小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

クロウドさんの返信一覧。得点の高い順1ページ目

元記事:新人賞応募txtファイルについて

こんばんわ、

電撃大賞などのtxtデータで作品の受付に関しての質問です。

募集要項に「1ページ42かける34(行)で80枚~1200枚」
と書かれているんですが、txtデータでどのように送っていいのかわかりません。

ひとつの「.txt」に対してページ間をつめて物語の1から10まで書けばいいのか?
(→文字数の規定として42かける~1200枚と捉える)
それともページごとに行間をあけるなり、なんとなく本として捉えられるようにして送るのかわかりません。

txtデータで応募されたことのある方がいらしたら教えてください。よろしくおねがいします。

上記の回答(新人賞応募txtファイルについての返信)

投稿者 クロウド : 30 人気回答! 投稿日時:

 txtで応募される場合、原稿用紙に換算して指定数になるようにします。

 原稿用紙スタイルになるように各行ごとに改行する必要はありませんしページを示すために空行を入れることもありません。改行が必要なタイミングでのみ改行してください。
 章やシーンの切り替えには空行ひとつ(ないしは表現の自由)で十分です。原稿用紙で使えた改ページによる原稿量の水増しは使えません。

 これによってメモ帳などのテキストエディターで開いた際に、原稿用紙の規定以上の長い行があっても問題ありませんのでご安心を。あくまでも体裁を排除した文章のみのデータですので、下手に手を入れると意図した文章や表現上の表現と違うことになりかねません。

カテゴリー : その他 スレッド: 新人賞応募txtファイルについて

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元記事:主人公陣営が最後に滅びる話

私が小説家になろうで連載しようとしている話は、主人公が凄まじい能力で栄華を極めた後に派手に破滅するという内容にしようと考えています。

私はこの作品の主人公を、度々なろう出身作品の主人公像をかなり大袈裟に強調したような人物として描写する予定です。
我ながらかなり鼻持ちならない人物に仕上がったと思っていますが、個人的にはこのままでは満足できないでいます。

ただ嫌な人が上げて落とされる話というだけなら、それこそなろうの中でも多く展開され、なろう作品のパロディというのも既にやり尽くされている題材です。

鼻持ちならないなりにも愛着の湧いた主人公としてなんとか差別化を図りたいと思い、私はこの話に平家物語にあるような悲哀を取り入れたいと思っています。

主人公を相当問題のある人物に設定しておいて結構無茶な話であるかもしれませんが、腹の立つ人物ではあっても最後に同情を引けるような終わりを迎えさせるにはどうすればいいのでしょうか。

上記の回答(主人公陣営が最後に滅びる話の返信)

投稿者 クロウド : 4 人気回答! 投稿日時:

 基本中の基本として、仲間の裏切りで崩壊でしょうね。それもしょうもない理由で裏切られ、そして信頼のあった仲間や慕ってくれていた領民の心が離れてゆき、孤立させられてゆき惨めな状態で最後の戦に出ると。
 変形として主人公より上の立場の人間が調子に乗り、くだらない理由で主人公を罷免され民衆に石を投げられるも、名誉を取り戻すために死に戦に出る。

 栄華からの没落というものは、因果応報あるいは裏切られというのがお約束でありますが、歴史上そうであることが大概ですし、物語としても王道です。

 大切なことは、主人公の性格に難があっても民衆(賛同者)が理解できること納得できることを持っていること。突き詰めれば平和であったり、民衆の与れる利益があること。
 そして、民衆がそれを喪失させられたと勘違いされたために生れる軋轢と冷たい対応は読み手としても過酷です。その過酷さが主人公への憐憫となるわけです。

 別に主人公の死は必須ではありません。没落後に必死に貧乏でも平凡は幸せを維持しようとする姿でエンドとなっても、必死にそれを守るに至った理由が全編を通して理解できれば、読者は共感し悲哀を感じるものです。
 同情というと、憐みばかりが取り沙汰されますが、共感もまた重要な要素ですよ。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 主人公陣営が最後に滅びる話

