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サタンさんの返信一覧。最新の投稿順4ページ目

元記事:セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信

 例えるなら釣ですかね。「読まなくても内容が分かる」つまりテンプレの段階は魚が食いついたけど、まだとれていない状態で、釣り上げるには設定とかの好みに合わせることが必要。だから1ページでも読んでもらって好みが合致しているか確認してもらう段階を作れる「読まなくても内容が分かる」というところのすごさ、みたいなところですかね。
 「読まなくても内容が分かる」ってのはテンプレの流れで決まったことしか書かないということで、そこを崩すけど成立させる、ってのはちょっと矛盾があって無理な技術ですよね。それで成立したらそれが新たなテンプレになってますよね。

 漫画アニメの武器って展開速度の速さだと思うんですよね。でもそこを小説が目指すと出来上がるのは漫画アニメの劣化版で、だから小説の武器を推さないと劣化版にしかならないんですね。あと水を差すなんてとんでもないです。それが欲しかったのでありがたいことです。

 セリフと地の文の比率についてですが、セリフは短い文でも確実に存在感が出る、という所が地の文との決定的な差だと思います。セリフは短い時間で存在感を伝えられるから、1:1は極端にしてもそこの比率を工夫することで展開の速度をコントロールできそうです。その結果小説の武器を捨てることになったら元も子もないですけど。それにただセリフだけ、地の文だけでストーリーが実質進んでいないというのも避けるべきところだと思います。
 全部セリフでも何でもいいんですけど、やりたいのは展開の速度をコントロールすることです。

上記の回答(セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信)

投稿者 サタン : 0 投稿日時:

>全部セリフでも何でもいいんですけど、やりたいのは展開の速度をコントロールすることです。
あぁ、わかった。そういうことか。展開の速度をコントロールって意味では、言ってしまえば前のスレッドの「情報量が多いが短い文はスピード感のある文?」から話は続いてるのね。

うーん……
スレッドが違うけど前スレの「情報量の多い・少ない」を絡めて答えると、
演出の一つとして結果的にそういう効果はあるし、意図してすることもあるけれど、でもそれは「文字が少ないからスピード感がある」というわけではなく、逆も然り。
例えばダラダラした戦闘を書いてしまったなと思って、じゃあ改行多めに短く余白が多いページに書き直したところで、その戦闘シーンがスピード感出るかっていうと出ない。スッカスカな戦闘シーンって言われるのがオチ。
ただ、現実問題として「1ページを読む速度」は明らか違うし情報の濃淡は目に見えるから、何らかの演出で意識することはあるし、スピード感を出すにおいても意識はする。

けど、前述した通り「短けりゃ・情報量少なければスピード感がある」ってわけじゃないから、じゃあどうすればスピード感出るんだろうって考えると、
そもそも「展開が早い」って言葉は文章量が少ないことを指してるわけじゃないよね?
一つの展開が始まって終わって次の展開が始まる、そのスパンが短いことを指してる。強いては読者の理解が追い付く前に次の展開へ行ってしまうことにもなりかねない事だけども。
これを一つの展開からその中のワンシーン(戦闘シーン)に落とし込むと、これは「アクションが早い」に言い換えられるんじゃないかと考えてる。
つまり、文章や情報の量の如何によらず、アクションからアクションへの流れが止まるような事が無ければ、そしてそれが連続していれば、スピード感のあるワンシーンになってると思う。

例えば、敵と対していて剣で切りつけるってシーンでは、文章を短くするだけだと、下手するとこうなる。
 主人公は剣を構えた。
 切っ先を真正面の敵に向ける。
 柄を握る右手は軽く、逆に踏み込む脚に力を込めて剣を振りかぶった。
 敵にとっては一瞬だったろう。
 剣は右肩から入って左に抜ける。
 主人公の剣には返り血もつかないほど鋭い一閃だった。
これ、スピード感ないっていうか、逆にスローじゃない?
これがなぜスローかっていうと、「剣で敵を切りつける」ってただそれだけの事を6行もかけて書いてるから。
スピード感を出したいならこの逆をすべきだから、
つまり、「剣で切りつける」「切りつけたあとどうなる」「それを切っ掛けに次の事が起こる」って感じで、アクションの連続で畳みかけてやるのが大事だと思う。
それで言えば「剣を構える」も「切っ先を敵に向ける」もアクションなんだけど、「何をしたら次に進むか?」というのが物語の流れの中にはあって、特に説明も前振りもなければ戦闘シーンにおいては「敵が出れば敵を倒すこと」「剣を構えたらそれを振るうこと」が「次」になるから、「敵を倒すまで」「剣を振るうまで」が長いと、短い文章の連続でもそれはスローに感じてしまう。
「展開」で言えば、「いつまでたっても次の展開に進まない」っていう状態と同じ事になってる。
その「次」はどう考えたらいいのかっていうと、
それはもう単純にその場面その文章で読者の興味がどこに向くかってのを考えるしかない。
例えば「主人公は剣を抜いた」って書いたら「その剣でどうするのか」に興味が向く。
興味っていうか、単に「はじまり」があれば「おわり」が気になるよねって程度の話ね。
一方で「主人公は剣を抜いたが、敵を切れなかった」と書いたら、「敵の反応」に興味が向くでしょ。
この場合、「剣を抜いた」「敵を切れなかった」と書くのと、「剣を抜いたが敵を切れなかった」と書くのでは、今回のスレッドの主旨においてスレ主さんの言う「スピード感」は違うのではないか、と思う。
もし、この回答にピンと来るものがあるのであれば、少なくとも私はそうやってコントロールしているよ、という感じ。

