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タイトル:今回はとっても長い追記になりますよ 投稿者: hexa

 ド近眼で色弱だけどweb上の色彩テストでは「感度年齢がピチピチ18歳相当」とか「上位5%の神の目の持ち主」とか診断されたhexaです。仕事上色の扱いに慣れているとはいえ、自分でもそこまで上位に食い込めるとは思っていなかったので驚いた……。

 五感について詳しく話したつもりが、聴覚について全く触れていなかったので補足です。

 聴覚は、強い精神的ショックを受けた場合、自己防衛本能が働くからか「自分にとって都合の悪いこと」が聞こえなくなる可能性がとても高いです。御作の場合「主人公にとどめの一言を与えてしまったキャラクターの声が聞こえなくなる」「主人公を悪しざまに言うキャラクター同士の会話で、その強烈な単語のみが部分的に聞こえなくなる」などの可能性が考えられます。

 そして、主人公が興味のある話題のみ、あるいは周囲の声を聞き取ろうという意欲が戻ってきた時、急に大音量で聞こえるようになったりします。
 逆に幻聴のほうはその「悪しざまに言う言葉」が何度も繰り返し伝わってくることも……すみません自分で言っていてちょっと怖くなったのでこのへんにしておきます。

 最終段階で「色彩のない視覚」「聴覚」のみが残っているというのは、「物語の進行にとって、小説表現として残っていたら都合のいい感覚だけが残されている」という風に感じられ、主人公の視点に立っているようには思えません。

 もうひとつ、常人が「色のない世界」を体感できる手っ取り早い方法があったのでそれについて触れておきます。というか、皆さん常に体感しています。
 一言で言うと「夜の世界」です。

 視神経に関与する感覚器官として、大きく二つに分けて「錐体細胞」「桿体細胞」とあります。wikiを覗いてもわかることですが、錐体細胞は色に敏感に反応するものではありますが充分な光量がないと働かず、暗所では桿体細胞のほうが働きます。桿体細胞は明暗にのみ非常に敏感ですが、色の判別はほとんどできません。

 TVのミステリー検証番組などて使用される暗視カメラの映像が、より顕著な例だと思ってください。(wikiの暗視装置を参照)。あれは最も暗所で感じ取りやすい緑の光を拾って緑一色に基調されています。ただ、夜の世界は青色の光で照らされているため、人間の桿体細胞では青みがかって見えます。青色光は光の届かない世界で最も遠くまで届く波長の光とされています。

 逆に赤はほとんど感じ取れないため「赤い果実」はドス黒い色と化します。逆に「青や緑の葉物野菜など」はその差異が詳しくわかりすぎるため、やや明るめの、締まりのない中間色のグレーに映ります。
 カラーの画像をモノクロプリントしてみると、赤が思った以上に黒く、青が思った以上に薄く印刷されます。漫画の原稿用紙などは薄青で断ち切り線などが印されていますが、あれをモノクロコピーするとほぼ白と化し消えてしまうため、都合がよい色なんです。
 逆に作文用の原稿用紙はなぜか赤茶色系の線ですが、これはモノクロコピーするとほぼ黒と同等に映ります。文字数計測をしっかりできる利点か何かがあるんだろうか……昨今ではワープロ原稿が増えたため、あまり関係のない話ですけどね。

 ……で、この状態の「楽園のような風景」を見ても普通は一見して楽園とは思えません。せいぜい「他の誰かが『楽園って言うのはこういう場所かもしれないな』と横で呟く→そんなものかと思って詳しく周囲を見てみる→作物が(そのボリュームから判断して)しっかり大量に実っているのがわかる→いちおう豊作ということになる、この土地に住んでいる人にとっては喜ばしいことに違いない→楽園とみなすことができるだろう」という思考経路を辿ってじわじわとその良さを噛みしめることはできるかもしれませんが。

「彩りのない世界」=「光のない世界」=「感動や希望のない世界」
 簡潔な言葉にしてしまうと非常に陳腐に聞こえてしまいますが、これが一般的な認識なんです。この一般的な認識を打ち破る表現をしたいと思っているのなら、それこそ狂気の世界に突入すると思ってください。
 そして独特の表現をしたいわけではなく、単に主人公の気持ちを読者に伝えたいだけならば、無難に一般的なわかりやすい表現でしっかりと伝えることを強く推奨します。独りよがりの実験的な表現は、短編や詩などで試みたほうがいいです。

 あと、fateの例の二人に関して。私はstay nightのTVアニメ放映時にアニメの情報のみで「彼」の正体に気づきましたが。あの二人はメンタルは若干不安定だけれどもキャラコンセプトはしっかりしている。「マスターとしての主人公」と「――としての主人公」ですよね。凛ルートは凛と一緒にいることを楽しむ物語ではなく、彼が存在するための物語。

 二人が同時に居合わせる状況になって、彼が士郎に対して心の内に踏み込み過ぎた上から目線の説教じみたセリフをした時点(私はこの時点で彼の士郎に対する態度が「父」もしくは「兄」と感じられました。単なる敵愾心だけでは出ない言葉ばかりだったから。そしてこの存在は反抗期の「子供」「弟」側から見ればただのウザい存在でしかないことも……)。
 サーヴァント召喚は時間軸を無視できるギミックであること。イリヤが士郎に言った「わたしの――になりなさい」といった言葉(これで士郎が――になる可能性がある、と気づかされた)、本来弓使いのくせに剣を使う機会のほうが多いこと、トドメのキーアイテムが凛のペンダント。

 キャラコンセプトが先にありきでああなんだから、鉢合わせる状況になってしまったら結果的にそういう感情を持つのは当たり前。でも別にあのふたりは完全敵対してるわけじゃない。聖杯戦争での立場上は敵ではあるけれど、凛と彼のコンビは早々に脱落しちゃったわけだし。どっちも私利私欲を優先できないお人よしなんだからもーねー……。
 オミクロンさんはキャラコンセプトがあやふやなまま、なんとかして悪感情を抱かせようとして、そして戦わせようとしている。根本の構造を理解しないまま無理矢理に自分の好きな作品の状況を嵌め込もうとしても、物語は作れません。

 何度も言っていますが、オミクロンさんの作品のラスボスの思考パターンは、藤崎竜版封神演義のそれが最も近いです。ほんの少しでも自分の気に入らない箇所があれば平気でぶっ壊して作り直す、その繰り返し。主人公たちはその気まぐれでぶっ壊される側なんだから、抵抗するのは当たり前。戦う理由はそれだけで充分。おまけで過剰に嫌悪感を感じても全然構わない。

 主人公の生きる意欲が薄くて、さほど嫌悪感を感じないというのでも構わない。でも、その世界にいる「他の誰かとの絆」があれば、戦わないという選択肢はあり得ない。最初から最後まで利己的なだけの主人公だったら、この時点で死んでバッドエンドかもしれません。

 でも、「力を貰った親しかった人達」の想いを背負って生きているんではないの?彼らの代わりに自分が成し遂げなければいけないとか、そういう思いはないの?ないんだとしたら、やっぱり「ただ単に強い力が貰えて喜んでるだけの、自分のことしか考えてない主人公」です。私はそういう主人公にこそ嫌悪感を覚えますよ。

 絶望の描写もいいけれど、それ以上に立ち直る時の描写に力を入れてください。死ぬのはいつでもできるけど、その前にやらなくちゃいけない何かがあるはず。それがこの物語にとって、主人公にとって何なのか。そこをしっかり浮かび上がらせてください。

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