>あまくささん
ドラコンです。ご意見ありがとうございます。
>出オチというのは普通は「登場した瞬間にいきなり面白い」という意味で、「登場した瞬間だけ面白くて後が続かない」と否定的に使われることもある言葉。
>そう思っていたのですが、他に意味があるのでしょうか?
あまくささんのこのご見解に近いです。ですがそれに加え、拙質問では、「出オチ」とは「最初に結論(オチ)を書いてしまうと、登場した瞬間もつまらないし、その後を読む意味がなくなるのでは?」です。
>単なる情報開示も主人公の知らないことを読者に伝えようとしているので「ギャップ」には違いありませんが、それは作者都合でやむを得ずに生じてしまうギャップです。
拙作での視点移動は、まさにこれです。No.13の投稿で例示したこの場面が、特にそれです。
「・幽霊に朝食を盗み食いされた銀鈴たち(追記・投獄されたのは銀鈴と侍女2人)は、庭掃除の労役中、イチジクを盗み食いした咎により、懲罰房送りとなる。この懲罰房で、銀鈴は幽霊に取り付かれる。このとき、牢獄を監視している術師から、皇帝宛に幽霊出現(確定若しくは、6割~7割の可能性)の報告の場面」
銀鈴(主人公)が幽霊に取り付かれるのは、『ドラえもん』でいえば、のび太が捨て犬を拾ってくるようなものです。のび太はママに、拾ってきた犬を、見付からないようにしますよね。でも、冷蔵庫の食料の減りが速いことで、ママは怪しみ、のび太の部屋の押し入れを開けてみると、捨て犬を見付ける、との展開になります。
これを上記拙作の場面に当てはめてみると、次のような感じになります。
1、銀鈴が幽霊に取り付かれる(のび太が犬を拾う)。
2、幽霊の存在を皇帝側(のび太のママ)に知られると、退治(追い出される)かもしれないので、存在を隠そうとする。
3、牢屋に閉じ込められている銀鈴(のび太)は、冷蔵庫をあさりに行くわけにはいかない。幽霊は食事をしなくても大丈夫だとは思うが、銀鈴たちも「自分たちだけが食べるのは気づまり」。
4、皇帝側も、幽霊が「悪霊なら退治」する。だが、そうでなければ放任して良いとの認識。銀鈴たちが幽霊と仲良くやっているなら、1人分食事・食器を余分に差し入れようとする(食事は大皿なので3人分が4人分になっても目立たない。食器は「銀鈴がそそっかしいから割ったときの予備」)。
>一方、視点移動することによって読者の心理を誘導するなど、明確にプロット上、演出上の意図があるのなら、積極的にチャレンジしても良いと思います。
上記の例は、「演出上の意図」になるのでしょうか。