結論として、文章を短くすりゃスピード感が出るってわけじゃない。
「アクション」の連続、ないし「次」への切り替えに流れがあってスムーズなことが大事だと思う。
そして、その流れというのは言ってしまえば物語の流れなので、地の文だろうとセリフだろうとストーリーは進められるし、そこについてもつまりは「何をしたら次の展開に進むか」を考えられていれば、展開の展開するスピード感もストーリー進行のコントロールも自在に出来ると思う。

確かにセリフには地の文より存在感があるけども、少なくとも書いているものは物語であって自分の仕事はストーリーを進めることなので、地の文だけでもセリフだけでもそれは出来ると思うため、だから私にはその比率の話にピンとこないのかもしれないです。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画

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元記事:セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信

 共有したかったことはそれです。「展開の速度」という観点に立つと、主題からかけ離れたところまで書くとか、そういったところを克服すれば映像と同じ土俵に乗れる、というかそもそも既に乗っているんですね。映像は膨大な情報量の中から表現したいことに注目させ、小説は主題が伝わるように書く。

 決定的な違い→能動的/受動的
 確かに、これは超えられない壁ですよね。ちょっと曲解するなら「自分の意志じゃないのにページをめくってしまう」というところまで持っていけたら、ある意味受動的ではないでしょうか。でもさすがに曲解すぎますね。
 漫画の方が近いというのは納得しました。

 流し読みとか適当読みとかは絶対避けたいですけど、中身空っぽじゃなくて技術があったら、むしろ漫画の様な小説ってどうですか。
 しっかりとしたアクション/リアクションの連鎖があって、小説の優位性である「登場人物の心の中に入れる」があったら割といけると思います。
 とはいえセリフ対地の文1:1は極端ですけどね。

上記の回答(セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信)

投稿者 サタン : 1 投稿日時:

>流し読みとか適当読みとかは絶対避けたいですけど、中身空っぽじゃなくて技術があったら、むしろ漫画の様な小説ってどうですか。
あえて「中身空っぽ」ってあまり良く思われないような言い方をしたけども、というのも実際そう言われるような作品に多いからで、そんな作品が何故人気なのか、なぜ自分も読んでられるのかって考えた結果の回答だからなんだけども、
でも、別に蔑むような感情からそう書いたわけではなくて、
そもそも流し読みや読み飛ばしても内容把握できるって、つまり「読まなくても内容がわかる」って実は結構凄い事なんじゃないかって思ってます。
読者が頭空っぽにして、スマホをスクロールする親指が惰性で動いてるだけ(=受動的)で読んでいるなら、それは暇つぶしにYoutube動画を見てる状態と変わらないだろうな、とは思います。
でもこの解釈のポイントは「読まなくても内容がわかる」ってところだから、ストーリーが動く要所を明確にして作者が意図的に「読んでほしい要所」と「読み飛ばしてもいい装飾部分」を書き分けたり、まあ、現状そこまで考えてる作者さんはいないと思うけど、現状からもう一歩踏み込もうと思ったら一気に難しくなると思います。
現状の「中身空っぽ」は、大したことしてないし良くある異世界テンプレに沿った王道だし、その流れだなと確認できる程度の流し読みで把握できるので、だから「読まなくても内容がわかる」が成立してるだけだと思うので。
なので、そこを変えたら成立しなくなるため、成立させつつ一歩踏み込むとなるとまた別のアイディアが必要になってくるからかなり難しいと思います。
今は「中身空っぽ」でありながら設定が好みに合えば読んでられるという程度で、まだ技術には昇華できてないし、少なくとも私には技術に押し上げるだけのアイディアはないから分析以上のことは出来ないし、たぶんコレはここまでで技術にはならんかなと思ってます。

また、「アニメや漫画のような小説としてライトノベルを書く」という挑戦をした作家は過去にいて、「サクラ大戦」なんかで有名になった あかほりさとる という作家は凄い数のタイトルを手掛けてきたけど、その中のラノベはほぼ全てが、曰く「アニメや漫画を見るような感覚で読めるよう書いた」と答えています。
もう20年くらい前の作品で、当時の感覚と当時の技術なので、今になって何も知らない人が読んだら「これのどこが? てか文章力クソすぎ」ってなると思うけど、少なくとも挑戦した人はいて、それは当時の大物作家で、スレ主さんとは違う角度からの切り込みだったと思います。