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元記事:プロットはできたけれど……

はじめて質問させていただきます。

先日ようやく自分でも面白いとおもえるレベルのプロットを作ることができました。

しかしいざ文章へといったところで全然ペンが進みません。

さまざまな参考資料や文章の書き方のような本を読みましたが、プロットの重要性、作り方までは丁寧に書かれていてもそれを文章にする方法が書かれていません。

なにかプロットを文章に変化させるコツなどがあれば是非教えていただきたいです。

上記の回答(プロットはできたけれど……の返信)

投稿者 クロウド : 2 投稿日時:

 プロットは荒書き(構想まとめたあらすじ様なもの。解説する人によっては粗稿・下書きを粗書きと言うので注意)ですむ方もいれば、最終プロットに描写を書き加えればほぼ完成というレベルまで詰める方もいます。
 どのようなスタイルで書いていたとしても、おおまかにはプロットから章割りを行い、その章の中での項を割り、それぞれの段階で不足している情報や設定の補足や追加を行いつつシーンの想像・脳内再生しつつ執筆します。
 この情報と設定が足りていないとその後の想像が難しいことになります。設定というものを作っても文面に出すのは一割もないとは言われるのは、作者の想像を補助するのが役割となる設定もあることによります。大筋に本編と関わらないいわゆる裏設定と呼ばれるものはこの役割があるものです。(読者視聴者が裏と言っているだけで作者側はただの設定のひとつに過ぎませんが)
 設定ばかり作っても話は進みません。適量というものは個人差がありますが、足りていないのではないでしょうか。

 設定も十分なのに書けないとなると、想像力が働いていないとなりますが、これには実経験の不足とプロットの墨守しすぎのふたつがあります。
 前者は実地取材や代わりとなりそうなアクティビティの体験で補えますし、大阪おばちゃんやガチの江戸っ子に知り合いが入れば、文化として言葉遊び……今で言うノリツッコミがありますので会話することで言葉としても人心の機微としても勉強になることも。
 プロットの墨守。これがちょっと厄介です。
 プロットというルールを破ることに注意しすぎている場合、おもしろくなれば、その部分を書き替えてもいいやと思うことです。
 プロットから外れても戻る自信がないから守る場合、遠回りになっても予定を達成できればいいやと思うことです。
 なにより厄介なのは、決めたことだからと頑固一徹になっている場合。こうなると想像力を働かせる余地が少ないので、体験や設定、語彙力の手札が多くないと言葉に詰ります。この場合は大きく気分転換するか、しばらくその作品から手を離して寝かせると良いでしょう。

 そもそもの語彙力がないから書けない。表現できないというパターンも文章化できなり理由としてあります。
 とかく小学生の文章や幼児のつたない説明になってもいいので書きなさいと言います。それで最後まで書き上げてみてダメだと思う部分を類義語辞典、表現辞典を用いて書き換えてゆくのです。これの試行錯誤で語彙力を増やし、自分の思考にぴったりくる表現を見つけるのです。
 ただし、期限を区切ってそれを終らせます。次の作品を書くか。それとも同一プロットでも失敗を踏まえて修正・改良して最初から書き直すかしないと成長の妨げになりますし、時代遅れともなりますので注意です。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: プロットはできたけれど……

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元記事:ライトノベルでのターゲット層について

私は前職で長い間WEBの仕事に携わってきました。
SEOなども行い、ターゲット層の調査やキーワード調査などは本格的に行ってきており、お客様との打ち合わせでも企業提案やコンサルタントも行っていました。

このサイトでは、ターゲット層が10代であるという記述を見かけ、それが正しいのか疑問に思い、インターネット上での既存データを調べました。
理由として、基本的に収入のない年齢層をターゲット層だと誤認している企業様が非常に多いためです。

