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みりんさんの返信一覧。最新の投稿順2ページ目

元記事:シノアリス

どうも、初心者リイドと申しますシノアリスをモチーフに小説を書こうと思うのですが、かいてもだいじょうぶですかね?
まだ使い始めたばかりなのでシノアリスの小説があるかわかりませんが。
なければ、書きたいなという感じです。
シノアリスを余り知らない人も居ると思いますが、アドバイスよろしければお願い致します。
内容的にはグレーテルを主役で、
ナイトメアとキャラを消しながら兄と作者を生き返らせるお話にしようと思ってます。(ベタですかね。)
ご解答を是非宜しくお願い致します
〔消す=殺すです。〕

上記の回答(シノアリスの返信)

投稿者 みりん : 0 投稿日時:

シノアリスを名前しか知らないみりんです。

検索してみたところ、pixivというサイトにSSが投稿されているようです。
何作か読んでみて、参考にしてみるのも良いかもしれませんね。

カテゴリー : 小説の批評依頼 スレッド: シノアリス

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元記事:プロット第四稿、拝見しました。グッジョブかも。

プロット第四稿、拝見しました。グッジョブかもしれません。
この件について返信させていただくのは、これが最後になると思います。みりんさんにかえって負担をかけるのは本意ではないので、レスはお気遣いなく。この掲示板で意見交換するのは私にとってもよい訓練になっています。

いろいろと分かっていらっしゃる方とお見受けしますので、これ以上私がどうこう言う必要はないのかもしれませんが、以下は一応の参考ということで。

構想されている物語は、「大切な人の死と、残された者の想い」というモチーフが繰り返し示されています。試みに整理してみると、

1)主人公天沢夜白の父の死と、それに対する夜白の想い。(夜白→父)

2)夜白の父の死に対する、母杏里の想い。(杏里→夫)

3)摩耶の息子の死と、それに対する摩耶の想い。(摩耶→息子)

4)最期に自死を選んだ摩耶の死と、それに対する夜白の想い。(夜白→一抹の共感をおぼえた敵)

5)(摩耶の偽りとしての)杏里の死と、それに対する夜白の想い。(夜白→母)

6)自死を望む杏里と、それに対する夜白の想い。(夜白→母)

この中から( )の左側が主人公夜白になっているのは、1・4・5・6です。言い換えると、テーマに対する主語が主人公になっている項目、ということです。
このポイントは強く意識してほしいです。

エンタメ・ストーリーは主人公が何をするかが大切。
2・3は重要な要素ですが、これの比重を大きくしすぎると、主人公ではなく他人の物語になってしまうんですね。ですから2・3はあくまでもサイド・ストーリー。主人公にとっての反面教師だったり、行動をうながすきっかけだったり、終幕をめざすヒントだったり。そういう位置づけに止めたいです。

次に、残された者の想い。

これにまつわり、「魂を空にあげて星にすることによって、浄化する。これでどうよ?」という問いかけが浮上するわけです。
それによって死者も残された者も救われるんじゃないの? と。
これは月兎族から主人公夜白への提案。物語から読者への問いかけ。そして、おそらく中盤の「間違った解決への誘惑」なのでしょうね。

しかし後半、魂を星に変えるのは実は残酷なことなのではないかという考えが主人公に兆し、「じゃあ、どうしたらいいのよ? 結局、絶望しかないわけ?」的な最悪の悩みに陥る、と。

ここで注意したいのは、すでに死んだ者と、まだ生きている者がいるというポイントです。
すでに死んでいる者は、主人公の父と摩耶の息子。これは取り返しがつきません。
しかし、まだ生きているのに死のうとしている者もいます。摩耶と、母杏里ですよね。
父の死が取り返しがつかないのは夜白にとっても同じなのですが、夜白にとっては、まだ生きているのに死のうとしている「もう一人の大切な人」がいます。母杏里です。

ここが、この物語の中で夜白だけが「成長できる」最重要ポイントなのかなと。

同時に、盛大に絶望にとらわれて大破綻する摩耶の姿。絶望に染まりかけている母の姿も目の当たりにします。
ですから。
結局、諸悪の根源は絶望なんじゃないの?
そこに気づかせればいいわけです。

(今これを書きながら発作的に思いついたのですが、魂の悪霊化も実は絶望が原因だったということにすると話が分かりやすくなるかもしれません)

ということで。
すでに死んだ者は、星にして浄化。 → 絶望からの解放。
まだ生きている者は、希望を失わずに生きていく方がいい。

こんな感じのところに着地させればいいのかな?
なんて、思ったりしました。

上記の回答(プロット第四稿、拝見しました。グッジョブかも。の返信)

スレ主 みりん : 0 投稿日時:

あまくささん、コメントありがとうございます!