セリフと地の文の比率の話はよくわからないけども、そんなにセリフと地の文で差を感じるのだったら一人称で全部主人公のセリフにしてしまえばいいじゃない、と思います。
その先駆者が『スレイヤーズ』の神坂一で、彼は一人称という技法を崩しまくってほぼ主人公の独白で周囲の状況やストーリーを描写し、それまでの一人称とは別物の「ライトノベルの一人称」を作ったと言ってもいい感じの人です。

>映像と同じ土俵に乗れる、というかそもそも既に乗っているんですね。
「表現方法が違う」だけで、つまり表現するための道具が違うだけで、同じ土俵というか、別に小説が漫画アニメより劣ってるということはないですよ。
道具が違うからこそアニメや漫画の表現が小説には出来ないけれど、絵も音もないからこそ、小説は文字だけで勝負できて、
アニメや漫画が持ってる武器を小説は持ってないから劣ってる、アニメや漫画と同じ武器を持つにはどうしたらいいのかって考える人は結構いる感じはあるけど、
武器の違いを理解してないから優劣でものを見てるんだと思う。
そこを目指すと小説としての武器を捨てることになるので、そんなにアニメや漫画と同じ武器を持ちたいならアニメ・漫画原作で頑張ればってなっちゃう。
少なくとも私は、かつて あかほりさとる を読んでそう思った。
アニメや漫画のような読書感を目指しましたって、聞こえはいいけど、いやコレ話は面白いんだから漫画にしてよ、って。まあ あかほりさとる 原作はだいたい漫画化アニメ化されてるんだけども。

小説としての、というか自分が持ってる作家としての武器をちゃんと確認したほうがいいと思うかな。
>小説の優位性である「登場人物の心の中に入れる」があったら割といけると思います。
いけるいけないで言ったら、たぶんいけると私も思います。
あかほりさとる とは違う方向性で一歩先へいけないことは無いと思う。
けど、行った先で待ってるのは、ほぼ間違いなく当時の私と同じ反応で「なら漫画描けよ」になると思う。
読者にとって、我々が小説を書いてるとか漫画描いてるとか、漫画的な小説を書くために頑張ったんだとか、そんなん関係ないんですよね。
出来上がるのは、読者にとっては「質の悪い小説」か、「漫画未満で絵描きを捕まえられなかった漫画原作のリメイク作品」ってとこで、水差しちゃって申し訳ないけども、その方向性は時間を無駄にするから目指さないほうがいいと思うよ。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画

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元記事:セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画

 小説は状況描写をやり過ぎると展開が遅くなって退屈になりますよね。
 一方、動画は2次元で表現するので、状況描写が小説の数千倍は速いですよね。動画の優位性は、状況描写が速い分、展開をたたみかけられるところにあると思います。
 ですが、動画は状況描写が優れているといっても、すべての情報に意味があるとは限らないと思います。
 例えば「普通の町並み」を動画で表現したら、赤色屋根の家があって、黄色屋根の家があって、家がずらっと並んでいて、電柱があって、止まれの標識があって、カラスが居て、閑静で、山があって、太陽があって、そして普通の町並みで友達と話す主人公、話し相手の表情……という感じで膨大な情報量を一瞬で表現できると思います。でもそこで表現したいのは「普通の町並み」が主題です。
 セリフ対地の文1:1は主題だけ、もしくは焦点だけ状況描写して展開を進めていると思います。
 だから状況描写を主題か焦点に絞り、地の文を削る。できれば地の文でも展開を進める。そして、セリフの方も展開を進めるものにしたら、ほぼ動画という認識です。

上記の回答(セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信)

投稿者 サタン : 1 投稿日時:

描写と説明がごっちゃになってる。
映像は映像で情報量が多いからこそ大変で、その情報量が多い中どこに注目させるか、つまりどうやって「普通の街並みを描写するか」って技術が必要になってくる。
視聴者側はそんなこと考える必要はないので完成品を見てるだけだと「適当に街並みのカットを流してる」と思いがちだけど、制作側にしたらそんな簡単な話じゃない。
そしてそれは情報の出し方・表現の仕方が違うだけで、小説も同じ。

