返信をいただきどうもありがとうございます。
現実的な考証と小説的な情緒、確かに客観的にしっかり分けて見ることは大事ですね。
いろいろと気づかされました。三人称の場合は地の文と台詞で名称を変えるというのも目から鱗です。
その点では時代考証をとことん地の文で書き加えて、言葉で情緒を出すこともできるわけですし、小説だからどちらも絶妙に情緒・考証を振りかけて言葉を操ることもできますね。
以前の例文で、夜のナイチンゲールが患者を癒すという言葉も、戦場で献身的だったナイチンゲールという言葉も、看護婦・看護師どちらにも当てはめることができます。ここは物書きの言葉選び一つでいくらでも操れるものなのですね。
一人称では癖が強いものになることは否めないかもしれません。だからといって、いかに現代でもばっちり浮かない作品にできるかはまだ自信はありませんが、あざらしさんの仰っていた通り、前書きで添えることも一つの方法ですね。青空文庫を読んでいると、「時代背景で差別とみられる言語をそのまま使用している」旨が書かれており、私もそれを読んでから作品を読んで、初めは「妾」に驚いた一人です。「自分をめかけと呼ぶとは相当思い切っている。当時の女性は怒らなかったのか」と。そうしたら当時の言葉選びだったようです。ちなみに私ははじめ、「妾」を小説内では「わらわ」と読んでいました…。作風が高貴な姫様が出てくるものだったので、口に出して読まなくて良かったです。
三人称と一人称での書き方の違いと、考証と情緒を分けて考えた方がいいとのアドバイスをいただき、とても参考になりました!
どうもありがとうございます。