プロット第四稿、拝見しました。グッジョブかもしれません。
よかったですー。とりあえず一安心しました。

>エンタメ・ストーリーは主人公が何をするかが大切。
そうなんですよね。摩耶はヴィランなので置いておくとして、
杏里はへたに書くと夜白を食いかねないので、注意したいと思います。

>結局、諸悪の根源は絶望なんじゃないの?
>そこに気づかせればいいわけです。
ここに関しては、ちょっと意見がわかれますね。
絶望だと気づいても、その絶望を解決することはできないんですよね。
杏里は、夜白の悲しみに気づき生きることを選びますが、夫である陽斗が亡くなってしまったことで
うけた傷が癒えた訳ではないし、その点では絶望したままなんです。
なので、そこに気づけば解決するというたぐいの話ではないと思います。

>魂の悪霊化も実は絶望が原因だったということにすると話が分かりやすくなるかもしれません
そこは、そういう設定ですよ。大丈夫です。
霊は死にとらわれた存在で、死んだ瞬間の感情を常に強く意識させられている状態で、
時が止まっているため永遠につづく悲しみの中にいます。うつ病みたいな。
その辛さから逃れるために自我を失い悪霊化してしまう予定です。
絶望という言葉ではないですが、そんな感じ。一幕で霊を登場させたときにこの話をして、
夜白に霊を星にすることは、霊にとっては悲しみからの解放になるということを学ばせて、
月の神になることへの動機のひとつとしてもらおうと思っています。

霊を星にすることは、霊にとって悲しみからの解放である→
霊を星にすることは、残された人(杏里・摩耶)にとっては残酷なことである→
残された人にとっては、亡くなった人にとらわれ続けていることは残酷なことである→
残された人にとっては、大切な人がいない世界に意味を見出せず、追いかけることでしか救われない場合もある→
それでも、一緒に生きてほしい

流れとしては、こんな感じです。
うまく書けるかはわかりませんが……
頑張ります。

ご意見参考になりました!
ありがとうございました!!

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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元記事:三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信

 混乱もあって読みにくい文章になってしまいましたが、ご返事ありがとうございます。
 最終的には「母を救う」というところになるかもしれませんが、その目的を持つのは母の事情がわかったあとで、どうもあとのほうになるのかな思います。wikiによればセントラルクエスチョンは最初のほうに提示されるものなので、その内容が果たして一幕段階で「救う」まで含むのかというのがすこし疑問でした。最初に提示されるべきはもう少し単純なもので、だんだん目的の意味が深くなっていく、そういのが今まで見た物語のなかでは一般的な気がしたのです。
 もしかしたらハリウッド式では序盤で目的とその解決法を全て出して一切そこは揺るがないのかもしれません。でも、この物語ではだんだんと相手のことを知っていくことが主人公の目的達成に必要であると同時に、そのことを突き詰めると、主人公の目的達成を危険に晒すという構造であり、それがスリリングな魅力を持ってる気がします。母の意図を知り、彼女を思うなら、主人公の思いは捨て去られなくてはいけないかもしれない、というように。話を聞く限り、目的の姿が変わっていくときの衝撃が大事なので、用語として第一幕に出さねばならないらしいセントラルクエスチョンを、全体のテーマとか終盤の目的そのものとして捉えると良くないかな、と。それらは序盤に出してはいけないものですが、セントラルクエスチョンは序盤に出してしまうらしいので。
 ・・・という感じで、わりとどうでもいい、用語問題が個人的に引っかかってしまって、そのうちセントラルクエスチョンにクエスチョンって感じ(?)になって、独りよがりになってしまい、失礼。

上記の回答(三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信)

スレ主 みりん : 0 投稿日時:

>大ボーイさん、再訪ありがとうございます!

