小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

ロクショウさんの返信一覧。最新の投稿順2ページ目

元記事:Wordでルビを振ると文字間隔が空いてしまう件の返信

 章にもよりますが、ファイル指定が『txtファイル』になっている場合などはルビを振ることができません。
 こういった場で他人に意見を聞くために『小説家になろう』や『カクヨム』に一度投稿してこういった場にURLを張る場合でも、『ルビを振った文章をそのままコピーして投稿』することができません。
 
 以上二つの理由から、文章を書くときにルビを振りたい場合は『ルビを振りたい単語の後にカッコなどでくくってルビの内容を書くこと』をお勧めします。

 禁書目録(インデックス)、みたいな感じです

 どうしてもWordでルビを振りたい場合は、ルビを入力する際のワークスペースにルビ自体のサイズや揃え位置、余白設定があるのでそこをいじってみてください。

上記の回答(Wordでルビを振ると文字間隔が空いてしまう件の返信の返信)

スレ主 ロクショウ : 0 投稿日時:

了解です( ̄^ ̄)ゞ、ありがとうございます

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: Wordでルビを振ると文字間隔が空いてしまう件

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元記事:漢字で書くかひらがなで書くかの返信

こういうのは統一したほうが良いというのが模範解答ではあると思うのだけど、
ぶっちゃけ私はノリでやってますよ。
例えば
>「何→なん」の場合はひらがな「何→なに」と「何ー」の後に漢字が並ぶ場合は漢字にしよう
というルールを決めたとして。
じゃあ、凛とした知的キャラが「何か用でも?」と言うのと、まったり天然キャラが「なに~?」と言うのでは、同じ発音のパターンだけど「統一したほうが良い」と言えるんかな? と思う。
私は、「このキャラは平仮名のほうがそれっぽい」と思うので、平仮名に開いちゃう。

地の文では基本的に常用漢字は漢字で書くけど、例えば「今のは一体なんだろうかと主人公は目を疑った。」とか、キャラの影響を受けた文をよく書くので、漢字にしたり開いたり、私はけっこう統一していません。
そうそう、よく迷うのが「一体何」のパターン。「いったい何」と書くこともあるし、全部漢字で「一体何」と書くとなんか窮屈な印象なのでこれもその時々のノリです。
まあ、考えた末に「一体」か「何」かのどっちかを消しちゃうことが多いんですけも。
「何だいまの!」とか「あれは、いったい……」とかはわかるけど、そもそも「いったいなに」ってセリフは結構余裕があるときにしか出てこないんじゃないかな、みたいな。
ちょっと話が脱線しましたね。

でも、この返信の中だけでも「今」と「いま」で統一してない単語がありますよね。
「今」も結構迷うときあるんですよね。
例えば「今村についたとこだ」って「イマムラ」って地名かと思っちゃうし、そういう一字の漢字とつながりやすいんですよね。
まあ、本当は漢字を開くなら開くで統一したほうが良いのだろうとは思うんですけど、誰かに指摘されたら直せばいいや、くらいにしか思ってないのでノリで適当にやってます。
状況によって「漢字のほうが読みやすいでしょ」と「ひらがなのほうが読みやすいでしょ」って場面あるんだから、「統一しなきゃおかしい」というタイプのものでなければ適当でいいと思ってます。

上記の回答(漢字で書くかひらがなで書くかの返信の返信)

スレ主 ロクショウ : 0 投稿日時:

ありがとうございます!
参考にさせていただきます

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 漢字で書くかひらがなで書くか

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元記事:三点リーダーとダッシュの数の返信

数の問題ではありません。

ストーリーの流れの中で主人公の微妙な心情を読者に伝えなければいけないとき、

「……」

と書きたくなることが、私にもあります。
それで伝わりそうな気がしちゃったりするのですが、一つ言えるのは、これは文章を練って描写するよりはるかに楽だということ。つまり手抜きです。

緩急をつけるという意味で、ある程度手抜きを入れるのもテクニックのうちですが、やりすぎると確実にスカスカになります。

そのへんを考慮して、自分なりの加減を考えるのがよいかと。

上記の回答(三点リーダーとダッシュの数の返信の返信)