スマホでの通販利用者年齢分布では、10代は50代とほぼ同じで最低ライン、一番多いのは30代と20代、次いで40代。
データ参照 https://netshop.impress.co.jp/node/5950

amazonでの購入品目が1番多いのは書籍類なので、上記数値と同様の分布図と推定できる。
データ参照 https://research.nttcoms.com/database/data/002069/

結論からいうと、購入者層は20代~40代が圧倒的に多く、10代をターゲット層と指定しているのは再検討すべきであるといえる。

また、小説ラノベ化し、仮にアニメ化までしたとします。
そのときの放送枠は深夜帯であり、10代が見るいわゆるゴールデンタイムではない。
講談社の少年ジャンプ等のようにゴールデン枠で放送される枠ではない。

また、現在人気の小説家になろうでは、転生ものが圧倒的に人気である。
この傾向は、読者層が自身の未来に希望が持てなくなったからという裏返しの物であり、その体験は社会経験によるものが大きい。
自身の夢が何かをまだ見つけていない10代という年齢層の傾向とするには、過分な誤りが含まれている。

10代の読者もいるので、わかりやすい文章で書く、という点は理解できるが、ターゲット層を10代だけに絞り、20代以上の年齢層の意見を無視するといった姿勢は明確に謝りだと言える。

結論。ライトノベルでの主要ターゲット年齢層は20~30代である。

といえるかと思われますが、いかがでしょうか。

上記の回答(ライトノベルでのターゲット層についての返信)

投稿者 クロウド : 2 投稿日時:

 ミもフタもない私見ですが。話の内容は十代向け。でも作者の先輩として社会を見た所見のエッセンスがふんだん。というものがいつの時代も強いものです。

 また、話は十代でもグッズは成人向けというコンテンツの展開もメディアミックスと叫ばれるようになった時点からあるわけでして。(厳密には80年代やダイコンの頃には走りがあります)

 なにが言いたいかといいますと、その程度の分析はとうの昔からあるわけで、同時にあまり役に立たなかったりします。表面的にはそう見えますが、むしろファッションや小物、小道具などの流行をどのように捉え作中でどのように扱うべきか。こちらの方がマーケティングとして重要です。
 そして、それらの流行の中心はやはり十代です。十代が上の世代に影響を受けている、与えている、と言うべきですかな。

 仕事にて広告コンサルというかプロデューサーというかフィクサーというかそんな御方(芸能ではないが秋元康氏みたいな人)とお話した際に、『年代別マーケティングってもう過去のものなんだよね。昔は年代(年功序列)で収入が大きく違ったけど、今は階級別でやるべきなんだよね』(注・大意で編集)ということを、かれこれ十年ほど前に言われたものです。
 十代のものを好む成人層とは何物か。こちらの分析の方が価値があると思いますけどね。事業主としましては。

カテゴリー : その他 スレッド: ライトノベルでのターゲット層について

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元記事:地の文が極端に少ない四コマ漫画のような小説ってアリですか?

私はライトノベル作家志望です。

最近、ある事を思い付きました。電撃大賞に応募する作品なのですが、地の文が極端に少なくほとんど台詞だけ、もしくは完全に台詞のみの掌編小説を繋げていって、一つの長編作品(イメージとしては四コマ漫画の単行本のような感じ)にする、というのを思い付いたのですが、皆さんはどう思いますか?

回答よろしくお願いします。

上記の回答(地の文が極端に少ない四コマ漫画のような小説ってアリですか?の返信)

投稿者 クロウド : 1 投稿日時:

 ラ研の旧掲示板では以前より定期的に出てくる技術案です。それでいて未だ成功者が居ないということは、そういうことです。

 評価シートがもらる賞で帰ってきた評価が、簡潔に書くと「小説としての体裁になっていない。論外」というものだった、というのもあるそうです。

 合せて考えると、努力の無駄遣いになるので地の文の描写力を磨くという地道な研鑽を重ねてください。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 地の文が極端に少ない四コマ漫画のような小説ってアリですか?

