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タイトル:本人の経験をもとにしていいか、師匠とはどういう人か 投稿者: 【本人から削除依頼】

 以下、出来る限りのことを申し上げておりますが、門外の者ですので、間違いもありましょうし、誤解もあるかと思います。また一個人の考えでもあります。予めお詫びし、ご了解、ご高察をお願いいたします。

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> 1.アスペルガーの作者がアスペルガーの 主人公を出していいのか?
> また、アスペルガーの作者が、 実体験をもとにアスペルガー症候群を題材にしていいのか?

 なぜこういうYes/Noの選択にするのか、ちょっと戸惑います(こういう選択肢に絞った経緯が分からない)。ただ、前段で竹牟礼さんご本人がアスペルガー症候群だと自己紹介されておられ、そこからは当事者・経験者だから他人よりよく分かるという実感をお持ちのようです。

 確かに、普段は気にしていない人よりはずっと知識があり、ご自身の経験としては感覚的な細部に至るまで感じ取っておいででしょう。なんとなれば、自分の内心まではっきり分かるのは自分以外にはいないわけですから。

 アスペルガー症候群について、一般的で初歩的なことから考えてみます。専門医がよく参照する臨床基準資料にDSM(「精神障害の診断と統計マニュアル」米国精神医学会編)があるのはご存じだと思います。現在、第5版、DSM-5(2013年~)ですね。
(他に、ICDがあるが、個人的に聞いている臨床への用いられる度合いや、最新版ICD-10ができた時期などを考えて、割愛します。)

 DSM-5からはアスペルガー症候群の記載がなくなったこともご存じだと思います。アスペルガー症候群という括りで診断することが難しく、他の症状と合わせて判断したほうが良い、といったことがあったようです。その辺りの事情は、専門家での議論であって、私のような一般人には分かりません。

 ただ、アスペルガー症候群という症名から、どういう人なのかということを考えるのは難しいということだけは確かだと思います。アスペルガー症候群だからどうこうと、肯定的、あるいは否定的、さらに差別的に考える一般人がいたとしたら、もう専門医でも諦めた判断に固執し、勝手なイメージでやってしまっている可能性が高いと判断すべきでもあると思います。

 ですので、フィクションであっても、「主人公はアスペルガー症候群です。だからこういうキャラなんです」といった描写は、誤解を広げないように書くのは非常に難しいと思います。専門医に近いレベルの知識と経験が必要ではないでしょうか。

 なお、これは当事者団体などの活動とは別の話です。生きづらさがあって診察を受け、アスペルガー症候群だと診断され、だからといって生きづらさは解消されない。周囲から差別的扱いも受ける。だから、当事者で集まって問題を解決していこう。それは、非常に大事で、DSMの改定が悪影響を与えないようにしなければなりません。

 竹牟礼さんが構想してお出での物語で、当事者の苦しみの部分にスポットを当てるのなら、問題は起こしにくいかもしれませんね。それも、ご自身が経験したことに限定して、内面含めて描くのなら、さらに問題は少なくなりそうです。

 簡潔に言い直しますと、アスペルガー症候群という括りで一般的に創作してしまうと、傷つく人、困る人、誤解する人が多数出そう。ある一人のアスペルガー症候群の個人的な経験として創作するなら、あまり問題ない創作をすることはできそう(注:できそう、であって、個人経験にすれば何を書いても大丈夫、とはならない)。

 もう少し枠組みを広げて考えてみます。精神医学の本はどれくらいお読みになった経験がおありでしょうか。一般向けのものではなく、大学の医学部で教科書になりそうなものや、臨床心理士が読むようなものです。

 総合的な精神医学教科書を2冊ほど読んだことがあります(他にハンドブック的なものも読んだが、症名の浅い解説程度で参考にならず)。それと臨床心理士向けの参考書。年長の作家志望の知り合い(その後、商業デビュー)から、狂気がないと、少なくとも狂気が分からないと小説なんか書けない、というアドバイスを受け、分からないので読んでみたのです。

 ちょっとびっくりしました。主に2点です。1点めは、どの症状も大なり小なり自分に当てはまるものがあること。もう1点は、まるでフィクションのキャラを解説してるんじゃないかと思えたことです。

