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タイトル:その他もろもろの疑問 投稿者: あまくさ

◎自由意志について。

>なにもしないでボンヤリしていたら私の選択は3(なにもしない)になってしまいませんか?
>逃げると決まっているなら、私は逃げるのだと思います。

ではなくて、自由意志を否定するとパラドックスが生じてしまうと言っているのです。

>私は「意志」も事象の一つだと思うので、

もちろん事象の一つです。意志や心も含めて、宇宙に存在するものはすべて事象でしょう。しかし、事象であるから自由ではないという根拠があるのでしょうか?
そもそも「自由」というのは「束縛」と対置する概念に過ぎません。物理法則に支配された事象の連鎖の中に、束縛という事象もあれば自由という事象もあるということです。

上の例で暴漢に襲われて逃げることが決定していたとしても、われわれにはその決定事項を知ることはできません。事象の連鎖の中にいるわれわれは、その連鎖の全貌を俯瞰することはできないからです。

暴漢に襲われたら、やはり逃げるでしょう? (または、戦うかもしれませんが)
その時われわれは危険を察知し、それを回避するために逃げるという選択をすることを決め、それを実行に移すというプロセスを行っていることは間違いありません。それは自由意志にほかなりません。
それが因果律の連鎖によって決定していたとしても、それを観測できるのはわれわれの空間の外から事象の連鎖を俯瞰できる存在だけです。

いわば四次元人の知覚と言えばイメージしやすいでしょうか?
本質的に三次元空間に生きるわれわれは四次元を知覚することはできないし、そもそも四次元なるものが実在するかどうかを立証することもできません。ただ、抽象的な思考実験として四次元というものをイメージしたり説明したりすることはできるんですね。

決定論も同じです。仮説としては説得力がありますが、実証はできません。

それよりも何よりも。

暴漢に襲われたら戦うか逃げるかするでしょう? それは生きのびるための努力ではないのでしょうか?
仮にそれを根性論と言うならば――私は根性論だとは思いませんが、根性論だと言うならそれでもけっこう。だとしたら、暴漢に襲われた時、根性がなければ死ぬことになるだろうというだけの話です。なので、死んでもかまわないなら、根性なんてなくてもいいということになります。

私が「諦められるなら別に努力しなくてもいい」と言うのは、どんな場合でも努力しないより努力する方がよいとは思っていないからです。しかし、「諦められないなら努力するしかないじゃん」とは思っています。
そして、努力という言葉は「闇雲に頑張る」という意味に受け取られかねないので、努力の方法には柔軟に考えて工夫するということも含め、多くの選択肢があるはずだと言っています。
しかし、必ず成果に結びつく選択肢があるはずだとは一言も言ったおぼえはありません。
どんなに努力しても挫折する時は挫折しますよ。しかし努力によって解決する可能性がどれほど少なくても、諦められないなら努力するしかないじゃないですか?

>「成果が得られる可能性のある努力の方法(選択肢)は必ず残されている」という前提で「努力するかしないか」と話されているのだと解釈していました。成果に必ずと付与したつもりではありませんでした。

「成果が得られる可能性のある努力の方法(選択肢)は必ず残されている」ですか。
可能性であれば、必ずあると言えてしまいますが?w

いえ、すみません。これは揚げ足取りですね。

いずれにしても、私の現実認識はいたってシンプルですよ。どんなに努力しても成果が得られない場合はあると考えています。
しかし、しかさんのご意見を拝見した限りではそこを誤解されているとしか思えないので、「必ずと言った覚えはない」と繰り返し強調しました。

>……しかしその現実を理解しておられる方に、重ねて「これしか道はないからやる(あるいはやらない)しかないよ」と言うのでしたら根性論に思えます。

論点がずれています。

「これしか道はない」から「やるしかない」ではなく、「本人がそうしたい」なら「やった方がよくない?」と言っているのです。諦めきれないというのは、そういうことでしょう?

繰り返しますが、私は本人がどうしたいかを基準にして意見を述べているのです。

「俺はこうしたい」
「じゃ、そうすればいいじゃん」
「でも、こういう理由でできないんだ」
「できないなら諦めるしかないだろ?」
「だけど諦めきれないんだ」

結局あんたは何がしたいんだよとなりませんか?
できないけどやりたいなら、努力するなり工夫するなりして、有るか無いか分からない選択肢でも探すしかないじゃないですか。

   *   *   *

>>「傷の舐めあいをしたい」と言われて「じゃあ、舐めあいをしましょう」でいいのかなと。

>私はいいと思います。心が求めることは健康な状態へ戻るのに必要だから求めるものですし。一見、建設的ではないように思えますが、心の求めるものを無理をしてこらえる方が疲弊するだけの無駄な努力ではないですか?
>まして今回はスレ主さんの建設的な思いからの要望だったのでなおさらです。

「一見、建設的ではないように思えますが」から「今回はスレ主さんの建設的な思いからの要望だったので」に飛躍しているのが、きわめて不可解です。
私の先の書き込みで述べたスレ主様の相談が小説の相談になっているという見解への疑問に近いですが、私にはこれが建設的だとは到底思えません。
しかさんが建設的だと考える理由を説明してください。

   *   *   *

>あまくささんの考えをまとめたものに関しては、おおむね異議ありです。
>しかしすでに自由意志のくだりで私の基本的な考え方は述べているので繰り返しになりますから、ここは省略させていただきます。

私がまとめとして述べた内容は、自由意志だけではないはずです。
おおむね意義ありと言いながら説明を省力してしまうのは不誠実ではないでしょうか?
あそこは簡潔にまとめたつもりなので反論は容易だと思います。どこに異議があるのかの説明を強く要求します。

   *   *   *

この際だから、しかさんの最初からの書き込みで少し不満に思ったけれどハッキリは言わなかったことを二つほど書いておきます。

>ここには作家になる夢を持った人が集まりますから、生まれや環境を努力で補えないことを認めたくない人が多いのかもしれません。

これ、けっこう失礼な言い方なんだけど、自覚されてます?

>私は最初の書き込みにあるようにほとんどの返信をひどいと感じたので、「悪意ではなくこのような感情から(私の思う)ひどい返信が寄せられたのではないか」という趣旨でした。

ほとんどの返信がひどいという前提ありきになっています。
そして、ひどい返信になったのは悪意だとは思いたくないので、ここに集まる人たちは現実を直視できずに夢を見ているのが原因なのだろうと認定してみた。
そういう趣旨になっていますよ。でもこれって、悪意ととるよりも人を馬鹿にしていますよね?

と言うと、私の曲解ということになるのでしょうか?
まあ、曲解と言われたら仕方がないですが、少なくとも私はそう感じてちょっと不愉快だったのは事実です。しかし、あの時はここまでは書かずに、

(再掲)
ちょっとちょっと(笑
なんだか、決めつけるような言い方をされますね?
(再掲、ここまで)

と、冗談めかして軽く書いたつもりです。察して頂けたのでしょうか?

それから、繰り返し使われている、

>返信のほとんどが私には体育会系の根性論に思えます。

別に根性論なら根性論でもいいのですが、そう認定する理由をあまり論理的に説明されていないのでは?
これは「レッテルはり」という、良くない手法です。

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