迷える狼さんの投稿
私の場合、「ご都合主義」が嫌いなんですね。無謀な主人公が、毎回「なぜか」助かってしまったり、運が良かったで済まされてしまう事がしょっちゅうあったり。
いわゆる、「行きあたりばったり」や、「そう宿命付けられた運命」で、物語を書きたくないのですよ。
「ワンピース」の序盤で、道化のバギーに首を斬られそうになったルフィが、急激に変化した天候でバギーに雷が落ちて助かった時、モブキャラの「天が死なせない様にしている」で、ものすごく白けた事があります。
同じく、漫画「ヤンキー烈風隊」で、主人公が喧嘩で腹をナイフで刺されて病院に担ぎ込まれるのですが、治療にあたった医師が、「ナイフが大事な部分を全て避けている。まるで、この男を死なせまいとしている様だ」と言うのです。
その回では、それまでの主人公のピンチを回想するのですが、結局「天が死なせまいとしている」で片付けられてしまいます。
はっきり言って、「はあ?」ですよ。いわゆる、
「天(作者)に愛されているのだから、どんな無茶も許されるし絶対に大丈夫」
という、お墨付きがある訳です。
これでは、その先にどんな展開があっても、全然面白く無いじゃないですか。
「ああ、結局こいつは平気なんだろ」
と。
そういった、運の要素やご都合主義を減らして行くと、
「(ある程度)完璧な主人公による、計算された行動」
が重要になって来る訳です。その結果、頭脳戦において、
「こうなる事は解っていた。お前の負けだ!」
もしくは、バトル系ならば、
「敵を完膚無きまでに打ち倒す完全勝利」
という、別のカタルシスが生まれる訳です。もちろ、伏線は作中でしっかりと張っておき、それをきっちり回収した上での事です。
そうしないと、せっかくの主人公の勝利の理由が、曖昧で解りづらくなってしまい、ご都合主義と思われてしまうからです。
「カムイ伝」(白土 三平)では、主人公のカムイは捕らわれて処刑され、さらし首にされます。もちろん、本当に死んでしまいます。
ところが、ここで兄が現れて主人公がバトンタッチされるのです。
この様に、キャラクターに無茶を許すのなら、本当に殺してしまうくらいじゃないと駄目だと思います。
「ワンピース」では、無謀にも「マゼラン」に喧嘩を売ったルフィが返り討ちにされ、ドクドクの実の効果で特殊な毒に犯され、放置すれば必ず死ぬ状態になります。
ところが、「運良く」イワさん(イワンコフ)に助けられます。ここには計画性も伏線も何もありません。
当然ですが、イワさんが助けてくれる事まで考えて、マゼランに突っ込んだ訳ではありません。
頭に血が昇ったルフィが、完全に暴走しただけです。
結局のところ、
「天に愛されている主人公が、ご都合主義で助かった」
ただ、それだけの事です。
ご都合主義を排除する為には、主人公の行動を成功させる為の計画性が必要になります。
「実はこうだった!」
という「どんでん返し」は、ある種の爽快感をもたらしますが、仕掛けられた伏線とその回収が不十分だったり、明らかに無計画で行動した主人公が、本当に「運良く」成功しただけでは、何のひねりもありません。
毎回、
「トラップカード発動!」(遊戯王)
では、駄目なのです。
完璧か、それに近い成功の為に私は、
「完成されたかそれに近い、未熟では無い大人の主人公の存在」
を求めたのです。
2016/05/26(Thu)