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タイトル:戦闘シーンにおけるスタンドプレーはそんなにリアリティーが描写なのかの返信 投稿者: あまくさ

>というのも私の書く戦いは主人公のスタンドプレーが戦況を好転させるものが多いからです。
>私は「強い奴(この場合は主人公)が前に出て暴れるだけでザコの集まったチームは何もできずに負ける」というのがチーム戦のセオリーだと思っています。

別に間違ってはいないと思います。
ただしそれはリアリティーという範疇の話ではなく、如月千怜さんの作風がそうだということでしょう。もちろんそういう作風が好きな人は確実にいると思いますからエンタメ作品の作法としてありでしょうし、十分に一つのセオリー足りうると思いますよ。

ただ、 これまでのスレでも少し気になったのですが、 如月千怜さんは思考の幅を少し狭めすぎていらっしゃらないでしょうか? ご自身の考えにそぐわない意見は納得できないか、ご自分の作風ではないから興味がないという。
そこまで明言はされていないかもしれませんが、文章の行間からそういう風圧を感じてしまいます。
別に合わないことは採用しなくてもいいのですが、考え方は違っても(あるいは、むしろ視点の違う考え方だからこそ)少し立ち止まって検討くらいはしてみることによって得られるものも少なくないのではと思うのですが、いかがでしょうか?

ヒーローものの主人公であれば、私とてザコ集団くらいが相手であればカッコよくバタバタなぎたおしてほしいと思わないこともありません。しかしそれは、読者や視聴者に爽快感を与えるための主人公補正であって、あまりリアリティーがあるとは言えないでしょう。リアリティーがないことは承知で、エンタメのお約束として入れるシーンなんじゃないかと。でも、それだけでストーリーが盛り上がるものでもありません。

>ただこの授業をいつも同じチームで戦うと仮定すると「優秀な相手チームが優れたメンバーだけを集め、主人公は弱いチームメイトと組まなければいけない」という状況は教育の場として明らかに不公平すぎると思うのですよね。

理想論としてはそうでしょうが、現実は必ずしもそんなものではないですよ。悪い方の現実で考えれば、例えば優秀な生徒を集めることによって短絡的な成果につなげようとする教師や学校の方針とかもあるかもしれません。そこまでダーティでなくても、生徒に個性の違いを教えるために意図的にチーム編成を不均等にするということだって考えられます。
そういうことをあれこれ考えて主人公を説得力のあるピンチに直面させるストーリー作りこそ、作者の腕の見せ所です。初めから思考を放棄して、そんなことは有り得ないからと切り捨ててしまうのは勿体ないのではないかと思います。

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