簡単に言えば、「景気との逆張り」の具体例としてシェイクスピアの四大悲劇は不適当ではないかということが言いたかっただけです。ずいぶんといい加減なことを書いてくれるなあと思ったもので。
「イケイケ」のときに好まれるから四大悲劇が次々に書かれたわけではないでしょう。本当に「イケイケ」だった頃にはむしろ、その頃に書かれたハッピーエンドの『ヴェニスの商人』がウケただろうと思います。
むしろ、木下順二が述べているように「世の中が濁ってきて明るい見通しが持てなくなっている」のを感じ取ったからこそ、それを反映させた四大悲劇が書かれたと考えた方が自然ではないかと思います。別に名作を書こうとしたからではなく、そっちのほうが観客にウケるだろうという理由で。
おっしゃる通り、肝心なのは読者層の「気分」です。
第二次世界大戦で破壊されたパリの街で大爆笑を誘った『ゴドーを待ちながら』も、アメリカのマイアミビーチでは
不評でした。これも「気分」の違いといえるでしょう。
さて、挙げた具体例が適当ではなかったのですから、ラノベの傾向を景気と逆張りさせたほうがいいという主張には疑問符がつきます。たまたまこの10年間くらいにその傾向があったとしても、次の5年、10年がそうなるとは限らないでしょう。
それならば、「次に何がくるか」考えてあくせくするよりも、敢えて直球を投げた方が建設的なのかもしれません。
ここでいう「直球」とは、世界の在り方や自分の生き方といった、いつの時代でも考えざるをえない問題です。
ゲームの流行やSNSの感情的な言葉の断片ではなく、こういったものにほんの少しでも向き合わせてくれる要素を、ライトノベルの読者も本当は求めているのではないかと思います。
それを探し当てて作品として送り出すことで、作者が得るものも大きいのではないかと思います。