肉体的な意味ではなく、精神論という意味での、かなり個人的な回答になるので、かなりキモイかと思いますが、ご容赦を。(笑
僕も物語の中で、どこまで男女の肉体的接触を描写するのかは悩むことがあるんですが、着地点を書けていたなら、それほど「処女性」というものにこだわらなくてもいい気がします。
行き違い、すれ違い、ぶつかり合いを経て、最後に行き着く描写が、「指先を重ねる」、「抱き合う」、「キスをする」、「性的行為を持つ」のどれになるかは、作風や狙う読者層によりますし、あえて詳しい描写をしない方が、却ってコアなエロい小説を読む方に刺さることもあるかと思います。
で、はらわたさんが気にされている、「処女性を削れば」の部分ですが、一概に「失う」「奪う」とだけ捉える必要はないのではないでしょうか。
そういう言い方だと、「無くしたら終わり」みたいなイメージですが、そうでもなく「得る」ものもあると思うこともあります。
恋愛ではなく、芸という分野の話ですが、「五十歳を過ぎてなお、残った花があるのなら、それこそが真の花」というものがあるそうです。
若さのもつ移ろいやすい一時の花ではなく、しっかりとした芯のある花を見たいというのは、たくさんの人が持つ欲求ではないでしょうか。
そういう意味では、ヒロインが性体験をどこまで持ったのか、というより、それを経て、今、どういう価値観を持っているか、どういう立ち位置を選んでいるのか、でよりキャラクターに深みが出る可能性もあります。
そのキャラクター像をどうするかは、「読者の方のニーズに合わせるか」「書き手のやりたいようにやるか」で違いが出るかと思いますが、そこはご自身が理解していれば大きな問題でもない感じがしたり。
そういう理由で、「処女性」はその前後の書き方、演出でどうにでもなるので、ちゃんとキャラクターの着地点が描かれていれば愛想が尽きることはないの……かなあというのが個人的な意見です。
まだ、よく分かっていない部分が多いので、いろんな方の意見も聞いてみたいところですね。
大分、僕自身の主張も入っているので、「へー、イタイこと言ってんな(笑)」ていどに受け取っていただければ。