スレ主 ロクショウ : 0 投稿日時:

わかりました
ありがとうございます
( ̄^ ̄)ゞ

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三点リーダーとダッシュの数

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元記事:三点リーダーとダッシュの数の返信

気にする必要はないかと思います。

>使いすぎると必要なところで機能しなくなると聞きました
「そう聞いた」からではなくて、「あなたが多いと思った」のなら削っていきましょう。
そもそも執筆中には「必要だと思ったから使った」わけでしょ?
例えば「無口な少年」や「引っ込み思案な少女」が出てきてるのだとしたら三点リーダーの数は多くなるでしょう。
ページ数に対して件数を言われても内容を知らないと答えようがないと思うし、内容を知ってたとしても、一箇所一箇所添削して「ここは地の文で表現したほうがいいね」といった指摘をするしかないと思う。
さすがにそれは難しいので、自分の判断でよしとするなら良しです。つまり気にする必要はないでしょう。

上記の回答(三点リーダーとダッシュの数の返信の返信)

スレ主 ロクショウ : 0 投稿日時:

了解です( ̄^ ̄)ゞ
ありがとうございます

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三点リーダーとダッシュの数

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元記事:Wardの句読点の位置の返信の返信の返信の返信

1行20文字に設定したとします。
21文字目に「。」がくる文章だと、次の行の頭に「。」が置かれてしまいますよね?
そうならないように調整する方法は3つしかありません。

1)20文字の文字間隔を少しつめて、1行目の最後に「。」を押し込む。

2)20文字の文字間隔をつめずに、1行目の最後の右側(横書きの場合)に「。」がはみ出した状態で置く。

3)20文字のうちの20文字目を次の行に追い出し、その後に「。」を置く。

2のやり方を普通「ぶら下げ」と言います。

1と2は「。」以外の文字数だけで数えると20字ですが、「。」を1文字と数えると1行21字になってしまいます。
3は20文字目を次の行に送るので1行19文字になります。

上のような調整は、行の頭に「。」がくると見てくれが悪いので、体裁を整えるためにやることです。しかしこれをやるためには1行の文字数が不規則になることを避けられないんですね。

で、ですね。

レイアウト調整って、実は上のようなこと以外にも色々とやってるんですよ。
例えば漢字とかな以外のアルファベット・数字・記号などは形が様々なので、等間隔に並べると間延びした感じに見えてしまいます。だからバランスよく見えるように調整しています。
また、英単語などは途中でぶった切って2行にすると読みにくいですよね? しかしこれも、英単語が行の切れ目に来てしまった時、そうならないようにするためには無理矢理手前に詰め込むか、次の行に送ってしまうしか方法がないわけです。
そこで、商業印刷物では、先に書いたような記号や数字などの幅が不規則なのを利用して、詰めたり広げたりしてもあまり目立たないところを均等に動かすなどの操作をします。

Wordって、商業印刷のそういうテクニックに近い機能を装備した、良く言えば高機能ワープロなんですね。しかし、シンプルに使いたいユーザーにとっては余計なことをやりすぎる厄介なソフトでもあります。(自動的に箇条書き設定にされてしまったりしてイラっとしたことありませんか?)

というわけなので、Wordで1行の文字数を完全に一定にするのはほぼ無理です。
しかし、そういうことはWord投稿を受け付けている所なら百も承知のはずなので、あまり気にする必要はないということです。

まあ、強いて言えば、なるべくシンプルな設定にしておいた方が無難と考えるなら、基本的な禁則処理くらいは有効にしておいて、「英単語の途中で改行する」とか「句読点のぶら下げを行う」とかは外した方がいいんじゃない? ということだと思います。

上記の回答(Wardの句読点の位置の返信の返信の返信の返信の返信)

スレ主 ロクショウ : 0 投稿日時:

よくわかりました、
ありがとうございました

カテゴリー : その他 スレッド: Wardの句読点の位置

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元記事:目が見えないキャラが総じてベタ目なのはなぜ?障害を持ったキャラの萌える造形やシチュエーションとは

