はじめまして。
ライトノベル
の公募で行き詰まってきた者です。
自分の作風が原因で公募の二次選考を落ちたことがあります。
自分の作風は、ライトノベルなのに、暗い。主人公が不幸。
主人公が20代。
萌要素なし。萌嫌い。ハーレム嫌い。
また、主人公を悪に走らせることが最近増えてきており。明るく健全なライトノベルから遠のいてきました。
ライト文芸、一般文芸を目指すべきでしょうか。文章は、ライトノベル風の文章が得意なので、一般文芸はちょっと……と思っているのですが。
書きたいものは、どろどろとした感情や、人間の汚いことを書きたいです。ファンタジー
で。
ラノベ
でいちばん間口の広いレーベルっていうと電撃しか思い浮かばないです……
描きたいものがはっきりしているってそれはいいことだと思いますけどね。
ちょっとジャンルが逸れますが、漫画では編集に「暗い話を描ける人が明るい話を描く」のを求められている、と聞いたことがあります。今の作風が暗いということなら、少し捻りを加えるくらいでなんとか体裁が整うかもしれませんよ。
カテゴリー : その他 スレッド: 一般文芸、ライトノベル、ライト文芸どこを目指すか
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以前相談させて頂いた悪役はお飾りの首領にそれなりに大物っぽい奴を設けているとしたのですが、この「お飾り首領」についてです。
不穏すぎるスレタイからもわかる通り、真ラスボスが道化役である人物と割れた後、彼自身は真ラスボスによって梯子を外され、終盤真ラスボスにせめて一矢報いようと再起するまでメインのストーリー
ラインの傍らで転落劇を演じているという方向で考えております。
武人気質で主人公サイドとは正面から戦ってきた正統派悪役というのがどんな風に落ちぶれていたら衝撃的であるか。
自分はなかなか悪趣味なつもりでしたが、いざ自分のキャラにやろうとするとどうにもつめが甘くなりがちで、いまいちパンチが弱くなってしまうなと実感します。
キャラクター
の印象を云々するだけの事であり、ストーリーに対する重要度事態はそれ程高くはないのですが、せめて真ラスボスとはまた違ったベクトルで印象的なものにはしたいと思っております。
何かご意見頂けたら幸いです。
以前から思ってたんですけれど、私から見ると真ラスボスがダイの大冒険のキルバーン(性格悪い道化で最後の敵)と大魔王バーン(圧倒的な威厳を持つ実質的なラスボス)の中間くらいに感じられるんですよね。で、お飾り首領のほうがバーンとハドラー(元魔王→バーン配下の魔軍司令)の中間くらいに思えて、ハドラーは序盤は小物臭もあったりしたんだけど一部の配下には慕われてたし、死にざまもカッコよかった。成長する悪役として描かれていました。
なので、このお飾り首領ってのは主人公サイドとは長い付き合いになるので、死に際に主人公側と少し心が通じ合うような描写があるといいんじゃないかと思ってます。
あとはジョジョのポルナレフがエンヤ婆を始末した刺客に対して「俺はエンヤ婆に関しては妹のこともあって(お互い肉親を殺された仇同士のため)複雑な気分だが、てめーは殺す」とか言っていたので、お飾り首領の末路をしっかり無惨に描くことも大事だけれど、それに対する主人公たちのリアクション、「敵なんだけど同情の余地がある」というところを押さえておくのが大事なんじゃないかと思ってます。
カテゴリー : キャラクター スレッド: 良い「尊厳破壊」とは
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こんな場所でこんなことを聞くのは無粋かもしれませんが、でもライトノベル
にもエロ表現はあるので質問しようと思います。
具体的な作品を挙げたくはないので省きますが、直接裸が描かれていないのに「エロい」と評される作品というのもあるじゃないですか。
個人的にはそうしたエロさとは何かしらの背景が想像されることを指すのだと考えています。読者、視聴者の人々はエロというものをまず視覚や、周囲からの伝聞によって知り、内部で一定の先入観のようなものを形成し、その先入観と合致するものが視覚情報として直接見ることのできる以外の場所に察せられる場合にそれを「エロい」と感じるのだと思います。例えば「部屋を出る前と後とで服の着方が違う」みたいな話ですけど。