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元記事:最強厨になってしまう

私は元々地に足の着いた強さの主人公達が途方もない強さのモンスターに四苦八苦しながら戦う、というコンセプトで作品を作っていました。

しかし最近のなろう系の最強主人公達やスケールのインフレしたSF作品を見ているうちに「こんな奴に負けたくない」「強さに説得力を持たせないと」とどんどん話のスケールや主人公の強さが膨らんでいってしまい、話が破綻してしまっています。

しかし「鬼滅の刃」や「モンスターハンター」を指して「○○太郎様なら鬼や古龍なんて瞬殺ww」などと言えば「キモイ」の一言で追い返されてしまうでしょう。ゴブリンスレイヤーなんて弱い所に魅力があります。実際ちゃんとした作品は他作品との比較などされず作品内でちゃんと敵の脅威や世界観の大きさを表現できています。
実際クロスオーバーされた場合でも、例えばスーパーロボット大戦で原作では街一つの中でウダウダやっているビッグオーが惑星間規模の戦いをするクアンタよりもダメージを稼いでも誰も文句は言いません。

そういう風に考えたいのですが、どうしても「この敵も主人公も○○の主人公や敵なら楽に倒せるだろうなあ」という考えが頭によぎり、どうしても主人公や世界観を、自分の想像力の及ばないところまで広げてしまいます。

こういう風に、他作品と自分の作品のスペックを比べてしまう癖がついたらどうすればいいでしょうか?同じような症状をお持ちの方、昔は持っていた方は少なくない筈です。そういった方はどうやって克服したのでしょうか?

上記の回答(最強厨になってしまうの返信)

投稿者 パクトボー : 1

「全ジャンル最強議論スレ」といものがありまして、それの内容をまとめたwikiがあるのですが。
そこを一度覗いてみてください。
自分はそうして、最強厨を脱出できました。

すごく衝撃的でしたよ。
上はすごく昔のアニメもラノベもろくにないような時代のSF文学作品のキャラ(きっとろくにバトル展開もないでしょう)とかアメコミ系のぶっとんだ連中とかがひしめいてるし、下を見たら楽曲の中の「私」とか「俺」とかいうキャラですらないような人々に「百万回生きた猫」の猫までラインナップされてました。
上も下もキリがないと悟りました。それでいて、載せられたキャラはどれもが原作で人気だったり、かっこよかったりするわけです。
当時自分はWeb小説の存在すら知らない若輩者でしたが、あれは鮮烈な気付きでしたね。

それと、スパロボは繊細な例です。
ガンバスターがATに斬りかかるようなことをさせてギャップを楽しむのもひとつのやり方ですが、プレイヤーの大半は「活躍」を見たいのであって「強さ」を見たいわけではないでしょう。
中でも名作と名高いWですが、テッカマンという宇宙でもビュンビュン飛んで戦うパワードスーツ相手に生身の傭兵でしかないキャラが知恵と策略で切り抜ける場面がありまして。
そこで突然傭兵がパワードスーツ並みの身体能力に目覚めても、傭兵の戦い方が好きなファンは興覚めなわけです。
「活躍を揃える」というのは、きっとそういうことなんだと思います。スパロボはすごく気をつかった例です。

でも、まあ。
なんだかんだ、最強厨なくらいがちょうどいいのかもしれません。
こじらせて「おんぼろ機体で活躍するおっさん主人公増えろ」に変化する可能性もありますからね。一回突き抜けてしまうのも手かもしれないです。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 最強厨になってしまう

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投稿日時:

