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タイトル:キャラクターが書けない!の返信の返信の返信の返信 投稿者: サタン

>このような場合はどうすれば良いのでしょうか?
この問題の理由としては、もらった感想の中にある
「ご都合主義にしか見えない」という言葉が全てでしょう。
お考えの通り、都合良く物語が動くことは別に悪いことではないと私も思います。しかし、それが過ぎればあるいはあからさまだと「そういうシナリオ」が見えてしまうわけです。
要するに、同じ芝居をしてても棒読みな俳優の演技はわざとらしくて、それが演技であることがわかっちゃうし、冷めるでしょ?
都合がいい展開は、ストーリーに対して「わざとらしい」んですよ。
でも一方で、「都合がいい展開」というのは物語のテンポを良くし、余計な事を排除して必要な情報だけで進めるからとても良い武器としても扱える。
問題なのは「わざとらしさ」だけ。
「役割に徹しすぎている」という指摘からもそうした問題が見えていると思います。
また例え話だけど、車のブレーキを踏むとき、「必要なときにブレーキを踏んだ」これは何も疑問に思わない普通のことだけど、「わざとブレーキを踏んだ」という場合は、同じ状況だったとしても「急ブレーキを踏んだ」と思うでしょ?
作者がそうは思ってなくても読者に「急ブレーキ」と思わせてしまう理由がソレなわけです。

ではどうしたら良いかというと、正直とても難しい問題だと思います。
というのも、現状、指摘されたから「無視できない」と疑問に思ってるだけで、本人はそれを問題と感じていないからです。
誤解されたかもしれませんが、別にこれは貶してるわけではありません。問題と思わないなら別に良いのでは、という考えからの言葉です。
だって、一方では「キャラが噛み合ってて良い」と言われているのでしょう?
この「わざとらしさ」を無理に矯正したら、その持ち味を殺すことになりませんか?

私の言ったことが全てではありませんが、私の提案に対し「それは既にやってる」と答えた以上、技術的な問題でどうこうって話じゃないと思います。
感覚的な問題と、作品と読者の相性からくる問題でしょう。
児童向けの小説を読んで「この作品は子供騙し、ガキっぽい」なんて感想を残すアホはいないわけで、「こういう持ち味」の作品で「それを指摘する」というのはどうなの? と個人的には思う。
新人賞の評価でも指摘されたことを考えるに、「キャラクター描写が問題なんだ」と認識されたかもしれませんが、今のやり方のまま「わざとらしいほどキャラがしっかり噛み合ってる」という方向で進めば、それはそれで作品の味なんじゃないでしょうか?
まだ深みのある味に仕上がってないから評価で指摘されたのであって。
同じ方法論で全員が同じように仕上げたら、同じような作品で溢れかえっちゃうよ。……現状のラノベはそうなりつつあるけども。
素人作品や処女作だろう拙い作品を読んでると、たまに「これは明らかに技術的な間違い」と知りつつも「でもなんでか否定しきれない」と感じることがあったりします。
それはアマチュアならではの間違いから来る偶然の表現だったりするんですが、不思議と良い印象を得ます。
ただ、繰り返すけどもあくまで「ラノベ的表現、ラノベの基本とする技術的な話」で言うと、これは明らかに指摘すべき「間違い」なんですよね。
新人賞に関わる方を批難するわけではないのですが、彼らの評価は基本的に「平均値の指摘」なので、気をつけたほうが良いです。
つまり「ウチで扱ってるよくある作品」という平均値の書き方において適切な指摘はしてくれるけど、「受賞するような突出した個性」は当然ながら教えてくれません。彼らがそれを知ってたら彼らも何も苦労しないわけですから。

なので、いまは問題をちゃんと認識するのが良いと思います。
「役割に徹してる」というのは「物語に対してわざとらしい」ってこと。
都合がいいのは悪いことじゃないけど、わざとらしいとシナリオが見えてしまう、つまり「これはただの脚本だ」ということがわかっちゃう。「これは実際の出来事だ」と読者を騙しきれてない。

で、肝心の「わざとらしさ」を無くす手段だけど、既に「難しい」と書いたけども、感覚的な問題であって具体性がないのでモノによって解決手段がマチマチです。
例えば問題になってる「キャラクター」が原因だとすると、性格由来の言動にちゃんと理由をつけてやりゃ多少マシになります。
性格由来の言動は、なんでもかんでも「そういう性格のキャラだから」で片がつくので、万能すぎてわざとらしいんですよ。いつでもどこでも使えるために、タイミングが良すぎるんですね。
そこへ、性格からの言動だけど感情論ではない理由がちゃんとあるぞ、とすれば納得が出来るので、わざとらしさを軽減できます。
でもたぶん、こういうキャラだけの問題ではないと思います。
例えばハリウッドや海外の映画ドラマなんかでは、実に「わかりやすい悪役」などが登場します。ジャイアンよりわかりやすいイジメっ子で、アメフト選手の意地悪なイケメンとか。セリフなんてすんげー「それっぽい」のばっか。
でもこれ、不自然じゃないし「役に徹してる」という感もないですよね?
わざとらしすぎて、逆にわざとらしくない。
キャラの問題である場合、逆にこんな風に「わざとらしさ」に特化させりゃ、それはそれで面白いと思うし、かえって「わざとらしくないようにしよう」と思うことがアラを目立たせてることにもなる。
でも、そんなキャラがふと「イジメてる主人公を助けるために行動する」と、一気に風向きが変わる。よくある手法ではありますが。
これは「役に徹してる」に例えれば「役から外れた」という印象を与えるでしょうか。
「そういうキャラだから」ではなくて、「こういう一面もある」というキャラが深まる切っ掛けになる。
でも、こうした事が出来るのは、そもそも「役」を把握しているからこそです。
キャラの問題と言えばキャラの問題なんだけど、これは「イジメっ子が主人公を助けた」というストーリーの問題でもあるんですよね。
で、ストーリーの問題だとすると、「このイジメっ子は終盤に情けない姿を晒す」とか予想してたことが予想通りに展開して面白味がないため、「ブレーキ役がブレーキを踏むのは当たり前」という予想通りの展開しかなく、そこに指摘が入ったのではないでしょうか。
この場合、ブレーキ役が「ちょっと待て」「なんだ、止めるのか?」「いや。もっと派手にやろう」と同調するなど、テンポを崩してやると、そうした「予想外」がより盛り上がるということもあります。

そんなわけで、「役に徹してる」というのが何を意味しているのかをご自身でよく把握し、原因がどこにあるのか考えてみると良いのではと思います。
一見してキャラの問題に思えるけど、そもそも「役」というものの扱いに問題があるのかもしれないし、あるいはそれ以外のドラマが書けてると思い込んでるだけで書けてないのかもしれない。正直読んでみないと第三者にはわかりません。
既に書いたけど、「役」というわざとらしさを逆に特化させることでより良くなることも考えられるし、指摘されたことはただの事実であって、課題ではないので、ダメだと指摘されたことがダメな理由にはならんし、まだ指摘されただけであって自身の中で課題に昇華するには早いんじゃないでしょうか。

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