スプライト=聖杯ですね。
個人の意識とは、無意識の集合的無意識の球根に毛の生えたようなもので、『物語』とはこれの模倣である。
つまり、『聖杯』がちゃんと整って存在していれば、間違っていても、それを満たすことがありますが、
問題があれば、溢れ落ちる…
コミュニケーション能力を指摘する人間の多くが、この『聖杯』が人を『小馬鹿』にする事であり、こういったゲストな輩は『小馬鹿』にした物言いでないと言葉に反応せず、成長もない。
『サブカル蔑視』などは、この辺りにあるらしいことは、ラノベ作家になるにあたり当然の羞恥な知識で、今さら、と思う人もいるでしょうが復讐までに…
しかし、何も問題のないはずの『聖杯』もその構造自体に細かな穴が無数にあって『ヒモ』で出来た『ザル』みたいな魂の浄化器なのではないか、故に『泥』として死の記憶が溜まるという仮説があるみたいですが、皆さまはどう思いますか?
私が思うに、『龍』とはーー