 目が見えないキャラって、漫画に描かれるとベタ目として書かれますが、あれっていつ頃のどの漫画が発祥でしょうか。僕も目が見えない人にいくらかお会いしたことがありますが、瞳孔に光がある方はかなりいらっしゃった記憶があります。角膜が損傷していたり、虹彩に問題がある場合はその限りではないかもしれません。

 眼が見えないキャラが漫画に登場すること自体、あまり機会がありませんが、どうしてもベタ目のイメージが付きまとうのはなぜなのでしょうか。そして、ベタ目を使う理由というのは、やはりビジュアル的にわかりやすいというのがあるのかもしれないと愚考します。

 とはいえ、判然としないのもたしかです。皆様の見解をお伺いしたいと思います。

 二問目。

 ベタ目の盲目キャラって、女の子だと萌えると思います。とくに「見る」必要がないので、目をわざと閉じて微笑んでいるときの愛らしさと言ったら!たまりません。少なくとも僕は好意的にとらえています。ビジュアル的に言っても、女の子を書くときにあの描写の仕方をすると、無茶苦茶可愛いです。男の子でも変人キャラに合わせるとギャップがあって面白いと思います。

 個人的には、あんな感じの分かりやすく、かつ好意的な描写が他の障碍者を描写する際にもあれば、もっと受容されるのではないかと思います。(体ではない方に問題がある場合は、外見に一目で見て取れる特徴を安易につけるのは少し難がありますが、やり方さえ間違えなければ効果的だと思います。)

 そこで追加の質問です。
 各障害を微笑ましく描写するには、どうしたらいいでしょうか。ああ、深刻にならないでください。肩の力を抜いて、「こんな障害を持ったキャラがこんなことしたら萌える(あるいは尊い)」と思い付いた事を教えていただきたいのです。

 一例をあげます。

 僕は小学生のころ、スズちゃんという、下級生の女の子と支援級で同じクラスでした。(ちなみにそのクラスは当初僕のためだけに創設されたという曰く付きです。それゆえ、僕は第一期生なのです)
 その子は根っからの性格美人で、とても世話好きでおしゃべりな女の子でした。

 知的障害を持っているなんて気にもならないほど善い子で、ろれつが回らないながらもみんなと積極的に仲良くなろうとする姿は、今の僕が描くキャラクターの造形パターンの一つとなっています。もはや十八番です。

 ある日、彼女は床に転がしっぱなしの僕のランドセルを見つけました。それは自分の本意ではない投稿をしてしまったことへのささやかな反抗だったのです。そして、そこに鉢合わせた僕を見てこういうのです。
 「ぼー、そうがないなー。ばたしがかたつけるかんね(もー、しょうがないなぁ。私が片付けちゃうからね)」

 あの日のことは今でもはっきり思い出せます。彼女のひたむきな姿とお人よし加減にきゅん死しかけましたww

 皆さんも、もし、こういった障害を持ってい「そのひとだからこそ」、キュンキュンしたことがおありでしたら、そちらも教えてください。特にあざらしさん、読みせん。期待してますよ~w(この場合の名指しはいいんでしたっけ?)

 仕事の当事者でも、中間管理職とか、アイドルとか、とにかくどんな事柄や立場の当事者にも言えますが、「笑い話にできる範囲の好意的な誤解」や「微笑ましいフィクション」というのが、その立場に属する人々のイメージに寄り添っているだけで、世界はもう少し優しくれると思うのです。

 もし僕が周りから正しく理解されなかったとしても、どうせ誤解されるなら楽しく笑ってくれた方が、周りも自分も幸せです。それで、実際に出会ってから「もー、そんなのありえないってば~ww」っていつか誰もが笑い合えたらちょうどいいなって思います。

 最近は、小説の描写について考えることが多くなって、たどり着いたのが「デリケートな描写は少し誤解されても気にしなくていいんだ」ということです。肩の力が抜けたというか、一歩成長できたと思います。

 描写は正確に越したことはありません。ですが、僕も、そんな幸せな誤解を与えられる作者になりたいです。

 ですので、ぜひ、皆さんの回答をお待ちしたいと思います。

 それでは。

上記の回答(目が見えないキャラが総じてベタ目なのはなぜ?障害を持ったキャラの萌える造形やシチュエーションとはの返信)

投稿者 あざらし : 2

期待されるようなことは書けませんが、所感を。

>ベタ目なのはなぜ?