「普通の街並み」の画のカットを映してるだけだとこれは「映像で説明してる」って状態で、描写してるとは言い切れない。
じゃあ何が描写かというと、描写したいものに注目してそれをどう表現するかの工夫に依ってくる。
つまり、スレ主さんが言う
>焦点だけ状況描写して展開を進めていると思います。
>状況描写を主題か焦点に絞り
これをやってる。
映像は情報量が多いからいいよね、じゃなくて、映像でも同じことをやってて、ただ映像は情報が多いしパッと見で映像の意図まで理屈で理解するような下手な映像表現はしてないから、見てるだけだと「普通の街並みを流してるだけ」に見えてるってだけ。
>でもそこで表現したいのは「普通の町並み」が主題です。
ただの適当な例だと思うけども、そもそも「普通の町並み」を主題にして表現したい場面ってのが、『always三丁目の夕日』というか「その普通の町並みを舞台にしてる人情話」って物語でないとそんなに無くて、
ラノベ的エンタメで言うと例えば「そんな普通の町並みに潜む悪意」とか、この場合「潜む悪意」のほうを描写すべきで、前座の「普通の町並み」は軽く説明で流しちゃうってのもあると思う。
「普通の町並み」が「どう普通なのか」とか書く必要はないので。
これもスレ主さんが言うところの「状況描写を主題か焦点に絞り」って話ですよね。

映像と文章では表現方法が違うから、同じく「普通の街並み」を小説で表現する場合、その普通の街の外観を説明するのではなく、「普通の街並みにありそうな場面を短く書いていく」とか、伝わりにくいかもしれんけど、その場の「空気感」を書いていくって考えたほうがいいと思う。
「普通の町並み」をシーンの主題にするなら、「どう普通なのか」を書かなきゃいけないから、登場人物の母親が世間話をしていたりとか、そこに近所で有名な野良猫を登場させたりとか。
でも、「そんな普通の町並みで生活してる主人公」が主題であるなら、むしろその場面は普通の町並みではなく「主人公の生活環境」が主旨だから、主人公と比較できる部分だけピックアップして主人公に描写させてしまったほうがいいと思うし、
最終的には「何をどう書くか」っていう工夫の話だと思うかな。

で。
それを極限まで短くして主旨が伝わることを最低限に短く素早く書いていけば動画と変わらないのではないか、という事だけど、
動画と小説とで決定的な違いは、そういうことではなく、「勝手に再生されてるか」「自分で読んでいるか」の違いです。
受動的か能動的かの違い。
動画は興味がそがれてもほっとけば勝手に流れる。小説は読もうと思わないと読まない。
自動音声で読んでくれるサービスが浸透すればその垣根もなくなるけど、現状はコレが決定的に違うので、「動画と変わらない」は無いと思う。
ただ、「漫画と変わらない」は、有り得る話だとは思う。
なろう小説とかで、ちゃんと頭使って文章を読み取らなくても、流し読みで飛ばしつつ適当に読んでても内容がわかるような空っぽな作品なんかは、その域に一歩踏み込んでると思うかな。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画

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元記事:感想とトレンディドラマは役に立つ?

 この前の質問に答えていただき、ありがとうございます。
 まとら魔術です。
 
 兄に小説を見せたら、こんなこと言われました。

・場面の展開が強引
・描写不足
・アイディアだけパクっているぐらい中身がない
・メッセージ性がない、ロボット的。人間の描写や深層心理的な探求が薄い
・人間描写ないいに次から次へと回転寿司のように変化する
・見たものからなにも感じていない
・文章は見たことあるものばかり
・登場人物が生きていない
・キャラがお前のいいように使われている
・突拍子のない展開が多い
・改行ポイントが悪い
・文章が冷静。疾走感、凄みを感じない
・女のことを分かっていない
・ワイルドスピード並みの展開の家族ものみたいで面白くない
・オリジナリティーがない
・ご都合主義展開にキャラが巻き添えになっている
・観点が抜けている

 改善点としてこんなことを言われました。

・往年のフジの恋愛ドラマを見る
・僕たちのリメイクを見る
・女性の作品、女性向け作品を読む
・ツイッターでドラマやアニメの感想を書く
・ジャニーズの歌詞を参考にする

 その内の恋愛ドラマを見たり、感想を書くのは小説の質を上げることに繋がりますか?
 前者はトレンディドラマというものなんですが、自分はその作品が苦手です。
 役者の演技力よりルックス重視でキャスティングしており、内容もスイーツ脳だから見たいと思いません。
 トレンディドラマで見たいと言えるのは鳥人戦隊ジェットマン(フジのドラマではありませんが)、ずっとあなたが好きだったぐらいです。
 
 後者はやるのがめんどくさいと感じるようになりました。
 本当に役に立つのでしょうか?