セントラル・クエスチョンについて。
ウィキペディアには、

「主人公の解決しなければならない問題である。これはセットアップの最後に観客への問いかけとして示され、その答えはクライマックスに Yes/No で与えられる。セントラル・クエスチョンは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられる (例: 「X はダイヤモンドを取り返せるか?」「Y は彼女をゲットするか?」「Z は殺人犯を逮捕できるか?」など)。すなわち「主人公は目的を成しとげられるでしょうか」ということがクエスチョンとなる (主人公の心理的な変化が目的となる場合もある)。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備ができる[142]。

セントラル・クエスチョンは、インサイティング・インシデントと対になっており、インサイティング・インシデントの事件によって示される」
と書かれていました。

それで私も大ボーイさんと同じように混乱して、セントラル・クエスチョンを用意できなくてご相談した次第です。

>最初に提示されるべきはもう少し単純なもので、だんだん目的の意味が深くなっていく、そういのが今まで見た物語のなかでは一般的な気がしたのです。
セントラル・クエスチョンが変遷していくという形は、ふつうにみられるというご意見は他の方にも頂いたので、テンプレートなんだと思います。ただ、ハッリウッド式では、最初の段階では主人公にとって意味がわからなくても良いので、クライマックスでイエス、ノーで答えられる問いになっている模様。今回は、様式に従って設計してみたかったので、こだわってみました。

>でも、この物語ではだんだんと相手のことを知っていくことが主人公の目的達成に必要であると同時に、そのことを突き詰めると、主人公の目的達成を危険に晒すという構造であり、それがスリリングな魅力を持ってる気がします。
お褒めにあずかり、光栄です!
自分では良いと思ってるんですけど、良いと思ってるのは私だけかもしれないと危惧してましたので、
少しでも褒めていただけるとこれから本文起こしたりするときのモチベーションになります!
自分では言語化できてなかった魅力なので、ちゃんとそう見えるように頑張ります。

参考になりました。
ありがとうございました!

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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元記事:三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信

 あまり三幕構成に詳しくないので、議論をかきまわすかもしれませんが、自分の認識が間違ってないか確認したいのもあって、力不足ながらコメントさせていただきます。
 
 セントラルクエスチョンとは、おそらく初期に提示され、全体において主人公を引っ張る「根本的な動機」の提示だと思うのです。そしてその動機は始めは大雑把で、話が進むごとに具体的な達成の方法や困難が提示され、それに苦悩しつつ、手段を変えつつ、揺らいでも、気持ちは変わらず主人公を引っ張っていくのだと思います。
 多分セントラルクエスチョンは「母と再び家族として暮らす(ただしあまり言葉にこだわらないで)」あたりでいいのではないでしょうか。およそ主人公の心理的な欲求と目的獲得が一致しているので「母親を取り戻す」でもいいかもしれない。それを提示するインサイティング・インシデントですが、これは摩耶の登場そのものではなく、表現は直接的か、一見前向きかは別として、「摩耶に冷たくされ、孤独を感じて、母に会いたいと感じる」「(その時点の認識で)亡き母に対する思いが生じる」になるのではないですか。ここまでは目的というほどでもなく、思いとして。摩耶をインサイティング・インシデントとして、母親と言う目的と結びつけるならば。
 そしてそのあと婚約者が登場、その巻き込まれ型の出来事のなかで母親が見つかるという、主人公の辛い感情(問題)が解決される具体的方法が提示され、具体的な目的を持った物語が開始されるのではないかと。
 セントラルクエスチョンは主人公の動機を通して読者に提示されるストーリーの大まかな骨組みのようなものではないかと思います。これによって以後の行為が、目的に近づくか遠のくかで善い悪いを判断されつつ、それが最終的にどのような形になるのか、読者が想像しながら読む、そのための道筋となるものというような。
 作者様の仰るテーマである「大切な人が死んでも一緒に生きてほしい」というところの「大切な人が死んでも」は、母親が主人公から離れる最も大きな原因であり、かつ最終的に解決されなければならないものであり、「一緒に生きてほしい」は主人公の欲求のことだと思われます。これはセントラルクエスチョンの最終形態(どのように目的を達成するか)であって、テーマでも初期に提示するセントラルクエスチョンでもないのではないかと思います。当初の質問でセントラルクエスチョンとして掲げられた「ヴィランを倒す」も「最後の戦闘パート」「最大の障壁」であって物語に一貫するセントラルクエスチョンではないように思えます。これがセントラルクエスチョンになるには、このこと自体が主人公の最終目的として意図されなくてはならないはずですから、「倒し」自体が心理的な目標になり、その方法を探す物語になるのではないでしょうか。
 テーマは、完全に私見ですが(三幕構成で定義されているならごめんなさい)、この親子の物語を通して「読者」にどのような価値観を届けたいかと言うことだと思います。それは、作者様の思うものと同じではないかもしれませんが、このタイプの物語が取りうるものとしては「死者をないがしろにするのでもなく、しかし囚われるのでもなく生きるにはどのように思い、そして行為すべきか」というようなことではないかと思います。ただ、物語としてどう伝えるかはよくわかりません。
 分かりやすいものでは、自分の好きな事柄を悪を倒すものとして描けば、その好きなものは「善なるもの」であるというメッセージやテーマを(首尾よく描写出来れば)発せられるとは思いますが、ちょっとこの物語には当てはまりそうにない。

