書いてみたら多少長くなりまして、結論から申し上げると、「不安は置いといて、プロットと設定をもっと具体化してから考えたほうがいい」です。
以下、そのことを多少説明してみようと思います。
1.その3要素は、もしかしてたった1つかも
三拍子そろったダメ人間って、例えば昔は「飲む(酒)打つ(ギャンブル)買う(買春)」を好む人を非難する表現がありました。それぞれ独立した要素です。根っこには「欲望に負けやすい、だらしなさ」があります。一方、スレ主さんが構想される主人公の3つの特徴は、独立した要素でしょうか?
> 「陰キャ」「コミュ障」「オタク」と三拍子そろった人物
例えば、オタク属性が主人公の根っこだとすると、(大多数の非オタクから見て)コミュ障、陰キャは引き出せます。話しが通じにくいからコミュ障と呼ばれ、そのために周囲と没交渉になっていくと陰キャに見えても来ます。この場合、コミュ障、陰キャは従属要素であり、実は三拍子ではなくなります。
コミュ障属性が根っこだとすると、周囲に働き掛けないことから陰キャ、孤独なことから一人でできる趣味に没頭してオタク、ともできます。陰キャ属性も同様で、コミュ障と重なる部分も大きい概念です。いずれも、三拍子そろったようでいて、実は1つしかありません。
2.現実でも誤解されやすい人はいる
「陰キャ」「コミュ障」「オタク」が主人公の表層的な現象で、その根っこがあるケースもあるでしょう。例えば現実に「ソリタリー」という性格分類があります。簡潔大雑把に言えば「一人でいる時間が必要不可欠な人」です。たいてい、他人と交わるのは嫌ではなく、普通に一緒に遊んで楽しめはする。
しかし、同時に疲れてしまう。面白いけれど、安らぎではないわけですね(サッカーを休憩なしに延々やってるみたい感じかもしれない)。そのため、一人の時間を作らないと疲れ果ててしまう。それが根っこにあれば、次第に「陰キャ」「コミュ障」「オタク」という印象を持たれてしまうこともあるでしょう。
3.取っ払うためだけの肩書属性になっていないか
「陰キャ」「コミュ障」「オタク」に話を戻しまして、その3つはセットにしやすいキャラクター性格・特徴です。けれども、セットにしやすいのは、多少極端に言えば「同じことを言い換えているだけ」だからです。
でも、おそらくは「陰キャ」「コミュ障」「オタク」は主人公の根っこではないでしょう。なぜなら、
> 最後はしっかりと真人間になる
というラストを作るための、いわば下げ要素だから。もちろん、「陰キャ」「コミュ障」「オタク」を主人公自らが悩み、克服しようとするドラマも悪くありません。しかし、主人公の結末が「真人間」なんですよね。つまり、スタート時点で主人公は「真人間」ではない。
「真人間」という言葉は非常に気になります。例えば、「陰キャ」「コミュ障」「オタク」はまともではないという安易な固定観念を利用したもののように感じられます。つまり安易なキャラ設定。「陰キャ」「コミュ障」「オタク」という肩書さえあれば、ダメ出しできるはずだ、みたいなことです。
4.排除予定の属性では話が作りにくい
これでは、序盤で主人公のキャラが立たず、引き込む要素が作りにくい。しかし、出だしから主人公を目立たせて、ツカミを作らないと読んでもらえません。
すると、主人公をダメな点を強調する序盤にしがちです。ですが、のっけから「こんな嫌な主人公なんですよ」と見せつけられて、引き込まれるか。読者はラストを知らずに読みますから「そういう嫌な奴の話が続くのか」と思います。ラストまでついてくる読者は少ないと予測すべきです。
これを作者視点で言えば、序盤の主人公はラストにおける主人公に対する、人工的なバカです。侮蔑すべき要素「陰キャ」「コミュ障」「オタク」を主人公に与えておいて、救ってやる、と言い換えてもいいでしょう。予定調和臭さや道徳臭さが出てしまいやすいパターンです。
5.それでも克己は王道的な不変の人気ジャンル
