>しかし、さっきも言った通り、居酒屋という単語、または居酒屋の類義語は一切使われておりませんでした。なのに、確実に主人公が居酒屋で飲んでいるということは理解出来る。(これはなぜか?)
『居酒屋』という知識を書き手と読み手の間で共有しているからです。
『私たちはいわゆる典型的(ステレオタイプ的)な状況の連続を記憶の中に保持しており、それに関係する語に遭遇したとき、常に背景にその「保持された枠組み」を喚起する。(~中略~)。語はその語の言語的「意味」だけではなく、その語にまつわる実に様々な社会的常識や知識(百科事典的知識という)をも喚起する。』
※引用:認知言語学の基礎/河上誓作編著/p39
上記を踏まえて、今回の場合は、読み手は『居酒屋』に関する社会的常識や知識を有しており、書き手がその社会的常識や知識を「それが居酒屋で行われたことである」と特定するのに十分な量提示したため、読み手は直接的に記述されていなくても『ここは居酒屋である』と類推できたのです。
注意すべきは、書き手の記そうとしている情報について読み手がその知識を有していない場合、当然類推することはできないため、意味の分からない文として映ってしまうことです。例えば、居酒屋のことを知らない小学生1年生などには、その文章を正しく理解することはできないと推測されます。