 改めて、トレンディドラマの視聴、感想を書くのは小説の質の向上になるのでしょうか?
 皆さんのご回答お待ちしております。

上記の回答(感想とトレンディドラマは役に立つ?の返信)

投稿者 サタン : 0 投稿日時:

究極的、まあつまり突き詰めて考えると、小説とは自己表現の手段の一つであって個性の表現でもあるので、この手の「なにをした方がいい」ってのは個性が関係する以上は個人個人で違う。
目標とする作風やジャンルを貪るように読んだ方がいい人もいるし、そういうのから一切離れて創作以外のものに取り組んだ方がいい人もいる。
だから、スレ主さんに近しい人が作品を読んで「おまえに足りないのはこれじゃないのか?」って助言を得たのなら、いったん素直に聞き入れてみたほうがいいとは思う。
例えば、Fateシリーズを書いた奈須きのこは学生のときに兄だか友人の兄だかに「おまえが書きたいものはコレだろ」と『ブギーポップは笑わない』というライトノベルを突き付けられて、その作品に強く影響されたってWikiだかに書かれてる。

トレンディドラマについては、そもそも「トレンディ」つまり「トレンド」つまり流行を扱ったドラマのことで、その流行とは「都心に住む20代の流行」を指してる。そこに受けがいい恋愛要素をプラスしたドラマ。
つまり「都心の20代の流行」+「恋愛要素」がトレンディドラマ。
対して一般的というか王道のライトノベルというのは、解説は省くけども、
つまり「10代が好む要素」+「恋愛要素」が、あくまで構造上、王道の形。
10代の大多数が好む要素はそりゃ流行の一つとも言えるので、
ようするに、トレンディドラマってのは読者層(視聴者層)が「10代全般」から「20代の流行に敏感な若者」に変わっただけで、構造の上では同じものだったりします。
取り扱うテーマや演出の好みが10代から20代になっただけで、同じエンタメという枠組みの中の「同じもの」です。
なので、あくまで私個人が思うに、そういう「扱ってるモノの違い」を差っ引いて構造や本質を抜き取ることが出来るくらいには、視聴したり感想を書いたりすることには意味があると思う。
トレンディドラマは20代をターゲットにしてるので、キャラクター描写も10代向けではなく20代向けで比較すると少し難しくなってるし、ラノベとは違う角度からキャラを立てたりしてる。
じゃあ、それを10代向けに再構成してトレンディドラマからラノベに手法を輸入してみるということもできると思う。
ただ、スレ主さんのお兄さんが20代向けの作品が好きで、10代向けのライトノベルに不満を感じてした助言である場合は、そりゃお兄さんの好みを言ったに過ぎない助言なので、もう少しお兄さんが不満を感じた部分について深く聞いたほうがいいかもしれない。
例えば、アンパンマンみたいな物語にスレ主さんが助言するとして「敵にはもっと目的を持たせて」とか「被害者側にドラマを作らないと感情移入が~」とか、この助言は10代読者には正しいんだけど、でもコレはアンパンマンだから、対象読者は10歳以下だから、アンパンマンにそんな助言は逆効果じゃん?
「そもそも対象読者が違う作品」というのは構造上からは良い吸収ができるけど、何が正しいのかを自分の中で確立できていないとかえって逆効果で歪な成長をしてしまう可能性はあると思います。
でも、「違う畑からの学び」というのは得てして今までの自分には無かったものであることが多いので、畑違いから学ぶのは行き詰ってる人なんかには超がつくほどお薦めの手段です。

ほんで、
>・往年のフジの恋愛ドラマを見る
「往年の」というのがポイントだろうね。
前述したとおり悪くない手段だと思う。社会人を学生にして、会社を学校か部活で変換して脳内再生してみると割と学園もののラノベと変わらんって思える作品も多い。
>・僕たちのリメイクを見る
未視聴なのでわからん。ただ、最初に書いた通りスレ主さんに近しい人がスレ主さんの作品を読んだ上で進めてくる作品であることを考えて、見たほうがいいと思う。
>・女性の作品、女性向け作品を読む
これはどうだろうな。
スレ主さんが女性向けを書いているのであれば、もちろん読むべきだと思う。
けど、
逆に「男性向け」ってのはエロにしかなくて、普通のよくあるラノベは「一般向け」って区別する。なのに普通の少女ラノベなんかは「女性向け」ってカテゴライズされて別物扱いを受ける。
これはただの言葉の揚げ足かもしれないけど、「女性向け」ってのはそもそも「一般」の中には入らない区別される作品群だからではないかと思う。
女流作家には女性特有の癖があるから、スレ主さんが男性であるなら、それは前述したトレンディドラマと同じように構造や描写の学習に留まると思う。
女性向けは表現の根本から違う部分があるし、これも先述したけど対象読者が違うしね。
>・ツイッターでドラマやアニメの感想を書く
何にしろ「出力する」というのは大事。できれば読者目線のただの感想ではなく、「こういう事を書きたいのなら、この表現は良かった」とか「原作と比べここはアニメ的映像的表現がされていて、文章との違いはこういう場所で、映像では表現しきれなかった部分があるがよりよく仕上がっていた」とか、ちゃんと紐解くべきかなと思う。
>・ジャニーズの歌詞を参考にする
ジャニーズに限らず歌詞はフレーズに力入ってるから、凄く参考になるよ。
こんな感じかな。
私はスレ主さんの作品を読んでないので、お兄さんの指摘から読み取れる感じでってだけで物を言うけど、たぶん、作品に書きたい事を詰め込みすぎて整理ができてないんだと思う。

カテゴリー : その他 スレッド: 感想とトレンディドラマは役に立つ?