上記の回答(三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信)

スレ主 みりん : 1 投稿日時:

大ボーイさん、コメントありがとうございます!

>およそ主人公の心理的な欲求と目的獲得が一致しているので「母親を取り戻す」でもいいかもしれない。
「取り戻す」だけでは、母の気持ち「夫が死んだ世界で生きているのは辛い」が解消されないので、足りないんです。物理的に戻ってきても、心の救済がなければこの話ではハッピーエンドにできないんです。ただ、救済できているかというと、そうでもないんですよね。人の死によってうけた心の傷をいやすことは出来てなくて。でもそれでも生きることを選択してもらう、そのために主人公が頑張る物語です。

>作者様の仰るテーマである「大切な人が死んでも一緒に生きてほしい」というところの「大切な人が死んでも」は、母親が主人公から離れる最も大きな原因であり、かつ最終的に解決されなければならないものであり、「一緒に生きてほしい」は主人公の欲求のことだと思われます。これはセントラルクエスチョンの最終形態(どのように目的を達成するか)であって、テーマでも初期に提示するセントラルクエスチョンでもないのではないかと思います。
仰る通り、「大切な人が死んでも一緒に生きてほしい」というのは、テーマというよりはメッセージに近いかもしれませんでした。「一緒に生きてほしい」というのは、主人公の欲求であり、普遍的なメッセージでもあるんです。「残された人は、それでも生きなければならない」というような感じでしょうか。ただ作者の主張というか、そういうものがテーマなのかと思っていたので、今回はこうなりました。
本当は、もっと「死と生」とか、「死んだ人が星になるという祖霊信仰」とか、そういうのをテーマと呼ぶのかもしれません。正直、テーマってよくわかりません。ただ、どのような価値観を届けたいかでいうと、「大切な人が死んでも一緒に生きてほしい」というのが私の価値観です。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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元記事:新プロットにつての感想

まず。
ここまで提示されたプロットそのものは、大筋では悪くないと感じます。
しかし何度も言いますが、理論に当てはめようとしているところに少し疑問手が生じてしてしまっている気がしました。

>セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
(中略)
>母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる

ここは悪くないというより、かなりいい感触です。そう思う理由は何度も書いたので省略。

気になるのは次の幕間。ここに複数の疑問を感じました。以下、それを説明します。

1)いきなりネタバレになっている。
 母が失踪した理由の一端。摩耶がヴィランであること。この二つを早々と開示してしまっています。私的にはこれらの謎が読者の興味につながると考えているので、もう少し引っ張った方がいいように思えます。(ヴィランの目的の提示)(杏里の目的の提示)と書かれていますが、セットアップとして必要な情報の提示というよりも、悪い意味でのネタバレになっている気がしました。
 同時に月の神殿や蘇生の禁書などのキーワードも示されますが、それらについてはここで読者にチラ見させておくのは効果的かもしれません。

2)読者と主人公の知識のギャップ。
 主人公が知り得ないことを読者に示しています。そういうテクニックもあるにはあるでしょうが、計算の上でしょうか? これは冒頭でやると主人公への感情移入の妨げになるので考えものだと思うのですが。

