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タイトル:小説では主人公の精神的な成長を必ず描かなくてはなりませんか?の返信 投稿者: サタン

もっと抽象的に言うと、最初と最後で何かしらの変化がなくてはならない、という感じだと思います。
それが精神的成長であることは多いし、それが一番理解しやすく納得しやすく受け入れられやすく、そして扱いやすい。
最初はAという考えを持っていたけど物語を通してBという考え方になったとなれば、AからBへと考え方が変わった、そういう成長をした、という話だと認識できる。
まあ世の中にはダークサイドへと落ちてく話ってのもあるけど、物語を通して「考えが変わった・人生観が変わった・感じ方が変わった」そういうキャラクターの感性に変化があるものはだいたい「精神的成長」って言われちゃう。
大事なのは「変化」で、その変化がキャラクターの精神に関することだと成長と受け取られちゃうってだけだと思う。

で。
別にこの「変化」は主人公の特権じゃなくて、例えば教師的な主人公に反発する生徒たちが物語を通して主人公を尊敬し始めるって場合は、主人公は特に大きな変化がないけど生徒たちサブキャラには大きな変化がある。
例えば主人公は最初から正義の心があるいい子で、だけど弱くて才能もない、そんな主人公がいじめっ子と戦ってチンピラと戦って悪党と戦って巨悪を倒す、なんて話の場合は弱者から強者へという変化がある。こういう話の主人公は強者になることで大きく精神的変化があることを好まない(力の変化のほうに注目してほしいため)ので、強いけど性格的にはヘタレのままって事が多いと思う。
例えば、主人公も周囲のサブキャラも特に大きな変化がないけど、Fラン冒険者からSランクになって貴族になって王族にも意見できるようになった、という環境の変化がある場合もある。

つまりは、大事なのは変化で、その変化は主人公に限定されずキャラクターに拘らず、何を書きたいのかによって最適解は変わるため、「主人公には精神的成長がなくてはならない」と思考を固くしちゃうのは良くないと思う。
ただ、どんな物語でも「主人公」というキャラは必ず存在するし、その主人公には心があるのだから、恋愛でも冒険活劇でもサイコホラーでも「主人公の精神的成長」は入れることが出来るし馴染みやすい要素だとは思う。

そんで、「映画」というワードにちょっと引っかかったのだけど、映画の脚本術はとても役に立つものの、映画脚本の技術はだいたい海外の思想が多く入ってるので、書かれてる内容をちゃんと理解して自分の中にフィルターを作って要点だけをつまんだほうがいい。
えーと、これはまあ私も説明しきれないんだけど、海外の映画監督ってのは当然海外の視聴者がメインターゲットだから、主に白人であって主にキリスト教圏だったりするわけで、思想的な部分で考えると日本人読者をメインターゲットにする場合にかなりズレてたりすると思う。
うーんと、間違ってるかもしれん私見だけど、「主人公の精神的成長」って結局のとこ教訓的な説話っていうか、グーテンベルグが活版印刷で聖書を安価に生産したのもあって本=聖書で、本というものには「何か得られるものがある」のが当たり前の風潮なわけで、そういう教訓みたいなものが書かれてるのは言うまでもない当然のこと、だから「主人公には精神的な成長があるべきだ」という主張になるんではないかなぁ、と思う。
私も映画脚本術の本はそこそこ読んだけど、たしかにどれにも「主人公の精神的成長」と書いてあった。
けど、それは日本のエンタメには正しくはない、けど言ってることは間違いではないと思うから、その言葉の本質はといえば「変化があることが大事だよ」って話ではないかな、と考えてる。

結論としては、主人公が精神的に成長するような「変化」は書くべきで、これは必須。けど、大事なのは変化であって、それは主人公ないし人物に限ったものではなく、物語のテーマや内容によって適切な選択をすべきだと思う。
そうした変化しえる要素の「人物」「環境」「状況」「関係」もろもろの中で「人物の精神的変化」はどんな物語にも乗せやすい万能ツールであるということは確かだと思う。

新人賞においては、どーだろうなぁ。
精神的変化って、心理描写が得意な小説って媒体において非常にわかりやすい「変化」だから、書けば確実に武器になる。
けど無いからといってマイナスになるわけではないし、「変化」それ自体は必須だから、精神的変化がなければ当然のこと別の要素で変化を作ってるはず。
それが小説には向かない要素の変化「綺麗になった」とか見た目の変化などであったら弱いし、なら「綺麗になったことで精神的にも変化が欲しいね」ってなっちゃうから、そこで作者がどういう工夫をするかっていう技量の問題になっちゃうんじゃないかな。

うーん。
かつてはオタク作品を代表する「涼宮ハルヒの憂鬱」も今じゃ若い人は読んでないかもしれんけど、
「涼宮ハルヒの憂鬱」の主人公には一巻の最初と最後で自分が置かれてる状況に変化があるけど、いまいちパンチが弱くて、すげーことに巻き込まれてるんだけど人間的に変化が乏しい。ヒロインは最初は「恋愛なんて一種の病気だ」と言ってたんだけど、最後に主人公から髪型を褒められてまんざらでもない空気が流れる。つまりヒロインの精神に何かしらの変化があったと感じられて、それは主人公の最後のセリフ一個で見られるヒロインの変化なんだけど、この変化が「あ、ヒロインは恋愛を意識したな」とわかって結構な印象に残る感じになってる。
というのも、やっぱ小説は心理描写が得意な媒体ってのもあって、精神的変化は読後感が良いのよね。
それが「成長」である必要性はまったくないけど、セリフ一個で変わるものなら書いたほうが絶対に良いよね、って感じかな。
ただまあ、もともと無い話なのに精神的変化をあまりに意識しすぎてしてしまうのも良くないから、執筆が終わって推敲する段階で、どっかに精神的変化をぶっこめないかな、序盤に二・三伏線を書けば終盤の一言で変化を出せるかな、とか考えるくらいでいいんじゃないかな。

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