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元記事:主人公の目的と作者としての願望の返信の返信

レスありがとうございます。
全くキャラのイメージがないかというと、自分なりにカッコいい主人公像、こういうのにしたい像がふんわりと頭の中に存在していて、例えば王様的な雰囲気や自我の強さがイメージにあるんですけど
そういう個性とキャラとしての目的、更にハーレム物という3つの要素を繋げて調整しつつ話を書こうとすると、個性と目的の部分がぶつかったりして「なんか違うな」となったり、そもそも何かに執着するような性格が合わないなと思ったりして自分が書きたい主人公像ってかなり書きづらいキャラなのかなと考えたりもしてしまいます。

基本的には第一話で何か運命的な出会いや出来事があって故郷を離れる決意させようという構成をベースにしながら書き始めたことが何回もあるんですが
このようなタイプの主人公に影響を与える強烈なイベントに自分の発想力が弱いのか、設定自体に無理があるのか難航する始末です。

上記の回答(主人公の目的と作者としての願望の返信の返信の返信)

投稿者 サタン : 1 投稿日時:

>3つの要素を繋げて調整しつつ話を書こうとすると、
例えば日陽大工とかでテーブルか椅子かを作ろうとした場合、感覚で作ったら脚の長さが違ってガタガタになりますよね。脚の長さが揃うように 調整 しなきゃならない。
この場合、一本目の長さと二本目の長さをそろえて、二本目と三本目をそろえて、三本目と四本目を…ってやってたら微妙に誤差が出てきて四本目と一本目の長さが違ってしまう。
だから、長さを揃えるなら一本目に全ての脚の長さを揃えたほうがいい。
この例えで何が言いたいのかというと、「調整」というのは行き当たりばったりに右をやったり左をやったり感覚でいじくる事を言うのではなく、「どこに合わせて調整するか」っていう「どこに」って基準を決めなきゃならないってことです。
個性なのか目的なのかやりたい事なのか、決めたらブレないようその話の中での基準にして、基準にしたものを変更しないようにしなきゃ。
その中で、私の前のレスは、要約すると「物語を書いてるんだから物語を基準にして、物語の中でキャラを立てるにはシチュだからシチュを想定して個性や目的をシミュレーションしてみたらいい」って回答でした。

でもたぶん、これは返信をもらって何となく感じた事なんだけど、
単純に、書きたいものをどう表現したらいいかの道筋がイメージ出来てないだけのような気がした。
というのも、スレ主さんと同じ状況は私も経験した覚えがあるし、似たような話を聞くこともよくある。
例えば、弱い主人公が必死に努力して最終的にライバルを下してラスボスと戦えるくらいに強くなった、って話があるとして、この物語を凄く気に入って自分もこういうの書きたいって書こうとする初心者によくあると思うんだけど、
この物語で印象に残るのは、当然のことクライマックスだから「主人公がそこそこ強くなった場面」とか「ライバルと戦ってる姿」とか、そういう場面で、そういう場面に憧れて書こうとしてるんよね。それは悪いことじゃないんだけども。
でも、初心者は「憧れてる場面を書きたい」から、序盤で主人公が努力した過程とかをすっとばして、地の文とかで軽く解説するだけで、序盤の敵を憧れてる場面と同じ感じで倒しちゃう。
こんなん、「なんか違う」のは当たり前じゃん? 元作品では長い過程があってクライマックスがあるんだから、クライマックスだけ真似たって違うのは当然。
じゃあ、それを学んで「長い過程」からちゃんと書こうとすると、でも、そもそも初心者が書きたいのは「憧れてる場面」であって「長い過程」のほうではないから、これをやっても「なんか違う」って感じちゃう。
「憧れてる場面・書きたいもの」を書くためには、こういう設計でこんな感じで道筋を整えてっていう書きたいものを書くための道路の舗装(のやりかた)がつかめてないんじゃないかな。

ぶっちゃけ、自分が書いたものに「なんか違う」って、私もそう思ったことはあるけど、特に初心者の頃は何書いてもそんな感想で首をひねってたけども、物語として成立するものが書ける人は滅多にそんなこと思わないんじゃないかな。
前レスでも少し触れたかもしれんけど、そもそもゴールを決めてからその道程を作ってくので、ゴールである「こういう形になる」ってのは最初に決めてるから、「それを表現しきれなかった」という失敗はあるけど、「なんか違う」と思うことは今はもうない。
なので、自分の経験から、初心者の頃によくわかんなかったアレの事かな(道筋を整えられてない)、って思った。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 主人公の目的と作者としての願望

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元記事:主人公の過去描写のタイミング

主人公の過去を描写するタイミングについて質問があります。
主人公の目的や考え方に関わってくるので必須なのですが、物語の途中で入れることが難しそうです。
このような場合、最初に主人公の回想を入れるのはアリですか。
ご教示いただければ幸いです。
また、最初に入れるとしたら、何ページくらいに抑えるべきですか?