3)主人公にとってのセントラル・クエスチョンになっていない。
 「夜白は母を救えるか?」は、この時点では主人公にとってのセントラル・クエスチョンになっていません。
 2に関連しますが、これは読者だけに知らされた情報から生じるクエスチョンなんですね。なので、プロットの都合で作者がセントラル・クエスチョンを読者に教えただけという状態になっていないでしょうか? セントラル・クエスチョンはその後のストーリーを牽引する重要な要素のはずなので、それを読者と主人公が共有できなくても大丈夫なのかな? という疑問です。

以上の問題があるため、「夜白は母を救えるか?」という課題がまだ「夜白の課題」になっていないんですね。だから夜白が動き出すきっかけにならず、少し遅れて、

>主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 通学中、霊に憑りつかれた男に命を狙われる。空からバイクに乗った少年が現れて、助けてくれる。

というイベントを入れることが必要になっています。
大まかな流れとしてはこれでいいと思うのですが、ここまでのパートに欠けていると思うのは夜白の主体性です。手探りでもいいから彼女自身が一歩一歩前に進み、テーマを目指すように描いた方がいいのではないかと。その方が読者は共感しやすいのではないでしょうか?

……ちょっと押しつけがましい書き方になっていたら、すみません。別に私の考えを強要するつもりはないのですが、どこに懸念を感じたかを伝えるために踏み込んだ説明をしてみました。
幕間パートはみりんさんが必要と判断してのことならいいのですが、「序盤に分かりやすいセントラル・クエスチョンを提示しなければならない」ということに拘って無理にねじ込んでいるように見えます。それがストーリーの狙いを少しおかしくしているように感じました。

上記の回答(新プロットにつての感想の返信)

スレ主 みりん : 0 投稿日時:

あまくささん、コメントありがとうございます!

(No: 37)に、第4稿のプロットをあげました。
できれば、これでいきたいと考えています。
とりあえず、あまくささんのご指摘のあった3つの疑問については解消されている
セントラル・クエスチョンになっているはずです。
これ以上のセントラル・クエスチョンを思いつかないので……。

>「大切な人が死んでしまった世界で生きていく意味はあるのか?」
をセントラル・クエスチョンにすると、途中母杏里が登場した時点で、「大切な人が死んでしまった世界で」
という条件があいまいになってしまう懸念はあるのですが、父陽斗が死んでいることに変わりはないし、
母杏里にとってはこの問いが解消されていない、ヴィラン摩耶にとってもこの問いは解消されていない、
という訳で、クライマックスまで引っ張れる問題定義だと思います。
それに、夜白には、「母の催眠を解く」という偽りの目的を持たせられているので、どういう話かわからない、
という状態にもならないように気をつけるつもりです。

これ以上の案を思いつけないし、筋が通っていると思うので、これでいきたいです。
ご意見とても参考になりました。ありがとうございます!

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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元記事:小説って何を以て「面白いなあ」と感じますか?

質問です。

1.小説って、何を以て面白いと感じますか?

①ストーリー展開、緩急が上手いところ等
②伏線の敷き方、回収の仕方
③個性的なキャラクターがたくさん
④作品のテーマ(命とか友情とか愛とか)
⑤描写が良い
⑥世界観やオリジナリティが感じられるかどうか
⑦引き込まれる文章力
⑧1~7全部
⑨人それぞれ

2.作品って、面白いから売れるんですか? 売れるから面白いんですか?

ジャンルは違いますが、「鬼滅の刃」とか「呪術廻戦」とかは漫画もアニメも映画も大ヒットしているじゃないですか。YOASOBIの曲である「夜に駆ける」も再生回数が4億回達成したぐらいですし、こういう大ヒット作品って、何かしら「面白い」と言わしめる何かしらの「共通点」があるのではないかなと思えてなりません。
その共通点がずばり何なのか分かることが出来れば自分の作品にも採り入れてある程度世に通用する作品に仕上げることができると思うんですよ。
(ちなみに「鬼滅の刃」は、コロナ禍というかつてない状況の中、ストーリーもさることながら、コロナ=鬼と重ねたことで鬼をバンバン殺していく場面を見てコロナに対する鬱憤を晴らしてスッキリすることができるという点が大ヒットに繋がったという見方もあるそうです)

よろしくお願いします。

上記の回答(小説って何を以て「面白いなあ」と感じますか?の返信)