デフォルメであり漫画的記号でしょう。
目が見えないと一口でいっても原因は様々です。
加齢が重大な要因となるものを除いても、症状によって眼球の状態は変わります。
正しく表現するなら、ベタで塗ったような状態より、白濁したような眼球に見えることの方が多いです。(多い少ないで語るはなしではありませんが)
ベタで塗ったような目で表現するというのは、ある種の記号(漫画的)として成立している部分が強いように思います。

このベタで塗ったような目は、漫画的記号でいうと『無感情』も表します。
『目は口ほどにものをいう』とはよく言ったものですが、目というのは感情を表しますので『そこに光を宿さない=感情を宿さない』状態の漫画記号ですね。

>目をわざと閉じて微笑んでいるときの愛らしさと言ったら!たまりません。少なくとも僕は好意的にとらえています。

(目を閉じて)(微笑んでいる)というのが、そのままではないでしょうか。
(感情を表さない記号であるベタ塗りの目)と、(微笑み)という相反する状態を避けるために目を閉じるという状態にしているように思います。

ただ、目を閉じるという行為そのものは記号だけでもありません。
全盲の方が目を閉じるのは、大きくは『空気の乾燥(目が乾かない)』つまり楽だからだそうです。本人は笑って仰っていましたが「(目を)開けても閉じても景色は同じだから」とのこと。
もうひとつは『主に音に集中している』これは日常生活で我々も普通にやりますね。ピアニストは演奏に集中すると上を向いたり、目を閉じたりといった仕草を(おそらくは無意識に)しますが、音に集中するときに視覚が邪魔になるためでしょう。さほど特殊なことではなく、我々も全神経を集中させるレベルで小さな音を聞き逃すまいとするとき、自然と目を閉じます。

さて。
本題を書きますが、私としても大切な思い出ですので若干の躊躇があります。正しく伝わるか解りませんが、ご了承を。

萌えた訳でも、キュンキュンした訳でもなく、友人です。
小学生の時、特別支援学校の運動会に参加したことがあります。学校教育、授業の一環としてクラス全員で参加したのですが、出発前に態々校長先生が教室に来て訓示をしていたことから、おそらく特別に許可を得ていたはずです。
子供ながら感じたことは、担任教師が相手側の学校教師と親しげにしていたので、おそらく先生同士の繋がりが発端だったのでしょう。

先生からは「出来る範囲で手助け」ということを聞かされていましたが、おおよそは応援。
特別支援学校の生徒さんと席を同じくして応援するのですが、率直には楽しくはありませんでした。今思えば、そもそも初めて会った子供同士が教師という大人の介入で「仲良くやれ」というのも無理があります。子供なんて大なり小なり自然発生的に摩擦があり、そこから仲が良くなっていくものでしょう。そういった摩擦もなにもなく、けれど教師の指示で応援するというのは、子供心にスベった感覚だけが妙に強かったことを覚えています。
入学式直後のような、仲良くしようとは思うが、相手がどのような人物なのかと探るような状態が精一杯だったのは、多分クラスメイト皆が感じていたのではないでしょうか。

激しい運動には不向きな子が多いので、玉入れだとか、ダンスが多かったのですが、(おそらくは)メインイベントの徒競走、リレーが始まったときです。
その子は転倒時に危険がないようヘッドギアを被っていました。
ヘッドギアはこの学校の生徒さんでは珍しくありませんが、他の子はラグビー選手のような頭や耳部分だけを保護するタイプなのに、その子はボクサーがスパーリングをするときに付けているアゴまで衝撃をクッションできるものでした。
子供心にそのボクサースパーリング姿が「カッチョエエ」と思ったものです。
足も悪いらしく、バトンを受け取るスタートラインまで片足をずるずると引きずり、それなのに腕は何かを抱くように胴体にピッタリくっつけていました。
動く足の一本でケンケンをし、そのケンケン足と顔だけが前へ前へと急いている。残る不自由な手足は、まるで飼い主を必死で追いかける犬のようだと、不謹慎ですがそう思ったんです。
ほとんど惰性と義務感だったのですが「がんばれ」と叫んだ私の声に、その子は振り返りハッキリと満面の笑みを返しました。