元記事:新人賞に落ちた時の立ち直り方

お久しぶりです、本居です。
突然ですが、人生で始めて応募した小説が一次落ちしてしまいました。自信作だったので非常に悔しいです。
初めてなので当然かと思いますが、やはり一次通過すら出来なかったと言うことは作品がつまらなかったと言う事でしょうか?
文章構成、描写共に能力不足だったとは思います。しかし物語としては自信がありました。
そこで質問です、作品の内容ではなく、能力不足で一次通過出来なかったと考えても良いのでしょうか? 単につまらなかったと面と向かって言われれば納得出来ますが、そう言う訳でもないのでどうしても能力不足を理由にしたいです。
また、1から構成し直し作品を作り直すのは意味があるのでしょうか? これも経験と受け入れ、次回作に力を入れた方が良いのでしょうか。
ご回答、よろしくお願いします。

上記の回答(新人賞に落ちた時の立ち直り方の返信)

投稿者 アンデッド : 0

質問に関しては前作を直しながら次回作も手掛けるのが一番ベストかと思います。
相乗効果が得られると考えられますので。
・前作の欠点や足りない所を見つけて次回作に反映
・次回作の良い所を前作に反映して改良
・双方向でお手本や反面教師や指針・方向性
三番目はまあ何でもいいんですが並行する方が直で目安になります。
けどこれが余り言われないのは実行力の問題があるからですね。心身共に実行するのが大変でしょうし。
逆に言えば実行の難度が高いものは実行出来れば成果も大きいかと。

最後に質問とは違いますが、立ち直れなかったらそれまでです。
逆に言えば立ち直れたらいずれ必ず一次通過できますよ!
厳しい事を言うと、小説を書いてる人は本居さん以外にも地球に何億人といますので、本居さんが立ち直る必要もないですからね。
そこで立ち直れずに「ああ、自分の作品は不要なんだな。書くのはやめよう」と思わされて、心が折れたら終わりです。
そしてそんな人達も今この瞬間に五万といて脱落していくのが現実なので。
本居さんが立ち直れるのをお祈りいたします。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 新人賞に落ちた時の立ち直り方

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投稿日時:

元記事:ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?

どうも。質問は初めてです。よろしくお願いいたします。

本題ですが、ラノベの一般読者層の知性について質問です。

会社でなんとなくぼーっとしていたとき、ふと「ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいなのではないか?」という仮説が思い浮かびました。これについて、色々調べたところ、以下のようなことが分かりました。

――――――――――――

■テレビの想定視聴者層はどれくらいか?

(少し昔の話題になりますが)とある芸能人が「CMは偏差値40の人にも理解できるものじゃなきゃダメ。この会社にいる時点で普通ではないと自覚しろ。世間にはおそるべき量のおそるべきバカがいる。そしてそれが日本の『普通の人』だ」という発言をしました。

また、演劇人の壤晴彦氏は、Twitterで同じような発言をしています。
「もう随分昔、当時の売れっ子脚本家とプロデューサー同席の時「日本のTVドラマは小3の語彙力で書けと言われます」俺「ホント?」P「ウン」俺「小4じゃダメなの?」P「視聴者から『難しい』ってクレームが来るんだよ」

さらに、KeyHoleTVの開発者である苫米地英人氏は自著の中で「そもそも現代のテレビ番組が、どういう層を対象にしているかというと、小学生高学年レベルの知力を対象レベルとしている。つまり、小学校高学年の頭脳が見てちゃんと理解できるレベル以上のものは、テレビには存在しないのだ。報道だろうが連ドラだろうが、同じである。すべて小学生向けのものだと思って間違いない。」と語っています。

小学3~4年生レベルの知性というと、国語が「ごんぎつね」、算数が「割り算」「小数」「角度」、理科が「磁石のしくみ」くらいとなります。いやいやさすがに馬鹿にし過ぎではないかと疑ったのですが、その手の人と付き合いのある友人に確認してみたところ、「まさにそう。彼らの知識はほんとそれくらい」と強く頷いていました。

これらを鑑みるに「テレビは小学生高学年レベルが理解できるように作られている」というのは信ぴょう性が高い(と私は思っています)。

■偏差値40の人は何に興味があるのか?

