はからずも(?)スレが上がりましたので、遅まきながら私からも私見を書いておきます。
スレ主様の悩みは、性格の違う二つの問題を含んでいるようです。
1)鬱展開そのものに対する苦手意識の問題。
2)そのタイプの作品が読めないことにより、インプットの幅が狭まる問題。
1については他の方も仰っていますが、感受性が強いゆえとも言えます。また、スレ主様が拒否感をいだくということは、同じようにそういう作品は読みたくないという読者も少なからずいるだろうと思いますよ。
ですから鬱展開を好まない読者のための作品を書いていくと決めてしまうのもアリで、それでも十分需要は見込めるのではないでしょうか?
そして1の方針に決めるなら、2は別に問題ないことになります。
いや、鬱展開があって他に優れた部分も多く含んだ作品もあるでしょうから、まったく制約にならないとまでは言い切れないかもしれませんが。しかし、少なくとも、
>その作品に一部でも目をそらしてしまうような要素があるのなら、それは自分の感性が未熟なだけだ
>「こんな状態だと面白い小説も書けるわけがない」
とまで思い詰めるのも、行き過ぎだと思います。明るい作品だって参考になるものは読み切れないほどあるはずです。
>メンタルの強い人間が得をしがちな日常
そんなこと、一概に言えませんってw
まあ、メンタルが強いうえに頭が良くて能力も高ければ有利ではあるでしょうが、メンタルが強いだけでバカだったり自分勝手だったりする人はけっこうはた迷惑な存在ですから、かえって排斥されてしまうこともあります。
* * *
……ということで概ねよいと思うのですが。
強いて言うなら、一つだけ気になる点があります。あくまで強いて言うならですが。
明るいハッピーエンド志向の物語を作る場合でも、ある程度主人公を苦しませるパートがあった方が面白くなるという創作上のテクニックはあります。
その程度にキャラクターが苦しむのを見るのも、けっこう辛いでしょうか?
そのくらいの範囲内で主人公を苦しめるということには、慣れた方がいいとは思います。
ただ、そういうテクニックは明るい作品にもけっこう盛り込まれているはずなので、ことさら鬱展開寄りの作品を読まなくても習得できるとも思います。
それと昨今の傾向として、なろう小説などでは主人公が一切苦境に立たない作風が受けているという話もあります。そのあたりのことについては、どのようにお考えでしょうか?