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タイトル:途中での意図的な人称変更は問題ない?の返信 投稿者: 手塚満

結論から申し上げてみます。ご質問文からしますと、8:2で「やめたほうがいい」ではないかと思います。上手く行く可能性もあるけれど、リスクの高いギャンブルになりそうです。人称・視点の途中変更は避けて、最初から三人称に書き換えるか、バトルを一人称で乗り切ったほうがよさそうです。以下、そのことを説明してみます。

1.視点移動禁止は単なる技術的なコツ

視点移動するなという戒めはよく言われます。ルールとか公募なら採点基準みたいな、形式上のことと勘違いされることも少なくないようです。ですが、「人称が崩れていても関係ない、面白ければいいんだ」の通りです。面白く読めたのに、視点移動をあげつらうとしたら愚かでしかありません。

単なるコツなんですね。しかも(私のような)初級者向けです。面白いための絶対条件って何か。読んで分かるものであるのが必須ですよね。よく分からないのに面白い、バトルが手に汗握るなんてことは起こり得ない。描写がよく分からない文章の原因を調べてみると、視点移動を安易に使っている例がよく見つかる。だから「視点移動は避けよ」というコツが言われるようになるわけです。

2.視点の扱いが分かっていれば移動は大丈夫

それでも、視点移動・切り替えして上手く行く可能性から申し上げてみると、スレ主さんが人称別の制限を理解されていらっしゃるようだからというのがあります。一人称だとバトルが淡白になりそうと予想されてますよね。一人称主人公がもがき苦しんでいるときに、他のキャラの行動などでしょうか、地の文の描写が難しくなることも分かっておられます。

特に視点主人公がもがき苦しんでいるときのご理解ですね。一人称にしたものの、描写がおかしい例はしばしば遭遇します。実例はちょっと控えまして、捏造してみます。

強盗が入ってきたらしいので一人称主人公が炬燵の中にうずくまって隠れたのに、入って来たのがやっぱり強盗で(※ 知らない人ではなく強盗と分かってしまっている)、部屋のあちこちを探っているのをありありと描写してしまう。そういう失敗描写です。簡単に言えば、作者視点を一人称視点主人公が共有してしまっている。
(↑三人称みたいな一人称の例でもあります。)

3.一人称のメリット・デメリット

一人称の利点は初心者に書きやすいとよく言われます。同時に難しいとも言われます。相反するようですが、別の面を言っているもので、作者レベルの相違も考慮したものです。
初心者にやりやすいというのは、シーンをイメージするのがやりやすいことがあります。作者が視点主人公となって、そのシーンを演じる空想をすればいいわけですので。三人称のようなカメラワークの工夫は要らない。描写の混乱が生じにくく、分かりやすいように自然と書ける。

しかし、それが制限にもなるわけで。視点主人公からしか見ることができないわけですね。視点主人公の目の前にドアがあれば、開けるまでは向こう側は見えない。背後も見えない。目をつぶったら、音(や触感)しか分からない。視点主人公の意識上の問題もあり、激痛があれば、周囲の描写はほぼやれない(きちんと周囲を描写してしまうと、「主人公、痛がってないじゃん」みたいな印象が生じかねない)。

視点主人公に見えていない場所、方向で他のキャラの活躍するとか、迫って来る強敵というシーンを描きたくなったら、一人称の制限はとても邪魔になります。そこが「一人称は難しい」と言われるゆえんの一つですね。シーンで最も印象深いものがあるのに、主人公に見えていないというだけで描けない。見えてないけど手に取るように分かる、なんて描写って高等技術というしかありません。

4.三人称を兼ねる一人称

それができたら、三人称みたいな一人称かもしれません。落語で類似と思えるものを見ることがあります。故米朝師匠ですと、ぱっぱとキャラ切り替えして混乱がありません。まるでコミックを読むかのような妙技でした。しかしそれは三人称みたいな一人称ではない。

故枝雀師匠ですと、キャラを切り替えず主人公をずっと演じることがよくあります。周囲のキャラは、主人公の反応で描写していました。しかし、主人公の周囲のキャラの言動、行動がが手に取るように分かるのです。そういうのは、三人称みたいな一人称の例だろうと思います。もちろん、それに限るわけではありませんが。

5.読者の(主人公等への)感情移入

三人称でも迫真のバトルは描けますし、動作主体であれば、三人称のほうが分かりやすくできるようにも思います。バトルに至るまでは、主人公の一人称で心情をしっかり描き、山場となるバトルではバトルが映えるよう三人称にする。いい方法のように思えます。ですが、読者側からどう見えるか。

読者は一人称主人公に沿って読んできたわけですよね。地の文も主人公の台詞です。文章比率で95パーセント以上、ずっと主人公が語り、喋る内容で主人公を追って来た。そして山場。突如として三人称に切り替わる。主人公から遠ざかる感じは出てしまいます。地の文は、誰かよく分からない、突然出てきた説明する人です。地の文の語り手って、ある意味、最重要キャラです。三人称なら名無しですが、主人公以上に読者に語り掛ける存在です。そんなキャラが主人公に成り代わって出てくるわけです。

感情移入が断ち切られるリスクは高いと見る必要があります。読者から下手だなとも思われるリスクも高い。ですが、スムーズにつながっていればまだなんとかなります。しかし、描写的にはつながっても、読者の感情移入の仕方は大きく変えられてしまうわけです。しかも、最も大事な最期の山場、クライマックスで、です。

冒頭でいきなり惹きつける(出だしのツカミ)以上の工夫が必要になると思います。冒頭は前提抜きで書けますが、クライマックスならそこまでの流れを乱さず引き継がないといけません。ですので、よほどに三人称のメリットが一人称を大きく上回ってないと、作者的に怖くてやれることではないと考えるべきかと思います。

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