つは、「想定外の酷評」のしんどさでした。半日くらい何もする気がしないほど落ち込むことがあるんですね。「俺はなんでこんなにショックを受けているんだろう?」と、自分でびっくりするくらいでした。この感覚は経験したことがないと分からないんじゃないかと。
しかし感想のやりとりを重ねるうちに少しずつそういうことにも慣れてきて、「想定の範囲外の意見」こそ重要なんじゃないかと思うようになりました。受け入れやすい意見にだけ耳を傾けているというのはダメなんじゃないかと。
なんて言うかな。
誰にでもその人の「思考の枠」みたいなものがあって、それを守って小さく凝り固まっているみたいな状態があるんじゃないかと。そして、そういうものに凝り固まっていることに、自分では気がつきにくいものなんじゃないかと。
理解できない想定外の意見こそ、自分にとって重要なヒントが隠されているんじゃないか。そう考えられるようになったことが、このサイトで感想のやりとりをして得られた最良の収穫なんじゃないかと、個人的には思っていたりします。