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タイトル:「創作は競争ではない」はどこまでが真実でどこからが嘘なんですか?の返信 投稿者: あざらし

そもそも”競争”というのは、他者と優劣を競うことです。
この一点に関して創作は競争ではないというのは、業種が違うので80%ぐらいとしますが真実です。
クリエイティブ系の職種に競争とか優劣って、あんまり関係ありません。強いていえば血気盛んな若輩時代に多少あるぐらいでしょうか。

人間は個々人が『興味のフィルター』を持っていると考えてみてください。
本が大好きで好奇心旺盛な人ほど”目の細かいフィルター”を持っていて、様々なジャンルの本をフィルターで引っかけます。
一方で全く本を読まない人は、フィルターと言うよりザル。流れてくる情報は引っかからずにどんどん素通りしていきます。

世が出版不況と呼ばれて久しいですが、これをフィルターに例えると『一般的にフィルターの目が粗くなっている』ということです。
米粒大じゃあフィルターに引っかからずに流されていくけれども、小豆大なら引っかかる人もいる、ということです。

米粒がいくら優劣を競ったところで意味はありません。
どうしたって米粒はフィルターに引っかからずに流れていくわけで、つまりは『読まれない』という事実です。
おまけに読者によってフィルターの目が違いますから、小豆大よりずっと大きくジャガイモサイズになる方がより多数に読まれるという意味で良いわけです。

はい。
米粒大の存在がジャガイモサイズになるか否か、これは本人次第です。
冒頭で書きました80%ぐらいの、残り20%がこれ。
大きくなるため、昨日の自分との競い合いです。
他者が介在する余地なんてなく、そんなヒマなことやってる場合じゃありません。

新人賞というのも同じ。
一次選考という目の細かいフィルターが、二次・三次と進むにつれてフィルターの目が荒くなっていく。要するに”世間のフィルター”に近づいていきます。
ラノベはあんまり聞きませんが、一般文芸だと『該当作なし』というのも珍しくありませんよね。
該当作なしというのは「残念! 今回はジャガイモがいなかった。どいつもこいつも小豆ばっか」ということです。

同時に、賞レースに引っかからずともフィルターに引っかかるというのもありますね。
『なんかコイツ、小ぶりだけどフィルターに引っかかる』パターン。
小さくつるんと丸くまとまっているのではなく、小ぶりでもウニみたいにトゲが引っかかって、すんなりとフィルターを通り抜けない。
ウニに限らず、ナマコでも、イカでも良いんですが、とにかく他者とは明確に異なる形状、個性を持っているとジャガイモほどのサイズがなくとも目にとまるものです。

これと似ていますが【プロの作家も最初は下手だった】というのは、下手は下手なりに『いずれ世に出る』という可能性でしょう。
最も大きく左右されるのはセンス。
センスについては、当人の職種とは異なる部分で磨かれていくものです。
デザイナーが他人のやったデザインでセンスを磨くなんてことをやっているうちは、間違いなく三流の作品しか作れません。
まったく違う業種に親しみ磨くのがセンスです。

出版社からすれば、デビューさせる時点で最低限「読むことができる」というレベルに持って行く必要があるでしょうし、そのレベルに達していないうちは書き直しがあるでしょう。
技術的なことは回数をこなせば誰だって身につきますから、その時点で著者本人にすれば『全くの最初』ではないはず。
デビュー作=全く最初の作品、というのは読者の錯誤だと思いますよ。

最後になりますが、ここからは全くの余談。
ちょっと関係する話ですのであえて書きますが、クリエイターが同業種他者の素晴らしい作品を観て『悔しい!』って思うのは普通です。
これが競争でないというのは、悔しいと思う全て自分の内側に向かってくるからです。他者との比較じゃないんですね。

こういう職種は、たぶん結構あると思いますよ。
例えば、飲食店だって『よその店と比較して、うちの店はどうか?』なんて熱心に追求しても仕方ないでしょ?
少なくとも私はそんな店より、他店との比較ではなく、自店が提供できる料理を美味しくすることを熱心に追求する店を信用しますし、行きたいです。

競争、比較というものに思考が向いてしまうのは、有り体にいえば学校教育の副作用かと思います。
高校までの学校教育、教育機関によっては大学も含めて、優れたプロレタリアートを作り上げるシステムにもなっていますから仕方ありません。
これは決して悪いことじゃありません。
多くの親御さんの人生での価値観が、安定した大きな会社という、俗にいう一流企業で賃金労働者階級になること、あわよくば役員になってくれればですから、教育システムもそれに併せられています。
枝葉を除いてひとことでいえば”競争社会”ですから、大義名分として『みんな平等』という価値観が加えられていますが、実質は学校教育そのものが競争です。
代表格が100点満点から減点方式での評価という、実にプロレタリアート的な手法ですね。

一方でクリエイティブ系の評価の本質は、0点からの加点方式です。
要するに200点でも300点でもありえるが、しかしマイナス加点もありえます。
プロレタリアートにとって下手すれば邪魔になりかねない、他者とは異なる唯一無二の売りどころこそが生き残る手段です。
学校教育で培った思考のベクトルからして変化させるほうが、余計な雑音が減り、真摯に向き合えるのではないかと思います。
ではでは執筆頑張ってください。

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