>人称を混ぜるのは御法度と聞きますが、
人称を混ぜるのがなぜご法度と言われるのかを理解すれば、人称・視点にかかわる事柄については自身で判断できるようになります。(なお、「ご法度」と言いきってしまうと多少語弊はあるのですが、説明がややこしくなるのを避けるために取りあえずそこには踏み込まないことにします)
人称の混在、視点の揺れが好ましくないとされる理由は、大きく言って以下の二つです。
1)読者が混乱しやすい。
2)人称や視点が動いたときに、感情移入がリセットされてしまうおそれがある。
1)について。
これは、小説が文章だけのジャンルだからです。人称や視点が変わったことを数行でイメージするのは、読者にけっこう負担を強います。
マンガやアニメの場合。
そもそもマンガ・アニメには人称がないということもありますが、場面ごとにフォーカスするキャラを変えることは普通に行われていて、それが小説の視点と同様の機能をもっています。で、これを短時間に頻繁に動かしても「絵」というわかりやすい表現があるため視聴者は混乱しないんですね。
ラノベを書く人はマンガ・アニメ・ゲームの影響を受けることが多いと思うのですが(私もけっこう参考にしています)、上記のような違いに気づかないまま単純に模倣するとかなり読みにいものになってしまうので注意が必要です。
2)について。
キャラへの感情移入については、性格付けやストーリー展開の話になることが多いと思います。もちろんそれらも重要ですが、人間には「身近なものに同調しやすい」という性質もあるんですね。
なので。
単に視点キャラに位置づけてやるだけで、読者はけっこうそのキャラに同情しながら読んでくれるものなんです。
これが意外にバカにならない要素だと気づけば、ある程度読者の気持ちを引きつけたキャラから途中で視点を離してしまうデメリットが理解できるのではないでしょうか。
実はですね。視点の問題は、1よりも2の方が重要なんですよ。
1にしても2にしてもデメリットがはっきりしていますから、それに対処する方法を工夫すればよいだけ。
1については読者が混乱しやすいということが問題なので、人称・視点の変更はなるべく少な目にし、動いたときにはそれが明確に伝わる書き方を工夫すればよいということになります。
2については、要するに、
◎それまで寄り添っていたキャラや物語の流れが変わったら、何となく先を読む気がうせた。
そういう経験、ありませんか?
これが恐いっていう話なんですね。
ただこれは、逆手に取る方法もあります。
例えば主人公がピンチに陥ったところで急にぶった切って別の場面に変えるという「じらし」のテクニック。うまく使えば、かえって読者(視聴者)を強く引き込む効果を作れます。
つまり人称だろうが、場面だろうが、ストーリーだろうが、いかにして読者の興味をつなぎとめるかが重要なわけです。そこを意識して効果的な仕掛けを探す感覚さえあれば、小説の筋立てにご法度なんてありません。