当時から、声は、まあ人並み以上に大きかったので妙に目立ち、またこれが妙な位置関係で座っていた教師が振り向きざまに「おい」と呼び、私に目配せをしてきました。
狡っ辛いワルガキだった私は、クソガキならではの能力で教師の望む反応に敏感でもありましたので、担任が望んでいる展開も理解できます。
当時を思い返すと赤面の至りですが、私はその子に駆けよりましたが、手を引く事が出来ません。そうしようとしても両腕は胴にピッタリとくっつき、どうも手をとると痛みがあるように思えたのです。

手持ち無沙汰になった私は、その子の肩に手を回し、抱き寄せるようにしてスタートラインまで一緒に歩きました。
リレーといってもトラック半周ほどを数人交代で走る競技でした。
生徒によって障碍も、その程度も様々な学校です。速い生徒は既にゴールしていますし、⒉番手3番手の生徒も横を抜けていきます。正直なところ、どうにも居心地の悪さを感じますが、今更その子を放置するわけにもいかず、ずっと肩を抱いてバトンを待っていました。
その子のタスキと同じ色をしたバトンが手渡されたのは、他の全員がゴールしてしばらくしてからでした。

手渡された、と書きましたが、それはバトンで殴られたような具合でした。
前走者に悪気があったわけではありません。
バトンを手渡した前走者の子も、手が不自由で押しつけるようにぶつけるのが精一杯。
私に肩を抱かれてる子も、手で受け取ることができないというだけのことです。

その子が自分で立っていられることを確認し、私がバトンを拾いました。
もうこうなったら一緒にゴールするしかありません。
ところがその子は「んっ! んっ!」と不機嫌そうな声を出すだけで、一向にゴールに向かおうとしません。
目だけが必死に訴えてきましたが、なにがしたいのかサッパリ。それどころか肩を振り回して私の手をふりほどくと顔から地面に倒れ込みました。
慌てて助け起こすと顔の真ん中から下が真っ赤。
倒れたときに、したたか鼻を打ったらしく、噴出した鼻血が校庭にちっこい水たまりを作り、私はわけもなく「ごめん、ごめん」を連呼し、教師はかけつけクラスメイトはどよめき、リレーはそれで終わりました。

というのがあらまし。
これには後日談があり、学校に手紙が届きました。
その子からの手紙だったのですが、ぐにゃぐにゃの字で「うれしかった。ありがとう」あとは、その子の名前が書かれていました。
余計なのは担任教師が私をわざわざ教壇に呼び寄せ、クラスメイトの前でお褒めの言葉と、追加の両親からの手紙を紹介したこと。
要約すると『自分でゴールまでバトンを運びたく、それを持とうとして転んだ。本人は意固地になってしまったことを後悔し謝りたく思っている。相手の両親は大変に喜んでいる。出来れば逢いに来てやって欲しいらしい』
クソガキだった私は担任教師に”後々まで語るであろうネタ”を提供したことに苛立ちはしましたが、ちゃんと謝りたい気持ちの方が強かったので、担任と一緒に相手を訪ねることをその場で了承した次第。
気に入らんかったのは、女の子を訪ねることをクラスメイトが囃し立てたこと。

『できすぎ』と思われるかも知れませんが、本当なので仕方ない。
失礼ながら、手紙の名前を読むまで女の子だったことに全く気がついてなかったんです。
スパーリング用のヘッドギアの印象が強くて顔なんて見てなかったし、髪も短かったし、背もちっこいし、そもそも私自身が思春期前だったので男女をあんまり意識してなかった。
初恋は済ませてたが、これも二次元で、現実では恋知らずの時期。(なんと家にあった美術書に載ってたベアトリーチェ・チェンチの肖像(笑) 不幸な人だがメチャクチャ可愛い。理想のタイプです、はい)

その後、数年間短い手紙のやりとり、いわゆる文通ってのをやりましたが、大切な思い出で友人です。
彼女はお母さんのお腹で事故が起きて、手足と発語が不自由になったのですが、普通の女の子と同じように勝ち気で我が儘で優しくてぬいぐるみが大好きでした。