自分としては上の例よりかはもっと内面的で、それでいて美しさと足並みがそろっている、そういうものを書きたいのですが、どうしても差別だとか、憎しみだとか、そういう暗い、世紀末的な内容を媒介することしかできないでいます。そうしたストレートな暗さというよりは、日常とのギャップ、物語の流れとの違和感といった、もう少し穏やかなものにとどめることを自分は求めているようでなりません。この「エロさ」を場面に即してどのように表現するのか、その具体的な方法があれば教えてください。
余談ですけど、このほかにもエロいって表現は見かけますが、大方これらの類推だと思います。「弾幕はエロい」「タガログ語はエロい」みたいな。
「萌えは精神的な勃起」ソースはBSアニメ夜話、岡田斗司夫氏の発言。確かカードキャプターさくらの回だった気がする。
あと、いっとき「エモい」って言葉が流行ったような。「エモーショナルなエロさ」を差して使われた気がする。
「感動ポルノ」っていう言葉も聞きますかね。このへんのキーワードでググるとなんかわかるかもしれませんよ。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 文章や漫画等の「エロさ」について研究した資料を教えてください。
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私は元々地に足の着いた強さの主人公達が途方もない強さのモンスターに四苦八苦しながら戦う、というコンセプトで作品を作っていました。
しかし最近のなろう系の最強主人公達やスケールのインフレしたSF作品を見ているうちに「こんな奴に負けたくない」「強さに説得力を持たせないと」とどんどん話のスケールや主人公の強さが膨らんでいってしまい、話が破綻してしまっています。
しかし「鬼滅の刃」や「モンスターハンター」を指して「○○太郎様なら鬼や古龍なんて瞬殺ww」などと言えば「キモイ」の一言で追い返されてしまうでしょう。ゴブリンスレイヤーなんて弱い所に魅力があります。実際ちゃんとした作品は他作品との比較などされず作品内でちゃんと敵の脅威や世界観の大きさを表現できています。
実際クロスオーバーされた場合でも、例えばスーパーロボット大戦で原作では街一つの中でウダウダやっているビッグオーが惑星間規模の戦いをするクアンタよりもダメージを稼いでも誰も文句は言いません。
そういう風に考えたいのですが、どうしても「この敵も主人公も○○の主人公や敵なら楽に倒せるだろうなあ」という考えが頭によぎり、どうしても主人公や世界観を、自分の想像力の及ばないところまで広げてしまいます。
こういう風に、他作品と自分の作品のスペックを比べてしまう癖がついたらどうすればいいでしょうか?同じような症状をお持ちの方、昔は持っていた方は少なくない筈です。そういった方はどうやって克服したのでしょうか?
……某ロボットもののTRPGのルールブックに「イメージソースになっている作品群を挙げて『○○のほうが強い』などと言い争いをしないように」というマナー講義があるんですけど、そんな深刻に起こることなのかなぁって思ってたら本当にそういうことがあるんですね……
スーパーロボット大戦は詳しくありませんが、あれはクロスオーバーそのものに意義があってかつ大変な労力が費やされているので、ファンが空気読んで野次を飛ばさないようにしているんだと思いますが。実際には作品によっては冷遇されている(キャラやロボット単体より作品そのものが)、ということがあるらしいので、スレ主さんの言ってることがどこまでファンの皆さんの共通認識かはわからないです(逆に原作で不遇なキャラが優遇されているらしい、との話も聞きますが……)。
ロボットものは好きだけれどそういうのを気にするまでのマニアではない身としては、作品単体で見た時の統一感がとれてないのはなんか嫌ですかね。ただしスパロボレベルの大規模クロスオーバーに巻き込まれたら、それはもう気にせず楽しもうよと思うほかないです。クロスオーバーってのはお祭り企画なもんですから。
ちなみに、原作ありのノベライズやコミカライズを担当したことのある知人に聞くと「ageはありでもsageはなし。ファンを裏切らないようにするにはそれが当たり前の世界」……だそうです。だから、お祭り企画によそ見をして目を奪われていないで、自作単体だけを見た時に完成度を高めることに集中するほかないのでは……と思います。
カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 最強厨になってしまう
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