お世話になっております。大野です。
先ごろ、以前応募したGA文庫大賞の選評が返ってきました。
その中で少し、『自力での解決が難しそうだな』と思えることが有ったので相談させてもらいたいです。
よくある異世界転移ものに対するメタギャグみたいなところを狙った作品だったのですが、
曰く、『すべてのキャラが『緩い』言動をするために、主人公たちの「お気軽さ」みたいなものが、今ひとつ目立たなくなってしまっている。』
曰く、『ちょっと勢いだけで書かれてしまったように感じる箇所も多く、決めるときは決める、という感じでもう少し緩急をつけたほうが面白くなるのではないかと思えた。』
曰く、『緩急というか文章的な、シーン的なタメが描けると、作品に深みが出て良いのでないかと思います。』
とのことで、自分でも前々から気になってはいたのですが『シリアスな場面・会話』と『コミカルな場面・会話』の作り分けが上手くできてないなァ、ということを痛感しました。
プロットそのものをギャグに全振りする、と言うやりようもあるのですが、個人的には『逃げ』に思えてしまい、相談するに至りました。
聞きたいこととしては大きく二つ。
①地の文でシリアスシーン、ギャグシーンを演出するときにわかりやすく切り替えに使える技法・構成の仕方。(一人称・三人称どちらでも構いません)
②緊迫した場面で使っちゃダメなセリフ回し、シリアスorギャグに振る時にわかりやすい語彙。
まぁ、『わかりやすい』と言っている時点で安易な手段に頼ろうとしてる気もするのですが。以上二点、ご教授願えれば嬉しいです。
明石家さんまさんが「笑いの本質は緊張と解放だ」と何かで言っていたそうですよ。
「緊張と緩和」とも言いますが、張りつめた空気を一気に緩める感覚が大事。ゴムを伸ばしてぱっとはなす感じです。
そもそも笑う生物は人間だけで、危険に対する緊張から解放されたときに起こる心的な状態が笑いの起源だという真面目な学説もあるそうですが、まあ専門的なことは分かりません。しかし、創作において、特にシリアスな流れの中に挿入されるコミックリリーフのことを考えると、分かりやすい話なのではないでしょうか。また、お笑いコントなど本来シリアスを狙っていないものでも、シリアス風の会話や日常のエピソードで引っ張ってから落とすというのは、よくあるパターンですよね。
緊張というのは大袈裟に危険な状態だけではなく、真面目な振る舞いを維持するだけでも人間は無意識に多少の緊張をしているものなので、それを崩すというのが笑いの本質なんじゃないかと。
そう考えれば、シリアスな流れの中にギャグを入れること自体は、むしろ自然だと言えます。ダメなのは、シリアスとギャグを切り分けて考えてしまうことなんじゃないでしょうか?
あと、ストーリーのタイプとして、シリアスがベースなのかギャグがベースなのかということね。ストーリー漫画の中にギャグが挿入されるのと、いわゆるギャグ漫画では、ぜんぜん違うでしょう?
ギャグ漫画的なノリで行くならまた話は別でしょうが、シリアスなストーリーに登場するコミックリリーフ的なキャラは、そういう性格の人物としてリアリティがあればいいだけ。そういうのはキャラの性格付けがギャグっぽいだけで、そいつにとってはそういう振る舞いがシリアスな動きなんですよ。なので、それを取り巻く真面目なキャラの反応も、緊迫したシーンで急にふざける奴がいたらどういうリアクションをするのが自然か考えればいいです。ただし、そこを淡々と書くだけでは面白味にかけるので、多少誇張して演出を加味します。ケレン味と言ってもいいです。
それがストーリー作りのテクニックとしての「緊張と緩和」。笑いだけに限らない、「緩急をつける」「タメをつくる」「ダレ場をつくる」というテクニックです。
シリアス物の場合、ギャグをギャグ漫画風にとらえてしまって、ストーリーの自然な流れを無視して挿入するのはダメなんですね。
しかし仕上げの演出としては多少誇張するのが普通なので、一見、流れを無視しているように見えるんです。それは流れを断ち切っているのではなく、「緊張と緩和」を使って流れにアクセントをつけているということ。
そういう違いだと思います。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 『空気』の作り方。
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度々申し訳ありません。オミクロンです。皆様の数々の提言、非常に為になっています。今回も皆様のご意見を賜りたく、投稿させて頂きました。
さて、今回の内容ですが、物語の概要であるあらすじとタイトルに関する相談です。タイトルとあらすじだけで大体の読者様は読むか読まないかを決定します。下記に記載させていただく物語のタイトルは興味を引くものでしょうか。あらすじは筆者が展開する物語の雰囲気を大まかにでも伝えられているでしょうか。ご意見のほど宜しくお願い致します。