>ですが、僕も、そんな幸せな誤解を与えられる作者になりたいです。

頑張って下さい。
毎度、視点はよいと思うのです。

最後にお勧め作品を。
【リュックベッソン監督:レオン(完全版)】
完全版を名指ししたのは、この感覚。
公開時とは異なり、マチルダという12才の少女との愛情に踏み込んでます。
まぁ、普通に劇場公開しずらいわな。
『レオンはロリコンかよ!』と非難するのは簡単。
ですが、マチルダというヒロインと愛情を育んだのであって『マチルダがたまたま若かっただけ』という見方、この感覚を掴んで欲しく思います。
たぶん今後の壱番合戦仁さんに、一滴のヒントをくれるように思います。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 目が見えないキャラが総じてベタ目なのはなぜ?障害を持ったキャラの萌える造形やシチュエーションとは

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元記事:そんなに失敗したくないのか二次元の主人公!or やっぱりシンデレラストーリーに憧れるの?

異世界転生の派生で、死んだ後に数年前(また赤ん坊まで)戻ってやり直す作品が増えたように思います。
 そういう系のノベルは読まないのですが、漫画はアプリで無料で数話チラ見できるので例を挙げてみると、
アドニス、私を捨ててください、ある日、私は冷血公爵の娘になった、シャーロットには5人の弟子がいる、影の后妃、今世は当主になります、殺された婚約者の復讐、お兄ちゃんたちに気をつけて! など
 やっぱりシンデレラストーリーに憧れるの? の問いとしては、冒頭から金持ちに好かれて、なぜか結婚まで迫られて~みたいなストーリーが多くて。例を挙げると、
公爵の婚約者になる方法、80日の契約結婚、花は舞い、風は歌うなど。
 派生として侍女から~みたいなものもあるけれど、最後はやっぱりその世界の一番偉い人と結婚して終わりでしょ? みたいな話ばかりで。
 
 強くてニューゲームがゲームの持ち味だったのに、○○は死にましたこれが小説の終わりで・・・目覚めるとあの小説の主人公が私に!じゃあ死ぬの? 嫌だ回避したい! みたいな漫画もあるし、乙女ゲーで死亡するキャラなので回避しますみたいな漫画もあるし、ゲーム好きとしては、なんかそういうメタ的なことをゲーム以外に持ってこられると萎えるというか。
 失敗したくないのはプレイヤーであって二次元にいるキャラではないのになーと個人的に思っています。何人死んでもバッドエンドでもハッピーエンドでも取り返しのつかない過ちを犯しても「戻れない」ことが漫画やノベルの良さだったのに(いや昔の話でもタイムループとかあるぞとかは論点ずれているんでやめましょう)

 二次元の主人公がやりなおしする作品を見て面白いか? なぜここまで流行っているんだろう? っていう疑問です。(加えてシンデレラストーリーも。今自立の時代じゃない? 世相とかガン無視でよく増えるなあという印象で。別に二次元キャラが金持ちと結婚しようが別に?って思うのは自分だけ? 現実にシンデレラストーリーが起こったら、そりゃウハウハでしょうけど、存在しないキャラが金持ちと結婚してちやほやされるのを見て喜ぶ層って何? 子ども向けのおとぎ話として作られた話を作り替えたところで幼稚な話は幼稚なわけで。
 で、改めて質問です。ノベルやWeb漫画といった軽めのものに社会派というか現代を映したものを求めるのは間違いでしょうか?
 薄っぺらいレーベルなら薄っぺらいらしく? 量産型を目指した方がいいのでしょうか?
 まずデビューが目的なので、それが受けるならたとえ書き手の自分が楽しくなかろうが量産型を書こうと思います。ですが面白くないと思っているものを書くのは苦痛なので、 そんなに失敗したくないのか二次元の主人公!or やっぱりシンデレラストーリーに憧れるの? の物語の良さや魅力を語れるぞ! という方がいればお願いします。魅力がわかれば筆も進みますから。

上記の回答(そんなに失敗したくないのか二次元の主人公!or やっぱりシンデレラストーリーに憧れるの?の返信)

投稿者 ごたんだ : 0

まあ、見て無いけど、他の変態に回す為の自力上げ変態じやないかな?

