乗りかかった船なので、もう少し補足します。
>一 他と関連、比較させてみて、初めて自身の存在をとらえ、最下位という劣等感を克服しようとする、相対的な判断をする主人公
>(比較という性質を持つため、競争や成り上がりへの意識が強い)
「他との関連、比較」「相対的な判断」「競争や成り上がり」という言葉があることから「それは成長ではなく成功を目指しているだけ」とコメントしたのですが。
ただ。
「最下位という劣等感を克服しようとする」という一文がちょっと気になります。この一文だけ切り出すと普通に内面的な成長ということになりますから。
あくまで個人的な感覚ですが、ロジックがおかしくないかなあ? 相容れないものを結び付けてしまっているような気がするのですが。
というのは、この文脈の中での「相対的な判断」というのは、自らをカーストの中に位置づけようとしているだけに見えるからです。
自分と他を比較し、相対的に判断することによって自身のあり方を正確に見つめる → そこからつかんだ確かな自分を土台として人間関係を再構築する。
そういうことではなく、単に「競争や成り上がり」が目的化してしまっている感じがします。そこから得られるものは成長ではなく、空虚な成功ではないでしょうか?
>二 他と関連、比較などはせず、出会いを経てカースト最下位という自身の存在をとらえ、劣等感を持っている自分も自分だとする、絶対的な判断をする主人公
>(優劣の意識があまりない為、ありのまま気楽に構えていればいいやと割り切っている)
絶対的な判断、というのはかなりの強さですよ。
>(優劣の意識があまりない為、ありのまま気楽に構えていればいいやと割り切っている)
いや、ありのままというのは大変なことです。気楽に構えてできることではありません。気楽に構えていればいいやと割り切っているのだとしたら、それは「ありのまま」でも何でもなく、現実を直視することから逃げているだけです。
「他との関連、比較などはせず」「劣等感を持っている自分も自分だとする絶対的な判断」をしているのなら、その人はカースト最下位にいるのではなく(他人の目にはそう見えるかもしれないけれど)、カーストの外にいるんです。