ラ研でまで先生とか呼ばれると思わんかったわ(笑)
さて。
感想ってのは個々人のものなので、それはそれで良いと思いますし読むせんさんの意見も尊重しつつ私の感想を。
読解力不要だと感じた理由ですが、最も大きいのはお父さん(オオカミ)が記号的であること。
記憶頼りですが、情報としてあるのは運送だか引っ越しの仕事をしていて、焼き鳥が好き。とこんな感じ。
本来、あのストーリー進行だと全ての発端、川の源流、キーパーソンであるオオカミ父さんにもっと掘り下げられていても然るべきだと思うんです。
なにせ、お母さんである花とお父さんが出会う部分から物語が始まります。
ところが、このお父さんオオカミの描き方がひどくアッサリしている。
それどころか、いったいお父さんはどういった生涯を送ってきたのか? という人物の深みがズッパリと切り取られています。
実際、同じ細田守監督が原案を勉めている【サマーウォーズ】でのキーパーソン、お婆ちゃんはなんとなく浮かぶものがありますよね。直接的にセリフとして政治家だとか実業家に影響力のある発言ができるというシーンもありますが、それがなくとも土佐弁で”はちきん”と表されるタイプの女性であることは読み取れます。
こっちは脚本として参加がないので、どこまでかは不明ですが、少なくとも描けない監督ではない。
で、計算を感じるところですが、まず思い出して頂きたいのは冒頭、娘の雪が『これは私の母の物語』という独白で始まりますよね。この独白はラストまでちょくちょくと挟まれます。
物語の語り部が娘の雪で、だから雪の記憶にない部分は全て(母の)伝聞で知った情報を組み立てているという図式、大前提、監督から演出のお断りが最初にありますよね。
ほぼほぼ作中で「ん?」と感じてしまうことの答えをズバーンと冒頭で提出している。
象徴的なこととして、お父さんオオカミの死が、ものすごくあっさりしていますが、あれは母から雪が聞いた出来事だからでしょう。
お母さんである花がとても辛い出来事である伴侶の死を娘に伝える、常識的に教えておく必要がある父親の存在と、なぜ死んでしまったかとしてはあれが精一杯でしょう。(てか、清掃車に連れていかれた、ってのは父親の遺灰すらない説明として必要はあるけど、辛いよね)
この物語での本当に強烈なスポットを当てるべき人物は、お母さんである花、それと雨と雪です。
映画ではどうなっているかというと『花>雪>雨>お父さん』
子育てをする花というシングルマザーの話を、子供の雪が聞いた、という形ですね。
雪が大きくなって以降は(つまり雪の目を通したできごと)美しく楽しい思い出が多く、ショックなことは忘れようのない大きな出来事だけが残っています。
要するに”記憶”ですね。(中学入学以降の雪が過去を振り返っての)
少なくとも雪はとても幸せな毎日を過ごしていたということでしょう。
おとうさんオオカミの人物について掘り下げると、スポットライトの効果が大衆映画的には散漫になる。一方でおとうさんオオカミの掘り下げを行ったとすると深みは出たと思う。
つまり、ここまでオオカミ父さんを記号的な立場にまでしたのは、かなり度胸がいったと思うんです。
これが計算を感じたあたりです。
当然ながら違った見方を否定なんてしません。
参考になれば幸い。
サイコが怖かった、ホラー・サスペンスとしては褒め言葉だと思いますので、ついでに毛色を変えて一本。
なーんも残らない、観ている時はメチャクチャ面白い映画として【ジェームズ・ウォン監督:ファイナル・デスティネーション】
ひょっとして勧めたことがあるかも知れませんが、シリーズになっていますし、どれも一定の水準は保ってますのでしばらくは楽しめるはず。