しかし自分自身を克服する物語は、成長物語としてよくあるものです。人気分野といってもいいくらいです。いろんな物語パターンがあると思いますが、1パターンだけ事例的に考えてみます。主人公の根っこが「オタク」、それもオタク趣味に没頭することだとしておきます。
主人公は最初、安定しています。オタク趣味を一人で楽しんでいて、特に不満はない。ただし密かに周囲との緊張を抱えているなど、ちょっと歪んではいる。
そこへ安定を崩す異変が起こります。主人公に何らかの義務(主人公のしたくないこと等)だったり、主人公と相反する性分のキャラが主人公の生活領域に入って来る(主人公が一目惚れするキャラだが、オタク嫌いだったとか)などです。
主人公は対症療法的に対処しようとする(表面上はオタク趣味を隠す等)。が、いずれもうまく行かない。次第に主人公の根っこ:オタク趣味の問題があらわになってくる。主人公が真に対決すべきものが見えてくるわけです。当然、あるいは仕方なく、主人公は己が根っこに立ち向かう。
たどり着いた解決策が、ヒロインとのカップル成立のためにはオタク趣味放棄、だと主人公が思い知ったとします。終盤なら二者択一の身を切る選択です。中盤なら、両立する方法を模索し始めたりします(いったん偽の解決が発生し、それが本当の克服すべき障害になったりすることも多い)。
6.設定とストーリーは不可分:どちらかだけ作るのは不可能
以上は、この場の思い付きのベタなものですので、曖昧だしつまらないし、といった点はご容赦ください。仮に上記のようにストーリーを進めると考えて、では主人公の設定は、と設定に戻ってきます。なぜなら、主人公の設定は物語を作り始めるきっかけになり得ますが、物語世界とストーリーを作っていく過程で、主人公もそれに沿うように作って行かないと齟齬をきたすからです。
主人公を極めてリアルにするか、それともかなりぶっ飛んだ、普通はいそうもないキャラにするかは、そこで決まってきます。リアルならリアルで、作中のリアルがどうなのか、が関わってきます。分かりやすい例で考えますと、高校生主人公が拳銃を所持しているとします。物語舞台が米国的なら、リアルにあり得る話になります。日本的だと、かなり特殊なキャラになります。
7.何の「オタク」かまで決めないと設定ではない
「オタク」でも何のオタクなのかで主人公の日常は変わりますよね。アニオタなら、よく知られた生態ということになるでしょう。非アニオタからすると、何の話をしているかは分けるけど、ウザい。ミリオタですと、しばしば話の内容が分からない。周囲のキャラの主人公に対する応対も違ってくるはずです。
アニオタだとして、リアルに寄せるなら主人公の行動は描きやすかったりします。主人公がアニオタ趣味を周囲に隠しているとして、知り合いらも見ている場所で、アニメキャラの欲しかったフィギュアがガシャポンにあるとします。主人公は知り合いらが行ってしまった後、こっそり戻って来てガシャポンを買おうとする。しかし必要な小銭がないのに気が付き、両替ができる場所を探しに行く、といった、いわゆる「あるあるネタ」でオタクぶりをアピールしやすいでしょう。
逆にぶっ飛んだアニオタって、なかなか描写しにくい。読者にぶっ飛んでることが伝わらないといけないですから。ミリオタだと、ぶっ飛んでいる描写は思いつけそうです。ミリオタ趣味が高じて、本物の武器(銃器、手榴弾等々)を持っているとか。
8.プロットレベルまで煮詰めるとどうすべきか見えてくる
こういうことはプロットレベルでストーリー進行やドラマ発生と絡めて決めないと、作り出せません。何のオタクなのかで主人公の行動様式も決まって来るし、個別のシーンでの行動、言動も変わって来るからです。冒頭のツカミも同様です。
そうしたことまで考え始めると、リアルすぎると嫌われるだろうか、とか、暗めの主人公は見切られるか、という不安は減じるはずです。もっとはっきり「これなら受けそう」「これでは魅力がない」と判断できるからです。
必要なのは、判断できるまで具体化することです。曖昧なものを曖昧なままどうにかしようと思っても、なんともなりません。