投稿者 サタン : 1

1.小説って、何を以て面白いと感じますか?
最終的には好みに合うかどうか。
人次第なので7ですかね。

でもそれだけだと誤解があると思うので自分の評価基準・判断基準を書いておくと、
こと「面白さ」を判断するとき、私の中では2段階あって、

まずは「面白味があるかどうか」で、これは好みによらない。普遍的に人間が「面白い」と感じる要素の組み合わせ。もっと言うなら作者がターゲットとしている層が「面白い」と感じる要素と、それを引き出せる設定が組まれているかどうか。
例えば「新米刑事」と「熟練刑事」の組み合わせなんてのはままあるものだけど、こういう真逆の要素が組み合わさっているとそこに衝突が書けるので、この衝突によってドラマが演出されるしキャラも出やすくなる。
つまり「面白さが出やすい設定」と判断できる。
弱者と強者とか、体育会系不良と文系優等生とか、「衝突」しやすい組み合わせは面白味がある。
キャラのコンビだけでなく主人公単体にしても、世界最強だが童貞で女と会話できない男が合コンに行く・逆ナンに合う・女ストーカーの被害にあう、って話があったら面白いでしょ。
いかに衝突を作るかが面白味。

次に、その「面白味」を最大限に活かせる物語であるか、面白味を面白く演出できる展開があるかどうか。
世界最強の童貞男が、女と一切関わらないストーリーを進んだって何も面白くない。世界最強なのに童貞って面白味が一切活かせてない。
このネタの「何が面白いか」を作者自身が理解していないと、この例は極端だけど、こういう事が頻発する。
作者はどういうところを面白いと決めたのかと問うてハッキリと回答できない、答えを濁す、延々語るタイプはだいたい理解できてない。
だから、逆を言えば「その作品の面白味」をちゃんと押し出せてれば、その作品は私の好みによらず「面白い作品である」と判断する。

ただこれは「面白さ」があるかどうかの判断であって、私自身の感性で「面白い!」と感じてるわけではないから、最低でも上記した2点をクリアした作品は好きな人が読めば面白いと言われる作品だろう、と判断してる。
つまりは、上記2点をクリアしたうえで自分の好みなら「面白い」と答える。
なので最終的には「好み」って感じ。
評価・判断自体は好みは可能な限り排除してる。

>2.作品って、面白いから売れるんですか? 売れるから面白いんですか?
「面白い」のは前提。
そのうえで運もあるし、企業の販促もあるし、人気に乗っかる商売もあって広がっていく。
世情を見て狙いを定めてテーマを考えるのも一つの方法ではあるけど、ぶっちゃけ狙ってハマることはそうそうないです。製作サイドからすりゃ、本当にただの運です。
でなけりゃ、
うーん、まあ、これも賛否あるしアレが原因コレが悪いんだと思うことある人もいるだろうけど、
狙って出来るんなら、例えばソシャゲのサクラ大戦が爆死したりしないし、けものフレンズの続編がアンチで溢れることもないハズなんですよ。
戦略が大ミスだったわけだけど、あんだけヒットした作品の新シリーズが、逆に狙ってコケるほうが難しいだろうに、盛大にコケたって時点で狙ってヒットさせるのはまあ難しい。
「狙ってやる」のであれば、なかなかの長期で作戦練る必要があると思うし、一気にドカンとやろうとすれば自爆するだけだと思うかな。

売れてる作品が面白いのは、前提として面白い作品があるから。
でも「面白い」は世に出る前提であって、売れるためのものではないので、面白いから売れるわけでもないし、売れるから面白いわけでもない。
加えて言うと、「つまらないのに売れてるのもあるよ」って思う人もいるかもしれんけど、その回答は質問1の回答にある。
それは「つまらない」んじゃなくて「あなたの好みに合わない」だけ。

まあ、いろいろ事情あってゴリ押ししなきゃ製作費が回収できない系の本当に「つまらない作品」もあるけども。

カテゴリー : その他 スレッド: 小説って何を以て「面白いなあ」と感じますか?