 どういうことかと思ったんですが、理解に至る手がかりは精神医学教科書内にありました。異常という状態を舞台に置き換えた喩えがあり、舞台全体を均等に明るく照らしているのが普通の状態だとすると、失調した状態は舞台全体が暗くなったり、一部にだけスポットライトが当たっている状態との説明でした。

 さらに、バス停の喩えもありました。いつも定刻より30分遅れてバスが来るバス停がある。ある日、たまたま定刻通りにバスが来た。いつも通りでない観点からは異常事態と思えるが、定刻通りが本来だと考えると、他の日はずっと異常だったと思える。つまり、価値判断基準次第でどちらにも変わってしまう。

 フィクションだと、キャラの一面を強調しますし、そのために誇張もしますよね。現実にはいそうもない奇矯なキャラはフィクションに数多といます。例えば、照れるたびに主人公を張り倒すヒロイン、なんてちょっと前はよくあったりしましたが、現実にいたら大変です。

 そういうキャラでも理解できるのは、読んでいる読者自身にも、可能性としてはあるため、推測可能だからでしょう。この点は、構想されてお出での物語が読者に理解される可能性を示唆します。しかし、理解できるために非常に誇張されて、現実では見当たらないほどの奇矯なキャラも大勢いるわけです。むしろ、どんどん奇矯にしていかないと、面白みが出ないほどです。

 力を尽くしてアスペルガー症候群の主人公を描いてみたら、ごくありきたりのキャラだった、なんてことになる可能性は低くありません。

 それでも、お考えの差別をぶっ壊すという点が魅力にならないか。構想の重要なポイントの一つのはずですね。現実だって、誰かを虐げるより、一緒に笑うほうが楽しい。それは、笑うからではなく、悪いことをしていないから、つまり罪の意識を感じないからですね。フィクションで得た感覚と知識を現実にも持ち込んで、もっと嬉しい。そうなる可能性はあります。

 しかし、注意点も考えておくべきでしょう。多くのフィクションでは問題を解決しています。奇矯なキャラも、周囲、特に仲間とやっていけるようになるラストが多いわけですね。そう考えると、もう先行例が数多とあるわけです。むしろ、フィクションの大多数がそういうもの。その中で勝ち残れるだけのものがあるか、よく考えておくことが必要だと思います。

 なお、作者本人がアスペルガー症候群だから、というのは小説を補強するものにはなりません。そこをセールスポイントにしてしまうと、作者の魅力込みで小説を読んでもらうことになります。有名人ならともかく(「ああ、これをあの人が書いたんだな」という快感が生じる)、我々無名人では無理でしょう。

 それに、アスペルガー症候群をよく知らない人がターゲット読者層ですよね。知らない人だと興味を引くことすら難しい。タイトルや内容梗概に興味を引かれて読み始めるのは、おそらくかなり知っている人です(だから、もともと差別的ではない点も、ターゲット読者層から外れてしまう)。

 難しいですが、読み始めてもアスペルガー症候群がテーマに含まれているとは分からず、読み終わってから「主人公はそういう人だったのか」と分かり、何らかの感慨を残すように書ければ、成功できるような気がします。

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> 2. 「物語のテーマにぶち当たるまで話の筋を掴みながら場当たり的に書いていき出来上がったら推敲する」という書き方でも大丈夫なのか?

 これは「師匠に師事する」ということだと考えて、回答を考えてみます。師匠ってどういう存在なんでしょうか。「教えますよ」と宣伝して、入門者からお金を取る師匠なら、フィットネスジムのパーソナルトレーナーみたいなものです。弟子の希望を叶えるために教えてくれる。

 一方、尊敬できる仕事をしている人に、「弟子入りさせてください」と頼み込んで師匠になってもらうような場合だと、全く異なりますね。

 師匠は弟子の希望を聞く義理はありません。師匠のレベルに達したい弟子が、師匠についていかねばなりません。師匠は何の譲るところもない。「自分はこうしているんだ。お前も同じようにやれ」です。

 もし、「師匠から自分のやりたいことをダイレクトに教わりたい」とお考えなら、やりたいことを教えてくれない師匠からは離れるべきでしょう。そうではなく、「この人のレベルに達したい、この人からは小説がどう見えているか垣間見たい」とお考えなら、自分を曲げてでも師匠に倣う(習う、ではない。念のため)べきでしょう。

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