下記サイトにて、「偏差値40の人は何に興味があるのか」を解説していました。

はあちゅう氏の電通の先輩が言う「偏差値40の人向けPR」を解説。
https://www.kyohei-suzuki.com/entry/hensachi40-pr

(以下引用)
『偏差値40程度の人達は「時間が潰せること」と「快楽を得られるもの」に興味が振れていると言えます。電車やバスの待ち時間、退屈な授業中の暇潰しはスマホでソシャゲー。でも、ゲームだけだと飽きるので、楽しいことがしたいと思って恋愛を求めたり、バイクに乗ったり、ギャンブルにはまったりする。恋愛は本能、その他は「周りがやってるから」という理由で選び、ハマって行きます。彼らは多くのこと、本質的なことは考えず、本能や親しい人の勧めに従って行動するのがパターンです。物事をよく考えてから判断して行動する傾向のある、偏差値の高い人々とは逆のベクトルを向いています。』

そのうえで、偏差値40の人に受け入れられるコンテンツの特性として以下の要素を挙げていました。
・五感に訴え、本能を刺激するもの
・強く共感させるもの
・親しみを持たせるもの

――――――――――――

上記を踏まえたうえで、ライトノベルの一般読者層は、上記のような特徴を持つ人々と考えてもよいと思いますでしょうか? それとも、これ以上の知性を想定すべきでしょうか? もし、後者を支持するならば、どれくらいの知性を想定すべきだと思うでしょうか?

ご意見よろしくお願いいたします。

上記の回答(ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?の返信)

投稿者 暇人 : 0

人それぞれなので難しい問題です。ですが高偏差値向けラノベにも底偏差値向けラノベにもメリットデメリットがあります。

まず高偏差値向けラノベのメリットですが「本能を刺激するもの」、「快楽が得られるもの」が大事とするのなら、人には「優越感に浸りたい」という本能があります。なので高偏差値の向けの物語を読破できたという結果は「自分の能力が高い=優越感=快楽を得られる」となります。だから対象偏差値は高く設定した方が「優越感」という快楽を強く刺激できるので有効です。またブランドとしての強さも発揮できます。変な話ですが高偏差値の作品は「理解できなくても読んだだけで自慢になる」という優越感が快楽=本能を刺激されて底偏差値の方からも好まれる可能性はあるでしょう。
一方でデメリットですがやはり読者が絞られる可能性が高いです。息抜き等の理由から偏差値40の作品を好む高偏差値の方は多いかもしれませんが、高偏差値にしか理解できない作品を偏差値40の方が好む可能性は低いです。理解できないのものを快楽とできるのは一部の方を除いて難しいと思われます。特にラノベでは厳しいでしょう。

次に底偏差値向けラノベのメリットですが、上記の理由から底偏差値向けは幅広い読者に好まれる可能性が高まります。特に他人の目を気にせず純粋に作品を楽しみたい方が多ければ理解の範囲が広がる底偏差値向けの方が有効です。後は、はあちゅう氏の記事で底偏差値向けの優位性がたくさん説明されているのでメリットの部分は省略しますね。
ただし当然デメリットも存在します。人によっては「馬鹿にされたくない」という本能があります。偏差値40(に見える)ラノベを好む事は「そんな作品を読む自身の価値が低い」と感じてしまう方も少なくありません。偏差値40のラノベを読んでも自慢にならず、むしろ馬鹿にされる可能性すらあります。これでは優越感という快楽=本能を刺激することができません。なので対象偏差値は可能な範囲で高く設定した方がいいでしょう。

当たり前ですが偏差値を絞る事自体が悪手で全偏差値の方が楽しめるラノベを作るのが理想です。
ただしこれは理想論であり、得意不得意、強さ弱さがはっきりしている作者ならあえて対象偏差値を絞ったラノベを作る事も重要な戦略だと個人的には思います。

カテゴリー : その他 スレッド: ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?

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