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投稿日時:

元記事:最近、エンタメの垣根超えてない? と思う瞬間

今回は自分(と作品)ではなく息抜きでの疑問です。
・進撃の巨人
・五等分の花嫁
・鬼滅の刃 あたりですね。気になるのは。
 様々なジャンルのノベル面が成熟したこともあり、異なる立場から直接的な欲の角がとれた結果、このように一種の異文化交流してんのかな? とか思っています。
 一番わかりやすいとこ考えると鬼滅の刃かなあ……①特に「鬼舞辻 無惨」「富岡 義勇」などのキャラ設定が乙女ゲーに一人はいそうなキャラ造形って感じです。
 自分の主観が中心となってこういった場ではあまり適さないかもしれませんが、特に無惨とか「ヒロイン一人を溺愛するために国の制度設定(組織論かな)すっとばす。けど作者には有能に書かれる(ただしヤンデレ)」キャラからヒロイン不在で派生したのをジョジョのラスボス風味で見たような感じ。これを、「頭無惨様だから」でまとめられんの本当にすごいと思います。個人が完璧すぎて組織が何か全く理解できないナルシスト。手足がむしろ邪魔系ドS(※パワハラ)貴公子。
……なんだっけ。テレビとかで天下人の嫁とかなんとか言ってたっけな。

 五等分の仕様も乙女ゲーに近いけど性差のイメージからかあまり批判されない感じ。(キャラがみんなかわいいのも理由……とも思う)。そういえば花嫁だれだろ……?
 進撃の巨人も、……最近のダークヒーローものの流れをついで増幅した感じではあるんですが……その。エレンという主人公がおこす行動が、不思議と飲み込みづらいというか……嫌いじゃないし、一貫してはいるんだけど本当にセウト手前を悟る諫山(作者)先生の綱渡り感がすごい。こういうのを才能っていうんだろうなぁ。
 ここでも時折話題になる「されど罪びとは竜と踊る」とは別ベクトルでグロの極みを目指そうとしている感じのような気がします。

 こういうのって、最初はプリキュア(→と大きなお友達)のように、ターゲットの共生できる方が売り上げが大きいとかいうのが最初かもしれないけど、次々垣根が壊されるのはうれしい反面、少し寂しいな、と思います。
 

上記の回答(最近、エンタメの垣根超えてない? と思う瞬間の返信)

投稿者 読むせん : 0

それは誤解だよコバヤシくん(笑)

 私の兄は、私が友達と回し読みしていた『なかよし』『りぼん』『花とゆめ』『ララ』をバリバリに読んでいましたよ。
私も兄の友達間で回していた『ボンボン』『ジャンプ』『サンデー』『チャンピオン』『マガジン』を読ませてもらっていた。

兄に土下座で頼まれて『MとNの肖像』と『こどものおもちゃ』は私が代理購入した。購入資金は色を付けてくれた(笑)。

 姉妹や兄弟はそういうの無かったようですが、異性の兄弟もっている家庭ではチャンポン読みは基本だし、異性雑誌の感性の方がクリーンにむねに刺さる事も多々あったよ。

私が仲良くなれた友人のほとんどが兄弟がいる女の子で、そういう子って女性誌オンリーで育った子より感性が小年誌の影響をうけているんです。

カテゴリー : その他 スレッド: 最近、エンタメの垣根超えてない? と思う瞬間

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投稿日時:

元記事:妹を殺さざるを得ない時

国が内戦で難民になった、それでも追ってくる兵隊たちから逃れる為に、連れてきた嬰児の妹の泣き声を消す為に、主人公は彼女の口を塞ぎ、殺すことにした。
内戦終結後、妹そっくりの同級生の妹に出会う。
去来する思いはどんなものでしょうか?
後悔、懺悔、知りたいゆえのストーカー行為、恨みつらみ、もう二度と逢いたくない? 貴方は他人だもの、私達親子に係わらないで、どうしてそんなに責めるんだ(の)、どんな思いが湧き出るのでしょうか? 
もちろん人間性でも答えは違います。
難しく、複雑な、解に至る前でも何かしら、指に触れることばを下さい。

上記の回答(ちなみに、全て『夢』だ)

投稿者 ごたんだ : 0

ここの住人って、孤児院出のアイドルみたいなイジリ概があるんだよね。

エンターテイメントなんて綺麗事じゃないのに、「家族の話しは出さないで!」って感じでさ。

モラルなんて、上から押し付けられる向上心やら、締まりとかそういうものじゃないの?

カテゴリー : ストーリー スレッド: 妹を殺さざるを得ない時

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