逆に聞きたいんだけど、なんでそれが問題なのですか?
恐らく、『子供の教育に悪い』的な話だと思うのですが、僕から言いたいことは大きく二点。
まず、根本的にはテレビの視聴は視聴者側に選択権があるという事。車内広告や本屋のPOPであれば話は別でしょうが、テレビに関しては『見たくなけりゃ見なければいい』と思います。
なお、話は逸れますが補足として言えば『明らかに番組が想定している視聴者と噛み合わないCMが流れている』場合に関しては例外もあるとは思います。
しかし、番組そのものについて言えば『見ない』選択肢が取れる訳です。
そして『表現の自由』ではなく、『視聴の自由』の問題として時間帯に対して放送番組を決める事の方が不健全であると考えます。(商業的問題は別ですが)
2つ目。誤解されがちですが、教育というのは、『特定のものを子供から遠ざける』『有用な物のみを子供に与える』ことではありません。
『問題がある物についてはその実態を子供に教え、対策を考えさせる』『有用なものに本当に害がないか子供に問いかける』『様々な理不尽について子供に理解を促すとともに、免疫を付けさせる』と言った事も、本来教育のあるべき形です。
社会科や道徳科という学科があるのがいい例でしょう。
歴史は、偉業のみを学ぶわけではありません。過去に起きた過ちに対して、現在の視点から見て学びを得る事に意義があります。
地理は、特産品や数字を覚えるのみではなく、土地特有の災害や、風土病(今は少ないですが)、自分の住む場所に無い物を知る事で知見を深めるのです。
公民で勉強する内容には、法律のみならずそれを悪用した賄賂事件や、そうでなくとも犯罪事件に関する物も含まれます。これが『犯罪を推奨する内容』だと思う人はいないでしょう。
結局のところ、見方の問題です。
鬱屈としたもの、残酷なものに対して、ただ忌避するのは容易いことでしょう。
しかし、何をどうとったって学びには活かせるのです。
同時に、お色気シーンや残酷シーンが教育に悪影響だという声について。
まず言うべきことは『その程度のシーンに子供が感化されるというのであれば、それは親の情操教育の怠慢に他ならない』という事です。
一方的に自分の価値観が正しいと主張する気はありませんが、『キモチワルイ』『汚い』などの表現で色々な物を忌避する事こそ、現実を直視していない人間の証左ではないですか?
我々の食う野菜や肉は『いのち』です。殺して、切って、焼いて、食卓に上ります。
日本が誇る重工業技術は、他方で、実の所『技術交流』の名のもとに各国の軍事技術に応用されています。(『防衛省 イスラエル』で検索してみてください)
まさかと思いますが、『政治家の横領・贈収賄はすべてでっち上げだ』とは信じていないでしょう。
みんなが思う以上に、この世は『キモチワルイ』『汚い』ものに満ちています。子供のうちからその事を教えずして、何が教育ですか?