自分を苦しめることを自分で選ぶことによって、自分を安心させる、というのはかなり変わっていると思います。人間は自罰的になることもありますが、大抵人間は原罪を背負っているんだ(キリスト教徒じゃなくても、比喩的にね)などと考え、自分を厳しく律する、という感じですね。
たとえば茨の棘の付いた腰巻きを付けたりとか。
しかし、すでに別れた恋人が今どうしているのか気になるので、もう関係は切れたけどまた会いに行く、というのはすごいタフな精神を持っていますね。
例えばこの主人公のような状態に追い込まれたとき、拡大自殺といって、自分以外の人間を巻き込んで自殺する人はよくいますが、それに比べたらかなり珍しく、肉体的苦痛ではなく精神的な苦しみを求める、というのは珍しいですよ。
まあ、それがいいのか悪いのかは、作品ができあがってみないと分かりませんが。
私が直感的に類似しているな、と思うのは拡大自殺です。
これは、拡大自殺という言葉が作られていることか分かるように、非常に多くの人が選ぶ行為です。迷惑ですが、人間の自然な感情としてそういうことをしたくなるのでしょう。