タイトル
持たざる者が「自由」を手に入れるまで
あらすじ
何でもいい。何かの才能に恵まれて、それを使って自由になりたい。努力が実らない自分の唯一の願いだった。その願いが諦念に飲まれる寸前、異世界転移が起こる。起死回生のチャンスだと、異なる世界の規格に縋った結果は余りにも残酷だった。
才能が可視化され、技能と身体能力が数値化された世界において押された烙印、【持たざる者】。才能がないのに、才能がなければ何の意味もない無限の可能性だけしかない存在。絶望に飲まれ、放り込まれた牢獄で命を断とうとした。だがそのときに一つの提言が道を開いた。
「奪えばいい」
相手が善意で口にしていてなお悪魔の囁きだった。親しい人間から奪うなど言語道断だ。だがそれを重々理解し、良心の呵責に苛まれてもなお余りにも魅力的な言葉だった。そして自分は――――その手を取った。
これは己の手が望まぬ親しき血に塗れてもなお、それでも、それでも諦めきれないと無様に惨めに足掻き続け、その果てに望んだ「自由」を手にした自分、水無月翔仁の物語だ。
※物語の大まかなプロットについては前回の質問を参照して頂ければと思います。
ものすごい突っ込みたいのが、「持たざる者」の目標がなんで「自由」になるのかというところ。
あくまで私がそういう「奪う能力しか持たない」主人公だったら、の話だけど、ハッピーエンドのその後は自分の能力よりもっと無難な「知識や力の継承」を続けることをライフワークにするかな。書物を書いたり、見込みのある後継者に教えたり、分割譲渡の能力が開発できないか研究してみたり(そう、一人に集中吸収させるのは危険なんだってば、おもにメンタルの面で……)。
それで他者から貰った能力をすべて自分の外に出しきることができた時にはじめて、彼の本当のハッピーエンドが待っているだろうと思う。「これで彼らは自分がいなくても生きた証が残る。自分がいつ死んでも許される」とね。そういう意味での自由ならわからなくもないんだけど。
そういう気持ちがなさそうだから「結局、強い力が貰えて喜んでるだけでしょ?」と言いたくなるんだ。私だと主人公を内面から虐めるトラウマワードはこれになる。ザクザク言ってやりたいですねー。
カテゴリー : 小説の批評依頼 スレッド: このあらすじで物語の雰囲気が掴めるか教えてください
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以前、創作のことで熱く議論を交わせる友人がいたのですが、その彼が創作欲が薄くなってきてしまったのか、最近はあまり語り合う機会が減ってしまい、結果自分も一人よがりでストーリーや設定、キャラを考える機会が増え、なんというか、モチベーションが低くなってきてしまいました。
モチベーションを他人に依存するのはあまりいいことではないのかもしれませんが、再びそのような人と出会えばまたモチベーションが湧くという結論に至ったのですが……。
その肝心の創作仲間の作り方がわからず、四苦八苦しています。
僕はコミュニティとかに入ると萎縮してしまうタチなので、できれば大きなサークルなどに入るより1対1の友達を作れれば……と考えているのですが、そういう場はないでしょうか。
Twitterとかもはじめてみたのですが、いかんせんあまり語るタイプの人がおらず創作関連は宣伝のみに使っている人が多い印象でした。
この掲示板で場違いな質問だったらすみませんm(_ _)m
こんにちは。
偏りのある個人的な見解と前置きした上で回答させて頂きます。
創作とは己の内面と向き合う行為だと私は考えています。
そこに他者が介在すれば、必ず齟齬や解釈の不一致が生まれます。
現に、この掲示板にもご友人との人間関係や見解の食い違いなどに関する質問がいくつか投稿されています。
大変申し訳ないのですが、私はそういった悩みにリソースを割くことに価値を見出せません。
それに、安易に誰かに寄り掛る癖を作ると、困ったら直ぐに頼ってしまう習慣になってしまうかもしれません。
話を聞いてもらいたいだけならそれは貴方の独善だし、誰かに答えを出して欲しいならそれは依存です。
行き詰った時、自身の内側に向き合い悩みに悩み抜いて出した答えが、本当の自分だけの表現です。
モチベーションや表現の幅みたいなものは如何に自分の中に異物を取り込むかに依っているのだと私は思っています。
今までと違うのもを見たり、同じものを別方向から見たり、体験を重ねていけば着実に成長に繋がっていきます。
一人よがりでいいじゃないですか。
悩んで、苦しんで、落ち込んで、それでも書きたいと思ったものがズッパシさんだけの表現になります。
表現者の友は孤独だけでじゅうぶんですよ。
カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 創作仲間を見つけるにはどうすればよいか
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