上記の回答(主人公の過去描写のタイミングの返信)

投稿者 大野知人 : 3 人気回答!

 俺も、ついつい入れる場所考えるの面倒くさくなって冒頭に入れたくなるけど、絶対おすすめしない。

 経験則として何回かやらかしてるからわかるんだけど
①回想に混ぜ込んで、ついつい設定語りをしてしまう。/回想そのものに一定の説明が必要で、結果として設定だけ聞かされているように読者に思われてしまう。

②シンプルに物語が始まらないと読者にとって楽しくないし、主人公のことを何も知らない状態の読者に最初に見せるのが回想だと、印象が付きにくい。

 なので、どうしても冒頭に書きたいならピンポイントで短めのセリフを入れるくらい。ってか、それも本当はやめた方が良い。

 じゃあ、どこに入れればいいの? って話だけど、一個は主人公が登場してメインキャラとある程度中が深まってから。つまり『読者が主人公の性格をなんとなく察し始めたあたり』。あるいは、ラストシーンの直前に入れるのが良いと思う。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 主人公の過去描写のタイミング

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投稿日時:

元記事:「まったく矛盾のない普通の話」と「矛盾がかなりあるけど面白い話」どっちがいいか?

とりいさんの質問

よくある話ですが、『「まったく矛盾のない普通の話」と「矛盾がかなりあるけど面白い話」どっちがいいか?』という質問があります。

私は後者のほうがいいと思いますが、やはり全く矛盾のなく面白い話が一番いいと決まっているともまた思います。

そこで質問ですが、皆さんは以下の質問についてどう思いますか?

・話にある突っ込みどころや矛盾を気にする方ですか?(「熱膨張って知ってるか?」とかです)

・自分自身の書いた過去最高の自信作に、流し読みしなければ知識も必要なく誰もがすぐ分かるレベルの非常に重大な突っ込みどころが見つかり、しかしそれを変えてしまったら物語の根幹が破綻しかねないものだった場合、貴方はどうしますか?

・あなたは魔術や超科学のトンデモ要素が一切ない近未来ハードSF小説を書いていたとします。科学知識から見て明らかに間違っていることを知っていて、物語の設定にその間違っていることを入れようと思いますか?

例えば「人間の脳は10%しか使用していない。100%使ったら…」等です。(実際はフル活用しています)

2016/05/30

上記の回答(矛盾は気にしない方です。突っ込みは付き合い程度)

投稿者 うっぴー : 0

薔薇騎士さんの回答

> ・話にある突っ込みどころや矛盾を気にする方ですか?(「熱膨張って知ってるか?」とかです)

気にしない方です。
突っ込みは、つき合い程度です。

> ・自分自身の書いた過去最高の自信作に、流し読みしなければ知識も必要なく誰もがすぐ分かるレベルの非常に重大な突っ込みどころが見つかり、しかしそれを変えてしまったら物語の根幹が破綻しかねないものだった場合、貴方はどうしますか?

そんなものは破棄ですね。

> ・あなたは魔術や超科学のトンデモ要素が一切ない近未来ハードSF小説を書いていたとします。科学知識から見て明らかに間違っていることを知っていて、物語の設定にその間違っていることを入れようと思いますか?
> 例えば「人間の脳は10%しか使用していない。100%使ったら…」等です。(実際はフル活用しています)

すでに「トンデモ要素が一切ない近未来ハードSF小説」ではないでしょうw
ちなみに、トンデモ要素が一切ないSF小説なんて存在しません。

それは、SFではなく、科学小説になるからです。
SF小説である以上、どこかにトンデモ要素が隠れているはずです。
なぜなら、SF小説は科学的ウソを楽しむためのものだからです。
「ここが科学的に間違っている」と指摘されるようなSFは、そうとう人気が高いのでうれしい限りですけどねw

2016/05/30(Mon)

カテゴリー : ストーリー スレッド: 「まったく矛盾のない普通の話」と「矛盾がかなりあるけど面白い話」どっちがいいか?