モデルとしては、空山、赤海さくらコンビの『まひるマイヌ』みたいに、後でこの作家が〇〇の原作で…みたいな??

連載作品って、荒削りを理由に『点』までヘイトを溜めるんだよ。
自力も、レモンティーも無い作品がヘイト溜められるか?
この作品も、チーズでも嫌都合主義でも、何割かヘスティア作品並のハッピーエンドにしたらメイドくさくなる気がしない?

つまるところ、絶賛の多くがエンターテイメントに徹しきれてないことを守っている。
ニャンパチ…このバランスが大事だ。
食い合わせの悪い要素、つまりオクニの頭の悪いロビー活動やら、イデオロギーは一割二割に留め、紙芝居のルート変更くらいにトドメなきゃいけない。
(まあ、どの範囲で割合を決めるか知らないが…)

営業作品なら、感動ならぬ脚本のレベルはラストの三分、プロローグ、デスポエムで分かるらしい。

ヘビィノベルのプロットは、これをフラグメント化して、ラストを読者に予測させるのがエンターテイメントとしての『契約』なのだ!

これをサッカー選手として墜落だと言うのは、議論の予知があろう…

レッドマダーの矛盾は、クリムゾンサッカーにしか正せない…。
回りにクリムゾンサッカーがいないなら、孤独でもって己を磨くしかない。

サッカー選手には、『ゴールデンエクスペリエンス』型と『キングクリムゾン』型があり、『キングクリムゾン』型はペテンのタネが割れると、永遠の転落の落とし穴がある。
それを踏まえて言うと…

不都合な現実から目を背けていいのは、『学校』と『家』だけだ。

そして、社長とは例外的に、不都合な現実に対処させる為に『金』を払わない、ということだ!!

そこに学生気分でマウントを取るしか脳がないサルがサッカーされるとヒヨル!!!!

この業界、大御所は大体『ロリ』と『ショタ』を合わせ持つ超弩級ド編隊がマウント取って、滅びるべき悪ゆえに我欲が先行するヤツらより、ちゃんとヌシヌシしているから、そっとしてやれよ…!!!

お、おれ、俺は!
ロリショタ集めて、無作為にポスト与えたら今より世界がマシになると確信…出来たらいいと、思っているような?
いないような?

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: そんなに失敗したくないのか二次元の主人公!or やっぱりシンデレラストーリーに憧れるの?

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投稿日時:

元記事:登場人物を一度に二人以上出してもいいのか

名有りのキャラを、一度に二人以上登場させてもいいのでしょうか?

私は今異世界転移ものの小説を書いているのですが、その冒頭で、主人公が二人のキャラクターに起こされるところから始まります。

二人は付近の村の幼なじみで、いつも一緒に行動している設定です。
なので出来れば同時に登場させたいと思っているのですが、読者からすると負担にならないでしょうか?

上記の回答(登場人物を一度に二人以上出してもいいのかの返信)

投稿者 あまくさ : 0

横やり気味で失礼しますが、サタンさんへの返信から。

>その場合だと、最初に入ってくる描写は見知らぬ二人の外見描写です。
>二人もいっぺんに外見の説明があると、読者は覚えづらいかな? と危惧しています。

そもそも、一つの場面で何もかも覚えてもらう必要はありません。

二人の会話でもいいし、どちらか一人の容姿や仕草でもいいし、取りあえず、何か一つ印象に残りやすそうな部分にフォーカスしてサラッと描写します。伝えたいことの全体は、その後の流れの中でだんだん分かっていくように書けば大丈夫。

二人の関係性にしても、地の文で説明するのは三人称の場合でも良策ではありません。感覚的に何となく分かる程度で良いから、描写(仕草や会話、主人公への態度と、それによって引き起こされる感情など)によって印象的に伝えるポイントを探してみるのが良いかと。

これは、ご質問の案件に限らず、文章しか表現手段の無い小説全般に言えるコツだとい思いますよ。
平板に何もかも正確に伝えようとしても、読者の頭に入らないんです。だからまず1点に絞って印象づけ、全体像は場面を進展させながら少しずつ伝えていく要領が必要なんじゃないかと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 登場人物を一度に二人以上出してもいいのか

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