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投稿日時:

元記事:長編の書き方を教えてください。

 どうも、壱番合戦 仁です。

 サタンさんのアドバイスに沿って、一度ものすごくシンプルなお話を書いてみました。それは、ぐちゃぐちゃになったお話の原作の原作とでも呼ぶべき、一番初歩的なお話です。習作となる予定だったのでこれでいいのだと思いました。

 今回、ご相談したいことは、第一に「どうやったら、きちんとお話を背骨が通ったものにできるのか?」。第二に「どうすれば、感情表現を豊かにできるのか?あるいはボキャブラリーを増やせるのか?」です。

 以前お話したしぐれんさんにも言われたことなのですが、僕は局所局所での演出がうまいらしいのです。ですが、全体を通しての作品作りができていないとも言われました。それは僕も痛感するところで、場面ごとの展開に目を奪われすぎて大局観が無いということは以前から自覚していました。
 作品を一貫して貫くテーマを掲げることで、エンディングを派手に演出しなくても、物語を通して伝えてきたメッセージの集積が結実することで、感動的な結末にできるという手法は、かねてから多くの作品で読み取ってきました。
 例えば、東野圭吾/作「秘密」の海浜公園でのワンシーン。あれが演技だった事を知って、自らの肉体の代わりに娘の魂と引き換えに体を得た彼女が、自ら選んだ結末だったのだ、と気づいたときには、一本取られた気分になりました。
 内容はともかくとして、ああいう仕組みの作品を書いてみたいです。
 
 また、全体を見通す目がなっていないので、一人ではプロットが書けません。代わりにアイディアはポンポン浮かんでくるので、書きながら先をある程度見通して切り抜けています。なので、割とカッチリとプロットを組んでも、あとでグダグダになりやすいです。

 さらには、感情表現がワンパターンになりつつあることにも気が付きました。手塚治虫先生と比べるのはおこがましいですが、彼方の感情表現がパターンが少なくても問題ないのと同じように、記述の内容とシチュエーション、あるいは発言者の口調や性格を変えることで飽きさせないようにはしています。(手塚先生が晩年提唱した、漫画記号論を真似しています)

 ただ、それでいいのかといわれると疑問です。文学とライトノベル、どちらにも言えることがあります。僕の一意見でしかありませんが、感情表現や情景描写、大道具小道具の描き方は、なるべく豊かであった方がいいと思うのです。(パターンが多くないと、漫画記号論のシステムが成り立ちませんし、応用云々以前の問題です)

 ただ、僕は感情の機微に疎いので、どうしても表現に限界が出てきます。普段から自分の感情表現は単純極まりないな、と振り返ることがしばしばあります。
 というか、単純というよりは直情的なのです。
 言葉ではレトリックマシマシの文学的なセリフを吐いてカッコつけても、その感情表現のいちいちが単純になってしまっています。組み合わせのパターンもそれほどレパートリーが無いので、困っています。

 昔の友人から贈られた小説の書き方を記した本に、『文学少女シリーズ』の一節が例題として挙げられていました。
 天野ちゃんだったかな?あの子が、告白したい気持ちを抑えきれずに心葉くんの手を噛んで、こてんと眠ってしまうシーンがありました。

 『こ、これは……、すごいな』と思いながらも、真似できないとも思いました。同時に、医学的にあり得るのかが気になってしまって、書こうと思ってもかけないだろうなとも思いました。しかし、やはり僕には理解しにくい表現法でした。

 これとは少し毛色が違いますが、キングダムハーツの名言などを通し読みしてみると、どれもこれも珠玉の名シーンぞろいで、見習いたいけど見習えない歯がゆい思いをしています。「うらやましいよ、ソラ。俺の夏休み終わっちゃった」なんて、一度は見習いたいです。僕が同じシーンを書くとしたら、ロクサスが喚き散らしてかなり見苦しくなります。そんなの、僕だって願い下げです。

 特に最近衝撃的だったのは、あの『リゼロ』の作者が、WEB版原作で、キングダムハーツⅡをオマージュしたことでした。あの引用はさすがに今思い出すだけでも鳥肌が立ちます。おなじ引用でも、素人とプロではここまで差が出るのか、と頭が下がる思いです。

 しぐれんさんから、「読み込みが足りていない」と言われたこともあって、この通り相当読み込んできたつもりです。それでも得られたものはありました。ただ、それを自分のモノにできていないのです。

 色々ととっ散らかってしまいましたが、諸々の問題に困っています。

 皆さんの知恵を貸していただけませんか?どうかよろしくお願い申し上げます。

上記の回答(長編の書き方を教えてください。の返信)

投稿者 ドラ猫 : 0

>>第一に「どうやったら、きちんとお話を背骨が通ったものにできるのか?」。第二に「どうすれば、感情表現を豊かにできるのか?あるいはボキャブラリーを増やせるのか?」です。

「書き続ける」。これしかありません。
レスを見るに「絶対に失敗したくない」「プロの技を最初から使いこなしたい」という気持ちが感じられました。残念ながらそれは無理です。そういうのは書いている内に段々と自分の中ででき上がって行くものです。
私も新人賞に何作か送ってコテンパンに批評された時は困惑しましたが、最近になってやっと自分の欠点というものがわかってきました。相談するのもいいですが、それに頼りきりではいけません。誰かが示した答えで納得しても、実力・力量が不足していれば問題の解決にはならないと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 長編の書き方を教えてください。

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